大きなミスは、中沖県政よりも前に存在している。富山空港は、神通川の河川敷に立地する。これは、最適ではない。戦前には、陸軍の軍用の飛行場があり、また民間航空も飛んでいた。戦後、食糧の増産のために、農地に戻された。やむなく河川敷に敷設された。ところが、北陸自動車道が、進入、離陸のコースを横切り、滑走路の拡張の可能性を放棄した。ここが大失政のは始まりである。超大型のジェット機の登場や、航空貨物が物流に占める市場拡大の近未来を読み切れていなかった。当時の県庁のメンバーは、80代から90代になって居られるが、そのころの富山大学の教授に水準も、実は極めて低く、学長のポストを金でやり取りしていた。学識経験者が存在しなかった。ただ、単距離で離陸するか、垂直離陸できる飛行機が発達してきたので、滑走路の長短では優劣がつかない時代となった。要は、航空貨物を活かせる電子部品、薬剤などのキログラムあたりのコストの高い商品の輸出入を必要とする産業集積が、空港の周りに配置できるのか、という点である。これは、実は成功のプロセスを歩んでいるが、行政職の方には、まだ、航空貨物の専用便の役割を戦略的な計画に盛り込んだ思考が成熟していない。さて、東京―富山便の維持は、東京ー名古屋のリニアが10年後には稼働するから、岐阜県側からの利用は期待できない。また、県内からの海外を含めた渡航の市場は急速に縮小する。そこへ消費性に高い利用促進の補助金をつぎ込み、当面を糊塗しても、その積算経費は回収できない。それでも、国家的にみて補助対象となるには、新たな制度設計による富山空港の位置づけの仕方である。山岳遭難の救援のヘリという実績を活かし、環日本海の全体を視野に入れた国際防災拠点空港として、全国の体制を見直すことである。救命医療、薬品保管と急配送など、「1人の命を守る」空港として、北東アジアの救命センターとして名乗りをあげる勇気がいる。そして、防災センターと全天候型のイベントホールとの大型の複合施設を構想することだ。すべて、10年先をみすえたデザイン思考がいる。