富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

中国から北朝鮮への石油の供給停止が始まっている

2017年04月25日 | Weblog

香港の文匯報の記事を総合すると、中国が石油の北朝鮮への供給を制限する通告は、すでになされている。ただし、パイプラインによる原油供給が停止されたところまでは進んでいない。北朝鮮では、備蓄を減らさないために、ガソリンスタンドでの民用の供給制限が行われていることが分かる。中国側は、鉄鋼の生産を抑制するために、製鉄原料となる優良な北朝鮮産の石炭(無煙炭)の輸入を削減する必要に迫られている。この点は、アメリカの鉄鋼業界とも利害関係が一致する。中国は、石炭の輸入量に応じ、北朝鮮に石油を輸出している。従って、自然な形で石油の供給が縮小できる経済環境が生まれている。しかし、石油の供給停止という中国側の最終対抗手段に応じ、核武装を放棄するような妥協には、北朝鮮側は当然に応じて来ない、と思われる。最後まで、抵抗手段を盡し、外交的な妥協に応じない可能性まである。なぜか?韓国の大統領選挙の去就に注目しているからである。

少なくとも、中国がアメリカとの協調体制を崩さないで、経済制裁を強化していることは、アメリカ側もすでに認知しており、包囲網は最終段階に入りつつある。この石油供給停止による締め付け効果は、日数が重なるほどに効果が出てくる。なので、アメリカが期待する外交的な解決に向かうには、いま少し日数がかかる。それと、中国は黄海方面へのアメリカ艦隊の侵入を好まないので、外交と軍事のからみで、日本海が戦場として想定されている。アメリカの艦隊が、日本海側に展開されたら、中米の合意があると解釈できる。その場合、軍事としては、潜水艦が最大のポイントとなる。釜山へ寄港したアメリカの原潜が、決め手となる。

富山県からほど遠くない海域で、日本にとっても国運のかかった運命の瞬間が訪れようとしている。中国による外交努力が実らなければ、21世紀の日本海での深海戦争が避けられない。無論、常識では、問題は外交の舞台に移つされ、火器が飛び交うことは避けられると判断されるが、予断は許されない。


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朝鮮、第6次核実験に踏み切る、と想定したら・・・。(改定)

2017年04月23日 | Weblog

TMA講師代表:個人研究 中国外務省が、アメリカから期待された朝鮮国の第6次核実験の中止を契機にして、国際交渉の場に復帰させる働きかけに失敗したことを表明した。これは、中国の外交面子を正面から否定することに意味を持たせたことになる。朝鮮国は、遂に安全弁となる最後のカードを切り捨てた。ただ、朝鮮半島には、南北を問わず、「反中国」=朝鮮族という政治バネがあり、今回は、韓国の大統領選挙の結果次第では、南北対話の可能性が生まれたため、統一朝鮮国として核保有する大国への道を歩む可能性も夢ではなくなった。

第一次朝鮮戦争は、南朝鮮の民族的共産主義者集団が、極東ソ連軍の配下の朝鮮族のゲリラ武装組織と結託し、ソ連のスターリン、中国の毛沢東と結託して始められたものである。韓国社会に潜在する左翼が、第一次朝鮮戦争の引き金となった。

では、第6次核実験を契機に、アメリカが先制攻撃に出て、第2次朝鮮戦争に発展するか否か、そこに問題が絞られてくる。第1次朝鮮戦争では、朝鮮半島の西側、中国と領海を接する黄海方面が主戦場となったが、今回は、朝鮮半島の東の海域、日本海側が主戦場となる。陸上を主戦場とする体制は、アメリカ側にはない。ところが、この海域はロシア極東海軍の基地でもある。中国は、この海域に主戦場が移れば静観を決め込むことができる。だから、中国は外交的な努力の限界を表明し、想定される4月25日の日本海危機に対処する構えを表明した。

さて、第6次核実験をしたからといって、アメリカは懲罰的な意味で、ミサイル攻撃を「先制」的に始められるのか?そこには、大義名分がいる。韓国の為の代理戦争の名分としては、第一次朝鮮戦争のように釜山が共産軍に占領されるという「受動の被害がない」という名分がないかぎり、大きな政治的な賭けには出られない。あるとすれば、トランプ政権が自らしかけたワナに自己責任で嵌りこみ、彼自身の政権延命の手段に出ることだろう。しかし、アメリカ国内には、トランプ政権の異常性をテコに政権の短命化を狙う勢力が過半数ある。議会の同意を得られないで、アメリカ大陸への核攻撃の将来的な可能性だけでは、トランプ政権がアメリカの愛国フラッグを手にすることはできない。結局、第6次核実験に踏み切られても、アメリカと日本には、なんら有効な対抗手段がない。ただ、韓国の大統領選挙の結果は、核実験よりも重要な節目となるので、そこを見極める時間が残されている。

 

 

 

 


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北朝鮮は、武装した商人団に起源する社会:儒教社会ではない。

2017年04月22日 | Weblog

TMA講師代表:戦争を論じるためには、「孫子の兵法」を読み、理解しておかねばならない。ネット右翼は、単細胞なので、武闘による決着を善としている。例えば、北朝鮮や中国は、「儒教国家」であるというレッテルは正しいが、彼らの「儒教理解」は極めて平板に終わっている。

孫子は、徳治による富国が強国の強者たるゆえんを基本とする。ただ、富国には極貧国からの略奪に備える万全の武備がいるとされる。中国共産党は、富国を第一にして武備を完備させようとする。北朝鮮の労働党は、貧困、飢餓の恐怖を軍事力の基礎におく。軍隊に繋がれば「食」にありつける、という飢餓が必要だと考えている。中国のように富国になれば、軍隊に志願する若者の動機が消滅すると理解している。このため、中国共産党と朝鮮労働党とは、友党でありながら、「孫子の兵法」を基礎に置く漢民族と、極貧に耐え抜く山岳ゲリラ戦闘に長けた軍事組織が国家を組織している国との大きな違うがある。

北朝鮮社会が富裕化すれば、食物・食事への飢餓が薄れ、軍事組織への求心力が失われることを恐れている。従って、外国からの経済制裁は、北朝鮮の軍事優先の体制を強化する方向に加担していることになる。また、韓国社会の腐敗は、北朝鮮社会の緊迫にいる緊張感と大きな対比を為してる。「経済制裁」⇒「北朝鮮貧困化」⇒「窮鼠化」⇒「軍事挑発」⇒「陰謀」の正統化という悪循環にエサを与えているようなものである。極貧に耐え抜く山岳ゲリラ戦闘に長けた軍事組織が国家を組織している国に対し、リスクの低い対応策はなにか、細かく研究を重ねなくてはならない。その意味で、ネット右翼は無駄に吠える犬である。むろん、左翼は反アメリカ軍に志向が固定されているから話にならない。

北朝鮮は儒教社会だから、長男を謀殺した現政権には批判があると考えるのは間違いである。北朝鮮は、極貧に耐え抜く山岳ゲリラ戦闘に長けた軍事組織が国家を組織している国と定義するべきだ。そこにあるのは、狩猟民の原始社会の倫理があるだけだ。それが、商人団となり、武装軍事組織とが結合した極東ロシアの一利権集体である。武器輸出に大きな活路を見出すのも、彼らの理にかなっている。

 


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ネット右翼の限界は、2歩目の「脳力」不足

2017年04月19日 | Weblog

TMA講師代表:ネット右翼は、第一歩は正しい。第一歩のところで、誰も振り返らないテーマとステージを広げても、観客は集まらない。だから、客受けのよい「反中国」、「反朝鮮」という民族ネタを持ってくる。ところが、肝心の日本民族の立ち位置が整理できていないから、第2歩では、彼らの「脳力」の不足が露呈する。そこで、その不満を大手メディアにぶちまける。「脳力戦」に進めないで、「感情戦」に止まる。

例えば、南京虐殺事件は、全肯定の左翼の対し、全否定を対置する。ところが、虐殺は完全に零だとは証明できないので、左翼と右翼とは、全肯定と全否定のシーソーから逃れられない。正解は、部分肯定の領域にある。しかも、正確な数的範囲は決まらない。

さらに、日本軍の南京占領を認めたうえで、日本の失政を批判したビーツ教授の英文論文を読み落としている。彼は、雇用拡大と経済成長に成功していたら、日本軍の中国大陸での軍事行動は合理化、正当化できるけれども、実際は野蛮な「経済学の脳力」のない軍事侵略者でしかない、と。実は、このビーツ教授の指摘は、極めて正しい。

中国大陸における雇用拡大と経済成長に成功したのは、唯一、鄧小平の路線だけである。その青写真は、孫文の「実業計画」にある。つまり、蒋介石による孫文がプランした国民経済建設を暴力的に破壊したことが、日本の最大の誤りである。当時の蒋介石政権の依拠した南京政府には、世界の最先端の経済学者、社会学者が集まり、「経済学の黄金期」と語られる聖地であった。それが、今でも、日本の左翼も、右翼も理解できていない。日本の大衆社会には、第2歩目に必要な数学脳がいまでも欠けている。日本の自己崩壊は、意外に急速に進んでいる。


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第2次朝鮮戦争は、ありうるのか?

2017年04月18日 | Weblog

TMA講師代表の個人研究:

4月25日、朝鮮が第6次の核実験に踏み切った場合、国連の安保理の決議により、アメリカ軍が北朝鮮の核爆弾とその運搬手段であるミサイル関係の施設に向けて、極めて短時間に、朝鮮の民間人をほとんど巻き込まない形で集中攻撃する可能性は否定できない。だが、それを第2次朝鮮戦争と言えるのかどうかは、疑問である。大規模な陸軍力による地上戦を想定した戦争の形態はベトナム戦争の終結により、基本的に歴史から無くなっている。だから、第2次朝鮮戦争が第1次朝鮮戦争のような形へ転じる想定は、アメリカ軍も想定していない。

だから、第6次の核実験が強行されるのか、否か、そこにポイントがある。それを回避する外交努力は、全て中国の習近平政権に委ねられている。中国は、アメリカ政府に対し、「北朝鮮の体制変更」を条件にしない、と確約させているから、リスクの大きな北朝鮮トップの斬首作戦は、恐怖のカードとして見せるだけのものであろう。問題は、北朝鮮の第6次の核実験を「中止は無理でも、延期を確約させる」には、北朝鮮が望んでいるアメリカとの2国間の外交交渉の場を「公式」か「非公式」かを問わないで、中国政府が外交的な仲介役が果たせるかどうかに絞られてきている。

トランプ政権も実は、国内では危ない橋のうえで停滞している不安定な状態にある。北朝鮮の体制変更を行わないで、二国間の交渉が有りえるとしたら、オバマ政権の二国間交渉を拒否する政策変更をせざるを得ない立ち位置にある。問題は、中国が仲介し、裏面で行われる米朝の交渉は、意外に成功する可能性がある、それは、現状では、韓国政府の意向を無視できるし、日本政府の意向も排除できるからだ。

 中国が仲介し、米朝の和解の道を探るという形は、過去の第1次の朝鮮戦争にはない形である。つまり、中国は、過去には毛沢東が北朝鮮に加担して朝鮮戦争に参戦した経緯はるが、今回は、アメリカと北朝鮮の双方向に「仲介役」となったことだ。そして、ロシアにはスターリンと同じロシア軍事帝国を継承するプーチンが、朝鮮半島の非核化を国益と考えるか、否かである。第2次朝鮮戦争は、第1次戦争の再来ではなく、1950年代から関係民族の日常の努力の総決算だとみると、惨めなのはただ韓国のみである。唯一、第一朝鮮戦争から進化しなかったのは南方の韓族である。そのような弱者を犠牲にする解決策として、高度な第2次朝鮮「紛争」が存在する。


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大学院博士課程は、日本国の枢要

2017年04月17日 | Weblog

TMA講師代表:大学の学費が高いから、国費により授業料を無償にする、というアイデアが知られ始めた。しかし、その本質は、格差社会の是正という、新たな共産主義思想ではないか?この疑念は、僕の頭のなかから去らない。

国費は、国家指令型経済原理を基本として、国家としての知財の増殖に投じられるべきである。大学院の修士は、企業の戦略的な研究開発に寄与するため、市場経済原理による正常な人材市場が存在する。しかし、企業の研究開発では、100年先、200年先に寄与できる基礎研究には力が入らない。それで、日本人の学生の博士課程への進学は、市場経済原理により抑制される。

日本の危機は、博士課程への進学者にたいする生活保障、例えば健康保険制度、年金制度の面で、企業内の研究者との「格差」が大きく拡大していることを放置していることにある。「研究費」においても、支援は十分でない。本人は、研究の面白さに応じて、「論語」にでてくる顔回のような生活に甘んじられるけれども、家族はそれで大いに犠牲が伴う。仮に、大学教員の資格を得ても、収入は「教育活動」に対しての保証であり、「研究」への報酬は一切ない。文部科学省の科学研究費の助成金でも、成功報酬は一切、本人には還元されない。また、企業内の研究者に対しても、研究の成功報酬は抑制されている。

北朝鮮に比べても、日本が大きく見劣りするのは、基礎研究者の「国家公務員化」が避けられているからである。そのうえ、世界的な価値ある基礎研究を「目利き」する学術界の頂点が、左傾化しているために、保守的左翼思想のための見落としが結構あるという残念な事実が隠せない。軍事研究を生理的に嫌悪することから科学研究は始まらない。孔子だって、富国強兵のための知識形成と実践応用の道筋を描いたのである。日本国を弱体化させることを自己の使命とする反政府主義の思想と、大学院博士課程の冷遇とは表裏一体である。

 

 


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中国、民法総則が制定される

2017年04月13日 | Weblog

中国では、1954年以来、民法の編纂、制定の事業が断続的に推進されてきた。しかし、最難関の課題は、個々の民法の法規ではなく、民法総則の制定にあった。これが出来ない限り、私有財産の所有にかかわる個人の財産権の自立が、法理論的に最終確定しないからである。つまり、市場経済原理が、法の制度のうえで、未解決のままにおかれてきたことになる。

しかも、民法総則を後回しにして、各種の民法の個別の法規が、ばらばらに制定されてきたために、相互の矛盾が生じ、司法の法廷の場での混乱が生じていた。これに対し、台湾では、民法は整備されており、香港でも、イギリス統治時代からの民法の法的環境は整えられているので、中国内部が不完全な法環境であったわけだ。

日本の新聞では報道されていないが、中華人民共和国の民法総則が制定にこぎつけたことは、民事訴訟の世界での司法の機能が安定することで、市場経済原理が自律的な経済原理として、公法にたいする私法の領域を制度化するのに大いに寄与することになる。このことは、中国共産党の行政幹部が、民間人の財産権に対し、「人治」ではなく、「法治」で臨むことを可能にする。しかも、この民法総則は、漢民族だけでなくあらゆる少数民族に対しても、原理的に機能する。すでに、言語面での「中国語」〔普通語〕による共通言語による国民統合がなされ、IT革命の成果を取り入れているから、「民法総則」が法規集のなかにのみ生き続けるのではなく、社会に機能する法として実態に即して生きた役割を果たすことになる。庶民の立場としても、喜ばしいことである。1930年代に中華民国の民法総則が制定されて以来の大事業である。1901年に始まる近代的な法典の制定を目指した光緒新政から数えると、116年もの歳月を要している。法のもとでの平等は、実は、民法が基本である。

議会制民主主義しか思いつかない頭で中国を論じるのは、プロの中国研究者ではない。この民法総則に込められている中国的特色がいかなるものか、専門の学界の解説を期待したい。


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国家と市場、そして地域共生

2017年04月11日 | Weblog

TMA講師代表の個人研究:日本人が、中国やアメリカとの関係を論じる時、国家という位相と、市場という位相とを区別する必要がある。この位相差は、難しくない。国家の位相は、政治の分野である。市場の位相は、経済の分野である。一番に困難なのは、地域共生の形で現れる互恵型経済原理である。

アメリカには、農業の生産と販売を基軸とする地域共生の互恵型経済原理がある。中国には、重要な大都市を核とする8大経済圏がある。特に異色なのは、東北経済圏である。遼寧、吉林、黒竜江の3省は、朝鮮半島、モンゴル、シベリアに接している複雑な地域共生の関係をもっている。そこでは、漢民族のみで社会が構成されていない。反対に、華南経済圏では、広東語を日常語とする。そこには、香港という特殊な国際自由貿易を核とする。また、厄介なのは、台湾の対岸にある福建と浙江省の西部で構成される東南沿岸経済圏である。習近平政権は、地域共生という角度からみると、広東と福建、さらに浙江省の西部に人脈の地盤をおいてきた。

他方、トランプ政権は、アメリカ自動車産業の産業集積がある北東部においている。アメリカの政権としては、珍しく、ネーションよりも、ローカルなカントリーの利益を最重要におく。

これに対し、日本では、太平洋岸ベルト地帯の連動性のため、大都市圏と日本海側にある分散的な人口の少ない過疎県に分かれる。日本海沿岸の特色は、横連関が極めて弱いことである。例えば、鳥取県、富山県、秋田県とは、市場圏を共有していない。つまり、日本海側には、それを縦断する高速道路も新幹線もない。したがって、環日本海主義は、完全な虚偽を隠した思想である。

富山の場合、中京経済圏を介し、太平洋岸ベルト地帯の連動性を高めることが、石川、新潟に対する優位性を確保できる。しかし、電力では関西圏への売電、鉄道もJR西日本の東端、さまざまな「障害」が同居している。こうした地に足がついた分析を精密化しないと、政党や論客たちの雑な議論に足元を奪われる。世界は、今、あらためて生活圏である地域共生の互恵型経済圏の主張に傾いている。

 


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