観測にまつわる問題

政治ブログ。政策中心。「多重下請」「保険」「相続」「農業」「医者の給与」「解雇規制」「国民年金」を考察する予定。

法的正義が聞いて呆れる

2011-02-28 22:10:16 | 政策関連メモ
北方領土に関する酷い主張

>日本人に求められるのは、「法と正義の原則」を掲げて不当な圧力に屈しない毅然(きぜん)とした姿勢である。

>ことの本質は、「4島か、2島か」というような利害打算にではなく、日本が、その主権と「法と正義の原則」を貫徹できるかどうかにあるからだ。

国際司法裁判所の出す結論あたりが国際的に妥当な法的評価というものだろう。そして日本は北方領土問題で提訴していない。今の日本が北方領土に関して法を持ち出したところで、何法に基づいていると言うのか?自分自身の主観を法と言い切るなら、自分で制定した国内法を盾に自分の立場を正当化する中国の態度と何ら変ることがない

>相手の高圧的な態度を見ると、「もう駄目だ」と観念してしまい、すぐに既成事実や相手の恫喝(どうかつ)に屈しようとする傾向が、一部の日本人にはある。「このままでは、北方4島はおろか、2島も返ってこない。だから、2島プラスアルファだ」などと騒ぎ立てる日本人たちである。

尖閣要らない、竹島要らないという方々ではないのか。

自分は元来北方領土は外交的決着で良いという持論であるが、恫喝に屈するつもりはサラサラない。ならば、何故外交的決着なのかと言えば、サンフランシスコ講和条約の千島列島放棄がひっかかって、法と正義の観点から、四島全部返ってこない可能性があると見ているからだ。ロシアが受けるなら、国際司法裁判所での決着でも良いが、外交的決着とそう大して変らない結論が出るだろう。無理筋の意見を強硬に主張するなら、ロシアの態度と何が違うというのだろうか?

何もロシアの言いなりに2島で諦めよと言っているのではない。2島が帰ってくるのは当たり前だ。

2島プラスアルファだ!などと落としどころを先に言って交渉せよと言っているわけでもない。主張を高く掲げてギリギリのところで妥協するのが外交的決着というものだろう。国民もそれは理解していいと思う。自分があえて日本の主張の弱みの部分を書くのは、日本は民主主義国だから、この国民の理解がないと、物事が進まないことを考えた上でのことである。

いわゆる冷戦は終わりロシアの脅威は減じたが、中国の台頭、ボロボロの軍国北朝鮮など東アジア情勢は緊迫してきていることは否めない。こうした情勢の中で、ロシアと平和条約を結ぶことには小さくない意義があると思う。

誤解してほしくないのは、ロシアの脅しに対して、妥協的なことを言っているのではないということだ。そもそも、麻生政権時のメドベージェフ大統領の歩み寄りの姿勢に対して、こちらも(主張は高く掲げるにしても)最後は妥協してもいいというのが、自分の考えであり、そうでない北方領土四島返還絶対派に対して、そちらの態度の方が国益を損ねると主張してきているのである。ロシアの無法に対し毅然とするべきということにおいて違いがあるわけではないのだ。大統領の北方領土訪問程度の挑発にギャアギャア騒ぐ気にはなれないにしても(ムカついてはいる)。北の暴走・挑発の方がよほど危険であり、だからこそロシアとの手打ちは考えてもいいはずだ。ロシアは北に対し少なくとも中国よりは厳しい態度を採っている。

負ける戦争は止めるのが国益

2011-02-27 09:12:36 | 政治システム・理論
参議院問題に関しては、そもそも終始一貫、野党の暴れに反対しているのだが、それは何故か?それは参議院の暴走を許す政治文化が定着すれば定着するほど、国益を損ねるのが明白だからだ。6年任期3年ごと半数改選の参議院の結論に従わなければ、政府与党は政権運営できないなんてシステムが上手く機能するはずがないのだ。そして実際に上手くいっている様子は微塵もない。自分が間違っていたら良かったのだが。

負ける戦争は止めるのが国益を考えた行動だと思う。例え、大きな流れに逆らうとしても、何もやらないというわけにはいかない。日本は敗戦必至の対米戦争に突入するのを止められなかったし、それだけでなく、敗戦が明白になっても中々止められなかった。それは国民の強い意志の表れではあるが、自身でコントロールできないのでは意味が無い

参議院問題も同じで、参議院の暴走を許してその先に何があるのか。少なくとも自分は傾聴に値する意見を聞いたことがない。残念ながら自分たちの都合以外考えられなくなり、しかも後に退けなくなっているというだけのことで、何か良いアイディアはあるが黙っているのではないのだと思う。流れは止まらないかもしれないが、結局のところ、参議院をそのままにしておくわけにはいかないのであり、参議院の問題を訴え続けることそのものが国益にかなうことは明白であるだろう。

改めて問いたい。強すぎる参議院に屈して言いなりになるのが、政府運営のあるべき姿なのか?言いなりになるとしても、参議院が意志統一できなかったら、どうなるのか(今、野党は足を引っ張ることに専念して、強い権力を持ちながら、国益を考えず、肝心の事を黙ったままでいないだろうか)?参議院選を事実上の政権選択選挙にするならば、始めから、政権選択選挙とする共通認識がなければ、国民に対する裏切りになるのではないか?

参議院選挙は実際問題、政権選択選挙として行なわれないのである。衆議院選挙が政権選択選挙であることは明らかだ。後になって(衆議院選挙と違って必ず後になる。それが政権選択選挙との合意がない上、それをやらせる手段がないからだ。)、参議院選の結果に従い、衆議院選をやり直す(しかもねじれを解消することが目的なら結論は決まっている)のは、政権選択選挙として行なわれなかった参議院選がある種の嘘だったということに他ならない。しかも、その嘘で仮に合意して速やかに参議院の結論に従うとしても(政権が簡単に合意するとは思えないが)、6年任期解散なし3年半数改選の参議院選が来るたびに政権交代を意識しなければならないと考えると、衆議院選も含め、選挙ばかりで落ち着いて仕事ができなくなることは、当然の理であるだろう。職を失う危険を省みない人間というのは、そうそういるものではない。だから、実際今政治家が選挙ばかりで政策を考えなくなっているのではないか?その先にはいい事は何もないのだ。

更に言えば、反政府勢力(野党)に強い権力を与えるのが保守のやり方なのかという疑問がある。そういう場合があるとしても、それをいつも必死で考えているのはリベラルだろう。参議院の結論に従うべしなんて考えは、反政府勢力(野党)に力を与えるという意味で、リベラルの考え方だと思う。ねじれていない時でも、政府与党が与党参議院団に配慮すべしというのも同じくリベラルっぽい。何も常にリベラルが間違っているとまでは言わないが。

結局のところ、大きな流れに逆らうのはキツイものだ。それでもなお、必要と思えばやらなければならない。そうした精神も大切なことではないだろうか。

政権交代可能なシステムは理解している

2011-02-27 00:42:02 | 政治システム・理論
原点に戻って、自分の立場を再確認しておくと、2009年政権交代には反対したが、政権交代可能なシステムという概念は理解するという考えで、何度もそれに関しては書いた覚えがある。麻生政権存続の方が、政権交代のメリットを考えても、ここで民主党政権に代わるよりもいいだろうと思ったのだ。

それはさておき、何故筆者が菅政権を支持しない(尖閣の対応は最悪だったと思う)にも関わらず、参議院絡みで菅政権を助けるようなことを書くのか。勿論、ひとつには参議院に関して持論があるということが大きい。参議院の権力が強すぎることが、日本政治を悪くしていると考えているのだ。事実、これまで自分は常に一貫して参議院が衆議院に優越するかのような言論に反対の立場をとってきた。根本的な解決策は難しいところなのだが憲法改正で、衆参で3分の2を支配して、参議院の立場を変えることに参議院の同意を得なければならない。それが簡単ではないから、とりあえず野党が因縁をつけて政府を解散に追い込むという手法を批判することが重要になってくる。追い込むといったところで、解散の権限は首相にあるのだから、野党が頑張れば頑張るほどマイナスになるのは目に見えている。ゆえに現行の政治文化を否定していくという結論に辿りついたということだ。参議院に関わる政治文化を否定する考えである以上、現行の政治文化を前提とした、ねじれがおきると不味いという考えをも、あまり考慮しなくていいということで、自分としては矛盾はない。

大分回り道をしたが、本題に入る。菅政権に批判的なところは今でも変らないから、積極的に支持することは考えられないし、何時も通り、持論と違うところは普通に批判するつもりなのだが、少し政権運営に関して意見を言ってもいいかもしれないと最近は思っている(メモには既にその種のことを書いている)(どれほど役に立つかは知らないが)。理由はそもそも政権交代可能なシステムに反対していないからだ。政権運営が下手(としか思えない)な民主党がしっかりしないと、政権交代可能という状態にはならないし、仮に民主党が上手くいかなくても、自民党に対する対抗馬はあっていいと思っている。やはり政権運営のノウハウみたいなものはある程度共通認識があっていいのではないか。憲法改正で多数派形成も視野に入れた意見にしていきたいというのもあるし、ねじれ状態をどう乗り切るかということを(引き続き)真面目に検討していきたいというのもある。

結局のところ、保守で国益を主張したいのだと思う。自分の考えからにはなるが、国益と思ったことは主張し、ならないと思ったら反対しているに過ぎない。

今日は竹島の日

2011-02-22 00:34:06 | 日記
今日は竹島の日。竹島は日本の領土。それに関連して記事を書こうと思っていたが、眠いと頭が働かないので寝る。

ところで、核議論だってタブーでなくなりつつあるのが近頃であるらしい。政策的に必要な議論をタブーにしてはならないだろう。あえて竹島と書くだけでも一種の善行になるかもしれないと思った次第。

それはともかく、これに限らず、書いてない記事が多すぎる。どうにかしなくてはならないのだが。

北方領土問題に関連して新しい一歩を求める

2011-02-13 12:55:47 | 政策関連メモ
遅くなったが、北方領土の日(2月7日)に関連して、自身の見解と問題を整理しておく。

前提となる主張

北方領土は日本の領土であり、ロシアが不法占拠している。

主張の根拠

北方領土は日露和親条約において日露の国境を初めて定めて以来、一貫して(ロシアを含む国際的に認められた)日本の領土であったのであり、サンフランシスコ講和条約(ソ連ロシアとは結んでいないが、日本の基本的な戦後処理条約である)においても、日本は北方領土を放棄していない(北海道の属島であり条約にいう千島列島に含まれない)。ゆえにロシアの主張は認めない。依然日本の領土のままなのであって、ロシアの実効支配は無効である。

返還にむけての戦略

国際司法裁判所への提訴を検討すべきである。それがロシアの不法を訴える日本政府の断固たる意志を示すにはもっとも効果的で明快な方法だろう。第三者の判断に委ねても構わないと決意し自信を示すことなしに、不法の主張をこれ以上国際的に広めることは難しい。軍隊を出して取り戻すという考えには反対する。残るは外交交渉だが、これはエリツィン政権時にチャンスがあったとも言われるものの、プーチン政権以来解決の目処はたっていない。このまま旧来のやり方で交渉しても埒が明かないと考えるのが普通である。

民主党政権の対応

民主党政権の対応が良かったとは思わない。ただ、ロシアが実効支配している以上、実効支配強化策に対応する術は限られている。

中韓むけの投資話

北方領土は日本の領土である。日本を通さない話は認めない。日本の主権を犯すのであれば、それなりの対応を考えなければならない。

平和条約

ソ連は崩壊しいわゆる冷戦は終わった。しかしながら、日本は北朝鮮の無法、中国の強引な進出といった今後の日本を左右する重要な課題に直面している。平和条約を結びロシアと手を打っておくことが大切だ。こういった考えと国際司法裁判所提訴を検討するという考えが矛盾するとは思わない。争いを避けるから平和がなるという考えは日本的に過ぎ、外交交渉においては通用しないだろう。ある程度の争いと綱引きの中で妥協が成立するものと思う。日露関係はそろそろケジメをつけて、次のステージに進むべきだ。

ロシアなんてどうでもいい

2011-02-13 01:00:33 | 政策関連メモ
「最初は威勢いいが…」前原流対露外交、言行不一致に

>北方領土問題の解決に「政治生命をかける」と意気込んで初のロシア訪問に臨んだ前原誠司外相は、「ポスト菅」を印象付ける絶好のチャンスを生かせなかった。前原氏には「最初は威勢がいいが、後が続かない」という評価が定着しつつあるが、今回も言行不一致に終わった。

>強気の発言をするならば貫徹する意志の強さが必要だ。

あえて極論を言えば、ロシアなんてどうでもいい。何かこの記事は前原氏が腰砕けになったことに文句があるようだが、どうしたいのか。強気で叫び続ければ、ロシアが退くと思っているなら、前原氏と大差ないと思うのだが。ロシアの偉い人が北方領土に入ったらどういう報復をするのか具体策を語ってみたらどうなのか。言葉だけは保守メディアも同じであるように見える。自分は反対だが、ロシアと戦争でもするつもりと言うなら、それはそれで一つの見識だとは思う。そんなに偉い人が北方領土に入るのが嫌なら、撃ち落すぐらいのことをしないと阻止するのは難しいのではないか。

ロシア長官「日本強硬なら領土交渉打ち切り」前原氏に警告

勝手に打ち切ればいい。北方領土はロシアの不法占拠下にある。交渉しようが交渉しまいが、返ってこないなら大差ない。

問題は中国に対する腰砕けである。日本が抱える領土紛争の中で、実効支配をしているのは、尖閣だけだ。ここを守ることが何より肝要であることは言うまでも無い。自民党政権の対中弱腰外交のせいで、尖閣は実効支配をしていると言えども、ちょろちょろ中国が侵入してきていることは周知の事実だ。中国の無法の直後という絶好機を逃したのは正直痛いが、今からでも遅くないから、尖閣にさっさと上陸すればいい。

中国反論「日本側に賠償請求の権利ない」 漁船衝突事件

>「日本側は深く反省すべきであり、損害賠償を求める権利はない」との談話を発表した。

中国は自分から思い切りぶつけてきておいて「反省しろ」「賠償求める権利ない」などと平気でぬかしてくる国だ。ぶつけてきた方が反省して賠償するのが普遍的な常識というものである。どれだけ弱腰な菅政権でもせめて厳重抗議ぐらいは出来るだろう。放っておけば、どんどんつけあがって、尖閣を盗られることは容易に想像できる。少しぐらいは逃げ菅じゃないところを見せてみればどうなのか。

タイと日本の相似

2011-02-09 23:04:26 | 政治システム・理論
ブレアビヒアの事件に関して面白い記事があったのでリンク。

タイ・カンボジア紛争 バンコク都民は「交渉」支持、自国政府批判(newsclip.be)

>タイ政府の対応については、「不満」が80・2%に上り、「満足」の19・8%を大きく上回った。

>タイ軍の対応に「満足」は67・5%、「不満」は32・5%だった。

随分政府も嫌われたものだが、軍はまあまあ支持されているらしい。こうした支持を背景にクーデターは行なわれるのだろう。政治が信用されていないようにも見える。

タイ政治は、日本と同じく議院内閣制で二院制である。これは度々指摘してきたが、最悪の組み合わせであると思う。

まず解散があることにより、失敗すれば交代させればいいやという安易な認識が醸成される。政治とは本能として権力を獲りに行くものであり、そのチャンスが何時でも転がっているというのは無用な争いを誘発しやすいと考えられるだろう。権力闘争が過剰になりやすい政治だからこそ、ルールをもって(一定の)休戦期間が必要なのだ(じっくり選挙でリーダーを選んで、一定期間は基本支えるべき)。

また二院制というのがとても気になる。タイの二院制については良く分からないが、恐らく上院(元老院)(日本では参議院にあたる)の権限はそれほど弱くないのではないか。下院で選ばれた首相のもと政府は運営されるが、権力の強い上院があると、政治家の本能として権力を行使し、政府のある種足を引っ張るのは、日本の事例と同じだろう。一般にあまり認識されていないが、大山礼子「日本の国会」(158P~)によると、ねじれていなくても、参議院は自民党政権下において、事前協議制を通じて、自身の意向を政策に反映させてきた(つまりは分りにくい形で権力を行使してきた)のである。青木幹雄氏の権勢は有名だが、参議院の強さがあってこそだったのだろう(敗北=ねじれを機に一線を退いた)。

議院内閣制で二院制と言うとイギリスだが、上院の権限は弱いことに注意する必要がある。連中はやるべきことはやっているのである。どうも貴族院の政治的正当性の低さが上院の弱体化に関係しているらしいが、それはともかく、日本も(恐らくタイも)イギリスのように拒否権を与えず、棚上げする権利だけ与えて名実共に再考の府にするのがいいのではないか。これで政府の安定性は相当違ってくるはずだ。権力が強い反対勢力がいるなか、政治が実績をあげ信頼されるのは難しい。出来ないことをやらせて出来ないと失望してもしょうがないのである。

政治がしっかりすれば、軍への期待も減じるだろう。棚上げで再考をせまるぐらいであれば、上院が全力を出しても健全な批判として機能するとも考えられる。政治家の努力が国益に繋がるのが良いシステムである(今のシステムのままでは参議院が頑張れば頑張るほど政府がグラつき政治の弱体化を誘発しひいては政治の信頼を損ね続けるだろう)。こうした改革は憲法を改正しなければ不可能なのであり、憲法改正こそ日本再生の鍵を握っていると確信している。

争いと道理(ブレアビヒアにおける交戦)

2011-02-05 12:10:39 | 政策関連メモ
カンボジアとタイの衝突のニュース

アジアの外交安全保障に関わるニュースは自分としては関心の高いところ。タイは日本の伝統的な友好国で、タイから見て日本は貿易額、投資額、援助額ともに第一位であり、カンボジアの最大の援助国も日本である。両国が衝突して潰しあうことは日本から見ても望ましいことではない。日本がアジア外交で存在感を出すことで、国益上有利になることもあるだろう。

>タイのガシット外相が4日、カンボジアを訪問してホー・ナムホン副首相兼外相と会談、軍事衝突回避で一致した直後に死傷者を出す交戦が発生したことで、両国関係は一段と悪化する恐れがある。

事件そのものに関しては、衝突回避で一致した以上、カンボジア・タイ政府の少なくともどちらかが嘘をついたか軍を統制しきれていないということであり、事件の全容解明が極めて重要だと指摘できる。当事者同士が衝突の回避の約束を守れないのであれば、第三者にできることはほとんどない。国際社会はまずは約束を守るべきとの前提で互いに一致協力していくことを確認するべきだろう。約束とは守られることが前提である。守る気がないのに約束したのであれば、これは批難されてもしょうがない。あるいは守る気はあったが、軍が勝手にやったならこれはこれで問題だ。政府つまりは国民が軍を統制しなければならない。軍を統制できない政府と話し合ってもあまり意味が無い。

ブレアビヒア問題そのものに関しては、タイには悪いが、自分はカンボジアに同情的である。クメール人の遺跡はクメール人が管理した方がベターだろうという単純な発想からである。もうひとつ見逃せないのは、国際司法裁判所でブレアビヒア寺院に関しカンボジアの主権が認められていることである。タイ側がこれを不服としているが、これは認められない。合意の上で裁判をして結果が出て、これを気に入らないから従わないとしたら、裁判の意味が無いからである。タイは裁判の結果に従うことを前提に裁判を受け入れたのであり、不利な結果を認めたくないなら、裁判を受けないという選択肢しかなかった。結果が出てからではもう遅い。ただ、寺院周辺の土地の帰属は決定していないのだから、そこはタイも交渉の余地がある。まずは、受けた裁判を否定する主張を止めてから交渉するべきだろう。ただ、よく分らないのが、裁判にタイが反対したかのような解説である。

>タイ側は先決的抗弁を提出し、国際司法裁判所に管轄権はないと争ったが、1961年5月26日に国際司法裁判所は自らの管轄権を肯定した。(ウィキペディア2011-02-05 12:10:39「プレア・ビヘア寺院事件」)

しかし、国際司法裁判所は互いに同意しなければ、裁判は開始されないはずだ。

タイ側に同情するべき点は、地形的な問題だろう。地形的には、崖がカンボジア側にあり、ブレアビヒアは国境にあってもタイ側にあると言っていいようである。これはどうもクメール人の王国が強大だった頃につくられたものらしい。しかし、かつての故地は自分のものとの主張がまかり通れば、国際社会は戦乱の泥沼に陥るしかない。コソボ問題がいい例である(伝統を主張するという意味で、セルビアの立場がカンボジアの立場に似ている)。自分は伝統は出来れば重視したい方だが、伝統だけで国際社会が動くと思っているわけでは勿論ない。勝ち残った国が伝統をつくっているというのが国際社会の現実だということを踏まえていかなければならない。

カンボジアもタイ側への理解が必要だろう。

蛇足だが、尖閣諸島の問題にも触れておく。自分は歴史的にも中国の領土になったことはないし、縁も深くないと見切っている(その内また記事にする)が、仮に尖閣が中国領だったと仮定しても、尖閣は中国領では有り得ない。日本の「実効支配」を長く認めたからに他ならない。それが現行の国際的秩序というものである。中国は武力その他の手段で日本から尖閣を盗もうとしているが、強い国が道理を無視して実力で土地を奪うという世界は殺伐としたものになるだろう。昔はそうだったが、大戦の惨禍もあり、今はそうではなくなっている。残念ながら日本に力は無い。これを逆行させないことは、日本の国益であり、国際社会の利益にも合致すると確信している。

交戦のニュースの続報1
交戦のニュースの続報2