自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

経済における「欲望」について考える。

2019-02-26 14:14:48 | 自然と人為

 経済は人類の欲望と競争により発達してきたと言われる。その一方で、人類の欲望と競争は格差をもたらしても来た。以前、このブログで「21世紀の人工知能(AI)は17世紀のスピノザを越えられるか?」と問うた。スピノザについては、NHK番組:100分で名著「エチカ」エチカ1・善悪 エチカ2・本質 エチカ3・自由 エチカ4・真理)で知った。我々はデカルトの科学的真理を常識としているが、番組の講師の國分功一郎先生(東京工業大学教授)は我々の考え方とスピノザではOSが違うので、スピノザの考え方に慣れるまではすんなり頭に入らないが、「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」とスピノザを高く評価している。神は無限であり、神の中にすべてが存在する(汎神論)とした彼の思考が、宗教が社会を支配していた当時に無神論者として拒絶されたのは皮肉なことだが、一般的観念を常識としている人類の集団は、いつの時代も「常識」は「真理」に何らかの習慣のバイアスがかっかていることを示しているのかも知れない。
 参考:「スピノザ」の哲学思想「汎神論」とは?『エチカ』や名言も紹介 汎神論論争

 スピノザの使う「欲望」という言葉の使い方は、現代とは違うようだ。スピノザはコナトゥス(生物の本能的な「生きる意志」)を「欲望という人間の本質」としている。「コナトゥス」という言葉は現代ではあまり使われないが、近代物理学では「慣性」や「運動量保存則」、一般システム理論や生物学ではオートポイエーシス(創発現象)として捉えている。
 現代の「欲望」という言葉には「生命を大切にする」宗教的な含みが全くなく、決定的に利己的な狭い意味になってしまった。現代の「欲望」は、他者を尊重しない過剰な「生きる意志」のように思う。
 参考:スピノザ哲学におけるコナトゥス概念の発展 エチカ松岡正剛の千夜千冊
     「異色すぎるNHK経済番組」は、こう生まれた


 イギリスの産業革命進行中に『国富論』(1776)を発表し、経済学の父として有名なアダムスミスは、その前提として『道徳感情論』(1759)を発表し、「社会秩序は感情に基づく道徳原理によって保たれるという思想を示した。すなわち、人間は利己的だが、人間本性の中には、他人に関心を持つ『共感』の感情があり、その共感の感情によって社会の秩序と繁栄が導かれる。---また、自分の利益のために働く個々の人間の利己的行為が社会的分業を成り立たせ、市場はうまく機能すると考え、そのことを著書で『見えざる手』に導かれる」とした。
 参考:「アダムスミス」の思想とは?『道徳感情論』『国富論』や名言も
     アダム・スミス(1723年6月5日-1790年7月17日) (2)
             「道徳感情論」(1759)「国富論」(1776)


 アダムスミスは経済学の父と言われるが「経済(economy)」という言葉を最初に使ったのは誰であろうか? アダムスミスは人間は利己的であるが、社会は集団で成立しており、「国が富む」ためには他者を尊重する(道徳感情による)フェアプレイの「見えざる手」の市場によって成立する分業が必要だとした。工業が発達するまでは、人間はより自然に近く、アダム・スミスの他者を尊重する「利己的人間」とスピノザが洞察した主体(人間)の変性を伴いながら、心身ともに真理は「体得」するものとする「欲望という人間の本質」が重なって見える。スピノザの考えは深いが、どちらも人間というものの本質を説明している。アダムスミスの人間像(国富論)はなぜ時代とともに変質していったのか?

 日本語の「経済」は中国の「経世済民」に由来している。葛洪(かつこう、283年-343年)は「經世濟俗」とし、意味は同じだが「經世濟民」が使われるのは、隋代の王通『文中子』581年-618年以来で、太宰春台(1680年11月5日-1747年7月7日)の「経済録」(1729年)に、「凡(およそ)天下國家を治むるを經濟と云、世を經め民を濟ふ義なり」とある。当時の「経済」という言葉は現在の「economy」の意味ではなく、むしろ「政治」の意味で使われていた。「食貨」という言葉こそが「economy」の意味で使われていた。イギリスの哲学者ジョン・スチュアート・ミルの著書『経済学原理』(Principle of political economy London, 1848)に最初に確認される「Economy」がある。ドイツ・プロイセン王国出身の哲学者、思想家、経済学者、革命家であったカール・マルクスは、1845年にプロイセン国籍を離脱し以降は無国籍者であったが、1849年(31歳)の渡英以降はイギリスを拠点として活動した。カール・マルクスの著書『経済学批判』(1859年)Kritik der Politischen Ökonomie(the Critique Political Economy)であった。
 私には専門的知識はないが、「経世済民」と「Political Economy」に同じ香りを感じる。
 参考:太宰春台著『経済録』(1729 年) 第5巻「食貨」―現代語訳と解題―
     ジョン・スチュアート・ミル(1806年5月20日-1873年5月8日) 『経済学原理』(1848年)
     カール・マルクス(1818年5月5日-1883年3月14日) (2)
     資本論(1867年第1巻・1985年第2巻・1894年第3巻)


 イギリスのアルフレッド・マーシャル(1842年7月26日-1924年7月13日)は、経済学を近代社会科学の母体であった哲学から分離して一種の経験科学として独立させようという意味をおそらく込めてpolitical economy ではなくeconomics という言葉を使用している。ジョン・スチュアート・ミルの著作は政治経済学 political economy の教科書であり、マーシャルのそれは経済学 economics(Principles of Economics)の教科書だった。日本語の「経済」という言葉もこれに由来している。
 ここからは「経済学」の専門知識が必要で深入りはしない方がよいが、ザックリ言えばアダムスミスの「国富論」の「見えざる手」は、新古典派経済学に継承され、マーシャルにより需要・供給曲線で示された。アダムスミスもマーシャルも人間を信頼し、マルクスは資本が労働者を搾取することを警告し、ケインズは1929年の世界恐慌を経験し、完全雇用を生み出す有効需要の開発を、国家が公共事業を興すことによって生み出すことを提唱した。シュンペーターは技術革新により工業が発達するとしたが、工業が発達するにつれて、人間の社会における関係も変わる。組織が大きくなる時、他者を尊重する自由な社会はどうすれば維持できるのであろうか?
 参考:新古典派(マーシャル)、ケインズ、マルクス (2) (3) (4)
     シュンペーター(1883年2月8日-1950年1月8日) (2) 「経済発展の理論」(1912年)
     ケインズ(1883年6月5日-1946年4月21日) 「雇用と利子とお金の一般理論」(1936)
     なにがケインズを復活させたのか?(松岡正剛の千夜千冊)
     一橋大学におけるケンブリッジ経済学の伝統
     『自然的経済秩序』
     BS1スペシャル「欲望の資本主義2017~ルールが変わる時~」 前編 後編

 

初稿 2019.2.26 更新 2019.4.5

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