暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

Ribes というのだそうだ

2016年02月05日 14時38分26秒 | 日常


冬枯れで色の少ない庭のなかに細かな赤いのが見えたのでちょっと注意して見ると、この何年か注意もしていなかったところにただ細い木が伸びて春から秋にかけて繁殖していたものがあって緑の葉だけが出ていたような植物に芽が出始め、細かな赤い花が咲き始めているのに気が付いた。 花の形もまだ咲き始めで完全ではないけれどカメラに収めた。 家人にあれは何だと尋ねると Ribes  だと言う。

ネットで繰ってみると様々な形のものが見えてそのなかで Ribes sanguineum 'koja' に該当するようだ。 Ribes だけだと スグリ属 と出て黒や赤の果実がつくと書かれているのだが、庭には幾つかそのような木というか葎のようなものはあってもここにはそのようなものが出来ることはなく、だからこれは属は同じでも別の種類だと思われる。 結局花と木の形で判断してそう結論付けたのだけれどネットの写真では地味な花だ。  だから今まで咲いていたとしても春の他の花に気を取られて気が付かなかったのではないか。 けれどそれが他には色づいたものがない今の庭にポッと赤が出で目に留まったのだからこのように改めて名前を調べることになったのだ。 すると開花順位がほかのものに比べて上がっているということだろうか。 暖かい冬もほぼ終わりかけて一般に開花の時期が半月から一か月ほど上がっているような気がする。


ローラ殺人事件  (1944);観た映画、 Feb. '16

2016年02月05日 00時27分11秒 | 見る

邦題; ローラ殺人事件    (1944)

原題; LAURA

89分

 
 
有名な女性デザイナー、ローラ・ハントが、何者かに顔面を撃たれて殺されるという事件が起こった。事件を担当した刑事は、三人の容疑者に的を絞って捜査を開始するが……。殺人事件を追う探偵の活躍を描いたミステリー。
 
本作は You Tube で観た。 上記が短い映画データベースの記述であるがウィキペディアに本作の詳しい項目がある。
 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A9%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
 
本作を観ようと思った動機はチャーリー・パーカーがアルト・サックスで甘く吹いた録音をもう45年ほど前に初めてジャズ喫茶で聴いて以来頭のどこかに残っているスタンダード曲「ローラ」が本作のテーマ曲だと知ってその映画を観たいと思ったからだ。 こういう古い映画を観るのに今一番手っ取り早いのは古い西部劇を探して観るのと同じ方法で You Tube で検索することだ。 幸いにフランスのアーカイヴが全編89分を載せていたのでそれを観た。 フランス語の字幕もなく吹き替えでもなくオリジナルなままでモノクロのものをパソコンのモニターで観たのだが中心が淡く白く飛んでいて、それはオリジナルのフィルムを映写するのに光源のランプの光が中心に写っているためと思われる。 今のIT技術が進んでいる折、ネガをデジタル化すればいいものをオリジナル・フィルムをプロジェクターで映写したからそうなっているのだろう。 けれどフォーカスはしっかりしていた。 1944年、太平洋戦争終結の一年前にハリウッドで制作された作品であるというのが面白く本作を当時の日本の国策映画産業が制作した作品群と比べると太平洋を隔ててどのような種類の映画が戦争中の両国で撮られていたかが対照され興味深い。
 
話の筋はともかく1944年(昭和19年)の映画の中にみえるアメリカ上流階級の様子が窺えて面白かった。 ことに冒頭、新聞やラジオ放送でコラムをもつクリフトン・ウェッブのアパートに殺人捜査担当刑事であるダナ・アンドリューが訪ねて来るシーンが面白い。 刑事が高価な美術品が飾られている部屋を大雑把に眺めたあと隣室でバスタブに入りながら新聞も読みコラムの原稿もタイプライターで書く老紳士のクリフトン・ウェッブのそばに寄って行き初めて対面する場面だ。 両者のセリフのやり取りでウェッブの老獪な性格と刑事のそれに対応する会話が本作の導入部となってそのとき警部がそこにあった自分も子供の時に遊んだ仁丹ほどの玉が転がることで野球ゲームのようになっている小箱で遊びながら話を振って探りを入れる場面ではそれ以降ウェッブの性格を測る重要なものとなり、その後もそのおもちゃを弄びながら掛け合いをするのには老紳士のイライラと警部ののらりくらりさを対照させる優れた演技となっている。 本作を観始めてヴィンセント・プライス以外は誰も知らなかった。 だからそれで予断なく事件解決への筋を追って行けば良かったプロセスでその声には変わりがないものの痩せていて周りからも飛び抜けて長身のプライスを見たのは嬉しい驚きだった。 プライスがそんなに長身だったとは後年のイギリス・ホラーやポーの怪奇映画からは思い起こせなかった。 プライスの鼻にかかった、時には柔らかい声は特徴的でありホラー映画では効果的だったのが本作でもその性格を測りかねるジゴロ的青年として適役だ。 俳優としてのダナ・アンドリュースはディック・トレシー張りのトレンチコートに帽子の当時の格好いい服装なのだが殊に印象に残ることもなく「我等の生涯の最良の年(1946)」や「ラスト・タイクーン(1976」で若きロバート・デ・ニーロと共演していたのを観ていた筈なのに記憶がなかった。
 
ヒロインを演じるジーン・ティア二―にはさしたる印象を受けなかったのだがウェッブと絡んで関係が始まるその設定が面白いと思った。 主人公のローラは日本では70年代から持ち上げられてきたコピー・ライターという職業で、ウェッブに見いだされパトロンとなったウェッブに導かれ社会の階段を上り社交界に出てそれを謳歌する女性には女性の社会進出の陰に男有りと知らしめ、今も依然以前と変わらぬ男社会の中で才能と美貌を武器に生き延びる女の健気さはあるものの、ウェッブとの関係は籠の鳥でしかなくやがて物質的に恵まれても老人では満足できず関心がプライスに向かい、、、、といったことから刑事との関係にも繋がる仕組みもよくできたものだ。 だからヒロインのその美貌がキーとなるのだろうけれど戦前・戦中・戦後の女優達の美貌は殆ど活字の名前とモノクロの画面だけしか見たことのないグレダ・ガルボやジョーン・クロフォード、マレーナ・デ―トリッヒ、更にはマリリン・モンローに繋がるような後々まで語り継がれるようなオーラは一瞬の横顔を除いて感じなかった。 美人というのは時代、時に応じて変わるものであることを実感した。 80年代には民族博物館の研究員が美人論というものを書いていたものを読んだがそれは文化人類学の部類に入るようだ。 つまり、顔は世につれ世は顔につれ、といったところか。
 
尚本作を観るもとになった曲「ローラ」は作品中何度も流れ、だからそれが観る者の深層心理に残りポピュラーになったのであり、それを確認するためにパーカーのほぼ晩年の体調も技術も最上でもない中で録音されたけれどよく売れた「Charlie Parker With Strings (1949)」を久しぶりに聴くことにして本作の主題歌に加えてそのアルバムに収められている数々のジャズスタンダード曲に一層の親和性を覚えたのだった。 現代の利器 You Tube ではパ-カーの「ローラ」と本作の場面を散りばめた下のようなヴィデオ・クリップがあるのが見られ70年代初めにパーカーのものをLP盤で集めていた頃の情報と比べてほぼ45年経った今の状況にただ驚くばかりだ。 ここではこういうメディアが遠かった過去を現在に引き寄せる機能を果たしそれが自分のような老人にその恩恵を与えてくれるのには一定の評価をしないわけにはいかない。 
 
https://www.youtube.com/watch?v=uC1Qt8Hwi54