高安国世の歌を読み返していた。
全13歌集のうち、私が一番好きなのは『朝から朝』。54歳から58歳くらいの歌が収められている。
私が初めてこの歌集を読んだのは30代のころだったけれど、いま同年代の眼でみるとまたちがったふうに見えてくるものがある。
高安国世の歌集はあとがきが長い。誰も解説もつけなくていいくらい、特に初期の歌集には長い長いあとがきを書いている。
そして、『朝から朝』は第九歌集なのだけど、初期歌集と比べると幾分短い。ふむふむと読み進め、最後の6行は読むたびに笑ってしまう。書き写してみる。( )は私のツッコミ。
「・・・・・略 しかしみずから説明しないほうがよいだろう。(いままでさんざんしてきはったけどね)作者の言葉はよく作品解明の鍵として安易に使用され(あれだけ長かったら一部を引用するひともあっただろうなぁ。「安易に」に苛立ちがあるなぁ、あんまり引用されたくないんだろうな)、かえって真の解明をさまたげる結果になることを、私は過去の経験によって思い知らされているからである。(よっぽど嫌だったんだろう)「あとがき」を読み、作者の言葉を鵜呑みにして無責任な批評紹介をされるほど、著者にとっていやな思いをすることはない。(かなり嫌だったんだ)だから今度は何も歌にふれたことは書くまいと思っていたのに、また要らざる一文を綴ってしまった。」
「あとがき」としてかなり個性的な文だ。 綴ってしまった。で、終わる。
こういうところが高安国世という人間のおもしろさなんだろう。
本人はまじめに書いていて。しかも結構ストレートに思っていることを吐露している。
だけど、またこうやって書いちゃうんだよなぁというところが微笑ましいんだなぁ。
写真は会社の近くのごはん処矢尾定さん。 最近気に入って通っている。 ここの常連に憧れる。