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製糖技術の起源に関する歴史とインドの東南アジアに対する文化的影響

2018-12-07 19:37:40 | 世界史地理観光
特集1 砂糖(4)(農林水産省)

砂糖の歴史(インドから西方へ)((独)農畜産業振興機構(ALIC))によると、「ニューギニアを発祥の地とするサトウキビは、何千年も前からアジアの熱帯地方の多くの人々の間で、サトウキビの皮をはぎ、茎を噛んで甘い汁を飲んでいたようです。」

砂糖が世界史に登場するのは、紀元前4世紀のアレクサンダー大王のインドに至る遠征時の記録で、「インドには、蜂の力を借りずに葦からとれる蜜がある。」「噛むと甘い葦・噛むと甘い石がある。」等々の記述があるそうです(検索しましたが、元々の出典は良く分かりません)。どうも古代インド北部で製糖という技術革新が起こったとされるようです。

インドアーリア人は前10世紀頃にガンジス川に進出、十六大国の興亡の時代を経て、前4世紀末にマガダ国マウリヤ朝が統一国家を形成しました。

十六大国のひとつアンガ国(ウィキペディア「アンガ国」(2018/12/7)参照)の首都はチャンパー(ベトナム中部の古代王国チャンパの語源とされる)(仏典「ディーガ・ニカーヤ」によると当時の六大都市で商業や交易が盛んだったようです)。マハーバーラタによるとアンガ国はベンガル地方で栄えたそうです。

この時代、ガンジス川からベンガル湾を通じて、東南アジアとの交易があったとも推測でき、これが後の貨幣の発行で知られるナンダ朝マガダ国のビルマやセイロンとの交易に繋がったとも考えられます(マガダ国 世界史の窓)。南伝仏教やイスラム教等でも分かるように、元々ベトナム北部を除く東南アジアの文化は北方の中国よりインドを始めとした西方からの影響が格段に強い訳ですが(フィリピン独自の文字もインド系で漢字は関係ありません)(流れが変わるのは遥か後代、明清の人口爆発で移民が増えてからだと思います)、その嚆矢はガンジス川流域のインドアーリア人の王国(ベンガルあたりが特に怪しい)にあるのかもしれません。系統関係が証明されないオーストロアジア語族の(インド東部及びバングラデシュの)ムンダ語派とモン・クメール語派・ベト・ムオン語派を除き、インドと東南アジア諸国の言語学における現存の系統関係は見つからないのですが、世界史をキチンと勉強していれば、文化の伝播を民族の移動と解する必要は全くないことは理解できると思います(日本史において文化の伝播を民族の移動に過剰に結びつける議論が罷り通っているように見え、残念に思っています)。いずれにせよ、古代インド北部に製糖技術があったことは間違いありません。

インドの東南アジアに対する文化的影響が難しい理由のひとつに、インドが現在ヒンドゥー教が多数派の国であって、東南アジアにヒンドゥー教国がないことが挙げられるのでしょう。インドにおいては仏教もヒンドゥー教の一部だと位置づけられているようであり、上座部仏教や南伝の大乗仏教とヒンドゥー教の関係も興味深い(例えば何故セイロンという南方の島から上座部仏教が伝わったとされるのかピンと来ません)ところですが、それはまたいずれ調べるとして、ヒンドゥー教と仏教との関係(アジア見聞録)は日本人一般が思っているより、関係が深いようです。北伝の大乗仏教も勿論インド起源なのですが、上座部仏教に比べたら、中国を経由することでインド要素は明らかに薄れていると考えられます。例えば、インド神話に登場するガルーダはタイ王国国章・タイ王国国章・ウランバートル(モンゴルの首都)の紋章になっているようです。ちなみにモンゴルは中国から仏教を学んだ訳ではなく、チベット仏教から仏教を学んだのであって、チベット仏教は概ねインドから直接学んでいるようです(チベット文字もインド系です)。現代のイメージで歴史を見ることが必ずしも正しいと限りません(文字の観点で見れば、中国(漢民族)から派生した(少数民族を除く)文化は、(ハングルを含まず漢文主体だった)朝鮮・日本・ベトナム(主に北部)の3つに限られ、満州すら含まれないようです(ですからステップルートから満州にかけての中国以北の歴史と涼州とも呼ばれた甘粛省以西の歴史及びチベットの歴史も中国からの影響が一般的なイメージより小さいのではないかと疑ってかかる必要があり、西方からの影響をより重視すべきです)。また、琉球は中国(漢民族)からの直接の派生ではなく、言語系統・平仮名を使用した文字の観点から日本から直接派生しており、中国直系でも日中中間でも全くありません。が、戦争に負け支配されると文化の系統も何も無くなってしまうことがあるのは、中国においてのチベット・ウイグル・モンゴルの扱いを見て分かる通りです)。

三跪九叩頭でも分かるように華夷秩序とは明確に国の上下関係を決める秩序でもあって、近隣諸国では日本がもっとも中国の支配から比較的自由に発展したのであって(例えば江戸幕府は中国の使者に三跪九叩頭したりはしません)、そのことが明治維新や日清戦争での勝利に繋がっていくと思いますが、この三跪九叩頭した歴史を持つ国・地域が、客観的に見て中国に心を折られたか変に中国よりの歴史観を持っているように見え、注意が必要だと思います。

話を砂糖に戻すと、何故か沖縄県の解説(サトウキビ 沖縄県)では、パプアニューギニア→インドネシア→中国→琉球のルートで伝わったと書かれており、製糖法で中国人の名前のみ記載されていますが、本質的には製糖技術は古代インドと推定されますし、当然インドからペルシャ・エジプト・地中海世界へと伝播していますから(先に記述したALICの砂糖の歴史による)、そういう記述は誤解を招くものだと考えます。

砂糖に限らず、沖縄県は中国史観にドップリ浸かり過ぎており、中国発祥でないものが過剰に中国発祥だと示唆するかのような記述が多く(例えばサツマイモは南米発祥なのに中国が強調されます)、注意が必要だと思っています。世界史的観点から見れば、中国から入ったかどうかはローカルな視点に過ぎず、何処で重要な技術革新が起こったかに注目すべきでしょう。沖縄県の歴史の記述が日本史の視点で技術・物産が何処から来たかだけ書かれていれば、特には問題がないでしょうが、例えばニューギニアから始めてインドを軽く扱い中国を強調するのが、世界史に自ら言及しながら世界史的観点を踏まえていないということに他ならず、不味いというか中国よりに偏向している訳です。当時の沖縄九州から見て中国発祥に見えそのように伝えたとしても、現代から振り返ってみてどう見ても中国発祥ではないならば、キチンと訂正しておく必要があるんだろうと思います。

もっとおいしく安心して使うための砂糖の基礎知識(農林水産省)でも「さとうきびは紀元前のインドで使われ」と書かれており、原産地も中国にも触れられていませんが、そもそも直接噛んでいたさとうきびから、砂糖をつくるというイノベーションが重要だという訳なんだろうと思いますし、さすがに客観的だと思います。


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