暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

結婚式に出た

2009年05月10日 09時32分40秒 | 日常
2009年 5月 9日 (土)

結婚式に出るのは久しぶりだ。 それも花嫁を小さいときから知っているから感慨はひとしおだ。 花嫁の両親のうち母親は日本人だった人で多くの日本人女性がそうだったように結婚の際、夫の国籍オランダに帰化している。 今も多重国籍を認めていない日本国の掟だから40年ほど前には当然のことのようにそうしたのだろう。 花嫁は日本語を含むいくつもの言葉を話し、人を十数人使う自分の会社をもっていて独立の気に富み着実に世間を渡っていける、一種昔の日本の男のような気質をもっている。 その人あたりの静謐さはオランダ人の女性にもあまりみられないような性格で新郎は誠に心優しい年下の公務員である。

天気に恵まれた土曜の午後、いつも通る市役所の前に自転車を置いて正面の高い石段を登って大理石の床が美しい儀式用の広間前に着くと新郎新婦の家族知人達が30人ほど集まっていて新婦側の何人かと挨拶をするけれど新郎側には当然ながらメールで出席の通知をした新郎の姉以外知人はいない。

新郎が市の結婚式次第と書類作成の法的事項を取り扱う、威厳ある衣装を纏った女性職員の前で待つ中、父親と腕を組んで入場した新婦はウエディングドレスの中で落ち着いている。 父親と母親は何年もペンフレンドとして手紙のやりとりの末に結ばれた人たちで新婦は安定した両親の元で育てられ着実に自分で世界を切り開いていくオランダ的な生き方を実行しているから結婚は人生の大きなイベントの一つでありこれでひと段落、ということではない。 職員の挨拶でここに集まった人々の背景をひとわたり知らされ参集者への挨拶として日、英、独、ロシア、スペイン語で「ヨウコソ」と始められるが後はオランダ語である。

両者の馴れ初めから初デート、結婚の申し込みとその受諾のいきさつをほほえましく語り、ここで締結される民放上の法的結婚のもつ権利と義務を説明し新郎新婦側から二人づつ証人が呼び出され新郎新婦が登録の書式に署名したあと証人達もそれに続く。 それは兄弟であったり友達であったり叔父、叔母であったりする。 書類に署名が済んだ後、二人には結婚証明書とも言うべき市発行の手帳が手渡され、そこには両名の生年月日、出生地、結婚年月日とその地方公共団体名と事例を取り扱った市職員の署名があり、これから二人に子供が出生するにつれてこの手帳にこどもの名前、生年月日、出生地が記載されていくことになり、何かの折にはこれがオランダ国内での家族のパスポートとして機能することになっている。 けれど顔写真などは当然入っていないからこれで家族と個人を証明するIDにはならずあくまでこういう二人が結婚してこういう子供達がうまれた、という書き物である。 我々の場合は以前に住んでいた町発行のものであり子供達はそこで生まれていて、子供達はそれぞれこの町で育っているので以前にその冊子を見せたときには妙な顔をしたものだ。 私にしても同じようなもので日本の本籍地は育ったところから20kmほど離れたところなのだが出生してすぐ離れているから一生その場所は付いてまわるけれど実感はまったくない。

式が終わり式典の間をでて参加者一同が高くて大きな入り口の石の階段に並んで写真を撮った。 この時期からよく見られる光景で一年に10回以上自転車で横を通るときにみかける光景なのだが自分が立つのは久しぶりだ。 7,8年ぶりぐらいだろうか。 そのまま200mほど歩いて小ぶりな教会に入るのだが、ここは新婦の両親が属する教会で祭壇正面の聖水が置かれる礎石には1581年と記されていてフランス、ベルギーを経てオランダに移住したフランスプロテスタント、ユグノーの系譜にあたる教会である。 法的結婚式を市役所で済まし、ここでは宗教的な結婚式を行う、ということだ。 式次第をかいたプログラムを渡されるのだが全てフランス語であり、女性の司祭が式次第を司りるのだがここでも全てフランス語だから大まかなことはわかるものの障子のむこうからぼんやりした光越しに人の形を眺めるようなものでほとんどが推測の世界である。 

聖書の購読、賛美歌斉唱が交互に行われ、新婦の信仰確認のあと新郎の洗礼が行われ、それが済んで初めて両者の結婚が司祭を通じて神の名の下に成立するのであり結婚のリングが交換されるものの書式に署名ということは行われない。 尚、リング交換前の両者の誓いを司祭の言を繰り返す際には司祭がフランス語、両者はオランダ語で、という形をとり、この二人の宣誓のみがオランダ語であったのは興味深い。 是なり肯、ということばにしても「ウイ」だったものがはっきりした言葉で語るのは母語である。 この場所で何世紀にも渡ってプロテスタントの教えが続いている全ての次第が、当然目の前に置かれた分厚い聖書を始め全てスランス語であるというのはロシア正教の教会儀式次第がロシア語であったり、イスラム教のモスク内ではペルシャ語なりトルコ語なりで語られるのに対応しているのだ。

結局、市役所、この教会と式典が約一時間づつ続いて新郎新婦とその両親が並ぶところに各自プレゼントを持ちより挨拶をするために向かうと当然列ができて一人1,2分言葉を交換するとしても50人いると、、、、、、であるから大抵このようなレセプションの場合には並ぶ参列者の間でも会話が弾み、飲み物やつまみが手渡されることになる。

この後、家人は今の天気のいい間に庭で浴室、トイレのドアのペンキの塗り替えに急ぎ、私はスーツのまま土曜のマーケットに歩いて出かけ野菜や果物を買ったのだがいつも行く八百屋の若い娘達は私を妙な目でみるし古レコード、CD,DVD屋の主人は、あんた三つ揃いなんて着ることあるんだね、誰かの結婚式かい、と簡単なクイズを正解する。

うちの子供たちが市役所で結婚式をするとしてまだこれから15年はかかるに違いなく、それまで何回毎日見慣れている市役所のこの儀典の間にはいることになるのだろうか。