中国では、さまざまな経緯、論争をへて、伝統社会の主旋律である都鄙共同体の底辺の原基共同体理論により、郷鎮【キョウチンと呼んでください。東京では、ゴウチンと読む専門家がいますから】という地方都市を核とするコンパクトな新都市論へと大勢が流れた。その結果、辺境の限界集落を廃止することになった。まだ、個々人が自動車を所有し、移動の手段としていないために、自転車をベースに郷鎮をコンパクトシティとして、公共交通を充実させる時代に入った。つまり、富山の森市長のコンパクトシティ理論は、モータリゼーションが未発達な中国の内陸部や西部の開発地、これからはチベット高原に及ぶ世界で非常に有効な理論であり、中国共産党により採用されている。これが、杭州大学の経済地理学の基礎研究として安定した軌道にのっている。山間部の水源地帯からの環境汚染を防ぐためでもある。高齢者は、郷鎮の公営住宅に移され、出稼ぎした子女と近住している。それでは、富山市の場合は、そうはならない。自動車とITの発達により、事業所が郊外にあるので、大長谷村地区では、八尾、婦中の事業所への通勤圏内の住民は、総曲輪を中心とした住環境を好まない。ここに田舎、つまり鄙の共同体の持続力が働いている。他方、都市の中心部では希薄になったが、奥田村、豊田村とか、四方とか、岩瀬など、富山には鄙の共同体の祭祀・祭礼が伝承されている。それが町内会であり、地区自治振興会である。高齢者が増えるに従い、鄙の共同体の記憶が持続的に発展し、広域のサポートにより、通勤圏の縁辺の範囲内で、昔の水利共同の組織をベースに地区という言葉で活性を保っている。このような都市のアーバンなサービス機能を享有しながら、ルーラルな排水路の管理のための鄙共同体が持続することが望まれる。というのは、治水は平野部の村落共同体からの上流への治水のための公共政策により生まれている。富山の内山邸を孤立した歴史遺産ではなく、牛ヶ首神社、牛ヶ首用水、さらには牛岳の分水嶺にいたる水利の地域エネルギーとして存在した。逆に、冨岩運河は、岩瀬からの水路の逆走を構想したものである。つまり、呉羽丘陵部の人には見えにくいが、富山市は世界でも有数の排水の治水管理が整備された都鄙共同体から成り立つのである。そのため、元の鄙共同体は、ほぼ富山市立図書館の分館が存在し、地域の記憶の消滅に抵抗しているのである。実は中央官僚が提唱したコンパクトシティ論は、中国のような中進国には強い効用をもたらす。それで、中央官僚は、富山市域が中進国のモデルだと錯覚し、富山で実証実験を行った。無論、実験は失敗である。予算の切れ目は、縁の切れ目である。富山では都鄙共同体論が正解、医療機関の分布からクリスタラー理論を適用したのが、今の富山大学学長の遠藤先生である。ドクターヘリを備える医療サービスの都鄙の階層性のシステム、市立図書館の分館の配置は、南ドイツの平野で生まれたクリスタラー理論を実証的に、しかも実際的に実現している。中央官僚にうち、次の有識者にヨイショして、「○○プラン」という特別な国家公務員の地方実験に付き合えばようだけだ。金の切れ目は縁の切れ目。幻想が予算を咥えて飛んでくる。コンパクトシティ論は、ヨイショするだけの賽銭を富山市神社に落としてくれた。彼らには、この回答編は読まれたくない。今後、中国で頑張ってください。