富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

富山で高度技術産業として確立したリサイクル産業

2020年06月28日 | Weblog

皆さんが、自販機で北陸コカ・コーラのアルミ缶の飲料を飲んだとします。それは、リサイクル品ではありません。食品衛生の関係で、新たにアルミの原料から生産された新製品です。次に飲み終えたアルミ缶は、廃品回収されます。それらを再生して、工業用の資材となるアルミができます。さらに、解体した建築物から、大量のアルミ枠が回収されます。高岡の銅器に必要な銅は、黒谷コーポレーションさんが、電気製品などの電線から銅を回収します。銅と錫などの合金なので、溶ける温度の差を利用し、純銅と錫に分解するわけです。今、富山には、車の古いタイヤから金属線を剥離し、合成ゴムと金属に分離し、リサイクル事業に貢献する企業もあります。以前は、産業廃棄物の雑なごみは、中国に資源ごみとして輸出していましたが、今は、中国が公害の原因として、輸入禁止したので、富山ではそれを独自な技術で大気汚染しないように処理するシステムを開拓してきました。このリサイクルの悩みは、再生品のほうがコストが高いという価格差に悩まされてきました。しかし、コロナウイルスの世界的な流行のために、原材料の輸入が一気にとまり、日本国内での資源ストックには限界があるため、国家の安全保障として、富山のリサイクル産業が、地道であるが国家防衛の戦略として脚光を浴びてきました。こうした分野への巨額の産業投資は、おもに「みずほ銀行」が政府資金と自己資金を加え融資してきました。富山のみずほ銀行の取引先の中堅企業は500社を超える規模があります。その代表格が、再生紙の段ボール生産から立ち上げた石崎産業という企業、今では、IZAKといいますが、大きく成長してきました。富山の今後の伸び筋の産業は、国家資源としての戦略重要物資のリサイクルです。富山には、自衛隊の基地はほとんどありませんが、富山はマテリアルフローの関係で、国家戦略のリサイクル基地として、射水、富山、滑川、魚津の富山湾岸の中核都市圏が成長してきました。ところで、石井富山県知事は、中国共産党の習近平に表敬訪問し、中国共産党の人材を県庁に招いていました。今や、中国共産党の世界征服を阻止し、国家戦略の重要な物資を生産する富山県の国防を考えると、石井知事には退陣を求めなくてはなりません。今度の知事選は、中国に媚をうる石井氏か、リサイクル産業を育ててきた新田八朗さんか、最大の争点は、売国か、愛国かの選択にあります。


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保守本流から転落した石井知事

2020年06月26日 | Weblog

またしても政局の流動化が始まり、旧田中派の大同団結がみられる。他方で、保守本流の再調整がみられ、菅官房長官の立ち位置では、政局は波乱含みの展開となってきた。保守本流とは、基本、国民経済学派であり、軍事費をGDP5%に抑制する原理を保持し、世界の自由主義と強調する立場である。主に国家官僚の経験者が帰属する流れだ。富山県の石井知事のように、経歴は保守本流なのに、保守本流から新田八朗さんが知事選の準備を整えた段階で、なんと砂防会館を訪問し、元老の綿貫さんたち旧田中派の重鎮の傘下に取り込まれた。つまり、保守本流と、党人派を基盤とする勢力の権力闘争が、中央政界にはある。その渦中に、石井個人の五選願望の私欲を引き込んだのが、中国共産党に利権パイプをもつ石澤氏である。新田八朗さんは、非常に聡明で、富山県の地方自治の一体化にはマイナスと考えて、保守本流の色よりも、非推薦を逆に生かして県民党の色を強めてきている。石井さんは、孔子が「論語」で述べたように、「高齢者が戒めるべきは、欲望である」との教えを知らないで、保守本流から離れ、自らの官僚生命を旧田中派の流れに託した。彼は、自己判断で政治的な賭けにでたと思うが、実は、自分が賭博のネタにされていることを知らないようだ。仮に僅差で五選しても、保守本流からはみ出た、つまり、「論語」にいうように、70歳すぎれば「心の欲するままにしても、規矩を越えてはいけない」という教えを身に着けていないことを意味する。「規矩」とは、保守本流で生涯身を処する政治家という意味である。安倍と石破との、保守本流と非主流の政権闘争に、まさか石井さんとあろうものが、自らの名誉を賭博のタネに捧げるのは、保守本流人の常軌がもともと無かったことに起因するかもしれない。もしかすると、哀れな官僚の末路となる。以上、歴史家として、客観評を記してみた。

 


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石井知事、自らが東京に集中し、地方分散を説く矛盾

2020年06月26日 | Weblog

富山県の産業を深く調べると、実は、東京など首都圏に一極化していない。原料の輸入、加工、移出、輸出の流れをみると、関東圏、中京圏、関西圏の三極構造にある。したがって、東京一極の集中を緩め、地方へ移転といっても、富山県の場合、すでに中部日本の中核地域として、3つの足をもつ構造体なので、東京から富山へというのは、狭い視野にすぎない。スギノマシンは静岡に、朝日印刷は京都に、阪神容器は関西にも生産拠点がある。製造業から東京への一極集中は、間接部門の事務所の集中であり、生産拠点は、それぞれ、関西から富山へ、中京圏から富山へ、関東圏から富山へとリスク分散されている。間接部門の東京一極集中は、三協立山と日立との連携などの事業計画のすり合わせに必要なので、経済原理から当然の流れである。それを壊すのは、日本国の経済の仕組みを知らない評論家の議論である。それよりも、富山県民に必要なのは、富山県庁が、関東圏、中部圏、関西圏の3つの経済圏との緻密な連携を促すことである。自分が東京一極集中し、それを地方移転するというのは、アクセルとブレーキを同時に踏み込むことになる。


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金鉱は総務省にあるのか:石井知事の東京駐在の意味

2020年06月26日 | Weblog

石井県政の評価は、高い補助金の集金力にあるという。はたして富山県の財政収入の金鉱は、永田町にあるのか?東京が、知事の主戦場なのか?しかも、出身の総務省だけが補助金の金鉱なのか?富山県の財政収入の根幹は、富山県民の総所得にあるから、他府県の知事は、県内の総生産の向上に努力をかたむける。金鉱は、あくまでも県内の諸産業にあるとみる。県財政の収入は、制度的には、国から地方へ交付する分と、重点政策を推進する補助金の交付などで受け取る。その場合、総務省から地方へ交付される金額は制度的に配分の比例係数があるので、特に富山県にだけ厚く交付できない仕組みである。他方、重点政策の補助金は、総務省だけでなく、国土交通省、経済産業省、農林水産省、厚生労働省などの多岐にまたがる。富山県の場合、石井知事の努力で総務省の補助金を引き出しても、財務省の目からみると、その分、国土交通省、経済産業省、農林水産省、厚生労働省などの別の金鉱からの下げ渡しにより、国家財政としては、各県からの歳入に対し、平等に、各県の歳出を高い次元から再調整しているので、47都道府県は、沖縄、北海道を除き、見事に平等に配分されている。それが、財務省の主計官の仕事である。つまり、国からの税の再配分の総額を増やすのは、県内のすべての産業の収益構造を改善し、同時に、県営事業の構造赤字を減らすことである。特に富山県では、高岡の金属産業がCKサンエツ、黒谷コーポを除き、納税する力が激減し、富山の製造業に底割れの危険が迫っている。補助金という餅が天から降ってくるのを期待し、石井知事の五選を選択する姿勢こそが、実は富山の衰退原因を深堀する。ちなみに、石川では、金沢港では、クルーズ観光船の着岸ターミナルの先行投資が行われている。富山県民の自助努力を基礎に産業競争力をとりもどす、足元に金鉱がある。

 

 


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敗れた台湾国民党の混迷が呼びこむ大陸に軍事冒険主義

2020年06月22日 | Weblog

蔡英文の率いる民進党に総統選挙で惨敗した台湾の国民党に、新たな」巻き返しの種は、まだ見つからない。韓氏は高尾市長を外され、大衆から罷免された。ここに、台湾の国民党は、大陸の中国共産党にとり利用価値がなくなり、大陸側は、台湾の武力統一を唯一の選択肢として選ばざるを得なくなっている。つまり、習近平の平和工作が失敗した分だけ、軍部の武装解放論が強まり、習近平も抑えが利かなくなってきた。さらに、香港でも、武力で中央突破を試みる路線に転換した。このようにみると、中国共産党の選択肢は、コロナ不況からの出口を武闘派が塞ぎ、貿易経済の自由化とは逆の軍政国家の色を濃くしてきた。コロナ不況から世界恐慌への転落は、習近平の武闘路線そのものに見いだされる。今や、台湾の国民党という緩衝装置がなくなったことの波及は、非常に深刻である。


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石井知事、涙を浮かべ、二階幹事長にすり寄る姿

2020年06月20日 | Weblog

この新聞報道には、驚かさせられた。習近平にすり寄る二階幹事長、日本の知事で最も中国共産党から親中派と評価されている石井知事、このような自民党本部における写真を見て、富山の自民党党員は、心の底から喜べるのか?今や、中央政治は、反米親中国の二階と、親英米嫌中国派との全面的な政治闘争となった。堅実な石井知事が、ここまで親中派として、旗色を明快にするとは予想していなかった。これで、親英米嫌中国派の新田八郎氏と、中国共産党にすり寄る石井知事との全面対決は、同時に、日本の政局の頂点の縮図を示すものとなった。富山では、衆議院の解散含みの政局と重なり、保守の本流と、旧田中派の親中派との全面対決が、早くも知事選挙の前哨戦で戦われることになった。この夏の陣は、富山県民の判断の行方が、日本の中央政局と重なり、ローカルな知事選挙の様相ではなくなった。


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中華人民共和国の民法典が完成

2020年06月13日 | Weblog

中国の社会に近代的な法秩序をうちたてる試みは、義和団の乱が終結した翌年、1901年に始まる。最初は、日本の明治法学の模写から始まり、日本人の学者が顧問として中国に行き、中国の六法の体系を整えるのに苦心してきた。それ以来、中国の民法の策定は困難な作業ばかりだった。各種の民間慣行が地方ごとに違うので、民事習慣調査を行ったり、欧米の法の研究に取り組んできた。このような法学者の努力は、皮肉なことに中国国民党、中国共産党の中央からは、緊急性のない近代化事業として、常に政治の外側におかれ先送りされてきた。ちなみに、台湾は、各種の政治動乱があるにも関わらず、日本の専門家がおこなった台湾の民事慣行調査をもとに、中華民国の民法を下敷きにしているので、台湾社会はきちんとした民事訴訟の近代法律文化が定着した。他方、大陸では、中国共産党は「法治より人治」に傾き、文革の破産後についに「人治から法治」への時代転換がおこった。それから、中国では、民法の制定は、緊急性のある課題からということで、遺産相続法が最初に制定された。つまり、各論が先行したわけである。その結果、民法総則の制定が最後の最後の大事業として残された。この作業は、江沢民、胡錦涛、習近平の三代にわたり行われた。2020年、ようやく総論と各論との整合性が整った中国民法典が整えられた。社会の根本は、公法の憲法にあるという見方と、実は、民事習慣を土台とする私法・民法の世界こそ人類史の根本なのだという見方もある。歴史を地味な民衆史の次元でみると、民法の整備は、個人と個人との近代法の契約が規範となる。中国は2020年にようやく近代化が完成した、そういう歴史の見方もありうる。


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中国には、毎年のような洪水被害がある

2020年06月12日 | Weblog

中国には、毎年のように洪水被害がある。そこから今年の洪水被害が、国家の存亡をかけるのような食糧被害に発展するか否かは、まだ分からない。あたかも、中国が国家倒壊するような議論は、すべて外れてきた。問題は、洪水で農業被害があろうとも、そこからGDPが大幅な減少に転じることはない。中国農業は、雇用の吸収装置となるような、アメリカ農業のような産業としての吸収力はない。あるとすれば、北中国の綿作地帯と、東北の大豆生産が、世界経済にリンクするだけである。「反中国」SNSは、どのような問題でも表面的な理解しかしていないから、「反中国」の役目をしていない。さて、日本では、一部の企業が中国生産の主力工場を移してきた経緯があるが、このたびのコロナ不況を経験し、日本政府は戦略的な自国安全のために、コロナ対策費を用いて、産業ロジスティクスの一部が中国に移転している部分の一部を日本国内でも内需生産する方向に転じ、中国を通じた安値での世界市場への供給をやめるので、この転換に1年を要するが、日本は蓄積したファンドを活用し、世界で最初に「供給国」としての体制が整備できる。


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財務省と内閣府が6月11日発表した景気予測の甘さ

2020年06月11日 | Weblog

財務省と内閣府が11日発表した4〜6月期の法人企業景気予測調査は、<大企業の全産業の景況判断指数(BSI)がマイナス47.6となった。リーマン・ショック後の2009年1〜3月期(マイナス51.3)以来、11年3カ月ぶりの低水準。新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言などの影響で、企業心理が悪化した。マイナスは3四半期連続。 調査時点は5月15日で、約1万社が回答した。 製造業はマイナス52.3、非製造業はマイナス45.3だった。 見通しは7〜9月期がマイナス6.6、10〜12月期がプラス2.3となった。>という。これは、驚くに当たらないが、企業はまだ「10〜12月期がプラス2.3」と年末には、プラスの転じると、期待可能性が先行している。調査時点は、国内のコロナウイルス対策を唯一の懸念材料とした景況感にすぎない。最近、公表されたYKKさんのファスナー事業は、世界経済の実勢を現実の需要動態を反映したもので、富山の企業人は、YKKのファスナー事業を見れば、世界経済の景況が判断できるという物差しをもつべきであろう。すると、YKKが供給する発展途上国ほど、コロナウイルス対策が2021年度までずれ込む恐れがある。仮に、2020年の9月に、ワクチンの接種が可能となっても、発展途上国に行き渡るのは、来年の2021年度を待たなくてはならない。2021年の租税収入が、リーマン・ショック以上の落ち込みだと想定する必要がある。石井知事、新田候補も、リーマンよりは落ち込まないという楽観論を捨てたほうがよい。


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大不況への踊り場:2021年、税収は大激減

2020年06月11日 | Weblog

カレンダーを見ると、2020年も6月、つまりは上半期は、終わりかけている。ところが、富山に限って言えば、石井知事には「大不況」の到来という近未来への危機感がまるでない。コロナウイルス恐慌というのは、日本では、僕のような高齢者の生命が守られているという意味では、高い民度の国家であるが、結果として、国家の高齢者の社会保障負担は、依然として、重く、次世代への権限の委譲が遅れ、日本の産業社会が低次元で停滞する現象が常態化してきた。「富山新聞」によると、北陸経済は大きな不況に襲われている。2020年の後半期において、上半期のマイナスを補っても、単年度の損益計算書における利益は、大幅な赤字が予想される。YKKは、ファスナーという価格帯の低い量産品を少量、多品種を世界市場に提供しているが、すでに大幅な減益が予想されている。石井知事は、2021から2022,2023,2024年の4年間、税収減の下方圧力にいかなる備えをされるのか。いまこそ、大不況に備え、県市町村の公益事業の事務の集中化と外注化を図るなど、経済の大縮小を前提とする「緊縮」を基調とする政策に転じなくてはならない。観光業が復活すれば、景気は回復すると考えているようでは甘い。主要な企業が赤字決算をして、法人税を大幅に圧縮してくるから、2021年の税収見通しは、きわめて厳しいと想定するべきである。新田候補は、県営事業の構造的な赤字体質を改め、民間企業の経営文化を活かす政策を提案してほしい。


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なぜ、新田八郎さんが富山武道館構想を再検討するのか?

2020年06月10日 | Weblog

僕は、このブログでも、署名運動でも、武道館の推進派である。基本、そのことは変わらない。しかし、武道館は老朽化し、イベント観客席がないから、2019年のコロナウイルス恐慌以前の世界経済の状態なら何の問題もない。武道館など新規事業は、やるべきと思う。しかし、コロナウイルス恐慌は、経済学の想定する最悪のリスクから生まれたものである。引用したグラフは、2021年度に国際通貨基金は、経済成長率が急速に回復すると想定するが、それは心理的な期待感である。グラフをよくみると、青の線でかかれた先進国の成長率は、2000年を境にして、成長率の高い山の頂点がだんだん下降し、同時に、谷もより深くなってきているのが分かる。先進国が新興国に投資し、グローバルな成長率は、赤の線で示されているが、O%の基準線に向け下降している。さて、富山の製造業は、今後、伸びると予想されるIT通信革命のハードの生産企業はなく、どちらかといえば、20世紀の最盛期を迎えた過去の産業である。このたび、YKK,三共立山などの決算が公表されているが、その業態は、世界の5Gがけん引するIT通信革命の外側にあるから、このグラフの2021年の期待可能性も、富山の産業の業態からして極めて低い。

新田さんは、非常にリアルだ。県の政界で新田支持の大黒柱である中川忠昭前県会議長が推進してきた武道館構想を真っ先にストップした。つまり、身を切る改革を実践されたわけだ。僕も中川さんと、武道館の署名を集めた仲間だ。にもかかわらず、県知事選を物取り、補助金たかりの機会とは考えていないから、新田さんが身内ともいえる側の積年の念願を抑えてまで、武道館構想の再検討を訴えられたのは、富山県の経済の直面する課題が、当面の金繰りではなく、世界の最先端産業から落伍し、明治16年に始まる富山県にとり、富山の産業の静態構造が、後発薬、リサイクル産業という、日本経済の裏方だけが伸びる状況では、富山は10年、20年、30年の先は見通せないという危機感がある。身内を切る改革をしないと、富山の主要な産業経済は、きわめて厳しい。YKKのファスナーの事業の統計は、世界経済の静態と動態の構造を把握する「世界唯一」の資料である。国際通貨基金の統計は金融資料にすぎない。ファスナー事業には、まことにリアルな資料が集積されている。新田さんは、リアルに2021年からの富山の経済の静態構造のほころびを見ている。角度を変えると、北陸銀行も瀬戸際に来ている。そうした危機感が、富山の自民党の多数派には、まるで欠けている


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「論語」雍也篇26章「井戸の中に仁がある」?

2020年06月09日 | Weblog

岩波文庫の金谷治先生の翻訳はまだ良心的だ。ひどいのは、仁を人と同義だとみて、「井戸に人が落ちた」と解釈する説もある。「井」は、井戸という意味もあるが、その場合でも、最初に井戸を掘った人には仁がある、と解釈するべきである。それなら、「井戸には仁がある」という仁者を自称するものの言葉として理解できる。しかし、孔子の時代、東周の時代には、「井」は、一里四方の土地を九人の農夫で耕し、九分の一を国に公租として納める制度があったことは、管仲の文献でも確かめられる。のちに、孟子が九分割された真ん中の土地を公田として、八人の農夫が耕作する井田法を唱えたので、ここは「井」は、井戸ではなく、「井田」と解釈することができる。つまり、「ある仁者が私にむかい、井田には仁があると申しているが、それに従うことができますか?」と弟子の宰我が質問した。そこで、孔子は「どうして正しいと言えようか。君子は逝【進】むことはできるが、陥没してはいけない。欺くとしても目をくらますことはできない。」と、弟子の宰我の疑問は、正しいと答える。それで、孔子は「里、仁を美となす、択びて仁におらずんば、いずくに知を得ん」という。つまり、農田の「井田」に「仁」があるのではなく、父老が徳育教化する集落である「里」こそ、「仁」を養う場所なんだと主張する。とすると、孟子には、「論語」のこの章の「井」は、井戸のほうが都合がよい。なぜなら、彼は「井田法」を創案したといわれる。しかし、孔子が「井田」の耕作には「仁がある」という「仁者」の主張は、孟子の主張と同じになる。それをすでに孔子が否定しているにもかかわらず、孟子が「井田法」を主張したことになる。そこで、朱子学では、孟子を重んじるために、「仁の人が井戸にハマった」という珍奇な説を正当化する。金谷先生も、「井は井戸」と思い込まれたようだ。


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觚、觚ならずや。觚ならんや、觚ならんや。

2020年06月09日 | Weblog

この言葉は、「論語」雍也篇の第25章にみられる。これを金谷治先生の訳では、<酒の礼で觚の盃を使うのは、觚すなわち寡ない酒量のためであるのに、このごろは大酒になって、觚が觚でなくなった。これでも觚であろうか。觚であろうか>、とある。何晏の注釈では、<「觚ならんや、觚ならんや。」は、觚に非ずを言うなり。以て、為政のその道を得ざれば、則ち成らずを喩えるなり>、とある。大事なのは、何晏の注にある比喩、つまり、孔子は何を祭礼の酒器にたとえたか、にある。さて、觚と孤とは、音通である。觚と言って、同じ音の孤という文字を例えることができる。有名なのは、五と武である。五は、武力闘争の隠語となる。同様に、觚は孤の隠語でもある。すなわち、「論語」の里仁篇、「徳は孤ならず。必ず隣あり。」という有名な言葉の孤と、雍也篇の觚とは、音通であり、觚を以て孤を隠喩することができる。魏王朝の時代の何晏の注釈にある比喩の言葉だあるという説は、中村哲夫の拙論を傍証するものである。少数派には、孤独感がつきまとう。孔子も人の子、祭礼の酒杯の名を借りて、「觚、孤ならずや。孤であろうか、孤であろうか」と慨嘆する情景だと理解できる。

 


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富山知事選挙の大胆な予想

2020年06月03日 | Weblog

この図は、ヨーロッパにおける極右と極左とが両極で対立しながら、中道政治を妨げているという評論に使われた図案である。さて、富山県では、最大多数は中道の無党派である。これまでの石井知事の再選の構造は、共産党候補との一騎打ちであるから、保守系プラス無党派の一部が石井知事を支持してきた。かくいう僕も、石井さんを記名してきた。さて、予想をする限りは、2020年6月の現時点ではなく、秋の県民世論の軸心がどこにあるのか、それが問題である。大胆な予想とは、中央政治に知事選が左右される無党派層の気分を先読みすることである。そこで、富山の自民党の党員は、安倍支持よりも石破支持に傾いていることを前提として考えたい。すると、石井知事は、安倍官邸との距離が近すぎる。それは、コロナウイルス対策にも強く現れている。新田陣営は、世論調査というデータサイエンスを駆使しているので、石井さん右派・共産党候補は左派という構図のなかでは、中道右派から中道左派、つまり石破支持派とそれに近い層が、非自民、非共産という真ん中に大きな「県民党」という心理マーケットが広がっているのをすでに分析している。たとえば、野上参議院議員が安倍総理側近だったので、仮に野上さんに一本化されていても、過去の石井さん支持層の上塗りになるだけである。自由民主党が、現職推薦で一本化し、新田さんを自民党の政治文化から冷淡に排斥した場合、新田さんには、非常に広範な「反安倍」=「現職倦怠」のバネが作用し、中道から左の政党と政策協定を結ばないでも、単純に「ワンチーム」といっておけば、安倍自民党への倦怠感を取り込むことができる。僕の予想では、自由民主党の県会議員の多数派が、時代錯誤してあと4年を高齢者に託したら、そのことが新田さんには、逆に最大の選挙協力となる。また、新田さんに一本化すれば、中道の受け皿となる新田さんの影響力で、今後の自民党の党勢拡大につながる。つまり、石井VS新田、それは6月の話題であり、今秋以後の安倍政権の末期では、自民と再編される野党との間での衆議院選挙、次期の参議院選挙を踏まえた2020秋から2021春への無党派層の揺れを計算しなくてはならない。いずれにせよ、石井支持派は「四年債」、新田支持派は「十二年債」を選択することになる。富山の政治は、極右にも極左にもぶれない。どちらが中道の心理をつかむかである。それほどに、安倍政権の末期化とリンクする石井県政の賞味期限切れは、今秋に深まるだろう。


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石井知事の東京一極集中の分散化は、空虚なスローガン

2020年06月03日 | Weblog

情報工学の基礎知識があると、富山県の知事の課題は、中央官庁や大企業の本社を地方に移転させることには、人口減の対策としては意味がないことがすぐにわかる。図の左のホストコンピューターにあたる指令の中心は、さまざまな異業種の入れ子により、対面の信用の確認を必要とするから、一極集中する。官庁や本社機能の地方移転は、情報化社会の意思決定の仕組みと矛盾する。つまり、司令塔の東京への集中が歴史の必然である。他方、工場、研究所、実験場などのファクトリーは、いかに地方分散しても、日本の社会効率は低下せず、逆に、効率化する。石井知事のいう中央官庁の一部や、企業の本社機能の一部を富山へ誘致する路線は、経済社会学の原理に反するので、気持ちは分かるが、現実には不可能な判断である。他方、富山県は、大正時代このかた地方工場のモデル地区として、大阪、名古屋、東京に本社のある大企業のブランドを支える土地として、日本海側での最先端の産業集積がなされてきた。したがって、富山の産業構造は、全国の基幹となる企業の本社の東京集中により、富山県内では、隣接する工場と工場は、隣接する赤の他人であるから、富山人は、これまで住宅地では隣人だが、産業人としては、三菱系、住友系、トヨタ系など、図の左側のピラミッドの端末のように横連携することなく分立している。つまり、富山の主力の産業である製造業は、横連携のない端末が、隣接する赤の他人として、富山県にばらばらに散在している。その結果、図の右側のように生産拠点が、富山という地場で横連携することがない。富山で産業界というと、富山に本社のある企業だけに地域貢献が求められ疲弊することになる。ここで視点を変えると、富山で育ったが、富山にお墓がない転勤族の子供たちは、富山に帰属意識がないから主に首都圏の大学に進学し、父親の会社の本社での就職採用に備えることになる。年間、4000人の優秀な高校生が県外に流出している。それと同数の他府県から富山大学へ転入する学生がある。しかし、差し引くと学生は流出、それを埋めるのが、富山工場に配属される新入社員である。そこで、富山県の課題は、地元資本ではない企業に派遣されてきた工場長やエンジニアを旅の人と排斥しないで横連携をして課題解決を助けること、さらに、富山に工場があり、東京に本社のある様々な企業のトップへを富山視察に誘い、富山工場の伸びしろや、異業種の連携による「共同事業体」を富山に誘う作業が必要となる。こうした産業と産業の隙間を富山という地方で埋めていくならば、富山工場に配属される新入社員が増えてくる。石井知事は、営業でいえば縁故、事前紹介のある範囲で、「地方移転のパンフを配る」だけである。もう四年、通算20年、石井知事は富山人の県勢の微妙な衰退を常態とする「評論家」に過ぎないことになる。新田さんの場合、水素社会への異業種の結合という点で、企業人のツボをつかんだ営業ができる。さらに、リサイクル産業が、富山の産業と産業の隙間をうめることになる。資源の再生こそ、異業種の連携のかなめとなる。

 


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