観測にまつわる問題

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水害の実態と対策

2018-07-16 11:12:40 | 政策関連メモ
今度の水害でちょっと勉強してみようと思い、先日、本屋で見繕って「事例からみた水害リスクの減災力」(末次忠司/鹿島出版会)を購入。今しがた読了。自分の印象に残った箇所をメモして簡単に考察します。

①災害時、行政は災害対応に忙殺され、住民・マスメディア対応もあるので、中々平常時のような冷静な対応をすることは難しいので、事前に災害対応のシナリオをたて、訓練しておくことが必要(64p)。

マスメディアの(地元住民に対するインタビューの)話題をネットで見かけましたが、現場で対応にあたる行政の足を引っ張っていないかという観点も有り得るでしょう。筆者はマスメディアの取材も重要と思いますが(一次ソースをマスコミに拠らないSNSで知るというのはデマを知ることとほぼ同義であり(噂話ほど事実から遠い危険な情報はありません。面白可笑しいだけです)、行政対応のチェックを考えると、情報源を全て行政に頼る訳にはいきません。無論個人的なツテで安否確認することの重要性を否定している訳ではありません)、被災者を傷つけたり、災害対応の足を引っ張ったりすると本末転倒になると思います。

②アンケートで「必ずしも当たらなくても避難勧告・指示を出した方が良い」が88%で、「当たらないのであれば避難勧告・指示を出さない方が良い」が9%(65p)。

行政が狼少年になってしまうぐらい、「とりあえず出しとけ」は、防災の実効性の観点から逆効果だと筆者は思いますが(勧告や指示を出す時は従ってほしい時で、アンケートがどうであれ空振りが続くと特に実態を知らない層の行政に対する信用を失わせると思います。アンケートは出すのは出しとけば?を含んでいるのではないでしょうか?実際に避難が実行されて空振りが続いたとして88%が良い、これからも続けると言えるかに疑問があります)、迷うぐらいだったら、避難勧告・指示は出すべきだとなります。この本の他の箇所を見る限りでは、ある程度の確度で避難勧告・指示は出せるだろうと思います。いずれにせよ、対応の空振りより見逃しの方が厳しい見方をされるという指摘はその通りでしょうし、(費用対効果の観点は無視できませんが)災害の兆候を見逃さずに事前に勧告や指示を出していく体制を整備していくということが、行政の仕事なんじゃないかと思います。多分主軸になるべきは、総務省消防庁か国土交通省/気象庁/水防団なのでしょう。これに防衛省が要請を受けてサポートし、最終責任は政治家(地方自治体行政の長/職員や水防団を指揮できます)ということになるのではないかと思います。

③予測降雨は1時間先であれば、ある程度の予測制度を有しているが、3時間以上先だと予測の精度が落ちてしまう。当時の実績水位等の洪水状況から求めたパラメータを用いた予測計算を行うと、精度よく予測することができる(73p)。

別の箇所(13p)から総雨量ではなく、時間雨量の影響が大きいそうです。予測の精度は観測体制を整備すれば上がって行きそうですが、一日前に予測するという訳にはいかないのかもしれません。地元の首長ならまだしも、首相を精度の低い予測で振り回す訳にはいかないだろうと思います。災害の規模にもよりますが、東日本大震災クラスでもなければ、責任者/指揮官が首相ということにはなりそうにもありません。一時間は自宅待機していれば、避難に十分の時間かとは思いますが、あまり直前だと渋滞の危険性もところによってはあるかもしれません。後は豪雨の中避難指示が伝わるかの問題もあります。国がこうした問題に対応しなくていいとは全く思っていませんが、実際的に考えると、チェックすべきは地元行政の対応がシッカリしていたかになろうと思います。こういう微妙なバランスの問題を地元対応しないのであれば、地元の行政の存在意義すら問われることになると思います。そしてチェックのため働くべきは地方議員であるはずです。例えば24時間前に対応できる準備だけしておいて、いよいよ確度が高いことが分かれば、避難指示・勧告をキッチリ行い、人命財産を守っていく、あるいは道路等の危険箇所は事前に分かっているんじゃないかと思いますが、危険箇所を記載したマップを公開し近づかないよう呼びかける等考えられ、そうしたことが行われたか、これからどう体制整備していくかという話を議会でして住民に伝えていくというような仕事があると思います。ノウハウは国にあるでしょうから、国の(体制整備等による)サポートも重要でしょう。

④第5章「災害の前兆現象、河道の弱点箇所の着眼点」(79p~87p)

プロが点検したら、事前に被災しそうな箇所も分かりそうですし、補修もできると思うんですよね。何時災害が来るか分かりませんし、点検や補修も時間や費用がかかる訳で、神ならぬ人間が完璧な対応はできないでしょうが、やはり堤防決壊という結果が出ている以上、点検・補修体制が整っていたかは反省点になると思います。

⑤「減災に活用できる新技術」(100p~103p)

潜水ドローン・水陸両用バギー・救助用ネット・救助活動用伸縮棒が使えるそうです。ネットでは水上バイクによるボランティアの救助が話題になり、それはそれで良いことだと思いますが、行政に必要な設備が整っていることも重要でしょう。設備を眠らせておくは有り得ませんから、海自や海保等に設備があると良いかもしれません。
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沖縄での海自の主導的役割に期待したい

2018-07-08 23:30:15 | 政策関連メモ
陸自や空自は勿論ですが、特に海自に沖縄で頑張ってほしいんですよね。前にも離島奪還の話で書きましたが。

陸自は最大規模の人員を抱えますし、国際貢献の要でもあり、本土防衛・災害対応の主軸でもあると思います。海洋国家といえど人間は陸の生き物です。

空自は航空機が強い現代で宇宙関連の話も絡んできます。最新鋭兵器がらみは空自多いですよね。

海自は潜水艦は重要ですが国情で打撃力がなく、艦隊戦は元々滅多に起こらず、ミサイル迎撃は陸上からの方がコスト面で有利でしょう。イージス艦は重要だと思いますが、前線に出て強力なレーダーを使うとか、電磁波の放出に配慮するとかいう使い方になるんだろうと思います。正直今ひとつパッとしない感じが、代表を国会議員に送ることに繋がっていないのかもしれません。

まぁ米国と戦った主軸が海軍だったというのはあるかもしれませんが。アメリカが気にしているとか、海自が気にしているとかあるんでしょうか?

米軍ではアジアにおいてもっとも前面に出ているのは海軍だと思います。アメリカインド太平洋軍には代々海軍大将が就いているというじゃないですか。南シナ海にも出張りますよね。米大陸の国が太平洋を渡って活躍しようとなれば、海軍になるのでしょうが、太平洋には島も多く、陸上に実際に上がって戦争までは中々考えにくいところもあろうかと思います。逆も然りが少しややこしいですが、日本の立場でも太平洋関連は海自が本来やるべきでしょうし、旧軍(海軍)は島嶼部も含めてやはり太平洋での戦いを担当していました(東南アジアは陸軍)。

沖縄は陸軍だったかもしれませんが、太平洋方面を東に向かう可能性は考えられない今、沖縄を海自がやらずしてどんな仕事があるのかとは思いますね。南シナ海も出張ってきている勢力が核武装勢力なので、日本が何処まで主戦力でやれるかビジョンが見えません。陸軍は沖縄戦で正直良いイメージもありません。佐藤議員も最初は離島防衛に懸念を示していたような記憶があります。離島に立て籠もり、鉄壁で撃退は中々難しいでしょうし(そこまで行ったら航空優勢がとられています)、やっぱり海は渡っての作戦主体だと思います。揚陸艦は重要で陸自に需要は大きいでしょうが、潜水艦を考えずに揚陸艦は使えません。潜水艦はヘリでも対応できるかもしれませんが、やはり餅屋は餅でプロは海自になります。海自も陸上兵力や航空機は持てます。

空自の航空優勢は極めて重要でしょうが、あまり陸上の作戦を含んで空軍主体は聞きません。専門に特化のイメージがあります。

アメリカでは離島奪還は海兵隊で海兵隊が鍛えたのが陸自らしく、どうもややこしい感じがありますが、やっぱり海を渡っての作戦の中心は海軍関連じゃないでしょうか?特に島嶼関連ではです。東南アジアは小さな島嶼部も多いですが、日本本土もそうですが、それなりの大きさの島が結構あって、陸上部隊は極めて重要です。沖縄本島はそれなりの大きさの島ですが、まさか沖縄本島に立て籠もって戦うことを想定している訳じゃないと思います。

米軍は米軍でバランスはとれているんでしょうが、日本は三軍がいい感じにしのぎを削っているように見えません。バランスがとれてこその統合運用で、上手く行ってないのだとしたら、海自に焦りもあるのかもしれません。自分のところに手一杯で余裕がなければ、協力しようと中々ならないのではないでしょうか?

海自は海保の影に隠れているようにも見えるんですよね。実際の戦力は比較にならないでしょうが、活躍の場、露出度が違うような気がします。

陸自は現実的な話として半島有事も考えるべきかもしれません(米朝対話はありますが、備えをしない訳にはいきません)。国民の命を守る上でミサイル関係も重要です(大陸間弾道弾は空軍かもしれませんが、それはまずありません)。天災が多い日本で本来の任務外ですが、露出も多い。幾らでも仕事はあるんじゃないでしょうか。
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財産とは?(知的財産権)

2018-06-28 08:17:26 | 政策関連メモ
知的財産権の財産って何だと思います?普通は著作権料などお金だと思うでしょう。それは勿論正しいです。しかし、今回指摘するのはそこではありません。

一般に財産には繋がり・人脈も含まれるのではないでしょうか?少なくとも日本では、知的財産権の文脈でそこはほとんど意識されないと思います。

参考にしたら、参考にしたことを正直に言うことが大切でしょう。「インスパイアされた」と言えばいい訳です。それが言えないのはインスパイアされたと称して丸パクリする奴がいたり、勝手に名前を使ったと大御所の側がキレ始めたりするからなのかもしれません。必要なのは本当のことを言うことなのであって、丸パクリはインスパイアではありませんし、インスパイアされるのは盗作ではありません。知的刺激を受けて創作するのは通常のことであって(寧ろそれを促すのが良い創作な訳です)、恥ずべきことでは全くありませんし、影響を与えたからお金を請求できるというような性質のものでもありません。巨人の肩の上に立つという言葉は、勿論インスパイアを否定する文脈で言われるのではなく、インスパイアの重要性を指摘する文脈で言われるのだと思います。筆者の見るところ、日本人は盗作の奨励か何かと勘違いしているようにも思えます。自分で努力もせずに他人の意見を収集して自分の意見として発表する、確かにカスの所業です。カスは勿論ゴミ箱に棄てた方が良い。しかしながら、面白い話に刺激を受けて新たなる話を創るのは、寧ろ創作活動そのものなのであって、厳密な線引きは難しいにせよ、それを盗作と混同することが間違いである訳です。また、影響を受けたからどうとか言ってその量は測れませんし、使うな金払えと言って商売できるものではありませんし、影響を与えることを拒否できるものではありません。重ね重ね盗作は勿論駄目ですが、インスパイアは盗作では全くないのであって、インスパイアされたくないなら、アイディアを有している側が発表しないとか、自分が望ましいと思う人にしか伝えないようにするしかありません。メールマガジンでもmixiでも如何様にでもすればいい訳です。一般に公開しておきながら、誰それはOKで誰それは駄目とかいう考え方そのものが、誤りなのであって、それを強く意識している人こそ自分の考えとは真逆にカスそのものだと筆者は思います。

問題なのは人が思いついたことを自分が思いついたように言うことであり、引用・出典等が無くても構わないと思っていることです。引用や出典があることで、これはあれの影響なのだなと一般に分かるようになり、引用元・出典にメリットが出てくる訳です。インスパイアも同じで、それまで知らなかった人にも、こんな凄い人がいるんだと分かってきます。ここのところをキチンとしないと、アイディアマンは報われず、発明家にでもなって特許をとるとか、漫画家になって漫画を描くとか、学者になって論文を書くとか(ゴーストライターとかいるみたいですけど(笑))決まりきった職業にしかなれないということになります。でも、本来そんな狭い枠で考える必要は無く、アイディアというものは何処でも出せる訳ですし、それが良いアイディアであるならば、認めて(←ここが重要です。コッソリ盗むのはカスの所業です)ドンドン使えば、日本の低い生産性もドンドン上がって来るのではないでしょうか?こと日本においてはアイディアマンは認められず、口先だけと勘違いされているような気がします。アイディアを出すことだって立派な仕事であり、勿論使えないアイディアは必要ありませんが、アイディアそのものを否定しているようでは、何の反省も改善もなく、その結果が低生産性ではないだろうかと思いますね。理系はともかく(?)、日本の文系は筆者の見るところ、全く分かっていないような気がしています。認められないことをしようとする人はよほど変わっていますし、そんな人がそうそういるはずも無く、いても使い物にならないとか、自分でやりたいからやってるだけなので、他人の思うがままにならないということになるのではないでしょうか?「言うことを聞かない奴だ」と勘違いする前に、自分の態度を反省すべきだと思います。必要ないなら必要ないで、そんなものに関わっている暇はないはずですし、一々粘着する理由がないはずなんですよね。放置が合理的なはずですし、放置ができないということは何らかの思いがあるということになります。筆者は既読スルーを必ずしも悪いものとは思っていませんし、過剰に配慮する必要は無いと思っています。回答があれば嬉しいは嬉しいでしょうが、相手にも事情があります。そうしたことに耐えられないなら、知り合い同志の狭い世界で満足するしかありません。

自分が好きでない人に参考にされたというのが不快だと思う人がいるのかもしれませんが、どうでしょうか?盗作されている訳でもなし、影響を与える側にマイナスってないはずなんですけどね。まぁ犯罪者の所有物に自分の著作などがあったら、マイナスかもしれませんが、滅多にない事態でしょうし、それはそれで事実でもあります。いずれにせよ、好ましからざる人物と言えども盗作をしていなければ、法によって行動を規制することはできませんし、影響を与えたは与えた側が優位に立っているのが通常ですから、肯定的に捉えておくことが精神衛生上もいいんじゃないかと思います(相手は悪いことをしているのではなく、寧ろ良いことをしているのだと少なくとも筆者は思っています)。時には後進が育つこともあるかもしれませんが、嫉妬は醜いと考えるべきだと思います。まぁ日本はキリスト教(嫉妬は七つの大罪のひとつです)世界じゃありませんし、そこのところがどう考えられているのか今ひとつ分かりませんけれども。横並びを是として突出したものを叩くのを是とする限りは突出したものは生まれないのは確実なはずです。そうした社会を維持するのもひとつの考え方ですが、これからは知的財産権が重要な世界になるかもしれません。SNSのfacebookは世界で5本の指に入る会社ですし、伸び続けるアメリカに対して日本の停滞は否めません。日本社会は曲がり角に来ているような気もしますね。直接お金がとれるような種類のことでなくとも、つながりや影響を正確に明示して、アイディアを膨らませていき(皆が皆ゼロを発見する訳にはいきませんし、完全なオリジナルに見えるようなものでも、何らかのアイディアは元にあるものです。つまりインスパイアは創造の核心のひとつだと思います)、アイディアを当人に還元するような動きが強まれば、日本もポテンシャルはありますから、広くアイディアマンが生まれて力強い発展が再びあるのかもしれません。

オープン・イノベーションという言葉がありますが、筆者の見立てでは成功の鍵は決定的なアイディアを出した個人に何らかの形で利益が還元されるか否かに成功はかかっていると思います。決定的なアイディアを出しても皆の手柄になるなら、決定的なアイディアを出せる人がいるとして、そういう人は独立を目指したりするなどして、まずサボタージュ始めるのではないかと思います。皆が平等にアイディアを出せるユートピアなど存在しないのであって、往々にして能力に決定的な違いがあることがあります。与えるだけ搾取されるだけが分かっていて努力する人がいるとは筆者には信じられません。人間はそんなに馬鹿じゃありません。泥棒とは知的世界においても社会の癌なのであって、能力に応じて取り分の違いがあるのが当然です。筆者は共産主義など笑止で話にもならないと思っています。現実の共産主義も試験秀才優遇でエリート官僚天国でした。ユートピアは地球上何処にも存在せず、これからも生まれることはないと確信しています。ともあれ、オープン・イノベーションにおいても決定的なアイディアを出した個人に何らかの形で還元されれば発展するし、そうでなければそんなものは淘汰されると筆者は考えています。

以下話は逸れますが、共産主義者がファッションでか知りませんが保守を名乗りたがる世の中のようですが、結果の平等がある理想社会を築きたければ、革命でも志すしかありますまい。先人に倣うべきですよね。南米のジャングルにでも逃げ込んで米帝とやらを挑発するのが関の山でしょうが。理想社会を目指す理想主義者が現実を良くする訳では必ずしもありません。往々にして理想主義者が現実をブッ壊し、自分や他人を不幸のどん底に叩き落します。それが明らかになったのが、共産主義の敗北という歴史的事件だったと思いますが、人は自分の考えに固執するものです。誤りを認めないところから言い訳が量産されると思います。間違いを糾そうとしている人間が自分の間違いを認めることって、まずありません。理想主義者ほど(本人が気付かない)言い訳が多くなるような気がします。いずれにせよ、革命を志してきた系譜の人間が保守を名乗る茶番は止めにしてほしいものです。ゾンビが自分が死んでいることに気付いてないようなものなのでしょう。

百田尚樹氏の小説にフォルトゥナの瞳という本があって、先日読み面白いは面白かったのですが、正直決定的に間違っているんじゃないかって気がしますね。ネタバレになりますので、興味がある人はご自身でお読みください。人間の本質・挺身の本質まで考えが及べば、著者冥利に尽きるのかも???ツイッターを見ましたけど、当人は打たれ弱く絶賛を求めているらしいので(創作者によくいるタイプのように思います。漫画家なんかも編集が守らなければ、ネットで自分や作品の悪評を見て心が折れる人もいるとか。筆者など心が折れるなら自分の悪評が書かれているところに行かなければいいし、悪口を聞きたくないと言っている人に悪口を聞かせるようなサイテーの行為(ツイートなどで粘着)をしなければいいと思うんですけどね。チクる奴は本人に配慮して聞かせないようにしているネタ元が悪いのでは1ミリもなく、100%ワザワザ耳に入れに行っているチクり元が悪いのだと筆者は思います。北鮮や某人民の大国では密告が奨励され、ネタ元が罰されるのかもしれませんが、ここは日本です)、そこのところは配慮するべきだと考えていますし、筆者は絶賛できなかったのでリプライは諦めました。

以上です。知的財産権を書くと予告しましたから、米中対決を書くと思ったそこのあなた!・・・申し訳ありません(笑)。書きたいは書きたいですが、知識が足りんのです。良く分からないことに言及している場合じゃありませんしね。予告がネタバレになったら面白くないのでワザとやっていると思ってください。予想される程度のことをワザワザブログ記事にしようとは思っていませんが、成功したでしょうか?(笑)その辺はツイートとは違いますね。まぁ何時も書いている持ちネタが理解されてないと感じる時に書くのはアリだと思っていますが、できるだけ今まで言ってないことを書こうとは思っています。つまらないと思った方も読むのは自由ですが、自分の時間を大切にされることを推奨します。何故か怒りが湧いてきた人は、ほとんど180度真逆に間違っていると思います。こんなことを書く奴が悪いのではなく、そんなものをワザワザ見ている自分が悪いのであり、そんなものに影響される連中が悪いのだと考え、自分の道を邁進してください。ネットでの犯罪推奨を筆者は否定しますが、筆者は犯罪に関わり無く自分の考えを開陳しているだけであり、犯罪を推奨しているのでは全くありません(寧ろどう見ても犯罪を否定する内容になっています)。

※追記:昔は特にそうだったと思いますが、個人主義のイメージが一般的な欧米の方が著書で協力してくれた人の名前を出して謝意を示すことが多いです。集団主義のイメージが強い日本ですが、少なくとも物書きは他人の影響を感じさせずあたかも全て自分で考えたかのような人が多いです。出典・引用も欧米文化ですし、大学は民主主義政府より古いとも言われるようで、日本が単に分かってない、勘違いしているところがあるような気がしています。日本は良い国と思いますが、勿論無謬ではありません。日本が無謬と思い込み夜郎自大になった時が盛大に道を誤る時なのでしょう。
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1928年朝鮮地図に存在しない島

2018-06-27 09:46:32 | 政策関連メモ
少し前のニュースになりますが、関心のある話題ですので、取り上げておきます。

「朝鮮地図」竹島記載なし 童謡書籍や辞典扱う出版社(山陰中央新報 2018年6月9日)

>朝鮮の出版社が1928年に刊行した「朝鮮地図」に竹島(島根県隠岐の島町、韓国名・独島(トクト))が描かれていないことが分かった。出版社代表は、朝鮮の伝統的な童謡をまとめた書籍を出版していた。専門家は「朝鮮の文化や歴史を守る意識が強い人物が竹島を描かないのはおかしい。もともと竹島に関する認識がなかった証拠だ」とする。

>地図は島根大法文学部の舩杉力修(りきのぶ)准教授(47)=歴史地理学=が、東京都内の古書店で入手した。

半島人や中国人は自身に都合が悪い地図を購入して証拠隠滅を図っているとも言われますが、まだ残っていたというより、多分何処かに保存されていた地図が出てきたのではないかと推測します。

日本は竹島を竹島と呼んでいませんでしたが(松島と呼んでいました。鬱陵島が竹島と呼ばれています。それだけ認識が曖昧だったということです)、韓国が竹島を古い時代に独島と呼んでいた証拠は一切出てこず、于山島は竹嶼か鬱陵島そのものあるいは存在しない島(古い時代の地図はしばしば重大な誤りが含まれます。于山国が朝鮮の史書に見えますが、竹嶼にも竹島にも国が存在したはずがありません)、石島は観音島/鼠項島であるはずです。参照:実事求是 第34回 事実無根。韓国の「独島の日」について(島根県 Web竹島問題研究所)

韓国は日本が竹島を奪ったと主張していますが、韓国が竹島(韓国名独島)を領有していたという事実が存在せず、ゆえに奪ったという事実も存在していないと考えています。韓国が幾ら声高に主張しようとも、無かったものが有ったことにはなりません。

度々指摘してきましたが、韓国には前科もあります。

波浪島(ウィキペディア)

>今なお所在不明だが、韓国政府は現在も公式にその存在を否定していない。東シナ海の蘇岩礁(実際は暗礁)が波浪島だと主張されることもある。

北朝鮮も同じですよ?(拉致問題は「ありもしない」 北朝鮮が日本を牽制 産経ニュース 2018.6.26 19:45)

ないものはない、あるものはある。証拠に従ってしか話は出来ません。中国も同じです。
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日韓基本条約と日朝交渉

2018-06-24 11:43:39 | 政策関連メモ
半島問題ですが、日本の立場で日韓基本条約と日朝交渉をベースに考察してみようと思います。

とかく韓国人・朝鮮人は被害者意識が強く、それは止むを得ない歴史的事情があるのかもしれませんが、日本人の立場からはしばしば違和感を感じ、過剰な被害者意識を問題にしたいと思うことがあります。

日韓基本条約は韓国人の中で悪い条約の極地として挙げられていると思いますが、全然違うと思います。いろいろな論点はありますが、ここは半島問題(北朝鮮問題)に絞って論じることとします。

日韓基本条約で「日韓両国は日韓基本条約第三条にて韓国政府の法的地位を「国際連合総会決議第百九十五号(III)に明らかに示されているとおりの」として朝鮮にある唯一の合法的な政府とすることで合意した」とされており、北朝鮮は自分を認めないこの条約を当然、「日本・南朝鮮「協定」とよび、日本からの「強盗さながらの要求」によってむすばれた無効なものであると主張する。」ことになっています。(ウィキペディア参照)

韓国人の被害妄想は激しい印象ですが、日韓基本条約は韓国の国益に大きく資する条約であって、廃棄当然の悪の権化のような条約ではありません。日本政府は日韓基本条約ベースで日朝交渉を進めようとしています。

韓国人には日韓基本条約を蔑ろにするイメージしかありません。最終的かつ完全な解決を無視して、しばしば新しい問題を生み出そうとします。慰安婦合意も同じで、何遍最後だと約束させても不屈の闘志で言い訳捏ね捏ね同じ話を蒸し返してきます。ネット上では日韓基本条約を破棄しよう!などと煽る書き込みがしばしば見られ、完全に悪い条約扱いになっています。しまいにしゃ、有事の際に北朝鮮が味方で日本が敵などとのたまう馬鹿野郎も出てくる始末です。

38度線が対馬まで下がるのは困りますが、日本に他にやりようがない訳ではありません。

北朝鮮は最近まで最大の支援国中国とも喧嘩していた主体思想の誇り高い国です。韓国が寝返るなら、同じ民族の北朝鮮の寝返りもありで、日本の国益上、遠交近攻で北朝鮮と結ぶことも考えられないとも言えません。その方が経済上のライバルも減りますし、もっともイチャモンをつけてくる隣国と晴れて敵対できるとも考えられます。日米同盟でアメリカの都合も重要ですが、アメリカは在韓米軍撤退を言いがちですし、説得が不可能だとも思えません。

こうした考え方を防いでいるのが日韓基本条約な訳です。お分かりでしょうか?

~以降6月27日追記~

客観情勢として北朝鮮が日本の悪口を連呼しているようです。北朝鮮が如何に悪口を連呼しようとも、日本は日韓基本条約がある限り、北朝鮮を正統政府として認めることなど有り得ないと知るべきでしょう。安倍首相はプラグマティストなので、誘拐犯相手に賠償金請求するような愚は犯さないと思いますが、金正恩氏は親父さんの時代の共同宣言並びに日本を信じることは出来ます。朝鮮人は嘘吐きしかいないかもしれませんが、日本政府はブレませんから、これほど信用できる相手はいません。

国交正常化と言えば日中国交正常化が想起されますが、台湾との関係がない訳ではありません。話が逆ですが、多分順当に行けば、韓国を正統政府と認めつつも、北朝鮮との関係を有するような感じになるのでしょう。いずれにせよ、その辺の話は安倍首相でなければ分かりません。

北朝鮮が興味ないアピールは結構ですが(笑)(アピールをしている時点で興味津々がモロバレです。嘘吐きの平壌運転です)、アメリカも金を出さない日本と話もしないなら、北朝鮮は宗主国様の靴を舐めるか、文在寅氏とお手手つなぐぐらいしかやれることはありません。

日朝平壌宣言(外務省)

>日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した。

反省の気持ちは表明しています。北朝鮮が共同宣言を無視し、これを無かったことにしているのも承知しています。

>日本側が朝鮮民主主義人民共和国側に対して、国交正常化の後、双方が適切と考える期間にわたり、無償資金協力、低金利の長期借款供与及び国際機関を通じた人道主義的支援等の経済協力を実施し、また、民間経済活動を支援する見地から国際協力銀行等による融資、信用供与等が実施されることが、この宣言の精神に合致するとの基本認識の下、国交正常化交渉において、経済協力の具体的な規模と内容を誠実に協議することとした。

北朝鮮はせっかくの約束を無効だと宣言しても良いのでしょうか?嘘吐きが嘘を吐くことに驚きはありませんが、日本は全くブレていません。戻ってくる決心ができれば、戻ってくればいいのでしょう。

>国交正常化を実現するにあたっては、1945年8月15日以前に生じた事由に基づく両国及びその国民のすべての財産及び請求権を相互に放棄するとの基本原則に従い、国交正常化交渉においてこれを具体的に協議することとした。

日韓基本条約を考えれば、正常化したからと言って、北朝鮮が半島の合法政府になることはないのでしょう。ですが、基本原則に従い日韓基本条約に準じて、相互に請求権を放棄することになるはずです。北朝鮮が日本に対する請求権を手放したくなければそうすることもできますが、そうしていただければ、北朝鮮の支援などという、犯罪国家の支援などという不道徳で政治的負債とも言える任務から解放され、その意味では万々歳ということになります。拉致問題が進まないとすれば非常に残念ですが、(北朝鮮は日本の政治状況を全く知らないでしょうが)日本人誰しもあんなとんでもない連中に金を渡すなんて!(しかしながら、犯罪者は実力行使(逮捕)できないなら、交渉して相手の要求はある程度呑むより他ありません)(韓国は日本は体制さえ整えれば(安倍政権はその準備中です)、少なくとも韓国よりは遥かに北朝鮮などに配慮しなくても構わないということを知るべきでしょう)と思っていることに気付くべきだと思います。

多くの韓国人と恐らく違って?多くの日本人は北朝鮮と関係が良くなることを望んでいません(日本は民主主義国です)。関係改善の動きが政府にあるのは、そうしないと話(核問題・拉致問題その他諸々北朝鮮は悪行の限りを尽くしました)が全く進まないからに過ぎないはずです。国政において常にリアリズムが重要だと思います。

北朝鮮はさっさと非核化を進め国際社会に作業の進展をアピールすることもできます。韓国や中国・ロシアその他諸々好きなところと話をすることもできるでしょう。核開発を再開して総スカンをくらうこともできます。

ただ、日本政府はブレないと筆者は思います。北朝鮮はそこのところを理解せねば、何一つ日本に対する影響力を持たないままになるでしょう。

>在日朝鮮人の地位に関する問題及び文化財の問題については、国交正常化交渉において誠実に協議することとした。

在日朝鮮人は本国に見捨てられていますね。影響力の無いカードは不要な気がしないでもありません。
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復興学考

2018-06-24 10:36:25 | 政策関連メモ
日本災害復興学界が存在しており、趣旨のページに「災害復興学という学問領域は、まだ存在しません。私たちは簡単に「災害からの復旧・復興」と口にしますが、「復興」についての定義すら定かでないのです。」とあります。

言葉の定義すら定められていないのですから、学問として未発達は明らかだと思いますが、復旧と復興の定義を考えることは重要だと思い、考えてみました。

まずは復旧とは何かを考えます。復興は復旧に対する言葉だと考えられるからです(復興学は始まったばかりです)。

復旧とは「元通りに戻すこと」でしょう。旧が旧い(旧い)で復が復る(かえる/返る)の意味があります。天災などでインフラ等がダメージを負った場合に復旧という言葉を使います。被災地においても復旧は勿論大切です。

復興とは「元通りにした上で更に発展させる」だと思います。興すには「盛んな状態にする」という意味があり、例えば新興国という使われ方があります。復という字もありますし、復旧を包摂しているとも言えますが(一般に復興と言われるときにインフラの復旧が包摂させれていないということはないと思います。言葉の定義はしばしば複数あります)、あえて区別するなら、復旧という概念に収まらず更に上を目指す考え方が復興だと思います。これは焼け野原になった後で高度経済成長した歴史を意識しているのではないかとも考えられます。天災が来て良いということはないと思いますが、旧い設備が壊れて新しい設備を新築した方が急速に伸びるというケースがないとは言えません。日本には「災い転じて福となす」という言葉があります。返す返す言っておきますが、天災を歓迎することは有り得ず、来てしまってからの態度に関して、あまりくよくよし過ぎない方がいいんじゃないかと示唆したい訳です。

学問的には復旧と区別し(隣接・対立する概念がないと学問としては分かり難くなると思います)、例えば旧に復することがスタンダードなものを復旧と定義し、新しいものをつくることを復興、(瓦礫など)放置、(更地にするなど)整理の4つに分類して計測してみると学問として成立するような気がします。文系学問で計測がない学問はありますが、復興を考える上で金勘定をしないということは考えられず、計測は必須の条件と言えると思います。言葉の定義が明らかになれば、計測以外でも議論は成立します。復旧・復興・放置・整理の率を面積や金額(地価・建物価格)ベースで数字を出せば、復興の状態や進捗度が理解しやすくなり、事例間の比較がやりやすく議論も発展しそうですよね。

復旧は既にある技術・ノウハウを元に重要な部分を素早く元に戻す意味があって、本来はポジティブなものだと思います。その際新しい技術が出ていれば多少はバージョンアップするかもしれませんが、誤差の範囲内だと思います。電力会社や水道工事の業者はそうした技術を持っており、訓練されているのでしょう。

しかし家が倒壊したとして、同じ家を建てようとする人がそうそういるとは思えません。企業等が入るビルの倒壊があったとして、それも復旧はまず考えにくいところです。放置・整理しないなら、復興というかその時点で新しい土地の使い方を考えるはずです。新しい家を再建するか、そこは例えば駐車場にして別のところに住むかは分かりません(同様で新しい建物を建てる復興と、別の種類の建物を建てる転用(復興)の区別も重要でしょう)。いずれにせよ、復旧/復興はもう大体その建築物の性格次第で既に決まっており、選択の余地はあまりないのではないかとも考えられます(復興内(新造と転用)では選択の余地が大きそうです)。

こう考えると、復旧が極めて重要で助け合いや援助が重要だと大体分かってきます。復興も重要ですし、助け合いや援助も必要ですが、新しい建物を建てるポジティブな行動を全面援助しようと考える人はあまりいそうにありません。例えば半分援助で半分は自己資金でやるみたいな発想が大切ではないでしょうか?また、復旧は極めて重要ですが、プロの領域で素人がやること・やれることはあまりないとも考えられます(被災地ボランティアやケアは極めて重要ですが、復興の枠組みで語られることはあまりないと思いますし、復旧でボランティアが重要という発想も成立していないと思います)。自衛隊の災害対応は基本的に復旧に属し、復興はならしをする意味があるのではないかと思います。いずれにせよ、復興は復旧が落ち着いた後に、国がアシストしながらも、地域主体で行われるものではないかと考えられます。地域の事情を知らず必ずしも責任を持てない中央政府が箸の上げ下げまで指示して復興をやり遂げるのいうのは誤りなんじゃないかと思うんですよね。復旧は定型的ですし力のある国がビシッとアシストし、復興の領域は国のアシストは控えめに地域主体・共同体主体・個人主体で進めていくべきではないでしょうか?

言葉の定義が重要と意識したのは最近で、多分ディベート文化とその意識は切り離せないような気がしています。違う考えの人と対話せずに言葉の定義が気になることってないと思いますし、それでも別に大体やっていけると思うんですよね。
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半島非核化とは

2018-06-09 23:58:11 | 政策関連メモ
小ネタですが、半島非核化に触れておきます。

半島非核化を北朝鮮は主張しますが、自身の非核化を本当に実行するかはさておき、北朝鮮自身は自身を核保有国と定義しているのは理解しています。名目上はともかく、北朝鮮は事実上の核保有国と目されており、北朝鮮が核保有国として容認されていないということは、核クラブの特権を認められていないのと同じ意味だと思います。

良く分からないのは、北朝鮮が半島非核化の文脈で在韓米軍撤退を絡めてくることです。韓国は半島の国ですが、あらゆる意味で核保有国ではありませんし、そうだと一切目されていません。でなきゃ、韓国保守派にありがちな核武装論は有り得ない訳です。核保有国でないから、核保有国になろうと主張している訳でしょう?NATO諸国で核武装国は英仏です。他の国は米軍が存在していたとしても核保有国ではありません。日本も核保有国ではありませんし、韓国も核保有国ではありません。北朝鮮だけが事実上の(容認されない)核保有国なのであって、北朝鮮の主張は在韓米軍撤退を絡めているとすれば、全く論理性を欠き意味不明です。

北朝鮮の主張とされるものは、半島非核化では恐らくなく(そうだとすれば北朝鮮だけ核を放棄すれば事足ります)、米韓同盟破棄論なのでしょう。韓国も北朝鮮同様半島の国ですが、韓国は韓国、北朝鮮は北朝鮮なのであって、米韓同盟どうこうを主張するというならば、大きなお世話、聞こうが聞くまいが韓国・米国の自由ということになります。主張するのは自由ですが、話を相手側が聞くとは限りません。そんなに核の傘がほしいのであれば、中国でもロシアでも頼めばいいんじゃない?というのが筆者の北朝鮮に対する提案です。韓国や米国の考え方を明快に知っている訳ではありませんが、北朝鮮がどこの国と同盟してはならないという話を筆者は寡聞にして聞いたことはありません。多分、その辺の条件はイーブンのはずであり、北朝鮮だけが自身が掲げる半島の非核化に違反しているのではないでしょうか?

国連が全会一致で止めているにも関わらず核武装を進めた北朝鮮は非核化を達成した上で、中国のように経済発展路線を歩めばいいんじゃない?ということですね。正面の敵は首都を人質にとっており、背後の大国は味方と言えます。原状回復が制裁解除の条件という訳です。拉致問題を解決すれば日朝国交化正常化が視野に入りますし、その方が北朝鮮にとっていいと考えられます。

こちら側の考え方はかなり明快で誤解の余地はないと思うのですが。経済発展が体制崩壊に繋がると主張する向きもあるようですが、じゃあ中国は何時崩壊するのかね?危険だナ~ということになります。準備しなくちゃ大変だ、北朝鮮が滅び、韓国が滅んで、あるいは玉突き的に日本に悪い余波が来るかもしれません。全て可能性はゼロではありませんが、有り得なそうな話をされても?ということになります。実際に経済発展したとかいう金正恩体制でピンピンしているのに、何が?でしょう。

北朝鮮の理解が早いと助かるんですけどね。どうなることやら。
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皇位継承問題における大同小異

2018-06-09 19:33:23 | 政策関連メモ
将来続く可能性がある皇位継承者が事実上悠仁様しかいなくなっているというのが皇位継承問題ですが、これで男系VS女系のような話になっているのは、捏造というかほとんどデマに近いと思うんですよね。筆者は女系容認論者ですが、大同小異をあえて考えるなら、悠仁様派と愛子様派に本来はなると思う訳です。元々愛子様派と旧皇室派の争いだったから、今の現状になっている訳で、その意味で必ずしも間違っている訳ではありませんが、悠仁様の誕生で現状は大きく変わっているのに、昔の構図を何時までも当てはめられることに大きな不満がある訳です。筆者は悠仁様誕生まで皇位継承問題を深く追及したことは無く(小泉政権時は何となく小泉派でした。郵政民営化は支持していますが、首都移転など小泉政権の政策を全て支持した訳ではありません。愛子様でなければならないと強く考えた記憶が無く、悠仁様が生まれて安堵した記憶しかありません。小泉政権以後第一時安倍政権のバッシング以後、ムキになっていろいろ考えるようになった経緯があります)、女系容認というと愛子様を強く支持した側だと印象されると思いますが、簡単に言うと間違いだと思っています。別に愛子様どうこういうのはありませんし、こんなことを書くのはどうかと思いますが、筆者は皇太子様や皇太子妃様や小和田家を擁護してきた訳ではなく、別に強くバッシングした覚えもありませんが、いろいろ報道されましたが、大丈夫かなと思ってきた方であり(小和田家が日本の象徴に嫁ぐにしては国際派に過ぎ、精神の病に関する理解が日本にあまりないという経緯があったと思います)、発言や感情を追えば、寧ろ皇太子様に警戒される部類の考え方であって、その意味で大同小異で言えば、自分の中では完全にいわゆる保守派の主流派に属してきた訳です。女系容認論が保守派ではかなり少数派は認めますが。いずれにせよ、筆者は論理的に言って明々白々とした男系論者であって(悠仁様支持がその証拠ですし、女系でも長子相続などと一言も言っていません)、女系にカテゴライズすることそのものがほとんど有り得ない訳です。他の女系論者の論はほとんど知りませんが、筆者の女系容認論は正確に言うと、男系論者の超傍系・長期臣籍降下アウト論を経た女系容認論になります。女系もアウトと言えばアウトかもしれませんが、全部アウトで皇室存続のため何れかの選択肢を復活させる上で、直系を重視するという論理構成のつもりです。

今、愛子様派というのはあるいは存在していないのかもしれませんが、感情面のシコリとしては、愛子様派は存在していてこれが女系容認に繋がっているように見え、小和田家と喧嘩したいの意識はありませんが、筆者が女系容認論だからと言って、小和田家を擁護してきたように見られるのは全然違うと言いたい訳です。擁護は寧ろ立派かもしれませんよ?でも筆者はそれをしていません。特に強くバッシングした記憶はありませんが、中立だったとか無関心だったとかそう言い切れる自信は全くありません。皇室問題をいろいろ考え始めたのも悠仁様誕生以降と思いますが、後はお察しくださいということです。その辺に強く拘るのは、伝統を全く尊重する意識もない左派系が女系容認論に入り込んで、筆者の中で誰?という意識があるからです。勿論女系容認派と旧皇室派・男系絶対派とが対立したら、少なくともその問題では前者につきますが、それを主軸に考えて日本を二分するというなら、全く後者の方につく気であるのは間違いありません。女系容認派の方に筆者と相容れない考え方の方が圧倒的に多い訳で、これは本人的に極めて自然な流れです。改憲派に男系派が多く、護憲派に女系容認派が多い訳で、自分のプライオリティは改憲にあるというと分かり易いかもしれません。

さて、何故悠仁様の系統にもしものことがあった場合に直系の女系を優先して、男系でも超傍系を忌避すべきと考えるかと言えば、既にいろいろ述べてきましたから簡単に言及しておきますと、超傍系継承がほとんど有り得ないと考えるからです。男系絶対派の皆さんの中には現皇室の女性と結婚して~と考える方がいらっしゃいますが、確かにそれは前例(後に述べる継体天皇)を踏襲しているにせよ、現代において婚姻の強制は例え皇室においても難しいというだけではなく、論理的に考えて男系継承を絶対視するなら、誰と結婚したというのは意味が無いということになるからです。事実、どちらかを白黒ハッキリさせると言うなら、継体天皇は応神天皇五世だから皇位を継承したのであって、手白香皇女と婚姻したから皇位の継承があったとは言えないはずです。どの皇女と結婚したら皇位継承ができるという話はなく、男系で皇室に繋がるから皇位継承があるというのが、暗黙の神武天皇以来の男系継承の考え方なのであって、男系継承だからこそ、誰かと結婚することは重要なものの、誰と結婚しても傍系はそのまま傍系ということに論理的になってしまう訳です。

とうことは、男系絶対論者はほとんど現皇室と旧皇族の共通の祖先の1372年生まれの伏見宮貞成親王あるいはその祖父北朝三代の崇光天皇(1334年生まれ)、北朝として数えられる天皇を外すなら崇光天皇の祖父第93代後伏見天皇(1288年生まれ)まで遡る日本はおろか世界を見回しても前例があるはずもない前人未到の超傍系を容認するということを意味するとしか結論できません。これは明治天皇・昭和天皇の系譜をひかないどころか、江戸時代にかすりもしない系譜を支持しているということになってしまいます。男系絶対の考え方から行けば、これは長い皇室の歴史でもっとも傍系とされる継体天皇も度肝を抜かれる傍系です。男系は確かに維持できるかもしれませんが、直系重視が皇位継承の基本的な考え方であって、直系をまるで重視せずこれを嘲笑うかのような超傍系容認は筆者的には疑問とせざるを得ません。

八幡和郎氏の意見はよくまとまっており、筆者が参考にすることもある論者ですが、以前触れましたが、確か江戸時代に分かれた男系の「皇族」がいるという話を論じたことがあり、こちらの方がより男系として近いにせよ、江戸時代の別れに過ぎませんし、必ずしも皇族として遇されてきた訳ではないので、二重の意味で継体天皇の度肝を抜くべきではなく、もっと有り得ないと筆者は思っています。幾らなんでもアナクロニズムに過ぎ、現代性が無さ過ぎでしょう。

皇位継承は男系だったら誰でもいいという訳ではなく、特に政争などが無ければ、直系継承が基本中の基本であり、超傍系を基本を大きく外すアウトだと考えれば、女系容認は視野に入ってきます。これは婚姻を重視してないと主張される恐れがありますが、女系を関係ないとしているのは男系絶対論者であって、女系容認論者ではありません。自分が関係ないと考えているものを関係あると考えるのは論理矛盾で支離滅裂でしょう。男系でなければならないと教典に書かれているなら、確かに男系絶対論者の主張通りになると考えられますが、キリスト教の聖書やイスラム教のコーランにあたるものは日本には無く、皇室の男系継承は不文律に過ぎません。そして直系重視も重要な不文律の一側面であり(臣籍降下が長期に渡り生まれながらの「臣下」が皇位継承に関係した前例もなく、この辺の不文律も犯しているはずです)、論理的に優劣をつけることは不可能なのであって、この辺の判断は皇室関係者や皇室に関心がある人々の感覚的な判断に拠らざるを得ません。

さて件の継体天皇ですが、水谷千秋氏の著作「謎の大王継体天皇(amazon) 文春新書 2001」は結構面白く読んでおり、細部は覚えていないにしろ、自分の中では残っている1冊です。関心がある人は読んでみればいいと思いますが、継体天皇は推古天皇・用明天皇(聖徳太子の父)の祖父で、この辺から皇室の歴史が明らかになると見ることもできます(それ以前の倭の五王の時代はいろいろ異説もあって(中国の歴史書との食い違いの論争などあります)、実在を疑う訳ではありませんが、結構謎が深いのも間違いないと思います)。いずれにせよ、継体天皇を境に大きな断絶を見ることもでき、それが継体という諡に表れていると思います。その辺を勉強すると明らかですが、継体天皇の継承にはいろいろあって、やはりかなり遡った傍系継承というのは想定外の事象と言え、正直に言えばあまり遠いと他人のようなものと言えると思います(男系を絶対視する=女系を認めないと決め付けてしまうと論理的に言って女系は一切関係なくなります)。旧皇族は戦前までは皇族として遇されてきたという違いはありますが、あまり多くなり過ぎた(傍系の)皇族が臣籍降下に対象になるのは、寧ろ皇室の通常の歴史と言えると思います。源氏や平氏も皇室の出とされますよね。源氏は清和天皇の出の清和源氏や平氏は桓武天皇の出の桓武平氏が有名ですが、旧皇族よりも遥かに時代を遡るものの(特に臣籍降下した期間が違い過ぎますが)、論理構造から言えば、旧皇族優先論者というのは、源氏や平氏に皇位継承させようと主張するのと同じということになります。それでも男系継承したというのが男系絶対論者の見方なのですが、女系容認論者は傍系というのも有り得ないよなと見ます。いずれにせよ、一般的な系図から現在の皇室に連なる江戸期の皇室や明治天皇・昭和天皇を経由しないルートを筆者は認めたくありません。男系絶対論者は経由しなくても構わないと正直に認めた上で主張して欲しいと思います。女系容認論なら神武以来の不文の祖法は破るかもしれませんが、皇祖神から皇室へは女系でしか繋がりませんし(男系を絶対視する論者は皇祖神は皇室に関係ないと言い切れるでしょうか?)、現代において男系を絶対視することはかつて存在した女性天皇を(未婚を強いることができないから)今後一切認めないのとほとんど同義だと男系論者自身が認めています。ゴリゴリの皇室主義者(?)こそ女系容認のような気がするんですけどね。筆者は。可能である限り(女系容認論者の中では超傍系が可能に入っていない)男系を優先するのは勿論のことです。

継体天皇が育ったとされるのは越前(福井県)、生まれた土地とされるのは近江(滋賀県)であるようです。応神五世とあわせて皇室の出ではあったのでしょうが(何の根拠も無い馬の骨に皇位を継承させるはずもないとは思うのですが)、畿内に近い豪族の力を見て取ることもできるかもしれません。大和に都を構えたのは即位してから19年経った後のことだそうです。とにかく異質ですが、北陸(越前)が関係しているところが面白いですね。他に後の顕宗天皇・仁賢天皇が播磨国に隠れ住んでいたというのもあります。こうなったのは大悪天皇とも言われ毀誉褒貶激しい雄略天皇が政敵を一掃したため、自分の子の清寧天皇が無くなった時に皇位継承者が見当たらなかったという事情があります。雄略天皇が謀殺した市辺押磐皇子の娘が飯豊青皇女で一時政をとったとも言われ(女性だから見逃されたのでしょう)、顕宗天皇・仁賢天皇はその弟にあたるとされます。仁賢天皇を継いだのが武烈天皇で武烈天皇が亡くなっていよいよ皇族がいなくなったということで、継体天皇の登場となります。武列天皇の姉が手白香皇女で継体天皇の皇后になります。播磨に隠れ住んでいたと言われる(山陰の丹波/京都も関係するそうです)仁賢天皇の系統(手白香皇女)と越前・近江の継体天皇の子供が欽明天皇で現皇室に連なるということですが、中々どうして怪しいなと正直思いませんか?(今の世の中に不敬罪があったら筆者はアウトかもしれません)その怪しさはやはり直系の皇室に連ならない・臣籍降下に準ずる存在になっているというところから来ている訳です。現皇室の女性皇族は来歴が明らかで皇族として重んじられてきた存在です。現状の皇族は全て大正天皇の系譜を引き少なくとも明治天皇の系譜を外すことはありません。更により直系の今上天皇の系譜は昭和天皇という重い存在の系譜を外すこともありません。男系継承の歴史を知りつつも女系容認論に固執するのは、この意味であって他意はない訳です。

少し話が逸れますが、歴史時代以来、日本の歴史は近畿中心(特に奈良・京都)であり続けた訳ですが、これが決定的に変わるきっかけになったのが、江戸時代です(鎌倉時代もありますが、都は京都でしたし、鎌倉は狭く結局滅んだような形になります)。誰でも知っている歴史ですが、織田家から覇権を奪った豊臣家が徳川家に覇権を奪われた訳です。徳川家は元は松平と言って、お隣尾張(愛知)の織田信長と同盟して成りあがった三河(愛知)の豪族・大名でしたが、豊臣秀吉に加増転封を言い渡され(危険人物を遠ざけたかったのかもしれません)、江戸に移ります。そのまま江戸を拠点にしたところ、経済がメキメキ発展し、明治維新の後も東京が都になり、ついに皇室まで動いてきました。皇后美智子様の実家は正田家(父英三郎氏は日清製粉の社長・会長、祖父貞一郎氏は日清製粉株式会社社長、東武鉄道株式会社会長、貴族院議員)で群馬の館林の米問屋だそうで、皇太子妃雅子様の実家は新潟村上市の下級武士がルーツの小和田家(父恆氏は外務事務次官、国連大使、第22代国際司法裁判所所長を歴任)になります。逆に皇室の藩屏を重視する超保守的とも言える方々に言わせれば、現皇室こそ否定の対象になるかもしれませんが、もはや刻まれた歴史は動かしようもなく、戦後の歴史を否定して遡ることを重視すべきではないというのが筆者の考えになります(更にラインを下げろと主張している訳ではなく、時代を遡り過ぎるなと主張したい訳です)。旧皇族というのは論理的にいって系譜を室町時代・鎌倉時代まで遡ることを意味するので、新しい時代の歴史の超軽視と見る他無く、かなり頑張っている次第です。

現在の皇室の考えは知る由もありませんが、系譜をそこまで遡るのを是としているのか疑問に感じており、男系を絶対視する方々の立場は実は危ういかもしれないとは思わないではありません。まぁ聞いてみたら筆者の考えが現皇室とは違うのかもしれませんが、その辺は現皇室の方々しか知らない、少なくとも一般では何とも言えないということになるのではないかと思います。ホントに旧皇族に拘る方々は系譜が室町・鎌倉まで遡っていいと考えているんですかね?少なくとも一般的な系図では皇室の歴史の半分近くが繋がらなくなると思うのですが。応神五世どころじゃない何とか王(失礼)が延々延々延々と続く系譜よりは、ちょっと思い切った方が随分マシではないでしょうか?少なくとも男系絶対のお隣のあの国やあの国(結婚しても女性は旧姓しか名乗れず女系は絶対に繋がりません)が何を言おうが筆者など全く意に介していません。女系が繋がることが有り得るのが日本という国です。

最後に触れにくいところを触れておきますが(何時ものことです)、婚姻重視・直系重視でも血統を重視すると(皇室というのは血統そのものです)、眞子様に関してちょっと関心を持たざるを得ません。これは男系が絶対だから言っている訳ではありませんが、~家がどうという話がない皇室はないんじゃないかと思います。傍系過ぎることや臣籍降下が問題になるのは、この辺が非常に怪しくなるからというのもあります。女系だってあれこれイチャモンつける人はいると思いますが、超傍系や臣籍降下が絡むと同じくいろいろイチャモンつけられるのは同じでしょう。何を重視するかにはなりますが。筆者は女系容認論者であって、女系を絶対としている訳では全くなく、これ以上のことは控えておきますが、血統や婚姻の話を皇室に関して全くしないことが正しいと思っている訳ではありませんし、それが可能な時代ではないと思っていることも付け加えておきます。結婚は皇室と言えど本人の問題だと筆者は思いますが、家の問題は本人だけの問題では必ずしもありません。不自由かもしれませんが、それが日本の象徴であり伝統そのものではないでしょうか?パパラッチで追い回すような自由があると主張している訳では勿論ないですが。

前回の記事を自己否定している訳ではありません。書いていることそのままで矛盾はないはずです。念のため。
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山陰・北陸・東北(日本海側)諸都市と高速鉄道考

2018-06-09 16:32:25 | 政策関連メモ
合区関連で鳥取・島根の記事ですが、今回は同じ日本海側ということで北陸や東北まで話を広げながら、鉄道に関して記事を書きたいと思います。

山陰本線高速化(山陰ご近所鉄道資料館)

山陰新幹線の構想は新幹線の基本計画路線として存在しているようですが、着工に向けた具体的な動きは行われていないようです(参考:山陰新幹線(ウィキペディア))。それもそのはずで、山陰本線は既に高速化しているようです。だとしたら、山陰に新しい新幹線を造ろうという計画が実行に移されることはまずないのかもしれません。山陰地方は切り離せない日本の重要な一部分と思いますが、県庁所在地はそれほど人口がなく(鳥取都市圏:23万9829人、松江都市圏:29万2366人)、採算に疑問符がつく可能性もあります。本州から海を隔て地形上4県バラバラになりがちな四国も人のことは言えず、共感する部分もありますが、採算を考えないビジネスも有り得ません。

もったいないと思うのは山陰本線が高速化しているという事実が日本で広く知られていないことではないでしょうか?新幹線フル規格論争がありましたが、フル規格にするかどうかの議論は当然有り得るとしても、高速化した特急を事実上の新幹線と呼んで知名度を上げ、利用を促すという手法は有り得ないだろうかと思う訳です。これなら在来線の廃止論争も有り得ず、地元がドル箱を奪われた上で採算の合わない路線の運営に追い込まれるということがありません。鉄道の強みは通勤・通学需要と都市間輸送にあって、都市間輸送を担うドル箱である特急を新幹線に奪われ、過疎の路線を維持するのは中々至難に思えます。

山陰本線の基点は大阪ではなく京都です。元々山陰地方というのも京都中心の視点でカテゴライズされた経緯がありますが、地形上も由良川流域は京都の裏にあたり、丹波地方は京都と密接な関係を持ってきたと思います。ここから但馬地方(兵庫)~因幡地方(鳥取)~伯耆地方(鳥取)~出雲地方(島根)~石見地方(島根)~長門地方(山口県)と続くのが山陰本線です。中小ばかりですが、面白い都市も多く、山陰地方の連携が進むと面白いのではないでしょうか?各地の新幹線をテーマにした観光があるようですが、それの山陰バージョンがあっていいと思った次第です。費用対効果でフル規格のハードルは高いかもしれませんが、それに類する結果が出ればそれで良しではないかと思います。

詳しくないですが、今はわりとバラバラなのかもしれません。

北近畿ビッグXネットワーク(ウィキペディア)

ビジネス至上なら姫路経由のはまかぜルートが鳥取まで延びておりあるいはこれが一番なのかもしれませんが、完全に京都を外すことになります。こうのとりルート、はしだてルート、まいづるルートがあって、大阪発と京都発の2路線あってもいいのかもしれませんが、この辺は中々難しいところかもしれません。そういう話は地元の方々がやるのが一番と思いますが、筆者としては1本筋が通った山陰ルートで鉄道を舞台に連携が進み注目が集まれば良いと思った次第です。

次いで北陸新幹線(石川県企画振興部)に触れます。今は東京から金沢駅までですが、既に終点の新大阪まで開業することは決まっています。敦賀以西は東小浜(若狭地区)に駅が出来て京都に繋がるようです。中央新幹線も三重県・奈良県ですし、京都はまだしも滋賀県は受難の時代なのかもしれませんね。リニア新幹線後はひかり・こだまが増え、より地元に密着するというプラス思考の発想があっていいのかもしれません(JR東海がリニア開業後予想図 中日新聞 2018年2月28日)。滋賀県の停車駅は米原ですね。県都大津市は京都市の通勤・通学圏でもあって、新幹線の停車駅としては京都に近すぎるかもしれません。滋賀県に関しては、また別に記事で触れたいと思います。海と言えば日本は島国ですが、みずうみ(湖)と言えば、日本では滋賀県に決まっています。日本は海洋国家であって海のチャンピオンは決められるものでは中々ありませんが(あえて言えば沖縄?)、内水面の日本チャンプは滋賀県で異論があるはずもありません(諏訪湖の長野や北海道・秋田・青森・茨城あたりの異議は全てスルーします)。話は逸れましたが、北陸地方は通常福井・石川・富山・新潟を指しますので(新潟は時にハブられることもあります)、北陸新幹線の駅がないからと言って残念がる必要はないのではないでしょうか?いずれにせよ、全線開通すれば、東京~大阪間の日本海ルート完成で、富山・金沢・福井といった日本海諸都市に焦点があたることになります。

話はちょっと戻りますが、京都発でも大阪発でも、東京~大阪間で北陸(日本海)ルートに焦点があたったように、山陽道だけでなく、山陰道にも焦点があたって、関西~九州間の新ルートが注目され開発されれば良いと思った次第です(採算面は身の丈にあった妥当なラインで納得できればどうとでもなりそうな気がします)。

最後に羽越新幹線(奥羽・羽越新幹線整備)ですが、これは通してみれば北陸新幹線前提で大阪から青森に至るルートな訳ですが、日本海側諸都市を結びつけ、東京から新潟~秋田~青森~北海道の迂回路をつくり、北陸地方や東北地方の均衡ある発展を図るという意味合いもあると思います。これは山形新幹線(ウィキペディア)・秋田新幹線(ウィキペディア)の絡みもあって、山形新幹線は今は新庄まで開通しているようですが、酒田(庄内地方)まで伸ばすとか、大曲まで伸ばして秋田延伸まで視野に入れるとかそういう話もあるみたいですね。東京~秋田間の秋田新幹線は、盛岡から直角に曲がる感じで、東京~秋田間の最短距離になるようには思えません。採算性は極めて重要ですし、山形から大曲に繋がれば恐らく最短でしょうが、羽越ルートも日本海側で最大の新潟市(都市圏人口は唯一100万を超えます。端過ぎる九州や北海道を入れなければですが)が入って、庄内地方(酒田が挙げられますが、鶴岡も並ぶ都市です)に光が当たって、秋田・青森ですから、かなり面白いのではないかと思うんですよね。小都市なら村上市もありますね。皇太子徳仁親王妃雅子様の本籍地が村上市本町なのだそうです。山形新幹線も良いと思いますが、東北最大の都市仙台を通らないという難点がないとは言えません。そう考えると北陸最大の都市を抱える羽越ルートが面白いということになると思います。

せっかく北陸新幹線が全線開通するのだったら、北陸最大の都市まで大阪から繋げばいいとも思うんですよね。日本海の話で金沢や富山・福井とも連絡しやすくなります。上越地方に焦点もあたります。戦後時代の著名大名軍神とも言われる上杉謙信の居城は春日山城(春日山城跡 上越観光NAVI)ですが、上越地方にあります。日本の城郭の有名どころは大体安土桃山時代以来の織豊系城郭か次いで江戸時代の城郭に由来するのですが(松山市のシンボルである松山城を築いたのは豊臣系大名の加藤嘉明公(秀吉子飼いで賤ヶ岳の七本槍。賤ヶ岳は滋賀県で、柴田勝家(北陸担当)と戦った賤ヶ岳の戦いは明智光秀(山陽ルートの秀吉に対して信長に山陰ルートや四国を任され一時は秀吉以上に評価されていたとされます。秀吉との出世争いに負け始めたことが本能寺の変のきっかけのひとつの見ることもできます)との山崎の合戦と並んで秀吉が織田家を支配するという下克上を決定づけた戦いのひとつになります。日本海沿岸は決して裏で片付けられる地方ではありません)で、松山という名前を命名しており、安土桃山時代の影響は無視できないものがあります。松山城を築く以前の城が正木城で城跡に行ったこともありますが(ただの小さい岡です)、筆者の現在居住する松前町に存在します。狙った訳ではありませんが世間は狭い?)、それ以前の戦国時代の城としては春日山城は巨大でいろいろ面白いのではないかと思いますが、残念ながら今はただの城跡のようです。上越新幹線の上とは上州(群馬県)の上で上越新幹線は通っていませんが、羽越新幹線こそ真の上越新幹線と言えなくもないのかもしれません(えっ!上越新幹線は上越市も上越地方も通らない? じゃあ由来って何? にいがた就職応援団)。幾らなんでも紛らわし過ぎで、上越市民はわりと迷惑ではないかと思うのですが。

そんなこんなで山陰地方を中心に北陸・東北を含めて日本海側の高速鉄道を考えてみました。日本海側は切り離せない日本の一部で中々面白い地域だと思います。
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所有者不明土地問題と公共の福祉論

2018-06-09 12:29:53 | 政策関連メモ
自民党ホームページ:「所有者不明土地等に関する特命委員会 とりまとめ」~所有から利用重視へ理念の転換 『土地は利用するためにある』~

土地所有権が利用権に比べて過剰なほど保護され、所有者の責任が軽視されてきたと指摘していますね。日本国憲法12条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」の規定では権利には努力が伴い濫用してはならず、常に公共の福祉のために利用する責任があると規定されており、自民党はこのことを言っているようです(1P)。

憲法29条には「第二十九条 財産権は、これを侵してはならない。○2財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。○3私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。」との規定があり、私有財産は正当な補償の下に公共のために用いることができると自民党は指摘しています(2P)。

土地基本法((土地についての公共の福祉優先)第二条 土地は、現在及び将来における国民のための限られた貴重な資源であること、国民の諸活動にとって不可欠の基盤であること、その利用が他の土地の利用と密接な関係を有するものであること、その価値が主として人口及び産業の動向、土地利用の動向、社会資本の整備状況その他の社会的経済的条件により変動するものであること等公共の利害に関係する特性を有していることにかんがみ、土地については、公共の福祉を優先させるものとする。)も民法(第一条 私権は、公共の福祉に適合しなければならない。)も憲法同様に公共の福祉を重視しているようですが、所有権が重視されてこうした規定は言わば有名無実・空文化して、近隣環境や地域の景観を悪化させ、所有者不明土地が利用されなかった原因になってきているとも指摘しています(2P)。

所有者不明土地問題は誰しも問題と思うでしょうし、やはり所有権を過剰に認めて放置を是とするのではなく、憲法や民法・土地基本法の本来の規定・理念通り、放置された空き家は周辺の環境や景観を悪化させる訳ですから、所有者に本来の責任を果たすように促していくことが大切だと考えられます。日本の土地の所有権が強いのは恐らく先祖代々の土地を守ってきた伝統によるのであり、憲法やそれに基づく法の方があるいは外来で異質なのかもしれませんが、旧習・悪習の類に固執するばかりが政治ではないと考えられます。

公共の福祉は寧ろ左派が支配する法律の世界では、嫌われてきたように思います。どうもこれは個人の権利を尊重することを重視して、社会の利益を軽視する考え方によるもののようです(例:中高生のための憲法教室 第9回 <「公共の福祉」ってなんだろう?>(法学館憲法研究所))。具体的な根拠規定は憲法13条「すべて国民は、個人として尊重される。」になるようですが、続いて13条には「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」とあります。現行憲法の規定の上ではみんなは尊重されていません。尊重されているのは個人です。特定の集団において多数意見に従わない個人がいたとして、適切な手続きに従わず、みんなを個人に優先させるのはそもそも憲法違反なんですね。それはそうとして、だからと言って個人の権利が何処までも守られるという訳ではありません。そうだとしたら公共の福祉規定なんて存在しない訳です。この辺はどうしても程度問題で個別の問題を適切に見ていくしかありません。13条が何処まで所有者不明土地問題に援用できるか文面からは判然としないところはありますが(財産と書かれていません)、先に指摘されたように29条に正当な補償があれば公共のために用いることができると明記されているのですから、何処までも土地の所有権が守られる訳ではないことは自明だということになります。公共の名の下に何をやっても許されると主張したい訳ではありませんが、社会の要請に従って土地の所有権を一定程度制限するのは、寧ろ日本国憲法の素直な読み方であるように筆者には思えます。失敗も絶対にないとは言えないかもしれませんが、そうした事例があるというならば、裁判で解決するのが本来の筋であろうと思います。

左派野党・マスコミ中心に抵抗も強かった自民党の憲法改正草案(現在は4点に絞って憲法改正は提案されています)「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に変更しようと提案されています(日本国憲法改正草案Q&A(増補版) Q14 13p)。その理由は公共の福祉を人権相互の衝突として解釈しようとする学説を明快に否定し分かり易くするためのようです。良く分かりませんが、公共を個人に分解しようとしているように見える珍説が大手をふるって歩いているとしたら、確かにこれは問題であって、おかしな解釈を捏造しているかのような憲法学者の方々を牽制する必要はあるのかもしれません(裁判所が判決しなければ学説は意味がありませんが、有力学説が悪い影響をもたらす可能性がないとは言えません)。公共が集団を表すことに誤解の余地はないと思いますが、福祉あたりが個人個人に分解しようとするアクロバティックな解釈に燃料を与えているのでしょうか?確かに公益や公の秩序なら個人の権利に分解しようとする勢力はやりづらくなるだろうと思います。それが嫌だから左派中心の法律の世界・学問の世界中心に強固な反対があるんでしょうね。しかしながら、日本は日本人のものであって、左派業界団体のものではありません。

まぁ公共の福祉との文言のままではどうしても困るということはありませんが、公共の福祉論が広く国民で議論されることは結構重要ではないかと筆者は考えます。更に指摘するならば、こうした議論をしたら負けることが分かっているから、議論から逃げて護憲の旗を掲げ、必要な議論から逃げているんじゃないですかね?違うと言うなら、象牙の塔から出てくればいいのに。自民党も今は4案ですが追加案があってもいいと筆者は思いますよ。左派的で加憲を主張する公明党さんがどう出るかが分かりませんが。維新でも希望でも憲法に関してこうしたらいいという考えがある政治勢力はドンドン意見を出して議論をすればいいのであって、それが中々進んでいないことは非常に残念なことだと思います。結局発議するのは議会であり、最終的に決めるのは国民ですから、そこのところを信用せねば何も進まないことは確実です。護憲即悪ぐらいに筆者は思っていますが、悪即斬になっていないのは法に則っている訳です。

ともあれ日本国憲法にあるように公共の福祉は重要です。土地所有者不明問題の放置が良いはずはなく、空き家野放しが良いはずもありません。空き家が多いのは地方かもしれませんが、自民党はどちらかと言うと地方に強い地盤を持つ政党で、地方バラマキだと批判されてきた方の政党です。地方再生をするにあたっても使えない土地がそこかしこにあって上手くいくはずもありません。土地の供給が増えれば地価が下落しないのかな、デフレ脱却に逆行しないのかなという心配が筆者には当初無かった訳でもないのですが、勿論何時までも放置できない問題ですし、自民党がやるというなら是非もありません。残念なのはこうした硬派で重要な問題が、中々注目されない(?)ことだと思っています。国の基本法である憲法の問題は戦後長らく広く議論されてきませんでしたが、それは惰性に過ぎません。憲法改正の重要性を皆が認識し、問題点が議論され、必要な改正が行われる日本になってほしいと思っています。国会議員の仕事ではあるのですが、硬性憲法の高いハードルを越えなければならず、最初の一歩はとりわけ国民の皆様の協力が必要です。空き家問題でもゴミ屋敷問題でも何でもいいのですが、そうした身近な問題をきっかけとして憲法の議論は進む可能性もあります。放置でいいと思う人は(空き家の主やゴミ屋敷の主以外に)あまりいないと思いますが、現在は空き家の主やゴミ屋敷の主の権利が良く守られている状態だと考えられます(現状では残念ながらそうしたものに手を出す方が違法すなわち悪だと言えます。そうした状態を変えるために立法がある訳です)。法律の世界は一般に左だと言われますが、法の世界においても常に左が正しいということにはなりません。
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