連載コラム「大阪のだし」第3回
大阪ミュージアム構想ホームページ
平成 24 年 10 月 4 日掲載 「大阪料理と大阪のだし」
お話いただいた方 畑 耕一郎 さん
「だしを取るには30年かかる」。
料理人の世界では、昔からよく言われてきた 言葉だそうである。
文楽の世界でも、主遣いになるまでには、「足十年、左十年」 という言葉があるし、板前の世界でも、「焼き方何年、煮方何年」などという風に して序列があがっていくと聞いたことがある。
が、だしで30年とは、ちょっと大 げさな気がしないでもない。
「季節、料理の素材、水、調理方法によって、そして、商売ですから、儲けも考 えた上で、それぞれの料理にぴったりと合うだしをとるのは、それくらい難しいと いうことでしょうねぇ。
また、だしは、それくらい料理にとって大事な基本や、い うことでしょう。
ただ、昔は、料理は教えてもらうものではなく、見よう見まねで 盗むしかなかったから、そのくらい時間がかかった、ということであって、今はち ゃんと教えてもらいますから、そんなにはかかりませんわ。」 と、話す畑耕一郎さんは、日本料理を教える先生として長年、教壇に立つかたわ ら、数多くの料理番組にも出演してきた大阪料理界の第一人者である。
「大阪のだしは、昆布と鰹の合わせだしが基本やけど、昆布と一口に言っても、 真昆布、利尻昆布、日高昆布など、いろんな品種がある。
品種だけでなく、獲れる 浜によっても品質が違う。
真昆布は函館あたりのごく限られたエリアでしか獲れま せんが、利尻昆布は、北海道の北側の比較的広いエリアで収穫され、どこの浜で獲 れたものかによって、値段が大きく違うんです。
昆布の厚み、巾、長さなどによっ て等級がつけられ、また、獲れてからどう寝かす(熟成させた)かでも味が違って くるんです。」
「大阪は真昆布、京都は利尻昆布を使う、とかよく言われてますが、どっちも上 等なものは値が高いから、店によっては、そんな昆布はなかなか使えません。
予算 にあわせて、たくさんある昆布の中からどの昆布を使うのか、どのくらいの量使う か、どうやってだしを引くのかと、工夫していかんとあかんのです。」
最上級の昆布でお椀一杯のお吸い物を作ろうと思うと、材料の昆布代だけで、 100円近くかかるのではないかと、畑さんは言う。
「花かつおにする鰹節にも、カビつけをした本枯れ節、カビつけをしていない荒 節があります。
本枯れ節のほうが香りが強いので、お吸い物に向いています。
荒 節は煮込んでも渋みが出にくいので煮物向きなど、また、血合い(赤い部分)有り か抜きかでも違い、削る厚さを変えるだけでも引く方法が変わるし、味が違ってき ます。」
「お椀(お吸い物)なら昆布と鰹節のだしだけで上品な美味しいもんが作れます が、料理によっては、昆布にうるめ節、さば節、そうだ節などの雑節や、干ししい たけなどのだしなどをあわせないと、コクが足りません」。
うどんのだしも、昆布に数種類の雑節をあわせてだしをとり、濃厚で力のある旨 みを出すそうだ。
「美味しいうどんのだしを作るには、調味料を合わせてからも、極弱火で湯気だ けが立ち上るような状態にして、しばらく『寝かす』ことも必要です。
そうすると、 角のとれた『ぼわーん』とした深い旨みのあるだしになります。
そやから汁まで全 部飲み干せる。
店によっては、2時間も3時間も寝かすところもあります。
だしの 取り方には、これが正解というのはありません。
うどん屋が100軒あれば、 100通りの取り方、合わせ方、寝かせ方があるはずですわ。」
さすが、30年かかるというだしの世界は奥が深い。
うどんのだしはプロに任せ ることにして、家庭で簡単にできる美味しいだしの取り方を教えていただいた。
「昆布の種類や料理によって、だしの取り方は変わります。
お吸い物を作るので あれば、水出しが一番いい方法です。
加熱しないので、昆布の旨みだけがじわーっ と出て、色も雑味も出ません。
まず、昆布の表面を硬く搾ったぬれ布巾で拭きます。
2ℓの水に昆布40G を入れ、冷蔵庫に約10時間置きます。
昆布のうま味の多 くは表面から出るので、切込みを入れる必要はありません。
多くの切込みをいれる と、かえって、ぬめりや雑味が出やすくなります。
10時間たったら、昆布を取り 出し、火にかける。
沸騰する直前に鰹節60gをほぐすように一気に入れ、軽く一 煮立ちしたらすぐ火を止め、あくを丁寧に取り静かに、キッチンペーパー等で濾し ます。」
鰹節は、できれば、血合い抜き(赤い部分がないもの)を使うと、くせが無く味 が繊細になるそうだ。
そもそも、大阪で盛んに昆布を使うようになったのは、江戸時代も中頃。
今から 約300年ほど前のことだ。
日本海から瀬戸内海を廻る西廻り航路で、北前船が、 北海道の昆布を始め、全国の物産をどんどん運んでくるようになった。
活気あふれ る大阪の市場には、薩摩、土佐や紀州からも鰹節が入ってきて、合わせだしが生ま れる。
現在の兵庫県龍野でうす口醤油が作られはじめたのも、1600年代の中頃 からである。
「今、料亭や旅館でよく出される宴会形式の日本料理、いわゆる会席料理が華や かに登場したのは、江戸時代後半の文化・文政の頃で、結構最近なんですよ。」
特に、公家が住む京都、武士や職人が多い江戸に比べ、商人が多い大阪では、接 待や商談に利用されることによって、料亭や仕出し屋が繁盛し、外食文化を発展さ せていった。
畑さんが相談役を務める「大阪料理会」では、大阪の割烹店や料亭の店主たちが 集まって、月1回、大阪的な料理の研鑽を積んでいる。
大阪料理とは、どんな特徴 を持つ料理か尋ねてみた。
「大阪料理の真髄は、新鮮な魚介類や野菜類を、持ち味を活かして、とことん美 味しく食べようというこだわりにあるように思います。
船場では、一番美味しい魚 島季節(うおじまどき)の桜鯛(※)を贈答する習慣が長くあったし、刺身も贅沢 に大きめに切るのが、大阪料理。
ハモも、梅雨明けのハモちりを酢味噌で食べるだ けやなく、蒲鉾、ハモ皮の酢のもん、秋ハモを玉葱と鍋にしてガッツリ食べる美味 しさも知っている」。
「江戸時代には、運送手段や食品保存方法が発達していなかったから、例えば京 都では、塩鯖や棒ダラを上手に戻して使ったり、魚は昆布締めにしたりの工夫を凝 らした。
江戸では、外洋系の赤身魚のマグロ、カツオなどを好んで食べてきました。」
「それに比べ、内海に面した大阪では、鯛やハモなどの白身魚がたくさん獲れる ため、それを贅沢に、薄味で味わうことができたのです」。
もうひとつ、大阪料理の特徴は、美味しいものは「しまつ」してとことん味わい 尽くすということである。
※魚島季節の桜鯛:瀬戸内海では、4 月初旬か ら6月初旬にかけて、鯛が産卵のために群れを なして集まる。
この時期を「魚島季節」と呼び、 この時期の鯛を桜鯛と呼ぶ。
産卵期の鯛は赤み が増し、身が肥えて脂がのって美味しく、船場 では親せき同士や親しい家の間で上等の桜鯛 を贈答する風習が、江戸時代から大正頃まで続 いた。
「鯛も、造りや焼きもんにするだけでなく、アラはごんぼと炊きましょか、骨は 潮汁にしましょうか、と丸ごと味わう。
大阪では、うなぎの半助(蒲焼にした頭の 部分)も、焼き豆腐とあわせて鍋にしてきました」。
公家や武士がとらわれがちな形式や見栄にとらわれず、本当に旨いもんをとこと ん味わいつくす大阪の商人の合理精神が、大阪の食文化を育ててきたのであろう。
商家の旦那衆に支えられ、地の利を生かした新鮮な海山里の食材を料理(割烹) するスタイルを築き上げた大阪は、明治の終わり頃になると、『腰掛け』と呼ばれ る独自のスタイルのお店を生んだ。
「『腰掛け』とは、その名のとおりふらりと入ってきた客が椅子状の台に腰掛け、 『今日はどないな魚があんねんな?ほーう、ええな。
ほな、それ、焼いてんか。』 といった具合の会話を板前と交わして、作りたての美味しい料理を食べさせたお店 です」。
このスタイルが、大阪発祥のカウンター割烹につながっているのだろう。
そして 今や、カウンターを挟み、料理人が客の目の前で調理してくれるカウンタースタイ ルは、イタリアレストランでもフランスレストランにも取り入れられている。
磨き抜かれてきた大阪料理と大阪のだしが、これからもどのように進化・発展し ていくのか、本当に楽しみである。
(出展)くいだおれ大阪 食のライブラリー http://www.kuidaore-osaka.com/jp/star ting_point/senba/4_2.html
文=日下部貴美子
写真=山田泰常
畑 耕一郎 さんのプロフィール 畑 耕一郎 (はた こういちろう) 大阪あべの 辻調理師専門学校 理事・技術顧 問、放送大学非常勤講師、「大阪料理会」相談 役 1947 年大阪生まれ。1967 年辻調理師学校 (当時)を卒業後、同校に入職、日本料理の専 門 教育の道を歩む。教壇に立つかたわら、テレビ、 ラジオ、出版など、幅広く活躍。 18 年間続いたテレビ「料理天国」や「上沼恵 美子のおしゃべりクッキング」(朝日放送、テ レビ朝日系)を 12 年間担当。 「料理大学」 「料理のり」(スカイ A)などに出演。 大阪料理を研鑽する「大阪料理会」の相談役を 勤め、大阪料理の発展・周知に努めている。 http://www.amakaratecho.jp/osaka-foo d/ 著書として、「プロのためのわかりやすい日本 料理」(柴田書店)、「日本料理 プロの隠し技」 (光文社)、「辻調直伝 家庭の和食」「辻調直 伝 味ご飯と一汁一菜」(講談社)、「和風のお かず おいしい基本」(学研)、「英語で日本料 理」(講談社インターナショナル)、 「日本料理・基礎から学ぶ器と盛り付け」(柴 田書店)など。 <表彰・賞> 平成13年 社団法人日本調理師会 功労賞 受賞 同 大阪府 功労賞受賞 平成 17年度 厚生労働大臣賞受賞 <資格> 調理師免許、専門調理師、調理技能士