富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

富山大学が、日本一になる道筋は、営利・非営利のドラッカー経営学にある。

2016年05月31日 | Weblog

TMA講師代表:個人研究

アダム・スミスは、市場の需要に応じる供給側の専業・分業化の発達が、国民総生産の増減のカギだと理解している。そして、彼は地代やその他の資本財の法的所有権からうまれる利益よりも、供給側の専業・分業化による市場サービスの高度化が、国民総生産の年々の増減率に関係してくると説いている。ここに、国民総生産と企業の業績とのマクロ相関があるので、経営学は、経済学の隣接科学となる。これを論理的に最初に説明したのは、アダム・スミスである。

ドラッカーは、アダム・スミスにける経済学と経営学との関係をきちんと消化している。だから、「資本主義社会」とか、「資本主義経済」というような包括的な定義をしない。あるのは、「資本を所有する階級が主導権」をもった初期の産業社会(工業化社会)の段階から、資本をマネジメントする専業化したマネジャーが主導権を持ち、国民経済をリードする社会へのゆるやかな時代の移行という歴史観である。つまり、現代はポスト・キャピタリスト・ソサエティの時代である。

誰もがマネジャーになれる世界は、実は、地球上では、中国、韓国、日本にしかない。それは、中国の科挙制度の伝統、つまり、学習者のなかから国家のマネジャーがうまれると想定した「孔子の儒学」こそが、経営学の原点である。孔子には、国民総生産の概念が存在した。馬車による戦車の数量で、その国の国力を評価する尺度をもって語っていた。その場合、兵士たちが国を守るために、国に忠義を尽くせるのか、そこに儒学によるマネジメント教育の基礎をおいていた。

孔子の学は、国家学に収れんする。その学を企業の世界に移植したのが、渋沢栄一である。したがって、渋沢栄一からドラッカーへという道筋となると、中国と韓国とは、脱落する。大学入試で、全国有数の学力をもち、アメリカの大学に留学した人材のみをマネジャーとする体制へと、韓国は突き進んだ。これでは、国民国家としては完成しない。

しかし、経営学は顧客価値の創造という命題をもつことで、人間の欲望にひそむ心理要員を分析するなかで、ゲーム理論との関係性を深めた結果、人間総合科学のステージで、学問の諸課題が分散しやすい状況で、それを総合化する役割をもつのが経営学である。総合大学は、経営学の手法で統治されなくてはならない。ところが、日本の大学はそこまで進んではいない。学問のリーダーが大学のリーダーである保証はない。京都大学は、前者。大阪大学は、後者。東京大学は、今はどちらでもない。

小生は、富山大学には、全学部の教授・院生・学生が経営学を真摯に、謙虚に学ぶことを提言している。官僚的な統合ではなく、全員がメネジメントの主体となること、つまりドラッカーの営利・非営利の経営学を身に着けることだと推奨している。それに成功した日本の大学はない。共通教養のコアーに経営学をおくことをお勧めする。


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中国共産党は、南京事件の被害者ではない。傍観者だった。

2016年05月28日 | Weblog

TMA講師代表:個人研究「中国共産党は、南京事件の被害者ではない」

アメリカ大統領のヒロシマ訪問にかんし、中国の 王毅 ( ワンイー ) 外相は27日、記者団に対し、「広島は注目を払うに値するが、南京は更に忘れるべきではない」と述べたそうだ。 解説によると、旧日本軍によるいわゆる「南京事件」を指す発言とみられ、日本が「戦争加害者」であることを改めて印象づける狙いがあるようだ。王氏は「被害者は同情に値するが、加害者は永遠に自分の責任を回避することはできない」とも述べた。

歴史家として、重要な指摘をしておきたい。それは、中国共産党は、南京事件の被害者ではなく、漁夫の利をえた傍観者であったことだ。当時、中国国民党と中国共産党は、西安事件を契機に、第2次国共合作に入り、盧溝橋事件の段階では、中国国民党と中国共産党とは、基本的に和解していた。そのため、国民党蒋介石政府は、日本軍の南京占領を予想して、南京の監獄から、中国共産党の党員、支持者の政治犯を釈放し、中国共産党の周恩来に引き渡していた。

日本軍の南京占領において、一番に厄介な占領地の統治問題は、刑事犯を収容する監獄の処置である。中国国民党は、日本軍の南京占領に備え、長江の上流の都市、武漢に移転を済ませていた。中国共産党も武漢に連絡事務所を開き、抗日戦争を国民党と協力して遂行する準備を整えていた。

従って、南京市民の無差別、大量虐殺を意味する南京大虐殺事件が存在したならば、当時、武漢の中国国民党や、中国共産党の機関紙において、「大虐殺」の報道が行われていて当然である。しかし、限られた調査ではあるが、同時代、同時期の政党機関紙には、決定的な報道記事や、政党の声明文はない。ただ、蒋介石政府は、30万人の将兵の死傷があった、と声明した。むろん、日本軍の兵士による蛮行は、情報として伝えられている。

蒋介石軍は、南京市民の防衛に果敢であったため、日本軍は苦戦する。やがて、国民党軍は、南京城の長江に面した渡し場から船舶で武漢に逃亡しようとした。こレに対し、軍民に無差別の集中砲撃を加えたのは、日本海軍である。逃亡の必要のない南京城内の住民は、そこには含まれていないと思われる。また、陸軍は南京の監獄に収監された服役囚人を殺傷処分した。その監獄の跡地に建てられたのが、南京大虐殺記念館である。ここには、誰も否定できない虐殺が存在した。また、補給線が続かない日本軍では、一部の兵士に略奪・暴行を制する規律が欠けていた。明らかに蛮行は証明されている。

しかし、私は歴史研究のため、南京を訪問し、「30万人虐殺」という表現は、「政治の作為」という証言を得ている。その後、上海図書館で、30万人虐殺説の根拠とされるスマイス報告への疑問と批判を述べたビーツ報告を発見し、「日中戦争を読む」という著書に原文を収録している。少なうとも、中国共産党は南京事件の被害者ではない、これは史実である。王毅 ( ワンイー ) 外相が、核爆弾のもつ無差別殺人がもつ人類史における意味と、「南京大虐殺」シナリオを対置させた時点で「狂気」を感じる。中国共産党が、核兵器無き世界へ導く大国、強国の度量がないからである。周恩来の思想を学びなおしてほしい。「周恩来伝」の日本側の訳者の一人として、王毅 ( ワンイー ) 外相の不勉強を嗤いたい。

日中の友好は、周恩来への日本人の敬愛から生まれている。王毅 ( ワンイー ) 外相は、周恩来の度量、勇気を備えていない。蒋介石も周恩来も、孔子・孟子に基礎教養があった。王毅 ( ワンイー ) 外相には、孔子、孟子がなく、荀子と孫子がある。謀略的な南京事件の利用は、最後に歴史家はそれを暴くことになる。それに反し、オバマ大統領は、歴史の真実にあくまでも忠実である。原爆被害者の目線で、22世紀の世界を考えた指導者として、アメリカという国家の尊厳を理性的に表現した。世界は、中国共産党の「今」を選ばない。

彼らの「今」の歴史観には正義も人道もない。周恩来の時代には、それがあった。周恩来は、武漢で南京での日本軍の蛮行を風聞しているが、「30万人の市民の虐殺」という認識で、抗日戦争のための政治宣伝を行っていない。「演劇」という形で、抗日戦争への中国民衆の啓蒙に力を入れていた。蒋介石も、「市民30万の虐殺」とは述べていない。「将兵30万人の死傷」と述べている。無論、南京監獄の囚人に対する占領地行政を誤った日本軍には大罪はある。

 

 

 

 

 


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政治の狂いが、市場経済の変調を増幅してきたぞ。

2016年05月27日 | Weblog

TMA講師代表:個人研究

現代の経済は、指令型経済原理である財政の力と、市場型経済原理である銀行通貨の力との均衡と調整に支えらている。特に、市場型経済原理により変化する「大衆消費市場」が、市場経済原理の枠組みを超えて、指令型経済原理を動かす力を持ち始めている。それが、大衆による国民投票であり、選挙である。世論の誘導、それ自身が「市場原理」である。多数が心理的に好む方向へと、メディアを誘導することに成功すれば、そこから指令型経済原理の優位性も出てくる。

政治の狂いと述べたが、大衆の狂い、でもある。目先のことしか考えられない。感情的にしか理解できない。世界の歴史をみると、中世的な世界から近代世界が生まれたのは、カトリックの貴族から、市民社会が生んだ市民型の貴族、紳士の力である。しかし、現代では、市民社会が生んだ市民型の貴族が消えかかっている。それは、IT革命の流れに乗り損ねたからである。IT産業革命により、新貴族が生まれたが、それは大衆市場を基盤として成立するから、大衆の熱狂が活性化の母体となる。

そもそも、経済学という学問は、市民社会が生んだ市民型の貴族、紳士の道徳心を社会科学としてきたものである。本来は、マクロ経済学である。それが進化し、市場という均衡・調整の磁場の発見とともに進化し、消費者の行動をゲーム理論で解析するようになる。この手法が、選挙という政治の世界に持ちこまれてきた。

投票態度を最後まで明らかにしない「無党派大衆」の狂いが、政治を暴走させ、指令型経済原理に歪みを与える。土着への愛は、大衆政治の基本である。だが、それを排他に導けば、ある程度の集票は可能である。「無党派大衆」が、グローバリズムに傾くか、土着への愛に傾くのか、その僅かな差異が、実は市場経済原理の均衡調整の機能まで奪いとる。


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ブラック企業とホワイト企業に分ける思考のお粗末さ

2016年05月23日 | Weblog

TMA講師代表:個人研究

このごろ、企業をホワイトとブラックとに2分割して、レッテルを貼る風潮がはなはだしい。まず、2分法の思考は、大学教授としては、学生に教えてはならない思考法である。現代科学は、複雑思考が要求される。また、伝統的な儒学では、中庸が求められる。右の極端と、左の極端を避け、「ぴったり適切」なポイントが中庸である。それはさておき、白か黒か、これで企業を見分ける方程式を東大教授が編み出したらしいが、深く考えられない学生には、単純な判別という安易な判断で十分だと錯覚させる。

例えば、伊藤忠に勤務し、外国為替相場の係わる企業資金の管理を担当すると、夕方に出勤、午前に帰宅という夜間勤務が強いられる。では、伊藤忠はブラックといえるのか?

労働条件の良しあし、労務管理の適正さは、各地にある労働局がデーターを把握し、極端な事例は淘汰される。労働条件だけで考えるのは、学生アルバイトの思考法に過ぎない。大学教授も、学生アルバイトの経験はあるが、企業での就業経験をもつ方は、極めて少ない。だから、学生のアルバイトが抱く企業観は、学生アルバイトの労務を要する極めて限られた職種、そのような分野の企業にすぎない。

ホーム・ページに掲載されている情報から、経営学の基本的な実践者である企業か、どうか、それを判別するには、読み取る側に学力と技術がいる。それが読み取れない学生は、自分の頭のなかがブラック・ホールだと言われても仕方がない。

あとは、有価証券報告書を自分でネットで探せる知識だ。そのうえで、企業の自己資本利益率を分析すればよい。こうした頭脳がクリアーな学生に入社希望される企業には、きちんとした未来への設計図がある。

 


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「博士号」の仕組みとその価値

2016年05月21日 | Weblog

TMA講師代表:個人研究

日本銀行の政策委員の2名が、学歴詐称ではないかと、疑われている。

まず、率直に申し上げたい。小生も博士号を保有している。博士論文の要旨もネットで公表されている。正式には、「博士(大阪大学、文学)」である。得をしたことは、ほとんどない。が、民間企業で働いたとき、大阪大学からの学位なので、北陸の大阪大学OBには親しくして戴いた。しかし、それは大阪大学ブランドの価値にすぎない。「博士号」を取得しているか、否かは、実は、メディア、出版会では、全く関係がない。日本銀行の規定で、「博士号」の所有者に限定した文言があるなら、かの2人は、学歴詐称となる。

大学院の博士後期課程のゴールは、① 単位を修得しないで退学する、② 単位取得して満期退学する ③ 単位取得後に決められた年限以内に博士論文を提出し、博士号を授与される「課程博士」で完了する ④ 旧制度の「論文博士」の所得者である。小生の場合は、①と④である。だから履歴書には、文学修士と書いて、富山大学の就職した。④の博士号の取得は、50歳である。

②の人が、「〇〇博士」と自己申告の履歴書の記入すると、学歴詐称として法的な制裁の対象となる。第三者が、まちがって単位取得者を「博士号」の所有者として、ホームページに載せたとすると、それは人事の事務のミスである。博士号には、授与の番号が個別に振り当てられているから、発行機関で確かめられる。

さて、④の論文博士だから、③の課程博士とは格が違いという気持ちは全くない。問題は、その博士論文そのものの価値である。その評価である。それと、使用言語である。翻訳されて、その分野の研究の聖地での評価である。幸い、上海の華東師範大学の客座教授という名誉称号を得た。

けれども、大事なのは、「博士号」取得後の生き方である。小生は、奨学金、研究費、人件費など、国からの補助金、「りそな銀行」からの研究助成など、積算すると1億円に相当する支援を受けている。なんとしても、その金額では及ばないにしても、納税者の主体である民間企業に恩返しをしたいと思っている。学歴詐称も悪いが、それ以上に、自分だけの能力で学位取得したと思い、社会に還元しない生き方の方がはるかに難病である。小生は日銀の岩田某氏には何のご縁もないが、社会貢献はゼロとか、マイナスとは思わない。問題は、彼の学説が人類社会に貢献できているのか、否かである。国際学会で評価されていない日本の大学のアカデミズムの価値観で、日銀の岩田某委員を虐めるのは、品が悪すぎる。

以下、6月21日に公表された事実確認です。

 日本銀行は21日、岩田規久男副総裁と桜井真審議委員のホームページ上の経歴を修正したと発表した。ともに東大大学院で博士号がないのに「博士課程修了」と記載しているのはおかしいと国会で指摘されたのを受けて、「博士課程単位取得退学」に直した。

 文部科学省の省令では、必要な単位を取得し、博士論文の審査や試験にも合格することが「博士課程修了」の要件だと定めている。


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富山県の優良な金融企業

2016年05月21日 | Weblog

TMA講師代表:個人研究 

最近、就活の世界では、最優良の北陸銀行の評判が悪い。それには、このブログに一端の責任があると思う。しかし、就活生が楽して、老後も安泰な、安定した優良企業にさえはいれば、もうけものという親の不勉強の影響を受けているからだ。親の世代は、終身雇用、安定した年金の制度の恩恵を受けているから、優良企業へのもたれかかりが楽だ、得するという人生観に満たされている。

そこで、県内かせいぜい金沢くらいに店舗のないT銀行とか、D銀行の人気が強まっている。信金は、銀行よりレベルが低い、と思っているのも、T銀行、D銀行の人気を高めている。まず、北陸銀行は、幕末から蝦夷の地の移住し、殖産に励んだ「越中組」が、北海道で成功したので、北海道に大きな営業資産がある。そのため、北海道の銀行と提携し、持ち株会社である「ほくほくフィナンシャル」の参加にある。ランクは、メガバンク3行、りそな銀行の次の都市銀行という格の違いがある。単体の北陸銀行の保有している預金残高は、T銀行、D銀行とは、桁数が違う。

さて、ここで問題です。富山県の人口は、統計学からすると近い将来のは80万人に20%減少します。このような厳しい経営環境に耐えられるのは、経営資源である金融機関としての格付けと内部人材を伸ばす人事部の力です。T銀行、D銀行は、地域金融の限定すれば、経営者は優良ですが、表に出にくい本店人事部の総合力では、格段の差異があります。

最近、T銀行、D銀行は、株式市場に上場しました。流通する株式の総数が少ないので、高い水準で取引されています。それに反し、「ほくほく」は130円台に低迷しています。それで、T銀行、D銀行の就活生の人気は高いのですが、少し勉強している人ならば、株式の上場は現在の経営陣には、多額の利益を生み出すのですが、将来的には、企業買収の対象として、まな板に載せられたことになります。つまり、ごく最近、T銀行や、D銀行に入行したひとが、役職の年齢の達したとき、買収される側の銀行になるわけです。その時、預金残高、融資残高の大きい方が小さい方を吸収する構造になります。だから、例えば、富山大学の経済学部の就活生なら、T銀行、D銀行はレベル的には手ごろなのですが、30年後、50年後となると、県域内の銀行は企業買収の対象となりやすい銀行でもあるわけです。すると、県内金融に貢献したいとなると、信用金庫が最適となります。金沢星稜大学は、信金への就業をとても重視しています。男子学生は、北陸銀行ではムリなので、男子にも信金への就業を勧めておられます。北陸銀行は、金沢大学からの採用に全力を尽くされています。銀行は、行内の派閥が学閥の同窓会の形をとるので、富山大学経済学部の男子は、全国どこにもある信金に注目するべきでしょう。

TMAの富山大学寄付講座では、富山信金、高岡信金をお招きします。5月25日、6月1日に、経営陣の講義があります。中小企業の支援に特化した地域金融機関である信金こそ、国策としての地方再生の要となります。


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1930年から2050年までは、日本歴史の<異常期>

2016年05月13日 | Weblog

TMA講師代表:個人研究

関東大震災において、江戸時代を底辺で支えた町人の律儀な社会道徳感が失われ、さらに、移民労働力である朝鮮族を迫害する「日本国民」が登場する。この関東大震災の復興過程で、財政、金融の政策を間違えたことが、日本の歴史の異常化の始まりだった。世界的には、第一次世界大戦の戦後恐慌をいかに克服するのか?この命題に正確な答えを導いていたのは、上海に在住していたアメリカ人である。彼らが孫文を動かし、上海の銀行界を動かし、アメリカ政府が緊縮財政をとるのを批判し、中国市場への投資が、世界恐慌を回避できると考えた。当時、世界には、金融の中心都市は、ロンドン、ニューヨーク、そして上海の3都市があった。東京は、第4位か、第5位か、上位3位ではなかった。それが、関東大震災により、銀行経営は、さらに困難になった。その時、財政の均衡を目指しすぎて、1929年恐慌の波をうけた。日本は、必死に金ゴールドの塊を正式な国際通貨と考え、世界の本位制の廃止の流れに乗り遅れた。ケインズ経済学の導入が極めて遅れた。

日本の国力の崩壊は、地震とその後の金融財政の理論的な瓦解による。そして、タイミングを間違え、古典的な帝国主義の領土拡張に活路をみる戦時経済体制へと国債を増発し、破滅に向かった。ここで、異常な戦争遂行のため、昭和16、17年のベビー・ブームの先駆けがおこり、そして敗戦後、さらに異常な人口増が起こった。

日本が外国に占領されるという異常な敗戦により、基本が無茶苦茶な、国民教育が行われた。スキをみて、他人の食べ物を奪わないと餓死する、という恐怖におびえた時代だった。江戸時代に養われた日本人の律儀な社会道徳は、一気に瓦解した。それでも、子供だけは大事にするという社会慣行が救いだった。日本に人口構成が異常になり、その余剰な労働力をうまく生かした大量生産の工業化社会のお陰で食いつないだ。だが、団塊の世代は、IT情報化になかで、社会のお荷物となりはじめた。巨大な年金受給者という「国民的な負債」は、今後の生産労働人口に委ねられている。

僕もそうだが、この年金受給者が異常に多い時期は、2016年を起点とすると、24年後には、1945年から1950年に生まれた世代は、100歳を超える。そうなると、ようやく1930年からの異常な「人口の塊が生んだ資産と、同時に、積みあがった負債」が消える。これからの24年、日本人がどこまで賢く生きられるのか、それは、全ての次元で「経営学を学び、活かし、経営学の言葉で語る文化」が必要である。

皇室、憲法、議会、大学院、病院、地方自治体、・・・家計、個人の小遣いに至るまで、経営の哲学と経営の情報、経営の技法に長けることである。どうやら、そういう方向へと日本全体は動いている。


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環日本海主義は22世紀の課題:今世紀は、アメリカ重視が得策

2016年05月07日 | Weblog

TMA講師代表:個人研究

私事で恐縮であるが、本来の専門は、中国の孫文の研究である。言い換えると、孫文を素材とする国家経営の戦略論を勉強してきた。そのため、中国の伝統社会の研究と、新しい銀行、証券、債券の市場、さらには、経済学説の研究と、・・・孫文が目を向けた課題につき、近代日本と並走する近代中国の歴史をながめてきた。32歳で、大阪大学文学部助手から富山大学の講師・助教授として赴任、そこで富山県史の編纂に関与。爾来、先輩諸氏の「環日本海主義」を尊敬してきた。しかし、孫文が一番に重視したのは、アメリカ市場であるという事実と対比すると、環日本海主義は、近代日本の日露戦争神話に由来する「辺境局地」理論に過ぎないとわかる。環日本海主義に熱心なのは、戦後の富山人である。だから、富山大学の初代の学長も、東洋史学者で、環日本海の専門家であった。北朝鮮との地理的な距離の近接は、いまや軍事的な脅威のみ、というマイナス要因である。

東京の中央から見ると、富山という地方は、日本海側の中心都市だから「北東アジア」に眼をむけるべきだ、とされてきた。富山大学の人文学部にロシア語、朝鮮語、中国語があるのは、時の文部省の高官の行政指導を受け入れたからである。かといって、環日本海学が成功したわけでもない。理由は、英語に比べて、ベースとなる言語学の分析理論が低く、ロシア文学、朝鮮文学、中国文学という「文学という政治性」のある学問に引き込まれたからである。語学教育は、文学研究者は最適の教育者にはなれない。純粋な比較言語学者でないと、教育のプログラムは成功しない。言語学は、言葉の数学である。

中国語は、英語に近い、と信じる人が圧倒的に多数である。しかし、実は文法構造は、日本語に極めて近い。動詞の目的語が、動詞の後にくるではないか、という反論もあるが、実は目的語を強調する場合、「把」という語を用いて、目的語を動詞の前におくことができる。構造文法的には、主語と動詞の緊縛はなく、主語は話題である。述語は動詞、形容詞、名詞+助詞と、主述関係をまるごと述語にできる。「その件は、僕は研究してない。」は、英語の文法論だと、動詞からその動作主を割り出すから、「僕は」が主語になると思いがちである。漢語では、話題主語であるから、「この件は」が文全体の主語である。

実は、幕末の富山藩の藩校では、漢語の構造文法を理解し、英語にそれを応用した変則英語という速読法が発達した。これは、稀にみる地域の国際化のタネである。富山の真の高等教育は、ここから生まれた。旧制富山高校の初代の校長である南日恒太郎は、その種から開花した「華」である。「環日本海主義」は、富山高校の側にはなかった。富山大学に「環日本海主義」を持ち込んだのは、旧制の高岡高等商業学校の系譜である。それは、当時の軍国日本の系譜でもある。僕が神戸での仕事を終えて、晩年、<英語版の富山県史>を編纂しないかと、高井進先生に進言した。言下に拒否されなかったが、「環日本海主義」「日本海を平和の海に」という先輩の流れは壊せないといわれた。

孫文の代表作は、拙い英語で書かれ、妻の宋慶齢が英文タイプで浄書して原稿がかかれた「中国の国際的発展」、のち漢語訳され「実業計画」となるプランである。アメリカの余剰資本を中国市場に投下しないかぎり、第一次世界大戦後の戦後恐慌による大不況は避けられないというもの。上海のアメリカのの商務領事から本国政府、財界に送付される。それが転機でとなり、中国経済は特に上海市場は、アメリカ市場とリンクし、日本経済は、逆に、日本海主義へとのめり込んでいく。日本海主義は、軍国主義のマイナス遺産である。

今の日本経済の強みは、戦後、ソニーの盛田昭夫さんたちの奮闘により、アメリカで日本村を構築し、アメリカ経済の「太平洋化」を促進したからである。中国もその流れに乗って、大きく経済成長した。実は、中国は、割の悪い、リスクの大きな製造業の捨て石を国際分業しているにすぎない。唯物主義なので、鉱石から素材を取り出す粗加工業なので、規模は大きくても粗利は低い。中国も、製造業の世界で、ドイツ、日本、アメリカと肩を並べ、あるいは3国より上に行く可能性は極めて低い。なぜなら、文官官僚になる文科挙の伝統が再生され、産業技術に生涯をかける理工系の人材が社会的に2流とされる風潮が残っているからだ。中国の伸びに期待をかけて、日本海政策の拘泥するのは宜しくない。しかし、正面から中国にそのように対処するのは誤りである。「親中国」は、中国を安く買いたたく大人の戦略である。「環日本海主義」は、100年債だと理解すればよい。10年債と時間軸では、アメリカ市場により神経を集中するべきである。

 

 


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国内市場の内需には限界<<

2016年05月06日 | Weblog

TMA講師代表:個人研究

このところ「地方創成」という言葉が消えかけてきた。それに代わる「一億総活躍社会」もすでに死語になりかけている。人口減の国内の市場にだけ目を向けておれば、マイナスがマイナスを呼び込む負の連鎖から逃れられない。地域の人口を増やそうにも、域内の総生産には限界があるから、県全体が「限界型の県政」となるのは必至である。

こうした手づまりを打開するには、どうしても富山の企業が海外市場での供給拠点を拡張していかなくてはならない。県内での内需の拡大を目指すにも、トヤマの場合は、滞在型の観光拠点が一年間、持続的に維持できない。立山の観光も、黒部峡谷も地域限定、五箇山もキャパシティが小さい形で均衡する。だから、観光立県は無理である。むろん、地域型の観光により中高年の地域の遊休労働を活性化することは、それなりに必要である。

そこで、どうしても海外に販路をもつ製造業の発展に、老後の安泰な生活基盤のもととなる原資を求めなくてはならない。そのようなビジネスモデルの典型が、YKKさんである。「黒部事業所でしか製造されない機械」を用いて、海外の需要家の工場の隣接地で、「サプライヤー」として最終製品を完成させ、納品するというビジネス・モデルである。

ある種の自然現象として、ベトナムにも富山村が、タイにも富山村ができるそうである。これは、海外進出した企業の海外駐在の社員の望郷の思いがそうさせるのかも知れない。これは、中華人の世界でも共通の現象が古くからある。「客桟」といって、ホテル業・倉庫業・両替業・交通手配などを、全て郷土人のためにやるビジネス拠点である。だから、広東商人は、全世界のこのネットワークを広げている。寧波商人は、海運業の強く、世界の港町の同郷人のためにサービスをする「客桟」、今ではホテルを持っている。中国国内でも、有力な省政府は、主要都市に「福建会館」とか、「江西会館」とか、招待所のネットワークをもっている。

地域経済がグローバル化している以上、富山市とか、射水市などの基層自治体の経営のほかに、政策官庁としての富山県は、まず、総合的な工業会の組織に再編し、同時に、特にアメリカの各地に「トヤマ村」のネット・ワークを確立する必要があると思われる。当然、県立大学も国立では不可能な、海外分校を構想する段階にきている。公立大学法人は、株式会社方式で、私立のセクターを経営し、海外分校を創ることが可能である。


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富山の優良企業:スギノマシーンへの夢

2016年05月04日 | Weblog

TMA講師代表:「富山新聞」が、2016.5.4の一面に「高圧水洗浄機を増産」という見出し、「米自動車大手から受注拡大」とサブタイトルをつけて、報道している。高圧洗浄機の写真まで掲載されている。こういう記事は、一般には2面か、3面におかれるものである。憲法問題は、2面に送り、一面の左上にスギノマシーンの記事をおくセンス、このあたりが、富山マネジメント・アカデミーが「富山新聞」の紙面を推す、大好きな理由でもある。

このブログでは、すでにスギノマシーンさんは、「富山の優良企業」でも紹介し、推奨してきた。まず、世界でオンリーワンの技術が、高圧水による切断である。今回、アメリカの自動車メーカーから大量の受注したため、増産体制にはいるという記事である。

これまで、スギノマシーンさんを技術のオンリーワン性で、誉めちぎってきたが、ここは、少し辛口のコメントが必要であろう。

まず、統合ロジスティクス・マネージメントの経営が確立されておらず、いいものを創れば、きっと売れる「モノづくり」宗教の信者にとどまっていることである。新聞記事では、「新たな生産スペースを確保」するために、工場の隣接地の大型の部品置き場を新設するという内容である。記事では、不明であるが、最終の完成品をライン生産するのか、いくつかのチームでセル型生産をするのか、それで大きくコメントが変わってくる。

ライン型であれば、部品置き場とラインの距離と配置には疑問が残る。セル型であれば、チームが部品置き場から1台単位でキャスターに積み込み、組み立てる工房でくみ上げる。おそらくセル型の生産方式だと考えられる。新聞社の経済部の記者の目は、どうしても、もう一歩先を現場取材で読み解けていない。

さて、問題はマシーンの組み立てをラインであれ、セル型であれ、アメリカの自動車メーカーの部品の流れにマシーンを供給するならば、増産体制を敷いても、受注量の上限がみえているスポット需要である。そのため、滑川で完成品として完成させ、単体ごとに梱包包装し、横浜、名古屋などから船で輸送し、アメリカ西海岸に到着、そこから陸送で、東海岸に近いアメリカ車の生産拠点に運ばれる。この大量受注が、一過性だとすれば、実は無駄が多いが、完成品を富山で仕上げ、後は日本通運、日立物流などに任せる方式は、それなりにワンサイクルのビジネスで終わるだけである。富山の機械メーカーの限界は、キタムラ機械でも同じだが、完成品で出荷するから、ワンサイクル・ビジネスを繰り返すことになる。キタムラ機械もスギノマシーンも、このシナリオから脱皮しないと、DMG森精機の水準の工作機機械のメーカーには成長できない。トヨタ生産方式の逆では、大きく伸びる可能性は少ない。

① 需要家の隣接地で生産するYKKのファスニング事業のビジネスモデルを学ぶべきである。そのため、アメリカに「富山村」を創るべきである。

② 人材を供給する富山大学、富山県立大学は、エンジニアに、英語の時間に英語を学ばせる以上に、アメリカでの現地労働者に技術を教えるエンジニア育成に取り組みべきである。アメリカに姉妹州を選び、県立大学工学部の海外分校を開設し、キタムラ機械、スギノマシーンをアメリカ市場で育てていくべきである。

③ 富山県は、海外生産してはいけないコアー技術の基幹部材を航空貨物として、アメリカの生産基地に届けるようなロジスティクス研究をするべきである。

④ 富山県は、富山の産業のために、アメリカ市場での最終製品の組み立て拠点をつくるため、環日本海主義は凍結しているから、対米を重視するべきである。

⑤ キタムラ機械、電動型の7軸の工作機では世界オンリーワン、スギノマシーンは高圧水による切削・研磨で同じく世界オンリーワンである。YKK型の生産方式で伸ばせば、野球でいう2番、3番のバッターに育つ。4番、YKK.5番が、医薬品製造。

 

 


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日本国憲法は一度も国民投票の洗礼を受けていない

2016年05月01日 | Weblog

TMA講師代表:個人研究

日本国憲法は、アメリカ占領軍に国家主権を委ねた敗戦の産物に過ぎないのは、歴史事実である。これに対し、自主憲法であると「護憲派」は主張するが、それでは、どんな改正のための法的な形式合法はどのようになされたのか?ここは、国民にある秘密を隠している。それは、現行の憲法は、明治の欽定憲法の改正手続きにより改正され、日本国憲法は、天皇により公布され、発行されていることである。つまり、明治欽定憲法は、連合国の占領を受けた時点で死文となったが、唯一、旧憲法と新憲法との継続の整合性をたもつために、明治欽定憲法の改正条項により、天皇の発議(内閣の助言)により国会の議決をもって新憲法が生まれた。国体の継続性のための特殊な知恵が作用していた。

そのため、日本国憲法は「主権在民」憲法でありながら、天皇が国民に主権を渡しながら、一度も、国民投票による国民の直接選挙による憲法の条文改正への意思決定が回避されてきた。その後、首相は国民投票で直接に選ぶべきだ、という首相公選論も阻まれてきた政治土壌とも共通するものがある。

明治以来の政党政治の側に、実は、国民不信がある。国民投票で真を問うなら「代議制民主政治」という制度が、従属的なものになるからだ。議院内閣制では、代議士に大きな権威と国民に対する指導力を与えていることを意味する。だから、明治欽定憲法が代議士に与えた政治的地位は、明治憲法から天皇主権が失われた結果、代議士が主権となり、つまり、間接民主主義の優位性が国家の体制となったからだ。

「改憲論」も「護憲論」も、最重要なことは、国民の直接選挙で決めるという政治土壌を強くするよりも、代議士を主権者の代行者とする、、つまり、代行民主主義の優位性が保たれるほうが利点があるという暗黙の了解にうえに成り立っている。

だから、「改憲」も、「護憲」も、「論」として空中戦争をしている状態が、代議士を主権者とする「政党による主権国家」という議事堂の同業組合が保たれる。その前提として、国民は一時的な感情や空気にながされ、国民が正しい審判をするわけがない、という政党の側の暗黙の了解がある。なぜなら、どの政党も間接民主制に選挙で「敗戦」を経験しているから、「政党」の魂としては、「実は国民感情は当てにならない。国民は間違った判断を下す時がある」という暗黙知によりかかる。本質は、主権在民は建前で、選挙は、マーケッティングの手法の優劣によるゲーム型の政治となった。その結果、国民も責任をとらないで、首相を交代させて、気分を一新する明治の憲法政治のコアー部分が、暗黙知として、21世紀の日本も縛りつけられている。それでも、過去の代議士には、儒学的な教養があった。保守党には、、まだ幾分かは、派閥の歴史のなかに、その名残りはある。その派閥から、そろそろ憲法を国民投票の洗礼を享けさせ、日本国民の意思を再統合したらどうか、そういう儒教的な教養のある提案が、いまの改憲「論」には含まれている。


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