観測にまつわる問題

「最低賃金」を一応。「広島」は延期で他のテーマをやります。「経済再生」のアプローチを従来とはやや違う感じで構想中。

日本史の始まり

2018-09-08 15:57:44 | 日記
日本史の始まりとはすなわち大体弥生時代の始まりだと考えています。日本では考古学が歴史学として扱われることからか、縄文時代を歴史として捉える傾向があると思いますが、歴史の史はフミであり文書ですから、文字資料が一切ない縄文時代を歴史として捉えることは無理があると思います。アメリカでは考古学は人類学の一部とされ、ヨーロッパでは先史時代を考古学的に研究する先史学という学問領域があるようですが、個人的にはヨーロッパのように縄文時代を先史時代として研究するのが妥当のように思います。記録がなくともずっと続いた日本列島人を人類学の範疇に入れるのは違和感があります。また、分化が早い島の琉球語と日本語が日本語族として学問的に同一の言語であったと捉えられることからも(琉球人が先住民ではないかという指摘は、琉球藩~沖縄県の成立の一連の過程から明快に否定します。ハワイ州が分けられないアメリカの一部であるのと同様、沖縄県は分けられない日本の47都道府県の一部でしかありません。一方琉球語を沖縄方言と捉えるのは無理があります。琉球国に文字資料が残っているからです)、縄文という長すぎるスパンに日本語に基づく文化的連続性を見ることは難しいだろうと思います。

歴史資料が多くなるのは勿論古墳時代に入ってからになりますが、弥生時代を原史考古学(先史考古学・歴史考古学に対して、文献や伝承がある程度存在しているが十分ではない原史時代の遺跡・遺物を研究する考古学)に含める説の方が妥当だと思っています。日本書紀・古事記は古墳時代以前の弥生時代を歴史として取り扱っていますし(皇紀は紀元前660年に始まりますが、弥生時代は紀元前10世紀に始まるとされます)、中国の史書も弥生時代の倭人の存在を記述しています。大体が古墳時代と弥生時代の連続性を否定する人っていないと思います。稲作も共通しますし、弥生墳丘墓は古墳に繋がると指摘されます。大和朝廷は必ずしも異民族を征服したのではなく、大体日本人を統一したと考えていいんじゃないでしょうか(蝦夷はアイヌっぽいですが)。

弥生人は北九州で生まれたと言えるのではないかと思っています。朝鮮人は日本人が元朝鮮人と思い込んでいるようですが、言語学的に誤りは明らかですし、中国の史書にも朝鮮人は朝鮮人であると書かれています(古代の北朝鮮に住んでいた人々は中国の史書に韓国に住んでいる人々と違うみたいなことも書かれていますが、どの程度違っていたかに関しては良く分かりません。いずれにせよ、少なくとも三韓あたりの住民の大勢は古来より朝鮮人であり続けているでしょう。百済王族云々の話はありますが)。対馬水道は東の方が深く、氷河期の終わりと共に朝鮮人と日本人が別れてそのまま現在に至ると見るのが自然です(そこまで遡ると言語学的には同じだと辿ることは困難になると言われます。逆に弥生時代が朝鮮人によって始まったとするなら、言語学的にそのことが裏付けられると考えられますが、そうではありません)。最近知ったのですが、九州に自生するビロウが皇室の祭祀に使われることも元々は日本の起源は北九州にあったのだろうと推定する根拠になりえます(ビロウの北限は北九州で朝鮮は関係ありません)。神武東征の話も皇室のルーツが西にあることを暗示しているでしょう。三種の神器の剣ですが、銅剣は中四国九州から発見され、近畿は銅鐸だとされます。どうも記紀と考古学的遺物が重なるところがあります(邪馬台国の遺跡は年代的に南九州から出ないでしょうし、熊野から奈良に攻め込んだというような話も軍事的には考えにくいです)。

漢委奴国王印は教科書通りの漢の倭の奴の国王である可能性が高いと思います。委奴国(イト国=伊都国)説も有力なようですが、同じ後漢書に倭國王帥升の記述があり、イト国の記述がありません。漢書においても日本人は倭人です。倭人の国が倭国で倭国王に金印を贈ったのであって、イト国なる地方政権にわざわざ金印を与えたとは考えにくいところです。伊都国は魏志倭人伝にのみ見られる倭国の下の地方政権です(誤解があるようですが邪馬台国も首都にはあたるかもしれませんが倭国の一部に過ぎません。大和国は日本の歴史書における最初の首都ですが、国号は倭から日本に変えたのであって、対外的に正式に日本が「ヤマト」を名乗ったことはないと思います。最近の日本歴史学の造語であるヤマト王権という用語は意味不明で倭国か日本あるいは大和朝廷で良いと考えます。どうしても正解を出すなら、権威ある歴史書である日本書紀の記述(異説も併記されていますが)をそのまま正解にするしかないはずです。ヤマト王権って何だ?(2度目)当時の歴史書にも考古学的遺物にもそんなことは書かれていないし、歴史的に全く語り継がれていない言葉ですよね?史料的根拠を出せ。指すものが同じなら歴史的用語を使ってください!大和は当時の言葉でない?ヤマトも当時の言葉ではない。カタカナの成立は何時か。朝廷も当時の言葉ではない?王権も当時の言葉ではない。名前を変えたことを言葉を変えて追う必要はありません。織田信長は天文3年に生まれてない、織田吉法師が天文3年に生まれたのだレベルの屁理屈です。指すものが同じなら便宜上用語はひとつで構わず、わざわざ変える必要がありません)(日本という国は、鎖国という言葉がないから、鎖国がないと言い出す人もいますが、出島は何なんだよ?異人はオランダ人だけになってるが?という話です。鎖国と言えるような体制があるのだから必要に応じて鎖国という言葉を与えただけで、これは当時の用語になくても問題ありません。念のため)。奴国はそのまま魏志倭人伝に記載がある国で出土したとされる志賀島も奴国に近いとされます。委奴をイトと読むのであれば、金印にもなった由緒正しい表記を一々伊都に変える理由も必要かと思います。他に用例がないとされますが、漢匈奴悪適尸逐王の用例があり、匈奴が国で国は漢とあわせて二段であり悪適尸逐王は匈奴の王号に過ぎないとするようですが、倭に当たる匈奴の後から王の前に悪適尸逐が挟まれているのは事実であって、奴が何を指すか後漢の時点では明らかではないとも考えられます(文献上は奴国という国は次代の魏志の記述です)。いずれにせよ当時日本にいるのは倭王でしか有り得ない以上、委を倭の減筆としない限り(減筆が有り得ないという説はないようです)、倭国は何処に行ったの?ということになると思います。雲南省では類似の「滇王之印」という金印が見つかっているようですが、日本の金印にある明らかなる漢及び国王の文字がありません。漢の側に統一的な形式が存在したと見るべきではないのであって、金印に刻む文字は現地の要望などを取り入れた可能性があると思います。偽作説もあるようですが、概ね否定されているようです。偽作するのであれば、漢倭奴国王とか漢伊都国王にするべきであって、間違えるのが難しい間違いがあるように見えること自体、本物らしいとも言えます(刻まれている文字はさておいても他の出土品と比べて真と判定されるようです)。結局通説が正しいという話ですが、学説では時折異説が猛威を振るう時があるので、あえて言及しました。奴国の存在証明にはなりませんが、詳細はもはや分からないにせよ、とにかく倭国王の印なのだと見るべきでしょう。このあたりの時期では後の伊都国の領域に考古学的遺物が多いようですが、伊都国は後の魏志では1000戸の記述しかないことにも注意すべきです(奴国が一万戸です)。糸島半島はそう大きな半島ではありませんし、奴国は後の儺県(なのあがた)と言われ博多のあたりと言われます。遺跡が壊れた可能性もあります。1000戸にしては遺跡が大きいようですが、何か文化的な理由(例えば中国語の読み書きができないと中国と交流できないでしょうが、分かるものが少ない特殊な技術であったと考えられますし、西欧で言えばローマ教皇領はそう大きな面積ではありませんでした)や交易上の理由で(島津・琉球・堺・博多など)小さい「国」が栄える可能性もあります。いずれにせよ文化の高低と何処が覇権を握っているか必ずしも一致しない例は少なくありません。世々王有りの記述から伊都国と皇室が結びつく可能性がないとも思いませんが(ただし当時の倭王は明らかに邪馬台国王です)(倭王は共立されたとされており戦争で邪馬台国が勝って倭国を支配したとまでは書かれていません)、仮にそうだとしても伊都国の血統をもらってきたという話程度じゃないでしょうか。ヨーロッパなんかでは神聖ローマ帝国内諸侯からイギリス王になる人をもらってきていますよね。鎌倉幕府でも将軍は皇室や藤原氏からもらってきて得宗家が支配したりしました。この辺はどんなに推理しても確定的に分かる可能性はまずないんですが。結局古墳時代以前にも(つまり弥生時代に)金印をもらうような倭国は成立していた可能性が高いという話です。こういう文字資料に基づく話が(ごく部分的にせよ)できるから弥生時代は歴史時代にギリギリ含めて良く、一切文字資料に基づく話が展開できない縄文時代は先史時代にでも分類するより他ないと考えられます。素晴らしい縄文式土器も土偶も何の話か確実に分かるという人は誰もいるはずがありません。

中国から見て東の歴史に決定的な影響を与えたのは楽浪郡(紀元前108年~西暦313年)の成立であったはずです。中国による400年の現地支配が小さい出来事であったはずがありません。日本において中国の半島支配に一番近かったのが言うまでも無く北九州です。まぁ燕と倭人の関係もあったとされますが、地方政権ですし少し遠いのではないでしょうか。

日本における水田耕作の起源は山東半島ルートではないかと思います。南方の起源の稲作は紀元前3000年以降山東半島先端部に分布しており、日本においては弥生時代早期初頭約2600年前の菜畑遺跡、朝鮮においては約2500年前の水田跡が松菊里遺跡が見つかっているようです。一度中国で北方適応後に何らかのきっかけで半島や日本に一気に広がったと見るべきでしょう。東北地方北部において約2000年前の垂柳遺跡が見つかっています。紀元前1000年の山東半島とは斉の国です。明らかに中国人ですから、日本人が中国人でない以上、中国人が日本になったと見る必要はありません。普通に技術が何らかの形で異民族に伝わったと見るべきです。明治時代に欧米人が日本人になったでしょうか?日本は何度も中国の技術を入れていますが、中国人が来て入れ替わった証拠は何一つありません。春秋戦国の中国に触れると、楚は南方土着の異民族みたいな言われ方をされることがありますが、自分は北方系の中国人だと思います。ギリシアとマケドニアみたいなもので、ちょっと毛色が違ったとかそんな感じなんじゃないでしょうか。じゃないと(自分だけ違うと)戦国七雄など成り立たないと思います。呉越も然りで普通に殷周からジワジワ広がったと見るべきでしょう。

沖縄と日本は同祖であるなら当然隼人も同祖になります。言語学的に同祖であっても異民族に見えることは歴史においてしばしばあるようです。

アイヌの起源ですが、東北地方北部と渡島半島に住んでいた人々には考古学的に強い類似性があったようです。地名にも東北には明らかなるアイヌ語地名(内=ナイが沢の類)が残っています。言語学的に同祖ではありません。北九州人が弥生人と考えると、東北地方北部まで距離がありすぎ、仮にかつて同じ民族だったとしても遥か遠い昔で完全に分化してしまったおり証明困難と考えるべきでしょう(個人的には環境が厳しい北回りではないと考えています)。東北人は血統的には「アイヌ」の血も流れているでしょうが、言語文化歴史による系統的には日本人だと考えられます(東北弁と畿内の言葉の関連性)。

民族・技術の動きに関して言えば、一般に東西の動きは直ぐに拡大します。気候が似るからです。南北は気候・風土が異なりますので、長い時間をかけておしあいへしあいしますし、同祖でも違いが大きいということになりやすいようです。

台湾の歴史を見ても沖縄ですら大勢として南方経由は有り得ないと考えていいと思います。古い時代に大海は簡単に地域を分かちます。ポリネシア人は特殊な海洋民ですし、あるいは日本に迷い込むこともあったかもしれませんが、簡単に現地民に吸収されたでしょう(南アメリカにおいてもそんな感じだったと思います)。水田耕作は勿論陸でやるものであって、魚は食べますが我々は概ね海洋民とは言えないと思います(何処と比較するかによりますが)。南九州人が種子島→奄美→沖縄と渡って、日本の影響が中々及ばない沖縄本島民が独自に琉球国を建てたものだと思います。鎌倉時代の千竈氏の奄美支配の影響と後の琉球王国の成立(1429年)に何らかの関連性があるようにも感じています。いずれにせよ、日本人は中々種子島(及び屋久島)以南を直接支配は出来ませんでした(琉球王国において士族が佩刀を禁じられるなど島津氏や江戸幕府の支配が部分的に及んでいたところはあります。その意味では蝦夷地と同じでしょう)。東シナ海を渡ることに関しては既に遣唐使など日本古来に例があり、琉球の大陸との貿易をもって南から北への伝播を見ることはできないと思います。
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焼き物国際化

2018-06-09 15:08:28 | 日記
一ヶ月以上前、今年の4月28日になるのですが、「新しい砥部焼の可能性~砥部焼パリ展を終えて~」に参加してきました。その頃何か地域の活動ないかなと考えて町役場に行ってみたらチラシを見つけたというのがその経緯です。いろいろ感想はあっていずれ別に書くことはあるかもしれませんが、今回は焼き物の国際化一点に絞って記事を書きます。

砥部焼きを海外進出させようという試み自体は素晴らしい取り組みだとは思いますが(ロンドン展をまずやって今回のパリ展に繋がったようです)、そうした切り口はさておき、今回は別の切り口を検討します。講師は西岡孝泰氏(二代目永立寺窯窯元)で、経歴を見ると石川県九谷焼技術研究所入所で人間国宝吉田美統先生に師事とあります。筆者が質疑応答で細かい内容は忘れましたが、砥部焼きの定義に関わるような質問をした時、西岡氏の答えは保留にしたいということでした。陶芸教室でつくった焼き物など砥部でつくられた焼き物が砥部焼きという一般的な定義もあるし、伝統工芸としての手順など定められた砥部焼きもあるということです。一般的な定義はさておき、伝統工芸の技術をキチンと学んだ人間としては、砥部で作ったから砥部焼きでいいという考えに何の葛藤もないということではないようですが、まぁそれはそうだろうなと思います。勿論素人が陶芸するなと主張しているのでは全くありませんし、寧ろその真逆ではあると思いますが、全く一緒と言われたら、キチンと技術を身につけたものとしては立つ瀬がないでしょう。誤解のないよう強調しておきますが、あくまで筆者が質問したのであって、西岡氏はそれに答えただけです。

さて、焼き物の国際化ですが、展覧会というアプローチの他にも、志望者を外国から受け入れるというアプローチもあるのではないかというのが今回の主張です。これは西岡氏の経歴を見、話を聞いている内に思いついたんですね。砥部焼まつりは盛況のようですが(筆者は行ったことないのですが、リーダー塾の二期で会った方が盛況だったと教えてくれました)、この背景には焼き物や陶芸が日本に文化として根付いているということが挙げられると思います。筆者も小中学校で陶芸をわりとやったような記憶があります。長寿でピンピンしている母方の祖父の元気の秘訣は何時行ってもやっている陶芸かもしれません。愛媛1区の塩崎恭久議員のfacebook5月26日も松山市の五明という地区の陶芸教室に触れられています(伊台・五明は松山北東部にある中山間地域で検索するとこうげんぶどうなんかが特産のようです)(報告会に行ったついでに買える砥部焼きの資料を購入しましたが、どうも愛媛県においてかつて広くあった産業としての焼き物は大体砥部焼きに集約されているようです)。陶芸文化を広めるもひとつの方法かもしれませんが、そもそもそれをやろうというきっかけがどれだけあるか分からないところもあります。学校に行くなどしてキチンとしたプロの技術を身につけた方が陶芸教室を開くなり、その土地で焼いた焼き物を売るなどして焼き物文化を海外に広める役割を果たしてくれれば、日本で作った焼き物が売れる下地もできるのではないかという遠大な計画をザックリ考えてみた訳です。

石川県立九谷焼技術研修所

砥部焼きは愛媛の焼き物ですが、必ずしも愛媛だけで成り立っている訳ではなく、日本の他の有名どころの技術にも影響されながら成り立っているところもあるのかもしれません。砥部焼(ウィキペディア)を参照しても、明治期廃藩置県で各藩で門外不出だった陶磁器作りの技術が流出し、砥部焼きは量産可能になったようです。日本の技術を門外不出として輸出するのもひとつの方法でしょうが、焼き物なんかは文化そのものが広がる形の方が面白いのかなというのが筆者の印象です。探せば何処だって適した土や石はあるでしょうし、その土地ならでの焼き物もあるかもしれませんが、やはりキチンとした技術というのはあって、それを学ぶことで文化は広がり、底上げも出来てくるのかもしれません。

こうした発想の根底にはフランス的な発想もあります。フランスって自国の文化を定義し教えて広めるみたいなイメージってないですか?筆者にはあります。例:フランスならではの留学!料理学校ってどんな感じ?(留学Voice) フランス料理は高級料理の代表格として挙げられることも多いですが、それはこうした努力の成果でもあるのでしょう。パリと言えば、ファッションの都でもありますね。筆者の中では欧州で文化と言えば第一にフランスのイメージがありますが、その手法には学ぶべきところも多いのかもしれません。

別に欧米だけでなく、アジア各国・世界の何処からでもいいと思いますが、日本が日本文化の梁山泊(>『水滸伝』での意味が転じ、「優れた人物たちが集まる場所」、「有志の集合場所」の例として使われることもある)みたいになれば面白いと思った次第です。筆者に大東亜共栄圏を再構築する意図は皆無ですが(世界に革命を輸出する意図は全くありませんが)(参考:アジア主義(ウィキペディア) 両岸で尊敬される国父孫文も日本に亡命し支援を受けた経緯があります)、戦前の日本はアジア各国から留学生を集め世界に影響を及ぼしたところもあって、とりあず政治や軍事から遠い文化面で繋がりを拡大してもいいのではないかと考える次第です。元々日本の焼き物の源流は何処か海外にあるのかもしれませんが、その影響を受けながらも日本で発展し育ってきたことは確実と思います。

クールジャパン戦略もいろいろでしょうが、日本に広く存在する確かで伝統的で優れた技術であるところの焼き物で、地道に外国人を育て国際化を試みるのも面白いのかもしれません。

クールジャパン機構
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6月7日日記

2018-06-07 11:44:05 | 日記
愛媛県連リーダー塾3期は人数が集まっていないみたいですね。先ほど電話して確認しました。1万円ほど(昨年)であれだけ国会議員の話を聞ける集まりなんて他にある訳もないのですが。○○○○○のところの話なんて伝聞に過ぎませんが酷いですよね。持ち出しだと言ってましたし(当然でしょう)、自民党は競争力があり過ぎで何時か訴えられるかもしれません。真面目な話にそれほど興味も無い方は結構いらっしゃるかもしれませんが、いや興味があるんだという方は是非。

ただし、ジミンガー・アベガーな左翼な人に知られると嫌われる可能性もないではないかもしれません。モリカケを見るにつけ、足を引っ張る連中の負の情熱は背筋が寒くなることもあります。ただの勉強会に過ぎませんし、悪の会合では全くありませんが、連中の妄想の中ではどんなことになっているかは分かりません。ただ自分は参加して良かったことはあれど、状況が悪くなることは何一つありませんでしたけどね。

募集の締め切りは過ぎていますが、興味がある人は問い合わせてみては如何でしょうか?開催されると良いなと思っています。どうなるんですかねぇ・・・。

6月開始でもう7日ですから、どうなってるの?と思いましたが、事情は分かりました。去年も何やかんやで日程がズレたんですよね。勉強会を邪魔しようと(嫉妬に狂った?)悪の組織が蠢いているんですかね?困ったものです。悪党な皆さん!これを見ていたら止めてくださいね!よろしくお願いします。別に皆さんを滅ぼす話し合いをしている訳ではありません。勉強会ひとつで滅びる組織なんて!

2期も何だかんだでスケジュールがズレましたし、何かあるんじゃないかとは思っています。モリカケなどの絡みでしょうか?どう考えても自民党の方が被害者なんだよな。野党の連中は何をやっているんでしょうか?国会をサボるだけでなく、家にでも引き篭もってくれれば、親以外の誰にも迷惑がかからないと思うのですが。引き篭もっても電話やネットで悪口言いまくるでしょうから、連中につける薬はないのかもしれません。

自民党の塾の活動は目処が今のところ立たないようですし、自分のネット上での活動は一応見直しながら引き続き継続していきます。無期限凍結にしているテーマも再考して一部開放するかもしれません。凍結しているのは経済関係ですが明日に日本経済が終わる訳でもなし、しばらくは様子をみます。プロセスが良く分からないというのもありますし、重要なのは結果です。自民党と直接やりとりができる機会が無くなってしまうと、率直に言って困るんですよね。だから重要なことを書かないというのもどうなの?という話ですが、他に筆者にやれることはありませんので、そういうことになります。外交安全保障や憲法改正・その他は今まで通りちゃんとやりますよ。経済もやりますが、今のところ飛車角落ちぐらいでやろうと思ってます。どうせ野党相手に負けることはありません。いわゆる舐めプという奴ですね(笑)。

党員活動は目先を変えて党員獲得に手を出してみようと思っています。やり方は書きませんが幾つか手法は考えています。その内書くことになるでしょう。

ニュースチェックは今日の分は一応終わっていますが、片づけをして3時くらいから出かけて夜に戻ってきて、ブログ記事は夜に纏めてということになると思います。書くネタ・アイディアは大体固まっているので、数は書けるんじゃないかと思っていますが、ひとつひとつの記事は短くしようとは思っています。書けなかった分は土曜にやります。
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今後の方針(6月4日)

2018-06-03 00:01:38 | 日記
焼き物は資料の捜索をしてから。ひょっとしたら掃除した時に捨てたかも。部屋の片付けと整理が先決ですね。

自民党の最近の提言は、近い内に1日1本ぐらいでなるべく手短にやるつもりです。ブログはずっと続けるつもりですし、やると書いたテーマは何時かやりますが、スケジュールに関しては全てキャンセルします。所詮は個人の日記(相手がいない自分の予定)の公開に過ぎないのでご了承ください。ひとつだけ自民党の提言で財政再建だけは無期限延期とします。自民党愛媛県連リーダー塾3期に参加の目処がつけば、再開すると思いますが、それ以外では何とも言えません。何時かはやるでしょうが、明日かもしれないしウン十年後かもしれない。

最低賃金に関しては筆者が最近もっとも重要と思っているテーマですが、無期限延期します。①安倍政権がやり始めたと筆者が認定する。②自民党愛媛県連リーダー塾3期に参加の目処がつく。・・・この2条件のいずれかがクリアされたら、そこから近い内にやり始める(参考書の到着日時の関係で最速で来週の木曜日になります)と思ってください。その2条件がクリアされなくとも何時かはやると思いますが、何時になるかは何とも言えません。こういう決断をすることは残念なことですが、その理由は各自お察しください。

ブログもツイッター等ネット上の活動もずっと続ける固い意志がありますが(最近ブログの更新が滞っているのはツイッターをやっているからに過ぎません)、更新が止ったら死んだと思ってください。自殺の意志は全くありませんし、死ぬような病気でもありませんから、長期の更新停止=死です。パソコンが壊れてもネットカフェからでもスマホからでも更新はできます。
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来週の方針

2018-05-27 11:37:18 | 日記
木曜と土曜が一日休み。

憲法改正のテーマは教育再生。自民党の「教育再生実行本部 第十次提言」(2018年5月17日)をベースに考えます。

他には先週挙げた「広島・資源エネルギー・貿易・消費・焼き物」あたりから3つが目標。できれば経済関連は意識してやりたい。

勉強すべきテーマも先週に続き金融関連、物流、沖縄基地問題、原発関連(リプレース)、海軍・海上警察、最低賃金、チェックすべき本リストの更新。進んでないですが、最大の誤算はツイートに時間がかかりすぎていること(新しいフォローが増えていますし慣れたら減るのかもしれませんが(怪しいですが)気になることも増えています)。一日かけてもツイート終わらないは想定外でした。何が気になるか何処まで調べれば気が済むのか事前に分からないので、想定時間より書くのが遅くなるのは何時ものことですが、これでは何もできません。気になるのを放置するのもどうかですし、おいおい自分で整理してどうにかしようと考えています。クオリティは落としたくないが、かける時間は削りたい。ギリギリです。

facebookは進めました。今週も引き続き。Lineもやるかもしれません。
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漢民族起源でない中国

2018-05-21 09:22:55 | 日記
チャイナドレス)満州民族の正装。辮髪も今はやっていませんが満州民族の風習です。

東北三省)明の時代の最大領域には含まれているようですが、伝統的には漢民族が住む土地ではありません。満州民族(清)が中国を支配することによって、中国に分類される土地になったと言って良いでしょう。中国人心理ではユダヤ人が故地に帰るような話には共感できない気がします。東北三省を返せと言われると困るからです。特定アジアに共感しがちが日本の左翼の特徴ですが、イスラエルと戦いたくなる心理(日本赤軍とかいました)は歴史・伝統の軽視と繋がってくるのかもしれませんね。満州国の建設とはシオニズムの興隆を受けての政策である可能性があると思います。当時の日本人は西洋人がやってOKで日本人がやって反対は差別ではないかと反発した可能性があるのではないでしょうか?逆に満州国建設がイスラエル建設に繋がったと言えなくもないかもしれませんが。西洋側から見れば、満州民族の故地と言っても、傀儡じゃんということだったかもしれません。

青海省)シレっと中国の一省になっていますが、伝統的に漢民族の住む土地ではありません。中国の歴代王朝の地図を見たら、河西回廊(甘粛省)は結構昔から異民族と共存しながら漢民族の支配があったことが分かりますが、青海省(黄河、長江、メコン河の水源地帯でもある)はずっと(モンゴル支配もありつつ)チベットでした。

新疆ウイグル自治区・内モンゴル自治区・チベット自治区も明あたりまでは大体漢民族とは関係ないですね。特に新疆ウイグル自治区。そう考えると満州民族(清)の影響は極めて大きかったと指摘せざるをえません。

こうした中国の異民族支配の現状に反発したのが朝鮮で自己を中華文明の継承者と考える小中華思想がありましたが、日本が自己を中華文明の継承者と考えたという話は聞いたことがありません。

簡単ですが以上です。中国に関してはおいおい考察を深めていきたいですね。
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来週以降の方針

2018-05-19 13:55:02 | 日記
今週はこれにてブログは終わりですが、来週は金曜土曜に少なくとも4本やろうと思っています。確定しているのは憲法改正1~2本(意識的にやらないと戦後一度も行われなかったことですのでニュースにコメントをつける機会がありません)、皇室関連話題1~2本です。他に広島・資源エネルギー・貿易・消費・焼き物あたりをやりたいと思っています。※5月23日追記:憲法改正の話題とあわせて教育もやらないといけないですね。

最近はブログではなくツイッター中心ですが、facebookは研究して使い方を変えていくかもしれません。その次にLINEをやろうかと思っています。ある程度割り当てしないとニュース見ているだけで調べ物が始まり時間が過ぎていくので、調べない訳にもいきませんし進まないところがあります。まぁ多くやろうとするとできないことが多いので少なめに見積もってできる目標をたてるつもりです。そういう訳で(他に時間を使うので)多少ツイートは減らしていくつもりです。

小説を休憩時間の暇に少しづつ読むとか、夜家に帰ってきたら片付けするとかそんなふうにやるのが良いような気がします。ニュースチェックだけは際限がなく今のところどう処理していくか良いアイディアがある訳ではありません。積み本崩しも何とかしないといけないテーマですが、これもニュースチェックやブログの執筆と同じく際限がありません。高すぎる目標は失敗と同義で小分けにするしかない感じです。何処で調べようと思うか何処まで調べるかが予測不能なんですよね。

勉強も始めるつもりでインプットがシッカリしているとアウトプットも早いですから、基本的にはそのつもりです。まず考えているのは経済重視で金融関連、今の仕事に関連して物流、何とかしたい政治課題で沖縄基地問題・原発関連(今はやってなかったリプレースに特に関心があります)、特に手薄な安全保障問題で海軍でしょうか。これでも多過ぎるぐらいですが他にもまだまだありとりあえずこの辺から始めます。

外交安全保障は(特に外交は)大体日々のニュースチェックやツイッターチェックでいけると思いますが、憲法改正は毎週ひとつはブログで補強するようにして、経済はニュースチェックの他に専門的な勉強でアウトプットの質が高まるよう特に努力しようと思っています。選挙とか政治制度そのものもやりたいですが、まだ先の課題になりそうです。何もやらないってことはありませんが。

自分の生活の質を高めることにも関心が出てきていますし、趣味も続けるつもりですが(仕事とネット上の活動と生活だけで趣味ゼロというのもない気がします)、まぁ方針はそんな感じです。

自民党の集まりの方は現時点では決まっていません。去年(二期)の報告記事も落とし気味ですが、非常に役に立っているものの他にやりたいことも多く追いついていない感じです。回数的には6回らしいですし、今年決まったらなるべく全部記事にするようにはしたいですし、去年の分の成果も徐々に活かしていくようにしたいですね。やり始めるとできるようになりますしわりと早いので楽観はしてますが、どうなるかは分かりません。
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大相撲(ファンのためのルール改訂を)

2018-05-19 12:47:09 | 日記
相撲ファンで外国人力士嫌いは多いですね。

モンゴル勢が強すぎるのが問題なんでしょう。曙・小錦・武蔵丸の時代もありましたが、今のモンゴル勢の席巻はそれ以上だと言えます。相撲は神事と言う人もいるようですが、筆者は基本的に国技館に足を運んだりテレビを視聴したりする人達のためのスポーツだと思っています。特に外国人差別をする気もありませんが、スポーツはファンのためにあるべきであり、ファンが望まない状況は好ましくありません。何処の国何処のスポーツでも大体国籍枠はあるでしょうし、それが当然だとも思います。相撲でも外国人枠はありますが、外国人枠というより国籍別に枠があった方がいいかもしれません。

というのもモンゴル勢は星の売り買いを囁かれており、それは基本的に不正ではあるのですが、徹底根絶をするとなると怪我人続出で興行が成り立たないとも言われます(モンゴル人だけと言えるでしょうか。こうした指摘はモンゴル勢の活躍以前からありました)。これまで通り曖昧にやるという前提ならば(多くの相撲ファンがそれを望んでいるような気もします)、上位にモンゴル人が固まっている有利な状況を変える必要があるはずです。対策としては総数の削減と質の低下です。後者はルール上定めることはできません。

ハワイ勢が活躍しなくなった理由は分かりませんし、モンゴル勢が強い確たる理由も分かりませんが、本当に強い二人朝青龍と白鵬に関して言えば血統かなと思いますね。朝青龍の父もモンゴル相撲で強かったようですし、兄はレスリングで五輪に出ています。白鵬の父はモンゴル相撲の名横綱ですね。白鵬は入門当初は痩せており小柄で期待されてなかったという話ですが、あの強さですから血は争えません。良血馬は必ずしも名馬ではありませんが、名馬になる確率が高いことは否めません。競馬はブラッドスポーツと言われますが、人間も動物の一種と言え似たようなところもあると思います。いずれにせよ、モンゴルから強そうな子を連れてきて大相撲に放り込む限り今の状況が変わることなく、大相撲の人気に影響を与えてしまう可能性はあると思います。ヒールはいてもいいと思うんですけどね。

別にモンゴル人や外国人が憎い訳ではありませんが、興行はファンの声援に支えられていることは否めず、審判のえこひいきはなりませんが、ルールをファンの望むように変えていくことも主催者の務めかと思います。日本もスキージャンプで悔しい思いをしましたが、欧州中心のスポーツであることは否めず、柔道でもそれに似た思いをしたかもしれませんが、国際化で外国に競技者が広まった現実はあります。大相撲はまだまだ日本のスポーツです。最初から外国人を入れなかったら外国人に席巻される不満も無かったかもしれませんが、今更外国人お断りもできませんし、外国人をえこひいき判定で負けさせる訳にもいきません。相撲はプロレスではなく、予定調和を求めるならプロレスを見るしかないんでしょう。

指摘されがちな白鵬の態度に関しては、品格云々を筆者は言いませんが、ある程度ファンの望むような態度をファンサービスでとることが重要かと思いますね。相撲は神事を強調する人もいらっしゃいますが、筆者はスポーツであり興業だと捉えた方が良いと思います。神事は地元の人の信仰のためのものであり、受信料を払っているテレビで流したり、入場料をとる相撲場でやるものではないと考えます。

以下余談ですが、個人的には相撲は千代の富士強いから始まり若貴ブームで自分が兄という理由で若花田(当初の四股名)ひいきで次いで朝青龍ひいきだった頃が相撲に対する関心のピークでした。熱心な相撲観戦者だったことはありません(話を聞くと相撲好きにアンチ外国人は多いです)。朝青龍がいいと思ったのは、早い・強い・上手いと指摘する方もいらっしゃいますが、優れた運動神経を活かした取り口が好みだったことがあります(大型力士の押し相撲はあまり好みではないんですよね)。記憶に残る一戦は朝青龍VS栃東です。

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変えればいいという訳ではない(歴史)

2018-05-09 20:25:01 | 日記
「こんなに変わった!歴史の新常識」(青春出版)という本を買ってきました。勿論歴史の新常識を語りたい訳ではなく、寧ろその逆です。別に研究を重ねて新常識をつくるというなら、それが研究の目的でしょうし、総論反対はしませんけれども、変えてはいけないものを変えるなと主張したい訳です。日本人というのも中々軽躁なところがあるようで、変えなくてもいいものを変えようとしてないかと思うことがしばしばあります。本屋で手にとったこの本で産経の歴史関係の記事を思い出し、ちょっと書いてみようかと思った次第です。一々何処がどうと書きはしませんけれども、研究の結果説が変わったところを否定している訳ではありませんので(寧ろそれは良いことだと思っています)、誤解なきよう。

①聖徳太子→厩戸皇子の書き換え

聖徳太子にまつわるいろいろな議論があるのは承知していますが、厩戸皇子と呼びかえるのは感心しません。歴代天皇を諡号で呼ばず、名前で呼ぶのは外国人か左翼に決まっています。厩戸皇子も正式名称かもしれませんが、広く知られた通称でもある諡を一々呼びかえる姿勢は失礼そのものです。今は皇室以外で諡的な使われ方をする名前はないと言えますからやや現代においてはズレる例えになりますが、そういう人はペンネームで知られた作家を一々本名で呼ぶのでしょうか?それをするのは対象を馬鹿にする時に決まっており、皇室に対して一々不敬な強い意志は日本においては左翼にしか存在しません(今は不敬罪はありませんから、こうした連中は野放しになります)。元々歴史学はマルクス主義の影響が強いところがあって、その名残がまだ残っているのだと考えられます。一々厩戸皇子だろうと推定して歴史を修正する姿勢は史料を重んじ、当時の文脈を重んじているとは到底言えず、失礼したい以外に何か理由あるの?という話です。伝説を事実そのものと教えることに賛成はしませんが、伝説が史料に載っていることはしばしばあり、一々呼びかえるなんて馬鹿のすることだと思っています。中国の史書で例えると(日本の話だと揉めやすいので)、殷の紂王がやったことを丸々事実そのものと認定する人はさすがにほとんどいないと思いますが、本当は帝辛だなどと言うならば、中国の史書そのものを丸々疑わねばならず、じゃあ何をやった人なの?ということになります。まぁそんなに悪人でもないということを言いたいのかもしれませんし、そうなのかもしれませんが、紂王で検索して帝辛と言われれば「誰だよ?」ってことになりますよね。同様にかつて聖徳太子のお札があったのに、いやあれは厩戸皇子のお札だと言われれば「誰?」ということになります。聖徳太子のお札は1984年まで発行されており、筆者も昔は見たような記憶があります。10人の話を聞いたなどという話は○ン○ク○ー○の話のようなもので大人が信じることもないでしょうから、聖徳太子を聖徳太子と呼んで何が不都合なの?要らんことするなです。数々の史料に載る伝説的な人物を教えずして何を歴史学は教えようとしているのか、サッパリ理解できません。最近は聖徳太子に言及しないとか言いますが、世界遺産である法隆寺を建立した(とされる)人物を教えずして、あの時代に他に教えることがあるのでしょうか?勉強ができる馬鹿そのものだと思います。

②西軍盟主は石田三成ではない(毛利輝元である)

事実ですが、毛利輝元は担ぎ上げられただけで盟主というと誤解を招くところがあります。東軍の盟主は明らかに徳川家康ですが、西軍の真の盟主がいるとすれば豊臣家でしょうし、そもそも決起した首謀者が最後まで戦わないというようなことは有り得ません(毛利軍は関ヶ原にいただけで参加していません)。そのような文脈があって、盟主的存在の毛利家は長門・周防に押し込められるだけで済み、じゃあ真の首謀者は?ということで、石田三成だということになったようです。最近の研究で石田三成が真の首謀者であるかは怪しいところがあるとなったようであり(信憑性が比較的薄い史料にしかその手の話はないようです)、歴史学でそれは別に構わないのですが、その辺(毛利輝元が総大将であるという話になった訳ではなく、石田三成が真の総大将であるという話が怪しくなった)を曖昧にしていると、いい加減な話がまた広まるのではないかと思います。石田三成が首謀者と言えなくなったからといって、毛利輝元が首謀者に昇格する訳ではありません。断定的なことを学問が言えなくなることは分かりますが、西軍の総大将は?などと問いかけること自体が意地悪な引っかけ問題と言えます。専門家の傲慢ではないでしょうか?

③縄文時代は狩猟生活ではなく、農耕・定住生活だった

狩猟も採集もやっていたでしょうし、農耕をやっていたというのは新発見でしょうが(そんなに新しい発見でもありません)、別に狩猟民だと思っていた人はそんなにいないのではないかと思います。定住しない狩猟民が縄文時代を特徴づける貝塚をつくるなどということが有り得るか疑問でしょう。それはともかく、従来の通説通り弥生時代と縄文時代の間には大きな違いがあると思います。基本的には灌漑稲作を中心とする生活が広がると弥生時代と言えると思います(例えば本州最北の農耕の始まり 弥生時代とはどんな時代か NIKKEI STYLE 2016/10/27)。言いたいことは時代は少しづつ連続的に変わったと認識し弥生時代と縄文時代の区別をしない「新しい考え」こそが誤りだろうということです。

ここからは個人的見解ですが、筆者の場合大体言語で大まかな歴史の流れを見る癖があり、縄文時代と弥生時代に境目がないとすると、言語の分化はもの凄いことになって、日本という国は成立しなかったろうと思っています。別に縄文時代を全否定するつもりもありませんが、比較的近い時代に日本人が広がったからこその日本成立だという認識ですね。比較言語学が歴史的経緯から嫌われているところがあり、その辺が分かりにくくなっていると思っています。沖縄人も含めて基本的に日本は弥生文化の継承者であるはずです。こう書くと弥生人=朝鮮人と勘違いする人が現れますが、朝鮮語と日本語の系統関係は立証できず、朝鮮人は朝鮮人、日本人は日本人でしょう(恐らく縄文時代後期に灌漑農耕を覚えた北部九州人が日本人の大元であるはずです)。ただし、邪馬台国は普通に大和で近畿であると思います(論拠多数で確信していますが詳述しません)。日向国に関しても意見はありますが、特に書いたりはしないつもりです。

④鎖国は無い

これが実は一番言いたかったことですが、完全に(極めて有害な)誤りだと思います。鎖国をしろと書いた法律はなかったでしょうが、そんなことはどうでもいいことです。禁教令はありましたし、平戸や出島もあったのに鎖国が無かったも何もないはずです。こんな大嘘他にありません。鎖国が無かったら開国もありません。ペリーは日本に遊びに来たんでしょうか?当時は汽船ですし捕鯨船(日本のじゃありません!)などの補給港がほしいという理由で(他にもいろいろあったでしょうが)、日本は圧力をかけられ開国しろとなった訳です(日米和親条約批准書交換証書(文化遺産データベース)。鎖国は無かったなどという言葉遊びは有害無益以外の何ものでもありません。別に鎖国が日本の専売特許でもありません(鎖国という用語でそう勘違いする人がいるとすればそれも有害です)。当時は明から始まった海禁政策がアジアに広がっていた訳であり、そこからいち早く脱却して変わる情勢に対応したのが日本であったというのが常識的かつ事実に基づく歴史観で、一々それに挑戦したがる馬鹿は何を考えているのだろうかと思わざるを得ません。日本が一番近代化が早かったということが気に食わない連中(反射的に左翼じゃないのと思ってしまいます)が言葉遊びして素人を騙そうとしているのかもしれませんが、鬱陶しいことこの上ないです。

⑤日本最初の原人の名も教科書から消え去った

港川原人がいないとか書いていますが、筆者が知る限り港川人は原人じゃありませんし、その存在は否定されていません。それはともかく、本当のことが書かれていません。旧石器捏造事件で藤村という人が原人の捏造をし、バレたことが。これは日本考古学界最大の醜聞とされ、2000年の話ですから筆者もよく覚えています。これは日本の恥と言えますが、それが嫌なら原人に触れなければいいのであって、わざわざ新常識とかいう本で「新たなる大発見を期待したいところです」じゃねーよ、わざとやってんのかと言いたくなります。「新たなる大発見」なんて許さねーよ。本を買った時にここは読んでいませんでしたが、これは鎖国無かった論に劣らずムカつきますね。超特大の醜聞に触れた上、新たなる発見に期待するとは、何人が書いたよ?と言いたくなります。

⑥ヤマト政権

大和政権でいいでしょ。どうせ同じなんだから。邪馬台だろうが、倭だろうが、当時の日本人は中国人が使ったイメージの良くない漢字を嫌って、イメージの良い漢字に書き換えた訳です。日本語の読みが重要なのであって、史料の無かった時代もヤマトと呼んでいることに違いはありませんから、表記を一々変える必要もありません。あえて変えるなら倭・大倭が当時の用語だと思いますが、これではワと呼んでしまう人が出てきてしまいます。明らかにヤマトが日本人の自称であり、ヤマトという表記だって当時の表記でないという意味で大和と全く同じです。じゃあ中国を支那と読んでいた時代は支那と呼びかえるのかという話になるでしょう(支那と呼ぶなら全て支那にするのが妥当です)(まあ支那より漢や唐、つまりカラと中国のことを呼んできたと思いますが同じことです。漢も唐もカラだから全部カラに直しますか?)。同じものを一々違う表記にするのが誤りであり、当時無かった表記をわざわざ捏造する必要はありません。

どうでもいいですが、筆者はメモを結構片仮名でとる癖があります。これは漢字を省略するためであり、平仮名よりは片仮名の方が何となく使いやすいからです(平仮名は女手とも言われ柔らかいイメージがあって、無意識に片仮名の方を使ってしまうのでしょう)。そもそも平仮名も片仮名も漢字を崩す過程で生まれたとされます。筆者は崩し字を習っておらず、単に字が汚いことを正当化する意図はありませんが、日本語を楷書で書かないのはわりと伝統的なスタイルだと思います(専門家以外で昔の手紙の類を読める人います?)。意味が分かればいいのであって(時々自分の字が分からなくなりますが)、書道をやっている訳ではありません(勿論字が綺麗なのは良いことです。誤解なきよう)。英語でも筆記体の方が(外国の実情を知らない筆者のイメージですが)寧ろ一般的でしょう?これを全部ブロック体で書けというのが、楷書で全部書けという人達に例えられると思います。いずれにせよ、字が汚い筆者は敗北必至ですが、今の時代で良かったなとは思っています。せめて自分で見るために書いているんだよ!と遠吠えさせてもらいます。筆者の昔のノートを見れば筆記体を使いたがる癖を確認できると思います。

以下続く?
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物品税という歴史

2018-05-09 19:08:57 | 日記
物品税(weblio辞書)

>流通用語辞典

>物品税

>間接消費税のひとつであり、主に自動車や貴金属などの高級ぜいたく品を課税対象として、メーカーの出荷時に課税される税金。物品税は所得税などと異なり間接税であるだけに、対象品目を拡大すると大衆課税になりやすい短所を持っている。昭和59年度予算では政府予算の歳入不足を補う目的で、物品税の課税対象が大幅に拡大された。また、物品税はそのまま価格に上乗せされるだけに、消費者には値上げと映り、売行き鈍化の要因ともなる。

自分ぐらいの年代だと消費税をつくるつくらないで揉めた子供の頃にあった訳ですが(この時誰に教えられるでもなく社会党を中心とした消費税反対勢力に違和感を感じて、そのまま自民党支持層になっていったところがあります)、贅沢品にかける税金がかつてはあったんですよね。消費税に賛成したというと、消費課税に賛成なのか左翼なのかと今の子は勘違いするかもしれませんが、全く180度全然違います(白を黒と言い張るぐらいの誤りですが、日本には何故かそういう人がしばしば登場します)。消費税の前に物品税があって物品税が贅沢課税でしたから、消費税創設はそもそも富裕層に対する重税という逆差別を解消する目的があった訳です。ですから、社会党を中心とする勢力が大反対した訳です。左翼はマルクス=レーニン主義の影響を強く受けた人たちで結果の平等を重んじる人達です。筆者は物心ついた時から実力で差が出るのは仕方がない派なので(親がそうだった訳ではなく、何故か最初からそうだった訳です。社会科系統が得意だったからかもしれませんが、これは自分でも良く分かりません)、左右対立があるなら完全に右であった訳です。また左は伝統的に革新を名乗ってきました。これは旧来の保守勢力に対して革命が必要という考え方からです。今では保守の方が通りが良いのか、猫も杓子も保守を名乗りたがりますが、社会党の流れを汲みマルクス=レーニン主義の影響を強く受けた方々は、左であり革新であることを自覚しろ、嘘をつくなと言いたい訳です。自分達が何者であるか隠し嘘をつく姿勢は卑怯そのものだと言えます。労組と自ら組みながら保守と名乗れる国があるとすれば、中国だけではないでしょうか?あの国ではより左が保守を名乗ります。共産党以外存在しないも同然ですが。嘘しか言わないようなあの連中が保守を名乗って捕まらないのですから、日本は言論の自由があると言えます。

話は逸れましたが、消費税は何もないところから出来た訳ではありません。物品税という名の贅沢品だけにかける一種の消費税の代替物として創設された訳です。消費税の創設をもって、日本における消費に対する税制が始まったかのようなことを言う人は、嘘つきであるか勉強不足であると断定して構いません。税金が無ければいいなとは思いますし、他の条件が全くなければ経済はその方が伸びるでしょうが、税率がゼロなら確実に国の収入はゼロで、よって国が何かすることは出来ません。経済発展させようと税金ゼロに日本がしたとすれば自衛隊は廃止になって、きっと明日には外国軍が攻めてくるので、日本という国は消えてなくなるということになります。つまり税金は少ない方がいいでしょうが、無くなることはありません。税金にもいろいろ種類があって議論が存在することは承知していますが、税金そのものを否定する人は日本を転覆させる気なのかなという気がしないでもありません。消費税ゼロなどとのたまう人は、社会保障が伸びる中、膨大に政府の支出が削れると勘違いしているのか(民主党政権の事業仕分けとやらで如何ほど無駄が削れたでしょうか?)、法人税・所得税の激増を企んでいるのか(確か社民党は所得税を上げろと言ってましたし、共産党は内部留保云々で企業に厳しいことを言ってましたから、賛同しませんがその意味で論理は一貫しています)、はたまたテキトーなことを言って日本を路頭に迷わす無能なのかということになります。社会を動かそうという人がいい加減なことを言うのは噴飯モノですが、俗耳に入り易い意見は時に日本を動かしてしまいかねないので要注意です。夢みたいなことを語る法螺吹きを警戒するのが保守派の知恵でしょう。

別に消費税を上げれば万事OKと主張している訳ではありませんよ。消費税ゼロで万事OKというような法螺吹きが鬱陶しいので(確実に存在します。特に消費税上げる話になったら何処からともなく湧いてきます)、ちょっと歴史を語ってみようかと思ったまでです。そういう連中がじゃあ何税をとるのか何の支出が削れるのか語ることはありません。卑怯が服来て歩いているようなものです。筆者は経験上、そういう連中は左翼か左翼同然の保守(元左翼?騙されている?)に違いないと即時に推定し、後者だったら面倒くさいな、やめてくれないかなと思ってしまいます。左翼は左翼どうし仲良く団結してほしいものです。

最低賃金上げは左翼的な政策とは思っていますが、左翼的な政策がひとつあれば左翼では勿論ありませんし、日本経済を復活させていくのに右も左もない訳ですから、左翼的な政策を主張したと認識されるのは構いませんが、その部分のみ取り上げて人が左翼だと断定して言いふらすデマゴギーが存在していて、それに対して当然イライラしているので、こうした記事を書いた次第です。
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