暇つぶし日記

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ART ROTTERDAM 2016 というイヴェントに出かけた

2016年02月20日 18時28分38秒 | 見る

 

2016年 2月 12日 (金)

この日の概要は下のように記している。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/65041366.html

 

セミナー会場である世界遺産登録建築物の旧工場の事務所然とした棟でオランダ美術業界誌の主催するセミナーが募った申し込み順100人弱の参加者を集めてこの夏アーネム駅近くの丘で開かれる今回で12回目になる4年に一度の野外芸術展のコンセプトを巡って説明会形式でのセミナーがあった。 展覧会のテーマが「インドネシアの若い芸術家、グループとの交流」であるらしいのでその説明にインドネシア側から30代半ばとみられるインドネシア人の造形作家・「クリエーター」と称する芸術家がインドネシア系オランダ人女性のオランダ語での説明の後20分ほど英語でプレゼンテーションをした。 けれどそれは具体性を欠く曖昧模糊としたもので貧しいと批判されても仕方のないものだ。 その貧しさは単に彼の英語の貧しさに由来するものではなく、赫とした具体的なアイデアもプランも提示することなくただ漠然とした単に地元ローカルとの交流、自分たちの現在を提示して世界の輪で見聞を広めるというような、美術を専門にする場では謂わば詐欺師にも響きかねない説得力のなさで参加者の眉を顰めさせかねないものだった。 後の質疑応答の際にも、インドネシアの自由活発な若い芸術家たちの活動を知りたいというような参加者から、今まで様々にインドネシア内外で類似のイヴェントを組織してきて特にオーガザイザーや個人に対する政府なり政治グループなどからの影響、介入といったものに対してはどうなのか、というような当然の質問にもそれを理解できないようにも響く曖昧な態度に疑問が湧いた。 それを言葉の不自由さに由来するものかノンポリととるか、はたまた政治の介入が当然あるものとしてここで自分の発言に対する内外からの影響を恐れるあまりの対応なのかどちらにも解釈ができるのだろうがそれまでの説明からして自分は前者だろうと解釈した。 芸術はその美やそれを表現する活動を巡って政治的になる部分もあるのは当然のことで現在の世界的状況の中で特にインドネシアからのゲストを招いてこの地域の芸術家たちの存在理由をも認識する参加者たちの間には首をかしげるような回答にオランダ側の主催者に対する一部からの批判が出てもおかしくはない。

セミナーが開かれた小さい管理棟から斜めに幾つも本館に架け垂れられている透き通った橋を渡って巨大な建物の一階の広大な空間に来るとそこでは数百人の芸術家たちが展示する120以上のブースがそれぞれヨーロッパ内外各地の作家、アートギャラリー、メディア、文化組織等に別れて数千人の来訪者を集める、という盛況だった。 当然ギャラリーのブースにはギャラリーと契約している作家の情報も提供される。 この 「ART Rotterdam 2016」というのは様々な言語が飛び交う美術界のシリアスなイヴェントであるようだ。 

混雑する会場入り口付近でキョロキョロしているとこれから将来有望な若い作家たちのセクションがあるのでそこを巡る半時間ぐらいのガイドツアーがあるから参加しないかとの一本釣りに引っかかった。 自分たちがそれに加わるというと8人ほどのグループが出来たのか大勢行きかう人の間をぬってツアーが始まった。 なるほど粗削りながら興味の惹く作風の作品が提示されている屋根が物凄く高い旧倉庫らしい場所を巡った。 10人ほどの作家のインスタレーション作品群はオランダの各地にある美大の教師からなる委員会によって選考された新人たちのコンテストの選抜展だったようだ。 だからガイドはそれぞれの作家の背景、作風の変化、何がここに選ばれたポイントなのかを詳しく説明するのだがそれは何人かが彼の育てた学生だったということ、選考委員らしいことから詳細な情報が与えられる。 そこで、その背景は我々が説明を聞くまでは未知であり、作品に対面したときの印象とその説明を聞いても作品の印象はかわらない、そんな素人の自分にとって細かな象徴主義的な説明は何の意味があるのかというような無礼にも響く質問をしてみた。 それは彼が真摯な教師であるから試みたことでそんなことからこの質問の後ツアーの中で様々な興味ある会話を楽しむことができた。 これは一般に芸術の意味と観るもの観られるものの関係をめぐるものであるからだ。 当然、ものをそのものだけと捉え周りの背景、「おはなし」は関係ないとする態度も当然あるから謂わば若い作家たちを売り込むべく努力する真摯な教師に対するいちゃもんであるのだけれど「アート・イヴェント」でプロモーションに励む学校の先生には退屈しのぎの話の振りだったようでお互いにやりとりを楽しんだ。 このイヴェントの目的は「芸術」を売り込むことで芸術とはなにか、というような「無粋」なことを話す場ではないのだけれど素人の自分が「プロ」の中に入るとこのような「青臭い」話しも「刺身のつま」として機能するのも知っているから敢えて行ったということなのだ。 偶々日本から短期オランダに来ている美大の留学生に行き合わせ、その続きを吹っ掛けユトレヒト美大の仲間と来ているシャイな女子学生に年寄りの迷惑なフリを振っている、と家人に袖を引っ張られそこを離れた。

ヴィデオ・アートというジャンルが確立されてからもう大分経つ。 1987年だったかドイツのカッセルで開かれたドクメンタを見聞してそのときヴィデオを媒体として活動する韓国人作家ナム・ジュン・パイクの作品が印象的だった。 その系譜を継承しそれから様々に枝葉を広げCG技術をも駆使した作品もいくつか観られた。 CGの分野はこの20年以上映画産業に貢献しておりそれに関連付けられるような作も見られる。  景色の中をカメラの視点で移動しどこにもないような景色を逍遥していくものがあった。 その中でその景色は虚であり、そのうち景色が展開していくにつれて前の画面が2次元に収束されさらには薄く平らな線となり舞台の書き割りが除かれて行くように移動するけれど、背後は新たなそれまでとは齟齬のない空間が続くという一種銀河系を越えてどこかにあるのではと思わせる異次元空間を提示する作品は印象的であり、それらはアニメからは決定的に一線を画するもののようだった。 このような技術に支えられヴァーチャルな世界が一層今迄以上に現実味を帯びて創造されていくだろうことは近年のメディアに於けるこの分野での進化を経験すると先は明らかだ。

現代美術の市であるから何世紀にも亘るカンヴァスと絵具による具象絵画、大理石、焼き物、金属を使っての2次元、3次元の伝統的作品は少ないものの新しい素材、手法を駆使して今迄に無かったような意匠をもつ作品が殆どだ。 ただオーソドックスな写真作家の作品もいくつも見られたけれどその大部分は何らかの割合でデジタル処理されたものだ。 ただギャラリーが並ぶブースのインスタレーションは実験的なものは少なく殆どが何がしかのステイタスを得た手法・表現であるようだ。 現代芸術の分野で様々な批判的な眼を持つ作家たちの作品、インスタレーション、アクションを集めた建物には粗削りなむき出しの広大な工場空間に無造作にそれらの作品がしつらえられ、そこでは行動する作家たちが銘々活動に励み、ブースで行われているように売り込むことには力点が置かれているようには見えなかった。 

そこでDJに励む作家はLP,CDを加工し古いターンテーブルのサファイヤ針のついたピックアップで再生した音と主会場にしつらえられたマイクで集められた音をノートパソコンで編集しサウンドスケープとして提示するDJ活動だったのだがもう40半ばと思われるその作家に自分が小学校の時に経験した、重いSP盤をまだ人造宝石の針が出ていないときに単なる金属の針を屡交換して朝礼の音楽や運動会の時にラジオ体操のレコードを操作したときのことを彼がCDにスクラッチの傷を彫りこみ再生させるのを聴きながら話すとその音は今私がやっていることとあまり変わらないようなものだね、私はスクラッチノイズを世界に必要不可欠のものとして作っているんだと半分真面目な顔をしていう。 この実験棟パヴィリオンでとりわけ大きな空間が用意されているところでは細いパイプを組み合わせて巨大な怪獣か昆虫かというようなモビールを歩かせるテオ・ヤンセンが二つ三つそんなサンドビースト(砂浜の獣)と呼ぶ作品を動かして遊んでいた。 日本に行ったことがあって子供たちに喜ばれたんだよ、日本人はこういうの得意なんじゃないのかなと言い、周りが比較的若い造形作家の中で自分と同年配70前の工作好きの作家は自分が造った獣のジョイントを見て回るのに忙しいようだった。

日も陰り始め会場が薄暗くなってきたので次の会場に行く前に本館のラウンジで何か飲もうとそこに行くと併設の大きな空間にベルトコンベヤーをうねうねとくねらせた回転ずしがしつらえられており100人余りがそのうねうねとしたところに並んで座り寿司を摘まんでいた。 回転ずしの貧しい質に対してバカ高い値段にウンザリしながら眺めていたのだがなるほどこんな大型で妙な形のものを造るのもアートフェアの趣向なのかと納得したのだった。 期間限定だからできるものであってとても常設では採算が採れないだろう。  

人のごった返す会場を出るとこの時期に珍しい夕焼けが会場周辺に並べた旗の上に乗っていた。

 

写真は Corine Zomer (1983)作  「AVA Levia (2016) 」    150x150x200cm