富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

富山空港の経営は、富山人のマネジメント能力の試練

2018年09月20日 | Weblog

大きなミスは、中沖県政よりも前に存在している。富山空港は、神通川の河川敷に立地する。これは、最適ではない。戦前には、陸軍の軍用の飛行場があり、また民間航空も飛んでいた。戦後、食糧の増産のために、農地に戻された。やむなく河川敷に敷設された。ところが、北陸自動車道が、進入、離陸のコースを横切り、滑走路の拡張の可能性を放棄した。ここが大失政のは始まりである。超大型のジェット機の登場や、航空貨物が物流に占める市場拡大の近未来を読み切れていなかった。当時の県庁のメンバーは、80代から90代になって居られるが、そのころの富山大学の教授に水準も、実は極めて低く、学長のポストを金でやり取りしていた。学識経験者が存在しなかった。ただ、単距離で離陸するか、垂直離陸できる飛行機が発達してきたので、滑走路の長短では優劣がつかない時代となった。要は、航空貨物を活かせる電子部品、薬剤などのキログラムあたりのコストの高い商品の輸出入を必要とする産業集積が、空港の周りに配置できるのか、という点である。これは、実は成功のプロセスを歩んでいるが、行政職の方には、まだ、航空貨物の専用便の役割を戦略的な計画に盛り込んだ思考が成熟していない。さて、東京―富山便の維持は、東京ー名古屋のリニアが10年後には稼働するから、岐阜県側からの利用は期待できない。また、県内からの海外を含めた渡航の市場は急速に縮小する。そこへ消費性に高い利用促進の補助金をつぎ込み、当面を糊塗しても、その積算経費は回収できない。それでも、国家的にみて補助対象となるには、新たな制度設計による富山空港の位置づけの仕方である。山岳遭難の救援のヘリという実績を活かし、環日本海の全体を視野に入れた国際防災拠点空港として、全国の体制を見直すことである。救命医療、薬品保管と急配送など、「1人の命を守る」空港として、北東アジアの救命センターとして名乗りをあげる勇気がいる。そして、防災センターと全天候型のイベントホールとの大型の複合施設を構想することだ。すべて、10年先をみすえたデザイン思考がいる。

 


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ハンドボールには世界市場がない

2018年09月20日 | Weblog

 サッカーも、ハンドボールも小中学生の時代にやらされたことがある。特に、ハンドボールは別の種目の部活だったのに、にわかに招集されて、隣の中学と試合をさせられたことがある。サッカーは、発展途上の国に普及しているのは、プロの市場が大きく、広い。そのため、少年の夢が掻き立てられる。世界の歴史を創生し、人種差別の廃止に大きく寄与している。ハンドボールとサッカーの練習は、同じ中学のグランドでは同時並行できない。サッカーからは、永遠にマイナーである。人口の多い中国が、サッカーの育成を国策としているから、ハンドボールの伸びしろは少ない。手でボールを扱い、ゴールに投げ込むなら、平面だけのハンドボールよりも、バスケットボールが立体感があって面白い。こうして、市場なきゲームは、学生という限られた年齢で競技技術を高めても、メディア露出が弱いために、プロへの道は極めて狭い。1学年人口が1万人を切るような富山県では、競技の絞り込みは行政が介入しなくても、自然な市場選択に委ねられる。それと、伝統社会の持続性である。これには、行政の支援が可能である。「力士」を育成する社会的な土台には、それなりに行政の側面からの支援がいる。相撲は神事である。個人技である。そして、立派なプロとしての興行ができる産業である。これに匹敵するのが、サッカーであり、野球である。後者は、高度なチームプレイが求められる。教育者は、ある意味で職業能力を育成する役割を担っている。1学年の男子が5000人を切る時代を迎えて、選択と集中というスポーツ・マネジメントを「地域の存立」に関わる問題として考える時期に来ている。マイナーな競技種目では、青春の不完全な燃焼におわる。


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9月19日(水)のつぶやき

2018年09月20日 | Weblog

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「人、遠きに慮無ければ、必ず近きに憂有り」

2018年09月19日 | Weblog

論語の衛霊公篇第十二章の言葉である。孔子の言葉でも、簡単にそうだね、という一言で終わる類に属する。遠慮とは、遠い先の心配の意味である。それがないと、身近な心配ごとがある、という。これに似た言葉は、管子・戒第25に、「近きに色あれば、遠きに徳あり。・・・近きに徳あれば、遠きに色あり。」とある。そこで、孔子は続く、第十三章で「吾未だ徳を好むこと色を好むがごときものを見ざるなり。」という。後学の孔子は、管氏の言葉を前提にして議論している。問題は、この「色」の解釈である。出典の管仲の言葉をよく見ると、大きな鳥の翼があっても、目の前の河を渡るには小舟を用いるではないか、という比喩をうけた言葉だと分かる。つまり、「色」とは、具象であり、「徳」とは、抽象である。すると、「論語」の第十二章と第十三章とは、合わせて、「近きに色あれば、遠きに徳あり。・・・近きに徳あれば、遠きに色あり。」とある管仲の言葉につき、孔子が第十二章では、遠と近とが二分できない一対の論理だと解説し、さらに、「色」が具象、「徳」が抽象であると述べ、誰しも具象を超えて抽象を好む人はいないのだ、と述べているのである。だから、「色」を美人だと翻訳してはならないのである。仏教でいう「色即是空」の意味の「色」である。

 


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米中の貿易戦争、どちらが勝利できるか?

2018年09月19日 | Weblog

この答えは、簡単である。中国は、国民が低所得の時代が長かった。全体的に贅沢を慎み、「貧困耐性」が強い。我慢できる余地がある。それと、中国はこの機会に対米輸出に依存する輸出構造を改革し、ドルに対し劇的に下降した人民元を武器にして、他国に輸出攻勢をかけることができる。要は打たれ強い軟構造の余地がある。しかも、議会制の国家ではないから、選挙を最優先する政策の必要はない。さらに、全世界の華僑・華人を2億5千万人を擁している。カナダ経由でアメリカ市場に輸出する穴がある。それに対し、中国の税関の壁は、アメリカ商品への抜け穴を塞いでいる。必需品の輸入には、アメリカ⇒台湾⇒中国市場という抜け穴も利用できる。この貿易戦争は、アメリカのトランプ政権による孤独な挑戦である。より根源的には、アメリカの輸出商品には価格の弾性が弱い。それに対し、中国は高関税でも製品価格を下げてでも、アメリカ市場における占有率を守る策もある。最後は、国有企業のもつ価格の決定の政策性を活用できる。トランプ政権は、アメリカの民間企業との関係はよくない。さらに、中国の大きな強みは、アメリカ民主党と中国共産党とが、ハーバード・インテリジェンスで長期連携している。この貿易戦争は、トランプ個人の墓穴にも繋がる。中国共産党のアメリカ国内における政治的、人脈的な影響力は、過小評価してはいけない。そして、日本としては対ヨーロッパ諸国との協調を第一に、トランプ包囲網を成功させることだ。一番、上手く立ち回っているのは北朝鮮であることを抜きにしてはいけない。北朝鮮がそうであるように、中国が勝つと客観分析しておいた方がよい。とにかく、アメリカがボロボロになる前に、コンピューター予測を行う必要がある。日本では、中国経済が一挙に崩壊するとみる論客の方が多いが、アメリカの輸出商品は、急いで買う必要がない、また、急いで輸出できる商品でもないから、小回りが利かない。アメリカが貿易赤字なのは、農業国であるからだ。日本と中国とが、生産工程を連携した工業国である。アメリカの自動車産業は、日中からの部品の供給が切れたら生産ラインは止まる。アメリカは、すでに貿易経済において負の連鎖に追い込まれている。北陸人はアメリカの負けを予定していればよい。なぜなら、日中の通貨バスケットがあり、チャイニーズ・台北という抜け穴があるからだ。


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9月18日(火)のつぶやき

2018年09月19日 | Weblog

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北朝鮮の党との戦い方を間違えるな!

2018年09月18日 | Weblog

北朝鮮を訪問した神戸朝鮮高級学校の生徒62人が修学旅行での訪朝を終え、北京経由で関空に到着した6月28日、税関職員が生徒のかばんを開け、民芸品などを没収した。それを最近、税関から異例の返却を行ったという。こうした民族学校を北朝鮮に対してのみ、法的に禁止することは不可能である。国連の安保理の制裁決議に忖度した処置であろうが、財務省の管轄下の税関とあろうものが、没収の対象にならない物品の持ち込みに対し、「没収」措置は現場での大きなミスである。かの生徒62名を骨の髄までの「反日」主義に追い込むのは、こうした伝統的な排他主義にある。マネジメント学では、民族の分別は、消費性向の違いとして扱う。ところが、法学の領域では、学理の基準が揺れるので、土産品の没収は行き過ぎた処置として、異例にも返還された。これを北朝鮮外交への対応とジャーナリストが読むのは、政治学の領域である。なによりも大事なのは、在日の外国人の民族学校の役割を国家経営の眼で再検証するべきである。日本では、サッカー協会が適切なグローバリズムを備え、個人の領域にまで人種差別を持ち込むことを厳しく禁止しているのが最適事例である。おかげで、レッズ浦和のサポーターの異常な異民族への排斥は表面から消えた。こうしたサッカー協会のような社会団体が、中間組織として日本社会の真の国際化に寄与していることを考えると、北朝鮮の党と、北朝鮮籍の国民との違いを踏まえた戦いの仕方になじまなくてはならない。Jリーグのサッカーは、日本の国際社会への立ち位置に起用しているから、富山、石川が一体でトップチームを生み出す価値は、企業の経営環境としては悪くない。要は、日本サッカー協会が、北朝鮮と上手く付き合っている精神を学ぶべきだ。

 

 


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運転手さんに、バス停の位置が悪いと怒鳴る老人

2018年09月18日 | Weblog

月に2度、婦中のファボーレにある富山新聞文化センターで、広徳館の論語を教授するため、地鉄バスで通勤することになった。これでバスでファボーレへ行ける楽しみもできた。9/17、富山駅から速星駅行きに乗った。バスが婦中に入ってから、そこから乗車する方は少ない。退職老人が乗り込まれた。バスだと、ファボーレという名のバス・ストップからは、実は、歩くと遠い。宮ケ島というバス停を通過する路線のほうが、安全で近い。僕は、規則で従業員の出入り口を使用しなくてはならないので、ファボーレのB.Sの位置が悪いのは、すぐに分かった。ところが、かの婦中の退職老人、突然にクレーマーになり、運転手にバス停の位置が悪いと文句をつけ始めた。態度の良い運転手さんなのに・・・、と思いながらその場を去った。僕もそうだったが、男性は退職後、あれこれとクレーマーになりやすい。60歳になれば、「耳順」が大事だよ、と孔子は説いている。これは、孔子の自戒である。70歳になれば、心の欲するまま、でも、ルール違反はしないように、と孔子は説く。実は、これも孔子の自戒である。孔子は、70歳を超えて、ある日、斎戒沐浴して、隣国に下克上に怒り、斎戒沐浴して魯の国主に派兵を進言し、老害の人とされる大失敗をしている。政府はいよいよ年金の受給開始年齢を70歳に移行することになる。50歳にして天命を知るなき男子の老人が、「耳順」もせず、「矩(のり)」を超えだすと始末が悪い。僕なら、バス停の位置が悪いと思うなら、地鉄バスの責任者に向けて言う。ただし、ファボーレのB.Sの位置は、決して悪くはない。信号機のある横断歩道に隣接している。また、帰りの富山駅方面へのB.Sはさらに最適の位置にある。僕は、富山地鉄という会社は大好きである。立派な吹奏楽団があるからだ。孔子は、器楽演奏、舞踊、歌唱を極めて大事にした『詩経』の実践者である。和音を体感する、それが礼の始まりだと理解してよい。老人にこそ、昭和20,30,40年代の歪んだ憲法教育の弊害が現れていると自覚しておきたい。


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9月16日(日)のつぶやき

2018年09月17日 | Weblog

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どこで靴を買うのか?

2018年09月16日 | Weblog

 めったにないことだが、デパートや大型ショッピングセンターに連れていってもらうことがある。まず気になるのは、祖母―母ー娘の3代の密着型である。この母のところが、他家から来た嫁の場合と、実の娘という形である。祖母の特徴ある顔が、3代にわたり継承されている例は、たまに見かけるが、これは極少数である。祖母といっても、愚妻もそうであるが高齢者の運転免許書き換えレースに参加しているが、勤労経験、社会経験が豊かである。大体、県立高校を昭和20年代に経験している。運転免許の更新を通じ、県民動態が悉皆調査できるので、ここは大きな注目点である。僕を含め祖父を伴う3世代型の買い物客は少ない。極めてまれに、孝行息子が父を車いすに乗せてきておられるが、それは、「障がい者」用のパーキングの優先権があるという要素もある。最近、富山の小学女子が全国水準でみてもオシャレな子が多いのである。ここでは、祖母の価値観が否定され、「総曲輪コレクション」時代に移っている。祖父から祖母へ、母から娘へと主導権が移行した結果、富山の人文の景色が大いに変化しはじめている。その変化と中心市街地の活性化とに繋がらないのは、駐車場の料金の壁である。富山市の場合、贈答となると高級なお線香を含めデパートの優位性は崩れない。ここは祖母の矜持の領域である。子供たちは、同級生との横並びを好む。だから、子供が好みの靴をデパートで買うのはごく少数である。そこは、郊外の大型ショッピングセンターのスポーツ用品店の得意とするところである。靴は、本人の足との相性がすべてないので、個人の靴の非互換性を注目すれば、どこで靴を買うのか、そこから富山県の全世代の消費行動が見えてくる。行動経済学と経営学との隣接領域の事例である。


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9月15日(土)のつぶやき

2018年09月16日 | Weblog

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リニア新幹線と富山県

2018年09月15日 | Weblog

リニア新幹線の、品川・名古屋間の開業は2027年と予定されている。うっかり何十年も先だと思いがちであるが、あと9年である。このブログでは、北陸新幹線を旧幹線と定義し、むしろ、名古屋に到達するリニア新幹線と北陸を繋ぐ条件を早くから検討してきた。福井、石川、富山のうち名古屋との公共交通では、富山が北陸サイドの玄関口になる地勢優位があることを説いてきた。当初は、高速バスでつなぐのが最善なので、その点では、南砺市が玄関口となる。なお、リニア新幹線では人流だけなので、物流に関しては、現行の新幹線を貨物輸送と旅客輸送との併用に転じるとみておいた方が良い。その場合、現行の新幹線が貨物輸送との併用が期待されるのは、北海道と本州との物流である。北陸新幹線が貨物輸送と併用になるのは、全く夢の話ではない。そのためには、富山県内に対応する貨物ヤードを確保できるかどうか、極めて重要である。つまり、トラック輸送が1日往復エリアに縮小する。この北陸新幹線が貨物輸送を併用したとき、最も経済効果が期待できるのは、既存の空港との隣接、海港との連接である。空港貨物に関しては、小松空港の実績があり、白山の車両基地と合わせ、石川県に軍配があがる。また、福井の敦賀港も重要な接点となる。それを見越して、脳力を働かせ先の利をえる必要がある。鉄道貨物はコンテナがスチールなので、航空貨物にするには詰め替えがいる。新幹線の貨物併用には、海上貿易用のコンテナとの規格の適合が重要な決め手となる。さらに、現行の鉄道コンテナは鉄製なので重い。そこで、アルミ合金の高性能のコンテナにより、船舶用のコンテナとの整合ができるのか、このあたりが、富山人の脳の使い方となる。いずれにしても、今回の北海道地震の教訓から、現行の新幹線が貨物併用に転じる転機がうまれ、9年先のリニア新幹線の開通にともなう東海道新幹線の貨物併用に拍車がかかると見たほうがよい。アルミ合金の高品質コンテナの研究は、あきらめない方がよい。造れるのは、富山県が最有力だから。ともあれ、中部圏の日本海側、名古屋の裏口として、中京圏内の人流、物流の戦略研究は、産業面からの地域の更なる活性化に決め手となる策が隠されている。


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補助金が切れたら枯れる「地域起こし」

2018年09月15日 | Weblog

まず、地産地消は、経済学の学理に反する。市場という需要の場が備える磁気に反応できる供給基地としての地域である。その場合、個人の私経済の起業を軸に、同業が多く集まれば「産地」となる。同業が連携し、また、互いにすみ分けることで、「産地」と呼ばれるようになる。富山では、ある方が四国の山間の起業をモデルに「地域起こし」の議論を富山に持ち込んだが、これは偏差値30の世界に偏差値60の富山県の未来を語らせるもので苦笑ものだった。富山が参考になるのは、岡山県である。また、北海道である。高知、徳島に学べることは少ない。ただし、岡山のサンマルクのような外食産業は、消費者の飽きがくるので、富山人の適性ではない。徹底的に素朴な素材主義が望ましい。富山人は、原料加工、中間体、精密部品などの「産業バックヤード」に適している。トヨタとか、コマツなどのアッセンブリー・メーカーはほとんど存在しない。「お悩み解決型」である。ファスナーでYKKブランドが成功したのは、壊れやすい商品市場の世界で、服やカバンが破れても、YKKのファスナーだけは健在という縫製業界の「お悩み」を解決したからだ。三協立山のアルミ建具も、木造の建具の風雨に対する耐用年数の短さ、腐食に関する建築業界の悩みを解決したからである。ファスナーも、アルミ建具も、パーツである。「部分の最適化」という点では、富山の薬業も原料体、中間体、さらには薬品廃棄まで、世界の製薬業の「お悩み解決型」で飛躍発展してきた。薬価が下がれば下がるほど、少しでもお役に立てばと、受注生産の仕事が増えてくる。戦わないでも、持続することで競争相手が倒れてくれる。なぜ、こうした「お悩み解決型」の、ローコスト生産が可能なのか。それは、米作に絞り込んだ兼業の農家が、製造業のオペレーターを担っているからだ。だから、富山のなかで「四国を探す」ような地域起こしは不要なんだ。では、どこが不完全な燃焼になってるのか。それは、物販業のうちの商店街である。それが過去の中心市街地の問題である。補助金が切れたら枯れる中心市街地の商店街である。特に、高岡では最新のマネジメント科学で答えが出ているのに、古い商店街、飲食街の「枯れ」を楽しむ禅定が無さすぎる。


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9月14日(金)のつぶやき

2018年09月15日 | Weblog

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富山に全天候型イベントホールが経営可能か?

2018年09月14日 | Weblog

このブログで提案した骨子につき、9/14の定例県議会で武田議員の質問への回答として、石井県知事の答弁において、首都圏の実績ある調査機関に厳密な調査研究を委託する構想を示されたことで、この問題につき具体的に専門調査に委ねられることに向かい非常にうれしく思います。県内でいかに意見を聞いても、それは意識の現状にすぎません。100年先を考えるなら、冬場の海外観光客収入の落ち込みを考えるならば、富山の人文のランドマークを、特にアジアから注目される拠点を必要としています。問題は、あればいいなー、ではありません。どうしたら、稼げるのか?県民一体のマネジメントの問題です。昭和の富山人は、マネジメントで世界に誇るYKKを生み出しました。YKKを生んだ富山人が、全天候型イベントホールの経営は、新幹線、高速道路、国際空港の3条件がそろったいまこそ、真剣に採算性が可能な、しかも、防災拠点としての空間としても、プロフェッショナルな調査研究が期待されます。問題は、国の補助金をいかに我田引水するのかというアイデアです。このブログが、防災拠点と富山空港の隣接地を強調するのは、国家における防災パイロット事業として、第1号に指定されるようなアイデアといえます。その場合、防災の支援拠点は、国内にのみ目を向けるべきではないと思います。環日本海の対岸を意識した取り組みです。小松空港は軍事基地です。それに対し、富山には国連が指定する北東アジアの自然災害国際支援センターとして手をあげる道があると思われます。特に、薬品や医療器具を空輸する拠点、医師、看護師、薬剤師・・・ドクター・ジェットをもつ空港へと機能性を高めることだと考えられます。幸い、富山大には通訳ができる教員スタッフがいます。ロシア語、朝鮮語、中国語が提供できます。このような施設と全天候型イベント・ホールとは両立できるのです。


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