自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

病性鑑定資料のねつ造と国・県の共同謀議~誰も責任を取らない中空構造④

2015-02-09 19:09:06 | 中空構造
 農水省は情報開示請求に対して黒塗りの資料しか開示していないが、個人情報には関係ないと思われる「口蹄疫陰性の判定」資料までも隠蔽・ねつ造している。

 宮崎で口蹄疫が発生した期間(2010年4月〜11月)の口蹄疫陰性判定に関する文書の情報開示請求に対して、平成21年9月の豚の資料(第21090904号)が開示されている。先頭に不自然なデータを入れるのは農水省流のやり方なのであろうか、動物衛生研究所報告(p.35 口蹄疫を疑う病性鑑定の一覧)にも同様の手口が認められる。
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 この表のNo.1で4/118 23:30に98頭の肉繁農場(資料では黒塗り)から同居牛に異常を認めないのに1頭のみの口蹄疫を疑って、緊急に夜中の検査を受付けている。宮崎県から公式の検査依頼の検体が持ち込まれる前日である宮崎県では複数の農場で複数の牛に異常の届出があったにも関わらず検査を受け付けていなかったはずなのに、突然不思議な現象が起きたものだ。この病性鑑定はどこの県からの依頼なのか。宮崎県の口蹄疫発生を非公式に国・県で確認するための検査ではなかったのか。今回の口蹄疫防疫対策は随所で国と県が隠蔽の謀議をし、病性鑑定資料までねつ造している

 国と宮崎県が公表している病性鑑定No.は大きく異なっている。宮崎県は口蹄疫検査陽性のもののみを公表し陰性のものは欠番(作成した下表では赤字で示している)としているので、この欠番のものを情報開示請求で提出された資料の飼養頭数と、動物衛生研究所報告(p.35 口蹄疫を疑う病性鑑定の一覧)を照合して埋める作業をした。しかし、資料No.22043005は「鑑定材料及び添付調査については差し替え依頼中」とあり、受理時刻9:05、現地調査9:25と不自然である。また、資料No.22043006も手書きで、届出9:38、現地調査10:55と時刻が不自然であり、飼養頭数281頭は、動物衛生研究所報告(p.35 口蹄疫を疑う病性鑑定の一覧)にはない。デタラメの作業を強制された誠実な職員の反乱の印なのであろうか。

口蹄疫の発生は委員会で確認後に農水大臣が発表する重要事項だと思っていたが、担当官僚で処理した後に委員会が開催されている。しかも、「感染経路追究チーム」を「疫学調査チーム」に訂正している。

 ここでは国の口蹄疫病性鑑定に関する資料に、宮崎県報告「疫学調査の中間とりまとめ」資料7(感染順の図)、さらに水牛農場(6例目)口蹄疫検査結果を加えて下表を作成し、国、県の口蹄疫発生に関する報告の矛盾を指摘したい。

   国・県の口蹄疫病性鑑定(No.1~No.27)(クリックしてください)
 口蹄疫病性鑑定は県が国に連絡して、検体を動物衛生研究所・海外病研究施設(小平市)まで職員が空路持ち込んでいる。このことは口蹄疫鑑定陰性であったNo.9に明示されている。
 ここでは国の鑑定結果は陰性を含むのでNo.で、県の公表は陽性のみなので○○例で示すことにする。

 口蹄疫発生の公表順は1例目6例目を除く2例目から7例目までは半径200mの近い位置にあり、8例目9例目は7例目の関連農場で、10例目の豚に感染した時にはこの地域にはかなりウイルスが蔓延していたと考えられる。

 また、口蹄疫発生が公表された4月20日以降に届け出たのも、公表順に、2例目:共済獣医(所長)3例目:地区獣医支部長4例目:共済獣医5例目:町役場からの届出で、いずれも県とつながりが深い。ことに2例目の獣医は19日に届け出ているにも関わらず、県は検査の結果が20日に出るまで待てと届出を受理しなかったので、大臣記者会見の前の早朝に届け出ている。これでは県は感染源と感染経路を早く把握する義務より公表の準備と感染源の隠蔽を優先し、10例目までの疫学調査はできないのではなく、しないのであり、1例目と6例目は感染源にするために利用されたと考えられても仕方がない。

 2例目は7例目の道路向かいで一番近い公表された7例目の現地調査表には、「4月24日9時、届出者:農場の専属獣医師より、口蹄疫様症状を示す牛がいると通報」とあるが、発生農場の欄には2例目の疫学関連(飼料運搬)ともある。しかも、この公表された現地調査表には、別の2通の現地調査表があり、「届出者: ○○主査(都城家保) 疫学調査■ 農場の餌関係)」と2例目との疫学関係で立入調査をしたことは明記されている。7例目が2例目の疫学関連農場なら、県は何故24日まで放置していたのか。また、3例目の届けでは20日10時で2例目より2時間遅かっただけで、立ち入り調査も13時にはしている。なぜ検体受付は1日も遅れたのであろうか。すでに口蹄疫発生は把握していたので、7例目が初発農場であることを隠蔽し、県と関係が深い届出を優先させ、国への検体送付も操作した疑いがある

 7例目(大型農場)は感染の疑いを届けなかっただけでなく、近所の農家は感染源であることに確信を持ち、内部告発もあり、口蹄疫感染を隠蔽したことは確実である。普通なら川南町の感染経路は重点的に疫学調査するのが常識であるが、人里離れた水牛農場を国の責任である疫学調査では「来訪者が海外からウイルスを侵入させた可能性がある」として強引に初発農場とし、川南町の感染経路については不問にした

 初発農場とされた獣医師の記録p.14を下表に抜き出した。
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 6例目は早くより検査依頼をし、3月31日、4月14日、4月22日と検体採取し、殺処分した4月25日には豚の検体も採取している。このうち4月22日に3月31日と4月22日の検体について病性鑑定している。しかし、4月14日の検体が陽性であったことは農場主には知らされているが、どこにも公表されていない。だが、病性鑑定資料はあるはずだ。また、豚2頭については陰性であったので公表されていない。そこで情報開示請求資料で調べたら、4月29日に現地で開催された第1回疫学調査チーム検討会の翌日に、一挙に9農場の病性鑑定、を受付(資料整理のための表)、豚2頭の検査もされていた

 7例目は4月24日に2例目に関係した疫学調査として立入検査をしているが、2例目が陽性と判定されたのは4月20日であるので、21日には立入検査をしないとおかしい。県側も検査の遅れに手を貸している。しかも、8例目以降の届出は4月27日からであり、県と国が病性鑑定を調整している。これらのことは疫学調査は県と国の共同謀議のもとになされた証拠となろう。

 3例目の地区獣医支部長は水牛農場が初発農場の可能性が高いと地元議員がよく出るテレビにわざわざ出演して嘘の証言をした。川南町役場は発生農場を全て把握しながら、口蹄疫発生で不安な農家や町民に知らせなかった。これらを独自の考えで行ったとは考えられない。地元議員は延岡の今山大師祭(2010年4月16日~18日)に参加し、4月20日早朝の便で上京の予定を変えた。7例目の大型農場の責任者(○○専務)も17日には宮崎入りしている。この大型農場の宮崎への誘致に熱心であったのは故江藤隆美議員であり県内の飼料関係者とのつながりも強かった。その後継者である江藤拓議員が地元から口蹄疫について相談されていないはずがない。国、県、町の関係をつなぐ議員として何を打ち合わせたのであろうか。

 2010年12月8日、衆議院農林水産委員会 が開催され、宮崎県で発生した口蹄疫について、発生前後からの国や県の対応に問題がなかったのか調査する「口蹄疫対策検証委員会」の報告と議員との質疑応答が行われた。この疫学調査チーム長の説明と江藤議員との質疑応答に私は疑惑を感じたが、皆さんはどう受け取られるであろうか。

2015.2.11 一部追加更新







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