富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

婦中にファボーレ開業:「平成のとやま」第3回

2018年09月25日 | Weblog

「平成のとやま」の景観を決定的に変えたのは、大規模店舗の出現である。最初は、県内最大級であった高岡サティが先行し、ついで、当時の婦負郡婦中町2000年10月6日に、婦中のファボーレがオープンした。運営会社は平和堂子会社の富山フューチャー開発。店舗面積37,350m2。オープンから約2年程は、県内最大の店舗面積であった。2002年9月には県西部の高岡市にオープンしたイオン高岡ショッピングセンター(現イオンモール高岡、店舗面積64,534m2)に抜かれるが、ファボーレは県東部では今なお最大級の規模である。別棟の店舗等を含めた総敷地面積は約118,000m²に及び、駐車場は3,650台が収容可能。なお、ハートビル法認定店舗となっているそうだ。これにより、旧態の商店街での小売業が衰退し、戸出町などの近世在郷町の伝統商業の拠点の衰退化が決定的になった。これは、モータリゼーションが富山で深く浸透し、1人1台、県内1日通勤圏という利便性で支えられ、特に広大な駐車場が無料で、長時間、利用できることから、映画を見る拠点施設ともなった。他方、専門店化や、高級品、珍奇品などで旧来の商店街の再活性化が期待されたが、インターネット・ショッピングが普及し、総曲輪商店街や御旅屋通りの将来は、さらに楽観できないものになっている。公共交通によるインバウンド客を狙いにした場合、デパートをコアとする構成が正解かどうか、長野市の善光寺を参考に考えなおす必要があだろう。話はもとに戻るが、昭和のトヤマを変えたのは、婦中に日産化学が誕生したことである。多くのエンジニアなどの知的労働者の流入、定住が、「平成のとやま」の土台となっている。


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朝乃山、絶妙の7勝8敗

2018年09月25日 | Weblog

もし、勝ち越すと、横綱、大関との取り組みが、来場所には編成される。いま大相撲で一番に怖いのは、モンゴル勢である。それと、興行社会のアヤを身に着ける必要がある。まず、モンゴル勢は日本相撲界に隠然たる利権構造を確立することに成功し、貴乃花を協会退職に追い込んでいる。この体制に正面から挑戦する日本側が、共同体としては、すでに崩壊している。興行社会には、裏面の強弱がある。朝乃山など、学士力士がまず日本人の中卒力士に代わり、親方衆になっていくには、役力士をほんの少し経験すれば良い。プロになった年齢が高齢なので、ケガをさせられないように、モンゴル勢に正面から立ち向かわないことだ。今の親方の大多数は、平幕での場所数が一番に多い。この平幕の天国を捨てて上位にチャレンジすると、生涯の古傷を負わされる。前頭5枚目では、7勝8敗。前頭の下位では、10勝5敗。合わせると17勝13敗、4つの勝ち越しのポイント券がある。こうして持続していると、上位が引退し、必然、経験力でそろそろ小結にという空気が周りから生まれてくる。嘉風の轍を参考にすればよい。興行界の一員としてのプロのマネジメントを賢い支援者が教えてあげて欲しい。僕は、7勝8敗という予想を的中させた。相撲でかせぐ外貨が、モンゴル経済の何パーセントとカウントできるうちは、彼らの必死の出稼ぎ力に逆らわないことだ。所得の国際的な再配分だから。


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総曲輪コレクション、「ショボイ」次元から脱却

2018年09月25日 | Weblog

TV中継があったとのこと。よかったね!ただ、観客席をみると、椅子席?・・・あれこれ残念な部分はあるが、ともあれ形になってきた。観客に富山女子が少ない。これは、今後の課題だ。地産地消ではなく、地産をベースにして、広く北陸女子の聖地へと高めて欲しい。総曲輪という名称は、まず、他府県の人には、なにこれ?、となる。普及には暇がかかるが、覚えたら自慢できる地名の読み方だ。富山には、服飾の専門学校がある。そうした小さな基盤が、地域起こしのプロに注目される。そもそも新聞の一面トップで配信したデスクさんも、ええ加減な年ごろのオッサンだ。こうした基盤を固めていくと、北東アジア最大、日本海地域最大の総曲輪コレクションへと育っていく。繊維産業の発達した北陸地域、さらに、異業種の参加を促せば進展する。このように、立派な苗床ができたことが喜ばしい。


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大合併の弊害:平成のとやま(第2回)

2018年09月25日 | Weblog

平成という時代には、ある脅迫観念の病的な信念があった。それは、人口減少社会、生産労働動力の人口減少である。そうしたなかで、富山市の大富山市への拡張と、冨山平野の南部、金沢市の後背地である伝統農村社会に生まれた「南砺市」である。富山市では、平成の大合併を利用し、国策を引き出し、都市そのもののブランド化に大きく成功した。反対に、南砺市は地域の一体化に今もって苦しんでいる。都市の中心地理論からいえば、散居村が日本で一番に発達した地域に「都市中心地理論」を持ち込んだこと自体がが誤りである。一律に大合併は間違いだとは言えない。問題は、一体化を図るプロセスが稚拙であり、高度な都市中心地機能論が不完全であることだ。利点は、金沢市の重要な後背地であることを活かす必要がある。主要な企業は、コマツの傘下にある。県の境界線を越えて、金沢側からの需要を呼び込むことだ。五箇山の観光は、金沢の観光圏に組み込ませることだ。新幹線の駅も、金沢駅が最も近い。金沢大学は、富山大学よりも近い距離にある。その点を考えたら、南砺市の中心地は、金沢への道筋で考えることだ。農政も、観光も、裁判所、日銀など国家の出先機関は、金沢に集中している。能登の住民よりも、金沢の準市民になりうる。音楽も美術も、金沢の先進性は否定できない。


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9月24日(月)のつぶやき

2018年09月25日 | Weblog

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