豊干禅師図鐔 東龍斎清壽
豊干禅師図鐔 一家式竜法眼(花押)
装剣小道具の画題として採られる例の多い図の一つに、寒山(かんざん)と拾得(じっとく)図がある。また、これに豊干禅師(ぶかんぜんじ)と虎を添え、四者が眠る四睡(しすい)図も良く知られている。
ここに登場する三者は、唐代の台州(現江省)天台山の国清寺に生きた、まさに隠者。我が国にあるような禅を突き詰めたというわけではないが、禅に通じる生き方をしたことが好まれたものであろう。特に寒山は狂人とさえ見られたように自由に行動し、自由な発想になる詩を遺しており、拾得も感化されたものであろうか寒山に追随したようだ。彼らの能力を見出したのが国清寺の豊干禅師。彼もまた特異な生き方をし、一頭の虎と心が通じ合っていたと言われている。
まさに我が国に隆盛した、禅に生きるという意識を実践したような話である。この四者を図に得たのが写真の鐔。作者は、江戸時代後期の江戸に独特の作風で隆盛した東龍斎清壽(とうりゅうさいきよとし)。虎と戯れる豊干禅師を主題とし、遠景として山間に寒山拾得の両者を陰影のように添え描いている。鉄地高彫に金銀の象嵌、霞は金の真砂象嵌(まさごぞうがん)。
ここには禅の意識や、瓢箪鯰のような禅の公案という意図は見られないが、禅に深く傾倒した人々の意識が明確に覗える。
作者の東龍斎清壽は田中文次郎と称し文化元年の生まれ。河野春明に有縁とも伝えられるが詳細は不明。独特の構成感覚による風景や、特異な形態美を追求した作品があり、江戸時代後期に大きな流派を築き、多くの門弟も同趣の作品を製作して活躍している。銘の一家式は号の一つ。弘化三年に法眼に叙されたことから法眼を銘に添えることもある。竜は東龍斎の略。
豊干禅師図鐔 一家式竜法眼(花押)
装剣小道具の画題として採られる例の多い図の一つに、寒山(かんざん)と拾得(じっとく)図がある。また、これに豊干禅師(ぶかんぜんじ)と虎を添え、四者が眠る四睡(しすい)図も良く知られている。
ここに登場する三者は、唐代の台州(現江省)天台山の国清寺に生きた、まさに隠者。我が国にあるような禅を突き詰めたというわけではないが、禅に通じる生き方をしたことが好まれたものであろう。特に寒山は狂人とさえ見られたように自由に行動し、自由な発想になる詩を遺しており、拾得も感化されたものであろうか寒山に追随したようだ。彼らの能力を見出したのが国清寺の豊干禅師。彼もまた特異な生き方をし、一頭の虎と心が通じ合っていたと言われている。
まさに我が国に隆盛した、禅に生きるという意識を実践したような話である。この四者を図に得たのが写真の鐔。作者は、江戸時代後期の江戸に独特の作風で隆盛した東龍斎清壽(とうりゅうさいきよとし)。虎と戯れる豊干禅師を主題とし、遠景として山間に寒山拾得の両者を陰影のように添え描いている。鉄地高彫に金銀の象嵌、霞は金の真砂象嵌(まさごぞうがん)。
ここには禅の意識や、瓢箪鯰のような禅の公案という意図は見られないが、禅に深く傾倒した人々の意識が明確に覗える。
作者の東龍斎清壽は田中文次郎と称し文化元年の生まれ。河野春明に有縁とも伝えられるが詳細は不明。独特の構成感覚による風景や、特異な形態美を追求した作品があり、江戸時代後期に大きな流派を築き、多くの門弟も同趣の作品を製作して活躍している。銘の一家式は号の一つ。弘化三年に法眼に叙されたことから法眼を銘に添えることもある。竜は東龍斎の略。