観測にまつわる問題

政治ブログ。政策中心。「多重下請」「保険」「相続」「農業」「医者の給与」「解雇規制」「国民年金」を考察する予定。

火薬の発明はチベットにおいてという新説(原料輸出国からの疑義提起)

2018-12-13 05:33:35 | 世界史地理観光
先日の薩摩硫黄島の記事で中国における火薬の発明について考えていたのですが、やはりチベットがどうも怪しいような気がしています。

定説では唐末中国においての発明です(火薬の発明と歴史 【古代中国の錬丹術から】 中国語スクリプト)。

>850年頃に書かれた『真元妙道要路』という本は道教経典の一つですが、その中で「硫黄と鶏冠石(二硫化ヒ素)と硝石・ハチミツを混ぜて、やけどをしただけでなく自分の家まで焼いたものがいる。このようなことは道家の名誉を傷つけるからやめるように」と書かれています。この記述は「火薬の発明は850年頃」説の根拠となっています。

なるほどと思いますが、硫黄の産地がよく分かりません。中国中原には火山がなく、火山国の日本は日宋貿易において10~13世紀に硫黄を輸出していた事実はよく知られるようです(日本史とアジア史の一接点 ――硫黄の国際交易をめぐって―― 山内晋次)。中国東北地方とチベットには火山がある(
中国の火山、多くが休眠状態—中国メディア >中国の火山の分布と活動は、東北地区とチベット高原に集中していた)ようですが、よく硫黄がロクに産出もしないのに火薬を発明したなと思いますよね。基本的にはチベットや東北地方が中国の版図に入るのはずっと後の話です。中国古代に皮膚病の治療に使われていたと言いますが、硫黄泉は皮膚病に効くとも言われ(硫黄泉 (硫化水素泉)生活習慣病・皮膚病の湯 名湯)、それすらもアジアにおいて中国中原で発明発見したんだろうかと疑問に思わないではありません。

>『太平広記』という北宋までの奇談を集めた本に、隋朝の杜春子の話があります。芥川龍之介がこれをもとに『杜子春』を書いています。この杜春子の話の中で、彼がある方術士を訪ねたところ、真夜中に錬丹術用の炉から紫の炎が突き抜け、瞬く間に家が燃えたとあります。紫色の煙は硝石に特徴的な炎色反応ですから、この方術士は硝石を使って仙薬調合の実験をしていたのでしょう。

原典に硝石の話があるか分かりませんが、あるいは隋朝には硝石は見つかっていたのかもしれません。硝石は世界の乾燥地帯(南欧、エジプト、アラビア半島、イラン、インド)で天然に採取されるようですが、中国内陸部もその産地のひとつのだとされるようです。日本を含む湿潤な地域では人工的に生産していたことは知られますが、最初は天然ものを利用したと考えるのが普通だと思います。天然ものを利用している内に偶然人工的に似たものが生成できると恐らく気付いたのでしょう。この中国内陸部乾燥地帯というのも良く分かりませんが、隋代なら西域と関係あるのかもしれません。硝石は乾燥地帯の岩石・土壌の表面から得られるという説もあります(世界全史 「35の鍵」で身につく一生モノの歴史力 宮崎正勝 グーグルブックス)。ただし、四川、山西、山東が代表的な産地という情報(テーマ:鉄砲と塩硝---歴史学から考える知の加工学(レジメ) 服部英雄)もあります。火薬の発明において最も決定的なものは硝石だとされるようですが、恐らく量的な話で(黒色火薬の配合率は硝石75%、硫黄10%、木炭15%。木炭の利用は古くからあったとされ、硝石と硫黄を考えることが重要と思われます)、何故硝石だけを強調するのか疑問なしではないですが、いずれにせよ、火薬の戦争における使用の嚆矢は宋代子窠が考案した火槍だとされます。混乱期の唐末に火薬を発明したとして、宋に使用されるのは大きな疑問はありませんが、仮に早くに開発されていたと仮定すると、爆発物を戦争に何故使わなかったかという疑問が出てきてしまいます。ですから、やはり時期は唐末頃でいいんだろうと思います。だとすると、何故唐末なのでしょうか?唐は基本的にはチベットや東北地方を含まず、唐にあった原料は古の時代からあったような気がします。本当にたまたまの偶然なのでしょうか。

チベットには火山があります(チベット自治区の火山‎ トリップアドバイザー)。唐代で東北地方かチベットかと言われれば、恐らくチベットなのでしょう。チベット最初の統一王朝吐蕃は唐の都長安を占領した歴史もあります。吐蕃は西域の東西通商路の支配権を巡って唐と争うこともありました。ただ仮に隋代に硝石があったとすると(黒色火薬の発明は6~7世紀説もあって、これは硝石のことを指しているのかもしれません)、統一していない頃になりますし、吐蕃と唐は別の国ですし、どういうプロセスで火薬が発明され、唐に伝わった?のだろうということになります。

中国・四川省のチベット僧院で爆発、宗教儀式用の火薬に引火(afpb 2008年7月23日)

記事は四川ですが、どうもチベット文化には宗教儀式用の火薬なるものがあるようです。これは火山があることから考えて納得いく話で、中国中原より早くに火薬を発見していて不思議はありません。チベットの火薬が交流が始まった唐代に伝わったという訳です。原料も硫黄は火山であるでしょうし、硝石もチベットは乾燥地帯です。そうだと仮定すると、時期の謎は解けますし、原料の謎も解けます。日本から輸入したのはチベットを支配していなかったからなのかもしれません。

また、チベットのお守りトクチャに硫黄が含まれるようです(チベットの謎多きお守り『トクチャ』について Beyul >オックスフォード大学の研究結果によれば、ニッケル、亜鉛、鉄、錫、鉛、金、銀、銅、蒼鉛、アンチモン、硫黄などの物質でトクチャが構成されているそうです)。ヒマラヤンブラックソルトは硫黄の臭いがするとも(アジアのごはん(82)ヒマラヤ岩塩の実力 水牛のように 森下ヒバリ)。どうも硫黄とチベットは深い関係があることは間違いないようです。

チベットの宗教と言えばチベット仏教がまず想起されますが、最初の統一王朝吐蕃においてサムイェー寺の宗論で中国仏教とインド仏教の宗教論争があり、インド仏教が勝利し、チベット仏教は基本的には中国を経由してないもうひとつの北伝仏教であり、現存する大乗仏教のもうひとつの潮流であるようです。中国系と並んでインドに直接の源流を持つ北の仏教だという訳です。ただ、インド系の仏教と火薬に直接の関連を見出すことは難しそうです。火薬はインドで発明された訳ではありません。

チベットの宗教と言えば、他にボン教が知られます。チベット仏教以前の土着の宗教で、チベット仏教の古派とは相互に影響も見られるようです。ボン教と硫黄の関係は良く分かりませんが、チベットに住む人々の長い歴史の中で、硫黄との関係が深まり、何らかの知見が蓄積され、利用されていたとしても不思議はないとも思えます。

チベットと言えば、チベット自治区をイメージするかもしれませんが、必ずしもそれだけではありません。ヒマラヤ南麓(例えばブータン)や四川(例えばカンゼ・チベット族自治州)・青海省もチベット系の領域として知られます。火山の分布は良く分かりませんが、民族が同じですし、直接・間接に硫黄が入手できて不思議はありません。少なくとも四川では宗教儀式で火薬の使用があるようです。

ここで気になってくるのが、吐谷渾(とよくこん)です。329年~663年、今でいう青海省一帯のチベット系住民を支配した鮮卑族の国(吐谷渾 世界史の窓)ですが、シルクロードの国際貿易を統制しており、であるがゆえに度々北魏・隋・唐と戦争し、中国南北朝時代から朝貢するなど中国と関係があったようです。結局、吐蕃に滅ぼされたようですが、距離の近さから吐蕃より一段中国と関係が深く、硝石の記述が見られる隋とも関係が深く、シルクロードは完全に乾燥地帯であって、硝石がゴロゴロしてそうなイメージもあります。鮮卑族は中国南北朝時代の北朝で活躍し、隋唐の王家は鮮卑系だという指摘もあります(中国人が鮮卑族に交代したというような話は俗説ですので念のため)。青海ルートは意外に重要だったという指摘もあります(空白のシルクロード:青海の道 貴重書で綴るシルクロード)。ボン教ではなく仏教ではあるようですが。

中国の伝統医学で漢方が古くから存在することは知られますが、インドのアーユルヴェーダも有名です。硫黄はガンタクと言われ利用もあるようです(硫黄:Gandhak アーユルヴェーダとカラリパヤットゥ)。インド錬金術は中国の錬金術(錬丹術)起源だとされますが、ともあれ、錬金術(錬丹術)のようなものが、吐谷渾や吐蕃にあって不思議はないように思えます。

硝石の利用は古くは世界最古の文明シュメール文明においてもあったようです(ハーブの歴史 すっきりハーブ生活 >これらのハーブと硝石を混合したものを軟膏として塗ったり)。シュメール文明はアラビア半島やイランにも近く、やはり天然の硝石がゴロゴロしている地方で利用が始まるのが自然なんだろうと思います。

硝石がゴロゴロしている地方で硝石の利用があって、塩に硫黄分が混ざっているなら、自然に火薬が生成されることは時間の問題のようにも思えます。

筆者の推測(新説)では、中国の錬丹術が火薬を発見したというより、吐谷渾あるいは吐蕃といったチベット文化圏あるいはシルクロードの乾燥地帯で火薬が発明され、それが隋・唐期(中国北朝の可能性も?)に中国に伝わり、宋代に兵器となったということになります。あるいは原料だけ伝わった可能性もあるかもしれませんが、いずれにせよ、チベット文化と深い関連があるのだと考えた方が、発明の時期の問題を解決しやすいことは間違いありません。どうもシルクロードやインド・チベットとの交流、仏教伝来あたりが怪しいという訳で、少なくとも中国錬丹術が発明したというような純中国のイメージは修正を迫られるのかもしれません。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿