黄瀬川対面図鐔
黄瀬川対面図鐔 無銘
治承四年十月、東国の武士を団結させた頼朝は甲斐の源氏勢をも合流させ、西からの平家軍を迎え撃つに適した地、伊豆半島の付け根に位置する黄瀬川に陣を敷いた。その西、富士川に軍を進め、平家勢とは川を挟んで対峙したものの、平家勢は水鳥の群れ飛ぶ音に驚いて逃げ去ったことは余りにも有名(富士川の戦い)。
この直後に奥州平泉から駆けつけたのが義経。黄瀬川の陣にて両者が始めて会う場面を描いたのがこの鐔。
平家への仇討ち、そして源氏の再興を願う義経に対し、仇討ちよりもむしろ武家政治の確立を願う頼朝とは、武家意識も違っていたのだが、義経にとっては血を分けた兄であり、両者は深い絆で結ばれていると信じていた。
黄瀬川対面図鐔 無銘
治承四年十月、東国の武士を団結させた頼朝は甲斐の源氏勢をも合流させ、西からの平家軍を迎え撃つに適した地、伊豆半島の付け根に位置する黄瀬川に陣を敷いた。その西、富士川に軍を進め、平家勢とは川を挟んで対峙したものの、平家勢は水鳥の群れ飛ぶ音に驚いて逃げ去ったことは余りにも有名(富士川の戦い)。
この直後に奥州平泉から駆けつけたのが義経。黄瀬川の陣にて両者が始めて会う場面を描いたのがこの鐔。
平家への仇討ち、そして源氏の再興を願う義経に対し、仇討ちよりもむしろ武家政治の確立を願う頼朝とは、武家意識も違っていたのだが、義経にとっては血を分けた兄であり、両者は深い絆で結ばれていると信じていた。