観測にまつわる問題

政治ブログ。政策中心。「保険」「相続」「医者の給与」「国民年金」を考察する予定。

オホーツク文化の拡散を可能にした技術とは

2019-03-25 00:06:16 | 日本史
北海道の北東岸にあるサロマ湖(中央下)近くまで南下してきた流氷 地球観測衛星テラのMODIS衛星画像。2009年2月20日撮影。NASA(パブリックドメイン)

蝦夷(エゾ/アイヌ)は日本海側の唐子と太平洋岸の日ノ本、渡島半島の渡党に分けられ(諏訪大明神絵詞)、蝦夷地は本州から2ルートで海上交易の道があったと考えられています。そしてその2ルートのちょうど裏側の隔絶した流氷ルートがオホーツク地方ですが、かつてオホーツク文化人が到来した中心地で、北海道の中でも独特の地位を占めることはあまり知られていないかもしれません。オホーツク文化人は南は奥尻島(青苗砂丘遺跡 文化遺産オンライン)まで到達した痕跡が確認され、日本書紀にいう粛慎(みしはせ、あしはせ)とも言われます。

オホーツク文化を概観するのに、北と南の文化が出会う—オホーツク文化・擦文文化(北海道歴史・文化ポータルサイトAKARENGA)を参照しましたが、オホーツク文化人は大陸の影響を受けた樺太系の独自勢力(現在のニヴフとも)だと分かります(縄文文化は少なくとも後のアイヌと日本の2系統あります)。そしてオホーツク文化がオホーツク地方沿岸中心に広がった理由ですが、筆者はどうも在来の(続)縄文人に対して冬期の流氷を利用する技術を持ったことで優位に立って海沿いに広がったのではないかという気がします(この時、北海道縄文人は同時に内陸部にいたようです)。日本列島東北以北の歴史は基本的には南が北に広がる歴史であり、その逆の北から南へと広がる文化の流れは何か特別な要因があったはずです。

その特別な要因のひとつに氷下漁労が考えられるかもしれません。気候変動条件下における氷下漁の環境文化論的研究(科学研究費助成事業)参照ですが、現在氷下漁労はオホーツク海沿岸に広がるようで、これはオホーツク文化以来の伝統だとも考えられます。凍る湖と凍らない湖(道総研)を参照すると、北海道の湖はそのほとんどが氷結します。しかしながら氷結した湖の氷に乗るのは一般に危険ですし、それを可能にするにはノウハウや技術が必要であったと考えられ、それを持っていたのがオホーツク文化人という推定です。

もうひとつオホーツク文化は海獣の利用が特徴ですが、流氷の上を歩く危険に関わらず、冬期は狩りが行われなかったと考える必要は恐らくありません。オホーツク文化は断絶していますから直感的に分かり難くなっているものの、例えばイヌイットは流氷の上でアザラシを待つ漁をしたり、イッカクを狩る伝統的な漁があったりするようです。ですからオホーツク文化人が流氷上で漁をする技術を持っていたとして不思議はないと思います(流氷は移動するものではあるようですが)。

流氷には植物プランクトンが付着しており、ここから始まる食物連鎖が海を豊かにしており、独特の生態系があります。流氷はアムール川起源で、オホーツク文化はトビニタイ文化を経て擦文文化に吸収されたとも言います。その技術は「アイヌ」に吸収された後も生きているものもあったでしょうし、有名なアイヌ文化「熊送り」(イヨマンテ)もオホーツク文化人由来だという説もあるようです。

余談ですが、ウィキペディア「流氷」参照で、キタキツネが流れてくることもあるようです。アザラシと違って、これはさすがに事故のようですが(流氷の上で漂流する狐、漁師によって救出される イミシン)、そういうことに注目してみるのも面白いのかもしれません。

ちなみにオホーツク文化から外れますが、当地の旧石器時代の白滝遺跡群(遠軽町白滝)(遠軽町埋蔵文化財センター | 国指定重要文化財「白滝遺跡群出土品」紹介)は日本最大規模の遺跡であり、黒曜石を使用して作る細石刃剥離技術「湧別技法」の由来としても評価があるようです。

最後にオホーツクの春夏秋冬を簡単に。最初に春ですが、日本で一番遅い春を迎えるオホーツク地方はフラワーランドとして人気が高まっているとのこと(オホーツク・花の魅力)。北海道の代表的な魚ニシンは春告魚(ハルツゲウオ)とも呼ばれ、かつては鰊御殿が建つほどでした。

ついで夏ですが、日本の最北ですし避暑地として楽しめると思います(アクティビティにカヌーがありますが、豆知識としてアイヌの伝統的カヌーはチプと言い河川用で、山丹交易用のイタオマチプ(板のある船)は板という用語から日本の技術に由来するようです(参考:イタオマチプの新資料発見 新あすくのシーカヤック風呂具))。

秋の北海道の川と言えば鮭ですが、オホーツク地方も例外ではありません。アイヌと鮭は切っても切り離せない関係にあります(鮭の民 サーモンミュージアム)。アイヌにとって川は鮭の供給源であると共に交通路でもあり、その集落の多くは川岸や河口に位置していたようです。

冬と言えば何といっても流氷ですが、必ず見れるというものではないことに注意しなければならないようです(流氷Q&A―見頃はいつ? どこへ行けばいい? 流氷初日って何? 北海道ファンマガジン)。流氷観光船があるのは紋別と網走。タラの旬が冬で北海道での漁獲が多いようです。

日本政治で今保守派が為すべきこととは

2019-03-22 22:56:57 | 日記
元々保守派というのは革命勢力が現れてから成立するものですが(元々いるのですからそれを表す言葉は必要ない訳です)、無論それは革命勢力が主で保守勢力が従ということを意味しません。要は革命勢力が現れて、元々の勢力が保守を自覚するという形になります。結局、既存勢力が保守派ですが、何をもって既存勢力認定するかと言えば、日本においては敗戦で特に政治はそれまでの歴史が一度「断絶」していますから(皇室によって継承される流れがあるのも確かです)、戦後の既存勢力が戦後の歴史において保守勢力ということになります。すなわち普通に考えて自民党が保守政党そのものだと言えます。

それを踏まえて近年これまでの既存勢力(自民党)を否定する新勢力(革新勢力)が現れました。労働組合の支持を受け左派の影響が強い民主党です(民主党勢力は事実憲法改正に反対するなど日本の左派的な政策をとってきています)。民主党政権は三年の「実験」に終わりましたが、民主党自ら看板ロンダリングするなど定着しなかったようにも見え、結局自民党は保守を自覚しなかったようにも見えます。何時か強い革新勢力が現れた時、自民党は保守勢力を自覚するのかもしれませんが、そうはならなかったので(政権交代可能な勢力は定着しなかったと考えられ)、保守政党というほどのものは今はないと見ていいのかもしれません。まぁ共産党が保守的という意味が無い言説が流布する世の中ですし(共産党が何時日本の既存勢力になったというのでしょう?日本の何を保ち何を守るというのでしょう?)、あの政党が保守、この政党が保守じゃないというあまり意味が無い言説が流布するのもむべなるかなですね。元より保守とは何も変えないことを意味しないのですが。

勿論自民党より右派的な革新勢力が現れ、それを保守と呼ぶことも出来ます。保守革命という訳ですが、日本政治(国政)においてそれが成功した例は全くありません。社会党以来、日本の既存体制を実効的に脅かしてきたのは左派政党でした。

日本にリベラルが存在しないという言説が見受けられますが、確かに左派は存在してもリベラルというべき政党は存在しないのかもしれません。これは自民党が共産党と組むなど保守政党としての自覚が無い事実と符合します。

自民党がリベラルとか安倍総理がリベラルという言説も存在しますが、自由党と民主党の合同=保守合同は1955年の遠い昔であり、自民党はjiminというひとつのジャンルなのであって、自由党と民主党の寄せ集めでは全くありません。自由党じゃないんですから、リベラル政党でも全くありません(自由党が左派政党というのもそもそも議論の余地が多いにあって、日本の自由党は基本的にはそもそも右派政党であり、一般的にリベラルとは左派を意味します)。

一般的に戦後は左派系・革新的と呼ばれてきた朝日新聞は戦前は右派だったとされます。これが敗戦で入れ替わったようですが、戦後既に時が流れて久しく、これを再び元に戻すというのもすなわち革命的なんだろうと思います。まぁ本人達が自分の立場をどう名乗るのも自由ではありますが、元々革新勢力を自認しながら、都合よく保守に看板を書き換えるのは情けない限りだと思っていますし、無理なんじゃない?という気もするのですが。大体が民主党は安全保障(自衛隊)や治安(テロ等準備罪)に関して議論するのを否定してきた歴史があります。

保守派で時折反韓・滅韓的な見方をされる方もいらっしゃいますが、反韓は天邪鬼で韓国が主で日本が従になってしまってますし(~(個人や団体)に反対する立場というのは主体性・自分がなく、本体さえ見ていれば、(個別の議論に関するもの以外)反対派の言説をまともに取り合う必要はありません)、滅韓は過激に過ぎる右派的な見方と言えるでしょう。政治を考える上で大事なのは何をどう考えるかだと思いますが、無党派や支持政党なしが多い現状ですから、大事なことがおなざりになっているような気もしますが、反~的な立場が広がりやすいのもしょうがないのかもしれません(しつこいようですが、本体だけでいいじゃんみたいな)。

さてでは日本において保守派を自認される方は何もすることがないのかと言えば、そうではないと筆者は思います。55年体制(ウィキペディア)は、「自由民主党から日本社会党への政権交代が実現できない一方、保守政党は国会で憲法改正のための3分の2以上の議席を確保できなかったことから、政権交代と憲法改正のない体制とされる」ようですが、ようやくここに来て保守政党に憲法改正のチャンスが出てきたようです。保守系団体は憲法改正に賛成するのが通常ですし、これは普通の見方だと考えられます。55年体制は民主党による政権交代で一度崩れたと言えるのかもしれませんが、結局民主党が普通に社会党のポジションではないでしょうか?現に立憲民主党は憲法改正を阻止する勢力として一生懸命働いているようです。古今東西社会党が保守だと聞いたことがありません。共産党が保守と言われるのは共産主義国なのであって、日本は共産主義国家ではありません(やはり共産党が保守的という見方に大きな意味はないと考えます)(考えてみれば反共というのも共産党視点の見方のようで、普通に考えると共産党が既存勢力に反対しているんですよね)。

そういう訳で今の日本政治で保守派の大きな仕事があるとすれば憲法改正しかないような気はしています。あるいは国体護持で何もしなければ危ない皇室の存続のために働くか、あるいは日本防衛で何もしなければ危ない国防の政策を進めるか(近年アメリカに対抗しようというモンスターが近隣で台頭していますが、日本は少子高齢化で活力を失ったと言われる危機的な状況にあります)ですが、災害に関しては重要ですが青天井で投資できる状況にありませんし、治安は基本的に落ち着いている上、治安至上で経済を犠牲にする考え方は国防を危うくするという関係にあると考えています。経済はリベラルが得意という見方もありますが、経済力を背景にしない国防は成立せず、日本に神学論争で政策を進めない余裕があるとは思えません。

以上ですが、要は自民党がすなわち政治における保守勢力だし、新興の保守勢力が自民党を倒した歴史はないよねという確認です。異論はあるでしょうが、もうあまり相手にせず放置した方がいいのかもしれないと考え始めています(長年の持論ですし、長年の持論が失敗した覚えもありませんが、ここで自分の考え方を説明し、まとめておこうと思った次第です)。

安定的な皇位継承の議論に関連して、旧宮家を皇族に列する考察と女系継承に関する考察

2019-03-22 18:18:50 | 皇室・日本文化
安倍首相、旧宮家の皇籍復帰に言及=安定的な皇位継承めぐり(時事 2019年03月20日)

>安倍晋三首相は20日の参院財政金融委員会で、安定的な皇位継承を実現する方策について「旧宮家の皇籍復帰も含めたさまざまな議論があることは承知している」
>「国民のコンセンサスを得ることも必要だ」と述べ、他の選択肢も含めて慎重に検討を進める考えを示した。
>「皇籍を離脱した方々は、今は民間人としての生活を営んでいる。私自身がGHQの決定を覆すことは全く考えていない」
>政府は5月1日の皇太子さまの新天皇即位後、間を置かずに皇位継承に関する議論を始める方針を示している。

現在皇室は、新しく何かをしなければ、断絶の危険性が非常に大きくある状況だと言えます(何も変えなければ「保守」できないのは明らかですから、何も変えない=保守という論理は元より破綻していると言えます。元々conservativeは保守的な・伝統的な・控えめなといった意味ですが、日本語では的が抜けがちで漢字の字義通りに一切変えないを保守だと誤解する方々が結構いらっしゃる状況です)。

一切変えずに皇室を護持するために、GHQの指示無効論を考える方もいらっしゃるかもしれませんが、少なくとも安倍総理は明快にそのような論理を考えていないようです。また、仮にGHQの指示が無効と仮定しても、旧宮家の今の世代(次代に繋がる子育てが終わってない現役世代)は既に生まれた時から皇籍はなく、復帰は原理的に出来ず、新たに皇族に列するしかないと考えられます(臣籍の身分として生まれた唯一の天皇が醍醐天皇ですが、父の皇籍復帰と即位(宇多天皇)に伴い、皇族に列することになりました)。復帰が出来るのは生まれた時に皇籍があった方だけは明らかでしょう。仮に無効論で旧皇族(=旧宮家ではない)を皇族に復帰させたとしても、皇族として生まれなかった宮家の方は一種の「無戸籍」状態だと言えます。旧宮家の「復帰」を考えるのは既に時遅しで、完全にタイムアウトになっていると思います。結局、「旧宮家の皇籍復帰」という言い方は皇籍を持ったことのない旧宮家の方が皇籍に復帰できると誤解を生じさせる言い方で、要は嘘ですし、既に皇位継承問題に関連して実質的な意味がない言い方なんですよね。未だマスコミにおいてもいろいろと誤解がある報道が行われているようであり、一般的にもそういう言説が普通ですが、筆者は残念な話と思っています。旧宮家に関連して皇室の存続を考えている方々の意を汲むなら、「旧宮家を皇族に復帰させる・列する」というような言い方でなくてはならないはずです。旧皇族に皇籍を持ったことがない旧宮家の方々は含まれないのも無論のことです。

無効論そのものに関して言えば、日本はアメリカに負けたのであって、じゃあアメリカの指示でやったことは無効かと言えば、筆者はそれもそうではないと思います(1947年(昭和22年)10月13日の皇室会議の議により、皇室と秩父・高松・三笠の直宮家を除く傍系11宮家が皇籍を離脱したのが、昭和22年10月14日の皇籍離脱です)。日本国憲法もこれと似た状況で、アメリカは原案を出したり指示をしたりしているかもしれませんが、あくまで日本がやったという手続きはしており、少なくとも憲法に関して言えば実質的な議論もしていると考えられ、無効だと判断する要素は筆者はないと思っています。戦争に負けてやらされたことは無効だという論法を許すなら、戦争をしていませんが日本の韓国統治は無効だという暴論も真面目に取り合わなければなくなります。

いずれにせよ、現在の皇室典範を含む法律では旧皇族の方の皇籍を復帰させることも、旧宮家の方を皇族に列することも出来ません。憲法改正は必要ありませんが、その意味で(法的には)女系天皇論と全く同格であるということにも注意するべきでしょう。つまり法改正せねば皇室の存続が危機的であるという意味において、法的に旧宮家を皇族に列することによる方法と女系による方法は全く同格であると言え、ゆえに保守的か保守的でないかという意味でどちらも法的には全く同じですし、旧宮家を皇族に列したい人は、それを素直に目指すか、(旧皇族の皇籍復帰という)「嘘をつく」しか(嘘をついているあるいは誤解しているあるいは一般的な言い方に合わせていると見られるしか)ありません。

旧宮家を皇族に列することを考えますと、通常これは男系による皇位継承の歴史を守ることを意味します。すなわち仮に皇統が新たに皇族に列した方に移る場合、その時点で皇統は北朝第3代天皇(1348年~1351年)まで遡ることになります。その頃には少なくとも2050年は余裕で過ぎているでしょうから、800年以上遡った世界に類を見ない超超超超超傍系継承だと言えます。また、現在では北朝の天皇は公式に代の内に含まれていません。現在の天皇は北朝の系統なんですが、1911年(明治44年)、南北朝正閏論を収拾するため、明治天皇の勅裁により南朝が正統とされたことにより(それまでは北朝の天皇を正式な天皇として数えていたはずです)、そうなったようです。ともあれ、正式な数え方で代を遡るならば、皇統が新たに皇族に列した方に移る場合、第93代後伏見天皇(1288年~1336年)まで遡ることになります。30代以上前の代まで遡らないと正式な天皇に行き着かない訳ですから、やはり空前絶後の超傍系継承と言えます。旧皇族の方というのは全て北朝の崇光天皇の第一皇子栄仁親王を初代とする伏見宮家の出で、現在の皇室も伏見宮家から出ていますが、血統で繋がる共通の皇族は伏見宮貞成親王(1372年~1456年)になります。少なくとも皇室の男系継承の歴史を守るという発想では、空前絶後の超傍系継承を避けられないということがお分かりいただけたでしょうか?これは皇室典範第9条を改正して養子という手法を用いても同じです(皇室の家系図は血統原理によるのであって、養子で書き換えられたりはしません)(現在の皇室は伏見宮家から出た閑院宮家の系統でもありますが、閑院宮家の直系は断絶後に伏見宮家の載仁親王が継いでおり、現在の皇室と旧皇族11宮家の最後の共通の男系祖先は第3代伏見宮貞成親王で間違いないようです)。

これを踏まえた上で女系による継承を仮に認めると(認めない場合は男系原理ですから100%の純度、1ミリの曇りもなく、少なくとも前述の伏見宮貞成親王まで遡ります)、東久邇宮稔彦王第一男子の盛厚王(1917年~1969年)が昭和天皇第一皇女照宮成子内親王と結婚しており、ご夫妻の子孫(盛厚王は再婚しており二子あります)がもっとも血統的に近い旧宮家になるようです(ただし盛厚王は皇族でしたが東久邇宮家を継承する前に皇籍離脱となったようです)。また、明治天皇の皇女である4人の内親王が、竹田宮、北白川宮、朝香宮、東久邇宮の各家に嫁いでおり、女系継承を認めるのであれば、明治天皇に遡る旧宮家の方は他にもいらっしゃるようです。結局、女系継承を認めると全ての旧宮家は霊元天皇(1654年~1732年)の第五皇女である福子内親王には繋がるようではあります。

現在の皇位継承の危機を考える際、男系原理の歴史に拘るか女系を容認するかは大きなポイントで、女系を認めない場合は空前絶後の超傍系継承に必ずなるということを確認しましたが、女系を認める場合は旧宮家に現在の皇室とそう遠くない方もいることも確認できました。ただ、女系を認めるのであれば、現在の皇室にもより相応しい適格者がいるという話は避けられません。旧宮家による皇位継承を考えている方は女系を認めるのか認めないのかここのところをシッカリ踏まえておく必要があります(筆者は旧宮家を皇族に列するのであれば、女系を容認した上で、明治天皇以来に限った方が良いと考えます。また旧皇族の皇籍復帰は次代に継承されないこと確実ですから、二次的な問題に止まると考えます。更には皇族がそのまま民間の仕事をすることも視野に入れた方がいいかもしれませんし、数が増えすぎた場合の臣籍降下のルールも考えておくべきです)。

さて、ここで女系による王位継承の例を海外で考えると、西欧では女系継承はとくに珍しくはないようです。現在のイギリス王室はドイツ人の子孫という言い方がネット上で散見されますが、これはよく考えてみれば(当人の名乗り・考え方・歴史を否定しているのですから)極めて失礼な話で、イギリス王室の初代はウィリアム1世 (イングランド王)(1027年~1087年)とされます。ウィリアム一世はノルマン人の支配するノルマンディー地方の君主であるノルマンディー公ロベール1世の庶子として、フランスのファレーズで生まれ、ノルマンディー公を継承した後、イングランドを征服し(ノルマン・コンクエスト)、ノルマン朝を開いて現在のイギリス王室の開祖となりました。ハノーヴァー朝の開祖ジョージ1世は神聖ローマ帝国のハノーファーのドイツ貴族の家系に生まれていますが、その母ゾフィー・フォン・デア・プファルツ、その母エリザベス・ステュアートを通じてジェームズ1世 (イングランド王)に連なり、王位継承しています。現在のイギリス王はエリザベス2世ですが、女系継承で次代はチャールズ王太子(皇太子)になります。アジアは中国が男系原理の宗族制度で男系継承が基調ですが、世界の王家(少なくとも西欧の王家)は必ずしもそうではないということになります。

女系を容認すると王朝交代と言われかねないという指摘もあって、そういう議論は尊重されるべきですが、~朝という言い方は日本においても天武朝・天智朝という言い方もありますし、継体朝は事実上の王朝交代という言い方もあることなども留意されるべきだと思います(数代遡る程度の傍系継承は日本においてもそれほど珍しい訳ではありません)。

神武天皇以来の男系原理を守ることも大切ですが(筆者は悠仁親王(ひさひとしんのう)の系統が続くに越したことはないと思っていますが)、女系継承の考え方を排除すると、伏見宮貞成親王まで遡ることは必ず意識されねばなりません。それが男系原理を貫くということです。これは明治時代に皇室典範をつくる時にも当然意識され、伊藤博文は女系継承を認める考えだったようですが、井上馨に反対され男系継承に限ることにしたようです皇室典範 国史大辞典 ジャパンナレッジ 吉川弘文館)。

元より皇祖神天照大御神は女性で、伊勢神宮外宮の豊受大神も女神です。現在の皇室が神話に連なることが意識されるならば(皇位継承に必要な三種の神器も神話に由来します)、そもそも女系は排除してはなりません。歴史は重要ですが、ある意味恐ろしいもので、学問的考察の対象になってしまいます(怨霊の話が正史に載っているからと言って、それがそのまま事実と考えて良いでしょうか?)(神武天皇とは最初の正史日本書紀記載の初代天皇で、突き詰めて考えると歴史上の天皇ということになり、神武天皇は男神として生まれてはいますが、神話を重視するということは神武天皇を重視することを意味しません)。他に資料もあるじゃないか、その読みはどうなのか、考古学の資料との矛盾は?という訳です。歴史が歴史である以上、歴史学の通常の手法の洗礼から逃れることは出来ません。皇室の権威は歴史の長さもありますが、日本創生の神話まで連なるところに大きく依拠します。神話をアウトにしてしまうと、例えば出雲神話も意味がなくなってしまいます。神話を重視すると、女系を全否定していいのかということにならざるを得ません。

日本は庶民文化では歴史的に女系継承・養子継承もありました。古代日本の妻問婚も母系社会でよく見られる風習で、古代日本に女性天皇の歴史もあって、神功皇后の活躍もありましたし、飯豊青皇女も飯豊天皇とも呼ばれます。明治以来、女性天皇の可能性を封じたことに理はあったでしょうが、女系天皇を認めることにより歴史的に重要な役割を果たした女性天皇の可能性を残すという選択肢もあったはずですし、実際あったのですが、その道は選ばれなかったということになります。

さて、皇位継承の順位の決め方ですが、筆者は必ずしも機械的に決めなくてもいいのではないかと考えています。例えば長子継承と決めてしまうと、長子が公務に耐えられない可能性(具体例はあえて書きませんが、いろいろ想定できるはずです)も排除できません。摂政で対応できるかもしれませんが、素直に考えれば、機械的な皇位継承を否定して、適格者を選ぶという形にすればいい訳です。勿論皇位を人為的に選ぶというシステムは争いを生む原因にもなりかねないので、否定されることも多いのですが、元々歴史的には機械的に選んではいないのですから、ここでキチンと検討しておく必要はあると思います。

それはともかく、そういった議論をする人に筆者は皇族を含めるべきではないかとも考えています。憲法上、天皇は国事行為を行い国政に関する権能を有しないとされますが、権能とは「その事柄をすることが認められている資格。権利を主張・行使し得る能力」のことで、意見を言うことまで封じられているとは思えません。決定権がなければ構わない訳で、皇室の意見を聞かずに皇位継承の話を決めてしまうということこそ、不届き千万だと筆者は考えます。何処の国民が自分の家のことを何ひとつ意見も聞かれずに決められてしまうことを認めるでしょうか?無論憲法を尊重し擁護する必要があるにせよです。また国事行為を行う規定があるのは天皇であって(日本の象徴であるのは天皇であって)、従って天皇以外の皇族は比較すれば自由だとも考えられます(少なくとも天皇陛下その人よりは自由があるはずです)。現皇太子殿下は女系天皇との絡みで関与するのは問題もあるかもしれませんが、今上陛下が上皇陛下になった後に議論に参加することさえ、筆者は認められて妥当だと考えています。皇室が皇室のことを考えなくて誰が考えるというのでしょうか?権限がないのはいいとして、意見も聞かないというのは現代的でも歴史的でもなく論外だと筆者は考えますし、憲法的にも問題がないと思います。

そして結局決定するのは代議制の日本において、国民が選んだ政治家ということになります。コンセンサスを得るのに無論議論は否定されてはなりません(何故か憲法改正の議論自体を否定したり、条件をつけたりする意味不明の「護憲」勢力がいますが、そういった方々が論外であるのと同様、議論を否定して皇位継承の問題を決めてしまうことは出来ないと考えます)。

憲法9条改正(2項削除の思考実験・9条解釈の明記)

2019-03-17 21:52:46 | 外交安全保障
前回記事「憲法改正(9条改正と自衛の定義)」でいろいろ考えたのですが、安全保障論を考えれれば考えるほど面倒くさいな!と思うようになりました。これまでの考察を元にいっそのこと2項削除を真剣に考えてみたらどうなるのか。

第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

要は戦力不保持と交戦権の否定に政策的な拒否感がある人が多いのでしょう。あまり否定論がない1項は自衛を旨とする自衛隊の肯定と見ます。そう考えると交戦権の否定はついでに過ぎず(自衛はできます。自衛隊が明記されたら交戦権の否定はなお関係ありません)、問題の核心は戦力不保持と書いているから、持てない装備があるということに尽きるのかもしれません。

前回調べで持てない装備とは「大陸間弾道ミサイル(ICBM)、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母」です。特に引っかかるのは攻撃型空母でヘリ空母一択に軍事的合理性があるのかということになります。長距離戦略爆撃機も何で駄目なんだという感じもあります。破壊力がある戦力こそ抑止力があるとも考えられます。まぁNBCといった大量破壊兵器に手を出すのは国際社会で生きられなくなりそうですから、逆効果ですが。ICBMは大量破壊兵器とセットでしょうから、日本がやる意味はないと思いますが、大量破壊兵器をやらないなら、可能性があっても(どうせやらないから)問題はないのかもしれません。・・・どうなんでしょうね。これらの兵器の必要性ってどの程度でしょうか。まぁこれぐらいなら自衛隊明記でいいような気もしますが。

本当のところもっと安全保障論で気になっていることがあって、ニュークリアシェアリングの可能性です。これは完全に自衛の問題です。要は攻撃されたら効率よくミサイル攻撃してしまう訳です。ポイントは核武装国にはならないということだと思います。だとしたら現行憲法でニュークリアシェアリングによる核武装は可能だと考えざるを得ません。戦力と思うかもしれませんが、ニュークリアシェアリングによる核は保持してないってことになるんじゃないでしょうか。誰が保持しているかと言えばアメリカとか。ニュークリアシェアリングで核を保持していると認定されるならば、ドイツは核武装国だったということになります(ですからニュークリアシェアリングを核武装の文脈で語ることが誤りです)。核実験もしてないのに。ただ単に借りていただけという理論構成のような気がします。まぁ2項がない方がつっこまれにくいかもしれませんが、核武装じゃないんだから戦力な訳ありません。

もう一つ以前実は気になっていたのが集団安全保障です。日本がNATOに誘われている感じになっていますが、集団安全保障に参加できないので選択肢が狭まっている感じです。集団安全保障は別に悪いものではないので、これを取っ払っておくに越したことはありません。まぁ大西洋の戦争に日本が参加するというような話は現実的ではありませんが、アジアの防衛で集団安全保障の選択肢がないのは気にならないではありません。別にアメリカがやると思うかもしれませんが、アメリカがアジアでやったら日本も結局巻き込まれるので一緒のような気もするんですよね。なら一緒にやった方が安全性が高まるというか。日本は元々南シナ海で訓練している国でアジアの海を守るのは規定路線のような気もします。アメリカの同盟国は東南アジアに今は存在しないようですが、可能性を確保するに越したことはありません。検討した上で外交安全保障上の理由で要らないのであれば、まぁそれでいいと思いますが、憲法上の制約で害子安全保障上政策上必要なのにやれないのだったら残念だなという気もします。憲法上の根拠ですが、ウィキペディア「集団安全保障」を確認すると、「日本は、集団安全保障への参加について、武力の行使や武力による威嚇を伴う場合は、憲法9条が許容する「必要最小限度の範囲」を超えるため許されないとの解釈を取っている。一方、集団安全保障は「国連加盟国の義務」であり、憲法上は制約されないと総理大臣私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」は主張している」ということです。国権の発動はしていませんから、1項と集団安全保障が矛盾している訳ではないのは確かなのかもしれません。

ここまで考えてみると、基本的には現在の加憲案でいいような気もしますね。まぁ着弾してからの反撃も怪しいというような現在の懸念が加憲案で払拭されるならばですが。筆者の解釈は筆者の解釈に過ぎません。

ただひとつだけどうしても気になることがあります。戦力の定義で裁判所に余計な口出しをされないか、国民に分かりやすいかです。これを解釈で処理するのがあんまり(多分)法律論的によろしくないんじゃないかと。ここで現行の加憲案を振り返ってみると・・・

>我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。

・・・ですから、この3項に合致する実力部隊の装備は全部戦力ではないと解釈したらどうでしょうか?結局のところ兵器は応用が効きます。自衛のための装備でも侵略に使えることは元より自明です。ですからひとまず自衛をフルスペックで認めて(平和維持のために最大効率で抑止力を認めて)、侵略のための体制整備もしないし訓練もしないしそうした団体に無条件で参加しないとします。実際のところ、(紛争解決のため)先制攻撃をしなければいいのであれば、1項があればそれで事足りますし、相手に手を出させるための挑発も1項を残しておけば禁止されているということになります。1項がありながら、それをやってしまうというなら、もうそんな国は何をやっても駄目だと言わざるを得ません。筆者は日本不信論の反日派でありませんし、誰それが総理大臣ならやりかねない等と疑っていませんから、そういう有り得ない妄想による因縁は反日派の皆さんに任せておこうと思っています。

集団安全保障との絡みをここでもう一度検討すると、やはり湾岸戦争のイメージが強いと思います。ただ結論から言えば、やはりこの類の戦争に参加するという話は現状絶対アウトだと思います。でも3項案を見れば我が国の平和と独立を守りと書いています。じゃあOKなのかと言えば、集団安全保障は結局理論上バーターで何処まででも行ってしまいそうですから、明快に否定しておいた方が良さそうです。集団的自衛権だけなら、中東まで出て行って戦争で前線に立つのようなことは基本的にないと考えられます(既に考察済みですが、アフガニスタン戦争は自衛の定義から対テロ戦争だから参加できないということになります。気になる方は前回記事をお読みください)。まぁ可能性が狭まるのは残念ですが、筆者はやはり(アジアでも)現状で集団安全保障をしないとしておきます。集団的自衛権を認めるというのは事実上の周辺事態条項ではないでしょうか?思考実験だけならアメリカ本土が攻められる事態も考えられますが、誰が攻めるのかという話です。よって攻められそうにもない国・団体と集団的自衛をするのであれば(要はアメリカが入らない枠組みを問題外とすれば)、実際問題戦争に巻き込まれず抑止力を高められるという話になります(しつこいようですが対テロ戦争は除外していますし、集団安全保障も排除しています)。美味い話に見えるかもしれませんが、日本も(日米同盟もありますし)「攻められそうにもない」強い国であるということを忘れてはなりません。いずれにせよその辺は相手がある話なのであって、想定すべきはアメリカだけということになります。

掃海艇の派遣は石油が止るんですから存立危機事態でしょうが、通商破壊戦を仕掛けられたら(海軍はそれが主要な目的のようです)、戦争するのも自衛のひとつとは言えそうです。ただこの辺は自衛の定義(急迫性、違法性、必要性、相当性、均衡性)の範囲内ということですね。海上封鎖への対抗は自衛の範囲内です。某国の問題に関して言えば、集団的安全保障ではない国連の義務という考え方です。少なくとも瀬取り対策は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求していますし、国権を発動していませんし、武力による威嚇又は武力の行使をしている訳ではありません。まぁ誰も問題にしていませんから、別に一々考察しなくていいのかもしれませんが。南シナ海の問題に関して言えば、アメリカも今のところ領土問題に関わろうという話ではありませんね。

後は大量破壊兵器をどう考えるかですが、大量破壊兵器は国際的に禁止の動きが強烈で、これを戦力と解釈すれば良さそうです。「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」なければなりませんしね。これで随分スッキリしました。結局現行案の解釈次第(現状と全く同じでは意味が小さく分かりにくい)ですが、やはり現行案でいいんじゃないかということになります。以下念のため現行案で改憲されると(政府・自民党はそうは言ってないようですが、筆者の考え方では)どうなるかまとめておきます。

①自衛は全て認められる。攻撃されたら間違いなく反撃できる。ただし自衛に要件(急迫性、違法性、必要性、相当性、均衡性)があって自衛の名の下に何でも出来るということにはならない。
②個別的自衛権だけでなく、集団的自衛権も認められる。ただし自衛の要件はここでも守らなければならない。疑えばキリはないが、現実には9条が盾になっており、事前の説明が覆ると考えられない。
③集団安全保障はしない。集団的自衛だけで良い。日本は自衛に深く関わる核の傘という例外を除き、現状で(日米同盟以外の枠組みへの参加がなければ)事実上バーターで援軍に行かない(日本駐留以外の国連軍に巻き込まれる可能性はない。まぁ敵国ですんで)。
④戦力とは大量破壊兵器である。大量破壊兵器を日本が開発し所持することは無い。
⑤以上の解釈を守る限り違憲の疑いは全く無い。

以上です。軍法だけは落とした感じですが、9条に関係ないんでこれは止むを得ません。後、サイバー戦争とか反撃オンリーで大丈夫かという論点も有り得ますが、自衛だけで論争になる現状でここまでがMAXと考えます。

一晩経って追記。9条解釈を明記しておけば、凄くいい気もします。つまり既に明記されている必要性以外(必要に応じて~)も憲法に書き込んでおくと学者や裁判官の勝手な解釈を防げますし、国民も誤解しません(明記してれば、民間などが勝手に研究してくれるオマケつき)。具体的には例えば「急迫性、違法性を踏まえて」「相当性、均衡性を考慮し」を追加。これで自衛を理由に拡大解釈されてきた説を撃退します(広く国民を説得します)。それでも「疑いを払拭できない」とか言われたら何もできません。クレーマーとはなるべく関わらず。

自衛と書いてますから集団的自衛権云々は書きません。当然自衛の定義を満たしていれば全て認められます。シンプルイズベスト。しつこいようですが、力の強いものに言われたら~とか言ったところで実際戦後何もしなかったでしょ。同じく集団安全保障云々も書きません。「我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つため」が世界平和を守るための戦争参加を否定しているからです。国際社会から見れば何とも情けない話ですが、日本は国連に敵国認定されていますし、久しく自衛のみが仕事でしたから、それでいいんだろうと思います。結局のところG7でアジアの国は日本だけなのであって、アメリカに対抗するモンスターが隣国に現れた現状で世界平和を守る余裕なんて全く無いとも言えます。当面この現状が変わる見込みもありません。前衛に立たなければ、これまで通り治安維持活動による「戦争参加」は有り得ます。正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求しなければなりませんし、国権を発動している訳でもありませんから、参加しないというのが無い話です。戦争は戦争だろうと因縁つけられてきましたが、作戦立案に関わっていませんし、戦争の要件を十分満たしていないというのは確かです。ハッキリ言えば何処からどう見ても全くの治安維持活動です。これは防災で自衛隊派遣するのと同じなのであって、自衛隊が制限されているのは戦争に関わる部分に過ぎません。ただ戦地での治安維持活動は非常に危険を伴うことは確かです。この定義だと治安維持活動の拡大の懸念は出てきます。ただ「軍隊」の本来業務は治安維持活動ではありません。ですから警察に出来ないレベルの治安維持活動は軍隊業務だとして自衛以外は否定しておくことになりそうです。よく考えてみれば海外の国は我が国でもありませんが、緊急事態条項も治安出動を考慮せず防災に絞っているようであり、国内においてもその辺は想定外というか憲法上治安を理由に軍隊を出す国ではないということになります(ナチスの事例で結局治安を口実にしたのが問題です)。じゃあイラクの平和維持活動とは何かと言えば、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し国権の発動ではない」治安維持活動です。レベルとしては警察の機動隊レベルぐらいならOKではないでしょうか。警察がやれるような治安維持活動は軍隊業務ではないということです。じゃあ警察が行けと言われたところで警察は海外で仕事をする組織ではありません。防災にしろ危機管理のプロとして何でも屋をするのは自衛隊の仕事です。自衛隊の装備は機動隊を超えている部分もありますが、戦車や自走砲を持っていって砲撃するのようなことが無ければ誤解は生じないと考えます。装甲車に関して言えば機動隊も持っているようです(特型警備車)。逆に言えば、機動隊がやるような仕事は自衛隊も海外でやれますということにはなります。さすがに自衛隊ほどの組織が機動隊に出来ることも出来ませんとは筆者は言えません。憲法上の根拠は(書き込めば)「相当性、均衡性」になるでしょうか。何かを理由に拡大した業務を行うことはこれに反するということです。海外での治安維持活動を行うために派遣したのに、それが戦争業務の遂行になってはなりません。戦争参加しているに違いないというのは断っておきますが100%の難癖です。その論法を認めれば日本は物資を売り基地を提供したので朝鮮戦争に参加したということになりますし、資金を提供したので湾岸戦争に参加したということになります(感謝されなかった事件とは何だったのでしょうか?)。戦争業務の遂行が戦争参加です。これが普通の定義で他の解釈は有り得ません。繰り返しますが治安維持を口実にした軍隊活動とは治安当局に出来ない仕事をすることです。この例外は海外での治安維持活動ということになります(警察に海外での仕事をする法的根拠が無いのでしょう)。防災(消防が災害対処の実働部隊と言えます)も含め自衛隊は本来業務でない仕事も行える危機管理のプロ組織ですが、本来業務の自衛戦争以外では量的にはともかく質的にプロ以上の仕事をしません。治安を理由に自衛隊がフル活動をすることを想定するなら、緊急事態条項に治安を入れてシッカリ議論しましょうということになります。掃海艇の派遣は自衛隊にしかできない業務ですが、シーレーンの封鎖は我が国の存立危機事態と言え(国及び国民の安全の正に危機です)、「相当性、均衡性を考慮」すれば、機雷除去が自衛隊の任務なのであって、それ以上のこと(首都を叩くのようなこと)はしないと言えるんでしょう。港を叩くのような話がグレーゾーンで何とも言えませんが、海自はヘリ空母を保持しF-35bの導入も決まっており南シナ海でも訓練してきたことは指摘しておかねばなりません。機雷除去の仕事をしながら、機雷をまく船をどうにもしないのはどうでしょうか。

戦力の定義は揉めますんで、現状の3項案に更に加憲して決着を図るべきです。具体案としては「国際社会に禁じられた大量破壊兵器を我が国は所持しない」です。我が国はというのは核(大量破壊兵器)の傘で守られることは排除しないということです。向こうは持っている訳ですから。国際社会に禁じられたの明記が必要なのは、破壊力を基準にしたら裁判所に安全保障政策の実権を与えるのを防ぐためであり、誰も(多くのものが)問題にしていないものを日本だけが問題にするのような戦後レジームの奇観を防ぐためです。実務上は後から禁止されたら不味い新しい兵器の開発は諸外国に任せようということにはなります(皆が持っているレベルを超えず性能が良いという難しい課題があるということにはなります)(よって破壊力の追及は難しいかもしれません)(まぁ防衛装備の機能は破壊力だけではありませんし、他国が開発して受け入れられた装備を買うことも出来ますし、何にせよ(猛追している国がいるようですが)一番強い国が同盟国です)。また実務上は太洋を超えて自衛戦争をするような装備の導入・体制整備もなさそうです(サイバー戦争だけは地球の裏側まで近隣と同様の扱いです)(宇宙戦争は日本の平和的宇宙利用を守る仕事は考えられます。具体的には日本の衛星破壊に対応することは禁じられるべきとは思えません)。安全保障政策上持てる可能性を保持したい人もいらっしゃるかもしれませんが、戦力条項があって現状で持てていません。万難排して何が何でも可能性を確保したところで、日本が今から核実験をしたり生物兵器の開発したり出来るでしょうか?

そういう訳でこうしたことが明記されれば違憲論が教科書に記載されることはなくなり、憲法学者がああだこうだ言ってくることは少なくなっていくんだろうと思います。結果的に国民の理解も広がってくると考えます。

米朝首脳会談(ハノイ)決裂後

2019-03-17 10:19:40 | 外交安全保障
NGC 4414 (NASA-med).jpg(パブリックドメイン ウィキペディア「銀河」より >NGC 4414はかみのけ座にある典型的な渦巻銀河。直径約55,000光年。地球からの距離はおよそ6,000万光年の彼方にある。)(※北朝鮮の人工衛星(地球観測衛星)光明星3号2号機は銀河3号によって打上げられた)

日曜討論「最新分析 北朝鮮問題の行方は」(3月17日)を視聴しました。出演は藤崎一郎,礒崎敦仁,小原雅博,中林美恵子,古川勝久,李相哲

非核化の定義に触れられるところがありましたが、筆者は「①核実験場や研究施設・核爆弾のリストを北朝鮮がつくって提出しアメリカが認めた後にそれらを廃棄する。②IAEAを他の国と同様の条件で受け入れる。原子力の平和利用は認める。」を考えています。

①は隠し持つことは不可能ではないかもしれませんが、持っていると宣言できない以上、脅しに利用出来ません。また北朝鮮との全面戦争を想定した時、あるいは核攻撃の可能性を否定しきれないかもしれませんが、そもそも先軍政治の北朝鮮との戦争はアメリカにしても大変なリスクなのであって、アメリカほどの国でも38度線を越える理由を考えている訳ではないという話だったと記憶しており、実際上の問題は少ないと考えられます。所謂「朝鮮半島の非核化」に関して言えば、韓国は核実験場や核兵器の研究施設を持っている訳ではなく問題ないと考えます。持ちこみの可能性ですが、持っている持ってないを米軍が戦略上明かせない以上、北朝鮮がアメリカと韓国の連携を認めるしかないような気がします。北朝鮮だって核武装国である中国との血の友誼があるのであって、アメリカを始めとした中朝関係をどうこう出来る訳ではありません。少なくとも韓国軍はニュークリアシェアリングも含めて現状で核兵器にタッチしていません。万一北朝鮮が核武装政策に再び舵を切るようなことがあれば、韓国は核武装論が盛んな国ですから、例えばニュークリアシェアリングで対抗のような話が再燃すると考えられます。北と南がイーブンという形で朝鮮半島の非核化は達成できると筆者は見ています。北朝鮮はソウルを人質にとっていますし、一方的に核武装できないのであれば、案外核武装に軍事的合理性はなく、国際社会の制裁は番組で触れられていましたが結構効いているようですから、制裁解除を目的に北朝鮮が非核化に舵を切る可能性は依然十分と考えます。リビアの話はよく言われますが朝鮮半島とは全然状況が違うでしょう。

②は原子力の平和的利用すら認めないのは北朝鮮が受け入れ困難です。韓国も原子力発電をやっている訳ですから、落としどころは条件の平等しかないと考えます。勿論北朝鮮がIAEAと協調できるか予断を許しませんが、恐らく非核化を決断しさえすれば、わざわざ誤魔化すメリットは少ないと考えられます。誤魔化したところで核実験場や核研究施設が廃棄されていれば再開発は困難で、万難排したところで国際社会に再び制裁されるだけです。北朝鮮はウラン産出国という意味でも平和的利用の拒否は交渉を不可能にするだけではないでしょうか?また日本の原子力発電所に対する北朝鮮のテロの可能性が指摘されることがありますが、防衛体制をシッカリすると共に、もっとも効率の良い対策は北朝鮮の原子力発電所を(報復で)何時でも破壊できる体制を日本が整備することだと考えています。

以上ですがもうひとつ考えなければならないのは研究者の処遇です。核兵器開発を断念したら自然に他の兵器開発や原子力の平和利用に移ることを考えるはずですし、廃棄・廃炉にあたる人材も必要なはずですが、気になるのは核拡散の可能性です。もっとも効率がいいのは引き続き核兵器の研究をすることですから、他国のヒキがある可能性がないとも言えません。研究に関わった人員のリスト提出も考えられますが、北朝鮮の外交関係に注目して怪しい国の監視も重要だと思います。

化学兵器や生物兵器といった他の大量破壊兵器も韓国と同じ扱いを求めることは重要だと思います(サイバー攻撃なんかは今回の話には乗せることは難しそうです)。

次に運搬手段のミサイルですが、ICBMはアウトを北朝鮮は約束するしかないと思います。ICBMだけでは抑止力が少なく研究を続けること=核兵器・大量破壊兵器全廃の意志なしと見るしかないと考えられます。例えば一発でも持っていたら何かの拍子に「持ってました」でワシントンを攻撃するよと言い出す可能性があります。まぁ一発だけならミサイル防衛でどうとでもなりそうで、そこまで固執する話ではないと思いますが、日本としてもアメリカの核の傘を守ることは重要なのであって、とにかく北朝鮮は(米本土を攻撃できる体制整備を進める)ICBM開発は諦めねばなりません。北朝鮮の防衛はどうなるかという話ですが、安全保障政策に完全はないのであって、北朝鮮はアメリカが同盟国を滅亡させるリスク(北朝鮮はそれを試みることが出来る戦力があります)を犯さない(北朝鮮が米本土を攻撃する体制整備をしないのであれば)と考えるしかありません。それでも気になるのであれば、例えば北朝鮮自身が血の友誼を深めていくことが考えられます。既に持っている短中距離ミサイルに関して言えば、日本は射程範囲ですがこれの全廃は難しいというか無理ですし(北朝鮮の主要産業にミサイル輸出があります)、廃棄を迫るより日本が抑止力を整備した方がコスト安で効率的と考えます。大量破壊兵器さえ米朝交渉で問題なしまで追い込んだら、運搬手段が残っていても飛躍的に日本の安全は高まります。後は日本が抑止できる体制を整備するだけです。ひとつだけ重要なのは、ミサイル実験を北朝鮮が挑発に使わないことで、日本も例えば北朝鮮のミサイル開発を認めるなりして通告を約束させることが重要ではないかと考えます。北朝鮮は国際社会の制止を振り切ってミサイル開発してきましたが、これからは国際社会との緊張を高めない安全保障政策が重要ではないでしょうか。

宇宙の平和利用はミサイル開発の口実になってきましたが、韓国も衛星をやっていますし、これも平和利用したいというなら認めるしかなさそうです。(例えばかつて中国の衛星破壊実験などの話題がありましたが)軍事利用も含めて既存の枠組みや文脈を踏まえて同列に扱うしかないんじゃないでしょうか。日本も北朝鮮の宇宙利用の監視を含めて宇宙政策に関心を持つことが重要だと考えられます。ミサイルに関して既に触れましたが、もう開発されたものは致し方ないというか、覆水盆に返らずというしかありません。

拉致問題に関して言えば、北朝鮮がこれから緊張を高めるような行動に移れば、あるいはチャンスが大きくなる可能性も考えられます。北朝鮮としては何としても制裁を回避したいでしょうが、核やミサイルで交渉が停滞した時、これまでの(事実上アメを担当してきた)韓国の窓口を動かす訳にはいきません(悪い行動に褒美を与えるようなことで交渉が動くはずがありません)。ただ全て圧力一本槍でいいかというと、米朝交渉決裂から挑発と報復のエスカレーションの軌道に戻る可能性が懸念されるものの、前述の理由で尚更北朝鮮のスポークスマンと言われる文在寅政権に頼る訳にはいかず、そろそろ別の窓口の可能性を考えるべき時だと考えます。核やミサイルといった安全保障の問題は米朝交渉+韓国の枠組みで進めてきましたが、もうひとつ重要なのが拉致問題という対外人道問題です。要は拉致問題で北朝鮮が譲歩することで、核・ミサイル交渉が停滞中に制裁の一部緩和を考えます。文在寅政権はああいう政権ですが当面継続しますし(韓国ファクターは当面変わる見込みがありません)、交渉に時間がかかり過ぎると、制裁が効き過ぎて(瀬取り対策は今後もドンドン進める予定です)北朝鮮が追い込まれすぎる危険性があります。追い込んだほうが譲歩すると安直に考える向きもあるかもしれませんが、北朝鮮とて体制の継続は譲れない一線ですから、追い込む一本槍が譲れない一線を越える可能性は否定しきれません。交渉を成立させるためにはどうしても北朝鮮の首を縦にふらせる必要があるのであって、日本が制裁を一部緩和する可能性を示唆することは選択肢を広げる効果があります。拉致事件が起こって既に久しく被害者の高齢化が心配されるところでもあり、交渉が早くスタートするに越したことはありません(核もそうですが、1ミリの疑念もなく疑惑を払拭することは現実的には難しく、北朝鮮に解決の意志が見られる場合、話し合いを進めない理由が無いと考えます)

具体的には例えば万景峰号の復活(日本海交易の一部復活)は制裁の緩和になると考えられます。北朝鮮も制裁を回避する必要があるのであって、正規ルートを認めれば瀬取りが少なくなる可能性もありますし、正規ルートなら不法な取引をチェックしやすいとも考えられます。

新しい御代を前にして

2019-03-16 06:06:11 | 日記
椿神社崇敬者大会記念講演「新しい御代を前にして」(久能靖氏)に出席してきました。陛下のお人柄など貴重な話を聞かせていただきましたが、その辺は講演を聴いた人の特権として(笑いの絶えない講演でした)、筆者は制度面や自分で調べたことを記事にしておきます。

今年は皇位継承が行われ、年号が変わる年になります。御退位は今上陛下のビデオメッセージでのお気持ち表明をきっかけに決まったことですが、その背景に健康問題があります。体力面でご公務が難しくなってきているようで、これは高齢化社会を迎えた現代の問題でもありますが、代行されることを良しとしない陛下のお考えでもあるようです。2016年(平成28年)8月8日のお言葉では殯についての言及もありました。

>これまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,重い殯の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後喪儀に関連する行事が,1年間続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。

これまでの制度だとこの殯というしきたりと天皇即位に伴うご公務を両立せねばなりません。(老老介護や老老継承の問題が横たわる)高齢化社会においてはこれをご高齢の新陛下がこなすことが通常になるでしょう。今回のご退位は皇室典範特例法によるものですが、恒久的制度の方が良いのではないかというお考えのようです。随分踏み込まれている感じですが、「皇室番黒革の手帳」(大木賢一 宝島新書)なんかを参照すると、今上天皇は皇太子時代から積極的な発言や行動をされており、それが現在の陛下の姿に繋がっているようです。伊勢湾台風での被災地訪問は今上陛下が打ち出した新基軸だったとのこと。皇室が政治に口出しするのは問題もあるでしょうが、皇位継承やご公務に関して国民にメッセージも送れないのような窮屈な話は疑問で、憲法4条7条で政治的発言ができないのような風潮がありましたが、考えてみれば「国政に関する権能を有しない」というのは陛下が発言されようが何だろうが国政に関する権能は有しないのであって、政治的発言が何ら憲法違反でないことは明らかのように思えます。憲法を尊重することと憲法改正を提起する(ような)ことは矛盾しないことも明白です(寧ろ言論の自由と憲法改正条項から提起できないと発言する人が全くの憲法違反で180度逆です)。ただ、憲法7条で定める国事行為がご公務であって、日本の象徴として儀礼を執り行うのが仕事で、政治介入が望ましくないのは勿論です。またそうしたあり方が皇室の伝統でもあると思います。しかしながら皇室の行事を行い皇位継承を行うのは寧ろ皇室が主体になって行うべきことでもあって、決定権は国民や議員にあるにせよ、こうしたことに関しては「政治的発言」をされる方が望ましいあり方と言えるのかもしれません(国政の承認のような主体的でない儀礼と主体的に行う儀礼や自分(達)自身の話は別に扱うべきだと考えられます)。正直ご退位に関する発言は違和感もありましたし、変えることに反対の気持ちもありましたが、少なくとも今では筆者は陛下の一連の問題提起は良かったと思います。

今上陛下の体調も優れないところはあるようですが、皇后陛下の体調が特に優れないようです。皇后陛下には1993年に失声症になったという話がありますが(皇后美智子(ウィキペディア)参照。失語症は大脳の損傷に由来し、心因性の原因から来る失声症とは分けた方が良いようです。回復後「どの批判も、自分を省みるよすがとしていますが、事実でない報道がまかり通る社会になって欲しくありません」と異例のコメントがあったとか)、久能氏が特に指摘した皇后陛下の病歴はめまい・喘息状態・頚椎症性神経根症でした。めまいは若い女性のメニエル病でも知られますし、様々な病気に付随するので何とも言えませんが、資料によると腸壁の出血の後と一緒にめまいの症状があったそうです(中高生の時に筆者は起立性調節障害(恩賜財団済生会)と思われる症状でめまいを頻発させていましたが何時の間にかほぼ発症しなくはなっていますし全然違う話だと思われ何とも言えません)。喘息症状に関して言えば、アレルギーの一種ですが、現代病ですし清潔過剰が問題という衛生仮説が怪しいような気もします(参考:「いま、アレルギーのメカニズムが大きく塗り変わろうとしています」(斎藤博久インタビュー①))。具体的には少量のエンドトキシンに繰り返し曝露することが必要だとか。一方でアレルギーマーチを防ぐためにはバリア機能の弱い乳幼児の皮膚の保湿も重要だという話です(他に参考:赤ちゃんにおすすめの保湿剤12選〜ママ厳選のお肌に優しいアイテム〜 smarby)。アレルギーに関して言えば、(個人的な話で申し訳ありませんが)これまた高校生の時中心に温熱蕁麻疹や寒冷蕁麻疹があったのですが、これも自然治癒しています。ストレスも関係あるようですが(参照:蕁麻疹(じんましん) - 皮膚科Q&A(公益社団法人日本皮膚科学会))、よほど受験が嫌だったのか何なのか(この蕁麻疹や花粉症(←現在も闘病中。口呼吸と関係ある気もしてますが癖ですし中々)の関係で喘息やアトピーはありませんが自分なりにアレルギーは調べてはきました)。頚椎症性神経根症(日本整形外科学界)は頚椎を後ろへそらせるのが良くないのだそうですが、(筆者に無縁で医者でなく知見もありませんから)さすがによく分かりません。話は逸れましたが、皇室報道と言えばバッシングがつきもののような気もしますが、報道も必要・意見も必要であるにせよ、節度がないと大変なことになりそうだなとは思いますね。侍医制度や宮内庁病院に関しては特に触れないものとします。

ご譲位は光格天皇以来になりますが、それまでは結構ある話でした(筆者などは上皇と聞くと二重権力や政争のイメージがあるほどで、それで反対意見でしたが、今の制度なら杞憂だったのかもしれません)。改元も125代の歴史で247回あって大化が最初でしたが(大化の改新の大化で皇極天皇4年(645年)の孝徳天皇(難波宮に遷都)即位のときから実施)、明治天皇の先代孝明天皇の時には6回も行われています。さすがに現代で頻繁に改元されるのは国民生活に影響もあると思いますが、一世一元の制は陛下がまだ元気である内に準備を整えて行う方がスムーズなんだろうと思います。考えてみれば日時が確定できない御崩御の時に全てを行うのは大変な話です。ただ皇室典範4条の問題があって(今回は特例法でしたが)、新陛下の代に皇位継承の問題とあわせてこの問題は議論され解決されることが期待されると思います。

新元号ですが、これまでは中国古典から採っていましたが日本書紀など日本の古典から採るという話もあるようです。筆者は大賛成ですが、最初に古事記だけの漢字を採用するのは止めた方がいい気はしています。古事記は本居宣長以来再評価されており勿論貴重な古典ですが、日本書紀が正史ですし日本書紀との齟齬もあって評価するあまりどちらが正でどちらが副かを忘れるようなことがあっては、後々面倒なことになります(旭日旗を再評価する動きは結構なことだと思いますが、日章旗が日本の旗なのであって、自衛隊の旗・海自の旗が日本の旗と受け取られるような話は困るという話に似ます)。

式典ですが、資料として配られた平成の御代替わりに伴い行われた式典一覧を見ると、35の式典が行われその内国事行為と総理主催の行事は10だったようです(他は皇室の行事)。ひとつだけ「剣璽等承継の儀」(剣璽渡御の儀)に関してまとめておくと、剣璽(ウィキペディア)とは、三種の神器の内、天叢雲剣と八尺瓊勾玉を併せた呼称で御所の天皇の寝室の隣に土壁に囲まれた塗り籠めの「剣璽の間」があってワンセットで扱われることが多いようです。ただ、御所の天叢雲剣も熱田神宮の形代のようですが、八咫鏡も伊勢神宮の内宮の形代が宮中三殿の賢所にあって、承継されるのはやはり三種の神器と考えてよく、それで剣璽等というようです。戦前は、天皇が皇居(宮城)を一日以上離れる場合に、必ず侍従が捧げ持ち随行したそうで、これを剣璽動座というようです。GHQの指令で剣璽動座は中止されたものの第60回式年遷宮の翌年である1974年に昭和天皇が剣璽を伴って神宮を参拝した時以来、天皇の神宮参拝の際には携行されるようになったようです。八咫鏡が特殊な感じですが、天照大神の御神体として内宮に安置されており、天皇陛下は直接参拝しない伝統が明治までありました。剣璽と違って何か持ち歩くものではないんでしょうね。神社のご神体に鏡は多いようです(神社に鏡がある理由・意味は?ご神体についても詳しく紹介します! 終活ねっと)。

最後に印象に残った話ですが、陛下は「普段は忘れられていても構わないが何かあった時思い出してほしい」というようなことを仰ったそうです。

戦後の日露平和条約交渉に基づく新しいアプローチの検討

2019-03-15 06:28:47 | 外交安全保障
Habomai 01.jpg(ウィキディア)

ロシア軍、北方領土で軍事演習 日本牽制か(産経ニュース 2019.3.12)

>極東地域を管轄するロシア軍の東部軍管区は12日、北方領土の択捉(えとろふ)島と国後(くなしり)島で射撃・砲撃部隊による軍事演習を開始した。

これはやはり現状の日露交渉にロシアが不満だというアピールなのでしょう。改めて北方領土に関して検索してみましたが、米中露日の国際関係やプーチン支配体制の性格から、このままだと交渉が延々と続くだけで3年あっても交渉は妥結しない可能性が高いようにも思われます。第二次世界大戦の戦後処理を済ませないというのも異常事態ですので、検索で見つけた名越健郎氏の記事を元に改めて考察し直してみます。

プーチンが密かに狙う北方領土「1島返還」(フォーサイト-新潮社ニュースマガジン 2018年10月)

>「中国人には忍耐力がある。中国の経済力なら、貿易戦争に耐えることができる。中国の経済規模は人口を勘案すれば米国をしのぐ勢いだ。経済政策を修正したとはいえ、成長率は依然高い。世界も世界経済もいずれ変化していく」などと語った。米中貿易戦争で中国に加担する発言であり、近年の中国傾斜外交を見せ付けた。本音では、ロシアは米中が貿易戦争でともに消耗することを望んでいるかもしれない。

>ロシアの安保政策を担うニコライ・パトルシェフ安全保障会議書記は、「ロシアは中国のような非欧米の新興大国と同盟を構築していく必要がある」と述べており、政権内で中露同盟論が議論されている模様だ。米国の対中、対露政策が、中露をますます接近させている。

>日本人の質問に「面白くない」と投げやりだった大統領は、中国人の質問には、「尊敬する友人であり仲間」と敬意を表しており、中国志向、日本離れを態度で示していた。

日米同盟基軸で中国の伸張に対応するという現行の日本の体制は妥当だと思いますが、必然的にアメリカと関係の悪い国に兵器を輸出するなどアメリカとの対抗を基調とする国であるロシアを中国側に追いやっているところはあるんでしょう。これを逆転させることは非常に困難ですし、そうまでする意味があるとは思えません。まぁ昔はここまでとは思いませんでしたが、最初からこういう構図だったのは認めざるを得ません。

ただロシアとしてはアメリカに経済で対抗できる中国がどうしても必要だとは言え、中国の膨張は最終的に北方に向かう可能性も結構ありますし、中国の下風に立とうと思ってはないんだろうとは思います。欧米列強の一角だったロシア帝国は清と愛琿条約、北京条約を締結し極東地域を獲得しました。アヘン戦争後に英国領になった香港同様、清にとって屈辱的な不平等条約と言え、中国のインターネット上には「ロシアに奪われた未回復の領土」といったコメントが頻出するようです。中国とて愛国主義的な人民の意見を完全に無視できる国でもありません(【世界を読む】「奪われた領土」極東ロシアに流れ込む中国人…“スーツケースで侵略”は危険な火ダネ 2016.10.4)。中国の人口や移民拡張政策も共通の脅威の面もあり、武器輸出で中国がロシアに対抗してきているところもあって、引き続き中露関係を注視する必要は依然あろうかと思います。ソ連は計算高く火事場でどういう動きをするか分からない国でもあります(既に中国についているロシアがおかしな動きをする時は裏切る時です)。

日本としては日米同盟を基軸として価値観を同じくするヨーロッパ諸国とも関係を深めていくことが重要だと思っていますが、ドイツやイタリアの煮え切らない態度はあるものの、ロシアも非欧米と名指ししているように、基本的にはヨ-ロッパは依然こちら側と考えていいんだろうと思いますEU、中国は「競合相手」 関係見直しへ10項目(日経新聞 2019/3/14)。欧露の対立関係はアジアから何となく見るよりは深いのかもしれません。

アジアに関して言えば、中国の伸張を警戒して当然ですし、関係を深めることは十分可能ですし、日中関係・米中関係共に互いに破局を望んでいる訳ではなく、いずれ落ち着くべきところに落ち着くと考えられます。

いずれにせよ、日露関係を安定させておくことは重要ですし、それなりに話し合えるチャンネルは維持すべきだと考えますし、長期的な視野で特に極東ロシア地域・アジアのロシアとの関係を深めるべきだと筆者は考えています。何故なら中国の国家主義的(当面の)本音はアジアの支配にあって、ロシアもその対象であり、国力が伸張しているのは明らかだからです。大体台頭する国が要求を強めて既存の体制に対し問題を起こす歴史があって、日本は中国の台頭の脅威に晒される面もある既存の体制側ですが、アジアにおいてはロシアと潜在的に利害が一致しているところがあります。

隣国との経済関係は常に重要ですし、ロシアは現時点で敵対的ではないかと言われるかもしれませんが、人口も少なくヨーロッパ正面の国が大きな脅威とまで言えるか疑問です。そういう訳で平和条約を結ぶ意義は変わらないだろうと思っています。日露同盟を結ぶ話でもなし(あくまで第二次世界大戦を終わらせる話です)、問題はその価値の大きさをどう見るかに過ぎません。

>色丹島にはロシア人が3000人近く居住し、千島社会経済発展計画に沿ってインフラ整備も強化している。返還の場合、補償や手続きが面倒なのに対し、歯舞には国境警備隊が駐留するだけで、引き渡しは容易だ。

演習をしている択捉・国後は絶対に返す気もないでしょうが、色丹もこれまで返したくないと散々サインを送ってきていることは確かです。仮に色丹島が返ってきたとしてロシア人3000人をどうするかという問題は確実にあるんでしょう。

>クナーゼ氏と言えば、ソ連崩壊直後の1992年3月、国後、択捉の帰属協議と歯舞、色丹の返還協議を同時並行で進め、合意したら平和条約を締結するとの秘密提案を日本側に打診したことがある。しかし、4島返還を当然視した日本政府・外務省はクナーゼ提案を時間稼ぎとみなして無視した。クナーゼ提案を基に本格交渉を行っていれば、当時の日露の圧倒的な国力格差から見て、歯舞、色丹は確実に日本領となり、国後、択捉は結局は分割され、「3島プラスアルファ」のような解決策が有力だっただろう。

>2001年のイルクーツク会談では、今度は森喜朗首相がクナーゼ提案と瓜二つの並行協議案をプーチン大統領に提案したが、ロシアが無視した。

>1992年のクナーゼ提案は、一握りの外務省幹部が拒否を決め、官邸にもほとんど報告していなかったと言われる。ソ連崩壊から27年も経て、北方領土問題がますます後退している責任は、92年に千載一遇の機会をみすみす座視した当時の外務省幹部にある。失敗を繰り返さないためにも、外務省は文書公開を通じて当時の責任の所在を明確にしておくべきだろう。

クナーゼ提案が真剣に検討されなかったことは、戦後日本外交最大の失敗のひとつかもしれません(外交文書の公開に期待したいですが、廃棄でもされてないか心配はあります)。ロシアの体制も今は落ち着いているでしょうし、当面こういう千載一遇のチャンスが訪れることもないと考えられます。また、エリツィン体制に比べて強権的なプーチン体制は期待薄でしょうし、今後ロシアが穏健な国に変貌する見込みもないと思います。もう取り返しがつかない「歴史」ではありますが、今後のためにも反省すべきは反省すべきではないかと考えます。クナーゼ提案にも反対の人は多いんでしょうが、互いに強硬一本槍で話し合いがまとまる可能性は皆無ですし、ロシアと無闇に戦争できるはずもありません。プラグマティズムに基づく外交安全保障が必要だと筆者は考えています。

とりあえず今回の日露交渉の振り返りは以上ですが、以下そうした考えを元に今後どうしていくかを考えてみます。基礎とするのは1956年に発効した条約であるところの日ソ共同宣言と1993年の東京宣言です。これらは2001年のイルクーツク声明でプーチン大統領とも合意しています。

日ソ共同宣言では「日ソ両国は引き続き平和条約締結交渉を行い、条約締結後にソ連は日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡し(譲渡)する。」

東京宣言では「領土問題を、北方四島の帰属に関する問題であると位置付け、(ロ)四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結し、両国関係を完全に正常化するとの手順を明確化し、(ハ)領土問題を、1)歴史的・法的事実に立脚し、2)両国の間で合意の上作成された諸文書、及び、3)法と正義の原則を基礎として解決する、との明確な交渉指針を示した。」

これをベースに色丹島を返すぐらいなら平和条約は必要でないと言わんばかりのロシアとの交渉をどう妥結させるか考えなければなりません(勿論話し合いが決裂する可能性はあります)。

まず色丹島は「譲渡」されなければなりません。これは確定条件ですが、期間が書かれていません。中国みたいで残念ですが、香港やマカオみたいに日本と帰属を決めて○年後に引き渡すという条約を結べる可能性はあると思います。引き渡しは条約締結後ではありますが、「譲渡」は条約締結とセットで当然日本に返ってくることは約束されねばなりません。ロシア人が3000人いる領土というのも返ってくれば大変で、絶対立ち去らないという人が多かったらどうなるか、どう経営するか意外と負担になる面もあると思います。○年後と期限を決めて返ってくるなら、時期が近づけば自然と動きがありますし、準備も実務家が進めていくものだと思います。結局そちらの方がコストは少ないかもしれません。いずれにせよ、これは新しいアプローチとは言えます。

東京宣言で四島の帰属の問題を解決してから平和条約を締結するということですが、これはどちら領か決めなければならないということに他なりません。問題は日露で歴史的・法的事実の主張が異なるということです。どこまですりあわせられるかですが、日本で一般に流布されている日露和親条約が最初に締結された条約だから択捉-ウルップ間が法的に絶対というかのような主張が法的に成り立っている訳ではないことは明らかです。国境は後の約束で如何ようにも変わるところがあります。歴史的に最初に日本だったはロシアも合意するかもしれませんが、その後戦争でロシア領になったとも主張してくるでしょう。勿論日本に有利な話もありますが、1ミリでも譲ったら売国奴であるかのような主張は歴史的・法的に全く成立の余地はありません。

両国間の合意に基づくのは幾度と無く確認されていますが、法と正義の原則を基礎とするのも互いに合意はできるんだろうと思います。ソ連が日ソ中立条約侵犯を明言して認めるようには思えませんが(ソ連は破棄を宣告しましたが、期間のある条約ですから相手側(日本)の同意がない限り明らかに無効で、法と正義の原則が戦争に敗れたと言わざるを得ません)、平和条約を締結できれば日ソ中立条約侵犯の問題も一応ケジメがついたということになります。

日本の主張は北方四島は固有の領土で全て日本領というものです。それ自体正しいとは思いますが、過ちを訂正する可能性は何時でもあります。日本はサンフランシスコ講和条約で(ロシアと約束してませんがロシアから見て一方的に)千島列島を放棄しており、この講和条約が有効である限り、千島列島の領土要求が法的に出来ないことは言うまでもありません(共産党は非合法的な党だから千島全島の領土要求ができるという訳です)。つまり北方領土問題で千島列島の範囲は死活的に重要です。

国後・択捉ですが、例えばクナシリ・メナシの戦いがありましたし、国後場所もあって両島(特に国後)が北海道と一体的な属島であったことは明らかだと思います。樺太やウルップ以北の島々と違って国後・択捉が明治以後に日本でなかったこともありません(江戸時代も同じですが、ウルップ警固地・得撫郡は失われています)。歯舞・色丹は根室国でスタートしており、地形的に全く千島列島に連ならないのですが、択捉・国後が千島であるというロシアの主張を歴史的・法的に完全に否定しきるのは難しいところはあって、北方領土の範囲で日露が合意するのは理論的には可能なように思います(絶対反対は感情論に過ぎません)。筆者としては根室湾に浮かぶ国後島が特に目障りで100年後でもいいので返ってこないかなと思っているところはあります。少なくとも地形的・歴史的に奥尻・礼文・利尻以上に属島然としているのは間違いないんじゃないでしょうか。択捉島もずっと日本の領土としての歴史があるのは間違いありませんが、占領後に北方領土最大手の建設・水産企業のギドロストロイの企業城下町になっており、戦争が起こってしまうと勝ったものが正義で法も歴史も消し飛ぶところがあるのは否めません。千島の放棄を宣言したサンフランシスコ講和条約が発効したのは1952年、1956年の領土問題でも触れた日ソ共同宣言とソ連との国交回復を踏まえて日本は国際連合に加盟し国際社会に復帰しました。これが戦前の秩序とは多いに異なり、戦争の結果であることは否定できません。

帰属の問題に関連して両属の可能性ですが、ロシアが現実に支配を及ぼしている以上、如何なる妥協もロシアの後退になりますし、あまり現実的であるように思いません。例えば世界の何処に2つの国が警察を置いている地域があるでしょうか?2つの国が主権を及ぼすというのは実際問題無理で、少なくとも筆者には考えにくいところがあります。日米同盟体制下で小さな日露同盟(ロシア軍の駐留を引き続き認める)を構築するのようなことも全く現実的と思われません(拒否権をもたれるなどしたら単に日米同盟が機能不全に陥ります)。互いに軍隊を置かず(中国大陸でかつてあったような)租界にするのような合意が不可能とも言えませんが、特別それをするべき理由はなく(経済関係など領事館で十分でしょう)、互いの面子を削って面子を守るのような合意に意味があるようには思えません。どちらかと言えば(島でそれほど大きく開発できるように思えない)北方領土よりは(領事館を置いた)ユジノサハリンスク(かつて樺太庁がありましたし、油田に関して言えば、パイプラインの敷設は平和条約締結後に考えられるのではないかと思っています)の機能強化の方が面白いかもしれません。いずれにせよ、両属とは歴史的には「独立国」が二股をかけているような状態を言うのであって、現在ロシアが支配している北方領土を両属状態にすることに大きな意味があるように思えません。

また例えば日本に帰属するとして、返還の期限を決め、段階的に日本が関与するという意味で租界にするのような話なら考えてみる価値はあるかもしれませんが、ロシアに帰属すると決めてしまうと、平和条約を締結して外国であるロシアの土地に拠点を設ける以上の展開はないように思えますが、中国大陸における歴史を考えると、ロシアの主権下で日本がどのように開発に関与できるか頭の体操をしてみる価値はあるかもしれません。中国分割(世界史の窓)を参照すると欧米列強は、港を建設したり、軍隊を駐留させたり、鉄道を引いたり、鉱山を開発したりしています。ただ、これをロシアの主権下でやると開発した後でどんなことになるか恐ろしいものはありますが、サハリンプロジェクトでも結局後だしで日本が後退しているところはあるので、後から手のひら返しされないように考えなければならないことは多そうです。そう考えるとロシアの主権下で普通に開発に参与して交渉すべきを交渉した方が話は早いような気もします。

経済関係だけならそんな感じですが、歴史的な関係の深さを考えると、何らかの共同関係はあった方がいいのかもしれません。例えば筆者はアイヌや古アジア民族・ツングース・モンゴル・トルコ・ウラル・スキタイといった諸民族や草原の道に関して日本史・東アジア史の観点から関心があります。これは単純な学術的な興味に止まらず、「アジアのロシア」はそもそも独自に発展した地域であって、特に漢民族の土地ではないという歴史的事実から来る関心と言えます。アジアが中国に塗りつぶされる未来を見たくないんですよね。シベリア出兵も満州国も結局失敗していますし、勿論ロシアと戦争したいということではなく、またこれらの少数民族を独立させようということでもなく、北回りで中国に来られては適わないという感じです。(モンゴルですが)元軍とアイヌがかつて交戦した事実もあって、あまり過剰な心配をするつもりもありませんが、あらゆる事態は想定すべきであって、日本の北に広がる外国に関心がなくていいということにはなりません。少数民族の問題で言えば、例えばこれまで同系とされてきたカムチャッカ半島のイテリメンとコリャーク人・チュクチ人が同系ではないという有力な説「イテリメン問題」があって(イテリメン語は孤立語だった)、どうもイテリメンがアイヌやニヴフ同様の孤立した土着のカムチャッカ民族で、コリャーク・チュクチがトナカイ遊牧を生業としたより北方の大陸民でないかという気がします。そう考えると気になるのは千島列島におけるイテリメンと(千島)アイヌ・オホーツク文化(ニヴフとも言われます)の関係です。カムチャッカにはアイヌ語地名も残ると言われます。だからどうという訳ではありませんが、学術的興味で人的交流や観光も考えられます。イテリメンは消滅の危機にあるとも言いますが、再興の動きもあるとか。コリャーク・チュクチで言えば、トナカイ放牧の起源と伝播もユーラシア大陸に広がる壮大な話題で面白いんじゃないかと思います。旧満州・樺太含む極東ロシアに広範囲に広がるツングース(満州系)に関して言えば、農耕不適な気候で狩猟採集民なのでしょうが、特にアムール川と漁労が気になります。一部トナカイ遊牧民もいるようで、生産手段・文化の伝播が伺えますが、広範囲に同じ民族がいるということは拡散と交流があったはずで、タイガという環境が同じ文化を共有させたかもしれませんが、移動手段としては川が非常に怪しいような気はします。上京龍泉府など日本との交流が深かった渤海国の都市は川沿いか海沿いにあるようです。シベリアは凍土地帯であって、シベリアの春は泥の春とも言うようで移動が困難な時期もあるようです。それが開発を難しくさせ現代まで森を残したのではないでしょうか。とするとやはり川が怪しい。アイヌと琉球の比較で言えば、日本史との関係で大体同時期に現れると思いますが、島ということもあるか、琉球の方が言語が分化し地方色がある気がします。広大な北海道でアイヌ同士の交流が(琉球以上に)深かったように思えるのですが、琉球王国ほど経済発展してはいなかったでしょうから(陸の交通がどれだけ発達していたか怪しいでしょう)、これも川沿いに船で交流・交易が盛んだったのではないかと思えます。樺太アイヌは余市アイヌとの関係が示唆されるようですが、アイヌ語地名から元々東北にいたアイヌと渡島半島の関係などとの比較なんかも面白いのかもしれません。シャクシャインの戦いのきっかけの一方である胆振から日高北部にかけての太平洋沿岸地域に居住するアイヌ民族集団「シュムクル」(ウィキペディア)は「「祖先は本州から移住してきた」という他のどのアイヌも持たない独自の始祖伝承を有しており、本州から移住してきた奥羽アイヌを核として成立した集団ではないかと考えられている」のだそうです(大井晴男「シャクシャインの乱(寛文九年蝦夷の乱)の再検討」『北方文化研究』22号 1995年 101-102頁)。きっかけのもう一方が静内以東の太平洋沿岸地域などに居住するアイヌ民族集団「メナシクル」(ウィキペディア)で、1789年に北海道東端・国後島に居住する「メナシクル」がクナシリ・メナシの戦いを起こし、松前藩が鎮圧しました。「また、考古学的には「メナシクル」の領域にのみ「砦」としての性格を持つチャシが発見されている」のだそうです。だとしたら国後島にメナシクルの砦が今も眠るかもしれません。アイヌ新法が今国会に提出されているようですが、未開拓のフロンティアにも思えるアイヌ史・北海道史にはまだまだ可能性がありそうです。

見出し画像の歯舞群島(ウィキペディア)ですが、「昭和20年(1945年)の第二次世界大戦終結時の総人口は約4,500名で、漁業人口は95%であった」ということです。返ってくれば北海道漁業にプラスは間違いなさそうです。奇しくも女子プロテニス界で大活躍している大坂なおみ選手の母方の祖父の出身地のようですし(ロシアの女子テニス選手もシャラポワ選手で強い印象はあります)、これまでの交渉を後退させない形なら返ってくるものは返ってきた方がいいはずです。

また知床半島は世界遺産ですが、国後島(ウィキペディア)の自然も「2005年に知床半島が世界遺産に登録された際には、国際自然保護連合 (IUCN)から、国後島と知床半島をあわせ、「保全の促進を(日露)両国で同意することが可能であれば、広範な『世界遺産平和公園(World Heritage Peace Park)』として発展させる」という提言が行われた」ようで、世界遺産の拡張・共同登録も含めて先の展開は考えられると思います。「島の60%はロシア国立クリリスキー自然保護区に指定されており、民間人の立ち入りが規制されている。このため、原初的自然がよく保全されている」とも。羅臼国後展望塔から根室海峡のクジラ・シャチが見えるとも言いますし、この辺の観光開発は北海道開発とあわせて結構なポテンシャルがありそうなんですよね。日本がロシアに貢ぐとか屈服するとかそういう形ではなく、win-winの関係で共存関係できればよいと思っています(ロシアには申し訳ないですけど、日本の立場としてロシアから大きな安全保障上の脅威があると思っておらず、寧ろ中国に比べて長期的な観点から弱体を心配しています)。

七奪なる韓国の主張を検討

2019-03-06 23:33:46 | 世界史地理観光
ネットでそういうツイートを見かけたのですが、教科書出版の最大手の東京書籍の教科書に日本統治期に「朝鮮人の土地を奪った」と記述しているらしい(未確認)。また、関連して七奪なる韓国の主張を知りました。韓国が被害を誇張するのは何時ものことですが、日本の教科書が鵜呑みにしているとしたら問題ですね。以下、七奪に関して検討してみます。

七奪の七とは主権・国王・人命・国語・姓氏・土地・資源を指すようです。それに対して七恩だという見方もあるようですが、さすがにそれは客観的な(教科書に載るような)見方ではないとは思います。

まず主権を日本が獲得したことは否定できません。日清戦争前、朝鮮は清の属国でしたが、日清戦争後に大韓帝国として独立しました(ロシア人が設計施工した独立門なるものを建造しています)。これで終わっていたら主権に関して日本に恩があると言えるのかもしれませんが、まぁいろいろあって併合したのは事実です。

国王を奪ったという見方は事実ではなく、併合時にいたのは皇帝だと思いますが、併合後は王公族という身分になったようです。つまり日本が王公にしました(格下げしました)(日清戦争前は王でしたが)。完全に王で無くしたのは実質的にはアメリカの指示だと思います(身位喪失)。

人命に関しては治安維持以上のものはないとは思います。

国語は確かに日本語にしたはずです。朝鮮語も教えましたが、朝鮮人も大日本帝国臣民として活躍できるよう日本語をやらせたのは間違いないと思います。日本は欧米に学び和製漢語を創造して中国語にも影響を与えましたが、それを朝鮮語においてもやるのようなことまではしなかったはずです。朝鮮語は民族語として教養か何かの扱いだったのでしょう。大韓帝国は知りませんが、李氏朝鮮では漢文が公文書で使用されており、一般人に対する教育機関は無かったようです。

創氏改名は「氏」を創設させ、「名」を改めることを許可した政策。この内創氏は全朝鮮人に適用され、父系原理の姓は法的に氏に変わりました。日本では家族はひとつの氏ですが、朝鮮では姓は婚姻で変わらず、養子も同じようで、同姓でなければ養子にとれないルールもあったようです。ただ宗族制度を維持できるよう本貫と姓は戸籍の記載に残されたようではありますが、法的に本名は氏の方になりました。名前は日本風の名前を名乗れるよう制度をつくりましたが、強制・非強制で議論があるようです。通説は強制のようですが、非強制が妥当かもしれません。陸軍中将まで上り詰めた洪思翊や陸軍大佐の金錫源、満州国軍中尉の白善燁、舞踏家の崔承喜、東京府から出馬して2度衆議院議員に当選した朴春琴らがいるからです。筆者の目には制令十九号(創氏)と二十号(改名)という2つの異なるシステムを混同していることが問題のように見えます。

土地に関して言えば、総督府は土地所有者の調査を実施し、所有者のいない土地は接収して日本人移住者や朝鮮人有力者に分配したとされます(貧しい農民に分け与えたということは多分ないはずです。何故なら戦後の日本において農地改革で地主から土地を取り上げ小作農に分配したのはGHQだからです)。総督府が接収した農地は全耕作地の3.26%ほどだそうですが、所有者がいる土地を奪ったということではありません。日本は大日本帝国を富ませるため、朝鮮においても必要な施策を行い、効果は出たようには思います(つまり豊かになりました)。

資源は何かの勘違いだと思います。そもそも資源が豊富と言われているのは北朝鮮ですが、未だに資源が眠っていると言われます。どうしてでしょうか?あれば使いはするでしょうが。日本は資源目的で北朝鮮に工業投資を行い、朝鮮戦争当初の北朝鮮優位に繋がったと言われます。

ハタは和語ではないのか?(八幡浜地名考)

2019-03-04 23:15:20 | 日本地理観光
愛媛県の地名八幡浜(ヤワタハマ)の語源ですが、大分県の宇佐神宮は全国に約44,000社ある八幡宮の総本社で、伊予(特に南予)と宇和海を挟んで対岸の豊の国は関係が結構深いですから、八幡(はちまん)神に由来すると思います。製鉄所が有名ですが、北九州にも八幡の地名はありますね。神名「八幡」は「やはた」が古名なのだとか。ここで宇佐の語源ですが、宇佐とは麻で三母音(琉球語)の名残でア→ウの転訛だという説があるようで(宇佐神宮 玄松子の記憶)、筆者は当たってるような気がします。そうだとしたら伊予の謎地名宇和はアワで宇摩はアマになるのですが(特に前者はありがちな日本の地名でそれっぽいような)。

幡はサンスクリット語のパターカー(patākā)という言葉に由来する仏具で、日本の宗教は元来は神仏習合でした。ハタは秦氏、八幡神は新羅と結び付けられ渡来系のイメージが半ば定説化していますが、筆者は俗説に近いのではないかと思います。ハタは元来多岐に渡り使われる和語ではないでしょうか?ハタは動詞としては「はためく」でも使われ、「はた」は擬音語とされ、①鳴り響く②ひるがえる③ゆらゆら動くの意があるようです。中国も朝鮮も仏教発祥の地ではなく、パターカーが日本に伝わり、和語のハタに似ていると日本人が捉えたのだと考えます。有名な渡来系氏族秦氏に関して言えば、日本書記の記述から百済説(「弓月」の朝鮮語の音訓が、百済の和訓である「くだら」と同音・同義であることから、「弓月君」=「百済君」と解釈できる。また『日本書紀』における弓月君が百済の120県の人民を率いて帰化したとの所伝もこの説を補強する)は尊重すべきと思いますが、一度にそれほど大量の移民があったかは疑問でしょう。あったとすれば、ハタ=パタで朝鮮語で海を指し、渡来人全般を指した可能性の方がありそうです(三井寺>連載>新羅神社考>福井県の新羅神社(1))。ただ海という氏はないと思いますからそれもどうかという気もするんですが。それより波多とか羽田も一部そうらしいですが、ハタに異字が多過ぎるような気がします。またハタは和語で畑か端田のような気がしないでもありません。漢字に意味があるとすれば、秦韓だと思いますが、

他にハタと言えば機織(はたおり)もあります。機=ハタになっていますが、これも元々はひらひらした反物を和語でハタと表現したと理解するのが素直と思います。機織が日本発祥のはずはありませんが、外来語が由来ならキになると思います。七夕(たなばた)が「しちせき」でない謎がありますが、バタ(ハタ)はひらひらしたものと考えると日本独自とされる短冊の風習が理解しやすくなります。また元は棚機(たなばた)で織姫をイメージしたと思えます。七を宛てたのは勿論7月7日が理由に違いありません。

ハタハタという秋田県の県魚がありますが、ハタハタは古語では雷の擬声語で、現代の「ゴロゴロ」にあたるのだそうです。ということは当初パターカーをハタと言っている内にハタがヒラヒラのイメージに変わっていき、そのイメージがついて使いにくくなったので、ハタハタをゴロゴロに変えたのかもしれません。恐らくハタハタは深海魚ですからそれほど起源が古いものではなく、非常に大きい胸ビレのイメージがハタではないかという気もします(通説は秋田で雷が多い11月に獲れるから雷魚(カミナリウオ)の意だそうです)。鳥取県ではシロハタと呼ぶほか、カタハ、ハタと呼ぶ地域もあるそうです。

水蜘蛛は何のための小道具なのか

2019-03-04 23:02:28 | 日本地理観光
Mizugumo.png(ウィキペディア「水蜘蛛」想像図)

NINJA…イメージと随分違う忍者の“真の姿”…甲賀・伊賀の忍術を集大成した秘伝書「万川集海」を読み解く(産経ニュース 2017.3.15)

忍者道具として有名な水蜘蛛ですが、別の古文書には中央の板に「座る」と書かれており、(山口県の医師)中島篤巳さんさんは「一つの水蜘蛛に座り、足に『水掻(みずかき)』をはいて、水面を進んだのでは」と推測しているようです。水掻は「万川集海」でも水蜘蛛のすぐ後に紹介されているとか。

中央の板とか浮き輪状の形から他に形状の意味が考え難く使い方として妥当だと思いますが、移動中の弓や鉄砲の使用の可能性の指摘は多分違うと思います。足場がないと不安定ですし、鉄砲を撃ったら音で見つかってしまいます。手裏剣や苦無を打つのは可能としても、堀の中から攻撃の必要性も疑問。

恐らく使い方としては、「水に濡らさないため」だと考えます。忍者は鉄砲も使えますが、火薬は濡らすと使えません。堀を越えて城潜入後の仕事もズブ濡れだと困りますから、「タオル」や代えの服も必要かもしれません。忍者たるもの泳げはするでしょうが、持ち物を濡らさず渡る道具が必要かと思います。

苦無(ピクシブ百科事典)

投擲用の武器、格闘戦のためのナイフ、スコップ・壁を登るための鉤爪、投げ縄の錘(おもり)、水を張ってレンズ代わりにも。様々な用途に用いることのできる万能忍具でサバイバルナイフに近いらしい。

忍者人気はサムライ人気のバリエーションかもしれませんが、「手裏剣を打つ」 とか(多目的に使える)「クナイ」とかそれっぽいと思うのですが、忍者観光にどうか。忍者ってお話のように扱われることもありますが、忍者道具は使えたはずなんですよね。具体的な(実際に使われた)ブツの使い方とかスパイゴッコみたい?で面白そうな気もします。