暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

「女王の日」 09

2009年05月01日 10時38分51秒 | 日常
2009年 4月 30日 (木)


水曜日の夜に毎週のようにごみのコンテナーをがらがら押して通りの角まで持って行ったらそこにもう幾つか並んでいるはずのものがない。 そこでああ、明日は「女王の日」だから祝日で清掃局の車も来ないはずだということを思い出し、ちゃんと台所の壁にかかった予定表を見ればよかったのにと思っていると犬の散歩に来ていた裏のオバサンが明日の夜だよ、と教えてくれた。 こっちも、もう水曜の夜のこんなことを頭に刷り込まれてるからと引き返してガラガラとコンテナーを引いて帰ったのだった。

翌日もああゆっくり寝たと目覚めてもまだ10時で、この2週間ほど、毎日朝の8時前から風呂場や便所をガリガリ、ザーザー、ギコギコと工事の音がやかましくて寝ていられないし家人が仕事に出ていれば9時半にはケースとその時々で変わる漆喰職人やタイル職人、ケースの助手などにコーヒーとお菓子を出しながら四方山話をする「義務」があるから8時にはおきているという甚だ自分の日常とは違うタイムテーブルだからゆっくり寝たなと思っても高々10時なのだ。 こうなると普通のまともな人の時間割に幾分かもどっているようだ。

そうすると家人が、今日は祝日だけどスーパーは午前中はあいているそうよ、というから慌てて車のキーを掴んでもうあと1時間半ほどしかないはずのスーパーに着くと日頃よりよっぽど少ない客のなか、マネージャーらしいちゃんとスーツにネクタイの男に聞けば夕方6時までやっているというからいつもよりは2時間短いながら私には充分だと安心してぶらぶら買い物をした後そこの広場を見渡してみればいつもビールと揚げ物で昼飯にする魚屋を含めあたりの店は当然ながら閉まっている。

家に戻ってとてもいい天気だから家人に去年の今日もしたように田舎をサイクリングしないか、と提案すると、天気もいいしいい機会だからトイレのドアのペンキ塗りをする、といってマスクをつけて電動グラインダーで古いペンキをこすり出したので自分の部屋に上がって昼寝をしたり軽い本を読んだりして晩飯の支度の時間まで屋根裏部屋の自室ですごした。 

昼頃なら女王がこの日に王族と一緒にオランダの町を一つか二つ訪れてその地の特色ある民芸や踊り、当地の市長をガイドに王族の家族そろって人々と遊んだり踊ったりするようなまことにオープンなオランダ王室が如何に国民に混じり溶け込んで愛されているかというようなプロパガンダにもってこいの一日を逐一テレビのライブで放送されるのが恒例なのだ。 娘が小学生の頃この町に女王が来てそのときには学校で練習していた町の歌を生憎雨の振る運河沿いで傘を差して船の上から手を振る女王の家族にほかの数百人の子供達と歌ったのももう7,8年前のことだ。 今は娘は友達何人かとアムステルダムのお祭り騒ぎの中で楽しんでいるはずだ。

午後大分たって階下に降りてみると居間で家人がちょっとみてごらん、大変なことになってるよ、というから見るとロンドンの二階建てバスの屋根を取って上階に座った王族たちの10mほど離れたところにある記念碑に、何人も撥ね飛ばし轢いたりして5人を殺し10数人を病院に送り込んだ38歳のごく普通の男がスズキ・スイフトで突っ込んだ画像が出ている。 当然オランダ中のメディアがこの日のためにあちこちにカメラをすえているのだからこれが逐一記録されていて11時50分のことだと言っていた。 ある画像では撥ねられた男が水平に地上1mほどのところを飛んでいく映像まであった。 翌日の新聞の第一面には亡くなった5人のなかで5,6歳ぐらいの少女が空中に突き飛ばされて地面に落ちてそれが丁度足を伸ばした形で座ったようになっている写真があった。 長い髪の毛は妙な形に空中で捩れておりその一秒後には頭を地面に打ち付けて息が絶えたようなことで連続ショットのうちの一枚を選んで大きくフロントページにしていた。

その後、とうぜんそこはパニックで予定されていた式典、祭りの催しは一切中止となりアムステルダムを始めオランダ全土が祭りを控えるということになっていたらしい。 つまり私がスーパーにいた間の出来事でスーパーの中は国民がテレビの画面に見入っている頃だから客も少なかったはずなのだが多くの国民がライブでこの惨事を観たということでもあるのだが私も家人も4時間ほどは何も知らずにいたということになる。 男は犯罪暦も精神状態も何も異常はないとのこと、この3ヶ月ほど失業状態でこの日に借家を出るはずになっていたそうで、近所との付き合いもなく人当たりにしても別段怪しいこともなかったということで翌日には病院で死んでいるから原因究明にはまだ少々時間がかかるようだ。 明らかに王族を狙った犯行で宗教的、組織的な背景はないようだと当局はいまのところこのように発表している。

食事を済ませまだ二時間半は明るい7時を少し回ってから上天気の中我々二人は去年の秋以来初めて近くの田舎を10kmほどサイクリングすることにした。 見知ったコースなのだが牧草地の間の道は誰も通らず風の音、鳥の声、羊や牛があちこちに見えるだけのところを走ったのだが、とちゅうでいつもなら行き過ぎる水路のそばの林の入り口にいくつも自転車が止めてあり州の森林局の保護林なのだが徒歩でこの地区に入ることを許可、3日間なら滞在許可、水道もトイレもなし、地元の農家の牛や羊もここを自由に歩き回るから考慮すること、焚き火は禁止、というような標識があるから覗いてみようと我々も自転車を草地に横たえて柵を乗り越えられるようにした水路の堤に降りた。 水路と林の間の堤には生まれてまだ間もない子羊が沢山母羊といっしょに草を食んでいて我々が歩いていくと草を食いながらも向こうへと引き下がっていくのだが中には物怖じしない怖いもの知らずな子羊がこちらに走ってきてはズボンの裾を嗅いでは母親のところに戻りまたこちらにやってくるというようなことを繰り返すのだがそうこうしているうちに低い堤の下で林の中に小さいテントが4つほど見えた。 若者がテントを張って野営をするつもりなのだろう。 トランプか何かのゲームをしているのかテントの中からそういう気配と笑い声が漏れてくる。

小さな径に沿って林にはいると髭モジャの中年男性が一人小さなテントを張ってそのそばにはミニ自転車が立てかけてある。 そのそばを通り過ぎてしばらく行くと森林局のポールがあり先ほどの事項と同じようなことが書いてあるほかに「ポールキャンプ地」とある。 ポールキャンプ地? 聞いたこともない。 読んでみるとこの森ではポールから半径10mのところのみテント設営を許可する、ということで、それでは、と後ろを振り返って先ほどの男のテントは、、、、15mぐらいか。 男も気付いたのかこちらに温めたミルクを手に歩いてくる。 「おもしろいだろ、ポールキャンプ地なんて、これあんまりまだ知られてないんだよね。 私らみたいに出来るだけ人のいない何もないところで静かにキャンプしたい者には助かるんだよ、あんまり人にいわないでね」と優しい目で話すのだが、まだ30の半ばなのだろうが服はヨレヨレ髭だらけ、髪は長髪で後ろで束ね、昔のヒッピーである。 ヒッピーにはヒッピーの文化がありそれなりのファッション性があるのだがこの男には皆目そういうところがない。 男が自分のテントに戻ったあと我々はもう何年も冬場を除いてこの辺りをサイクリングするたびにあの林はどうなっているんだろうかと思っていたところをぐるりと回ってみた。 といっても20分はかかっていないから林といっても小さいものだ。

ぐるりと回って自転車を置いてあるところまで戻ってくる途中でまた先ほどの子羊がこちらに猛烈な速さで向かってくるのに出会ったけれど本の2,3メートルのところでまたもや立ち止まりこちらのズボンの裾を嗅いで去っていくのだったのだが水路にはオオバンや野鴨のほかにカンムリカイツブリの雌がいてせわしなく10mほどの間隔で行ったり来たりしていた。 カンムリが充分大きくなっているし両頬から襟のようになっている毛も広がっているから成鳥で、まわりにパートナーがみえないことから適当なオスを探すかどこからかオトコマエの雄がここを訪れたときの準備なのだろう。 すぐそばを通る我々のこともまったく眼に入らないようなのだ。

自転車を拾ってさて、どうしようか、これから先に行くにはその先から村々を回って帰宅するには遠いのでちょっと戻って風車沿いに近くの村まで2kmほど牧草地を走って村のカフェーでコーヒーにしてもどれば暗くなる前に家に戻れると算段して牧草地の中の自転車道を走ると頭上高くタゲリが飛んでいた。 そういえばここに来る途中に刈ったばかりの牧草地に特徴的な黒い尾のような毛を頭の後ろにはねた姿で座っていたのが見えたのだが夏の卵を羽化させる時期やそれからあとの雛を地上の巣に残しているときなど時には近くを通る人や家畜を脅すように滑空してくることもあるのだが今はまだそういうこともなくのんびりと飛び回っている。 狭い一本道の向こうから少女が馬に乗ってゆっくりこちらに向かってくるからこちらも馬を驚かせないようにゆっくり漕いで行き違った。

村のカフェーに来て見れば入り口に本日のコーラス中止、と看板が出ていて中に入ると二十歳前の青年が二人ゲーム機で遊んでいるだけだった。 太ったお上さんにコーヒーを二つ、それに自分にはジンを頼んでから様子を聞いてみると見てのとおり今日の昼のことだからこの村でもいろいろと催し物を計画し、準備もしていたのだけれど全部中止でね例え続けるとしても5人が死んで10人以上が負傷してるのだからだれも例年のように浮かれる気分じゃないから、、、というと、若いのが、昼にYouTubeを見るとね、人が轢かれてあたりに飛び跳ねている映像がでててね酷いものだった、けど、そのうち誰かがあまりにも酷すぎるというのでアクセスできないようにしたみたいだ、という。 しばらくすると二十歳ぐらいの精神薄弱の男を連れた母親が親子二人とも王家のオレンジ色のT-シャツで入ってきてコーラスが中止なことを確認し、お上さんがコーヒー飲んでいくかい、というのを手を振りながら近所のうちに引き返していくのと入れ違いに二人のばあさんが入ってきてコーヒーを頼んでいた。 さっき惨事のあった町から戻ってきたのだという。 事件のあったところから400mぐらい離れていたから映像では聞こえていたあたりを蹴散らす大きな衝突音もそのときの周りの人の話し声とブラスバンドの音楽で聞こえなかったもののすぐにパニックの波が伝わって皆しばし呆然として徐々に事情が分かるにつれ会場を離れて家路に着いたらしい。 例年ではこの日の列車はひときわ賑やかなのだが普通の日以上に静かで人は沢山のっているのに奇妙な静寂に覆われていたという。

5ユーロ80セントを払い外に出てまた4,5kmペダルを漕いで家路に着けば近所にもどってくると多くの家にはオランダ国旗が半旗となって下がっていた。 外に出ていた猫を台所のドアを開けて中に入れるときには西の空が赤くなって9時半ながら家の中はまだ明かりが必要ではなかった。

どうでもいいことをウダウダと、、、

2009年05月01日 00時11分44秒 | 読む
何かのことで町のカフェーのトイレに腰掛けてふと横のタイルを見ると次のような落書きがあった。

toen pissen plassen werd is het gezeik begonnen

思わず笑ってしまい、うまいものだとカメラに収めた。 明らかに男の手になるもので、といっても勿論男子用トイレなのだから男に決まっていて、例え女がここに入ってきて書いたものだとしても内容は男のウダウダだから書き手はほぼ男に決まっている。

しょんべん(pissen)がおしっこ(plassen)になったときにどうでもいいことをしつこくウダウダいうこと(gezeik)がはじまった。 というのがその意味なのだ。

オランダ語には日本語ほど女性言葉と男性言葉の差はない。 いくつかの単語のいいかえでその差がなくもないが日本語のように助詞の「よ」や「ね」というものはなく、その差のなさ、ありようがそれぞれの社会の男女差をもあらわしているようなのだが、ここではそういうことではなく、ウダウダに眼目がありそうだ。

きれいな言葉、汚い言葉はそれを誰が使うのか、それで言い換えて内容が変わるのか、そして男はぞんざいであり、女は汚い言葉を厭い、言葉は換えられ汚い言葉をつかうものを排除するようになるけれどそれでもその実質の内容は変わらない、かくして女というものはゴチャゴチャとどうでもいいことをあてどもなくこちらがうんざりしていてもいつまでもしゃべる動物で、一方それは漸次社会階層秩序内での言葉狩りにもつながり、その実やっていることの内容は相も変わらず小便の垂れ流しだ、結局男は黙って小便しにここにくる、というのがこの文の意図なのだろう。

 gezeik という言葉にはどうでもいいことをいつまでも文句をいう、という主な意味があるのだが、もともとは zeik (口語の小便)という意味があって、それはまさにこの場所の壁に書かれる話題として最適な言葉が揃ったというわけだ。