富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

GDP信仰から「高収益」目標への意識転換

2015年08月30日 | Weblog

TMA講師代表からの提言:

GDPのわずかな増減や、異なる国民経済をGDPのドル換算で比較しても、客観的には正しくとも、人間は主体的には「そうですか」という受けとめかたに終わる。原点となるアダム・スミスの経済学は、人類史という極めて客観性の高い論理を導くためのもので、個々人には多少は関係するが、個人が主体的に関与する道筋はみつらない。これに対し、経営学は個々の経済主体の財務管理(会計管理・会計原則)を基点とする体系なので、「高収益」という主体的で、実践的な道筋は行動に移しやすい。だから、経済学は個々人が即、行動に移せないので、大学教育の主体は、経済学から経営学へと個々人が主体的に検証可能な実践プログラムの転換しなけらばならい。

20歳から国民年金の掛け金の納付が義務付けられている。18歳から公職選挙の選挙権が与えられる。30年前ならば、支払い猶予ということで、大学生にはモラトリアム権が与えられてきた。高校卒業し、就職するという就業形態を基準とすると、大学への進学は「高収益」体質への自己投資ということになる。その場合、医学部や、薬学部への進学には、「高収益」社会への合理的期待可能性が保証されてきた。「中収益」社会ではあるが、工学部にも食いはぐれはないという合理的期待可能性があった。文系では、司法関係、公認会計士の合格の期待可能性がある教育環境を大学のなかの「同志」の相互啓発に道を見いだせた。また、外国語能力を専門職とできるレベルまで高めた学生は、「高収益」が期待できる「総合商社」への道がある。

だから、学生のほうからすれば、「高収益」社会のメンバーになるための努力を惜しまない気持ちがある。ところが、他方では、大学教員は給与体系は、国家公務員の給与体系にあったが、法人化により、大学教員の給与は、だんだんとグローバルな格付けに移行してきた。これを押しすすめると、「高収益」社会にエントリーできる切符を入学者総数に対する卒業生の取得割合は、専攻科、ゼミの単位できちんと計算できる。しかし、これは極秘データである。だから、風評で見分かるしかない。

ただ、富山県の場合、大学のマネジメントが、富山大学などの地元の有力教授の個人的な識見により、「高収益」目標を明確に大学教育を設計しなかったために、私立4年制大学は、私学として事実上の「破たん」状態にある。富山大学も、医学、薬学を除けば、「高収益」社会へのエントリーの切符が発行できないから、全国最低ランクに位置している。地域貢献に専念しますといっても、地元企業は、富山大学からの採用を最優先しない。なぜなら、自宅から地元の大学に通うと、18歳に課せられた「高収益」社会への目標が身につかないからだ。他府県にでて、ようやく自己管理を体験し、「高収益」社会を見聞することで自己マネジメントの基礎ができる。だから、せめて富山の大学教育は、マネジメント学を教養教育の柱に据えると、日本で唯一のオリジナルな教育ができる。それと、教場や教室を県内の隅々に広げることである。その場合、個人的にはうれしいのであるが、互恵型経済原理に教育が傾きすぎる傾向がある。例にして申し訳ないが、富山のカターレ富山が、アマチュアの新庄クラブに敗戦したという象徴性がある。プロに世界における市場型経済原理の世界で、富山男子は弱すぎる。スポーツ文化も、なぜ、機能しないのか?反対に、バスケット・ボールは一部リーグの仲間入りができた。その差異は、「マネジメント」の人的資質の違いである。リーダーが互恵型経済原理により、「仲間のかばい愛」を重視しすぎるから、富山にはメジャー・スポーツの文化が育たない。メジャー・スポーツの文化とは、高収益社会である。

個人的には、互恵型経済原理は大好きである。だが、市場経済原理において、「高収益社会」がもちうる弱者救済、人間平等の実践も、互恵型経済原理に反するわけではない。富山県では、もつと里親制度、養子制度を活用しすれば、他府県に勝てる人口構成が可能となる。だから、大前提として、高収益社会の看板を掲げ、稼げる山林、稼げる河川、稼げる空港、稼げる港・・・収益性の再生が期待されるところである。

 

 

 


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「GDP」主導から社会から「高収益社会」へ、目的変数を変換しよう。

2015年08月29日 | Weblog

TMA講師代表から:日常の思考しかたを変え、目的変数を置き換え、多変量の解析になじむ意識の変革について考えましょう。

Aの数値の変動と、Bの数値の変動とのあいだに何の関係もないときは、多変量の解析の思考は、働かせる必要はありません。それと、直接的な因果関係は、単変量の関係ですから、Y=aX+bの方程式に収まります。女性の出生率から、近未来の人口数を推計するには、単変量の関係です。ところが、女性の出生率は、何により低下したり、上昇したりするのでしょうか。こうなると、人口学者の手におえません。まして、素人同然の有識者にもわかりません。女性の出生率の変化を説明するには、主な要因から副次的な要因のすべての複合要因を考えなくてはなりません。ところが、一般の有識者は、大衆社会での説明では単純化したほうが講演でも分かりやすいので、相関係数0.78なので、かなりの程度の正の相関がありますと言われても、学力が伴わないので、聞き手はわかりません。

プロの世界では、第1次主要因から第6次、第7次の要因にまで、相関係数を探りだし、女性の出生率の変化を説明します。主要因は、女性の権利の向上、高学歴化であるといわれています。さらに、子供を育て易い環境も関係します。しかし、人工中絶が「経済的な理由」により、法制的に禁止されないで、合法化されてきた厚生労働省の「失政」によるものだと、専門家は指摘します。

どんな子供でも、社会的に最低限の生育保護の環境を保証する制度の充実とともに、主要因の裏に隠された制度要因は除去されるべきでしょう。それと、高学歴社会は、豊かな人間性をさらに高度化させるのではなく、研究業績を上げるため、競争原理による非人間性の拡大という劇薬を含んでいることです。だから、高等学校の教育のゴールを大学進学に求めると、進学教育の成果と幸福度の増進という正の相関は保証されていないといえます。大学の入試の難易度と、卒業生の生涯収入との関係は、ある時期に強調されましたが、全生涯のゴールと高い正の相関関係にあるわけではないのです。個人差の要素も大きい議論です。

たさし、抽象的に個人の生涯収入を最大化する、これこそが「進路指導の目標だ」としてもかまわないのです。国家、地方自治体は、個人の生涯収入が向上することで、支えらています。日本の国家財政は、国債の発行、償還、借り換えによるキャッシュ・フローで成り立ち、バランス・シートでは赤字ですが、個人の生涯収入の資産ストックのためには、国債を発行し続けないと、そして、個人資産が支える日本国という仕組みが機能しないわけです。

すなわち、多変量解析で大事なのは、目的変数が何か、これが不適切ならば、全体が狂ってきます。これまで、我々は国内総生産GDPの信仰に陥っていました。そこでは、大学・大学院教育の費用対効果は除外され、企業内部のITプログラムの創造的革新も結果の推計が不能なので除外されてきました。

これからは多変量解析における目的変数を個人所得(消費、貯蓄、納税の源泉)におきかえ、子供の数が増えると、教育費(難関校への進学)のために想定される費用の増大のため、「経済的な理由による産児制限」という社会要因による「説明変数」をなくすことが、国家と地方自治体の役割です。しかし、最大の責任は、企業のマネジメントにあります。「安くて、高性能の商品を」という「ものづくり」屋は、ROEの低い経営を漫然とつづけてきたわけです。電気の産業が押しなべて不振なのは、「高収益社会」という目標から外れた、非マネジメント文化の産物であったことを意味しています。企業に対する標準外形課税を施行しないと、権力者としての経営者は淘汰されません。難関校の出身者が経営幹部となる社会と、標準外形課税を避ける風潮とは、おなじ官僚主義に主な原因があるのです。

企業のトップが総収入の増大に努力を傾注するよりも、業務費の削減がマネジメント学の基本だと考えてきたことが、同時に、個人の勤労所得の最大化をも妨げてきたマネジメント思考の主要因と考えてはいかがでしょう。人口減を食い止めるには、まず、中下流層の「経済的な原因」を除去することで、多子化を妨げる社会要因をなくすことでしょう。でも、標準外形課税を課すと、勤労者の弱い部分を締め付けるので、賃金水準など雇用環境の悪い企業には、ペナルティの重い運用が必要かと思われます。

企業の産業環境、雇用実態から、県内の女性をとりまく経済環境、経済的な制約条件につき、多変量解析する必要がありそうです。

 

 


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経済成長と人口移動の関係

2015年08月28日 | Weblog

TMA講師代表からの討論資料:人口論よりも、県土の自己資本利益率を試算することが先決。

富山県庁が、真剣に人口20%減という統計推論を前提とした議論を開始した。そこへ有識者としては、呼んでいただけないし、呼んでいただいても、学識のレベルが合わないので、こちらからご遠慮申し上げる。

富山県庁の大前提からの間違いを指摘します。人口の増減は、経済成長の動態が主要因であるという大原則が理解されていません。この原理は、アダム・スミスが「諸国民の富」のなかで、うまく立論しています。彼の場合、経済成長の統計資料が存在しない時代なので、人口動態を経済成長率をはかるインデックスに使いました。人口動態からのみアプローチすると、富山に生まれた女性に、富山で働き続け、富山で結婚し、できれば産める方は3人の出産してください。そうするには、どうしたらいいのか?県外の大学に進学し、他府県に奪われないようにするには、どうするか?そうだ、県立大学の看護学部を創るのだ。そうだ、女性が主役の職場をつくるために企業を誘致するのだ。・・・男女の出会いの場を・・・官製の合コンまで登場する。頭脳を使い方を間違えてはいけない。人口論学者に全く欠けているのは、経済学、経営学の専門知識である。

大事なのは、県内のすべての土地が、その収益効果を最大限に高めているのか?土地を資本とする収益効果である。面積的には、山林の部分が広い。林業から観光業、教育事業を含め、収益効果を周辺の県と比較し、さらに外国の事例も研究するべきだ。なお、電力に関しては、小水力の発電を徹底すれば、国際的な公務出張型の観光資源となる。「水力発電王国」から「電気鉄道王国」、これらを総合政策として立案するべきでししょう。それと、豊富な雪解け水の伏流水は、低温の海洋深層水まで生み出す。

次に、面積的には、水田の農業の収益効果をあげること。これには、海外戦略が大事である。ローマ字にすると、TOYAMAはとても読みやすい。TOYOTAと頭のTOYが重なるからである。ちなみに新潟だとNIIGATAとなる。グローバルなローマ字表記では、母音がOとAで構成される。世界で15億の漢語を使う国では、「富山」は、漢字名称として悪くない。では、富山米はどのように海外で販売するのか?精米機のトップ・ブランドが、富山県にある。それをより小型化し、海外のスーパーで、コーヒーミルのように普及させる。そこへ玄米で輸出する。その場合、玄米の袋の海外現地での再利用を考え、YKKのブランドのファスナーつきの「ブランドイメージの米袋」も合わせて普及させる。これは、再利用が容易で、汎用性もある。さらに、玄米の保質に適したコンテナーの開発を考える。

県庁にとり、これは責任問題であるが、富山空港と伏木富山港の利用の活性化である。富山県では、富山空港を航空貨物の出荷拠点と考えられていない。ともかく、ロジスティクス・マネジメントに通じた担当官がいない。

さて、問題は中核となる薬業と医療機器のさらなる発展である。他方、自己資本収益率が2から3%に甘んじている製造業につき、8%を目標に高収益の企業に脱皮させるマネジメント学の導入である。県内企業は、兼業農家を基盤に、低賃金、低収益に甘んじてきた。周辺の他府県に向けて、M&Rにより、富山本社の企業体を大きくしていくこと、富山標準を北陸標準にしている電力、銀行につづき、内需を奪える競争力のある産業戦略を構築することである。

人口が20%減少しても耐えられるには、県土の自己資本収益率を最大化するという経営学の観点で、他府県に対するグローバル戦略のなかでの競争戦略を高めることである。そして、最も大事なのは、県税、市税の税収効果を最大にすることである。18歳までの子供の医療費、教育費から、課外活動まで、豊かな税収で支え切ることである。それには、企業収益の最大化、個人所得の最大化が解決の主要因である。他府県に勝てる競争戦略である。

そのためには、ゴールドラットの制約理論をすべての指導層の共通教養としなくてはならない。なぜなら、県庁の方のマネジメント学、ロジスティクス学のレベルの低さが、富山県の「制約条件」となっているからだ。


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中国農村の構造変化と中国の景気循環

2015年08月27日 | Weblog

TMA講師代表の専門研究:

中国の生産人口の産業別の割合では、農業の占める割合は、1949年の建国当時は85%くらいであった。重化学工業が内陸の都市に建設され、さらに、沿岸部に海外市場に対応した「経済特区」で工業化が進んだ結果、純粋に農業収入に頼る農民は激減した。季節労働者として、膨大な移動労働者の群が存在した。その上に、郷(キョウ)や鎮という農村社会の基層市場の中心地に「郷鎮企業」が生まれた。これを「ゴウチン キギョウ」と読ませているのが、TOKYO CHINA リサーチャーである。「郷鎮企業」は、市場地の対するロジスティクスの条件が悪く、原料の出荷地と製品の消費地とが遠距離だと、輸送効率が悪く、雇用吸収力に限界があった。それで、沿海部に「出稼ぎ」農民が大量に生まれた。

習近平政権は、行政村までの舗装道路を国費100%で普及させ、各県にはロジスティクスのステーションを設立し、農村と大都市との物流の革命を達成した。さらに、水源からの汚染水対策を広げた。行政村から自然村の道路の舗装も進み、郷村の社会にさまざまな「ミニ企業」が誕生した。特産づくりを進め、「出稼ぎ」しなくとも、農民は「郷鎮社会」の中で、生活が成り立つ仕組みが、浙江省を中心に整備されてきた。

こうして、4億人から6億人の農村人口が、大都市の城居民との生活水準の格差を縮小する構想改善が進んできた。農民の貧困原因は、国家財政が買い上げる農産物価格の「構造的、差別的な廉価」にあった。建国70年間、そのほとんどが、中国共産党の「農奴」であったといってよい。胡錦濤の政権は、この問題の改善に着手したが、北京の名門大学と東京の大学の専門家交流の結論をコピーして失敗した。習近平政権は、浙江大学の地道な農村研究の総合政策の研究結果をもって、浙江省の全域の農村経済の構造改善に成功した。この行政的な成功は、毛沢東時代から専門に農民開放を中国革命のゴールと考える中共の農村行政の専門家に広く支持された。こうして、農村でも、インターネットで「お取り寄せ」できるようになり、消費が大都市圏内と、農村社会とで、全く違ったカテゴリーの分裂していた形から、ロジスティクス革命の結果、2010年くらいから急速に進み、その波動はチベット高原に及びだした。このように農村の現代化への構造変化は、中央銀行の金融緩和策における農民金融にたいする優遇、循環資金の増加をよびこむことになった。ところで、中国農村の収入源は、なにか?これは、国家が生産請負の契約をしている生産団体(集体)への、農産物の買い上げである。現金化され消費にまわる所得部分に加え、長期、短期の資金ストックが可能なレベルまで、農産物価格が引き上げられた。このような国からの農産物の買い上げの主な商品は、米穀、小麦、綿花である。夏の時期は、こうした国庫からの農業部門への資金移動か起こらないため、中国や北朝鮮では、夏枯れの現象がおきる。夏休みのために生産が低下する先進国とはことなる。9月からは農産物の買い上げのため、国庫から大量の現金資産が、農村に移動する。毛沢東時代とは異なり、農民は個人消費の主役に転じたので、国家ができるだけ高い価格で農産物を買い上げ、都市住民の所得向上に合わせ、都会の高めで供給する。このように中国では、国家的なロジスティクスが変化してきている。

日本経済新聞のおバカな中国滞在記者は、中国の経済恐慌を予測し、その例として山東省の炭鉱の鉱山からの出荷の減退をあげている。中国政府は、大気汚染対策のため、石炭を使用するボイラーにつき、完全に再点検し、中国国産の旧式の石炭ボイラーを6月で完全廃棄した。その結果、石炭を夏場からストックする首都圏での需要が減退した。大気汚染対策と石炭需要の減退には大きな関係がある。こうした外燃機による大気汚染対策においても、中国は日本の先端技術を活用している。民衆の生活、生命環境の反する「暴走的な開発奨励の経済官僚」を淘汰し、高度成長から安定成長への転換期では、GDPの成長率が低下しても、投資される中身が暴走機関車(環境破壊)から、サービスの緻密化、効率化を目指す「浙江風」へと経済の心的環境も変化してきている。

 


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中国人民銀行の金融緩和の詳細

2015年08月26日 | Weblog

人民网北京8月25日电 (李海霞)继6月28日央行同时降息降准后,央行25日晚间宣布决定下调存贷款基准利率并降低存款准备金率,这是央行今年的第四次降息和第四次降准。

央行决定,自2015年8月26日起,下调金融机构人民币贷款和存款基准利率,以进一步降低企业融资成本。其中,金融机构一年期贷款基准利率下调0.25个百分点至4.6%;一年期存款基准利率下调0.25个百分点至1.75%;其他各档次贷款及存款基准利率、个人住房公积金存贷款利率相应调整。同时,放开一年期以上(不含一年期)定期存款的利率浮动上限,活期存款以及一年期以下定期存款的利率浮动上限不变。

央行宣布,自2015年9月6日起,下调金融机构人民币存款准备金率0.5个百分点,以保持银行体系流动性合理充裕,引导货币信贷平稳适度长。同时,为进一步强金融机构支持“三农”和小微企业的能力,额外降低县域农村商业银行、农村合作银行、农村信用社和村镇银行等农村金融机构准备金率0.5个百分点。额外下调金融租赁公司和汽车金融公司准备金率3个百分点,鼓励其发挥好扩大消费的作用。

以上が、中国の中央銀行である中国人民銀行の公定歩合の引き下げに関する決定の公式発表である。中国と取引のある企業におかれては、経営トップに翻訳サマリーが届いていることが望ましい。「日本経済新聞」では、1年債の貸し出し利息が0.25%引き下げ、4.6%とする。1年もの定期預金利息は、0.25%下げて1.75%とするということだけが報道されるだろう。企業の当座貸し越しと、個人の住宅取得のために、預金利息と貸し出し利息は調整する。その他の長期、短期の利息の上限が変更しない、という。比較的に見逃され易いのは、習近平政権が独自に始めた「三農とミニ企業」を支援するため、農村にかかわる金融機関の預貸率を変更し、年率0.5%引き下げ、融資枠を拡大する政策である。これは、農業を専業とする農村金融に関するもので、約4億人の生活にかかわる。秋の収穫期において、農産物の販売代金からの預金積み上げに応じ、貸し出し条件も緩和する方策である。さらに、金融租賃公司(消費者金融)と汽車金融公司(自動車ローン)の預貸率は3%引き下げ、個人消費の拡大を促す、というものである。

摘要として訳したので不備があるが、9月6日から中央銀行による金融緩和が行われる。日本では、その効果は疑われているが、すでに紹介したように、IMFの北京駐在代表部は、中国人民銀行と情報共有しており、2015秋の農業部門は、緻密で、微細な農村金融の緩和により、4億から6億の農村人口が個人消費の牽引力として期待されていることが分かる。従って、日本企業は中国の城居民を対象とするシフトから、都市近郊農村、長江流域の農村部の需要に目配りする必要がある。農村側には、すでにネット調達の仕組みが生まれている。なお、中国の農村経済改革で非常に困難なのは、チベットではなく、山西省、陝西省の農村である。生活水を確保することにも難渋する地域がある。チベットは水利条件もよく、四川省、貴州省の農村の知識水準が高いので、そこからにロジスティクス環境も構造改善されているとみてよい。中国の個人消費市場において、国家財政ですべての行政村に舗装道路と、水道施設を整備した習近平政権の農村構造改善の事業は、ようやく2015秋の収穫期に最初の離陸がみられるはずである。

富山県下の企業のかた、大学生・院生のかた、富山新聞文化センターの富山マネジメント・アカデミーでは、中国の報道を原文で理解する支援をいたしますので、通信会員として登録してください。


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香港からの情報:中国発「世界同時不況」の可能性(増補)

2015年08月24日 | Weblog

TMA講師代表が提供するディスカッション・パーパー:

香港の大陸系の新聞が、コラムにおいて、人民元RMBのアメリカ・ドルとの交換比率が、1対1であった関係は、すでに実態的には、民間の「黒市場」(実績民間市場)ではすでに存在していなかった。そのため、銀行から米ドルで借入、それを民間レートでRMBに交換、そして、米ドル預金に比べ、定期預金利息の高いRMBで定期預金、そして、満期が来れば、中国銀行で公定レートで米ドルにチェンジし、それで元金を返済する。この利子率の差、公定レートの差を利用し、香港人の金融資産が循環していた、という。この仕組みは、東南アジアの華僑・華人から、フィリピン人の出稼ぎ労働者などにも活用されてきた。

ここへきて、RMBの利率下げ、米ドルの利上げ、人民元RMBのアメリカ・ドルとの交換比率のペグ制の廃止により、20年以上に及ぶ、香港人の「妙味」が消滅したという。中国大陸の富裕層も、香港にきて豪遊したり、不動産を買いあされたのも、米ドルと人民元との公式交換レートがペグ制に近い状態であったためである。人民元を容易に、安定レートで米ドルに転換できる環境、それを以て、香港地区の大陸化を図ってきたためである。

漢民族の社会は、特に広東人は「うま味」を見つける嗅覚は鋭い。このような国際間の通貨交換の固定レート制度は、民間に実勢市場を生み、国際通貨基金IMFからは、常に警告の対象とされてきた。今回の改革は、レート変更だけでなく、制度変更の第一歩を意味している。

IMFの英語版のHPを見ると、IMFの北京駐在の代表は、これを機会に、習近平政権に対し、完全な外貨交換の自由市場制に移行し、それを基礎に金融・財政制度改革を促進するように提言している。国家財政も人民元の国際市場評価の実勢に合わせて改革するように求めている。おそらく、習近平政権は、民間の「黒市場」(実績民間市場)が介在すれば生じる流れを断ち切りため、IMFの提言に応じ、指令型経済原理の枠になかに取り込んだ市場経済原理ではなく、中村哲夫がこれまで提唱してきたように、指令型、市場型、互恵型の3つの経済原理の相互自立と相関による相互補正という「改革」の方向軸、それを習近平政権が目指していく可能性が生じたと思われる。その場合、米ドルを国際基軸通貨として承認する中華経済圏(東南アジア華僑・華人、台湾、中国大陸)のコンセンサスは動かさない前提とみてよい。習近平政権は、IMFに対して、これまで非協調的であったが、IMFの北京駐在の代表の助言には耳を傾ける状況にある。

こうした金融、通貨の市場で、英語や漢語という国際公用語でやり取りされる世界では、英語と漢語とがバイリンガルであることが条件である。日本の場合、総合商社の社員の能力があり、また権限もある。メガバンクは、英語ができても、漢語とのバイリンガルの銀行員はいない。だから、中国発「世界同時不況」の影におびえる。中国自社会から闇経済のうま味が消えることで、ノンバンクの介在余地が少なくなり、IMF優等生の日本型の財政・金融管理へ、中国もゆっくりと移行するものと期待されている。

IMFインテリジェンスを習近平政権が徐々に受け入れることが、日中関係の正常化につながる。安倍総理の中国訪問の日程が流れたが、中国政府は安倍政権の延命よりも、日中関係を正常化できる日本の「次の政権」が生まれる条件を重く見始めた。それは、安倍総理が中国経済の活性化のカンフル剤を用意できないためである。その原因は、日本円の利子率が低く、それに対し、米ドルが利上げを含み堅調に推移し、中国とアメリカとの調整が及ぼす世界経済への影響力を最重視するからである。日本語は国際公用語ではない。日本円は、IMFの基軸通貨であるが、中華経済圏(東南アジア華僑・華人、台湾、中国大陸)では、敵性の通貨であり、利子率の低い、利用価値の極めて限られた特殊通貨とみられている。中国がニューヨーク金融市場で影響力のない存在だと仮定してはいけない。習近平政権は、国内的には浙江省に地域基盤があり、その外延には寧波グループがいる。寧波グループは、ニューヨーク金融市場で影響力を持っている。


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書物の連鎖を考える

2015年08月23日 | Weblog

ある友人が、著作者は何冊かの本を食べ、自分の本を新作するが、その時、「食べた」すなわち「読んだ本」び対して、制作した自分の書物が、新たに人さまに読まれ、食物連鎖の頂点に立つ動物のように、頂点にたどり着けるかは、なかなかに難しい。自分の著作を書くために費やした栄養にした本を得て、読み、消化するコストと労力を金額に直すと、はたして、何人がコストを上回り、食物連鎖の頂点に立つ王者のようになれるのか?そう考えると、歴史家はむなしい存在だ、という。

これを書物連鎖と呼ぼう。コストとしては、確かにそうである。これが、学術書となると、金額ベースでは、書物連鎖の王者の位置には立てない。

だが、歴史を専門とする学者は、著者の生涯だけの短い、わずかに100年に足りない時間軸で決算するべきではない。そこには、「研究史」という大河の考えかたがある。誰かの発見を起点として、その後を追尾しながら、さらに最初の発見を凌ぐ発見という科学史の流れでみると、書物連鎖は、人類史の長い、長い「知の連鎖」として現れる。自己の生命の時計を中心に見ると、誰も書物連鎖の王者にはなれない。科学史の年表のなかで節目となる発明・発見は、やればできないことはない。自然科学の世界では、この研究史の流れが明快であるから、第一発見者の名誉は再発掘される。ところが、いわゆる文系の学問では、研究史を整理するのに、価値観の違いが妨げとなる。

そのなかで、比較的に説得力のある研究史は、哲学史である。まず、世界の始原につき、「神」を絶対の創造者であるという宗教と区分し、世界は物質そのものであると、唯物主義の哲学はギリシアに生まれる。それと、中国の太古に「易」学が生まれる。後者は、陽性と陰性との正反対の性質の相互干渉を記号化し、自然をシステムと考え、人間は「天命」という自然システムを観察し、「易」すなわち変化の意味を読んでいけば、自然の一部として、天意に添った生き方ができると考えた。

このように整理すると、自然科学の研究史を根源的に支える学理は、古代中国人の知恵を集大成した儒学にあると整理できる。そして、孔子は「周易」の解説で、形而上の「道」という概念と、それを形而下の「器」という概念を対置し、相互の記号化(名づけ)と、抽象と具象との範疇や次元を区分している。

人類の科学は、ギリシア哲学の古代唯物論から発展したと、科学の西洋文明起源説を信奉するかどうかで、「書物連鎖」の考えかたが大きく分かれる。明治以後の教育を受けた大部分の知識人の西洋崇拝は、簡単に、ギリシア哲学からの持続性を信じる。

ところが、ここにイエズス会の宣教師たちが、ラテン語で孔子の「大学」にある「格物・致知」の哲学を西洋に紹介し、彼らがローマ・カトリックから異端であると排斥され、逆にプロテスタントから生まれた啓蒙主義者たちから、中国起源の「天」をシステムと考える哲学が興味を持たれ、英語訳、ドイツ語訳、フランス語訳が生まれた。この書物連鎖の結果、その一人としてフランスに留学したアダム・スミスが、中国哲学の影響のもとで生まれたケネー「経済表」を知り、より深く、中国情報を突き詰め、こから「諸国民の富」を生み出すことになった。かれの道徳感情論は、孟子の性善説からの書物連鎖である。

マルクスやエンゲルスは、困窮民の救済という実践の目的を「地上の命題」においたために、アダム・スミスの「道徳感情論」→「諸国民の富」→法制の学の全体像を「書物連鎖」できなかった。事象を一元化し、市場原理の社会を「人間を含めた商品化」として理念化し、資本の所有者の支配する政治体制を暴力的に解体する正義を主張した。今日、中国共産党は、階級闘争至上主義、唯物主義の階級史観を削除した。残されたのは、科学を人類発展の導き手と考える思想である。そっから、中国共産党の非マルクス主義化がおこり、マネジメント学(管理学)の「書物連鎖」が起きている。日本でも、自己資本利益率をインデックスとする経営改革が急速に盛り上がっている。

真に書物連鎖の頂点に立ちたいなら、まずは江戸時代の学問の規範とされた朱子の注の「大学章句」を原文から読みこなしたいものだ。

 


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メディアが生み出す「世界同時不況」風評

2015年08月22日 | Weblog

TMA講師代表が提供するディスカッション・ペーパー:中国発の大不況ではなく、産油国・イスラムのオイル・ダラーの動態に注目することがポイント。

 19世紀の後半より、人間の集体的な異常行動も、心理学の原理で説明できるとする考えは、アカデミズムの主流となっている。大衆の日常的な不満が累積し、それが国民国家の方向軸を歪める。これは、明治維新そのものが第一の波である。260年つづいた関ケ原の戦勝組の天下を覆すためのテコとして、天皇制が利用された。そこから、下剋上のムーブメントは、絶えず下から、下から湧き上がる。日本のメディアは、この自由民権運動を基盤として、メディア資本が形成されてくる。そのため、読者の気分や感情を煽ることで、メディアの自己資本利益率が高まるしくみができた。

 歴史学のアカデミズムでは、第2次世界大戦における「戦争熱」は、新聞読者、ラジオ聴取者である国民の心理によるものだという分析がある。しかし、第一次世界大戦より、国家総動員体制による軍政を優先する仕組みを構築したのは、国家官僚の私的な研究集団である。下剋上のムーブメントは、昭和維新では不成功であったが、戦後、アメリカ軍の占領下で、コミンテルン史観により「民主化」という名の「下剋上」は続いた。戦後の財界は、財閥解体という条件もあるが、敗戦前にすでに財閥の内部で、資本の所有者と、経営者の経営権の分離が行われていた。隠れた「下剋上」である。財閥解体の結果、ドラッカーの思想と重なる「ポスト・キャピタリスト・ソサエティ」は、日本の戦後社会を構成した。労働運動も企業別の組合の形をとり、経営者と対立しながらも協調し、「資本の所有者が所有し、経営管理する」制度を内側から解体していった。だから、労組の役員から経営者へという道筋もあり、政治の世界では、保守党と「革新党」がなれあう体制が硬直化していた。これを破壊し、経営権を握った「管理階級」が、経営改革、構造改革と言いながら、労組が隠然と支配する体制を打破した。その象徴が、国有鉄道の民営化である。そして、その最後が、郵政の民営化である。

 郵政の関係企業が、政府保有の株式会社から、民間の企業と同じく株式を証券取引所の上場することになった。いよいよ、個々の企業のマネジメント科学の体系が改めて市場原理から評価される時代となった。その場合、市場原理といっても、合理的な期待可能性の枠組では、上限の値と下限の値との「範囲のある解」しか導けないから、そこの心理的な情動の要素を排除することはできない。つまり、日本経済は、抽象的な構造改革から、個々の企業のマーケット対応のマネジメント科学の緻密さを求める「局面」にきている。しかも、インターネットが、マネジメント文化の中軸にある。メディアも、インタネット依存となっている。ここにも、下剋上の深層水が流れているが、単純な処方箋が描けないため、微視が大事な局面となっている。

デマと正しい情報も、双方向から流れてくる。大事なのは、税関の通関統計に表れる「真の情報」である。心理的な情動の根拠は、なんとなく雰囲気に押され、不正確である。時には、風評の被害を拡大する。現在、債権のデフォルトや、預金支払い停止は、生じていない。起きているのは、世界市場のおける市況性の商品の価格の構造変化である。その結果、産油国に富が流れないで、原油消費国に比較有利な構造変化が生まれた。それは、中国と日本に非常に有利な条件があり、円安、元安でも、原油の購買に要するコスト・アップの要因が薄れたことを意味する。

 その結果、第四の世界宗教であるイスラム世界内部、それに産油国としてのロシアなどの「原油富裕国」にとり、構造的な不況が生まれる。原油生産国に生じた流動性の資産は、世界の金融商品の価格を支えてきた。世界同時不況の引き金は、中国発ではないと予想する。

 アメリカの連邦銀行が、今後、選択しうるカードがない、と断言できない以上は、全てアメリカの経済指標のデータの解釈が基本的な決めてとなる。中国経済をブラック・ボックスにおいた、風評的な経済論は避けるべきである。それよりも、個々の企業の微視的な改革のために、「下剋上」の社会心態を合理的に生かすことである。

 


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中国経済の停滞を原因とする「世界同時不況」の可能性 第二部

2015年08月21日 | Weblog

TMA講師代表が提供するディスカッション・ペーパー 第二部 (未校正)

本日の「日本経済新聞」はの一面トップ記事は、中国国内の減産の状況を鉄鋼と、中国の乗用車史上最大のドイツ系のVWの減産などを軸に、消費市場の縮小を前提とする情報を提供している。個別の産業、企業、商品につき、検証しても、個々の経済指標である鉄道貨物輸送量の減少など、悲観材料が並んできた。しかし、他方で、原油の価格の上昇が抑えられ、中国のに有利な材料もある。

問題は、個々の企業にとり、上海の株式市場の停滞が具体的にどのような連鎖があるのか、天津の爆発事故がどう影響するのか、元安の調整は、対中国輸出には不利、中国からの輸入には有利であるなど、モノとモノとの交易の量を具体的に抑えるなら、税関(海関)の統計が一番に正確な統計根拠資料となる。

しかし、冷静な判断に先立ち、「景気」というように「気」は、統計から合理的に推論される可能性の判断の前に、「とりあえず赤信号」で「停止」という緊急避難が行われる。

どうなると、「同時世界不況」となるのか?それは、1929年の世界大恐慌においても、「株式市場の大暴落」が現象として現れる。残念ながら、大多数の理解はそうである。ただし、ケインズは有効需要の減退という本質を抑えている。だから、ギリシアの場合、もともと世界の有効需要に関係するほどの製造業がないから、「同時金融不況」となっても、そこで話はおわる。ところが、中国は「世界の工場」である。最近は、中国の内需の伸びも無視できないが、主に輸出競争力において、世界経済とリンクしている。すると、最大の需要国は、アメリカである。アジアでは、インドの経済の質量変化も無視できない。現在、アメリカの消費牽引力、インドの成長余力、この両者が健在であるならば、日本→中国、中国→日本の両国関係のほかに、中国製品(日本の部材使用)、日本製品(中国の加工品使用)というクロス型の対米輸出において、人民元の調整は、数か月すると好循環に転じてくる。これを政治的に表現するのが、安倍談話と、安倍総理の9月訪中である。「景気」は、「気」であるから、政治が東京ー北京で「世界同時不況」の引き金を引かないで、逆に、相互に内需を拡大を刺激する経済性の強いメッセージが準備できたら、10月からの経済の減速は、かなり緩和できる。両首脳が、相互の関係改善で失うものはなく、政治が東京ー北京発の「世界同時不況」の引き金を引かないというメッセージが期待される。習近平政権の持続性と、安倍政権の持続性は、同時代政権としての安定保証がある。少なくとも、2016年における政権交代はない。これは、日中がこの数年、全く使用しなかった経済外交のカードである。しかし、切りそこなうと、安倍政権は危機に落ちる。消費税の10%への移行は、空前の好景気が必要であるからだ。同時に、不景気の元凶である習近平政権の「贅沢禁止」の姿勢も、官僚の広範なサボタージュを招き、経済不活性の原因となってくる。

最後は、悪いのは習近平政権、あるいは、安倍政権だと、罵倒するのは簡単である。しかし、世界同時不況の被害は、弱者に転嫁される結果を生む。ドイツ系のVWの減産も、中国での消費市場での選択可能性が広がり、より農村部での需要とマッチングしないからである。河北の製鉄の減産も、首都の大気汚染源を減らすためである。必ずしも、中国経済の減速が主原因であるわけではない。こうした「日本経済新聞」の一面記事の編集にも、深い疑念と注釈を入れると、メディアによる「大衆の煽り」という訳アリの紙面利用という評価となる。


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中国経済の停滞を原因とする「同時世界不況」の可能性(再確認)

2015年08月21日 | Weblog

TMA講師代表が提供するディスカッション・ペーパー(未校正)

まず、先の2008年のリーマンショックによる「世界同時不況」を救ったのは、中国の国家的な超大型の公共投資であった。この事実を知らないで、次の議論に向かっても無意味である。すると、同じく、マイナスの連鎖においても、中国が「同時経済不況」の連鎖の起点となりうることを意味していている。

ところが、大部分の方は、中国経済が世界経済に占める質量を理解できていないから、中国経済の停滞は、中国の問題であり、世界経済の循環に影響しないと勝手に想像している。

ごく少数であるが、中国が2008年の世界同時不況を克服するために、連鎖の好循環の起点が、北京の中共中央の決断であると、深く理解している方がいる。そのごく少数の理解者からみると、中国の2015年の経済の停滞は、2015年秋の「世界同時不況」の引き金を引くことになりかねない、という不安がよぎる。

これには、大前提の事実を抑えておく必要がある。中国のGNPの伸び率は、分母が大きくなるとともに、10%台から7%台、さらには5%台へ下降してくるのは法則であり、だれも止まられない。GNPの絶対値がマイナスに転じたのではなく、高度成長から安定成長への転換期にある。だから、GDPだけをINDEXにする議論は、景気循環を分析するには適しない理屈の組み立て方である。

では、最適のデータは、何か。それは、税関、中国では海関の「通関統計」である。これは、アヘン戦争以来、ブリティッシュのルールで、世界標準の世界で共有できる貿易通関の統計であり、通貨の出入りまで、経済官庁は、共通して参照できる。日本では、税関の監督官庁は、財務省である。この「通関統計」は、貿易の相手国との関係で「鏡」のように照合できる。

あの爆発事故で、天津港の通関が停止した。代替え港としては、大連と青島とが考えられる。そうした代替え機能が働くまでに、「天津港」の通関停止は、どこまで中国の輸出入を妨げるのか、今は想定がつかないが、他方で、スエズ運河が拡張され、西欧とインド洋の障壁が弱められるので、天津港のトラブルは、北東アジア内のトラブルで収まるが、中国の大陸内部での天津港の河北経済に及ぼす影響は、特に、港湾と鉄道貨物の結節には、支障がでると思われる。しかし、人民元の外為交換率の基準値を5%も引き下げた効果は、特に、日本企業の中国での加工品の輸入価格のダウンとなり、円安で苦しんできた企業には有利な条件となり、中国の輸出も、減速から加速に転じる。こうして、マイナス要因とプラス要因を相殺すると、日本には有利であるが、問題は、中国を知らない経済人が、不安から、不況を呼び込む可能性があるので、心理的な動揺が落ち着くには、数か月を要すると思われる。

以上の記事を、2016年2月1日に読み返してみると、文字の誤脱はあるが、基本的な見方は変える必要はないだろう。中国のGDPと日本のGDPの関係でいえば、上記の見方は当たっていると思う。しかし、個々の企業の好調、不調は、これに関係がない。一物一市場、一物一物流であるからだ。総論が意味を持つのは、通貨の価格差と利子率の変動である。


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グローバル化の始原、僕らの世界史(日本史)

2015年08月21日 | Weblog

TMAの基本教養の課題:

世界の4大宗教は、仏教、儒教、キリスト教、イスラム教である。人類のグローバル化は、交易圏で確かめられる。人類考古学は、太古の部族社会が意外にも遠距離の部族社会との間で、モノとモノの交換を行い、やがて貝殻を貨幣に使うという知恵を身につけた。この流れから人類史をみると、現在のIMF(国際通貨基金)のシステムにたどり着く。IMFの政府間通貨であるSDRを法制的に構成しているのは、アメリカ、ドイツ、イギリス、日本・・・。このようにみると、イスラム教は、グローバリズムの本流には乗れていないことが分かる。そして、仏教国であるタイなども世界通貨を支える構成要素ではない。キリスト教についていれば、ローマカトリック系ではなく、プロテスタントの運動に成功したドイツ、大英帝国のキリスト教とその外縁で展開したアメリカの長老会、組合派のソサエティが、IMFの中軸を為している。

では、日本といえば、キリスト教、イスラム教でもない。徳川幕府が、権力的な暴政を以てしても守った「国体」がある。それは、神道、仏教、そして「大学」に代表される朱子学である。新儒学といってもよい。明治維新の政府の誤りは、「廃仏」を強行したことである。寺院が民政の役所であったのを地方分権すぎると、廃藩置県を強行した。それで、神道、仏教、儒学のバランスが崩れた。ここで儒教と言わないで、「儒学」と言い換えたことに注意してほしい。「儒教」を「儒学」に変質させたのは、朱子に代表される宋学である。

モンゴル人の中国大陸の征服により、宋王朝が瓦解した。宋の学術文化を日本に伝えた流派が禅宗である。その禅宗と対決しながら、日蓮宗と浄土真宗が生まれる。国家という生命体が民衆福祉の基盤であると考える日蓮の思想、それに対し、個々の悪人も前世からの宿縁と考え、そのままで宇宙の一員として認め、民衆の存在そのものに意味を付した親鸞の思想は、実は、見事な中国仏教と儒学との合体に姿だった。日本では、ここにグローバル化の契機が生まれた。同時に、元寇を体験することで、当時のグローバリズムの本流が日本に上陸するのを防いだ。元王朝は、同時代世界の覇者であった。その最大の同盟者は、イスラム教である。イスラム教のグローバリズムの勢いは、東ローマ帝国と西ローマ帝国とに分裂した欧州に対しても、欧州の文化ルーツの再発見を迫った。それと同時に、中国にも漢民族のイスラム教徒が現れ、交易の世界において、漢民族が東南アジアのイスラム商人の世界に組み込まれた。こうして、中華文明、宋王朝の文化伝統は日本に移植され、中国大陸はモンゴル人、満州人が支配するユーラシア交易圏の内部に取り込まれた。この枠組みは、いまも続いている。

江戸時代、鎖国した日本が、限定的に開国していたのはオランダである。長崎の出島という特殊な居留地にオランダの東インド会社の拠点がおかれた。やがて、イギリスがオランダとの戦争に勝利し、イングランド銀行、世界金本位、海上火災保険シンジケートを確立、モールス信号を手に入れて、世界の都市を流浪するユダヤ人の知能と金融情報のネット・ワークを樹立し、全地球的な「パックス・ブリタニカの時代」(大英帝国のための時代)の時代となる。そのとき、長崎のオランダ人は、実はイギリスの東インド会社の職員に代わり、日本の情報を集めていたのである。日本はキリスト教化も、イスラム化もしていない。「大学」を基本とする「中庸」「論語」「孟子」という四書を共通教養としている百万人の「武家文化」がある。「大学」を基本とする「中庸」「論語」「孟子」という四書の理論は、ブリティッシュの科学と整合するという大発見が「香港」で行われる。孫文の師匠である「何啓」という法律家、医学者、香港大学の創立者である。ここで、朱子学を換骨脱胎して、清朝考証学が誕生する。西洋の学問と孔子の学問との整合性を図る、こうして儒学とブリティッシュとの整合がうまれる。日本では、加藤弘之に代表される英語・漢学の同時並行である。香港では、英語→漢語の辞典、漢語→英語の辞典が必要となり、それに着眼した加藤弘之らは、英語・漢語・日本語の辞典づくりのために、横浜に拠点を置きながら、英語の概念を漢字に置き換えた。そうした一連の作業のなかから、郵便、鉄道、電信などのグローバル化の「道具」をマスターした。私たちの近代日本人のグローバル化が幕末から始まり、朱子学を脱した「実事求是」の清朝考証学のなかの英語の出来る知識人が、こつこととブリティッシュの文化を学び始めた。が、実は、明治の知識人は、英語の難しさに大きく挫折するのである。それは、誤訳の壁として存在してる。今は、誤訳を防ぐために、互いに原文を読みあい、確かめるコミュニケーションがあるから、翻訳のみに頼らないで、原文で読もう。読めば、アダム・スミスの自然法の思想と、宋学の天理の思想、それは孔子に原型があることに気が付く。

孔子が『大学』に説くように、「格物、致知、誠意、正心」を一身に修めることで、「修身」が完成する。それが、仁学の主体である。それは、マネジメント科学の主体である。

 


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町の盛衰には、歴史的な経済地理学の変動要因がからんでいる。

2015年08月20日 | Weblog

本当に郷土史家は、身勝手だと思う。自分の関心あることしか目を向けない。さらに性質が悪いのは、経済地理学の素養が全くないことである。明治時代の終わりまで、富山県では「河川と海洋の船舶輸送の時代」であった。川筋と港町の関係である。大正元年に、北陸線が全線開通し、鉄道貨物の全盛期を迎える。鉄道の駅までは、馬車という荷車が主力であった。県知事が、馬車にのって県下を視察したという逸話がある。それでも、川筋と港町を結ぶ物流の関係は、残されていた。特に、国内と海外の貿易は、港に頼っていた。だから、大正時代における富山米の一つの積み出しに港として、魚津の婦人たちの積み出し阻止の行動が、現実性をもっていた。

しかし、今日では、高速道路網が発達し、県内道路との結節点を中心に、産業立地は大きく変化した。それにつれ、地価も大きく変化する。ただし、大事なのは無料の「下道」と呼ばれる国道何号線である。運輸業界では、無料の「下道」の込み具合、工事状況、事故、それらを迂回する運転指令は、不可欠の仕事であるとのこと。これは物流の話である。人流となると、自家用車の全盛となり、駐車料金というコストの壁の結果、無料駐車場が利用できる郊外店へ中心地が移動した。もちろん、駐車場の設置者は、無料ではない。大変なコストをかけている。そのコストを回収できるだけの、収益施設を擁しているから、駐車場の経費は何年かすれば、回収できる。ところが、伝統的な中心市街地では、市営駐車場である。安いが、建築費や、維持費を回収するのに有料である。

中心市街地へ車を乗り入れたら、有料という「価格の城壁」を設けていることになる。それで、公共交通の復興が期待されているが、それでも「価格の壁」は大きい。経済地理学の古典中の古典、チューネンの「孤立国」は、都市の消費者と農場の立地の関係の経済合理を理論としたものである。

今日、日本の消費社会は、所得階層、知識階層の変化の結果、インターネットで「お取り寄せ」する購買に「物販業界」の中心は移動した。すると、TVショッピングを合わせ、さらにインターネット通販が生鮮食品を夜間に配送しはじめると、商業施設のありかたも多きく変化する。

富山県では、生産者はインターネット通販にむけ出荷する方式に変化しだすと、加速度的な販売方法やルートの変更が生じている。素人向けではないが、不二越の製造する工作機械にとりつける消耗品である「工具」は、プロのユーザとのインタネット取引の仕組みが完成し、もう5年になるはずだ。在庫量が最小化される。この仕組みが、農業も水産業も大きく変化させる。すると、大事なのは物流倉庫となる。

このようにみると、インターネットがすでに時代を変えてしまったことがわかる。私だって、中国を研究しているから、シンガポール、香港、台北、そして中国大陸の基本情報の入手には、富山の自宅で仕事ができる。すると、古典的な経済地理学のあてはまるローテク社会と、インターネット交易が誘導する社会とでは、物流を除いては、トンキロ・コストがいくら、という世界から離れてきたことが分かる。アマゾン、楽天が栄え、宅配便が主役となると、高齢者も助かるわけだ。「おとり寄せ」は、便利すぎる。だから、徒歩3分の書店にも行かなくなった。電子書籍リーダーは、本当に楽だ。


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Uターン、Jターンの勧め?まずは、地元のハローワークで相談しよう。

2015年08月17日 | Weblog

TMA講師代表からの提言:

富山県庁が、富山県から主に首都圏の大学などの流れている学生のUターン、Jターンを促進すうるために、パンフレットを作成、配布するそうだ。内容は、北日本新聞に紹介されている。県内高校の卒業生の正規雇用率は日本一であるという統計を挙げ、富山では正規雇用されますよ、と宣伝している。これは、首都圏の大学などへの進学組に対し言って欲しくないメッセージである。例えば、高卒ならばYKKに正規雇用で就職できる。それを避けて、「大卒」でYKKとなると、高校時代の下に見てきた連中が、すでに勤続4年、いよいよ新人を卒業している。だから、その切り口からは語って欲しくない話なのである。実は、高校の学内選考で落ちてる人たちも多い。本人が断ったように言っているが、高校教諭がムリと刎ねたレベルの人たちである。

次に、持ち家率が日本一高いという呼び込みは、、首都圏の大学などへの進学組の対し、富山人として必要な情報だろうか?企業を誘致するとき、社宅を多く用意しなくともよいから、企業誘致のパンフレットには必要な情報である。彼らは、すでに持ち家に育ち、自宅の広さは、経験し、首都圏の住宅居住コストの高さも経験している。

だが、この世代、やりがいのある仕事がどこにあるか?それを真摯に探している時代に、富山の日本全体に果たしている役割に関する情報が提供されていないのが残念である。せめて、東京証券取引所に株式を上場している企業と、法人税を多額に収めている企業のリストを紹介し、HPのURLを紹介してほしい。すると、中小企業を軽視することになると称し、行政としては具体的な企業名を挙げないという「頭脳の壁」に当たる。

それを避けるために、富山県機電工業会の会員企業の一覧、薬業連合会の会員企業の一覧など、客観事実を示してみるのも悪くない。商工労働部が管轄する資料であるからだ。ところが、企画されている効果のないパンフレットは、マイナビとか、リクルートの企業の「地元企業の合同説明会」への集客に使用される。少子化の肥大、こうした企業に利便性を与えることは、汚職の源泉になりかねない。まして、富山県は県立の大学をマネジメントする立場にある。

なぜ、このようなパンフレットがNGにならないのか?まずは、東京では、マイナビ、リクルートなどは、中央の監督官庁と良好な関係がある。中央政府から出向してくる官僚たちには、富山の良さは、県内高校の卒業生の正規雇用率は日本一と部下にいわれると、なるほど、となる。

TMAとしては、まず、首都圏の生活になじめる人は、まず大企業にチャレンジしてほしい。そのとき、晩年、富山に帰っても寂しくないように、富山にも工場や支店のある日本の中核270社を目指してほしい。技術系なら、東京本社採用、富山工場への配属もある。製薬業でも同様である。日本の中核の270社は、難関校からでも難しい。郷土富山への貢献は、50歳代からでも遅くない。そこには、マネジメントの巨人たちのスクールが並んでいる。営業の技術も確立している。

問題は、難関校でない入学しても、卒業しても評価されない大学へ進学した組である。しかも、文系の学生である。さらに、グローバル化していない学生である。そういう学生は、ネット登録ではなく、富山のハローワークに相談してほしい。ハローワークには、ブラック企業のリストがデータとして完備している。マイナビ、リクルートなどのお世話になると、企業は君たちを採用したうえで、一人あたり80万円をマイナビ、リクルートなどのお世話する企業に支払っている。すでに、隠れた人身売買の対象となり始めている。

富山県内のハローワークは、とても優秀なので、県内高校卒業生の正規雇用率の日本一を達成している。君たちがお世話になるべきなのは、厚生労働省の機関である労働局のもとにあるハローワークである。足りなければ、技能の研修もきちんとしてくれる。コミュニケーションの能力に問題があれば、そこを助言してくれる。もちろん完全に無料である。大学生は、失業者ではないが、被雇用者でもない。だから、ハローワークの直接の支援を得るために訪問してほしい。高卒の段階で、県内企業へ正規雇用されないで、学内のキャリサポの弱い大学に進学したレベルの学生が、首都圏のブラック企業の罠にはめられる。3年以内に退職、諭されて富山のハローワークに相談にいくことになる。25歳では、正規雇用には遅すぎるよね。富山県内のハローワークは、とても優秀、それが県民性の優秀さと一体なんだ。

 

 


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「江蘇グループ」と「浙江グループ」との深い歴史対立

2015年08月16日 | Weblog

TAM講師代表の中国分析:「浙江人(寧波グループ)」のグローバル人材

古代史に詳しいかたなら、呉の国と、越の国が隣接しながら戦闘を繰り返した歴史をご存じだと思う。呉の国は、長江の下流の地域である。現在の上海は遅れて発展したが、呉の領域にある。19世紀から20世紀、国内移民が上海に集まり、江蘇省のなかでも上海は特別な行政単位となる。この上海の政治経済の主導権を握るために、江蘇人と浙江人とは、しのぎをけずる戦いをしてきた。さらに、中華民国の時代、軍閥政府は「江浙戦争」といって、本当に戦火を交えた。

江蘇人は、長江の北側の地区を含み、長江の南北で豊かさが異なる。長江の北側は比較的に貧しく、上海に移民しても低層の社会を構成した。浙江は杭州が中心都市である。南宋王朝の首都が、杭州にあったため、秀才が周囲に住みつき、以来、科挙試験の合格者を最も多く出す地域となった。そこで、古くからの呉と越との戦いは、官界でのライバル関係となった。

清朝の末期、日本の東京で留学生の団体でも、「浙江」派と「江蘇」派との競争が激しく、「浙江」派が革命運動をリードした。しかし、「浙江」派は、蒋介石政権の基盤となることで、第2次大戦後、急速に力を落とした。さらに台湾でも、蒋介石一派の影響力が消滅するほどに、浙江人の台湾政界での影響力は低下してきた。

特に、1990年代になり、江沢民政権、胡錦濤政権の時代は、「江蘇人」の天下となり、政権を利用した蓄財が横行した。この時代、雌伏してきた「浙江人」は、寧波市や温州市において、市場経済を活性化させ、経済界において大きく成長してきた。と、同時に、寧波グループの金融専門集団は、毛沢東の反右派運動による圧迫をうけ、一部がニューヨークに進出するなど、アメリカの商務、財務、金融界にこつこつと人脈関係を広げた。小平が1980年に改革開放政策を採用し、まっさきに「お詫び」の手紙を発したのは、「寧波同郷会」の対してである。米中関係の改善のためには、アメリカ在住の華僑・華人の経済力の中心にいる寧波グループとの関係改善が極めて大事だった。しかし、寧波グループは、「江蘇人」を重んじる江沢民、胡錦濤の政権とは距離をおいていた。

習近平は、彼自身は浙江人ではない。といって、北方の山西人でもない。彼が政界で力をつけたのは、浙江省の書記の時代である。非常に少数であるが、中国共産党内の「浙江グループ」に担がれた。習近平政権は、、北京では、中央党学校の「同窓」を活用した。その結果、習近平政権の中核人材は、中共の書記の「党人」色が強い。また、父親が人民解放の軍籍があり、大学卒業後、すぐに中央軍事委員会の書記に採用されていっるから、習近平の人民解放軍の軍歴の長さでは、晩年、人事権で人民解放軍を掌握した江沢民、胡錦濤の比ではない。習近平政権の人民解放軍の組織・人事の掌握力は、全ての権力の源泉である。

ここにきて、李克強よりも弱いとされてきた金融財政に関し、「浙江人(寧波グループ)」のグローバル人材を活用したことで、高度成長から安定成長への転換、さらに、汚職の原点が官僚行政の許認可権にあるとみて、市場による調整機能を重視することになった。この布陣は、日本経済にとり極めて厳しいライバル関係の緊張を高めることになる。これまでの中国政府では、金融財政の知財資本としては、日本からのパイプがある勢力に実権があった。

習近平政権では、新たに「浙江人(寧波グループ)」のグローバル人材を活用したことで、アメリカ連邦銀行やユーロー中央銀行に、さらにはIMFとのパイプを広げるであろう。日本からいえば、江沢民や胡錦濤は、ダマシが効く利権集団だった。しかし、今後は、1930年代の中国の金融界の大躍進、中国経済学の黄金時代の再来となる。「浙江人(寧波グループ)」のグローバル人材の情報力は、日本経済新聞社の情報力の程度をはるかに超えている。祖国・中国大陸を追われ、「ユダヤ人のような華僑・華人」として、寧波グループはきちんとした金融の世界水準の知識と技能を身に着けている。

中国の国内経済の不調が、「浙江人(寧波グループ)」のグローバル人材を活用となってきた。そのために、個々の局面では、日本は知識と情報でプロとしての敗戦が続くことを想定しなくてはならない。IMFにおける日本の優位が崩れたときに、日本は第2の敗戦を経験することになる。


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中国経済は、大崩壊するだろうか?

2015年08月12日 | Weblog

TMAの講師代表の専門研究:

新聞の書籍の広告をみると、中国経済が今から数年後に大崩壊すると予言する「不思議な専門家たち」を見かける。日本の出版界には、親中派と、反中国派とがある。この両極には、数千人もの固定客がついているから、センセーショナルな書名や、広告の本が売れる。それだけの話である。

経済の安定性は、通貨の価値の維持が「合理的に期待できる統計学的な根拠」の裏付けを必要とする。「中国人民元」は、国民総生産の総量において、世界で第2位の経済社会での使用価値をもっている。「人民元」による購買力において、外国の企業の魅力は、過去は安くて優秀な労働力を活用することができたためである。しかし、中国の国内賃金水準は、年々、向上している。中国から、日本に「外国人教師」として出稼ぎに来た場合と、北京で「国内教師」として1年間、働いて得られる実質所得は、ほとんど変わらない水準になっている。日本は、税金がやたら高く、社会保障の分担金が多いためである。

つまり、中国は「税制が未発達」であるという不思議な「指令型経済原理」の国家である。個人消費が国民経済の主体であるという認識が確立していない社会である。ここに、中国経済の伸びしろが隠されている。安い労働力が魅力で中国市場を利用する製造業には、その限りであれば、撤退を余儀なくされる。個人消費が国民経済の主体であるという認識で、中国の消費市場に外資が本格的に参入する時期にきている。

国営企業の設備投資が経済成長を牽引する「指令型経済原理」は、S字型の需要飽和の曲線のトラップにはまり、経済成長率が鈍化している。しかしながら、道路網などの高速自動車での輸送網が充実した結果、開発の遅れた内陸の奥地にも、産業新都市が誕生している。ただし、沿岸部の船舶輸送の効率に比べると、経済の内陸化は、ロジスティクス・マネジメントの効率が低下する。そのため、経済成長率は各年に低下する。その反面、奥地と沿岸部との個人所得の格差や、地域のインフラ整備の格差が狭まる可能性がある。成長率が低下しながらも、奥地の地域経済にとり画期的な成長のトレンドが生まれてきた。それは、陸のシルクロードである。ユーラシア大陸の内部へ、モータリゼーションの波を波及させ、ユーラシア大陸のロジスティクス・マネジメントの効率をたかめる作用が生まれている。これには、相当に巨額な「長期的で、低金利の開発投資」が必要とされる。

そのためには、中国経済は沿岸部の経済の「海洋化」と同時に、貧困な農民層の多い奥地開発のための開発投資の膨大な資金を必要としている。ところが、アメリカ、西欧、そして日本は、ユーラシア大陸の内部のモータリゼーションの波には地政学的にあまり興味がない。「海洋中国」と「内陸中国」とがめざす対象も、「太平洋」地域と、「インド」「中東」「東欧」と異なってくる。歴史的にイスラムと戦争し勝利の経験があるのは、ロシアと中国である。そのうち、中国は負の遺産が少ない。イギリス、アメリカに代り、中東イスラム社会から戦争原因を除去するには、中国のユーラシア大陸内での陸上戦闘力と外交交渉力にかかっている。

中国経済が大崩壊すると、世界は大不況となる。そればかりか、中東イスラム社会に対する「国際連合ルール」の適用において、新たな期待可能性をもつ中国の道路、鉄道、水道工事の産業戦力が活用される時代がくる。ゴールが、人類社会としての一体性確保という出口を妨げない議論は、アカデミズムとしては欠かせない条件である。

 


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