寒山拾得図鐔 海野勝
寒山拾得図鐔 芳洲海野勝(金印)
東龍斎清壽の描いた豊干禅師の、遥か遠くの山陰に佇む二人の姿を拡大するとこのようになる。巻物を持って月を指差すのが寒山、箒を携えているのが拾得。この鐔では、虎のみを裏面に描いて豊干禅師留守模様としている。作者は、明治期に皇室の御用を勤め、様々な装飾性の高い金工作品を製作した名工、海野勝(うんのしょうみん)である。勝は天保十五年に常陸国に生まれ、伯父に当る水戸金工海野美盛と同じ水戸金工萩谷勝平に学び、江戸に出たのは明治に入ってのこと。新時代の潮流を正面から受けるも、その一方で、本作のような古典に現代の美意識を投影した優れた作品をも遺している。
本作は、朧銀地に微細な石目地を加え、表は高彫に金色絵、裏は石目地に片切彫平象嵌。微妙な抑揚を付けた高彫は、現代彫刻とは異なるレリーフの類で一般的に凹凸は三ミリ程度。にもかかわらず、ここまでの立体感と遠近感、質感を創出しているのである。
寒山拾得図鐔 芳洲海野勝(金印)
東龍斎清壽の描いた豊干禅師の、遥か遠くの山陰に佇む二人の姿を拡大するとこのようになる。巻物を持って月を指差すのが寒山、箒を携えているのが拾得。この鐔では、虎のみを裏面に描いて豊干禅師留守模様としている。作者は、明治期に皇室の御用を勤め、様々な装飾性の高い金工作品を製作した名工、海野勝(うんのしょうみん)である。勝は天保十五年に常陸国に生まれ、伯父に当る水戸金工海野美盛と同じ水戸金工萩谷勝平に学び、江戸に出たのは明治に入ってのこと。新時代の潮流を正面から受けるも、その一方で、本作のような古典に現代の美意識を投影した優れた作品をも遺している。
本作は、朧銀地に微細な石目地を加え、表は高彫に金色絵、裏は石目地に片切彫平象嵌。微妙な抑揚を付けた高彫は、現代彫刻とは異なるレリーフの類で一般的に凹凸は三ミリ程度。にもかかわらず、ここまでの立体感と遠近感、質感を創出しているのである。