富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

渋沢栄一「論語講義」09/01

2021年03月18日 | Weblog

原文は、「曽子いわく、終わりを慎み遠きを追えば、民の徳に厚きに帰す」とある。実は、この句は、漢王朝の時代から誤解されてきた。「終わりを慎み遠きを追う」とは、先祖の祭祀を盛んにすることだと誤解されてきた。孔子学派の教材である「管子」を調べると、「終わり」とは、Goal ゴールのことを意味しています。「未来の目標を慎重に定め、民衆に示したら。民衆は慕い寄ってくる」という意味です。今、SDGsのGsが、それに当たります。これは、2200年間、誤って解釈されてきました。仏教も中国化して、先祖祭祀になったのも、この章の間違った解釈に原因しています。この章は、渋沢先生の解釈に従う必要はありません。


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渋沢栄一「論語講義」08/01

2021年03月17日 | Weblog

<君子には、重厚さがいる。忠義に欠ける人を友とするなかれ。間違いを正すに、ためらいはするな。>渋沢先生は、3項目に分けて理解されているが、根本は、友人論である。友人から適切な忠告がないような人物では、君子といわれる立派なリーダーにはなれない。


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渋沢栄一「論語講義」07/01

2021年03月14日 | Weblog

子夏は、孝悌の行いがきちんとできれば、それだけでも、学んだと評価してもよい、と言った、渋沢栄一さんは、何事も実行が先に立つと、この子夏の言葉を誉める。なお、原文の「賢賢易色」は、賢を賢とし色に易る、と読み、「色」を好色と解釈するが、中村の研究では、顔色を変える、つまり、食事と日常の倫理により、顔つきも顔色も変わってくることを意味している。好色とすれば、渋沢さん、相当な好色家だったそうだ。賢人を賢人として敬い、食事と気持ちの張りにより顔つきを良くするのも、孝悌の一つだという。

 


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渋沢栄一「論語講義」06/01

2021年03月12日 | Weblog

最初に、数字記号の意味を説明します。◆/01は、第一篇の学而を意味します。06は、学而編の第6章を意味します。この番号は、底本である渋沢栄一の「論語講義」の講談社学術文庫の章だてに会せています。論語の原文は、ここでは繰り返さないで、中村哲夫が原文の意味を要約します。<弟子はまず孝悌の行いを身に着け、多くの人に博愛の精神で行動しなさい。そして、余力があれば、読書して学びなさい、と。>渋沢栄一さんは、まず実学の実践を先に、そして学問をしなさい。空理空論の学問を諌めている。さて、この章は、孔子の知行学説をはっきり述べたもので、全てが孝悌の実践に始まるという。この孝悌を基本とする思想は。「管子」に起源している。孔子は、あの膨大な「管子」の思想命題から、未熟な青年がなすべき道として孝悌の実践を教育の柱とした。これは、パクリというよりも、「管子」を学ぶ道筋でもある。渋沢栄一さんは、実は「管子」の実践者である。


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