上海市は、世界有数の世界都市である。
中国最大の都市で人口は北京の約2,000万人を凌ぎ約24,000万人なのが驚きだ。
中国人のベテラン観光ガイドに、一日間案内してもらい観光した。
上海事情は無知だったので、豊富な知識での説明は理解しやすかった。
知らなかったことばかりで、そうだったのかーと認識の希薄だったことを恥じた。
最初に、歩くのは平気だと告げていたので、地下鉄の他約10kmは徒歩だったが、ウォーキングシューズをはいていったのは正解だった。
浦東新区・外灘・豫園・上海博物館・中華美術館・新天地を興味深く巡った。
上海は、アヘン戦争終結後には条約港(1842)として開口したのを契機に、イギリスやフランスなどの租界ができ、後に日本やアメリカも租界を開いたのだそうだ。
外灘(ワイタンとかバンド)と呼ばれている地域には、イギリス租界だった当時に建てられた欧風のノスタルジックな建造物が現在も健在なのだ。
黄浦江西側の中山東一路の南北に沿って約800mの間に建つ歴史的石造建築物群に出会うと、ヨーロッパのどこかの国の街角にいるような錯覚がする。
左から バンコク銀行・招商局・外灘12号・上海海関
昼間は、普通の欧風建築物だが、夕刻からの変貌する夜景は衝撃的だ。
以下の写真は、広東路から漢口路までの約500mの間に立ち並んだ石造建築物群で、ライトアップされた圧巻の夜景に興奮する。
外灘5号の昼と夜(1925年建)
外灘6号(1897年建) バンコク銀行(1907年建)
招商局(1877年建) 外灘12号(1923年建)
上海海関(1925年建)
色の照明があれば全て使ってケバケバしいライトアップしてしまうのとは違い、程よい調和のとれた落ち着く感じが気に入った。
何度もライトアップを試みた末に、美しくコントロールされ、この品のいいまばゆい輝きが生まれたそうで、その壮観さは名実共に観光の目玉の一つだということが素直に納得できる。
ここが、想像していた中国なのかと夢ごこちもしたが、波瀾万丈の歴史の舞台にいる実感もあって、中国というより上海についての関心が深まった。
中国最大の都市で人口は北京の約2,000万人を凌ぎ約24,000万人なのが驚きだ。
中国人のベテラン観光ガイドに、一日間案内してもらい観光した。
上海事情は無知だったので、豊富な知識での説明は理解しやすかった。
知らなかったことばかりで、そうだったのかーと認識の希薄だったことを恥じた。
最初に、歩くのは平気だと告げていたので、地下鉄の他約10kmは徒歩だったが、ウォーキングシューズをはいていったのは正解だった。
浦東新区・外灘・豫園・上海博物館・中華美術館・新天地を興味深く巡った。
上海は、アヘン戦争終結後には条約港(1842)として開口したのを契機に、イギリスやフランスなどの租界ができ、後に日本やアメリカも租界を開いたのだそうだ。
外灘(ワイタンとかバンド)と呼ばれている地域には、イギリス租界だった当時に建てられた欧風のノスタルジックな建造物が現在も健在なのだ。
黄浦江西側の中山東一路の南北に沿って約800mの間に建つ歴史的石造建築物群に出会うと、ヨーロッパのどこかの国の街角にいるような錯覚がする。

左から バンコク銀行・招商局・外灘12号・上海海関
昼間は、普通の欧風建築物だが、夕刻からの変貌する夜景は衝撃的だ。

以下の写真は、広東路から漢口路までの約500mの間に立ち並んだ石造建築物群で、ライトアップされた圧巻の夜景に興奮する。


外灘5号の昼と夜(1925年建)





上海海関(1925年建)
色の照明があれば全て使ってケバケバしいライトアップしてしまうのとは違い、程よい調和のとれた落ち着く感じが気に入った。
何度もライトアップを試みた末に、美しくコントロールされ、この品のいいまばゆい輝きが生まれたそうで、その壮観さは名実共に観光の目玉の一つだということが素直に納得できる。
ここが、想像していた中国なのかと夢ごこちもしたが、波瀾万丈の歴史の舞台にいる実感もあって、中国というより上海についての関心が深まった。