富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

北陸電力の原発再稼働への条件≪再追記≫

2016年01月30日 | Weblog

TMA講師代表の個人的な見解:あくまでも個人的な感想にすぎません。

原子力発電は、万物の最大の危険物だと思い、生理的、感情的に「核アレルギー」をもつ人々の素朴な感情を蔑視したり、それを論外だと斥けてはならない。これは、大原則である。それが多数派であろうが、少数派であろうが、論理で説得できない相手を軽蔑すると、逆の過信に陥る。日本人の原爆体験の追体験は、戦後の教育の中心にあり、感性化された「核アレルギー」をもつひとびとには、それなりの感情がながれている。論理を用いる説得や、意識の変革は不可能である。

ところで、安全なエネルギーとして、水素による大規模発電の技術は、川崎重工によりすでに開発されており、2060年くらいには、水素の利用が大きく成長しているっだろう。水素はなじみやすい元素である。元素の基本形である。そもそも、生理的に嫌悪される放射性の物質ではない。

水素社会が可能となる2060年に至るまでに、原子力発電を「卒業」するプログラムを創らねばならない。水素を主なエネルギー源とする社会には、前提となる莫大な社会インフラ投資が必要となる。その大きな部分を大電力企業に委ねるとすれば、その原資はどこから生み出すのか?そして、原発には、廃炉にも莫大な費用を要する。その資金は、水力発電や、石炭・重油などの化石燃料の発電などの「利」を奪うべきでない。原発は、最後まで、原発としての自律の資金採算性が求められる。

原発は原発の資金循環のなかで、原発の自律採算の原則で、2060年に「卒業」する、そして使用済みの核燃料の安全保管に要する費用の原資基金まで準備しなくてはならない。そのため、原発を廃炉にするには、矛盾するが、原発を再稼働する以外には選択肢はない。

ところで、統計学には確率論がある。2万年に1回、動いた地層のずれを活断層と定義しても問題はない。その場合、2060年というゴールを決めると、あと44年という原発ランナーにとっての、エネルギー駅伝の区間のような限定された時間枠内での、経済採算の時間が残されている。そのうえで、廃炉の費用を原発でまかなうとしたら、この44年という時間は十分であろう。

問題は、地質学の学者が、科学者にふさわしくない「核アレルギー」の持ち主で、2万年に1回の割で動いた断層が、この44年間に地震源となる確率がある、と勝手に主張していることである。僕は、そもそも地学系の学者が嫌いだ。僕には「地学アレルギー」がある。現代の科学の動態からみて、いまさら理学部へ入学し、地学専攻というのは?というB級科学者のような気がする。僕は文学部で歴史学科というB級の学問を選んだことを後悔している。だから、経済学、経営学を軸に、現代史の研究に励んでいる。B級学問は、絶対の学問ではない。

歴史学の立場からは、これからの44年間に、原発の炉心に直接に打撃を与える断層の活性化がおきる確率は、ほとんど零に近い確率だと思っている。でも、これは、B級とB級の議論である。北朝鮮の金政権が、この44年間に核爆弾による環境汚染により、北陸に被害を及ぼす確率の方がはるかに高いのではないだろうか。

これを数学として、解いて欲しい。今後44年間に、断層にうえにある原子炉が直下地震により破壊される確率は、何万分の1であろうか。無論、今後44年という廃炉までの再稼働のための、苦肉の策としての理性的な判断である。

私は、それ以上に、北朝鮮が北陸の地方に放射性の爆弾を投下する可能性のほうが、確率として高いと思う。無論、確率がいかに低くても、最悪の事態にそなえた核シェルターの備えは万全を要する。それは、送電線を地下40メートルに地中化することで、低温超電導の送電網が可能となり、地上で放射能被害から免れる地下シェルターとしても利用できる。

これが、B級の歴史学者の提案である。北朝鮮の核攻撃に備えるには、原発再稼働の安全確率が大事である。もっとも、原油の国際価格との選択的競合が最終の判断となるだろう。北朝鮮がすぐにでも瓦解する確率は低い。中国が中朝同盟を廃棄する確率も低い。問題は、これからの44年という時間の枠内で、問題の断層が活性化し、原子炉を破壊する可能性は、北朝鮮の瓦解よりも、中朝同盟の破棄よりも、統計学的な確率が高いといえるだろうか?地学的な変動の確率は、地政学的な変動の確率よりも、かなり低いのではないだろうか。科学者が、民衆の核アレルギーの感情的な支持を背景に立論するのは、真のサイエンスの担い手といえるだろうか。そもそも、原発には反対であるが、誰かが犯した誤りは、その誰かたちに償いの機会を与えることは大事だ。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

特別就活:学んで損はないエクセルを使う多変量解析

2016年01月24日 | Weblog

TMA講師代表から:入社試験において、面接のない企業はどこにもない。本人確認の儀式だからだ。そうすると、面接で良い印象を与えるテクニックだけを覚える学生がいる。さすがに、優れた経営者は、面接での印象にはだまされない。

経営者が魅かれるのは、まず、自分の経営理念というか、大事な社風にマッチングするかどうか?ここを見ている。だから、企業のHPで、その企業の理念を暗誦するくらい調べ込んでおればよい。けれども、御社の経営理念や社風に魅力を感じますという礼賛だけでは、これはという人物とは見てくれない。何らかのプラス・アルファを上乗せしなくてはならない。自分が御社にはいり寄与できる可能性を語らなくてはならない。

現状の経営水準をただ守るだけに、新規の採用面接は行われない。どこかで、御社の伸び筋に寄与できる道筋を見つけ、そこに自分が貢献できる能力として、どんな準備をするか、それを自己設計しなくてはならない。足手まといにならないから、ただ雇ってください、というのでは、大学卒業生の就活ではない。

YKKならば、有名な善の循環という企業の経営理念がそこにある。これを覚えるだけでなく、「善」という言葉の意味を自分の出来ることで言い換えてみないと、社員志願者としての経営哲学にはならない。ポイントは、「循環」の意味である。自己の社内貢献だけでなく、顧客企業への貢献の道筋として、自分がどのような学習の準備をしてきたかが問われる。しかも、3か月後に即戦力として使えるかどうか、その戦力が試される。

大学の統計学の教科書を受験勉強式に覚えても、就活には活かせない。それらは、全てエクセルで演算が可能な技術として自習しておかなくてはならない。だから、携帯やスマートホンだけでなく、自分用のノート・パソコンを学生時代から使いまわしてほしい。とはいえ、今の経営陣は、学生のエクセルの普通の使用方には習熟しているから、それでは売りにならない。外国語、特に英語バージョンで使えるとか、アドインして多変量解析に慣れておかなくてはならない。重回帰分析なんぞ、今や当たり前のエクセルの統計処理技術である。

就活屋の講師に、礼儀作法を学び、コミュニケーション能力だけ重視していても、寡黙な時間に何ができるのか、ホーム・ワークの力で外国語阪のパソコンを利用でき、どんな専門でもエクセル名人でないと、入社1年目で1軍には採用されない。末端の社員にいびられて、3年ももたない。ブラック企業でなくとも、1軍の仕事の循環の輪にはついていけない。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台湾で第2次の民進党政権が誕生

2016年01月17日 | Weblog

TMA講師代表:中村哲夫の専門的な研究

こまかなことは、報道メディアで十分な情報がえられる。なので、ここは北京と香港でのどのように台湾の政権交代が受け止められているかにつき解説しておきたい。

 まず、北京では、「台湾地区のリーダーが交代した」という見出しで、「地区政権」の交代という非常に抑制された形で、「人民日報」が報道している。香港では、大陸系の「文滙報」が、「人民日報」記事を紹介する形でしか報道していない。そもそも「台湾地区」という表記が、台湾が中国固有の領土という前提で、台湾の独立を認めないという厳しい一線を示している。香港では、民主派を代表する「明報」が、台湾の国民は、大陸との関係につき「現状維持を選択」という表現で抑制的に報道している。両者が共通するのは、台湾の民進党の勢いは、そのまま香港政治のありようを急速に変える刺激を避けようとしていることである。

 香港人は、植民地宗主国であるイギリスとの間で、自治政府を創る機会を1980年代に逃し、小平が上手く北京外交の力で、イギリスから香港返還をせしめることを黙認した。そもそも、固有に香港人といえる定住民の文化が定着していたとは考えにくい。

 それに対し、台湾では、中国国民党は大陸からの亡命政権である。この政権を合法的に、非暴力で野党に押し込むことに成功したのは、日本統治時代に、日本領台湾を経験した人々である。国民党が台湾に渡ってくる以前に、日本の統治下で、台湾の社会インフラを構築してきた福建系、広東客家系の住民である。特に、台南地区では、亡命政権である国民党への批判は強い。ところが、今回の政権交代は、北部の台北の学生運動に端を発している。国民党の中国共産党との第3次国共合作路線への学生の異議申し立てが、民進党の台北市での躍進を生み出した。

 香港人のおかれている法的地位は、イギリスの香港返還が北京政府に対して行われたことと深く関係している。自主独立の努力がなかったからである。台湾人の場合、日本の敗戦は、国民党に対し宣言されたものだから、蒋介石国民党の台湾統治権には、第2次大戦の戦後処理が絡んでいる。民進党の勝利は、日本の台湾統治権を日本領台湾の住民に返還したというシナリオとなる。だが、これに対し、当時の日本人には、自己犠牲による台湾住民への貢献がない。台湾人が自己犠牲を伴いながら勝ち取った成果である。香港の報道が過熱していないし、北京も中台関係の「現状維持」がたもたれると平静を装っているが、おそらく台湾の国民党が再び政権の座を回復するのは10年以上も先になるだろう。

 民進党がうまく国際外交を展開し、シンガポールなどの広東系、福建系の海外華僑華人2億5千万の支持を手にすれば、中国の歴史は台北から大きく変化する可能性も否定できない。台湾では、浙江系の移民集団が政権を失い、浙江系による第3次国共合作が破たんしたことを意味する。僕は台湾の方には何の貢献もしていない。ただ、2011年の辛亥革命100周年の記念行事では、中国大陸からの招待を断り、台北の友人のお誘いで台北で研究報告をした。民進党の古い体質は、大嫌いであるが、今回の台北の学生、女性の運動は、民進党という政治ツールを動かし、慎重に進路を選択していることで、やがてアジアの歴史の大道になると思われる。歴史家の勘として、5年前に中国人社会の意識変化を読み込んでいた。民進党が孫文、蒋介石に対する客観評価、世界史における役割評価を間違えないならば、世界の大政党への道は開かれる。これが、僕の民進党系の歴史家への提言である。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シナリオが現実化した2016大不況に備えよう(改定)

2016年01月16日 | Weblog

TMA講師代表:2017年春の卒業生の就活は、日程ばかりが注目されてきたが、実は本質は「求人数」の大幅減である。最初に、戦後日本の経済の歴史を分かりやすく説明する指標がある。それは、日本経済新聞が統計的に示す「日経平均」である。

第一段階は、3000円に達するまでの時代

第二段階は、6000円に達するまでの時代

第三段階は、9000円に達するまでの時代

第四段階は、12000円に達する段階

第五段階は、15000円に達する段階

第六段階は、18000円に達する段階

第七段階は、21000円に達する段階

今回、リーマンショックにより第三段階に反落していた日本経済が、中国による超大型の投資政策に同期して、第四段階の12000円から15000円のゾーンに上昇。そして、15000円から18000円の第五段階に突入、さらに18000円から21000円の第六段階にまで上昇。このピークが、2015年の5月から8月である。そこから、大暴落が始まり、現代は15000円から18000円のゾーンのうち、17000円から18000円の上値のゾーンが崩壊し、1月18日から日経平均は17000円という心理的な抵抗線を割り込み、16000円台へ下落することは確実である。

特に注目するべきは、3つのメガバンクの収益見通しが暗く、いわゆる底値がみえないくらいの反落が顕著である。それに加え、昨日の参議院予算員会での日銀の黒田総裁は、残して伸ばす企業と、そうでない企業の選別をおこない、経営陣が無能な企業の株価の低落は救済しないことを遠回しに表明した。

同じ銀行でも、優れた経営をしている「りそな銀行」だけは、17000円から18000円ゾーンでの株価評価を維持しそうな状態である。ここにきて、株価の絶対値ではなく、日経平均がさがるなかで低落率が低い企業と、暴落の先頭に立っている企業との選別が非常に容易になってきた。片山議員が、日銀は産業経済政策の次元に踏み込まれるのですね、と確認し、黒田総裁は否定しなかった。

日銀も含み益を失わない15000円から18000円、あるいは12000円から15000円のゾーンで、問題企業の株を放出する政策を表明しており、遂に日本株には原油安の影響で産油国からの余剰資金が流れ込む循環が断ち切られ、いわゆる「買い方」が完全に不在となった。

特に深刻なのは、政府系の年金財団である。15000円から18000円のゾーンで大量に買い込んでおり、最初に大打撃をうけることになる。この結果、安倍政権を底流で支えてきた経済指標が全て下方に向かい、15000円の水準を割り込んだとき、参院選とぶつかり政治変動が生じる。憲法問題を賭けた参院選の構想にも疑問があるが、同日選挙が政権維持の最終手段となる。

このようにみると、次年度の2017年春の卒業生の新卒採用枠が決まる4月から6月における企業の先行き見通しが、特に輸出関連の産業が軒並みに厳しい状況に転換すると予想される。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思い込みの恐さ、必要な科学的根拠

2016年01月01日 | Weblog

TMA講師の自戒:2016.1.1念頭にあたり、自戒の念を記しておきたい。大学で、中国の歴史を専攻した。そのうえで、中国近代史、とりわけ孫文の研究に取り組んだ。孫文を理解するのは、彼の知識の源である読書の軌跡をたどれば、その読後感を確かめていくと、基本的なことが分かる。こうして、孫文研究の新しい研究方法を確立した。その精華は、武上真理子さんが立派な博士論文として京都大学に提出、のちに学術書籍として公刊された。孫文は、アカデミズムでいうサイエンスにも接点はあるが、そのサイエンスが民衆の生活改善に寄与できる社会工学的なエンジニアリングの世界に属していた。彼はもともと外科医であり、産婦人科医として、大英帝国の医師免許を有していた。香港の西医書院において、医師の試験に合格することが、彼の最終学歴であった。使用された言語は、英語である。教授者たちは、イギリスの国教会系の宣教師の団体から派遣されていた。彼に決定的な影響を与えたのが、カントリー教授とその夫人である。孫文は立派な中華人のクリスチャンであった。洗礼を受けたのは、アメリカ系の公理宗とよばれたコングリゲーショナル派の教会と牧師である。孫文が公衆衛生学に深い関心を示し、貧民街でセツルメント活動をする医学生のとき、彼が中国人社会をまるごと公衆衛生学的に全面改良する可能性を内在する人物であると見抜いたのは、カントリー教授である。そして、香港中国人の指導者であり、西医書院の院長であった何啓である。中国社会を内科的な手法で改善する道、つまり平和的な説得により人々の脳裏を変えていく道を教えた。クリスチャンとして当然の布教活動のスタイルである。孫文は、基本は、そのような活動スタイルを貫き、最後は、ロシア革命を成功させたレーニン・スターリンらの論客が派遣したコミンテルンの描いた中国社会変革図を拒み、民生主義という孫文の思考を貫いた。

彼は夫人が妊娠し、出産する神秘の場を経験している。その時、内科的な方法ではなく、外科的な方法の一時的な救命法も知っている。孫文が香港で革命団体を結成したとき、素朴にも悪の根源である清王朝の軍隊を軍事的に崩壊させるため、いきなり革命軍を組織することを決意し、カントリー教授の紹介で、香港にいた梅屋庄吉という写真館を営む人物にあい、その縁で在香港の日本領事館に、日本政府からの武器援助を申し出ている。その情報は、不思議なことに原敬に達した。ここで、僕は思い込みの恐さを知った。というのは、当時の写真館の役割である。梅屋庄吉は、純粋の民間人の実業家であると思い込んでいた。書かれた梅屋庄吉と孫文の関係の著作、論文は、すべて民間実業家と思い込んでいた。当時、日本国の陸軍参謀本部では、隣国の大清帝国を南方から領土を削り、南中国の漢民族国家を創る構想を持っていた。他方で、朝鮮半島から中国東北へ植民地を広げる構想を推進し、日清戦争を準備し、その別働の作戦として南中国での漢民族による清朝からの独立を目指す軍事作戦を準備していた。そのためには、陸軍では現地の知識を得るため、太平天国の戦史を研究する将校を派遣し、各地の写真を収集していた。つまり、写真屋さんは表向きは肖像写真を営利としたが、実は軍事情報として、まず作戦予定地の地図と写真が欠かせないわけである。こうして、悪くいうと、孫文は日本陸軍の南方工作に利用されていたといえる。

最近、台湾の民進党系の研究者により、孫文は日本軍の協力者であるというレッテルが貼られ、台湾でも孫文の権威は完全に地に落ちた。しかし、孫文が日本軍との親密な関係を解消し、コミンテルンとの提携を模索するが、それを秘密裏に中継したのも、日本軍の情報工作であるといえる。なぜ、孫文の容共政策を日本陸軍の参謀本部の一部が容認したのかといえば、孫文・桂太郎の会談に秘密がある。彼らの共通認識として、大英帝国(資本主義の牙城)のためのパックス・ブリタニカの時代を終わらせるには、ロシアの力を利用し、反英帝国の世界戦争に利用しようとしたからである。日露戦争の当時、レーニンも秘かに日本の情報将校に通じていた。では。孫文に何の価値もないのか?それは、彼が残した著作がある。一般には、三民主義が有名であるが、一冊の英文の図書がある。日本語では、中国の国際的発展という題名で、中国語版では「実業計画」として公刊された。政治思想家として、中国経済の国際的なリンク、特にアメリカの実業界と中国経済との資本取引の自由が人類の経済の基本問題であると指摘している。日本軍の特務軍事と協力した孫文であったが、パックス・ブリタニカの時代を終わらせ、アメリカ、ロシアとの協調において、来るべき世界戦争を想定し、それを事前に避ける内科療法として、アメリカが中国への資本投資を行い有効需要を生み出す必要を説いた英文著作は、後にイギリスのケインズ派に評価され、大英帝国が親日外交を辞め、親中国外交に転換する、有力な蒋介石支援に踏み切る素地となった。有名なカイロ会談に蒋介石が招請され、それがもとで国連の常任理事国の一角を占めることにつながった。

ここでもう一つの思い込みの恐さを知る。日本陸軍の世界史的な役割につき、従軍慰安婦の問題で全称否定しそうになる。そうではなく、第一次世界大戦の終結までの日本陸軍が、パックス・ブリタニカの時代(第一次国際金本位制度)戦争における勝利は肯定するべきである。孫文と日本とは、よきパートナーであったことは誇るべきことである。問題は、第一次大戦の終結からのちの世界史の変動に対し、日本の針路は大きく誤り、中国は国連の常任理事国の一角を占めるまでに成長した。それは、孫文が、そして蒋介石がクリスチャンであった、この事実に由来する。孫文が日本陸軍のスパイだとする台湾の民進党の世界観の狭量には賛成できない。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする