きょうは早起きをしてじゃんじゃん洗濯をしました。 おなかの調子がよくなくて、やっぱりこの時期は痛くなってくるのかなぁと思いながら、朝食は林檎。 このあいだ安く買ったのに、とてもおいしくて、お腹は痛いけどいい朝だなと思いました。
それから、外へでて、花を植えました。 気に入っていた大き目の鉢の一部が割れてしまって、だけど捨てるのは忍びないと思っていたのですが、ちょうどそこに小さい水仙を植えて、割れた部分にはアリッサムやビオラなど前へもりあがって咲く花を植えたらいい感じになりました。
そして、ガレージ周辺をひとまわり。 隅っこに再起不能にみえる鉢が。 ずっと前に歌人の知り合いからもらった鈴蘭です。 とうとう枯れてしまったのかなぁ。 なんだかその人との縁も切れてしまうようで捨てることができません。 それで、鉢をなにげなく持ち上げてみると、ひよひよの根が鉢の下からでていたのでした。
これは、まだ生きている! 生きようとしている!
思い切って、鉢をひっくり返してみましたが、鉢に根が張っていてびくともしません。 根を痛めないようにスコップでまわりから土をほぐしていき、ようやくがばっととれました。 は~しんどかった、というように根がびっしりでした。 枯れた葉をとってやると、葉の下には新しい芽がありました。 春にそなえて芽をちゃんと準備していたのです。
ガレージから高校の体育館の時計が見えます。 あと30分で出掛ける時間。 大丈夫かな、やる日がないからやっぱりやろう、と思って、大きいプランターと楕円の鉢を持ってきて、株分けをはじめました。やるまでは面倒だけど、株分けの作業は手術とか料理に似ていて、結構はじめると止まりません。 途中でやめるわけにもいかないし。大胆にやるのがコツです。 広々とした土に植え替えて、こんな時期にやっていいものかわからないけれど、とにかく芽がみんな元気に育てば、そこは「鈴蘭地域」になるはず。 春まで待ちましょう。
それから手を洗って、すぐに家をでて、旧月歌会へ向かいました。 着いたら13時5分くらいで、1首目が始まっていました。 いい歌が多くて、議論も活発でした。 私が出した歌は
・太陽にあてれば夢より戻りきて動きはじめる時計の針は
批評は「夢より戻りきて」という比喩がよくない、慣用的ということが言われました。 だけど、Iさんが「比喩がいいとか悪いとかではなく、宇宙感のようなものを読めばいいと思う」というような批評をくださって、嬉しかったです。
きょうは体調がよくなかったので、あとのお茶へは行かず、駅へ向かうとIさんが電車を待っておられたので、京都駅まで一緒に帰りました。
Iさん 「最近、歌がいいですね。 最近っていうとあれですけど」
私 「でも、きょうは慣用句的っていうことでしたけどね。 第一歌集のころから箴言的とかよく言われてきてるんですけど」
Iさん 「でも、きょうのもそうでしたけど、慣用句を新鮮に使って慣用句を再確認するようなところがいいんじゃないかしら」
そこから、私がこのごろ考えているオルゴール論(?)について話しました。
「そういう歌も作っているの?」
「はい」
「また読ませてくださいね」
そして京都駅について階段を上って改札を通って別れるまで、いろいろ話せて楽しい時間を過ごしました。
は~お腹いたかったけど、やっぱり歌会にいってよかったなぁとしみじみ思いながら帰りました。 写真は窓辺で復活してきた植物です。