暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

世界が動く中、ここは晴れていていい天気なのだがこの寒さはどうもいただけない

2011年02月01日 22時27分09秒 | 日常


2011年 1月 30日 (日)

オランダに戻ってこの一週間ほど気持ちのいい青空が続いている。 けれど寒い。 大阪でも日中は陽射しがあり、うちの中から見ていると暖かそうだったが外は寒かった。 オランダも大阪も寒いのだがそれでもその寒さにはかなりの違いがあるようだ。 大阪では陽射しのなかで風がピューピュー吹きそのとき体感温度が下がる。 これで風がなければぽかぽかと縁側で居眠りできるほどなのだがそれはほとんどなかった。 

一方、オランダでは風はなく、青空の下、日中最高気温がマイナス2度ほど、夜中には星空でマイナス4,5度ほどだ。 普通の1月後半の気候であるのだがこれで風が吹けば堪らない。 けれど普通はそういうことはない。 屋外で立っていると徐々に寒さが体内にしみこんでくるのだが風がないから口に出して寒い寒いといいながら地面を踏んでうろうろすることもないが、その分静かに深くジンジンと骨まで染み渡るようなのだ。 自転車で走ると急に風が吹いているように感じ皮膚の温度が急降下する。 

空気が重く、沈んで動かない中を自転車で走ると普通は感じないような寒さとなり、風を受けているようにも感じるのだろう。 たぶん普通でもこのような感じはあるのだろうが寒くなければそれは多少の快感であったり普通に無視してしまうということだろう。 いずれにせよ、空気が重いと感じ、風があるのか、とも思って周りの木立を見渡しても裸の枝や常緑樹の高木のてっぺんはまったく動かず無風だということがわかり、ではこの寒さは動かない空気と自転車で走る自分とが擦れて感じる空気の温度なのだと実感する。

オランダは寒いけれどエジプトでは熱い。 それは今まで長く独裁政権と言われてきたムバラク大統領の施政に人々が「オー、ノー、もういやだ、これではだめだ、今の政府はやめろ、どこかにいけ、、」という声の現れだし、そうなったのはその隣国のチュニジア政権の崩壊からで、そこから派生もしくはそれに影響されて起こったことなのだ、とも説明されている。  自分の周りや近所には、かつて20年ほど前には名古屋近郊に住んでいてちょっと日本語を話すイラン人家族、バルカン半島での戦争のために15年ほど前にそこから避難して住みついた家族、ポーランドから出稼ぎで来て本国の家族に送金し出来れば家族を呼びたいと思っている男達、旧植民地のインドネシア、南米スリナム、インド、パキスタン、中国から来て既に難世代もに亘って住み着いている人々がたくさん居るのは衆知のことだ。 それにヨーロッパ内でも移動してきて住み着いている人々も多いしベルリンの壁崩壊以後は徐々に旧東欧といわれるポーランド、チェコ、スロバキア、ロシア、バルト海諸国などから住み着く人々が従来のトルコ系、北アフリカ系、モロッコからの人々に加えて増え、町のあちこちでスラブ系の言葉が聞かれることも普通になっている。 けれど量としてのエジプト人はあまり聞かないし私の周りにはエジプト人はいない。 

今のところエジプト軍は人々には危害を加えないと言っているようで、それにつれて今まで強権を行使して鎮圧に当たっていた警察も街頭で事務所や店舗に押し入り強奪をする無法者達には警察活動をつづけるけれどデモの人々にはその態度を改めるように権力者から指示があったようで、皆このあとどうなるか固唾を呑んで観測している。 固唾をのんでいるのは人々だけではなく、中東政治の重要な部分を握るエジプト政府に対して戦略的に友好的であるアメリカもその対象は政府から人民もしくは人々にへとその態度をシフトさせているようで、そのシフトの仕方は嘗て中国の天安門広場で軍を指揮して人々を殺傷しその功により政府のトップに立ち、その際政府に批判的、民衆の意思を反映した若者たちを弾圧し、そのリーダーにノーベル平和賞が与えられると笑いものになるような賞を建てて対抗するような世界の大国のようにはならないだろう、とも観測されているようだ。 

一方、この寒い時期スイスのダボスでは世界の経済の鍵を握る政府関係者、企業の指導者達が集まって恒例の会議をしているようで夕食後台所で皿洗いをしながらBBCラジオのワールド・サービスを聴いているとそこに参加した4カ国の代表的人々がパネルとなって討論、意見交換をする番組に行きあたった。 その内容は別として彼らの話す英語に興味が行った。 四人とはこの会議のホスト国フランスの経済財政担当大臣(女性)、 インドの著名な財界人(男性)、 アメリカ人アナリスト(男性)、 政府にも多大な影響をもつ中国財界人(男性)だったのだがここでの話題は近未来の経済に対して大きな影響力を持つ新興国、インド、中国に対する欧(フランス)米という構図でありそれは既に進んでいる国と今かなり進みつつある国の分け前をどのように配分するかというような際限なく続くようなお喋りではあることながら奇妙なことに現在世界で紛争が続く地域のことはバイプレーヤーとして彼らの利益に関係するときだけはかすかに現れるものの殆ど話題の中心になることはない。 経済的に強くない国には発言も話題にものぼらないのだ。 日本の代表も参加しているはずなのだがその発言に関しては全く聞こえてこないのは世界が日本をどのように捉えているのかの証でもあるのかもしれない。 それはそうとして彼らが話す英語だ。 世界のトップの話す英語だ。 

スランス人が英語が話せないというのは間違いである。 すでに30年前フランスの田舎で英語で通し充分通じる経験をしている。 経済的エリート、知的エリート達には英語はいくつかの言語の一つであり分かっても必要なとき以外には話さないということだ。 相手がフランス語が話せない、というときにはそういう人たちは時には嬉々として流暢な英語で対応する。 女性の経済財政担当大臣の英語は、アクセントがあるいくたのフランス人官僚、外交官に比べても格段ぬきんでて美しいものだった。 一方、長く英国の植民地であった国インドの有力財界人は一般のインド人の話す巻き舌で灰汁の強い英語に比べると理解できるもののインド人だと直ぐ分かるアクセントをもち、インド人の誇りというものを垣間見せる話し方であり、中国人のスマートなイギリス英語と比べて旧植民地であることをあからさまに示すようだった。 ここでダボスに登場する中国人の英語には印象を新たにするものがあった。 中国人の成金が話す英語ではアメリカアクセントをもつものを散々聞いてきたけれどしっかりした定見をもち中国の問題にも或る程度の理解をもつこの人物には明らかにオックスブリッジの影響が認められるようだ。 世界には星の数ほど中国人が散らばっているのだからそんな英語を話すものもいるのは当然のことなのだがこのような番組に登場する人物が話す英語が問題になるのだ。 

この番組は英国BBC放送であるから英語関連で言えば偶然にそうなったのだろうけれど上手なイギリス英語を話す人間たちを集めたものだ、と思った。 そしてその中でも多少ともそれぞれの違いも感知されて興味深いものだった。 そこでのアメリカ人の米語は内容は別として依然として50年代60年代にヨーロッパに団体旅行で来て強いアメリカ訛りの騒々しい米語のように響くのだったし、それは意図せずたまたまそうだったのだろうが結果としてイギリスの言葉に対するある種のスノッブ、意地悪さを垣間見せたようでもある。 たくさんいる私の知人のアメリカ人たちの中でももっと整ったアメリカ的で美しい英語を話す人間はたくさんいることを承知しているのだがそれもその人柄と分野により、特にこういう経済畑のレスリング場ではアメリカ的マッチョを示すのに適した米語だったのだと受け止める。

帰省の折、今年から日本の小学校で英語が義務教育として導入されると聞いた。 日本人の日本語が怪しいと憂慮されている中、日本語がまだ怪しい子供達に英語を詰め込むらしい。 子供達が自分の思うことを自国語でちゃんとはなせない、かけない、表現できない、というよりコミュニケーション能力が低いのだとも聞いた。 そんな子供達によその国の言葉を詰め込んでどうするのだろうか。 大人たちが喋れないようなちゃんとした日本語が話せるようなら外国語もいいのだろうが自分の国の言葉を粗末にするような風潮の中で文部省の指導方針とその流れにのるのかテレビで小学生が中身のない英語をオウムのように話す塾かなにかのコマーシャルをいくつか見た。 これから日本人の全てが英語を日常的に使って生活するとでも思っているのだろうか。 カタカナがこれだけあるのだから英語的生活にあふれているなどという陳腐なことをいう人がいたらカタカナ言葉がどれだけ外国人に通じないか確認してみるといい。 カタカナは日本人同士のみの限定的で、ましてや海外とのコミュニケーションでは日本独自の蛸壺的閉鎖型にしか機能しないことを知るべきだ。 80年代後半から頭を使うことを放棄した官僚が政府の公式文書にとめどなく丸投げカタカナを使い出した現象があり、国のエリートが自国の言葉を遺棄しつつあるというような評論をかつて読んだことがあるのを思い出す。 その影響がここに現れているのだとも感じる。

ああ、寒い寒い。 物言えば唇寒し秋の風、というのがある。 それは秋の風だけには限らない。 秋でも冬でもこれだけ寒くなってきたら夏でも同じことかもしれない。