観測にまつわる問題

政治ブログ。政策中心。「保険」「相続」「医者の給与」「国民年金」を考察する予定。

愛媛蜜柑とスマート農業

2019-10-23 03:16:33 | 日記
 以下、塩崎やすひさ衆議院議員の興居島でのスマート農業のfacebook投稿に対する筆者のシェアコメントです(一部改変)。
 古今東西農業も経済性とは無縁でいられません。多分ビニールハウスでの温室栽培だと思うのですが、野菜が温室栽培で成功したのは鮮度が命だからに他なりません。輸入物の果樹は防腐剤を使用しているものですが、元々蜜柑類は一ヶ月ほど出荷前の貯蔵期間があって、野菜や鮮魚ほどは生産地の距離的近さが重要ではないようです。ですから、果樹の温室栽培はものにもよるかもしれませんが、気候適地との競争になる可能性もあって、そうだとしたら普及品ではなくブランドものを狙わないといけないはずです。釈迦に説法かもしれませんが、愛媛県は日本一の蜜柑の生産量を誇った蜜柑生産県であり、マスに向けて温室栽培してないかふと思った次第です。そうだとしてコスト競争力が絶対無いと言い切れるほど詳しい訳ではありませんが、ブランド確立はブランド確立のためのノウハウがあるのであって、二兎は中々追えないようには思います。「ブランド 蜜柑 温室栽培」で検索して、高知・愛知が上位に出てきており、野菜が得意なところで、温室栽培はコスト高だから、=ブランド化の発想が染みついているのかと思いました。

9月19日一言日記

2019-09-19 10:26:30 | 日記
これから昨日書いた先の参議院議員選挙結果に対する自民党愛媛県への意見募集にFAX送信してきます。コンビニって便利ですよね。いろいろ思うところもありますが、何が意見が変ったり、完全に辞めてしまったという訳ではありません。

10:58)コンビニのfaxは通じず。話中か、発信者番号非通知による受信拒否らしい。

11:26)書留郵便にて送付。

日本政治で今保守派が為すべきこととは

2019-03-22 22:56:57 | 日記
元々保守派というのは革命勢力が現れてから成立するものですが(元々いるのですからそれを表す言葉は必要ない訳です)、無論それは革命勢力が主で保守勢力が従ということを意味しません。要は革命勢力が現れて、元々の勢力が保守を自覚するという形になります。結局、既存勢力が保守派ですが、何をもって既存勢力認定するかと言えば、日本においては敗戦で特に政治はそれまでの歴史が一度「断絶」していますから(皇室によって継承される流れがあるのも確かです)、戦後の既存勢力が戦後の歴史において保守勢力ということになります。すなわち普通に考えて自民党が保守政党そのものだと言えます。

それを踏まえて近年これまでの既存勢力(自民党)を否定する新勢力(革新勢力)が現れました。労働組合の支持を受け左派の影響が強い民主党です(民主党勢力は事実憲法改正に反対するなど日本の左派的な政策をとってきています)。民主党政権は三年の「実験」に終わりましたが、民主党自ら看板ロンダリングするなど定着しなかったようにも見え、結局自民党は保守を自覚しなかったようにも見えます。何時か強い革新勢力が現れた時、自民党は保守勢力を自覚するのかもしれませんが、そうはならなかったので(政権交代可能な勢力は定着しなかったと考えられ)、保守政党というほどのものは今はないと見ていいのかもしれません。まぁ共産党が保守的という意味が無い言説が流布する世の中ですし(共産党が何時日本の既存勢力になったというのでしょう?日本の何を保ち何を守るというのでしょう?)、あの政党が保守、この政党が保守じゃないというあまり意味が無い言説が流布するのもむべなるかなですね。元より保守とは何も変えないことを意味しないのですが。

勿論自民党より右派的な革新勢力が現れ、それを保守と呼ぶことも出来ます。保守革命という訳ですが、日本政治(国政)においてそれが成功した例は全くありません。社会党以来、日本の既存体制を実効的に脅かしてきたのは左派政党でした。

日本にリベラルが存在しないという言説が見受けられますが、確かに左派は存在してもリベラルというべき政党は存在しないのかもしれません。これは自民党が共産党と組むなど保守政党としての自覚が無い事実と符合します。

自民党がリベラルとか安倍総理がリベラルという言説も存在しますが、自由党と民主党の合同=保守合同は1955年の遠い昔であり、自民党はjiminというひとつのジャンルなのであって、自由党と民主党の寄せ集めでは全くありません。自由党じゃないんですから、リベラル政党でも全くありません(自由党が左派政党というのもそもそも議論の余地が多いにあって、日本の自由党は基本的にはそもそも右派政党であり、一般的にリベラルとは左派を意味します)。

一般的に戦後は左派系・革新的と呼ばれてきた朝日新聞は戦前は右派だったとされます。これが敗戦で入れ替わったようですが、戦後既に時が流れて久しく、これを再び元に戻すというのもすなわち革命的なんだろうと思います。まぁ本人達が自分の立場をどう名乗るのも自由ではありますが、元々革新勢力を自認しながら、都合よく保守に看板を書き換えるのは情けない限りだと思っていますし、無理なんじゃない?という気もするのですが。大体が民主党は安全保障(自衛隊)や治安(テロ等準備罪)に関して議論するのを否定してきた歴史があります。

保守派で時折反韓・滅韓的な見方をされる方もいらっしゃいますが、反韓は天邪鬼で韓国が主で日本が従になってしまってますし(~(個人や団体)に反対する立場というのは主体性・自分がなく、本体さえ見ていれば、(個別の議論に関するもの以外)反対派の言説をまともに取り合う必要はありません)、滅韓は過激に過ぎる右派的な見方と言えるでしょう。政治を考える上で大事なのは何をどう考えるかだと思いますが、無党派や支持政党なしが多い現状ですから、大事なことがおなざりになっているような気もしますが、反~的な立場が広がりやすいのもしょうがないのかもしれません(しつこいようですが、本体だけでいいじゃんみたいな)。

さてでは日本において保守派を自認される方は何もすることがないのかと言えば、そうではないと筆者は思います。55年体制(ウィキペディア)は、「自由民主党から日本社会党への政権交代が実現できない一方、保守政党は国会で憲法改正のための3分の2以上の議席を確保できなかったことから、政権交代と憲法改正のない体制とされる」ようですが、ようやくここに来て保守政党に憲法改正のチャンスが出てきたようです。保守系団体は憲法改正に賛成するのが通常ですし、これは普通の見方だと考えられます。55年体制は民主党による政権交代で一度崩れたと言えるのかもしれませんが、結局民主党が普通に社会党のポジションではないでしょうか?現に立憲民主党は憲法改正を阻止する勢力として一生懸命働いているようです。古今東西社会党が保守だと聞いたことがありません。共産党が保守と言われるのは共産主義国なのであって、日本は共産主義国家ではありません(やはり共産党が保守的という見方に大きな意味はないと考えます)(考えてみれば反共というのも共産党視点の見方のようで、普通に考えると共産党が既存勢力に反対しているんですよね)。

そういう訳で今の日本政治で保守派の大きな仕事があるとすれば憲法改正しかないような気はしています。あるいは国体護持で何もしなければ危ない皇室の存続のために働くか、あるいは日本防衛で何もしなければ危ない国防の政策を進めるか(近年アメリカに対抗しようというモンスターが近隣で台頭していますが、日本は少子高齢化で活力を失ったと言われる危機的な状況にあります)ですが、災害に関しては重要ですが青天井で投資できる状況にありませんし、治安は基本的に落ち着いている上、治安至上で経済を犠牲にする考え方は国防を危うくするという関係にあると考えています。経済はリベラルが得意という見方もありますが、経済力を背景にしない国防は成立せず、日本に神学論争で政策を進めない余裕があるとは思えません。

以上ですが、要は自民党がすなわち政治における保守勢力だし、新興の保守勢力が自民党を倒した歴史はないよねという確認です。異論はあるでしょうが、もうあまり相手にせず放置した方がいいのかもしれないと考え始めています(長年の持論ですし、長年の持論が失敗した覚えもありませんが、ここで自分の考え方を説明し、まとめておこうと思った次第です)。

新しい御代を前にして

2019-03-16 06:06:11 | 日記
椿神社崇敬者大会記念講演「新しい御代を前にして」(久能靖氏)に出席してきました。陛下のお人柄など貴重な話を聞かせていただきましたが、その辺は講演を聴いた人の特権として(笑いの絶えない講演でした)、筆者は制度面や自分で調べたことを記事にしておきます。

今年は皇位継承が行われ、年号が変わる年になります。御退位は今上陛下のビデオメッセージでのお気持ち表明をきっかけに決まったことですが、その背景に健康問題があります。体力面でご公務が難しくなってきているようで、これは高齢化社会を迎えた現代の問題でもありますが、代行されることを良しとしない陛下のお考えでもあるようです。2016年(平成28年)8月8日のお言葉では殯についての言及もありました。

>これまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,重い殯の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後喪儀に関連する行事が,1年間続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。

これまでの制度だとこの殯というしきたりと天皇即位に伴うご公務を両立せねばなりません。(老老介護や老老継承の問題が横たわる)高齢化社会においてはこれをご高齢の新陛下がこなすことが通常になるでしょう。今回のご退位は皇室典範特例法によるものですが、恒久的制度の方が良いのではないかというお考えのようです。随分踏み込まれている感じですが、「皇室番黒革の手帳」(大木賢一 宝島新書)なんかを参照すると、今上天皇は皇太子時代から積極的な発言や行動をされており、それが現在の陛下の姿に繋がっているようです。伊勢湾台風での被災地訪問は今上陛下が打ち出した新基軸だったとのこと。皇室が政治に口出しするのは問題もあるでしょうが、皇位継承やご公務に関して国民にメッセージも送れないのような窮屈な話は疑問で、憲法4条7条で政治的発言ができないのような風潮がありましたが、考えてみれば「国政に関する権能を有しない」というのは陛下が発言されようが何だろうが国政に関する権能は有しないのであって、政治的発言が何ら憲法違反でないことは明らかのように思えます。憲法を尊重することと憲法改正を提起する(ような)ことは矛盾しないことも明白です(寧ろ言論の自由と憲法改正条項から提起できないと発言する人が全くの憲法違反で180度逆です)。ただ、憲法7条で定める国事行為がご公務であって、日本の象徴として儀礼を執り行うのが仕事で、政治介入が望ましくないのは勿論です。またそうしたあり方が皇室の伝統でもあると思います。しかしながら皇室の行事を行い皇位継承を行うのは寧ろ皇室が主体になって行うべきことでもあって、決定権は国民や議員にあるにせよ、こうしたことに関しては「政治的発言」をされる方が望ましいあり方と言えるのかもしれません(国政の承認のような主体的でない儀礼と主体的に行う儀礼や自分(達)自身の話は別に扱うべきだと考えられます)。正直ご退位に関する発言は違和感もありましたし、変えることに反対の気持ちもありましたが、少なくとも今では筆者は陛下の一連の問題提起は良かったと思います。

今上陛下の体調も優れないところはあるようですが、皇后陛下の体調が特に優れないようです。皇后陛下には1993年に失声症になったという話がありますが(皇后美智子(ウィキペディア)参照。失語症は大脳の損傷に由来し、心因性の原因から来る失声症とは分けた方が良いようです。回復後「どの批判も、自分を省みるよすがとしていますが、事実でない報道がまかり通る社会になって欲しくありません」と異例のコメントがあったとか)、久能氏が特に指摘した皇后陛下の病歴はめまい・喘息状態・頚椎症性神経根症でした。めまいは若い女性のメニエル病でも知られますし、様々な病気に付随するので何とも言えませんが、資料によると腸壁の出血の後と一緒にめまいの症状があったそうです(中高生の時に筆者は起立性調節障害(恩賜財団済生会)と思われる症状でめまいを頻発させていましたが何時の間にかほぼ発症しなくはなっていますし全然違う話だと思われ何とも言えません)。喘息症状に関して言えば、アレルギーの一種ですが、現代病ですし清潔過剰が問題という衛生仮説が怪しいような気もします(参考:「いま、アレルギーのメカニズムが大きく塗り変わろうとしています」(斎藤博久インタビュー①))。具体的には少量のエンドトキシンに繰り返し曝露することが必要だとか。一方でアレルギーマーチを防ぐためにはバリア機能の弱い乳幼児の皮膚の保湿も重要だという話です(他に参考:赤ちゃんにおすすめの保湿剤12選〜ママ厳選のお肌に優しいアイテム〜 smarby)。アレルギーに関して言えば、(個人的な話で申し訳ありませんが)これまた高校生の時中心に温熱蕁麻疹や寒冷蕁麻疹があったのですが、これも自然治癒しています。ストレスも関係あるようですが(参照:蕁麻疹(じんましん) - 皮膚科Q&A(公益社団法人日本皮膚科学会))、よほど受験が嫌だったのか何なのか(この蕁麻疹や花粉症(←現在も闘病中。口呼吸と関係ある気もしてますが癖ですし中々)の関係で喘息やアトピーはありませんが自分なりにアレルギーは調べてはきました)。頚椎症性神経根症(日本整形外科学界)は頚椎を後ろへそらせるのが良くないのだそうですが、(筆者に無縁で医者でなく知見もありませんから)さすがによく分かりません。話は逸れましたが、皇室報道と言えばバッシングがつきもののような気もしますが、報道も必要・意見も必要であるにせよ、節度がないと大変なことになりそうだなとは思いますね。侍医制度や宮内庁病院に関しては特に触れないものとします。

ご譲位は光格天皇以来になりますが、それまでは結構ある話でした(筆者などは上皇と聞くと二重権力や政争のイメージがあるほどで、それで反対意見でしたが、今の制度なら杞憂だったのかもしれません)。改元も125代の歴史で247回あって大化が最初でしたが(大化の改新の大化で皇極天皇4年(645年)の孝徳天皇(難波宮に遷都)即位のときから実施)、明治天皇の先代孝明天皇の時には6回も行われています。さすがに現代で頻繁に改元されるのは国民生活に影響もあると思いますが、一世一元の制は陛下がまだ元気である内に準備を整えて行う方がスムーズなんだろうと思います。考えてみれば日時が確定できない御崩御の時に全てを行うのは大変な話です。ただ皇室典範4条の問題があって(今回は特例法でしたが)、新陛下の代に皇位継承の問題とあわせてこの問題は議論され解決されることが期待されると思います。

新元号ですが、これまでは中国古典から採っていましたが日本書紀など日本の古典から採るという話もあるようです。筆者は大賛成ですが、最初に古事記だけの漢字を採用するのは止めた方がいい気はしています。古事記は本居宣長以来再評価されており勿論貴重な古典ですが、日本書紀が正史ですし日本書紀との齟齬もあって評価するあまりどちらが正でどちらが副かを忘れるようなことがあっては、後々面倒なことになります(旭日旗を再評価する動きは結構なことだと思いますが、日章旗が日本の旗なのであって、自衛隊の旗・海自の旗が日本の旗と受け取られるような話は困るという話に似ます)。

式典ですが、資料として配られた平成の御代替わりに伴い行われた式典一覧を見ると、35の式典が行われその内国事行為と総理主催の行事は10だったようです(他は皇室の行事)。ひとつだけ「剣璽等承継の儀」(剣璽渡御の儀)に関してまとめておくと、剣璽(ウィキペディア)とは、三種の神器の内、天叢雲剣と八尺瓊勾玉を併せた呼称で御所の天皇の寝室の隣に土壁に囲まれた塗り籠めの「剣璽の間」があってワンセットで扱われることが多いようです。ただ、御所の天叢雲剣も熱田神宮の形代のようですが、八咫鏡も伊勢神宮の内宮の形代が宮中三殿の賢所にあって、承継されるのはやはり三種の神器と考えてよく、それで剣璽等というようです。戦前は、天皇が皇居(宮城)を一日以上離れる場合に、必ず侍従が捧げ持ち随行したそうで、これを剣璽動座というようです。GHQの指令で剣璽動座は中止されたものの第60回式年遷宮の翌年である1974年に昭和天皇が剣璽を伴って神宮を参拝した時以来、天皇の神宮参拝の際には携行されるようになったようです。八咫鏡が特殊な感じですが、天照大神の御神体として内宮に安置されており、天皇陛下は直接参拝しない伝統が明治までありました。剣璽と違って何か持ち歩くものではないんでしょうね。神社のご神体に鏡は多いようです(神社に鏡がある理由・意味は?ご神体についても詳しく紹介します! 終活ねっと)。

最後に印象に残った話ですが、陛下は「普段は忘れられていても構わないが何かあった時思い出してほしい」というようなことを仰ったそうです。

大嘗祭を内廷費でやるべきか(五穀豊穣、天皇彌榮)

2018-12-03 08:31:52 | 日記

農林水産省ツイッター(17:21 - 2016年11月23日)

秋篠宮さま きょう53歳に 大嘗祭めぐり政府決定と異なる意見
(2018年11月30日 NHKニュース)

>秋篠宮さまは30日、53歳の誕生日を迎えるにあたって記者会見に臨み、来年の皇位継承に伴う伝統儀式「大嘗祭(だいじょうさい)」の費用に、公的な予算が充てられることについて、儀式の宗教色を踏まえ、天皇の生活費にあたる予算から支出されるべきだという考えを示されました。

大嘗祭が違憲であるとか止めるべきとかそういう意見ではなく、内廷費から出すべきだという意見を示されたということなのですが、先ほど「大嘗祭反対」で検索してみたところ、投稿時期は秋篠宮殿下の発言以降でないものの、1位で「終わりにしよう天皇制集会」の人や3位で「大嘗祭は悪魔崇拝そのものだ」の人がひっかかって、安倍政権及び皇室に強く反発している人と立場が近いと誤認されかねない懸念はあると思います。安倍政権に対してと同様、皇室に強く反発する自由はあって(ノールールという訳でもないんですが)、そうした方々の勢力はあまり強くはないようであり、皇室もその意味で懸念はしていないと思いますが、そういう絶対的に相容れない立場を保持する方々がニコニコ近づいてくる危険性はあると思います。

ただ、秋篠宮殿下は記事によると、「平成の「大嘗祭」の時から同じ考えだったということで、今回もこうした考えを宮内庁の長官などに伝えてきた」のだそうです。皇室の祭事ですから、やはり懸念等ない方が望ましく、記事によると宮内庁は殿下に説明してきたとしていますが、結果的に殿下の懸念は払拭されなかったようで、残念なところだと思います。

大嘗祭に国費を支出するか内廷費で支出するかなんですが、平成30年度で3億2,400万円の内廷費の内、『週刊ダイアモンド 2016 9/17 36号』(ダイヤモンド社)(ウィキペディア「内廷費」(2018/12/03)から孫引き)によると、宮中祭祀の関連は8%程度を占めるに過ぎないようです。ですから、内廷費でやる大嘗祭とは予算面で宮中内でやる新嘗祭同様の小規模ものにならざるを得ず、明治以来地方で行われた明治天皇・大正天皇・昭和天皇・今上天皇の全ての大嘗祭を受け継がない異例のものになってしまい、到底時の政府が受け入れることが困難な厳しい意見だと考えられます。仮に戦前のものを別として方針転換するなら今上天皇の時だったと思う訳です(その時も秋篠宮殿下は懸念を伝えられ、今に至るまで懸念は払拭されなかったようです)。

今は即位の礼が国事行為で、大嘗祭が国事行為にあたらない内廷費以外の臨時予算でとりおこなわれており、位置づけが曖昧なようです。ただ、大嘗祭とは「天皇が即位の礼の後、初めて行う新嘗祭」であり、儀式の性質上、新嘗祭より大規模に行う必要性があると考えられます。律令制が整備されて以降、一世一代の践祚大嘗祭は大切にされてきた儀式のようです(戦乱で皇室が困難な時に221年間行われなかった時期もあるようです)。つまり、大嘗祭を内廷費で行うとは、事実上、新嘗祭の規模にまで縮小させるということのようであり、これまでの伝統を引き継がない一種革命的な考え方だということになります。ですから、天皇制廃止を訴える革新派に近い立場に結果的になってしまう訳です。

だとしたら、大嘗祭を即位の礼に連動した国事行為にして公費を支出した方が話が分かり易い訳ですが、宮中祭祀である新嘗祭は内廷費で行われているでしょうから、その性格が問題になってくるんだろうと思います。新嘗祭はそもそも五穀の収穫を祝う風習ですから、これまで違和感があった人はあまりいなかったかもしれませんが、炭水化物をとらない風潮もある昨今では考えられてもいい問題なのかもしれません。いずれにせよ、現政権はこれまで通り、その辺は曖昧にやりたいと考えられます。秋篠宮殿下はその宗教性を指摘されており、それは理解できるところもあるのですが、宗教性を強く問題にする一派は、天皇制自体を否定する一派とほぼ同じであり、衣冠束帯姿にまでクレームをいれているらしい(大嘗祭が合憲・合法であることの法的論拠(協和協会)参照)ことに注意された方が良いのではないかと思います。原理的に宗教性を排除したら、天皇制自体、存続が難しくなります。記紀に皇室は皇祖神の血を受け継ぐと書かれており、記紀を否定したら系譜すら分からなくなり、皇室存続の根拠すら怪しくなってしまい、実際に大嘗祭に否定的な意見を煽動する方々は天皇制廃止論者だったりする訳です。

宗教性に関して言えば、日本において信教の自由について誤解があるようです。例えばアメリカにおいて信教の自由は認められ、政教分離が成されていますが(戦後日本もアメリカ型です)、これは国から宗教性を排除することを全く意味しません。例えば、大統領就任式に聖書は使われますし、アーリントン墓地は無宗教の施設ではなく、無宗教すら含むあらゆる宗教を許容する施設です。また世界にはアメリカ型の政教分離を行わず、信教の自由を保障しながら、国教を定めるイギリスや北欧のような国も存在します。そもそも宗教を否定するなら、死体はゴミ袋に入れて捨てておけとなります。人の死は避けられず、よって国家から宗教性を完全に排除するなんてことはありそうにもありません。

程度問題はありますが、筆者はこの問題に関して特に変えなくてもいいんじゃないかと思っています。あるいはどちらかと言えば、公費を出すなら国事行為と位置づけた方が分かりやすくて良いし、問題もないと思っています。即位に連動した五穀豊穣の大きな願いをワザワザ国に止めさせる必要があるんでしょうか。それを「無駄」と判断するのはあまりにもラディカルに過ぎるでしょう。宗教性と不可分とも言える皇室の存続は寧ろ憲法で保障されているとも言えます。天皇制廃止を主張する方というのは原理的には改憲主義者かテロリストだと言えますが、何故か憲法を変えさせない護憲派として活動したきたという戦後日本の奇観があって、そういう意味不明の迷走を終わらせるのが戦後レジームの脱却ではないかと自分は思っています。

カテゴリーの新設

2018-11-28 06:54:31 | 日記
カテゴリー「日本史」と「世界史」を追加します。11月19日。

日本史では、世界史を視野に入れながら、日本人・日本文化・日本国・皇室を北海道・沖縄の歴史を絡めて考察していきます。※11月25日追記。

※日本地理観光を追加。当面予定のない世界史をいったん削除。11月28日追記。

焼き物国際化

2018-06-09 15:08:28 | 日記
一ヶ月以上前、今年の4月28日になるのですが、「新しい砥部焼の可能性~砥部焼パリ展を終えて~」に参加してきました。その頃何か地域の活動ないかなと考えて町役場に行ってみたらチラシを見つけたというのがその経緯です。いろいろ感想はあっていずれ別に書くことはあるかもしれませんが、今回は焼き物の国際化一点に絞って記事を書きます。

砥部焼きを海外進出させようという試み自体は素晴らしい取り組みだとは思いますが(ロンドン展をまずやって今回のパリ展に繋がったようです)、そうした切り口はさておき、今回は別の切り口を検討します。講師は西岡孝泰氏(二代目永立寺窯窯元)で、経歴を見ると石川県九谷焼技術研究所入所で人間国宝吉田美統先生に師事とあります。筆者が質疑応答で細かい内容は忘れましたが、砥部焼きの定義に関わるような質問をした時、西岡氏の答えは保留にしたいということでした。陶芸教室でつくった焼き物など砥部でつくられた焼き物が砥部焼きという一般的な定義もあるし、伝統工芸としての手順など定められた砥部焼きもあるということです。一般的な定義はさておき、伝統工芸の技術をキチンと学んだ人間としては、砥部で作ったから砥部焼きでいいという考えに何の葛藤もないということではないようですが、まぁそれはそうだろうなと思います。勿論素人が陶芸するなと主張しているのでは全くありませんし、寧ろその真逆ではあると思いますが、全く一緒と言われたら、キチンと技術を身につけたものとしては立つ瀬がないでしょう。誤解のないよう強調しておきますが、あくまで筆者が質問したのであって、西岡氏はそれに答えただけです。

さて、焼き物の国際化ですが、展覧会というアプローチの他にも、志望者を外国から受け入れるというアプローチもあるのではないかというのが今回の主張です。これは西岡氏の経歴を見、話を聞いている内に思いついたんですね。砥部焼まつりは盛況のようですが(筆者は行ったことないのですが、リーダー塾の二期で会った方が盛況だったと教えてくれました)、この背景には焼き物や陶芸が日本に文化として根付いているということが挙げられると思います。筆者も小中学校で陶芸をわりとやったような記憶があります。長寿でピンピンしている母方の祖父の元気の秘訣は何時行ってもやっている陶芸かもしれません。愛媛1区の塩崎恭久議員のfacebook5月26日も松山市の五明という地区の陶芸教室に触れられています(伊台・五明は松山北東部にある中山間地域で検索するとこうげんぶどうなんかが特産のようです)(報告会に行ったついでに買える砥部焼きの資料を購入しましたが、どうも愛媛県においてかつて広くあった産業としての焼き物は大体砥部焼きに集約されているようです)。陶芸文化を広めるもひとつの方法かもしれませんが、そもそもそれをやろうというきっかけがどれだけあるか分からないところもあります。学校に行くなどしてキチンとしたプロの技術を身につけた方が陶芸教室を開くなり、その土地で焼いた焼き物を売るなどして焼き物文化を海外に広める役割を果たしてくれれば、日本で作った焼き物が売れる下地もできるのではないかという遠大な計画をザックリ考えてみた訳です。

石川県立九谷焼技術研修所

砥部焼きは愛媛の焼き物ですが、必ずしも愛媛だけで成り立っている訳ではなく、日本の他の有名どころの技術にも影響されながら成り立っているところもあるのかもしれません。砥部焼(ウィキペディア)を参照しても、明治期廃藩置県で各藩で門外不出だった陶磁器作りの技術が流出し、砥部焼きは量産可能になったようです。日本の技術を門外不出として輸出するのもひとつの方法でしょうが、焼き物なんかは文化そのものが広がる形の方が面白いのかなというのが筆者の印象です。探せば何処だって適した土や石はあるでしょうし、その土地ならでの焼き物もあるかもしれませんが、やはりキチンとした技術というのはあって、それを学ぶことで文化は広がり、底上げも出来てくるのかもしれません。

こうした発想の根底にはフランス的な発想もあります。フランスって自国の文化を定義し教えて広めるみたいなイメージってないですか?筆者にはあります。例:フランスならではの留学!料理学校ってどんな感じ?(留学Voice) フランス料理は高級料理の代表格として挙げられることも多いですが、それはこうした努力の成果でもあるのでしょう。パリと言えば、ファッションの都でもありますね。筆者の中では欧州で文化と言えば第一にフランスのイメージがありますが、その手法には学ぶべきところも多いのかもしれません。

別に欧米だけでなく、アジア各国・世界の何処からでもいいと思いますが、日本が日本文化の梁山泊(>『水滸伝』での意味が転じ、「優れた人物たちが集まる場所」、「有志の集合場所」の例として使われることもある)みたいになれば面白いと思った次第です。筆者に大東亜共栄圏を再構築する意図は皆無ですが(世界に革命を輸出する意図は全くありませんが)(参考:アジア主義(ウィキペディア) 両岸で尊敬される国父孫文も日本に亡命し支援を受けた経緯があります)、戦前の日本はアジア各国から留学生を集め世界に影響を及ぼしたところもあって、とりあず政治や軍事から遠い文化面で繋がりを拡大してもいいのではないかと考える次第です。元々日本の焼き物の源流は何処か海外にあるのかもしれませんが、その影響を受けながらも日本で発展し育ってきたことは確実と思います。

クールジャパン戦略もいろいろでしょうが、日本に広く存在する確かで伝統的で優れた技術であるところの焼き物で、地道に外国人を育て国際化を試みるのも面白いのかもしれません。

クールジャパン機構

6月7日日記

2018-06-07 11:44:05 | 日記
愛媛県連リーダー塾3期は人数が集まっていないみたいですね。先ほど電話して確認しました。1万円ほど(昨年)であれだけ国会議員の話を聞ける集まりなんて他にある訳もないのですが。○○○○○のところの話なんて伝聞に過ぎませんが酷いですよね。持ち出しだと言ってましたし(当然でしょう)、自民党は競争力があり過ぎで何時か訴えられるかもしれません。真面目な話にそれほど興味も無い方は結構いらっしゃるかもしれませんが、いや興味があるんだという方は是非。

ただし、ジミンガー・アベガーな左翼な人に知られると嫌われる可能性もないではないかもしれません。モリカケを見るにつけ、足を引っ張る連中の負の情熱は背筋が寒くなることもあります。ただの勉強会に過ぎませんし、悪の会合では全くありませんが、連中の妄想の中ではどんなことになっているかは分かりません。ただ自分は参加して良かったことはあれど、状況が悪くなることは何一つありませんでしたけどね。

募集の締め切りは過ぎていますが、興味がある人は問い合わせてみては如何でしょうか?開催されると良いなと思っています。どうなるんですかねぇ・・・。

6月開始でもう7日ですから、どうなってるの?と思いましたが、事情は分かりました。去年も何やかんやで日程がズレたんですよね。勉強会を邪魔しようと(嫉妬に狂った?)悪の組織が蠢いているんですかね?困ったものです。悪党な皆さん!これを見ていたら止めてくださいね!よろしくお願いします。別に皆さんを滅ぼす話し合いをしている訳ではありません。勉強会ひとつで滅びる組織なんて!

2期も何だかんだでスケジュールがズレましたし、何かあるんじゃないかとは思っています。モリカケなどの絡みでしょうか?どう考えても自民党の方が被害者なんだよな。野党の連中は何をやっているんでしょうか?国会をサボるだけでなく、家にでも引き篭もってくれれば、親以外の誰にも迷惑がかからないと思うのですが。引き篭もっても電話やネットで悪口言いまくるでしょうから、連中につける薬はないのかもしれません。

自民党の塾の活動は目処が今のところ立たないようですし、自分のネット上での活動は一応見直しながら引き続き継続していきます。無期限凍結にしているテーマも再考して一部開放するかもしれません。凍結しているのは経済関係ですが明日に日本経済が終わる訳でもなし、しばらくは様子をみます。プロセスが良く分からないというのもありますし、重要なのは結果です。自民党と直接やりとりができる機会が無くなってしまうと、率直に言って困るんですよね。だから重要なことを書かないというのもどうなの?という話ですが、他に筆者にやれることはありませんので、そういうことになります。外交安全保障や憲法改正・その他は今まで通りちゃんとやりますよ。経済もやりますが、今のところ飛車角落ちぐらいでやろうと思ってます。どうせ野党相手に負けることはありません。いわゆる舐めプという奴ですね(笑)。

党員活動は目先を変えて党員獲得に手を出してみようと思っています。やり方は書きませんが幾つか手法は考えています。その内書くことになるでしょう。

ニュースチェックは今日の分は一応終わっていますが、片づけをして3時くらいから出かけて夜に戻ってきて、ブログ記事は夜に纏めてということになると思います。書くネタ・アイディアは大体固まっているので、数は書けるんじゃないかと思っていますが、ひとつひとつの記事は短くしようとは思っています。書けなかった分は土曜にやります。

今後の方針(6月4日)

2018-06-03 00:01:38 | 日記
焼き物は資料の捜索をしてから。ひょっとしたら掃除した時に捨てたかも。部屋の片付けと整理が先決ですね。

自民党の最近の提言は、近い内に1日1本ぐらいでなるべく手短にやるつもりです。ブログはずっと続けるつもりですし、やると書いたテーマは何時かやりますが、スケジュールに関しては全てキャンセルします。所詮は個人の日記(相手がいない自分の予定)の公開に過ぎないのでご了承ください。ひとつだけ自民党の提言で財政再建だけは無期限延期とします。自民党愛媛県連リーダー塾3期に参加の目処がつけば、再開すると思いますが、それ以外では何とも言えません。何時かはやるでしょうが、明日かもしれないしウン十年後かもしれない。

最低賃金に関しては筆者が最近もっとも重要と思っているテーマですが、無期限延期します。①安倍政権がやり始めたと筆者が認定する。②自民党愛媛県連リーダー塾3期に参加の目処がつく。・・・この2条件のいずれかがクリアされたら、そこから近い内にやり始める(参考書の到着日時の関係で最速で来週の木曜日になります)と思ってください。その2条件がクリアされなくとも何時かはやると思いますが、何時になるかは何とも言えません。こういう決断をすることは残念なことですが、その理由は各自お察しください。

ブログもツイッター等ネット上の活動もずっと続ける固い意志がありますが(最近ブログの更新が滞っているのはツイッターをやっているからに過ぎません)、更新が止ったら死んだと思ってください。自殺の意志は全くありませんし、死ぬような病気でもありませんから、長期の更新停止=死です。パソコンが壊れてもネットカフェからでもスマホからでも更新はできます。

来週の方針

2018-05-27 11:37:18 | 日記
木曜と土曜が一日休み。

憲法改正のテーマは教育再生。自民党の「教育再生実行本部 第十次提言」(2018年5月17日)をベースに考えます。

他には先週挙げた「広島・資源エネルギー・貿易・消費・焼き物」あたりから3つが目標。できれば経済関連は意識してやりたい。

勉強すべきテーマも先週に続き金融関連、物流、沖縄基地問題、原発関連(リプレース)、海軍・海上警察、最低賃金、チェックすべき本リストの更新。進んでないですが、最大の誤算はツイートに時間がかかりすぎていること(新しいフォローが増えていますし慣れたら減るのかもしれませんが(怪しいですが)気になることも増えています)。一日かけてもツイート終わらないは想定外でした。何が気になるか何処まで調べれば気が済むのか事前に分からないので、想定時間より書くのが遅くなるのは何時ものことですが、これでは何もできません。気になるのを放置するのもどうかですし、おいおい自分で整理してどうにかしようと考えています。クオリティは落としたくないが、かける時間は削りたい。ギリギリです。

facebookは進めました。今週も引き続き。Lineもやるかもしれません。