富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

高岡市は、マイナス・スパイラルが止まらない

2018年01月31日 | Weblog

夕張炭鉱の不振で崩れた「夕張市」は、東京都からサポートを受けている。死んだ者の価値である。なんとか再建できると思っているうちは、マイナス・スパイラルに落ち込む。都市としては、再生できない。なぜなら、主な銅器の産業の売り上げが、最盛期から激減している。工芸は中世・近世の領主制の社会では成り立つ。

市民たちが、自分たちの素質が、富山県民の全体からあまり好かれていないことを知らない。TVで、市の説明会を見ていて、気の毒に思うより、快感を感じるほうが強い。本州における地方自治体の最大の破たん事例である。都市として、昭和13年に終わった、と僕は[『富山県史』に明記しておいた。だから、富山県庁では、「大富山市」構想を出した。それを蹴って、100年。射水市民の方が、高岡市民よりは知性が上になった。「大富山市」構想が正しいのである。

 

 

 


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「劣後」集団ほど、策略で生き延びようとする

2018年01月31日 | Weblog

先頭は孤独でも、心理的な優位がある。注目もされる。競技場で周回遅れの「劣後」組は、集団で自衛をしようとする。その典型が、北朝鮮である。その第二が、中国共産党の「紅二代」と呼ばれる父母が1949年までの共産党員の子弟である。これは、習近平政権の核となっている。アメリカでも、「劣後」集団は、白人の学力非力のグループである。日本では、労働組合に身を寄せた人たちである。何とか、陰謀、策略で生き延びようとする人々である。世界史的には、弱者で、自ら滅ぼされることを自覚するから集団を構成し、「政治」を命とする。日本で一番の陰謀集団は、立憲民主党の赤松グループである。旧社会党の本流をつぐ。第二は、旧日本共産党のグループである。党内では、新共産党に権力を奪われ、中国、ロシア、韓国、北朝鮮の諜報機関とコンタクトし、週刊誌に内通しながら、陰謀で生きる集団である。

劣後左翼は、高齢化して自然に消滅はしない。世界の劣後左翼の陰謀集団は、さまざまな形で無政府主義に近い陰謀により、日本を国民国家として統合する流れに消極的な風を送り込む。

 


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R.ヴィルブラント著・赤松要訳「カール・マルクス」を読む

2018年01月28日 | Weblog

古本屋で買って書庫に放置していた昭和初期の翻訳書である。調べると、原本は国会図書館にある。翻訳の発案者は、福田徳三という日本の大学における経済学教育の元祖ともいうべき大先生だ。弟子の赤松要さんの留学費用を支援する訳業として企画された。

当時の翻訳文だから、難儀した。27日の午後から、28日午後3時かけて読了した。マルクスの運動が惨めに破たんした理由につき、非常に深い共感と、酷評を交えながら、階級闘争至上主義、国際主義への憧憬、ある種の詩人の執念として描きだしている。マルクスという書き手の現象学的な解体に成功している。非情に質の高い本だ。なぜ、読んだか?富山湾岸社会主義運動の拠点であった旧制富山高校の研究のためである。この書が蔵書にあるのか、ないのか・なぜないのか?「ノン・マルクス」を旗印とする福田厚生経済学が、この地では根付くのに時間がかかったといえる。【家内が、お茶の時間、と叫んでいるので失礼】


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新世代はどんな暗闇を歩いているのか。

2018年01月28日 | Weblog

新世代は、平成の年間に生まれた人たちである。日本の教育制度では、3歳から5歳の単位で「年齢集団」の色合いが異なっている。教科の内容が変化するためだ。ケーブルTVで、富山工業高校の吹奏楽の定期公演を見ていると、現役世代は、みんな基本的なダンス世代である。教員の幹部は、グレンミラーのスイング・ジャズ世代である。校長がエレキギターを弾きこなされたのには驚いた。工業教員というのは、面白い。現役高校生は、世代別の輪切り構造のなかで世代をタテに繋ぐ糸として、音楽を捉えている。言葉の力よりも、基本、物理的な解析が可能なサウンドの世界に繋ぎ目を求めている。

これは、現代における杏壇である。孔子の学習塾では、「詩経」305篇の暗誦が教育の基本である。これには、楽譜があり、楽器演奏があり、ダンスが伴っていた。孔子は、打楽器の奏者である。弦楽器には、目の不住な奏者を先生として招き塾生の指導を任せた。孔子は、諸国を行脚しながら、中華世界の音楽を総合的にまとめた。それが「詩経」である。孔子の直弟子は、歌詞の採録、音符の写譜など、共同の作業を行っている。ここで、言語文化としての「中華文化」の祖型がうまれる。孔子の孫の子思の「中庸」も、集団演奏して和音が調和する瞬間の境地から導かれている。孔子の音楽は、辛うじて変形した形だが、日本の皇室に残されている。だから、日本は「小中華」とも言われる。

日本の次世代は、世界を共有しうる地平に来ている。東大卒や早稲田大学卒の女子たちは、過去に考えられない「軽い文化」のジャンルに進出している。これを大衆迎合なんて言わないほうがよい。でも、これは暗闇のなかの歩行である。ただ言えることは、大正デモクラシーよりは進化していることだ。なぜなら、啓蒙者の自尊、自大がないからだ。しかも、文化の身体化という一点がしっかりしている。

 

 


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哲学史は書けても、哲学は書けない

2018年01月27日 | Weblog

日本では、哲学史をもって哲学者とする風潮がある。中国では、哲学史という哲学の方法が定着しているので、歴史を論じるがそれは材料であって、論者の哲学はきちんと前面にでてくる。古典漢語を読み込むだけで生涯が果てる日本人学者のハンディを超えるには、どうすれば良いのか。方法論を変えることだ。あるキーワードの概念の意味の歴史変遷から哲学史を構築する方法だ、日本では、「気」の研究で、中国の学界に日本から新風を吹き込んだ。だが、その後がいけない。綺麗に歴史は整理できたが、それまでである。

哲学家として自立する。これは、昔は極めて困難であった。どのくらいの年齢で、哲学家として自立するか?まず、70歳が目標となる。20世紀は、病理の酷い時代であった。ヒトが病めることを通し、哲学に救いを求めた。21世紀は、世界が遊戯となった。シリアスな哲学は、ヒトのクスリにはならない。僕だって、肺癌だ、と医師に言われて、喜んだとは言えないが、ゲーム機を与えてもらった気分だった。北朝鮮の金チャン、アメリカの虎ちゃん、中国の習チャン、ゲームのキャラクターに相応しい容貌だ。退屈しのぎが、ゲームだとすると、人文学は最高のゲーム場なんだ。特に、言語の学問をシステムとして掘り下げると面白い。真、善、美とか、仁、道、理、気、中庸、・・・言葉は同じでも、一人一人、正しく間違って使っている。誤用も通じれば良い。国籍も人種も性別も、みんな超える言語は、20世紀の人はエスペラント語に求めた。このエスペラント語に変わるのが、「アニメ」という媒体である。このコミュニケーションのツールが、21世紀の文字を超えた人類共通語となる時代がきている。その為には、表意文字の掘り下げ、シナリオの掘り起こしなど、アニメーターの創作に寄与するように、人文学の志向を定めることだ。遅れた大衆への啓蒙という左翼は退場するべきだ。このようにみると、日本の私立大学の人文学は、世界の第一線に立てる可能性がある。これが、現代哲学として、脳科学と言語科学、心理学の入れ込みを促す理由なんだ。

 


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思い込みを修正する読書

2018年01月26日 | Weblog

中国人は、現実を重視し、夢をみない民族だと思いがちである。確かに、現実への柔軟な対応力は優れている。だが、歴史の転換点では、「夢みる人物」が登場する。その第一人者は、孔子である。秦の始皇帝も、永遠という夢をみていた。それから、2000年、孫文は、地球のなかの中国の落ち込みを、人類にたいする中国人の自己責任の回復を夢見た。中国の様々な書籍には、「夢」にまつわる話が多く出てくる。夢の一つは、潜在意識にある願望である。もう一つの夢は、占いである。だから、夢についてまとめて1冊の本になる。習近平は、いきなり「中国の夢」を提唱した。「中国人の夢」を代表する「夢文化」である。僕が、読書しなかったら、中国人は現実主義者だという固定観念に染まっているだけだった。でも、「論語」にからむ読書をした結果、中国的な思考法として、閉鎖回路ではなく、開放型の回路があり、自殺を避け、生の饗宴を夢見ることで生存を高めることに繋げている。日本に宮崎滔天の「三十三年の夢」は中国人に知られている作品だが、夢と挫折とが交互に現れ、基本は、悲観である。彼と親しかった孫文は、100年後の中国の夢を楽天として信じていた。

僕は、少子化の日本の将来を楽しみにしている。必ず困難、困窮の場はある、「窮すれば通ず」という『易』の啓示は、「夢」の源だと読書で知ったからだ。

 


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漢語の「工作」と日本語の「労働」

2018年01月24日 | Weblog

人民日報のネット検索に、「工作」を入力すると、32万件はヒットした。反対に、「労働」を入力すると「??」という反応だった。分かっていて、実験したまでである。「??」のおかげで、中国国民党革命委員会という少数政党のHPへ、中共がわのページから容易にアクセスできることも分かった。

中国が、もし、明治時代の日本式の漢語である「労働」を使っているとしたら、事柄は深刻である。というのは、中国特色社会主義の思想言語群から「労働」が消えて、「工作」に一般化されているからこそ、中国特色といえる。つまり、日本と中国とでは、社会主義思想の思想言語群が共通していた時代から、はっきりと別物に転じた時代へと転じていることが知られる。周恩来の処女論文がある。「工読主義」という論文は、改めて読んでみると、凄絶な「覚悟」がみられる。中国は人類の一部なのに、他人まかせ、座して食する古い読書人の体質のために、人類のお荷物となっている。だから、さまざまな職業で知識能力を活かし、中国が経済的に自立する必要がある。そのためには、「工作」し、「読書」し、「休息」をとる生活改善こそ、中国が世界にご迷惑をかけない道だ。それには、婦人の社会的役割を高めることも欠かせない。性別分業ではなく、婦人もこの責務を果たすべきだ、という。これを仮に周恩来思想とすると、1949年以後の中国で、完全に定着したのが周恩来思想である。昔、「周恩来伝」の邦訳をお手伝いしたのも、まんざら無意味ではなかったと思う。逆に、「毛沢東伝」は、まだ、中共中央の正史の伝は出来ていない。周恩来は、日本と親しみながらも、独自の思惟の起点を構築していた。改めて、再発見。


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宰予は、朽木ではなかった

2018年01月24日 | Weblog

「論語」は、儒学の全体を究めないと、誤読しかねない。「晝」という文字と「畫」という文字が字体が似ているので、「昼」と「画く」とを取り違えたのであろう、とまじめに議論されてきた。しかし、漢代の文字の近似性で議論する誤りがある。漢代には、孔子の時代の古文字の原典が見つかり、対照されているので、通行本の「晝(昼」」を誤字だと決めつける根拠はない。それは、想像にすぎない。合理的な推論ではない。宰予は、晩年、大成した儒者の一人に数えられている。昼寝して、朽木とか、くそ壁に喩えられ、孔子からイジメられた。それには、他に原因がある。彼は、孔子の服喪3年説を否定し、1年説と唱え、孔子に挑んで討論した。孔子は、3年父母の愛という説により宰予に反論する。ところで、子路も孔子に遠慮なく反論し、逆に、反駁される。このように、孔子の杏壇では、孔子と年齢の近い連中は、遠慮なく疑問をぶつけていた。

組織が大きくなると、先生の眼が行き届かなくなる。恐れていた山中門下から、論文データのねつ造が生じた。「論語」を基礎教養とした時代の日本人には、考えられない不忠の行為である。温情はいらない。医学に通じる学問では、厳罰に値する。孔子は、宰予を立派に養成した。

もしかして、思い違いがあるかも知れない。ご容赦を。


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心理的な落とし穴を避ける現象学哲学の認識論

2018年01月23日 | Weblog

心理学は、脳科学に代位されている。だが、脳科学は、逆に言語学という文化学の壁に激突している。これを包括し、人間の社会性という環境対応をノーマルにするには、現象学哲学が極めて大事である。中国近代史研究でも、京大の高島さん、中央大の深町さん、「身体性」の文化を問題域に入れている。でも、やや不発弾である。

「現象学的社会学の視座」という提案を42歳で行った(拙著「近代中国社会史研究序説」)。これは、社会構造論としてマルクスの功績を残しながら、心理学主義の傾向をもつ現象学との接合を提起したものである。何あろう、研究はそこから大きく迂回して、中国人の社会心理の源泉である「論語」の読解にあまりにも多くの時間を使いすぎた。孔子は、「思い邪なし」という主観の思惟から邪心(悪」を浄化する心性の構築を最後の主題としていた。その心性を「格物」という思考で読み解いたのが孫の子思である。喜怒哀楽という「色」を発するまえの、心の「中」を和することで、情を理という透明な次元に還元することを「中庸」学説で樹立した。

孔子ー子思における「中」を「和」するための<独り慎む>自制、これが科学仁のコアーである。42歳のとき、広州の中山大学で、陳錫祺教授から「論語」を徹底的に読み込みなさい、という尊い指導を受けた。34年かけて、出た答えが此れである。先生は、中国民主同盟の学者、武漢で学ばれた洞察の深い歴史学者である。孫文が、中山大学の創立に与えた校是も、子思の「中庸」説である。孫文が、孫中山という敬称で呼ばれることを誇ったのも、中華の「中」も真義はそこにある。陳錫祺先生に捧げるレポートである。

 


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大学に「工学部」が出来たのは、日本が最初

2018年01月23日 | Weblog

科学史の書物を読んでいて、何気にそれを読んだ。明治初年、「大学」(後に東京大学、東京帝国大学となる)の「工部」という中央政府の役所の後押しで「工科」が成立する。日本では、理学のよりも「工学部」が先に成立する。このとき、シビルエンジニアリングを意味する「土木学会」が、日本の科学研究をリードする。この土木は、五行説の「土」と「木」から来ており、中国の漢時代の初め、「淮南子」という本に出典があるらしい。後進国らしく、まず需要のある解決課題に対し、外国から知識を導入し、いきなり実用に取り組んだ。悠長の純科学を学問として体系化する余裕が「国家資本」にはなかった。税収効果の期待できる産業のためのシビルエンジニアリングである。ところが、不思議に明治の末に至っても、中国人の留学生が日本の工学部で学ぶケースは少なかった。

中国では、アメリカ留学組がシビルエンジニアリングの全盛期を迎える本場でまなび、アメリカ政府も上海領事館を媒介に「中国―アメリカ工程学会」を組織していった。「工程」とは、エンジニアリングである。孫文も広い意味でそうである。これが、中国の理工系の基軸にあることは、中国工程院という制度を観ればわかる。このアメリカ発のエンジニアリング思想が、中国国民党の国民革命の土台にあり、南京政府が中国近代の頭脳となった。

この南京の頭脳を攻撃したのが、日本の陸海軍である。さらに、ソ連・コミンテルンの指導下の中国共産党の誤った「唯物論哲学」である。この「唯物論哲学」は、日本から輸出され反アメリカの傾向をもっていた。今、中国の歴史は、南京政府の遺産を消さないで、中国科学院と中国工程院の「院士」制度で、科学技術の二輪車を回転させている。中国近代科学は、日本に遅れたが、アメリカから直輸入された。そのため、日本のような孤島の進化を免れている。ただ、障害は、中国共産党中央の「唯物論哲学」が、陳腐化していることである。それは、日本の工学部でも同じである。「心理学とエンジニアリング」とのクロス領域が極めて弱い。現象学という認識論のエンジニアリングへの導入が遅れたため、情報工学の市場化で、日本は永久に3流化の道をたどっている。


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寿福を楽しんでからでも、何も遅くはない

2018年01月22日 | Weblog

西部邁さんの自殺に想う:

人間には、最後まで、寿福を楽しむ時間が、天から与えられている。納税の義務の反対給付としての選挙権という権利はいらない。ただ、長寿の福を楽しむ権利は、自己主張してもよい。無論、次世代への迷惑を気にする節度もいる。だから。寿福権とまではいわない。天授の時間、それだけである。

孔子の教えをあれこれ読んでいると、長寿は幸福である。40にして名があれば、なんぞ悔いることがあろうか、と。孔子自身は、耄碌しても、天授の時間を楽しんでいる。しかも、天授の時間を自ら棄てた人間には、「小人」証明書を張り付ける。恥じらいもなく、「君子」こそ寿福を楽しむ、と自己宣言する。

そこには、感じ方の装置を脳のなかに作り上げた自信が秘められている。動かざる山という定点を楽しみ、動く水を楽しみましょう、と。

 


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福祉の原資は、先端科学にある

2018年01月22日 | Weblog

高岡の財政破綻の原因は、旧科学の限界にある。合金を創りだす古い剛性の物理学の技術限界にある。いくつかの金属の微粒子をすり鉢で混ぜ合わせ、炉で融解させて合金のサンプルを作り、それを古い技術で物性を検査するものだから、モノを外からみるだけの物性検査に終わる。東北大学金属工学は、こうした方法で鉱脈を探る方法である。この後遺症の結果、このような鉱山は必ず枯渇する。あまりにもアルミ建材が、日本中の新規の建造物に採用されたため、マテリアルの開発が遅れた。それを克服するにも、電子のレベルで見る装置がないという物性の検査の限界が、高岡に起きていた。また、今では、理論的に新合金をコンプーター設計し、その設計図をもとにサンプルを作りだすという方法にも立ち遅れた。最先端の電子が見える顕微鏡と、量子コンピューターが導入できるかどうか、これによる先端研究者の移住を促さないと、福祉の原資の増殖は望めない。電力を大量に消費する装置ならば、富山は立地で勝てる。

富山県がなぜ遅れたのか。戦後の富山県知事は、旧制の富山高校の出身者が占めた時代が長すぎたからである。特に、中沖県政の時代は、戦時中に中等・高等教育を受けており、同時代、同年代の先進国の基礎教養が残酷なほど酷かった。僕の関係した県史でも、漢文が読めないために、藩校が出版した四書五経の序文が読めていなかった。そんな人物が、今の富山の郷土史界の頂点にいる。理工系の知識人は、遠慮しすぎる。医師で理工系の勉強もしてている富大理工系の中村真人教授は、非常に手厳しい。だが、医者としての収入を棄て、富山に先端医療・薬学の学術拠点を創ろうとする熱意には頭が下がる。先端科学こそ、福祉の原資となる。

 


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光学望遠鏡と光学顕微鏡のかなたに

2018年01月22日 | Weblog

旧制富山高校の十年史を精査した。そこには、夏休みの短い期間の「内地留学」の記録がある。東大と京大で、「量子力学」の研究状況の視察である。昭和の初期には、科学史の世界では、剛性の物理のニュートン力学から、ミクロ物理学である「量子力学」への「パラダイム転換」(クーンの定義)が起こっていた。今では、それを指摘するのは容易である。これは、剛性の物理の次元で構成されたマルクス・エンゲルスの「唯物論」を教科書化したスターリン主義を瓦解させる起爆力を秘めていた。1934年にフランス人のG.バシュラールという学者が、Le nouvel esprit scientifique という題の本を書いた。肉眼で可視化する観察のかなたに、光学顕微鏡、望遠鏡ではみえないミクロ物理学が成立することを確証した人物である。何あろう、彼は幼年期から「詩人の魂」を抱き、数式のなかに「詩」を読み込む感性を持っていた。

旧制富山高校は、英語の教育では傑出し、受験英語では優れていたが、進学先の大学では、ドイツ語主義で、G.バシュラールのフランス語の論文が、東大理学部の畑で理解され、日本語訳が出たのは、1976年である。あの東大紛争が納まってからである。そこには、42年の落差がある。驚くべきことに、富山湾岸社会主義者は、旧制富山高校の社会科学研究会の活動を歴史的に再評価する本を同窓会として公刊したのも、1970年代である。東大紛争の根底には、G.バシュラールの科学論が理解できる先端と、旧左翼の理論を武装急進化したバカ学生、それを全体として理解できない旧左翼が、歴史的な勃興と没落の淵に立っていた。

1930年代、少なくとも理科系の教員1名が、量子力学に関心をもっていたという事実がなければ、旧制富山高校は論じる価値もない学校だった。しかし、その灯の存在を確認した今、旧制富山高校の社会科学研究会の活動は、愚者の葬列だと断じる。南日先生の「詩人魂」(和歌、漢詩、英詩)、さらにフランス語の自習者であることを考えれば、また、その早逝を考えれば、富山湾岸社会主義という悪魔に奪われたものは、今の富山的限界に通じる。電子顕微鏡も、電子望遠鏡も、1台もないはずだ。

 

 


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アメリカで活躍する建築家・張銘

2018年01月22日 | Weblog

「人民日報」海外版によると、アメリカで活躍する建築家、張銘さんの紹介記事があった。記事の見出しは、中西文化の融合というものだった。中とは、中国、西とは欧米文化を指す。中国文化史では、モダン(近代)の必須として、中と西との融合が依然として基本形を為している。期待して読んだが、彼が設計した作品論への言及はなかった。あるのは、次世代の若い建築師たちに、独立精神、新たなものを創造する精神と、同時に、政府、発注者の企業家たち、なかまの集団との協調調和の大切さを説いている。これは、朱子学の「居敬独慎」のロジックを血肉化した助言である。若くして上海からアメリカに留学、アメリカ国籍を得て、中国ではできない水準の高層建築に取り組んでいる。実は、アメリカには、美籍華人たちがニューヨーク中心にして最先端の活動をしている方が多い。それが、日本とアメリカとの間には軍事同盟があると胸を張っても、上院・下院・大統領府への具体的なロビー活動では、日本国および日本人は、とても及びつかない。第2次大戦で断ち切れた日米関係の断絶の後遺症がここにもある。日本人にとり、戦場は、沖縄の南の島だけにあるのではない。本当の戦場は、ニューヨーク金融市場と、ワシントン政界に戦場があるのだ。そこでは、頭脳とコミュニケーション能力が求められる。このように、中国人は朱子学を活かし、日本人は朱子学と否定することが進歩だと教えられ、それが自己限界となっている。徳川幕府を武力で劇画的に解体したことで、朱子学をそのものを「居敬独愼」するバランス感覚を失ったことを銘記したい。


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県立高校の再編を3次元で考える

2018年01月21日 | Weblog

先のブログでは、県立高校の再編を変電所の配置効果と比較した平面図で考えて適正だと評価させてもらった。次に、問題を3次元で考えてみる。欲張りだが、世界の最先端の科学の発展に追尾できる大学院への進学を想定すると、6・3・3制には無理がある。それで、先端の都市では、6・6制になっている。ここへ大学院を入れると、6ー6ー6制になる。最後の6は、大学院大学の先端を想定する。今、富山が急がれるのは、先端大学院大学の科学の水準や内容、傾向性が全く変化していることに目が向いていないことである。富山の県立高校の出身者が、先端大学院大学で苦労していることである。何十年も前の経験で申し訳ないが、大阪大学の文学部でも、文化学の様相は変わった。高校生でも構造主義を理解しておかないと、ポスト構造主義の時代の文化学への転換期の学問にはついて行けない。富山出身者は、大学3年次でも先端文化学を理解できていなかったと記憶する。日本史でも、もう最先端の学問は、高校日本史とは、水準が余りにも違いすぎる。富山県の出身者は、博士コースを出ても、「学術博士」を取得できないで、博物館学芸員のレベルにとどまる。先端の学術書が刊行できない。郷土史家しかできない。ところが、現在の日本史の先端は、心理学をベースとした文化学のひとつの手段として、日本史の史料を使い、かつ、過去には史料とさなかった素材をもとに、心理的な文化学として、しかも、読書界への読み物として市販される書籍を出版しないと、大阪大学文学博士にはなれない。

以上は、私の限られた経験である。それで、僕は自分の博士号は無かったことにして、65歳で富大のオープンクラスで、量子力学の入門とC言語の入門を聴講した。ここで、現代科学の基礎を学び、近代の歴史と、現代の歴史との間に「大きな谷間」があることを知った。量子力学の僅かな基礎知識に研究者としての心理を移すと、近代はモノが剛性であるという心理のうえに構築された人間に造った時代だと分かった。現代史は、その科学認識の谷間を超え、次のステージを支える時代のことである。つまり、富山県の県勢でいうと、電気工学から電子工学への軸心に移動となる。下手に高校生にときに、探求科で学習心理をいじると、後に研究者として心理障害を抱え込むことになる。富山から来た子は、良く伸びるという評判は、かなり前からない。もう、努力、勤勉では、追随はできても、現代科学の複雑系の探求はできない。


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