自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

意識と意識革命について考える

2015-10-25 14:08:02 | 自然と人為
 意識は脳のあらゆる感覚、知覚、運動領域の膨大なネットワークの統合で生まれる。その情報の統合は人それぞれの状況に対する反応で生まれるが、反応には不意打ちのような経験しない反応もあれば、条件反射的に身に付いた反応もあろう。反応のメカニズムまでは知らないが、どのようなネットワークが生まれるかは千数百個億の脳神経のネットワークなので人によって異なり、この地球上に同じ意識を持った人はいないはずだ。意識が同じグループが存在するとしたら、それはあるコト、モノへの反応が似通っているだけで、その反応に意識が集中することで連帯感が生まれるのであろう。

参考:統合情報理論 (動画)
    意識の統合情報理論

 人は熟睡すると意識はなくなる。夢は無意識の世界で脳のネットワークが動いているのだろう。死んだら無になるので他者の意識には残っても、その人の意識が天国に行くことはないと思う。ただ他者を思う気持ちが他者に残るので、他者を尊重して生きていくことは死後も報われると思いますよ!

 さらに人は想像もする。「人間は想像力があるから文化や文明をつくる。しかし、その想像力があるから、人間は誤った記憶や感覚を本物だと信じてしまう生き物でもある(フォールスメモリー( Youtube: 立花隆の脳死体験 2.心・意識のありか))」 その一方で、ものごとに熱中すると時間が早く進むのを感じ、興味のないことを教えられるよりは自分で学びたくて学ぶ方が身に付き想像力も高まるのは、意識の活性化の反応の違いにあるのだろう。

 その想像が独自のものか、他者から教えられた知識からか、巨人の肩の上に立つものか、いろいろあろうが無から有は生まれないので、想像の種は自然から与えられたものに違いはない。他者の仕事からヒントを得る問題も多いが、それが盗作だと騒がれる理由には他者の想像力への尊敬がどこかで欠けてしまった場合だと思う。我々は自然から生まれ、様々な物語を生きて、自然に還る。自然には動物も人類も、自己も他者も、原子や素粒子も含まれる。我々は独りでは生きていけない。他者を尊重し他者と共に生きるることが、自己を知る生き方であろう。

 他者を尊重し他者と共に生きることは、時に煩わしい。文明とは人類の自己家畜化だと言われるが、我々は便利さを求めて自己孤独化の道を歩んでいる。自己中心は視野を狭くし、目の先のことで生き、生きる物語をつまらなくする。経済はお金を求め、政治は支配を求めることが、この世を住みにくくしている。経済も政治も人のために尽くすことで報われるはずだ。ことに政治家や官僚等の公務員が、国民のためとうそぶいて自己中心的に仕事をすることは憲法違反だ!我々の仕事は次の世代により良い世界を残すこと。子供たちが自然で遊ぶ子供の世界を取り戻すこと。

 意識改革とは、常識だと思っていた自分の意識が何かをきっかけに目から鱗が落ちるように新しくなること。自己中心的にものごとを考えるのではなく、自己が他者によって生かされていることに気づくこと。自己と他者が対立していたのでは平和は訪れない。右翼だとか左翼だと言って意識が作り出した世界で対立することは、寂しい物語を生きていると私には思える。

 私たちの意識の根拠は自然にあり、映画「セバスチャン・サルガド / 地球へのラブレター」を是非観ていただきたいのは、意識の根底に自然を感じて欲しいから。

初稿 2015.10.25

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