年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

五稜郭タワーの五島軒

2010年06月22日 | 福神漬

函館中心地にある五稜郭タワーはかなりの人気タワーである。お城のない五稜郭は平地から見ると単なる堀に囲まれている土手しか見えない。市電の一日券を手に持っていたら、割引してくれた。函館では市電の一日券は手に持って入場券売り場に向かうこと。市内行く先々の入館料の割引であっという間に600円の元は取れた。さて五稜郭の形はタワーに上るか上空から見るしかない。榎本と土方が人気だ。2階に下りると五島軒があった。北海道物産展では有名なところである。函館のご当地の食べ物として塩ラーメンと五島軒のカレーライスがある。もちろんカレーライスを選択。800円也。すぐ福神漬のチェックをする。良い福神漬の条件は「なた豆」が入っていることとうま味である。合格。
 石井研堂の缶詰の始まりから箱館戦争で戦死し、幕府の関係先(想像だが上野寛永寺)に漬物を納入していたという千葉県行徳の『喜兵衛』が気になる。武江産物志によると、江戸時代江東方面ではナタ豆を栽培していた。また行徳は塩の産地で今でも京葉線に『塩浜』という駅名が残っている。つまり喜兵衛がナタ豆の塩漬を製造して不思議ではない。そして浦賀衆の最後の戦いとなった千代ヶ岡陣屋で喜兵衛が戦死していたなら不思議な縁を感じる。石井研堂はどこまで知っていたのだろうか。明治になって戊辰戦争を語る事は出来ず、喜兵衛の思い出として酒悦主人か山田箕之助が福神漬にナタ豆を入れたと思われる。
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