富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

岸良祐司さんのゴールドラット評:単純化と性善説

2015年02月27日 | Weblog

 <ゴールドラット博士は物理学者である。ものごとの本質を解き明かし、因果関係のつながりでシンプルに説明できる法則を見出そうとすることは、科学者として当然の姿勢かもしれない。一方で、もう一つのPeople are good 人はもともと善良であるという信念は、精神論のようで科学者には似つかわしくないように思える。しかし、人のせいにしても問題は解決せずむしろ問題解決への障害を自らつくってしまうことになることを考えれば、なぜ博士がこの信念をベースに置いたのかは理解いただけるだろう。博士は、自らをプラグマティスト(実用主義者)であると評した。問題解決を図りたいなら、「人はもともと善良である」という前提で、人のせいにするのではなく、何か他に原因があると考えるほうがはるかに実践的であると心から信じていたのだ。>[p.52] これは、岸良祐司さん「日本企業が捨ててしまった大事なもの」という副題のある『何が、会社の目的を妨げるのか』(ダイヤモンド社、2013)の一節である。

 富山市にある朝日建設の林和夫社長から、岸良祐司さんに講演を依頼したらという提案をうけ、何人かの方に相談したら、是非ともという声が強かった。林和夫社長は、自ら仲介の労をとって下さったが、2015年内のスケジュールは空いていないとのこと。サボらずに、岸良さんの考えが直接にみえる本を読んでみた。<単純化と性善説>という2つのキーワードで、制約理論の背後にある基本概念がうまく説明されている。

 実は、孔子の形而上と形而下の概念は、複雑な現象が入れ込む形而下の具象世界に対し、単純化して問題の本質をとらえる形而上の世界を措定し、人間社会の未来への道筋として「仁」の実践という概念を導く。そして、孔子は、いうまでもなく性善説である。僕は性善説と性悪説と対立する関係で理解していたが、他者を悪者にし、他人のせいにする悪習に染まることが性悪説に染まる悪習なのだ、と分かった。客観的な原因を探究し、本源の解決策を求めるべし、とする孔子の思想は、朱子により「格物窮理」の理学となり、清朝考証学「実事求是」(実用主義)へと読み替えられていく。

 こう考えると、ユダヤ人の物理学者であるゴールドラットの理論も、プラグマティスト(実用主義者)である点で清朝考証学の「実事求是」に重なり合う。孔子から現代マネジメント、現代マネジメントから孔子へ、という哲学的な反芻は、かなり本質的な道筋であることがわかる。日本企業は、孔子を捨ててきたのである。


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富山藩の広徳館の学問と現代マネジメント風土

2015年02月26日 | Weblog

 なんで江戸時代の学問と、今最新のマネジメントとがつながるの?こういう疑問は、誰だってある。非常に遠回りにいうと、江戸時代の藩は、藩の財政のために殖産興業の事業を手掛けていたのです。それと、明治維新の廃藩置県で特権を失った武士階級には、金禄公債というかたちで、維新政府から退職年金のような保証金が支払われたために、それを近代化資本にして、地域の金融機関が生まれました。これが、幕末の藩営の特産品工業とつながり、日本の各地に特産品工業がうまれました。有名なのは、鍋島藩の有田焼などです。富山藩は、製薬・売薬の産業連関を基礎として、近代産業社会に生まれ変わりました。

 当時のマネジメントの基本は、朱子学を基本原理とするものでした。富山藩では、朱子学の「格物窮理」の哲学には、実用性がなく、陽明学と併せて、実用に役立つ道を探していました。最初は、荻生徂徠の朱子学批判に乗っかっていただけですが、だんだんと長崎から入ってくる清朝考証学の発展を知り、富山藩では「窮理致用」という立場で、朱子学に基本を置きながらも、朱子学の「窮理」という真理を探究する精神と、実用主義とを重ね、「実事求是」の道に進みました。

 江戸時代の藩校のなかで、はっきりと清朝考証学の「実事求是」の優位性を宣言したのは、天下は広いが富山藩だけでした。明治元年、広徳館が火事で焼け、その再建よりも優先されたのが、別館の英語学校です。明治2年に、富山の城下町に英語学校が誕生しました。なぜ、儒学と英語と思われるかもしれませんが、儒学はイエズス会がヨーロッパの市民社会に翻訳紹介したために、「窮理致用」という立場でヨーロッパの市民社会に科学が生まれ、儒学も科学の目で洗い直されました。その結果、孔子はキリストのような聖者ではなく、一人の最古の教育者として評価されるようになりました。このような西洋人(イエズス会)の孔子像を日本で広めたのが、富山の蟹江義丸でした。

 このように、富山人はきちんと自分の力で、近代科学と近代産業の扉を開いていったのです。藩校の藩学と、地場産業の関係には、古典的な儒学形式のマネジメントの関係がありました。ですから、現代のマネジメントも「窮理致用」という立場から「実事求是」の道にそくし深く研究されているわけです。ゴールドラットさんのマネジメント理論の根幹には、貨殖資本の増殖があり、高利貸し金融に頼った中世ユダヤ人の伝統があり、産業へ投資された資本をいかにマネーベースで回収するのかというマネーの物理学があります。では、そのようなマネジメント学のそのものの価値として、人類社会に行かに貢献するのかという哲学に部分になると、ゴールドラットさんは、日本企業、特にトヨタ方式の背後にある儒学的な調和の世界観に一歩譲っています。

知県の儒学と、富山県の儒学との結びつきは、前田藩とその藩士たちの祖先の地が、愛知にあることを考えれば、その謎はとけると思います。

 

 


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ゴールドラットの邦訳7著作の一覧表 新刊で11200円の投資価値はある!

2015年02月24日 | Weblog

ゴールドラットの制約理論をめぐる参考書の一覧表を掲げます。

1.「ザ・ゴール」2001年、ダイヤモンド社、1600円

2.「ザ・ゴール2思考プロセス」2002年、ダイヤモンド社、1600円

3.「チェンジ・ザ・ルール」2002年、ダイヤモンド社、1600円

4.「クリティカル・チェーン」2003年、ダイヤモンド社、1600円

5.「ゴールドラット博士のコストに縛られるな!」2005年、ダイヤモンド社、1600円

6.「ザ・チョイス」2008年、ダイヤモンド社、1600円

7.「ザ・クリスタルボール」ダイヤモンド社、1600円


まだ、完全に読み切っていないが、熟読の価値はある。あれ?!、というような誤訳がない。

5を除いて、小説の形式になっています。論文体が好きな小生は、5を読んで、著者の意図は良く分かりました。日本人が読んで素直に応用できるのは、東証1部上場の大企業です。しかし、過去の財務諸表から議論や、コスト論や、あれこれの経営理論の部分体系に対し、統合ロジスティクスマネジメント論として、一本のロジックがごまかしなく通貫していることがわかる。この作者の思考力の一貫性こそ、日本人に欠けているものです。そして、この作者の背景としている文化に欠けているものは、日本人が自然に備えている経営を「道」と考え、人格完成への誠実と和の精神です。だから、日本人がユダヤ人の数理哲学を根気よく自分の者にしたら、どの文明にも対抗できますね。

1だけは、コミック版があります。残りのコミック版が期待されます。トヨタ方式という最大の手本がある日本で、ユダヤ人の数理哲学に貫かれたマネジメント思考からみると、大部分の企業の経営陣は何してきたの?と問われ直されるでしょう。


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「制約条件」とは、どういうこと?孔子の場合は?

2015年02月23日 | Weblog

<Constraints(制約条件)とは、「あるシステムが、ゴール達成のためより高い機能ヘレベルアップするのを妨げる因子」と定義される(APICS:アメリカ生産管理在庫管理学会・1987年)。

 企業経営で考えれば、制約条件とは創造される利益(キャッシュ)を握っている鍵といえる。受注から原材料入手、生産、納入、請求、入金という、最終的に金が企業に入ってくるまでの個々の活動が鎖の輪の一つひとつに相当すると考えれば、企業やサプライチェーン全体の収益力は、最も強度の弱い鎖、すなわち能力の低い活動に制約されるのだ。>

これが、村上悟氏のゴールドラットのコア―概念の「制約条件の理論TOC」の解説です。

これを孔子の「論語」でいえば、最も強度の弱い鎖となりやすいのは、「民は信なくんば立たず」とある。民の「信」が無いと、政治はなりたたない。孔子は、「論語」顔淵編第7条で、子貢の問いに答え、政治の3条件として、食、兵、信をあげている。食、兵もなく死を招いても、信が無ければ、犬のように死すだけだ、死んでも、民が喜んで死ねる「信」があれば、無駄死にではないのだ、と気迫をこめる。

民が喜んで死地に赴ける「信」とはなにか?抽象的に誤魔化せば、仁と謂う概念になる。だが、それは言葉の問題である。企業という組織では、「企業の目標はキャッシュを生み出すこと」に最大の妨げを皆で発見し、改善の道筋を考えることである。

孔子は、祭祀のときに神前に捧げる犠牲の羊を「経費削減」した弟子を叱りつけた。礼を愛せよ、と叱った。それは、祭祀の目標を「礼」による民の徳育においているから、羊というキャッシュを削減しては、最大のキャッシュを生み出す礼への信を損なうからである。孔子は、国家を最強にするには、民の信を得て、民が喜んで死地に向かえるほどの国への忠を期待したのである。だから、礼の精神のゆるみ、制度のほころびという「制約条件」を強めるような羊の経費削減を酷評したのである。なるほど、孔子は全体最適の思想家だとわかる。





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「ザ・ゴール」からスタート

2015年02月21日 | Weblog

富山マネジメント・アカデミーでは、ゴールドラットの制約条件の理論、TOCを理解するために、最初の「ザ・ゴール」のコミック版をテキストとしてとりあげます。ゴールドラットさんの制約理論は、マネジメントの全ての領域に及びますが、まずは劇的な変化を象徴する生産の現場から始まります。ダイヤモンド社、1200円です。電子書籍だと安い。原作は英語、小説形式です。劇画は、日本人の得意芸。ヒントは、トヨタ方式の生産の改善。実は、改善するべきは、個人の考え方にあるというのが、この著者の大きな意図です。

さて、大事な話があります。『ザ・ゴール』は、学ぶ者には、ゴールではなく、スタートラインです。それで、著者の第二作『制約の理論Theory of Constraints』の英語版序文をここに翻訳しました。あくまでも中村による仮の訳です。

<1985年に、『ザ・ゴール』は読書界に紹介された。最初は、ラブ・ストーリーのスタイルで書かれたマネジメントの教科書にたいする懐疑の目にさらされた。 それは大部分の「専門家たち」の意見であったが、だが、それは誤っていた。『ザ・ゴール』はサクセス・ストーリーに関する本とは言い難いが、その本そのもの自体が、サクセス・ストーリーとなった。CEOたちからフロアーで作業するひとたち、自尊心のたかい専門家たち、家庭の主婦たちからも読まれ、愛好され、そのインパクトは、我が家のあの恐妻の想像を絶するものだった。そればかりか、このラブ・ストーリーは、ありとあらゆる大学で義務的に読まねばならない読み物になった。おそらく、小説から現実のドキュメンタリーへ変身した希な例であろう。しかし、これらの実践の試みは、その実際の結果に照らしてみると、ふたつの大きな障害物に遭遇することになった。 ほとんど大部分の事例に現れた障害物は、企業に現れた停滞、さらには低下に見舞われて、その原因となったことである。改善を進行するプロセスにおいてのみ、企業のなかで長期に優れたポフォーマンスを維持できる ほんの取るに足りないことであるが、その悪影響は計り知れないものになる。『ザ・ゴール』は何が必要とされているかを明らかにするものではない、このことを大急ぎで明らかにしなくてはならない。『ザ・ゴール』は、実際に必要とされていることが何かということが、彼ら自身の解決策をマネジメントとして解き明かすプロセスにおかれている場合には、輝やかしい、すっきりした解決策へ導くのである。そればかりか、『ザ・ゴール』は大いに注目されて良いのだか、企業のありのままの姿を変革するための主要な問題であると主張している訳ではない。 変化そのこと自体が、例外なき規範だと意識されるようにまで、変えるということを訴えているのだ。これは確かに心理学的な課題である。それは個々人の心理に関わるノウハウそのものではなくて、より重要でより困難な組織に潜在する心理に関わるノウハウを求めているのである。この本Theory of Constraintsでは、次の二つの主要な疑問がとりあげられている。一見すると上手くいっている状況のなかで、人々が単純明快な解決方法を見つけだせるようにするための、考え方の道筋とはどんなものなのか? 一連の繋がりがあるなかでの解決策を、全体を損なわないようにして、改善を支援するように心理学的なものの見方をどのように生かしていくのか?>


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