知的財産権の財産って何だと思います?普通は著作権料などお金だと思うでしょう。それは勿論正しいです。しかし、今回指摘するのはそこではありません。
一般に財産には繋がり・人脈も含まれるのではないでしょうか?少なくとも日本では、知的財産権の文脈でそこはほとんど意識されないと思います。
参考にしたら、参考にしたことを正直に言うことが大切でしょう。「インスパイアされた」と言えばいい訳です。それが言えないのはインスパイアされたと称して丸パクリする奴がいたり、勝手に名前を使ったと大御所の側がキレ始めたりするからなのかもしれません。必要なのは本当のことを言うことなのであって、丸パクリはインスパイアではありませんし、インスパイアされるのは盗作ではありません。知的刺激を受けて創作するのは通常のことであって(寧ろそれを促すのが良い創作な訳です)、恥ずべきことでは全くありませんし、影響を与えたからお金を請求できるというような性質のものでもありません。巨人の肩の上に立つという言葉は、勿論インスパイアを否定する文脈で言われるのではなく、インスパイアの重要性を指摘する文脈で言われるのだと思います。筆者の見るところ、日本人は盗作の奨励か何かと勘違いしているようにも思えます。自分で努力もせずに他人の意見を収集して自分の意見として発表する、確かにカスの所業です。カスは勿論ゴミ箱に棄てた方が良い。しかしながら、面白い話に刺激を受けて新たなる話を創るのは、寧ろ創作活動そのものなのであって、厳密な線引きは難しいにせよ、それを盗作と混同することが間違いである訳です。また、影響を受けたからどうとか言ってその量は測れませんし、使うな金払えと言って商売できるものではありませんし、影響を与えることを拒否できるものではありません。重ね重ね盗作は勿論駄目ですが、インスパイアは盗作では全くないのであって、インスパイアされたくないなら、アイディアを有している側が発表しないとか、自分が望ましいと思う人にしか伝えないようにするしかありません。メールマガジンでもmixiでも如何様にでもすればいい訳です。一般に公開しておきながら、誰それはOKで誰それは駄目とかいう考え方そのものが、誤りなのであって、それを強く意識している人こそ自分の考えとは真逆にカスそのものだと筆者は思います。
問題なのは人が思いついたことを自分が思いついたように言うことであり、引用・出典等が無くても構わないと思っていることです。引用や出典があることで、これはあれの影響なのだなと一般に分かるようになり、引用元・出典にメリットが出てくる訳です。インスパイアも同じで、それまで知らなかった人にも、こんな凄い人がいるんだと分かってきます。ここのところをキチンとしないと、アイディアマンは報われず、発明家にでもなって特許をとるとか、漫画家になって漫画を描くとか、学者になって論文を書くとか(ゴーストライターとかいるみたいですけど(笑))決まりきった職業にしかなれないということになります。でも、本来そんな狭い枠で考える必要は無く、アイディアというものは何処でも出せる訳ですし、それが良いアイディアであるならば、認めて(←ここが重要です。コッソリ盗むのはカスの所業です)ドンドン使えば、日本の低い生産性もドンドン上がって来るのではないでしょうか?こと日本においてはアイディアマンは認められず、口先だけと勘違いされているような気がします。アイディアを出すことだって立派な仕事であり、勿論使えないアイディアは必要ありませんが、アイディアそのものを否定しているようでは、何の反省も改善もなく、その結果が低生産性ではないだろうかと思いますね。理系はともかく(?)、日本の文系は筆者の見るところ、全く分かっていないような気がしています。認められないことをしようとする人はよほど変わっていますし、そんな人がそうそういるはずも無く、いても使い物にならないとか、自分でやりたいからやってるだけなので、他人の思うがままにならないということになるのではないでしょうか?「言うことを聞かない奴だ」と勘違いする前に、自分の態度を反省すべきだと思います。必要ないなら必要ないで、そんなものに関わっている暇はないはずですし、一々粘着する理由がないはずなんですよね。放置が合理的なはずですし、放置ができないということは何らかの思いがあるということになります。筆者は既読スルーを必ずしも悪いものとは思っていませんし、過剰に配慮する必要は無いと思っています。回答があれば嬉しいは嬉しいでしょうが、相手にも事情があります。そうしたことに耐えられないなら、知り合い同志の狭い世界で満足するしかありません。
自分が好きでない人に参考にされたというのが不快だと思う人がいるのかもしれませんが、どうでしょうか?盗作されている訳でもなし、影響を与える側にマイナスってないはずなんですけどね。まぁ犯罪者の所有物に自分の著作などがあったら、マイナスかもしれませんが、滅多にない事態でしょうし、それはそれで事実でもあります。いずれにせよ、好ましからざる人物と言えども盗作をしていなければ、法によって行動を規制することはできませんし、影響を与えたは与えた側が優位に立っているのが通常ですから、肯定的に捉えておくことが精神衛生上もいいんじゃないかと思います(相手は悪いことをしているのではなく、寧ろ良いことをしているのだと少なくとも筆者は思っています)。時には後進が育つこともあるかもしれませんが、嫉妬は醜いと考えるべきだと思います。まぁ日本はキリスト教(嫉妬は七つの大罪のひとつです)世界じゃありませんし、そこのところがどう考えられているのか今ひとつ分かりませんけれども。横並びを是として突出したものを叩くのを是とする限りは突出したものは生まれないのは確実なはずです。そうした社会を維持するのもひとつの考え方ですが、これからは知的財産権が重要な世界になるかもしれません。SNSのfacebookは世界で5本の指に入る会社ですし、伸び続けるアメリカに対して日本の停滞は否めません。日本社会は曲がり角に来ているような気もしますね。直接お金がとれるような種類のことでなくとも、つながりや影響を正確に明示して、アイディアを膨らませていき(皆が皆ゼロを発見する訳にはいきませんし、完全なオリジナルに見えるようなものでも、何らかのアイディアは元にあるものです。つまりインスパイアは創造の核心のひとつだと思います)、アイディアを当人に還元するような動きが強まれば、日本もポテンシャルはありますから、広くアイディアマンが生まれて力強い発展が再びあるのかもしれません。
オープン・イノベーションという言葉がありますが、筆者の見立てでは成功の鍵は決定的なアイディアを出した個人に何らかの形で利益が還元されるか否かに成功はかかっていると思います。決定的なアイディアを出しても皆の手柄になるなら、決定的なアイディアを出せる人がいるとして、そういう人は独立を目指したりするなどして、まずサボタージュ始めるのではないかと思います。皆が平等にアイディアを出せるユートピアなど存在しないのであって、往々にして能力に決定的な違いがあることがあります。与えるだけ搾取されるだけが分かっていて努力する人がいるとは筆者には信じられません。人間はそんなに馬鹿じゃありません。泥棒とは知的世界においても社会の癌なのであって、能力に応じて取り分の違いがあるのが当然です。筆者は共産主義など笑止で話にもならないと思っています。現実の共産主義も試験秀才優遇でエリート官僚天国でした。ユートピアは地球上何処にも存在せず、これからも生まれることはないと確信しています。ともあれ、オープン・イノベーションにおいても決定的なアイディアを出した個人に何らかの形で還元されれば発展するし、そうでなければそんなものは淘汰されると筆者は考えています。
以下話は逸れますが、共産主義者がファッションでか知りませんが保守を名乗りたがる世の中のようですが、結果の平等がある理想社会を築きたければ、革命でも志すしかありますまい。先人に倣うべきですよね。南米のジャングルにでも逃げ込んで米帝とやらを挑発するのが関の山でしょうが。理想社会を目指す理想主義者が現実を良くする訳では必ずしもありません。往々にして理想主義者が現実をブッ壊し、自分や他人を不幸のどん底に叩き落します。それが明らかになったのが、共産主義の敗北という歴史的事件だったと思いますが、人は自分の考えに固執するものです。誤りを認めないところから言い訳が量産されると思います。間違いを糾そうとしている人間が自分の間違いを認めることって、まずありません。理想主義者ほど(本人が気付かない)言い訳が多くなるような気がします。いずれにせよ、革命を志してきた系譜の人間が保守を名乗る茶番は止めにしてほしいものです。ゾンビが自分が死んでいることに気付いてないようなものなのでしょう。
百田尚樹氏の小説にフォルトゥナの瞳という本があって、先日読み面白いは面白かったのですが、正直決定的に間違っているんじゃないかって気がしますね。ネタバレになりますので、興味がある人はご自身でお読みください。人間の本質・挺身の本質まで考えが及べば、著者冥利に尽きるのかも???ツイッターを見ましたけど、当人は打たれ弱く絶賛を求めているらしいので(創作者によくいるタイプのように思います。漫画家なんかも編集が守らなければ、ネットで自分や作品の悪評を見て心が折れる人もいるとか。筆者など心が折れるなら自分の悪評が書かれているところに行かなければいいし、悪口を聞きたくないと言っている人に悪口を聞かせるようなサイテーの行為(ツイートなどで粘着)をしなければいいと思うんですけどね。チクる奴は本人に配慮して聞かせないようにしているネタ元が悪いのでは1ミリもなく、100%ワザワザ耳に入れに行っているチクり元が悪いのだと筆者は思います。北鮮や某人民の大国では密告が奨励され、ネタ元が罰されるのかもしれませんが、ここは日本です)、そこのところは配慮するべきだと考えていますし、筆者は絶賛できなかったのでリプライは諦めました。
以上です。知的財産権を書くと予告しましたから、米中対決を書くと思ったそこのあなた!・・・申し訳ありません(笑)。書きたいは書きたいですが、知識が足りんのです。良く分からないことに言及している場合じゃありませんしね。予告がネタバレになったら面白くないのでワザとやっていると思ってください。予想される程度のことをワザワザブログ記事にしようとは思っていませんが、成功したでしょうか?(笑)その辺はツイートとは違いますね。まぁ何時も書いている持ちネタが理解されてないと感じる時に書くのはアリだと思っていますが、できるだけ今まで言ってないことを書こうとは思っています。つまらないと思った方も読むのは自由ですが、自分の時間を大切にされることを推奨します。何故か怒りが湧いてきた人は、ほとんど180度真逆に間違っていると思います。こんなことを書く奴が悪いのではなく、そんなものをワザワザ見ている自分が悪いのであり、そんなものに影響される連中が悪いのだと考え、自分の道を邁進してください。ネットでの犯罪推奨を筆者は否定しますが、筆者は犯罪に関わり無く自分の考えを開陳しているだけであり、犯罪を推奨しているのでは全くありません(寧ろどう見ても犯罪を否定する内容になっています)。
※追記:昔は特にそうだったと思いますが、個人主義のイメージが一般的な欧米の方が著書で協力してくれた人の名前を出して謝意を示すことが多いです。集団主義のイメージが強い日本ですが、少なくとも物書きは他人の影響を感じさせずあたかも全て自分で考えたかのような人が多いです。出典・引用も欧米文化ですし、大学は民主主義政府より古いとも言われるようで、日本が単に分かってない、勘違いしているところがあるような気がしています。日本は良い国と思いますが、勿論無謬ではありません。日本が無謬と思い込み夜郎自大になった時が盛大に道を誤る時なのでしょう。
一般に財産には繋がり・人脈も含まれるのではないでしょうか?少なくとも日本では、知的財産権の文脈でそこはほとんど意識されないと思います。
参考にしたら、参考にしたことを正直に言うことが大切でしょう。「インスパイアされた」と言えばいい訳です。それが言えないのはインスパイアされたと称して丸パクリする奴がいたり、勝手に名前を使ったと大御所の側がキレ始めたりするからなのかもしれません。必要なのは本当のことを言うことなのであって、丸パクリはインスパイアではありませんし、インスパイアされるのは盗作ではありません。知的刺激を受けて創作するのは通常のことであって(寧ろそれを促すのが良い創作な訳です)、恥ずべきことでは全くありませんし、影響を与えたからお金を請求できるというような性質のものでもありません。巨人の肩の上に立つという言葉は、勿論インスパイアを否定する文脈で言われるのではなく、インスパイアの重要性を指摘する文脈で言われるのだと思います。筆者の見るところ、日本人は盗作の奨励か何かと勘違いしているようにも思えます。自分で努力もせずに他人の意見を収集して自分の意見として発表する、確かにカスの所業です。カスは勿論ゴミ箱に棄てた方が良い。しかしながら、面白い話に刺激を受けて新たなる話を創るのは、寧ろ創作活動そのものなのであって、厳密な線引きは難しいにせよ、それを盗作と混同することが間違いである訳です。また、影響を受けたからどうとか言ってその量は測れませんし、使うな金払えと言って商売できるものではありませんし、影響を与えることを拒否できるものではありません。重ね重ね盗作は勿論駄目ですが、インスパイアは盗作では全くないのであって、インスパイアされたくないなら、アイディアを有している側が発表しないとか、自分が望ましいと思う人にしか伝えないようにするしかありません。メールマガジンでもmixiでも如何様にでもすればいい訳です。一般に公開しておきながら、誰それはOKで誰それは駄目とかいう考え方そのものが、誤りなのであって、それを強く意識している人こそ自分の考えとは真逆にカスそのものだと筆者は思います。
問題なのは人が思いついたことを自分が思いついたように言うことであり、引用・出典等が無くても構わないと思っていることです。引用や出典があることで、これはあれの影響なのだなと一般に分かるようになり、引用元・出典にメリットが出てくる訳です。インスパイアも同じで、それまで知らなかった人にも、こんな凄い人がいるんだと分かってきます。ここのところをキチンとしないと、アイディアマンは報われず、発明家にでもなって特許をとるとか、漫画家になって漫画を描くとか、学者になって論文を書くとか(ゴーストライターとかいるみたいですけど(笑))決まりきった職業にしかなれないということになります。でも、本来そんな狭い枠で考える必要は無く、アイディアというものは何処でも出せる訳ですし、それが良いアイディアであるならば、認めて(←ここが重要です。コッソリ盗むのはカスの所業です)ドンドン使えば、日本の低い生産性もドンドン上がって来るのではないでしょうか?こと日本においてはアイディアマンは認められず、口先だけと勘違いされているような気がします。アイディアを出すことだって立派な仕事であり、勿論使えないアイディアは必要ありませんが、アイディアそのものを否定しているようでは、何の反省も改善もなく、その結果が低生産性ではないだろうかと思いますね。理系はともかく(?)、日本の文系は筆者の見るところ、全く分かっていないような気がしています。認められないことをしようとする人はよほど変わっていますし、そんな人がそうそういるはずも無く、いても使い物にならないとか、自分でやりたいからやってるだけなので、他人の思うがままにならないということになるのではないでしょうか?「言うことを聞かない奴だ」と勘違いする前に、自分の態度を反省すべきだと思います。必要ないなら必要ないで、そんなものに関わっている暇はないはずですし、一々粘着する理由がないはずなんですよね。放置が合理的なはずですし、放置ができないということは何らかの思いがあるということになります。筆者は既読スルーを必ずしも悪いものとは思っていませんし、過剰に配慮する必要は無いと思っています。回答があれば嬉しいは嬉しいでしょうが、相手にも事情があります。そうしたことに耐えられないなら、知り合い同志の狭い世界で満足するしかありません。
自分が好きでない人に参考にされたというのが不快だと思う人がいるのかもしれませんが、どうでしょうか?盗作されている訳でもなし、影響を与える側にマイナスってないはずなんですけどね。まぁ犯罪者の所有物に自分の著作などがあったら、マイナスかもしれませんが、滅多にない事態でしょうし、それはそれで事実でもあります。いずれにせよ、好ましからざる人物と言えども盗作をしていなければ、法によって行動を規制することはできませんし、影響を与えたは与えた側が優位に立っているのが通常ですから、肯定的に捉えておくことが精神衛生上もいいんじゃないかと思います(相手は悪いことをしているのではなく、寧ろ良いことをしているのだと少なくとも筆者は思っています)。時には後進が育つこともあるかもしれませんが、嫉妬は醜いと考えるべきだと思います。まぁ日本はキリスト教(嫉妬は七つの大罪のひとつです)世界じゃありませんし、そこのところがどう考えられているのか今ひとつ分かりませんけれども。横並びを是として突出したものを叩くのを是とする限りは突出したものは生まれないのは確実なはずです。そうした社会を維持するのもひとつの考え方ですが、これからは知的財産権が重要な世界になるかもしれません。SNSのfacebookは世界で5本の指に入る会社ですし、伸び続けるアメリカに対して日本の停滞は否めません。日本社会は曲がり角に来ているような気もしますね。直接お金がとれるような種類のことでなくとも、つながりや影響を正確に明示して、アイディアを膨らませていき(皆が皆ゼロを発見する訳にはいきませんし、完全なオリジナルに見えるようなものでも、何らかのアイディアは元にあるものです。つまりインスパイアは創造の核心のひとつだと思います)、アイディアを当人に還元するような動きが強まれば、日本もポテンシャルはありますから、広くアイディアマンが生まれて力強い発展が再びあるのかもしれません。
オープン・イノベーションという言葉がありますが、筆者の見立てでは成功の鍵は決定的なアイディアを出した個人に何らかの形で利益が還元されるか否かに成功はかかっていると思います。決定的なアイディアを出しても皆の手柄になるなら、決定的なアイディアを出せる人がいるとして、そういう人は独立を目指したりするなどして、まずサボタージュ始めるのではないかと思います。皆が平等にアイディアを出せるユートピアなど存在しないのであって、往々にして能力に決定的な違いがあることがあります。与えるだけ搾取されるだけが分かっていて努力する人がいるとは筆者には信じられません。人間はそんなに馬鹿じゃありません。泥棒とは知的世界においても社会の癌なのであって、能力に応じて取り分の違いがあるのが当然です。筆者は共産主義など笑止で話にもならないと思っています。現実の共産主義も試験秀才優遇でエリート官僚天国でした。ユートピアは地球上何処にも存在せず、これからも生まれることはないと確信しています。ともあれ、オープン・イノベーションにおいても決定的なアイディアを出した個人に何らかの形で還元されれば発展するし、そうでなければそんなものは淘汰されると筆者は考えています。
以下話は逸れますが、共産主義者がファッションでか知りませんが保守を名乗りたがる世の中のようですが、結果の平等がある理想社会を築きたければ、革命でも志すしかありますまい。先人に倣うべきですよね。南米のジャングルにでも逃げ込んで米帝とやらを挑発するのが関の山でしょうが。理想社会を目指す理想主義者が現実を良くする訳では必ずしもありません。往々にして理想主義者が現実をブッ壊し、自分や他人を不幸のどん底に叩き落します。それが明らかになったのが、共産主義の敗北という歴史的事件だったと思いますが、人は自分の考えに固執するものです。誤りを認めないところから言い訳が量産されると思います。間違いを糾そうとしている人間が自分の間違いを認めることって、まずありません。理想主義者ほど(本人が気付かない)言い訳が多くなるような気がします。いずれにせよ、革命を志してきた系譜の人間が保守を名乗る茶番は止めにしてほしいものです。ゾンビが自分が死んでいることに気付いてないようなものなのでしょう。
百田尚樹氏の小説にフォルトゥナの瞳という本があって、先日読み面白いは面白かったのですが、正直決定的に間違っているんじゃないかって気がしますね。ネタバレになりますので、興味がある人はご自身でお読みください。人間の本質・挺身の本質まで考えが及べば、著者冥利に尽きるのかも???ツイッターを見ましたけど、当人は打たれ弱く絶賛を求めているらしいので(創作者によくいるタイプのように思います。漫画家なんかも編集が守らなければ、ネットで自分や作品の悪評を見て心が折れる人もいるとか。筆者など心が折れるなら自分の悪評が書かれているところに行かなければいいし、悪口を聞きたくないと言っている人に悪口を聞かせるようなサイテーの行為(ツイートなどで粘着)をしなければいいと思うんですけどね。チクる奴は本人に配慮して聞かせないようにしているネタ元が悪いのでは1ミリもなく、100%ワザワザ耳に入れに行っているチクり元が悪いのだと筆者は思います。北鮮や某人民の大国では密告が奨励され、ネタ元が罰されるのかもしれませんが、ここは日本です)、そこのところは配慮するべきだと考えていますし、筆者は絶賛できなかったのでリプライは諦めました。
以上です。知的財産権を書くと予告しましたから、米中対決を書くと思ったそこのあなた!・・・申し訳ありません(笑)。書きたいは書きたいですが、知識が足りんのです。良く分からないことに言及している場合じゃありませんしね。予告がネタバレになったら面白くないのでワザとやっていると思ってください。予想される程度のことをワザワザブログ記事にしようとは思っていませんが、成功したでしょうか?(笑)その辺はツイートとは違いますね。まぁ何時も書いている持ちネタが理解されてないと感じる時に書くのはアリだと思っていますが、できるだけ今まで言ってないことを書こうとは思っています。つまらないと思った方も読むのは自由ですが、自分の時間を大切にされることを推奨します。何故か怒りが湧いてきた人は、ほとんど180度真逆に間違っていると思います。こんなことを書く奴が悪いのではなく、そんなものをワザワザ見ている自分が悪いのであり、そんなものに影響される連中が悪いのだと考え、自分の道を邁進してください。ネットでの犯罪推奨を筆者は否定しますが、筆者は犯罪に関わり無く自分の考えを開陳しているだけであり、犯罪を推奨しているのでは全くありません(寧ろどう見ても犯罪を否定する内容になっています)。
※追記:昔は特にそうだったと思いますが、個人主義のイメージが一般的な欧米の方が著書で協力してくれた人の名前を出して謝意を示すことが多いです。集団主義のイメージが強い日本ですが、少なくとも物書きは他人の影響を感じさせずあたかも全て自分で考えたかのような人が多いです。出典・引用も欧米文化ですし、大学は民主主義政府より古いとも言われるようで、日本が単に分かってない、勘違いしているところがあるような気がしています。日本は良い国と思いますが、勿論無謬ではありません。日本が無謬と思い込み夜郎自大になった時が盛大に道を誤る時なのでしょう。