頼政鵺退治図目貫
頼政鵺退治図目貫 無銘
源平合戦の登場人物では、脇役になってしまっているが、平家の世から源氏の世への大きく動き始める切っ掛けを成したのが源頼政である。
内裏の警護を行っていた攝津源氏、頼政は、それ故に和歌に長じ、平家とも近しい関係にあった。だが、平治乱以降、河内源氏の嫡流である頼朝は伊豆に流され、源氏の復活は容易ならざる状況。平家の懐に入り、昇殿を許された頼政でさえ、平家にあらずんば人にあらずの譬えのように、それ以上の活躍は望めない状況であった。
このような状況下の治承四年、後白河法皇の子であった以仁王が自らの処遇に不満を抱き、源氏など各地の反平家勢力に令旨を発して挙兵を促した。源頼政はその先鋒として立ったのである。
さて時は遡り、この頼政が昇殿を許されることとなったのは、近衛天皇の仁平年間のこと、夜な夜な出現して天皇を脅かす鵺(ヌエ)なる怪物を、得意の弓で退治したことによる。頼政は鬼退治で有名な頼光の子孫。そしてまた得意とした和歌で、信頼を得たという。
この目貫の図が鵺退治の場面。弓を携え、松明で様子を窺うのが頼政。鵺の首を押さえ、短刀を突きつけるのが郎党である井早太。
赤銅地を的確な容彫で写実的に彫り出し、金銀素銅の色絵も効果的に施している。
頼政鵺退治図目貫 無銘
源平合戦の登場人物では、脇役になってしまっているが、平家の世から源氏の世への大きく動き始める切っ掛けを成したのが源頼政である。
内裏の警護を行っていた攝津源氏、頼政は、それ故に和歌に長じ、平家とも近しい関係にあった。だが、平治乱以降、河内源氏の嫡流である頼朝は伊豆に流され、源氏の復活は容易ならざる状況。平家の懐に入り、昇殿を許された頼政でさえ、平家にあらずんば人にあらずの譬えのように、それ以上の活躍は望めない状況であった。
このような状況下の治承四年、後白河法皇の子であった以仁王が自らの処遇に不満を抱き、源氏など各地の反平家勢力に令旨を発して挙兵を促した。源頼政はその先鋒として立ったのである。
さて時は遡り、この頼政が昇殿を許されることとなったのは、近衛天皇の仁平年間のこと、夜な夜な出現して天皇を脅かす鵺(ヌエ)なる怪物を、得意の弓で退治したことによる。頼政は鬼退治で有名な頼光の子孫。そしてまた得意とした和歌で、信頼を得たという。
この目貫の図が鵺退治の場面。弓を携え、松明で様子を窺うのが頼政。鵺の首を押さえ、短刀を突きつけるのが郎党である井早太。
赤銅地を的確な容彫で写実的に彫り出し、金銀素銅の色絵も効果的に施している。