富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

富山県知事をめざす新田八郎さんの強み:財務三表がよく分かる人

2020年02月28日 | Weblog

一般論であるが、東京大学の法学部では、財務三表の知識では必須ではない。特に公法系では、財政学は学んでも、企業経営の必須知識である貸借対照表、損益計算書、キャッシュフロー計算書の三表は、商学系の一橋大学でないと、実戦的に理解できない。自治体の財務においては、税収を使いまわす自治体流儀のキャッシュフロー計算が主となる。損益計算書では、病院や大学の経営において、投入した費用と収益した料金との差額をどこまで精査できるかは、公的機関の経営管理にうえで、数字に表れない貢献やロスを資料の上だけでなく、実地の業務のフローに合わせ理解できる感性が必要である。自治体の財務分析では、県民1人1人を1株株主として、県有財産のうちの正味財産がいくらで、それが年率でどの程度に増減をしているのか、さらに不良な回収不能の債権の処理など、民間サイドと同期できる資産管理ができているかどうか。こうしたことは、あの大阪の維新の橋下氏でも、弁護士・法学系なので極端に思考が弱い。つまり、法学部→政治家という系統は、イベント効果を気にしすぎる。他方、新田さんのような一橋大学の卒業生の基礎教養は、貸借対照表、損益計算書、キャッシュフロー計算書の三表を診断カルテとして、営利法人であれ、富山県のような公益組織であれ、その事業体の真の財務体質の向上に目をむくようになっている。だから、借金を減らしましたという経営では、賢いおばあちゃんの孫の節約術にすぎない。大事なのは、上手く借金をしつつ、従業員の人間性と個人資産を高める精密なプログラムがあるのか?、に分かれ目がある。18歳、天下の法学部で身に着けてしまう基礎教養と、天下の商学を基本とする一橋大学の基礎教養とでは、その後の知識体系には、行政畑の統治力と、経営畑のリーダーシップ経験の差異は、部下として従う人の能力開発という点でも、かなりの違いに繋がると思われる。人物論ではなく、18歳から20歳、大学1年2年での「学問のどこに共感できたのか」という「知のゼロ番地」の差異は、40年、大学の教養教育の専門家として、比較的に論じやすい評論テーマである。


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富山県知事をめざす新田八郎さん強み:物流のラスト・ワンマイルが分かる人

2020年02月28日 | Weblog

「物流のラストワンマイル」というコトバの意味をすぐさまに理解できる経営者や政治家は、そんなに沢山はいない。選挙も、最後は「物流のラストワンマイル」という半径1600メートルの基層社会でいかに集票できるかである。「半ば官選の知事」は、過去には、ある意味、無投票当選みたいなもので、自由民主党の推薦だけで、富山県下にある「物流のラストワンマイル」といわれる「小学校区」で簡単に多数を制することができた。従って、「ほとんど不戦勝」のような多選の仕組みである。こうした静的な構造のなかで、新田さんが歩んできた日本海ガスという企業活動が、パイプ・ラインで都市ガスを供給する事業だけでなく、県下の山間部にも広がる「昔のプロパンガス」のボンベを設置し、集金する中小の業者を統合し、「物流のラストワンマイル」のエリア・マーケティングの価値に目覚めた時、実は、富山県の行政の最末端における基層社会の再構築にも成功する。つまり、集票努力がそのまま「物流のラストワンマイル」のエリアを少子高齢化の危機にある基層社会を再建できる。なぜなら、郵便も、新聞も、ガスも、宅配便も、訪問介護も、訪問看護も基層社会に配置できるラスト・ワンマイル基地に集約できる。コンビニも、郵便局もない基層社会では、最後の砦として、その地域の事情に精通した人材を活用し、物流効率の最適化が可能となる。このことは、「底辺からのビルド・アップ」として総合的な地域社会の再構築が可能となる。それが、寺院や神社の空間をエリア・マーケティングの基盤とすることで、地域の「祭礼」の持続化につながる。その費用は、あらゆる配送品の「ラストワンマイル」の「手数料収入」で賄える。ただし、基本、正社員を退職した60歳代の地域の精通し、軽トラのような足回りを使える人材を生かせるか、どうかである。


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クルーズ船の乗客に、富山県民はいなかった!

2020年02月27日 | Weblog

この写真は、県営の五福公園にある。富山歩兵連隊の跡を示す記念碑である。慰霊碑ではない。実は、近代の「富山人」が育成された聖地である。徴兵制度もとで、富山人のワンチームが初めて出来上がった。それまでは、同じ富山人でも、東西南北、方言が際立ち、「富山弁」が成立するのは、男子ではこの地である。また、女子は「富山女子師範学校」という女性教員を要請する場で、語尾の「です」「ます」を強く、クリアーに発音する習慣が定着した。どういう訳か、節約こそが誇りであり、遊戯を避けるのが美徳と考える風習が上手く定着した。さらに、三世代同居、近住が基本となり、老婦、老父は、孫の面倒をみるのが、何よりの幸福とみる。だから、お金が無くて、クルーズ船に乗れないわけではない。でも、1円でも子孫に残したいという倹約を美徳とするから、外来の観光客にも、平気で白い眼をむける。観光を至福と考えないで、仕事のついでならマア良いか、という程度である。つまり、売薬さんの意識として、稼ぐという主旋律のない「観光」という物見遊山は、腰が落ち着かないのである。

 


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新型コロナウイルス感染により世界経済の危機はくるのか?

2020年02月27日 | Weblog

私達にとり、非常に深刻な事態が窮迫してきているのか、それとも、長い時間軸でみて、程よい「調整」期間であったと観るのか、大きく見方が分かれる。まず、危機を最大の崩落とみて、底なしの大恐慌が来るという議論にあえて同調することで、結果として、経済恐慌が回避できるという効用がある。それが、現代の先進国において、緊急の財政出動を正当化する理由がつくれる。日本の野党は、デタラメでもよいから、通常予算の議決に協力したうえで、個人消費の落ち込みをカバーする緊急の「危機回避」の補正予算を組むべきだと主張しないといけない。恐怖の誇大化は、無責任な野党だからできることなので、短期国債の発行など無理筋の要求を財務当局にむけて騒ぎたてることである。

他方で、冷静にみると、これは長い時間軸でみて世界経済の「調整」期間として、必然のプロセスであると達観し、緻密に、穏やかに景気回復を再設計する好機である。まず、中国では、供給過剰な設備の廃棄や、中小企業の選別が、「供給側の改革」として、また、「経済の緑色化」として、経済改革における選別的な製造拠点の再稼働が行われている。日本の場合は、「働き方改革」というシナリオの中で、AIとIoTによる改革を進めるチャンスである。古い生産システムから最新のシステムの転換には、2から3週間、すべてコロナウイルスを大義名分としして、人材を含めたロスカットの機会まで生まれた。日本は、国民皆保険・国民年金制度のもとで、労働力の市場原理社会を妨げている労働法制を見直すことが、憲法改正よりも急務である。中国は、優良企業を最優先した。日本では、企業内の「不採算ウイルスの害毒」の悪影響のほうが、歴史的にみても、疫病より怖い民族国家の衰退原因となる。それは、指導層の中にある。


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中国、遂に野生動物を食べる習慣を否定【補】

2020年02月27日 | Weblog

この写真の動物は、穿山甲、センザンコウと言います。この小動物のウロコは、食薬同源と信じられ、珍重されてきたので、野生種はほとんど絶滅、いまや、養殖して野生動物の食肉市場で高価に売買されているという。このたび、新型ウイルスに感染し、ウイルスを人に感染させた宿主として、コウモリとともに疑われているのが、このセンザンコウという哺乳類の小動物である。このたび、中国共産党中央は、野生動物の保護と同時に、こうした野生動物を食用とするための養殖を禁止した。それには、ウサギと合鴨は含まれないという。詳しいことは分かりにくいが、犬も、猫も、蛇も、カエルも、闇食の世界に消えていくだろう。中国共産党は、民衆の古い習慣、特に食生活には禁令を避けてきたが、農耕社会の古い悪習の排除にようやく着手したことになる。ただし、これは、武漢の新型コロナウイルスの根源が、政府の研究機関からの流出という噂を隠し、コウモリやセンザンコウに罪を負わせる欺瞞だとの声もある。【日本のメディアで、センザンコウ宿主説が流されたには、2020.3.27である。このブログ記事は、2020.2.27であるから1か月も早い情報紹介だった。】


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新型コロナウイルス防疫戦争のあとの貿易通貨戦争

2020年02月24日 | Weblog

新型コロナウイルスの防疫戦争が、東京五輪の開催中止には至らないというのは希望的な観測かも知れない。ただ、中国共産党9000万人が規律正しく、建国以来、最大の防疫戦争において、3月からの90日、5月末には、最終的に感染を終結させなければならない世界史的な義務がある。だれも大好きで中国共産党を黙認しているわけではない。「協力」関係を維持するのは、非協力国には必ず敵討ちに出てくるからだ。それは、アメリカのトランプ政権もおなじだ。日本国民は、絶対的な本音を潜水艦のように見せてはならない。そのうえで、国際債券の市場で、「中共党債」を買うメリットとリスクを慎重に見極めなくてはならない。他方、トランプ債に対しても同様である。これを通貨に置き換えるとよい。現在、日本のGDP(国内総生産)は、体脂肪のように増やしてはならない。同時に、GNP(国外での経済活動を含む)では、アメリカドルに資産をヘッジし、人民元を保有するリスクからの逃避が急務となっている。日本国民は、アメリカのCIAによる反中国活動も、中国共産党による反米活動にも、ともに手を貸すことなく、少しお馬鹿さんな政府を擁し、対外的な恐怖を緩和していけばよい。ただ、非常に大事なのは、日本国が宇宙空間に備えている偵察衛星であり、同時に、最深部に待機できる潜水艦である。例えてみれば、潜望鏡のような情報キャッチと、情報の解析力である。新型コロナウイルス防疫戦争のあとの貿易通貨戦争にそなえ、2020年度の下半期の日本経済の海外展開をいかに設計するのか、この世界史の先読み、予測こそが、この列島の諸国民の根源の福祉に繋がる。消費税などは、GDPゲームにすぎない。ドル高、円安の基調の維持は、日本という潜水艦には、好ましい外部環境となる。ただ、これはどこで反転してくるか分からない。その辺は、総合商社と財務省、日銀の知恵者たちが精度の高いAIを駆使できるかどうかである。つまり、日本という潜水艦の潜望鏡は、外国為替市場という海に潜航している潜水艦の潜望鏡に例えると分かりやすい。要するにプロの眼力である。非公開の機密情報こそ、根源的な国民福祉につながる。


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磷酸氯喹(リン酸クロロキン)は特効薬ではないが、治療効果がある、と。

2020年02月23日 | Weblog

中国では、新型コロナウイルスに冒された患者の治療に、この磷酸氯喹を服用したら、治療効果がある、という情報が、それなりに流布している。決して、特効薬ではないと警告されているが、何も無いよりはと、試された結果、経験的に使用するのも有り、という共通認識があるようだ。


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香港大学とロンドン大学が数学モデルで、CovID-19は4月にピーク

2020年02月22日 | Weblog

香港の「明報」の報道によると、CovID-19は、致死力は弱くても、感染力が強く、データサイエンスで予測すると、4月に感染のピークがきて、その後、やっと徐々に下落すると予想している。資料:香港大學英國倫敦大學也以數學模型作預測,估計疫情在4月才會到達頂點,之後才慢慢回落。この写真は、2019年の香港の民主化要求のデモ、ウイルスは中国に送り返したいよね。さんざん、マスクはだめ、と政府から言われれてたから、歴史は本当に皮肉なもんだ。


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石炭火力とバイオマスとの融合

2020年02月22日 | Weblog

少し勉強した。北陸電力さんが、富山大学の教養教育院でされた寄付講義の世話役の特権、つまり、最も熱心な受講生になれるので、疑問が氷解した。石炭も石油も、化石燃料である。だから、燃焼による排ガスが、大気汚染の原因となる。だから、石炭火力はだめだ、という。とはいえ、太陽光では夜間電力は保証できない。風力も、天候次第である。そこで、注目されるたのが、バイオマスという木材などの植物を原料とする発電である。既に、植物の段階でCo2を吸収しているから、環境負荷を増すことにならないとされる。ところで、日本の石炭火力発電の技術は、世界の最高水準の技術レベルにある。それらは、製鉄業とともに進化したものである。燃料として燃やす石炭は、粒子のように細かくされ、管のなかを流動する液体に近いレベルまで微細分されている。さらに、燃焼炉のなかに、酸素を吹き付けて完全燃焼の状態に高めることができる。あとは、高温化した水蒸気の噴き出しで回転するタービンの羽根である。以上のなかで、富山の企業が、その工程のなかで、唯一の技術をもっているか?これに答えられたら、富山学は満点である。石炭の粉流の基礎技術は、魚津のダイヤモンド・エンジニアリングが設計技術を持っている。タービンの羽根を削るには、不二越の工具が欠かせない。トータルとしては、富山には、火力発電の全域をカバーする製造業はない。さて、こうして石炭火力は、石油火力には劣るが、随時に需要の変動に応じ発電量をコントロールする仕組みができた。バイオマス発電の単独では、焚火にようなもので、燃焼温度を一定に保つことができない。それで、石炭火力の発電とバイオマス発電機とが、ペアーのなると、ダブルスでは、無敵の存在となる。これに廃材のリサイクル、海水原料のマグネシュームの投入などを地域内で一体化すれば、富山の臨海工業地帯には大きな福音となる。石炭火力の余熱で、海水からマグネシュームを取り出し、一方は、アルミと合金させる、他方で、バイオマス発電の燃焼の安定化のためマグネシュームを炉のなかに送り込む。これが、非常に近い近未来の富山の技術社会の姿である。当然、水素の発電も進められる。石炭火力は、コスト的にも、排ガスの規制の面でも、廃材バイオマス発電とのペアーが、富山なら可能となる。原発の再稼働もぜひ必要であるが、原発は既存知識の世界である。まだまだ、タービン工学にも発展余地が残されている。水力を含み、電力のベスト・ミックスを可能にするのは、AI化を可能にする高速コンピューターである。最後に、「加油北電」「永原不要」であると言いたい。


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禍を転じて福となるか中国大陸の社会[校正済]

2020年02月21日 | Weblog

この少女たちは、雲南省で働く「看護士」さんたちだ。1995年以後に生まれ、個人主義者が多いと言われてきた世代だ。2人は、自分から申し出て、武漢のCOVID19の重症患者のための病院へ、交代・補充の要員として赴くため、雲南の飛行場で出発を待っている。気づかれたと思うが、髪の毛を相当にカットしている。防護服をつけて医療活動するには、長すぎる髪の毛が感染の原因ともなるので、「95後」世代の志願者は、各地でも断髪し、臨戦を志願している。社会連帯には無関心と思われてきた世代から、こうした短髪にすることで覚悟を示す献身が生まれた事例は、相当数、報道されている。もちろん、報道側の宣伝であることは隠せない。しかし、瀕死の重症患者への支援には、嘘はない。おそらく、今度の武漢での疫病の大流行は、「古い中国人の悪癖」が原因となり、「天が命じた心の革命の始まり」だと思う。結果として、中国共産党の内部でも、古い悪癖からの離脱が多く語られるだろう。野生動物を食べる、酷い喫煙の習慣者、官僚主義、経験主義などの不誠実な党員の除名など、結果は、習近平の政権の強化となる。が、同時に、習近平の期待する中国共産党の腐敗体質の改善も可能にする。日本人にとり、COVID19は、対岸の火事ではない。武漢は1911年、清朝が崩壊する辛亥革命の震源地である。中国共産党が、天命の裁きを受ける因縁もある。全人類に対し、公徳心を失えば、日本人も、中国人も、欧米から「黄色人種」として差別を受けることになる。

 


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高齢者が自ら人生100年時代と言うべからず

2020年02月21日 | Weblog

実は、「管子」をよく調べると、原文には「百年の計」ではなく、「終身の計」とある。また、「人を樹(うえ)るにしくなし」と訓読するのは誤り。「樹」は、「樹立」の意味。人材を登用することを「樹(た)つ」という。誰か、中途半端な学者が、原文に、一年の計は、穀物を植えるにしくなし。十年の計は、樹木を植えるにしくなし。君主の終身の計は、人材を立て、政治を任せるにしくなし、という意味である。私も78歳であるから、人生100年時代だと言いたくもあるが、天寿というコトバがあるが、人の命は「天命」の知る所のみである。70歳を超えると、ココロの欲するままに生きてもよいが、「規矩」を超えてはならない、と孔子は、自らを諫めるコトバを残している。30、40、50歳代が、高齢者に向かい、「人生100年時代、いつまでもお元気で」といのは、礼儀をわきまえた教養人のコトバである。それを真に受けて、「そうか、100歳まで頑張るぞ!」というのは、健康寿命を高めるのにはよいが、孔子の謂う「規矩」(規範やルール)を無視するような謙譲をわきまえないのは恥ずかしい。中国共産党も、指導者の老害を経験し、現職の「行政職」は70歳という線を自ら引いた。その70歳は孔子のコトバが起源である。高齢者が、自ら人生100年時代だ、と言うべからず。『論語』を深く読み込むと、孔子は70歳を過ぎて、無理難題を言って、周囲を困らせている。彼は、1点、賢いから、若い世代に学べたので、2500年も、孔子の思想は絶えることなく継承された。その孔子が勉強したのは、管仲のコトバを集めた「管子」である。


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新型コロナウイルス患者の退院

2020年02月19日 | Weblog

多くの日本人は、中国の病院の医療の能力、設備など、地獄のような風景を想像されているかもしれない。まず、CTスキャンなどの医療機器は、かなり充実している。特に優れているのは、カルテの電子化である。これにより、専門医が多角的に診断をしている。広域の情報共有は、5G通信が投入されているので、広州と北京を結ぶ専門家の会議も、適宜に行われている。この写真は、治癒がおわり、退院する患者が、たまたま誕生日なので、医療スタッフから誕生日プレゼントを贈られた場面である。他方、死亡した患者の解剖結果、完治した患者の血液から免疫性の血漿を採取し、治療に投入するなど、最悪の武漢の状態から、状況はかなり改善されてきている。


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良いものを安く大量に市場供給する哲学を再検討する

2020年02月19日 | Weblog

日本は、製造業のモノづくり哲学の間違いを真正面から清算する時期に来ている。「良いものは高い」これが西欧社会のモノづくりの哲学である。日本は、長く後進国であった負の遺産のため、性能を向上させながら、販売価格を下げ、顧客に「価格性能比」の利点を提供し、同業他社や、諸外国の企業と戦ってきた。しかし、それが個人の勤労所得の構造的な抑制を生み、長時間・低賃金の枷を自らに課してきた。この30年は、中国などのアジア諸国の低賃金社会との競合のため、労働生産性も低位で均衡してきた。このままではいけない、という論者が、「良いものを高く売る」哲学に転換しようと呼びかけている。市場の競合商品が過剰に供給されていては、価格は低下するので、「高く売る」には、供給量を減らし、市場に品薄感を醸し、さらに、受注生産でも納期を長くし、顧客を待たせる西欧の職人ギルドの「ブランド」力と「高く買ってくれる客にしか売らない」という哲学へと、日本社会も老成していく転換期に来ている。そのためには、営業職が販売額を上げるために、価格を下げ、そのかわりに大量に商品を押し込む戦略も止めた方がよい。インターネットを通じ、技術力や性能の高さを誇示すれば、オーダー分だけ生産すると、余分な在庫を持たないで、高価格商品が国境を越えて売れている時代である。高岡の竹中銅器さんのやり方は、自動車産業でも成り立つ。アメリカに過去にあった大量生産品を、セールスマンが足で売り歩く時代は終わった。富山の製薬業も、営業職を大量に抱えてこなかった。少量生産でも生き残れるのは、高性能で、オンリーワン商品に特化しているからである。そのために、日本は意識的に西欧社会のライフスタイルに移行していく必要があるが、実は、西欧社会の豊かさは、案外に農業、農家が、ワイン農家のような経営スタイルをもち、自然を大事にする牧歌性も備えていることである。イギリス人もいよいよ身の丈経営を選択し、都会的な喧騒を横目でみる「田舎主義」を大事にした。それが、ブレグジットを選んだ賢明な選択として現れているのではないだろうか?


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富山県政評論第3講:製造業に呉東・呉西なし

2020年02月14日 | Weblog

富山を議論すると、ついつい呉東・呉西論がでてくる。経済産業省と東大教授の「産業集積」の研究でも、製造業を呉東と呉西に分割し、高岡と富山とに2つの産業集積のグループがあると分析している。問題は、射水市という2つの産業圏をつなぐ中間領域を簡単に高岡圏とみなすから、2分論が成り立つ。実は、伏木富山港は、富山の製造業にとり、唯一の港であり、同時に、射水より西と、射水より東との双方向に開かれている横長い港湾を形成している。歴史的にみると、比較的に安価な電力が供給され、東西に広がる広域的な港湾のお陰で、富山の製造業は、見事に素材系から製品系までの産業連関が技術の東西連携として成立している。さらに、最近では、港湾に隣接した地域ではなく、北陸自動車道を活用する内陸部、里山にまで、産業連関の輪が充実している。そのために、富山県の針路は、製造業第一主義が濃厚であり、今後もそれを変更する必要はない。特に、リサイクル産業が力をつけてて来たので、ますます一体化を図る可能性がある。しかしながら、富山の機電工業会には排他性があり、薬業とIT企業、プラスティック工業会との高次な産業連関をめざす、質の向上のためのテクニカルなリーダー組織が欠けている。隣県の石川県の工業界には、建設・土木・情報を含め、産業政策の統合を可能にするだけの統合組織がある。富山では、異業種の経営者の間での差別意識を克服しない限り、エンジニアも成長できない。


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富山県政評論第2講:県知事選挙に関係なく

2020年02月14日 | Weblog

富山は岐路に立っている。創薬か?、製薬か?この二者択一は、すでに破綻を遂げた。県の薬事行政は、二股であったが、創薬の可能性につき、専門家の深い検討と、地場の製薬会社の力量、亡くなったリードケミカルの森氏のミスリードなど・・・、県の薬業の年間売り上げ7000億から1兆円越えには、創薬では無理筋すぎるという答えにいきついた。それで、観光業へ関心を移したのだが、森氏のミスリードの後遺症は2020年まで引きずられた。創薬の道、つまり新薬という金鉱石の夢は絶対に捨て金になるので辞めたほうがよい。では、製薬はこのままで良いのか。それは、富山大学、県立大学、富山高専と、県の製薬企業の生産過程のエンジニアリングの新結合にポイントがある。平たく言うと、富山の薬業の特色は、生物原料を用いる製薬、バイオ製薬の道筋がある。第二には、優れた産業連関があり、製薬の自動生産工程化に大きな可能性がある。前者と富大の和漢薬研究所と県立大学の製薬工学科との連携が進めば、漢方医学にもまだまだ進化の余地が残されている。製薬の自動生産工程化については、すでに少数の事例であるが、富山高専の本郷から製薬業への就業事例があり、非常に近い将来、富山の製薬企業による寄付講義が実現するので、薬剤師の人材確保のほかに、薬剤師が自動生産工程管理の技術がないというネックは、一つ一つ、現場、現場で解決されていくと思われる。総じて、当方の面談調査では、県庁、大学などの関係者は、それぞれの視界が狭すぎ、薬業の経営者も、相互に気兼ねして、富山の薬業をワンチームに育てるには、国家の行政の多面性に通じた「製薬官」の出現が望まれる。厚生労働省からの出向者の当たりはずれが、富山県民の運勢を左右している状況を打破するには、県内人材の意識的な育成が必要となる。


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