新渡戸稲造「武士道」は、新渡戸稲造をよく知らなくても「サムライ」の国・日本として世界に知られ、今の日本でも、生きる規範かのように受け入れられているところがある。岡倉天心「茶の本」は、横山大観の師匠として岡倉天心という名は知られていても、「茶の本」 のことはあまり知られていない。手のひらに収まるこの小さな本が、私の求めてきた「自然とデザイン」の全てを教えてくれているだけでなく、日本人の心の世界が広く深いことを見事に物語っている。「茶の本」を古希を経て知り、世界がつ一つにながって見えてくることを喜び、岡倉天心が日本にいてくれたこと、そして出会えたことに感謝している。
『茶の本』と『武士道』は明治時代にアメリカで英語で出版されていて、原著まで遡るには「神谷武夫とインドの建築」が勉強になる。この中に「東大の常識は世間の非常識」という一文があるが、僭越ながら私なら「東大の常識は世界と社会の非常識」としたい思いに駆られる。
社会は憲法によって守られているが、支配者意識の強い人ほど憲法を無視する。今日では国民が主君で公務員はそれに忠義を尽くすのが「武士道」であるはずだが、世間に「武士道」を美化させる一方、自分は権力にあぐらをかく無教養さと下品さが目に余る。「世間と社会」の関係からついつい「世間」に疑問符をつけ、「まあ大将、ゴルフの時間があるなら一服して『茶の本』の深い味を知ろうよ」と言いたくなる。
ここでは「茶の本」をこれから学ぶ私自身のメモ帳として記しているが、「茶の本」のことを調べれば調べるほどいろんな人、いろんな世界に出会えて勉強する喜びに今、溢れている。このメモは岩波文庫「岡倉覚三著 村岡博訳 茶の本」とその英語版「The Book of Tea(IBCパブリッシング)」、そして「茶の本」のことを私に教えてくれたNHK「100分de名著」の解説者大久保喬樹先生の新訳版(角川文庫)を手元に、ネットで検索して知ったことを加えてまとめている。
まずは青空文庫の「岡倉覚三 村岡博訳 茶の本」の目次に英語版名、現代語訳兼解説版の大久保喬樹先生の目次を加えて示しておく。
Chapter 1: The Cup of Humanity 人情の碗
第1章 茶碗にあふれる人間性
さまざまな文化が凝縮された茶
東洋と西洋は互いに誤解をとかねばならない
西洋はどのように茶を受け入れてきたか
一杯の茶を - 荒廃した現代世界の再生を待ちながら
Chapter 2: The Schools of Tea 茶の諸流
第2章 茶の流派
茶の三段階 - 団茶、抹茶、煎茶
茶経 - 文化としての茶の誕生
日本において茶は完成される
Chapter 3: Taoism and Zennism 道教と禅道
第3章 道教と禅
茶は道教を根底とする
絶対は相対にほかならない
道教から禅へ
Chapter 4: The Tea-Room 茶室
第4章 茶室
異端の建築
茶室は禅の精神の結晶である
好き家 - 好みの家
Chapter 5: ArtAppreciation 芸術鑑賞
第5章 芸術鑑賞
琴には琴の歌を歌わせよ
謙譲の心で芸術を鑑賞する
芸術への敬意
鑑賞者の器量
現代芸術の意義
Chapter 6: Flowers 花
第6章 花
花への哀歌
花をいつくしむ
花をいけるとは
華道の歴史
茶と花
Chapter 7: Tea-Masters 茶の宗師
第7章 茶人たち
茶人がもたらしたもの
茶人の死
各章についてはこれから勉強し、「自然とデザイン」あるいは「理性と感性」との関係で私なりに教えられたことを書き続けていきたい。
なお、天心は覚三の本名を日本でもアメリカでも使っていたが、神谷武夫氏の『茶の本』の紹介によると、『岡倉天心 人と思想』(橋川文三編、1982)の中に、「釈天心」の戒名を提案した彫刻家平櫛田中先生の文があり、「岡倉本人は『天心』の名を 正式には用いなかったけれど、弟子や家族の間では 親しまれていたのでしょう」とある。
また、昭和36年4月の岩波文庫の改訂版では英文学者福原麟太郎先生の解説が末尾を飾っている。彫刻家平櫛田中も英文学者福原麟太郎もわが郷里が誇る数少ない偉人であるが、岡倉天心との関係で出会えたことは驚きであり、誇りもいや増す思いがする。
『茶の本』と『武士道』は明治時代にアメリカで英語で出版されていて、原著まで遡るには「神谷武夫とインドの建築」が勉強になる。この中に「東大の常識は世間の非常識」という一文があるが、僭越ながら私なら「東大の常識は世界と社会の非常識」としたい思いに駆られる。
社会は憲法によって守られているが、支配者意識の強い人ほど憲法を無視する。今日では国民が主君で公務員はそれに忠義を尽くすのが「武士道」であるはずだが、世間に「武士道」を美化させる一方、自分は権力にあぐらをかく無教養さと下品さが目に余る。「世間と社会」の関係からついつい「世間」に疑問符をつけ、「まあ大将、ゴルフの時間があるなら一服して『茶の本』の深い味を知ろうよ」と言いたくなる。
ここでは「茶の本」をこれから学ぶ私自身のメモ帳として記しているが、「茶の本」のことを調べれば調べるほどいろんな人、いろんな世界に出会えて勉強する喜びに今、溢れている。このメモは岩波文庫「岡倉覚三著 村岡博訳 茶の本」とその英語版「The Book of Tea(IBCパブリッシング)」、そして「茶の本」のことを私に教えてくれたNHK「100分de名著」の解説者大久保喬樹先生の新訳版(角川文庫)を手元に、ネットで検索して知ったことを加えてまとめている。
まずは青空文庫の「岡倉覚三 村岡博訳 茶の本」の目次に英語版名、現代語訳兼解説版の大久保喬樹先生の目次を加えて示しておく。
Chapter 1: The Cup of Humanity 人情の碗
第1章 茶碗にあふれる人間性
さまざまな文化が凝縮された茶
東洋と西洋は互いに誤解をとかねばならない
西洋はどのように茶を受け入れてきたか
一杯の茶を - 荒廃した現代世界の再生を待ちながら
Chapter 2: The Schools of Tea 茶の諸流
第2章 茶の流派
茶の三段階 - 団茶、抹茶、煎茶
茶経 - 文化としての茶の誕生
日本において茶は完成される
Chapter 3: Taoism and Zennism 道教と禅道
第3章 道教と禅
茶は道教を根底とする
絶対は相対にほかならない
道教から禅へ
Chapter 4: The Tea-Room 茶室
第4章 茶室
異端の建築
茶室は禅の精神の結晶である
好き家 - 好みの家
Chapter 5: ArtAppreciation 芸術鑑賞
第5章 芸術鑑賞
琴には琴の歌を歌わせよ
謙譲の心で芸術を鑑賞する
芸術への敬意
鑑賞者の器量
現代芸術の意義
Chapter 6: Flowers 花
第6章 花
花への哀歌
花をいつくしむ
花をいけるとは
華道の歴史
茶と花
Chapter 7: Tea-Masters 茶の宗師
第7章 茶人たち
茶人がもたらしたもの
茶人の死
各章についてはこれから勉強し、「自然とデザイン」あるいは「理性と感性」との関係で私なりに教えられたことを書き続けていきたい。
なお、天心は覚三の本名を日本でもアメリカでも使っていたが、神谷武夫氏の『茶の本』の紹介によると、『岡倉天心 人と思想』(橋川文三編、1982)の中に、「釈天心」の戒名を提案した彫刻家平櫛田中先生の文があり、「岡倉本人は『天心』の名を 正式には用いなかったけれど、弟子や家族の間では 親しまれていたのでしょう」とある。
また、昭和36年4月の岩波文庫の改訂版では英文学者福原麟太郎先生の解説が末尾を飾っている。彫刻家平櫛田中も英文学者福原麟太郎もわが郷里が誇る数少ない偉人であるが、岡倉天心との関係で出会えたことは驚きであり、誇りもいや増す思いがする。