富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

夏の高校野球・甲子園の聖地化:信仰に達した総本山

2018年07月31日 | Weblog

 このブログでは、すでに朝日新聞社の営業戦略としての高校野球の神格化には問題があると指摘してきた。ここへきて、記録的な酷暑に見舞われて、県予選では、強弱の差異が大きくなり、記録的な失点が各地で生まれている。ただ、甲子園にたどりつくだけでも達成感があるのは、予選を勝ち上がるのは、よほどの実力のあるチームしかないからだ。まして、マシーンが発達し、金属バットでトレーニングすると、打者が優位の展開となり、投手を何人擁する予選シード校でも容易ではない。だから、ドーム球場での試合を提案するむきもあるが、全国のどの県にもドーム球場があるわけではない。橋下徹氏が、選手を兵士に例え、酷使による人権無視を強く訴え、廃止論を唱えているが、そこは朝日新聞憎し、という僕の議論と土台は共通するところが見え透いている。そうではなく、これからの日本人にとり、陸上で炎天のもと疑似戦争に耐える力は、サービス労働としても基本的に従事しなくてはならないような国民経済の基幹が存在しているかどうかである。実は、それが全く不要だといえるほどではない。日本経済のバックヤードには、厳しい労働環境が残されている。耐熱防護服や冷房環境をどんなに整備しても、酷暑に耐える試練をもたないことを日本人の標準だとすると、産業経済の土台はもたない。特に鍛造の現場は、灼熱である。それなくして世界の高速鉄道の車輪は破裂する。どうしても人間の肉眼や身体感性にたよる作業が残る。土台となる特殊鋼が日本でしか作れないからだ。真円の車輪の製造には、鍛造という工程がはずせない。さらに、夏季の倉庫内の温度は、50から60度に達する。きれいごとの議論では、すまない。産業のバックヤードでは過酷な労働条件は避けがたい。こうした鍛錬の期間をへて、富山では朝間野球にとりくむ正社員さんの勤労者スポーツの健全性が成り立っている。僕は種目は違うが、炎天下での競技練習は経験してきた。日本の高校生には、あとに兵役の義務がない。せめて、自己選択による競技で、炎天下の戦いを辞めさせる議論までは賛成できない。高校生には、○○の甲子園という全国を意識する競技文化がある。その最後に、大学センター入試がある。甲子園をめざして生まれた友情にさえ、冷たい視線を投げかける気にはなれない。「流した汗には、立派な代償がある」。


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新元号のもと「新しいレジューム」とは

2018年07月31日 | Weblog

 これは、明快な対抗軸がある。習近平の新時代の中国特色社会主義による世界史の戦略を中和するための、国際的なレジュームである。たとえば、中国が強い「バラ積み」の貨物船の海上ロジの低価格での競争に参入しないで、中国を相対的なデフレ構造に包囲していくことである。他方、アメリカに負けないように航空機産業での対抗勢力になる道も選ばないことである。日本は、徹底した高性能の部材の製造力を磨き、高性能製品の至高化にとりくみ、高価帯の技術製品に徹底することである。中国は、やみくもに全分野で自国生産を追求するが、その場合でもアッセンブリーメーカーであるから、日本製の部品を排除できない。つまり、アッセンブリー・メーカーを全分野で揃えないで、少数精鋭だけがこなせる部材・部品に徹することである。さらに、重要なのは、日本はついに資本規模が大きくなり、資本を所有する階級の影響力が歴史から後退し、最大の長期投資を可能とする資金の所有者が国民集団の年金保険となり、日本銀行による遠隔的なマネジメントが可能な産業社会となった。これは、実は、中国と非常によく似た資本の管理者の管理能力により、国民国家経済がコントロールされ、さらに、中国以上に海外に産業基盤の資本輸出を行っている国家になった。世界史は、東アジアの産業国家である日本ラインと中国ラインと、さらに双方が入れ子になったラインと、3つのラインに分かれてきた。そのうち、日本ラインは英国・EUと、中国ラインはロシアと、歴史ブロックを共にする関係になる。つまり、アメリカを軸にラインが分かれるのではなく、アメリカという市場が対象化され、世界史の能動主体としての役割が弱められている。その結果、日本ラインが対米においても、より優位な地位を占めることになる。日本は、世界市場では第3位の市場占有率でも、第1次、第2次産業のトンキロ・コストの安い次元での貿易総量は低く、ハイテク産業の早く言えば航空貨物の世界での貿易での優位性を確保することになる。それを可能にするのが、物理化学における量子力学と波動関数による統計予測である。日本の科学研究は、競争優位のニッチを見つけている。当然に、論文の総数はダウンさせ、非公開技術の機密性に主眼は移行している。アカデミズムは科学の基礎教育にしか貢献できないので、習近平政権も、そこに気が付き、対日ギャップを埋めようとしている。だからこそ、文部科学省の官僚たちには、刑事訴追の粛清がなされ、日本でも科学官僚の再編成が起きている。


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高岡からの衆議院議員が石破派?

2018年07月31日 | Weblog

 それは、今の高岡を再建するには、最悪の選択だ。僕は安倍さんが大嫌いだが、日本には新しいレジュームが必要で、その記号が安倍三選である。このような新しいレジュームは、中国共産党9千万党員の世界の構造改革という静かな革命に対抗するため、EU、アメリカ、アセアン、インドなどを含み、新たな多極化における「非中国」という電極が絶対に必要とかんがえるからだ。彼らの唯物思想がいまだマルクス主義の原理欠陥を擁しているからだ。万人が心の落ち着きをえるには、唯識論と現象学哲学との対話がいると考えたのが、ハーバード大学の杜維明教授である。僕は、ここを切り口として、中国共産党の正当性を無制限に容認しない。アヘン、売春、人身売買の取締りと監視人としての中国共産党には感謝している。この面での日本と中国との国際刑事の信頼は崩せない。そのうえで、日本は新天皇のもとで、戦後処理から相対として自律し、日本が中国共産党を凌ぐ国際的な影響力をつけ、日本が真に志向したアジア解放の道筋を構築しなければならない。こうしたときに、石破さんの政治哲学が新しいレジュームに最適だとは思えない。なぜなら、支持者の思想性が、やや古いからだ。少なくとも、政権与党の総裁選挙は、外交に基本哲学が明解である必要がある。高岡市は、日本の新しいレジュームを先取りして地方都市としての役割を再構築する必要がある。経済産業省を軸とする流れに乗らないと、あるいは、国土交通省でも国際物流の最適化の流れに乗らないと、高岡を中心とする地域資源の高度化からは、知識と情報の面で番外地におかれる。中央政治に弱い富山人は、多数の勝ち組につく。それが基本である。石破さんのTVつかいの上手さに騙されるようでは、県西部は悲しい思いをする。


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日本大学の経営への批判は市場がきめること(補遺)

2018年07月31日 | Weblog

 問題は、アメフトのルールに欠陥があり、サッカーのようなレッドカード、退場、選手補充なしという制度なので、そのルールを悪用した内田監督に根本原因がある。同時に、関西学院のアメフト部にも問題はある。学生スポーツに域をこえてプロ化する危険性である。おかげで、成績不良者の出場停止を関西学院は制度化した。さて、某TV局は、ある政党支持者たちの教職員組合を正義にみたて、田中理事長の退陣をあたかも社会正義だと誤解しているようだ。これは、他の大学にも、極めて迷惑な行為である。右翼的な体育会支配の大学と、他方では、国立大学なのに、式典で日の丸、国歌を排除しているある政党支持たちの教職員組合の支配されている大学が他方にある。日本大学の右寄りな体質を信用し、日大への進学を支持する市場もある。護憲主義の教育を法的な根拠があるとして、改憲論を回答する学生に低い評価を与えているのが、国立・公立の大学である。学資支援者が、日大の右寄りの体質を支持し、中小企業の経営後継者が日大を好んで進学している事実があるために、全国一の学生数が確保でき、国家の補助金となる。もし、ここに国立・公立のように生活協同組合の利権を保護したらどうなるでしょうか。彼らが野党勢力の政権基盤に関係している。生協、労組、この組み合わせを相対の正義とみるべきだろうか?日本大学は、反生協、反労組である。それにはそれの存在意義がある。確かに、日本大学は知能的には最高学府ではない。しかし、日本国を根底から支える勤労の精神では彼らは劣位の人ではない。第2次世界大戦の、学徒動員で最前線に送り込まれ、戦没学生が最も多いのが日本大学の学生さんだ。君たちは、間違いに殉じたとはいえないだろう。この愛国の心情を大事にできない内田監督、さらには田中理事長には、その批判は市場が決めることなので、当然に真の愛国精神のある日本大学法学部の良識が責任を以て市場批判に対応するであろう。右も左も、真の愛国精神があるかないか、それが歴史家の判断基準である。そこまで、競技連盟が加盟校の大学教育の基盤に踏み込む権利はどこにもない。積年の恨みをぶつけているだけだ。


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小矢部の山間部の養鶏と飼料用の米穀生産

2018年07月31日 | Weblog

 養鶏が新たに注目されるようになった。それは、市場としてチキンが健康な食生活に寄与するからだ。他方、養鶏場は住宅密集地では嫌われる。鶏の糞尿の処理に難題があるからだ。小矢部では、ぎりぎり養鶏場と住宅密集地との高低差があり、鶏卵の生産が盛んである。ということは、大規模な水田農業に適していない地域である。それでも、水田があるかぎりは、農業の用水と養鶏場の排水との折り合いと、生活用水の上水でなく、下水の処理の問題が絡んでくる。長野県では、上流水源の保湿のため高地では蔬菜を中心とする農業が盛んであるが、養豚、養鶏は、奨励されていない。そのために、小矢部の養鶏は富山県と長野県の卵の市場の需要を満たしている。長野県は、配送の手間がかかる多盆地なので、他者の参入は難しいから競争力は保持できる。今後の問題は、食肉としての養鶏の産業化がおくれていることだ。というのは、卵の市場価格はデフレそのものであるからだ。安すぎるため、零細な養鶏は成立しない。そこに大規模化と産地化に成功した小矢部養鶏がある。ここに優秀な司令塔が生まれると、鶏糞の商品肥料化、鶏肉のブランド化、生産用水と生活用水、外国人の養鶏技術者の育成などを一体的にマネジメントすれば、おおきな再生可能な循環型生産地として機能してくる。さらに、鶏の予防、感染対策のためにさまざまな取り組みが可能である。すでに、鶏卵の生産を通じ、就地のマネジメントを担う人材も成長している。鶏卵の生産に加え、鶏肉の生産にも、飼料用の米穀と雑穀の生産が循環する構造化が期待される。行政の知恵の塊が投入され、養鶏産業の術語の英語化が標準となることで見違える産業景観が生まれると期待される。また、鶏肉を生産するための処理から、製薬原料、健康食品などが期待される。現状では、廃鶏が焼き鳥のショップ市場で活用されている。この流れをドラマとしてシナリオにすることで、朝ドラなどへの展開が生まれる。小さな人間ドラマを地元ライターが積み上げることが可能となる。つまり、最初からシナリオを創り、修正しながら、短編を長編に書きなおす仕掛けもいる。ベトナム、タイなど東南アジアへの展開を始めている富山の製造業にも、無視できない切り口である。しかも、アルミ建材の技術と養鶏がコラボすると、富山県しかできない次元へと高められる。


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7月30日(月)のつぶやき

2018年07月31日 | Weblog

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好きなことを仕事にできる社会、好きなひとと仕事ができる社会

2018年07月30日 | Weblog

 ふと、思った。孫は、国立大の工学系大学院の修士である。だから十分に「好きなことを仕事」とするすべを知っている。彼は、「東京には、好きなことを仕事にできる職場がある」とつぶやいた。それでも、東京で働くチャンスを放棄した。富山では、それに代わる代償があるからだ。それは、「好きなひとと仕事ができる社会」であるからだ。なにも、男女の恋愛という意味ではない。「職場の仲間」という意味だ。仕事の単調さ、選択肢の狭さ、発展性のなさ・・・、ネガティブな要素は多すぎる。それでも、彼は自分で選んだ企業で、愚痴も言わないで、残業も、土日も、「職場の仲間」という環境に順応している。これは、僕にも分かる。北陸経済研究所のわずなな嘱託みたいな臨時職でも、富山の企業には、不思議な雰囲気がある。ついつい、「好きな人と仕事ができる社会」、それが富山の勤め人の幸福感と繋がっている。お互いさま、という横線のつながりがある。関西人の社会では、無理に仲良くしている感が強い。互いが演出しあうのである。好悪が増幅する。阪神間では、標準語が基本である。そこで、標準語系と土着の関西弁系との差が大きく、「あの人は、こういう人や」というレッテルを張り合って生きている。必然、手抜きの要領のよい裏同盟がはびこる。富山は、加賀藩時代の「十村制」という自治と、浄土真宗の「講」という相互扶助という平準化の流れが基調となる。富山では、人が好きになれる風土に恵まれている。ともかく、年齢を超え富山女子は賢く、社会を輪に作り替える知恵がある。多少、嫌いな仕事でも、好きな仲間だと何とかやり遂げられる。そのような仕組みへと自然に落ち着く。ただし、それが世界の一流水準との格差、後れを招く。富山でも、好きな仕事ができる環境に変えるのは、学習力である。東京の雑誌に、年1本、短い分でプロらしい文章を投稿するが、富山でも最先端の仕事はできる条件はないではない。


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国際法上の切り口のない日本と北朝鮮との外交交渉

2018年07月30日 | Weblog

 北朝鮮の建国の時期は、日本の敗戦1945年と時期的にずれている。日本の総督府が朝鮮半島の統治権を無条件で渡したのは、連合国に対してである。旧植民地の一部に成立した独立国とみなしても、北朝鮮側には植民地統治の被害の総額を算出できない。反対に、ソ連軍を通じ在外放棄した資産は、電力、鉄道、日本窒素の関係などのリストがある。これを用いて、北朝鮮側の「債権総額」と、日本側の「担保資産」の総額を計算すると、日本側の「担保資産」の放棄に追加して、献上するべき金銭的な債務は日本側にはない。基本、お好きにどうぞ、というわけである。韓国に対し日本が膨大な無償援助をしたのは、朝鮮戦争における反共の防波堤としての貢献への感謝を含んでいる。では、拉致問題はどうか。これには、北朝鮮地区から日本統治地域への「強制連行」の被害者の名簿の提出が求められるが、「強制連行」という史実もなく、雇用契約である。しかし、北朝鮮系の在日の方は帰国を望んでいないので、ここにも切り口はない。また、石油の算出しない北朝鮮にとり、原子力発電は死活問題であり、日本も核の非拡散の条約にはプルトニューム管理の関係で加盟してないから、強引に2国間での非核を課題に外交関係を改善できない。しかも、金正恩の母は、日本の大阪の生まれであるから、彼自身の出自から対日関係を劇的に親密化するTVドラマは避けなくてはならない。つまり、日本に対して、反日の攻撃的な言論で外交交渉のチャンネルを開かないのが彼自身の利益である。いかに現金で何兆円積まれても、対日妥協は軍隊からの離反を招く。北朝鮮外交が進まないのは、先方の内部事情による。下手な対日妥協は、政権の命取りとなる。金で解決できそうで、在日の母をもつ金正恩だけが禁断の扉である。祖父も父も、華人系であり、対日カードは自由であった。経済制裁を解除し、ある程度のまとまった外貨が欲しいが、どこかで一枚でも妥協カードを切りたくともきれないのである。対米外交では、祖父、父親を超えた。対日外交こそ、金正恩の禁断の扉である。だから、・・・・ネ、どうにも切り口が見つからないわけ。

 


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酷暑に耐えうる東京オリンピック

2018年07月30日 | Weblog

 誰かが、秋に開催するように提言しているが、この酷暑は、日本だけの現象ではない。世界的に同時、多発する激熱である。だからといって、すでに国際的に認証されている夏季開催を辞めるべきではない。世界経済の中軸を構成する日本の中枢部が、2020年秋のベストなビジネス・タイムをイベントのために中枢マヒさせるのは、反経営思想である。スポーツはあくまでも、余暇である。それが経済連関諸表で、これだけの経済効果があると叫んでも、一時的な需要を喚起するので、その後遺症がともなう。日本のビジネス歳時記では、年度単位で組まれており、中央官庁の人事交代、予算編成の開始という流れで、7月スタート、秋こそ国家も大企業も予算書に組み込む経営計画の策定に取り組む。この酷暑の時期は、ビジネスとしては閑散期にあたる。証券の世界でも、大資産家のバカンス時期として取引の総量はダウンする。スポーツ至上主義に王冠を与えるほど、日本の経済社会は甘くない。グローバルなバカンスの時期にこそ、東京オリンピックというイベントを消化する最適時期としてすでに国際了解されている。ポスト・オリンピックの不況に備え、2020年秋以後の世界経済のシナリオをどのように描くのか、経済・経営のプロの眼は、その先をみている。順調にいけば、量子コンピューター、量子通信の実用化にともなうIT投資の加乗がもたらす、大量情報の高速処理と、水素社会の第一ステージが生まれる。


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安倍三選でほぼ決まり:日本は新たな「歴史ブロック」へ

2018年07月30日 | Weblog

 これで、日本の新たな元号のもとで、日本は新たな「歴史ブロック」へと進化する。完全雇用の状態のもとで、外国人の定型労働者の流入を量的に緩和しないと、国家的な公共事業は進まない。必然、グローバル化した日本経済にとり、国境の壁はますます薄くなる。それで、日本の国民の基礎条件として、象徴天皇制と日本語・日本文化検定の制度化が求められ、外国籍のまま参政権を授与しないで、資格審査をともなった外国人の日本国籍の取得を促進していくことになる。「日本」から「Nihon」へと、グローバル化した「歴史ブロック」の次元へと進化していくことになる。日本国の最大の資産は、年金財団のストック・ファンドであり、これを支える日本銀行が中核企業の大株主として機能しはじめた。外交利益の核心は、経済産業省がリードする貿易と、財務省、金融庁が関係するIMF関係など、すでに内閣府のもとで内閣総理大臣が、習近平、トランプ、プーチンなどと比べても遜色ない独裁権を行使できるように政権の機能が質的に変化した。総理大臣の多選の慣習化により、政権政党の内部事情よりも、国家指令型経済原理と市場型経済原理との均衡調整、さらには年金・保険制度という互恵型経済原理の3極の調整がさらに高度化し、他の国にはみられない卓越した国家へと変貌していくことになる。独裁化か、民主化か、そういう政治学原理の次元よりも、経済学の均衡理論の方が現実を説明できる。もっといえば、ドラッカーの経営学を国家的に実証しているのが、日本の新たな歴史ブロックの基本形である。


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7月29日(日)のつぶやき

2018年07月30日 | Weblog

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頭の悪さを標榜するバカな学習者の生き方がある。

2018年07月29日 | Weblog

1万人、1千人に1人という賢者は存在する。記憶正確、直観的確、そういう賢者だけでは企業は成り立たない。むしろ頭が悪いが体が丈夫という人口が多数である。健常なバカには、生き方がある。全ての可能性を効率を考えないで、全てを試験して、可能性を消去していく、おバカな学習者が唯一勝てる道筋がある。地域社会では、そういう悠長な実験が許される。プロの研究者は、なるべく最短距離を選ぶ。そのために仮説を立て、演繹法で証明しようとする。ところが、仮説で排除した可能性のほうに正解が残されていることがある。ノーベル賞でも、賢者の直観から世紀の発見が生まれる場合と、愚者の全素材の検証から意外な発見が生まれる場合と、大きく2種に分かれる。富山では、江戸時代、浄土真宗が禅宗の学僧なみの仏教学の知識を身に着けるべしという学僧派と、それに反対する愚直な阿弥陀信仰の実践に徹する派に分かれ、大騒動をおこしたが、徳川幕府は後者に従うように判決した。これは、農業社会では妥当な判断である。富山では、その流れで原始的な生物学が生き延び、自然愛護の思想がはびこってきた。いまや、分子生物学まで進化すると、頭の悪さを標榜するバカな学習者の生き方でも、大事な発見に至ることがありうる。研究生産性が悪いが、「無花粉スギ」はこうして発見された。ただ、残念なことに分子生物学、遺伝子学という賢者の壁に阻まれて、手仕事で増殖するのを待つしかない。「花粉スギ」に対し、何らかの薬剤を散布すれば「無花粉スギ」に変異するはずだとは考えられていない。この「無花粉スギ」を発見した農学博士の頭の悪さには、閉口しているから、彼も僕を憎み、僕も彼を馬鹿にするにらみ合いが続いている。「無花粉スギ」のメカニズムを解明する作業仮説が構築できない。だから、科学的に、人工的に再現できない。このような問題に対し、先端の量子力学を形式知とする人材が取り組めば、そうとうに前進するはずだ。かれは、そのような友人を持たない信条ナチュラリストである。ニンニク臭いオッサンである。かれが、自分が頭が悪いと自覚したら見事に世界は開けてくる。頭の悪さは、それを標榜してこそ、生きる道が見つかる。なにをしらみつぶしに調べたらよいか、助言が得られる。


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神戸の神明さんと入善の水田農業

2018年07月29日 | Weblog

 入善にウーケさんという調理済みの米飯を輸出する企業がある。親会社は、神戸の神明さんである。昔から、兵庫県で富山のお米を販売、輸出していた。そして、兵庫県産の「山田錦」を北陸の酒造家に販売していた。10年前から注目してきたが、ここへきて「冨冨冨」というブランド米を中国市場に輸出する精米拠点として新明さんが手を挙げてくれた。黒部川の扇状地の伏流水の質の良さは、日本でも有数である。このビジネス・モデルが、県中部、県西部に波及する可能性は低い。富山の米穀生産は、それなりに複雑である。米穀市場が、新しい競争条件にさらされても、地域単位で生き延びる道筋がある。小矢部では、養鶏の専業と飼料米の生産とが結合し、長野県に鶏卵が毎日、移出されている。このビジネス・モデルを全県に広げるのは無理である。低品質のコメでも、微粒子に粉砕すれば質の良い建材の接着剤となる。庄川の扇状地では、種もみの生産が盛んである。他府県の米作農家へ、次年度の苗の種として移出される。富山農業は、米穀の生産に専業化しているために、米穀の多用途にすべて完全対応している。新規開発の「冨冨冨」は、中国市場では絶対にヒットするブランド米となる。当面、富山の米穀生産の経営面積は拡大し、年金受給者が生産の主力となり、その後、育成された米穀生産技術者が大規模経営、時間差経営に取り組み、県民経済の足を引くことはない。そのためには、多用途への転換を認めない基幹農地の指定と、制度的な保護などを進める必要があるが、過去の経緯からやや過剰な農業管理業務の人員も自然減がおきるので、ゆるやかな生産性の工場への道筋を描くことができる。問題は、グローバルな商社感覚を行政が研ぎ澄ますことである。その点では、ジェトロが意外に人財のコアー技術が弱すぎる。それは、中央官庁の問題である。富山県庁は、神明さんからより多くを学び、職員が実習へ参加することである。個人的には、電話での取材だったが、神明さんの社員さん、心の広い商社マンたちだ。


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歴史家からみた中沖県政:感謝されても評価されない

2018年07月29日 | Weblog

 時代が青年を創る。その青年が時代を創る。富山から東京への時間距離がありすぎた時代。それが、中沖青年の越中人の心性の骨幹である。彼が東京帝大の学生の時代。僕はわずか3歳から5歳。日本国は、国家主権を失い、アメリカを軸とする連合国に占領統治されていた。強いものに巻かれるしか生きるすべのない時代だった。そこからの戦後復興である。政治は左傾化し、北朝鮮を支援する勢力と、アメリカに積極的に従う勢力とは、両極に分かれながら、地道にアメリカの理解を得ながら独立を勝ち取った。そんな時代、富山は優良な米穀産地として富裕な道を歩んでいたが、戦後復興が太平洋ベルト地帯のロジスティクスの画期的な改善により、富山と首都圏との落差は歴然としてきた。日本海側と太平洋側の落差のなかで、新潟は北関東との隣接地という条件のもと、田中角栄という天才的な政治家により、日本海側で唯一の新幹線を有する県として立地した。ここでの富山県の劣位は、新潟・長野を経由し、首都圏にアクセスする道筋にこだわり続けたことである。中部圏として、名古屋を副首都として、岐阜・愛知へと太平洋ベルト地帯への産業ロジスティクスの道筋を選択する戦略もあった。つまり、冨山平野・高岡の利便性を前面にする戦略である。しかし、中沖県政は、県東部の利便性を優先した。高速道路の面では、北陸道だけでなく、綿貫さんが力説した愛知・岐阜のルートが、最優先であるという認識が遅れた。新幹線は、人流だけ。しかも、夜間は停止。高速道路は、人流・物流の両面を24時間ささえる。経済地理学的には、砺波平野を最優先するべきだった。なぜ、中沖県政は、県東部の利便性を優位においたのか。それは、旧制富山高校の教育環境と無縁ではない。東京帝国大学への階段であったからだ。学者としては、高岡高等商業学校が優秀な人材を有していた。それなのに、戦時中に廃校にしたことだ。経済学的なリアリズムを欠いた旧制富山高校の帝大受験校の教育、さらに、今やほとんど評価されない東大法学部の当時の戦後民主主義の歪んだ伝道師たちの反現実主義・・・、そこから右にも左にも甘い体制が生まれる。「和して同じず」というより、「同じて和さず」という保守政争の地域風土とともに、中沖時代は「過去完了形」となった。東京が近くなった。感謝される。だが、歴史家は評価しない。もっと右寄りでもよかったと思う。左翼に甘いのは、旧制富山高校の悪弊だった。名古屋を遠くへ押しやったのは、良くなかった。富山ー名古屋ー東京が、最適の物流だ。それなのに、富山ー東京ー名古屋という迂回が生じている。

 


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7月28日(土)のつぶやき

2018年07月29日 | Weblog

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