暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

Into the West,  第一話 ; 観た映画、 Feb ’11

2011年02月12日 23時31分38秒 | 見る
INTO THE WEST  イントゥー・ザ・ウエスト  (2005)

原題; INTO THE WEST

ジャンル; ドラマ/西部劇/アドベンチャー

監督: ロバート・ドーンヘルム
第1話
サイモン・ウィンサー
第2話
セルジオ・ミミカ=ゲッザン
第3話
マイケル・W・ワトキンス
第4話
ティモシー・ヴァン・パタン
第5話
ジェレミー・ポデスワ
第6話

製作: ラリー・ラパポート
製作総指揮: スティーヴン・スピルバーグ

脚本: ウィリアム・マストロシモーネ
カーク・エリス
サイラス・ナウレステ
クレイグ・ストーパー

出演:
マシュー・セトル
ジョージ・リーチ
ジョシュ・ブローリン
トナンツィン・カルメロ
ゲイリー・ビューシイ
マイケル・スピアーズ
ザーン・マクラーノン
スキート・ウールリッチ
ウィル・パットン
ジョン・テリー
クリスチャン・ケイン
セージ・ガレーシ
レイチェル・リー・クック
ゴードン・トゥートゥーシス
タイラー・クリストファー
アラン・テュディック
ケリー・ラッセル
サイモン・R・ベイカー
ショーン・アスティン
トム・ベレンジャー
ボー・ブリッジス
ジェシカ・キャプショー
キース・キャラダイン
バルサザール・ゲティ
ジョアンナ・ゴーイング
ランス・ヘンリクセン
マシュー・モディーン
デヴィッド・ペイマー
ジャッジ・ラインホルド
クレイグ・シェイファー
グレアム・グリーン
ラッセル・ミーンズ
ジェイソン・ダグラス

本作を6週間に亘って毎週1作づつ1時間半ほど観たのはもう5年ほど前になるのか、と今日偶々土曜の午後に同じくBBCテレビにかかっていた本シリーズ第一作を観ておもった。 本作のテレビシリーズを見ようと思ったのは同じくBBCテレビにかかったこのスピルバーグの「Bnad of Brothers (2001)」のシリーズが終わって大分経ってからで、制作フォーミュラは二作とも同様に、それぞれのエピソードでは別の監督、シナリオライターが担当するものだったと記憶する。 しかし色調はノルマンディーでの戦争ではカーキ色の薄いフィルターがかかってCGのささくれのようなものも見える、それは題材に沿ったものだったが、本作では西部開拓史のなかの様々な相を美しい自然の中で映す総天然色だ。

第二次世界大戦ノルマンディー上陸以降の戦争映画、と1820年代からの西部劇、というのは「シャボン玉ホリデー」や「アンディー・ウイリアムズ ショー」とならんで我々の年代の少年がテレビ勃興期に胸を躍らせながら白黒のテレビ受像機のまえに座って観たアメリカの映像である。 戦後の対日文化政策に沿ったものでもあり、一方、それはアメリカでもおなじことであり、それから半世紀が過ぎた今、このジャンルが徐々にSFもの、サスぺンス、ファンタジーなどに取って代わられるものの何時もアメリカの歴史を示すための埋め込まれた「国策」とでもいうべきジャンルでもあるこれらは泡のように時々は表面に現れる。 西部劇マッチョの映像を自分の年齢に従いながら作り続けるイーストウッドはもうこのジャンルのものは作らないのかと思うものの、ジョン・ウェインの先例「ラスト・シューティスト (1976)」があるからイーストウッドも自己の死期が迫ったと知った時にはウェインが死期を悟ったときに自分の挽歌として作ったような西部劇を制作するのだろうか。 そのジョン・ウェインの挽歌はイーストウッドの出世作、イーストウッドの映画制作の師匠ともいうべきドン・シーゲルが撮っていたではないか。 最近メディアではクン兄弟の「True Grit」という久々に作られた本格的な西部劇にはあちこちの若い批評家たちは西部劇の再「発見」をしているようだ。 これもジョン・ウェイン主演のもののリメイクだと聞くし、予告編で見る限りは主演のジェフ・ブリッジズはウェインに敬意を払ってか片目でウェインに似せたあざとい格好をみせていた。 ここにも西部劇の系譜が流れているのをみるようだ。

本作、第一話のことを書くにあたって「Band of Brothers」のことを書いたのはその中で印象的な中尉を演じたマシュー・セトルがここで主演していることにも関係している。 ことに脇役で性格を光らせるウィル・パットンも出ていることとももう一度土曜午後のソファーに座らせる働きをしているし、劇場映画に遜色のない美しい自然を含む画面、カメラワークがみられることでソファーに暇なおやじを釘付けにするという作用もあるようだ。

ここでは先住民のインディアンとの交流が自然に描かれていること、穏やかなネイティブ言語の台詞が語られること、かなり正確に彼らの生活、狩猟の方法などが描かれるのにも興味がいくことで、その連なりとして少年少女向けのアメリカ公式近代史の映像がアメリカ的に語られるとしても大自然のなかで繰り広げられる話の魅了はだれも否定できないだろう。 けれど、それは戦争、西部開拓を生きるための避けられないもの、自分達の信じるものを守る、追求するために不可避的に起こったものと自己を肯定する体制翼賛への道にも誘い込みかねないものでもあることを心しておかねばならぬ。

「True Grit」の予告編にしてもイーストウッドの諸作はいうにおよばず画面に現れる武器には興味が尽きない。 本作の1820年代にはまだ薬莢に弾薬をつめこんだような近代的な弾薬は出来ておらずリボルバーもまだ登場しておらず、だから当然連続して発射できるライフルもみられない。 これからあと20年ほど待てば大西部開拓時代のコルト・リボルバーやウインチェスター・ライフルが活躍する時期がはじまり、フリントロックの先込め、フリントロック発火方式の単発の世界でこのシリーズが始まるからこれから代が変わるにつれて狩猟、諍いの解決方法も変わってくるというものだが、主人公がインディアンの女を巡って山男マウンティーと決闘をする場面では前回以上に興味深かった。 これと同じものを翌日射撃協会の射場で撃つことになっているからだ。 火薬を込め、弾薬を込め、火打石のついた撃鉄をおこし受け皿に細かく挽いた発火用火薬を注ぎ的を狙って引き金を引くところまでは同じだがこちらのほうは50mはなれた紙の的、本作では20歩離れた、大男の一歩を50cmとして12,3mから15mだろう。 落ち着いて狙えば必ず当たるが相手もこちらを狙っている。 なんともおそろしいことか。 まさに相手のことをかまわず落ち着いて自分の最善をつくすだけだ。 相手のほうが着実で早いとするとそれはこちらの運が悪かった、とするしか仕方のないことなのだ。 火器を使わなければ問題の解決にならないところでは日常的にこのような「運」が支配するようでそれに対する心がけをどうするか、というようなことにも本シリーズは色々な形、場面で繰り返し提示しているようにも見受けられる。 尚、本作で見られる猟銃は本作の舞台から50年ほど前のアメリカ独立戦争前後を舞台にした「ラスト・オブ・モヒカン (1992)」で用いられているものと同様のものだ。 武器の歴史からみてもまだこの時期は「牧歌的」もしくは「ロマンチック」な時期の最期にあたり、ヨーロッパでは貴族間の「決闘」で同様の「拳銃」が使われていたものだ。 ちなみに、主人公はセリにかけられたインディアンの女をめぐって競り落としたら自由にする、といい山男と諍いになるのだから、ここにも「ロマンチック」でイデオロギーに満ちた自由のための闘争というテーマが埋め込まれているのだ。

ここではインディアンのが「ロマンチック」に描かれているがここで同様の場面を思い出すのが次の映画だ。 それぞれ白人がインディアンの部族の中に入って同化するかどうか、という話ではある。 リチャード・ハリス主演「馬と呼ばれた男(1969)」、ダスティン・ホフマン主演「小さな巨人(1970)」、ジョニー・デップ主演「デッドマン(1995)」などが類似の作だろうと思う。 ケヴィン・コスナーの「ダンス・ウィズ・ウルブズ(1990)」もこれに繋がっているかもしれない。 尚、我々の地区の射撃協会で古式銃、25m短銃の部でこの何年か優勝盾を保有している男はアメリカ・インディアンの衣装で何時も射場に現れ、アメリカ先住民の生活やガジェットにくわしいインドネシア系オランダ人である。

蛇足; 本作中、インディアンのメディスンマン、「バッファローに愛された男」と名づけられた少年が無意識に自己修行をするために上る岩山を見て笑った。 それはスピルバーグの傑作、「未知との遭遇 (1977)」の中でリチャード・ドレイファスが無意識にキッチンで作り続けるマッシュポテトの、その後マザーシップ降臨の山そのものだったのだ。

今年二つ目のステーキ

2011年02月12日 14時01分17秒 | 喰う


何を喰うかその思案がつかず手短に出来るものとしてスーパーの特売でステーキ肉を見つけたのでこれなら簡単だとパッケージを二つカートに入れた。 うちの冷蔵庫にはブロッコリーとサラダ菜の新芽が各種あるから手軽だし、直径が拳骨ほどのニンジンもあり、それは先週水炊きの鍋に使った残りだ。 それを2cmほどの輪切りにすればその半分が一人分になるので茹でてブロッコリーと組み合わせればいい。

白米にしようかと思ったけどここはやはり電子レンジで蒸した小ぶりのジャガイモにすることにした。 皮を剥いて二人分で500g、電子レンジに9分少々、蒸しあがったらそれに振り掛ける、この間魚に使った香草、ディルがあるし、シャンピニオンと玉葱を厚鍋にたっぷりバターをひいて炒め、塩コショウとその後クリームシェリーを振りかけて蒸したものを添えれば出来上がりだ。

肉は牛肉のアントルコート、つまりサーロインなのだが、140gで2.5ユーロ(約280円)、普段より2割は安いだろうか。 それよりも少し高いサーロインより少し尻の肉のやわらかいところ、英語ではラウンド、オランダではKogelbiefstuk(弾丸形のステーキ)と呼ばれる部分とどちらにするか思案したのだがアントルコートは何時も口にするといかにも牛の肉、という味がするので肉を食いたいと思えばこれにする。 厚い鋳物のフライパンを熱くしてバターとオリーブオイルを敷いて片側2分づつ焼いて出来上がりだからこんな楽なものはない。

帰省中、日本では牛肉は食わなかったように思うけれどなぜだったのか考えてみても思いつかない。 寿司を多く喰ったから魚の類と野菜、後は豚肉のロースで鍋だったようだ。 いや、いちどスーパーで一番上等のステーキを母親に焼いて食わせた事を覚えている。 けれど、自分は肉を喰わず、鰤を煮たもので酒をのんだ。 そのステーキ肉は120gで1400円ぐらい払ったのを覚えているけれど日本の肉は高いものだと感心したし、高校の同級生でサンドイッチパーラーのオーナーがいてそれに叔父の孫達に食わせるのにこの近所でいい肉屋がないかと訊ねたときに紹介してもらったところで求めた焼肉用の肉が1kgで12000円払ったこともあり、日本の値段はそんなものだろうと思ったのだった。 その焼肉用の肉にしても一番高いものではなかった。 オランダ人に言わせれば日本の肉は高い、というだろう。

いづれにせよ日本では牛肉を喰わなかったといったら、帰った早々、それじゃ、ステーキにしようと3週間ほど前に家人が焼いたのが柔らかいKogelbiefstuk(弾丸形のステーキ)だったのだから、これで今年二つ目、というか二枚目のステーキになる。