鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

猛虎図鐔 東雨(土屋安親)

2010-01-01 | 
猛虎図鐔 東雨(土屋安親)

 



 寅年を迎え、猛虎図鐔を紹介する。以下の解説は古美術雑誌《目の眼》に掲載したもの。

 梁の武帝に自らが説く仏教を理解されなかった達磨大師は、嵩山の少林寺に引き込んで外界との接触を断ち、九年のあいだ洞窟に座してその壁面に向かい、岩のように動ぜず己の姿を見つめ続けたという。これが今に残されている壁観、あるいは面壁九年の語の由来であり、禅宗が思考よりも実践を本意とするところにある座禅の真理を伝えるものである。
 禅宗は達磨大師によって構築されたが、我が国に伝来してより深められ、鎌倉時代以降は殊に武家社会に理解され、後の我が国の文化の重層を成してきたことは良く知られている。それが故に武家美術の題として達磨像が採られたこともあり、また、金家や信家、ここに紹介する土屋安親(1670~1744)などのように、製作を通して己の中にある仏を知るという禅を追求した者もあった。
 安親は古典に捉われることなく猛虎を題に得た図を多々遺している。その中でも印象を異にする作品と対面することがある。その一つがここに紹介する巌上猛虎図鐔。獲物に狙いを定めて今にも襲いかかろうとしているような猛々しい姿ではなく、静寂の中に佇む老武者を想わせる図。岩壁を前にした様子はまさに達磨のそれ。背を丸くしてふっと後方に首を向けたその表情には、かつて争い獲り合ったその過去の己の行動を省みているかのような、思索する者の姿が映し出されている。
 安親は木彫りの達磨像を遺している。質素な木肌を活かした簡素な彫法ながら、まるめられた頭、背にかけての構成線は凛とし、達観した者のみが備える優しさが表現されている。
 世の中に存在する全ての事物を画題として捉え、作品にしてしまうほどの安親であったが、時には己が過去を振り返る機会もあったに違いない。それが達磨像や作中の人物に投影されたのであろう、ここに紹介する猛虎図鐔も同様、己の姿を達磨大師に擬え、老いた虎に擬えて壁に向かう図とした作品ではないかと考えられるのである。
 鍛えた鎚の痕跡が残る鉄地を鋤き下げ、背後を透かし去ることによって奥行き感を表わし、流れ落ちる瀧と水の流れを添景として虎を包み込んでいる空間を不動の世界として表現している。孤高の虎は肉彫地透の描法を主体とし、身体は肉高く量感を持たせ、独特の縞模様のある体毛は金象嵌に細い毛彫で、目玉は金の点象嵌で一段と光を強く表わしている。裏面は岩場のみで、静寂の時の流れを暗示している。