今、国会で審議の準備がされている憲法改正4案で断トツで国民に関心が無いのが合区解消案らしい。
1番注目があるのが9条、2番目が緊急事態条項(防災)、3番目が教育で、合区解消案は案も出てないプライバシーや環境といった論点より関心がないようです。野党が徹底反対・実力行使して憲法改正の議論を妨げている今、憲法改正の議論を妨げている案は実は1番興味を持たれてない合区解消案なのかもしれません。国民的議論は野党の徹底反対を吹き飛ばす有力な力となりますが、無関心は議論の盛り上がりを目指す立場からは最大の敵と言えます。憲法を左翼野党反対利権から国民の手に取り戻さなければなりません。
合区解消案に筆者は賛成ではあるのですが、確かに今のままでは物足りないとは思っていました。その物足りなさは首都圏・大都市圏の動向と合区解消案が必ずしもひとつの方向性に向かっていないことから来るものだと思います。合区委解消案はそれ自体正しいと思いますが、一極集中の傾向に対するアンチテーゼに過ぎず、首都圏・大都市圏の問題を解決する性質を持っていません。これでは有権者の大部分を占める首都圏・大都市圏の支持を得られず、従って議論を盛り上げる力を持たないのは当然のこととせざるを得ません。
そういう訳でここでは大都市圏の問題を正面から考えることから、地方自治を見直してみることにします。ただし道州制案を採りません。現在の都道府県制度前提による改革・改善を目指すことが、これまでの日本のノウハウ・あり方を活かす保守的な改革・改善なのだと思います。
議論を進める前に、まず現在の地方の状況をそのまま見ることから始めます。一極集中は既に指摘されつくした論点ですから、ここではその陰に隠れてあまり言われない元気がある大都市の実態を見ることにします。基準は国民の支持の表れとも言える人口増加率です。
増えているのは,選ばれているから。- 人口増加数・増加率、若者(10代・20代)の割合 -(福岡市)
川崎が神戸を抜く 政令市人口6位に(産経ニュース 2019.5.15)で川崎市に勢いがあることが分かりました。それで調べて出てきたのが上記の福岡市のデータです。人口増加率(政令市)ランキングで川崎市は1位の福岡市(5.12%)からは離れるものの、3.49%で2位のようです。首都圏が成長する中、東京都と横浜市の中間という位置にポテンシャルがあるってことでしょうか。さいたま市も僅差で4位(3.40%)だそうです。こちらは副都心へのアクセスがあると見ます。人口増加数で見ないのは流れを見るのに妥当なのは数ではなく率だからです(川が急こう配か見るのに角度ではなく水量を見る人はいません)。
僅差の3位(3.46%)の仙台は東北の中心。少し離れての5位に札幌(2.03%)。政令市平均が1.10%です。断トツの1位が福岡で「道州制レベル」で中心地に人が集中する傾向が明らかにあると思います。また、首都圏を一体としてみると一極集中の傾向が強いと指摘されてきています。
結局、放っておいても人口が増える地域ってあると思うんですよね(福岡市長は良い市長だと思っており支持しています)。一極集中が東京の首長が優れていたのが原因でしょうか?同じ土俵で公平公正な要件で比べる努力から、優れたアイディアが生まれ、活気ある日本が実現し、地方の再生が進むと思っています。つまり様態に大きな差がある地方自治体を適切にカテゴライズした上で横の比較をせねばなりません。そう考えると既存の都道府県のシステムを活かした改革・改善でいいのではないかということになります。そもそも都と県を一緒に扱っても仕方が無いというのはありますが、日本には府や道といった言わば謎システムが長く存在しており、これが活きていないようです。憲法改正の同志である某ローカル国政保守政党は俺達の自治体(府)を都にする等と息巻く始末です(意味が分かりませんが、皆の反対の力でその案は何とか倒されました。ただ性懲りもなく、またぞろ首長選挙戦の勝利に乗って新しい案を出してくるようです)。しかし目のつけどころは悪くないというか、確かに府といったところで大きな意味がある訳ではありません。
まず注目すべきは福岡市・仙台市です。ここが一番勢いがあるからです。両者の成長の核心のひとつに、中央から離れて「道州レベル」の地方の中心地であり、対抗馬が無いということにあるのでしょう。つまり支店経済です。モータリゼーションの現在において既存の都府県というのは、効率性の観点から少し小さいんですね。極端なのが合区の当事者鳥取県で機能的に通勤通学圏で市町村を再編すると、ここは3市でまとまってしまいます(ですから、賛否はともかく合区案なんてどうでもいいよってなってしまうところがあるんだろうと思います。何か頑張ってないところに飴を与えるような感じの話に見えなくもありません)。だからと言って道州制という訳にもいきません。福岡や仙台はまだ隔絶しているにせよ、対抗馬とそれほど差がない「道州」は幾らもありますし、福岡・仙台にしたって、熊本や鹿児島、福島や青森がウンという訳ではありません。県庁がある市はそれだけで有利なのですが、東京都を見ても分かるように政庁があるから強いなんて話は誰も感心しませんし、揉め事の種でしかありません。支店経済が強いのは事実ですが、それを称揚する政策は有り得ない訳です。
ですが確かに成長しており、その成長があまり知られていない現実もあります。その成長を議論の土俵にあげてもいいのではないでしょうか?福岡市が競争すべきは仙台市であり、あるいは名古屋市・札幌市なんだろうと思います。あるいは京都市もそうかもしれません。政令都市の内、大都市の衛星都市の性格がないというのが、まず一つ目の基準です。
2つ目の基準としてはやや曖昧にはなりますが、県のレベルを突破する規模感です。福岡市や仙台市が成長するのは福岡県や宮城県のレベルを超えて周辺の県民を吸引するパワーが強いからです(大会社が九州支店や東北支店を福岡市や仙台市だけに置いたりするのでしょう)。つまり例えば新潟市は確かに政令市で大都市の一角ではありますが、北陸で金沢市との争いや中部をどう分けるか東北に入るのかといった非生産的な話題を避けるのが妥当と考えます。政令市の枠組みはさておき、地方自治の議論が停滞する現状、必要なのは新しい話題です。静岡市も名古屋と首都圏の中間になってしまいますし、熊本市も政令市だから福岡市に対抗できているという訳ではありません。広島市も中国地方第一の都市ではありますが、山口は九州を向き、岡山は近畿を見て山陰は独自の道を歩もうとしている傾向が否めません。対岸だから何となく分かりますが、第2位の岡山市なんか特に少しでも広島に集中させるというような話を全く理解しないような気がします。四国も愛媛は広島を向き、香川は岡山を向き、徳島は関西を向いて、高知は海を向いていると言われてきました(高知・徳島の合区なんて百害あって一利なしと言わざるを得ません)。
ではどうするか。象徴的に福岡県を府に昇格させてみてはどうでしょうか?九州府がいいと思いますが、福岡府でもいいかもしれません(その場合は博多市にすることも一考に値します)。福岡都市圏は佐賀県の一部から人を吸引しますし、四大都市圏の一角で、何と言っても一番勢いのある地方都市です(アジアに近い優位性もあるかもしれません)。福岡県はもうひとつの政令都市北九州市を抱える県であり、他の九州諸県と全くの同列で考えると間違う特殊な県になります。北九州はあまり言われませんが、弥生文化を通じて大和以前の日本発祥の地だとも言えます。博多は宋銭の輸入と使用を通じて日本経済を発展させるきっかけとなった地方であり(貨幣なき経済発展はありません。石高制でも江戸時代は物々交換経済ではありません。皇朝十二銭は都周辺の使用に止まり律令制と同じく自然消滅に近い形で消えました。中世日本は貨幣を鋳造せず輸入に頼りましたが、博多での使用がきっかけのようです。中世を博多がつくったと言えるのかもしれません)、鹿児島県は明治維新の原動力であり、日本本土の最南端として独自の文化を有します。日本の対外玄関口としてアジアに開く位置という特性もあります。また東北と並んで日本有数の火山を擁する火の国でもあります。
宮城県も東北府。仙台市は他県の都市を通勤・通学圏に持ちませんが、事実東北の中心地としての勢いがあって、山形県の県都山形市から買い物客を集め、経済的には山形市と一体的な商圏が形成されつつあると言います。東北地方は広くかつ一定の一体性があって、一県で取り扱えない問題をまとめて取り扱う場所があってもいいんでしょう。例えばインバウンドなんかは県の枠組みだけだと無駄が多く失敗の可能性が高いと思われます(東北の一県で国際社会を引っ張るのような話が進むと思えませんし、出来たとしても無駄の多いものになりそうです)。大きく分けて太平洋側と日本海側に分かれますが、仙台市が山形市から人を集め、秋田新幹線が岩手から分岐するようにその差は決定的なものではなく、しかしながら本州の東北隅にあって北に北海道、南に首都圏、南西に新潟県に面する(山形県だけでなく福島県も面します)地勢を共有し、一緒にすればいいかというと、北東北と南東北の違いや玄関口の福島県もありますから、単に現状追認で仙台市の断トツの勢いを認めるのが良いと考えます。
愛知県が東海府。名古屋市は四大都市圏の一角で岐阜県南部・三重県北部から人を吸引します。JR東海(本社名古屋市)はリニアで日本の話題をリードする存在です。東海地方は伊勢湾を抱えます。三重県伊勢地方は文化的・歴史的に関西との繋がりが深いのですが、経済的・地勢的には東海地方の枠組みを考えておく必要性があると考えられます。熊野地方への入り口が東海地方にあれば、首都圏の方を向くことが出来ますし、中部国際空港を視野に入れることも出来ます。勿論伊勢地方は日本文化において重要な地方であり、伊賀地方は経済的に関西との繋がりが深く(かつ甲賀を通じて滋賀県との関係も重要ですし、安濃津の絡みもあって、京都や滋賀も視野に入れることが重要です)、今の枠組み(三重県)を崩す必要があると思いません。日本第一とも言える工業地帯を擁し(工業は日本の主力産業です)、広く南海トラフ地震を考えるべき第一の地方でもあります。
京都府は京都府しか思いつきませんが、滋賀から人を吸引していますし(県庁所在地の大津市が京都市の通勤通学圏です)、日本の断トツ第2位の大阪都市圏から十分距離があって、県の規模を突破する規模感はあるものとします。大阪に比べれば随分小さいでしょうが、1000年の都で日本を代表する都市であり、オーバーツーリズムの最先端を走る観光都市でもあります。類似に奈良盆地北部の県都奈良市があってその文化遺産は日本有数のポテンシャルはあるものの、奈良県は概ね大阪都市圏の範囲内で奈良盆地南部こそ大和朝廷(皇室)の発祥の地であり、前方後円墳という観光資産は大阪とのシナジーが高く、奈良を通り抜けて三重県伊賀地方まで大阪都市圏の側面があって、大きな独立性がありません。あるいは日本の山間部を考えるのにもっとも適していると言えるかもしれません。山陰地方と言えば中国地方ですが、京都市はその都市圏に本来の意味での山陰地方を擁します。明智光秀での注目も出てくると思いますが、応仁の乱を引くまでもなく、1000年の都に隣接する山陰地方東部は京都の影響が大きく、見過ごされがちな山間部に目を配るのに適しているところがあると考えられます。京都市自体北部の山間部(鞍馬など)に主要な観光資源を擁し、盆地に位置する唯一の大都市とも言えます。滋賀県の県都大津市が京都市都市圏に入りますが、日本一の湖の琵琶湖のポテンシャルを発揮するのにもう一押し欲しい感じもあります。淀川なんかも日本としては結構大きい川ですが、見逃されがちな内水面を考えるのも重要かもしれません。
府に独自の権利が必要かは分かりませんが、こうして並べると県の枠組みを超えて話し合ってもいいよというお墨付きが象徴的にあって良さそうな気もします。完全な横並びを是とすると、暗黙の了解で無駄な縄張り争いがあるような気もするんですよね。省庁の縄張り争いは激しいと言いますが、過剰に縄張りを尊重すると、九州や東北といった資産が活かされないとも考えられます。また似た枠組みを並べることで比べる相手・相談相手が出来る効果も小さくなさそうです。福岡市も東京23区と同列で考えられませんが、例えば松山市なんかと同列で考えられる訳でもありませんし、広島市とも必ずしも同列ではないんじゃないでしょうか。同列で扱って発展性がありそうなのは、第一に名古屋市だと思いますが(中部国際空港と福岡空港の対比など)、地方の拠点で勢いがあるという意味で仙台市との比較も面白く、大宰府を擁し京都のオーバーツーリズムの視点が活きるかもしれませんし、弥生文化の中心地として京都と似たような切り口を導入する考え方もありそうです。
これが成立すると、逆に福岡市に吸引される佐賀県鳥栖市と名古屋市に吸引される三重県桑名市のような対比の可能性も出てきます。同じ条件で比べることで違いが分かって、アイディアが生まれ健全な競争が促されるところがあるように思います。通勤通学圏か否かの違いはありますが、大津市と山形市なんかも似た悩みがありそうです。現代において全部に目を配れる万能のスーパーマン等存在しないのであって(官僚制で全てを差配出来ると思った共産主義は滅び、地方野放しで言うこと聞かないとかいう中国がやたら勢いがあります(中国の「上に政策あり、下に対策あり」)、地方の自律的な発展を促す制度が望まれていると思います。道州制の考え方が言われる所以ですが、地方ごとの経済力に差が有り過ぎる日本で一括で地方分権革命を起こすことは自殺行為のように思え(稼ぐところが使えば地方は滅び、地方に分配が過ぎれば稼ぎ頭が滅び、均等に分配すれば時間と共に勢いの差で時代にあわなくなり、それが調整されることが分かっていれば誰も努力しないという問題があります)、時代の変化にあわせ名目的に現状追認をするのが妥当なラインで益多くして害少なしなのではないかと考えます。
これは憲法改正と同じ考え方です。憲法改正をしなくても出来るじゃないかとワーワー喚く反対派がいますが、無理な憲法解釈で現状の変化に対応することが憲法を国民の手から遠ざけ、必要な改革を阻んでいるところがあると思います。典型例が外交安全保障・防災で、自衛隊は違憲の疑いがあると言われ平和ボケと揶揄され、ゆっくりした改革で時代に乗り遅れ慌てて某国や某国の無法に対応し、1000年に一度の震災に上手く対応できなかったきらいがありますが、名目的でも憲法について話し合う過程で理解が深まり、必要な改革が出来る効果は小さくないと筆者は考えます。教育もそうですが、この際地方政治も俎上に載せるべきではないでしょうか?
ここで府から離れて北海道に関して言えば、既に「道州制」を実現しているという特徴があります。分県議論のようなものもあるかもしれませんが、筆者はそのような革命に現状で賛成するつもりはありません。十勝県や旭川県や函館県の代表がそんなに必要でしょうか?北海道内でどのような改革をするべきかという議論は有り得るでしょうが、北海道は北海道ブランドで勝負すべきと考えます。札幌は成長していますが、仙台に比べて勢いがないようです。今はJR北海道の問題や北海道電力の問題(ブラックアウトしてしまいました)、アイヌ新法、インバウンドの拡大、農業における黒船(TPP)襲来という問題があって、最後のは安倍政権が自分でやった「問題」ではありますが、新しい話をする時期ではないと筆者は考えます。まあ札幌市擁する北海道が府になるのもひとつの考え方かもしれませんが、北海府ではブランド破壊で有り得ませんし、北海道府は屋上屋を架すところがあってシックリきません。
北海道とよく対比される沖縄に関して言えば、沖縄県のままでいいとは思いますが、独自の立場をアピールしたければ、沖縄道に改称する可能性は考えられても良さそうです(ブランド名を変えるする訳ではなく、違和感はその内消えるでしょう)。北海道と沖縄は独自の文化を有するところがあって、何処まで行っても日本の範囲から外れていた歴史は消せませんし(最初の日本の範囲は歴史の観点から本四九でしかありません。歴史を教えない選択肢もありませんが、歴史を教えると現状で北海道史と沖縄史は上手くいかないところがあります。沖縄は独自の王国という資産があり、近代まで日本史の舞台に外部としてしか登場しません。北海道も久しく蝦夷・アイヌの土地で日本史に近代まで外部としてしか登場しません。東北がギリギリですが、東北は奥羽として日本史内部ですし、独自の王国もなく(平泉政権はありますが、琉球王国と比較になりません)、アイヌ語地名北東北に残存していても、その文化を推進する主体が津北に残存している訳ではありません)、逆に独自性を活かさなければ、その存在する意味が半減します。日本の一部であることは全く変わりませんが(外交安全保障で独自性なんてものは存在しませんが)、その違い・独自の価値を認めて、新しい切り口を日本に加えることに主眼があります。伊予だの筑紫だの言ったところで、沖縄・北海道は?ってなってしまいますし、その辺に配慮して言わないも逆にこちらが迷惑なところがあります。明治政府は廃藩置県を行いましたが、令制国名を外したのは、沖縄と北海道に配慮してのことでしょう。しかし追い付け追い越せの明治時代と違って、今の日本は独自の歴史や価値を活かさねばならないところがあると考えます。日本書紀とか正史とか言ったところで北海道・沖縄は出てきませんが、勿論これは日本をやる意志なのであって、嫌がらせでは全くありません。今のままで何も変えない考え方=保守というのは、革命派から見た保守派であって、その実態ではありません。いずれにせよ、筆者はその土地・その土地で自分の土地を勉強して自分で自律的に発展させるが地方政治の本旨だろうと考えます。従って外交安全保障を地方が独自の視点で考え、独立を目指すのような考え方を容認しませんが、沖縄は琉球王国の歴史を日本に統合される前の前史としてやっていい・やった方が面白いというのが筆者の考え方です。スコットランドやウェールズ・北アイルランドのようにしないのは(自治権を考えないのは)、明治に統合して久しいこと、そもそも民族が同じであること(アングロサクソンとケルトも遡れば一緒でしょうが、時間的近さが異なると考えます)、某国が伸長する今、独立問題を抱えることは害多く益少なしであることです。具体的には日本語沖縄方言を活かすこと、琉球神道と日本の古神道の相似を考えること、日本の歴史と沖縄の歴史の連動性を重視すること、日本人の南下の潮流を抑えること、台湾の歴史を正確に知ること、中継貿易を肯定的に捉えないこと(それを目指して独立したところで、楽市楽座を言ってスルーするだけです。関所は経済発展の邪魔が学ぶべき歴史観・経済観です。琉球貿易の繁栄は海禁政策・鎖国政策の徒花でしかありません)、非武装を肯定的に捉えないこと(琉球士族は武装していました。かつては奄美に侵攻し日本を撃退したことがあったようです。大小を差し誇り高い琉球士族は日本の侍そのものであり、東南アジアで南蛮人に記録されています。薩摩に敗れたのは戦国日本が火縄銃を大量に持ち武装の差・練度の差があったからに過ぎません。自衛隊無き安全保障政策は存在せず、非武装平和という視点は日本の外交安全保障に必要ありません)、朝貢貿易に関連して某国を上位におかないこと(名目上とは言え、確実に上位においていました。知識として教えるのは構いませんが、同時に国と国の関係は対等であるべきなのであって、否定的に捉えられなければなりません)、本土復帰を肯定的に捉えること(外交安全保障上の理由・歴史的理由で独立を容認しません)、「琉球処分」を肯定的に捉えること(琉球という価値は日本国の範囲内で生きます。それが無ければ、日本国の一部になりません)、薩摩の侵攻を全否定しないこと(ここで日本の一部になった訳ではありませんが、前史あっての日本への統合です。現実的に奄美が難しい立場になります)が考えられます。その実現の方法は独自の教材を作成して、日本政府の監督の下、承認を得ることが考えられます。「反乱軍」に利益を与える訳にはいきませんが(独立されたら大体投資がパーになる上(日本は沖縄に資本を投下しているのであって、収奪している訳ではありません)、日本の外交安全保障政策に困難をもたらすことになります(ですから現在重点的に沖縄をやらなければならないという話です)、その独自性を十分活かして益々の発展を実現してもらうことが重要だと考えます。
中四国や北陸・甲信に関して言えば、既存の県の枠組みで良いと考えます。隔絶した県もないのに無理に主導的地位を認めることは百害あって一理無しでしょう。
例えば四国は四国新幹線の話がありますが、瀬戸大橋を通す話ばかりで、紀淡海峡ルートが同時に俎上に上がりません。瀬戸大橋ルートでは徳島県が玄関口ではなく香川の次になってしまいますし、今注目のインバウンド獲得も関西空港活用の道が開けず、四国八十八箇所巡礼も高野山や熊野古道との連携が生まれません。あるいは先の豊予海峡ルートの夢にも繋がりません。勿論コスト面の問題はありはしますが、紀淡海峡ルートはこじんまりした瀬戸大橋ルートに比べて爆発力があると思いますし、四国四県平等にメリットがある話だと思います。四国四県は愛媛が広島を向き、香川が岡山を向き、徳島が兵庫・大阪を向き、高知が海を向くと言われます。四国の象徴とも言える四国八十八箇所も阿波(徳島)に始まり、土佐(高知)、伊予(愛媛)、讃岐(香川)と回ることに大きな意味があって、何処か一箇所が差配するというような話ではありません。両案を広く俎上に乗せた上で四県の総意で最終案が決定されるべきではないでしょうか。
こうしたことが起こるのは某市に官公庁の四国支所が集中するからかもしれません。本来特に差は無かったのですが、官公庁が集中するとそれが理由で結構大きな差がつくことは、日本史・地理が分かっていれば体感できている話です。別に支所を寄越せとまで言いませんが、そういうものの取り合いが効果あるだけに無用な争いになってしまう訳です(ですが勝手な話はもの申さざるを得ません)。道州制で県庁まで動かすのような話は勿論論外で他県の壊滅的打撃は目に見えています。どうしてもと言うなら、四国の真ん中に置くのが四県平等の理念に合致します。
中国地方も同じで広島は確かに中国地方最大の都市ですが、岡山も負けてはおらず、備後(広島県東部)は吉備じゃないの?という思いもあるかもしれません。山口は九州を向き、長州・周防という独自の歴史的資産もあります。山陰に至っては新幹線のシの字もなく、出雲は独自の歴史を有します。対岸の愛媛県民だから何となく分かるのかもしれませんが、まず広島万歳のような話にならない気がします。これに対して福岡はあまりにも突出していますし、現状を追認して活性化してもいいんじゃないのという話です。
北陸も同じで甲信も同じでしょう。それぞれ突出せず、平等にどこ向きという話もありません。中部を活かす枠組みというのも無いでしょう。
最後に大阪府と東京都ですが、四大都市とはいいますが、大阪都市圏は世界最大の東京都市圏に次いで突出した規模を有します。東京と切磋琢磨し比較になるのは大阪しかないんですよね。川崎が成長しているという話もじゃあ尼崎や西宮はどうなの?という話になりますし(同じく成長していればそれぞれ参考になりますし、事情が違えば何故違うのかという問いになります)、神戸と横浜は良く似ており、規模感は違うにせよ内陸部で奈良と埼玉、海繋がり・国際空港繋がりで和歌山と千葉という比較もできるかもしれません。政令市でなければ川口市も川崎市と比較になりますが、船橋市はバスケットで勢いがあるチームを有しているようです。一極集中と言えば、東京大したものと思うかもしれませんが、(左翼)首長とかトップ当選(外国系)国会議員の活躍のおかげと思えません。どう考えても首都があるおかげです。首都を動かすような話に賛成ではありませんが、大阪と切磋琢磨して国からは出てこない巨大都市圏なりの政策があっていいような気がします。何時も何だか後手後手ではないでしょうか。関西空港のインバウンドの活躍に対してそんな感じ無しとも言えません。
大阪は上方文化という独自の文化も有します。マスコミは東京都に集中しますが、保守系産経新聞を排出し、保守系テレビ番組を全国に提供して独自の日本のための(国政の)視点を提供しているのは大阪だけではないでしょうか?
自民党は大阪維新に先の選挙で敗北しましたが、大阪都という大きい構想に対して反対という立場で小さくまとまったことが敗因だったのかもしれません。結果的に過小評価になったという訳です。堺市の選挙で敗北したものの、維新は結局政策的には後退しています。大阪市の話は大阪市でやればいいのであって、府市あわせとかいう話は何処に行ったのでしょうか?これに対し、巨大な大阪市をそのまま認めて東京と切磋琢磨してもらうという話はありそうです。首都機能を移転する訳にもいきませんが(首都直下地震を想定して、国政の停滞を防ぐため一時的な避難は考えられてもいいのかもしれません)、そこさえ大丈夫なら府からの昇格も無い話ではないのかもしれません。これは単に東京に比肩し得る規模を活かしてもらうという話です。
自民党の合区解消案が、自分のための改正のように言われますが、筆者は違うと思っています。高知・徳島・島根・鳥取は令制国を経て多少の合従連衡はあっても、千数百年続いてきた枠組みだということを忘れてはなりません。その歴史と文化は認められるべきであり、現代において多少の手直しはあっても守られるべきだと考えます。地元の声をすくいあげて国政に繋ぐのも国会議員の仕事です。これに対して東京を代表する議員というのが5人でも6人でも大して違いはありません(そもそも大選挙区制ですから、どれだけ東京を向いているかも分かりません)。高知・徳島・島根・鳥取から一人取り上げてまで、数を増やさなければならないのでしょうか?
勿論国会議員の仕事は国政の仕事が本来です。しかし国会議員が国政の仕事を何処まで本気でやっているでしょうか?というのも外交安全保障が国会議員の主要な仕事のひとつですが、自衛隊の地位を認めないとか、立法府の議員であるにも関わらず憲法について話し合わないなんて立場が罷り通っています。言い訳は誰それちゃんがーレベルです。小学生でしょうか?感情論の政治とおさらばして本来的な仕事に取り組んでもらう必要があると思います。大選挙区ほど組織票有利になります。筆者は利益団体が政治に参加するのも透明性があれば反対ではありませんし、それなりに意味があると考えますが、左翼の組織票で憲法について話し合うことを実力で阻止するのような連中が通ってしまうことを残念に思っています。大都市とは結構左翼が強いものです。それに対して自民党はいろいろあったにせよ憲法改正でまとまっているようです。政治は結果を出さねばなりませんが、実現のプロセスも見る必要があります。国会議員が仕事をする(憲法について話し合う)のを妨げているのは(地方で強い)自民党でしょうか?(大都市で戦える)左翼野党でしょうか?案に反対の立場はあろうかと思います。しかし議論はされなければなりません。そして最終的に国民の判断の手に委ねばなりません。このプロセスに反対する国会議員は確実にひとつの大きな仕事をさぼってます。その仕事は支持者のためではあっても、国民のためでは有り得ません。
憲法改正しなくて出来るじゃんみたいなことも言われます。しかしそれは無理な解釈を強いるのと同義です。憲法を時代の変化を見ながら国民の分かりやすい文章に手直して、憲法を反対利権の手から国民に取り戻さねばなりません。憲法とはそもそも理念規定です。国民の指針として分かり易い内容であり、議論のベースになることが求められます。解釈すれば出来るのような言い草を認める必要はありません。
合区解消案で具体案を出すならこうです。今現在、憲法には地方公共団体の具体案は明記されていません。これに今回都道府県を明記すると共に都道府県間の移動を認めます。市が政令指定都市に昇格するようにです。これは時代の移り変わりに沿うものですし、現状が追認される可能性が出てくることで各自治体の励みになるものであり、実態に即した名前に変更することで、公平な条件での比較を促し自律的な成長に繋げて、国民の自治体に対する理解を深めるものです。これは憲法改正の趣旨に沿うものです。大阪においては都構想の実現をある意味認める形になるかもしれませんが、先の選挙で自民党は惨敗してしまいましたし、これも一つの国民の声なのかもしれません。外交安全保障はそもそも地方政治の論点に成りえないものですが、地方自治に関する声はシッカリ受け止めるべきものなのでしょう。都道府県の明記案になっていないのは、道州制に対する配慮があるとも言われますが、道州制なんてものは現状で出来ませんし、やるなら憲法改正マターです。つまり明記したところで現状は何も変わりませんし、都構想が実現するなら、面子に配慮して十分お釣りが来ると言わざるを得ません。
地方の県は地方の県と比較しながら切磋琢磨するべきでしょう。一極集中と言えど、地方の県が東京と戦うというような話では全くありません。東京と高めあう役は大阪がやればいい。同じ悩みを持つもの同士で相談しあえば、具体的で役に立つアイディアも生まれ、協力して声を上げればいいアイディアを拒否する政権があろうはずもありません。県知事会が今ひとつ存在感が薄いのは、何でも一緒くたにしてアイディアを出すのがどっちかつかずになるからなのかもしれません。
ともあれ9条について議論することで安全保障について理解が深まり、緊急事態条項について防災について理解が深まり、教育充実で教育について理解が深まるように、合区解消案も地方自治について理解が深まる契機になれば良いと考えます。それが国民の声となり、誰それとは議論をしない等という有り得ない立場を吹き飛ばし(言い訳に決まっています。誰それを交代させても反対する新しい理由を考えるに決まってます)、憲法を国民の手に取り戻すことになると考えます。