富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

あまり改善されていない華北のPM2.5平均濃度

2019年03月31日 | Weblog


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3月30日(土)のつぶやき

2019年03月31日 | Weblog

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防衛大学校の任官拒否は、安倍首相の姿勢が原因か?

2019年03月30日 | Weblog

「478人の卒業生のうち1割を超える学生が、任官拒否をしていたのだ。任官拒否とは文字通り、防衛大を卒業しても自衛官にはならないこと。過去、最多の任官拒否者が出たのは、バブル景気と湾岸戦争を巡る自衛隊派遣議論が重なった’91年の94人だが、49人はそれ以降で最多の数字である。」そして、その原因は安倍首相の安保法制に原因があるというメディア情報が流れている。他方で、一般大学をでて、自衛隊の幹部候補生として「就職」する人材もある。実は、国防の人材も多様性が求められる。任官拒否は、非国民ではない。ただ、防衛大学校の防衛科学の教育内容に、ある種の時代遅れの側面があることだ。教授は必ずしも、真の科学者とは言い切れない。それと、外国士官学校への留学など、もっと徹底するべき防衛幹部の教育も必要である。「戦地で死にたくない」から任官拒否するというのが主な原因とするのはおかしい。防衛大学校からは、メガバンク、総合商社、川重、IHI,三菱重工などの重要な企業にも進出してもらいたい。実は、金融戦争こそ、国防の第一線であった。10%の民間流出も必要なことである。同期生の10%が自衛隊の外側にいて、民間と国軍とのバランサーの役割をすれば、古い陸軍大学の誤りは避けられたはずである。


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富山県、高校野球、選抜されないのも大事な誇りだ

2019年03月30日 | Weblog

朝日新聞、毎日新聞が販売促進のために、高校野球を日本の文化とした歴史にたいし、読売新聞はプロ野球をツールとした。こうした歴史は、1世紀におよんできた。現在、少子化のもとで、野球部を持たない高校が増えてきた。少子化は、人材育成の育成内容の高度化を強く促している。そのため、日本陸軍文化を底流とする野球文化の優位性は薄れてきた。特に、星稜高校の監督が、2塁走者のサイン盗みを相手校の監督に直接抗議する事態は、武士道になじまない行動である。相手校の監督に怒鳴り込む行為は最低である。こうして高校野球の自己崩壊は、「大人の事情」により促進される。星稜はサッカーでも、監督にミスで全国優勝の機会を逃した。同じミスを、野球でも監督が犯した。きちんとビデオ画像で分析し、丁寧に高野連の組織のルールに従って「問題提起」するという社会常識を備えない愚劣な自己破壊を犯した。富山県人は、次世代の富山人の育成の方向は、学校別の対抗のスポーツには力点をおいていない。2050年以後の「富山県」の姿として、高度な知識人材の育成に移している。すでに産業社会は、体力勝負の世界ではなく、IT化の時代に完全に移行している。パワーの強い油圧系のロボット、繊細な各種のセンサーを備える自動装置などを含め、石川県の県民総生産とは、富山は金額的にも優位にあるばかりか、稼ぎの中味も、先端技術性が卓越している。すでに、高校野球は大正デモクラシイの大衆文化から、いまや知的な優位性の象徴であるという地位からは転落している。大事なのは価値観が多様化しているのではなく、個性の多様化に備えた複雑化の時代に生きているという時代である。特定のスポーツや、特定の音楽や、ダンスが、社会を単一の色に染めることがないという時代に生きている。TVも、新聞も、単色の時代は終わった。政権政党の自民党だけが、党員の多様性により、多彩な時代の保護色を身に着けている。


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富山県議選:知事の与党は盤石

2019年03月30日 | Weblog

このブログでは、富山の県議選については、「伝統的な富山湾岸社会主義」と、新しい「美しい富山湾岸クラブ」との歴史的な対立軸でとらえている。中沖県政では、旧制富山高校の出身、戦後、共産党系の影響力の強い時代の東京大学で学んだ中沖さんの「時代の垢」のために、原理・原則がやや左に傾いていた。しかし、石井さんの時代には、「伝統的な富山湾岸社会主義」を支えてきた労働運動が衰退し、さらに、富山県の経済社会を支える富裕層の世代交代により、富山県の風景を「美しい富山湾岸クラブ」に改良、進化させようとする変化が生じてきた。つまり、ヨット、サイクル・スポーツなどの余暇の眼で、湾曲した富山湾の繋がりを重んじることになった。それに加え、中山間部の振興も「カルチャー」の問題領域を組みこみながら、「富山」の「地理」から、「富山」の景観をメネジメントする文化センスが問われるようになった。そうしたなかで、「無投票」当選の地区につき、民主主義の危機だという聞き飽きた政治記者の体液の分泌は鼻につく。「石井県政支持」で地域全体がまとまっているからだ。激戦になった富山市は、都市化しており、多様性が生じるのは当然である。しかも、富山市では、「伝統的な富山湾岸社会主義」が大きく衰退し、中学校校区の住民が地域単位で「石井県政」を支持する自民党候補を担保したいので、競って自民党化が進み、社民党や、立憲、国民などの「連合」系の労働運動が地域基盤が急速の崩壊している。公明党も与党である。残るは、維新と狭い地域代表の自民新人との「数票」単位の足切りの選挙である。こういう選挙を聞き飽きた政治記者の体液の分泌で記事を書いても、何らの迫力もない。「激戦区」は、民主化が進んでいるのではなく、多様性に寛容な石井知事の県政への姿勢への信頼を表現している。1議席でも、富山県庁は丁寧に応対している。トータルとして、「保守王国」富山論も的外れである。安倍支持より石破支持、自衛隊の施設が皆無に近い、自衛隊隊員の本籍では富山県人が全国最小ということを考えると、地方新聞の記者の勉強不足は悲しくて、涙も枯れる。地域の協同社会のなかで、予備選があるから、無投票という合理が生まれる。確実なのは、新しい「美しい富山湾岸クラブ」への統合である。石井県政の中間選挙であり、石井県政への信認投票である。


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3月28日(木)のつぶやき

2019年03月29日 | Weblog

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学べるひと、学べないひと:企業、大学の選び方

2019年03月28日 | Weblog

若者には2種類の存在がある。なにかにつけ、向上心がある人材である。どんな経験でも、学んで自己成長につなげることができる人である。反対に、自己中心で常に周りが自分を丁寧に扱ってくれるかどうか「受け身」しかできない人材である。就活や、大学の選び方において、どんな局面でも自己成長に繋げる人材は、その企業や大学が自分に与えてくれる条件をあまり細かく考える必要はない。ところが、「受け身」しかできない人材は、企業や大学が与えてくれるものを獲物としているから、執拗に選択に慎重になる。こうしたタイプに選ばれた企業や大学は、極めて迷惑である。Aの企業か、Bの企業か、迷う場面はあるだろうが、企業を実務大学院と考え、どの方面の、何のエキスパートになるのかという成長のための自己目標があれば、それに適した企業環境があるかどうか、必ず採用担当者は相談に乗ってくれる。待遇が好条件だということでお誘いを掛ける企業は、実は「受け身」しかできない人材が人事の仕事をしており、30年後の成長が期待できない企業である。「自己成長ができる」ことを優遇の第一条件としている企業は、仮に経営危機に堕ちても、個人としては、自己資本が身についているから、同業他社に誘われる。同じことは、大学を選ぶ場合にも当てはまる。学びたい教授を先に見つけ、その教授に学ぶには、A大学しかない、という選択眼がないと、自己成長の栄養剤や、クスリにはならない。


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3月19日(火)のつぶやき

2019年03月20日 | Weblog

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最低劇場:大阪都構想をめぐる対立

2019年03月19日 | Weblog

役者が悪いと、A組もB組にも、なんらの魅力はない。そもそも、<大阪人>の居住区が、首都を意味する「都」を名乗る資格はない。大阪府と大阪市の2重行政を解消するためとはいえ、「都」という発想のほかにもアイデアはあるはずだ。それに、本当に住民のためを思うなら、府と市のままでも、真剣に行政連携をすり合わせるならば、二重行政の弊害は排除できる。また、なぜ大阪の経済が沈下し、東京一極への集中化が起きたのか。大阪の再浮揚のためには、「都」構想が決定的な切り札となりうるのか?

そもそも、大阪に生まれた企業が東京に逃げたのは、<大阪人という無原則、なれあい構造>が生む人間環境への嫌悪が根本原因である。自民党と共産党との共闘、公明党の大阪式のご都合主義、だから大衆が唯一、信頼を寄せるのが吉本興行である。<吉本新喜劇>と比べると、大阪の政治世界は、日本の最低劇場である。周辺の和歌山県、奈良県、京都府、兵庫県がハードな政治構造をもち、それぞれが日本国に貢献している。国会の予算委員会での維新の議員たちの低学力は惨めすぎる。ここは、最低と最低との争いなので、「都」でも、「府」でも、「市」でもなく、国が指定する「副都」として、日本国の第二の玄関口の「特区」とし、中央省庁が直轄する特別行政区に指定する道もある。大阪人に自治力がないことがこれだけ明瞭であるから、トップには大阪特別行政区の担当大臣をおき、「府」も「市」も廃止すればよい。

 

 

 


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魚津市政の再建:踏み出した3流の道

2019年03月19日 | Weblog

再建は、下手をすると第2流が第3流より以下の崩落現象を生む。その最たるものが、市職員の「減給」である。ここから手を着けるのが、3流の入り口である。CKサンエツさんが、1流企業になったのは、産業の総合ロジスティクスの改善である。原料の銅の安定した保有のため、なんと高値で空売りするというヘッジのとりかたにおいて、YKKさんや三協アルミの上をゆくオペレーションに成功したことである。第二は、労働組合に賃上げ要求額を上回る回答額を経営側が提示し、プロの悪質な労組オルグという左翼ヤクザを追い出したことである。魚津市の再建は、まず、全員がデータベースを頭に入れることである。そのなかでも、市の財政の収入源である住民税に負担能力の変化をマップに落としていく作業である。第二は、土地の利用状態を1筆ごとに調査し、固定資産税を生み出してくれる「租税土地」の担税力を調べることである。このような作業を超過勤務ではなく、再建策づくりのための基礎情報を集めることである。これを時間外、無償労働として、各地区に密着した情報を集約することである。こうした再建案の市役所・四民の情報共有をいかに進めるのか。そのためには、職員の賃金を名目カットしないで、労働生産性の向上により行うことである。それから、水族館などの収益性をどのように高められるのか、それも廃止の回避を前提に全体認識を高めることである。県庁OBの村椿市長の思考は、最悪マイナーな道を選んだと警句を発したい。


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3月18日(月)のつぶやき

2019年03月19日 | Weblog

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国家と国家:「体制」と「実勢」

2019年03月18日 | Weblog

外交の研究をみると、法理論というよりも、あまりに詳細な交渉術の問題に踏み込みすぎる研究が専門性が高いと称される。そうした細部に入る前に、2国間の「体制」と、「実勢」とそれぞれ位相の差を前提条件にする必要がある。例えば、日米の安保体制は、法的なシステムである。だから、沖縄の基地問題は、司法の判断は国家が他国と結んだ契約を正義として判断される。他方、日米の2国は、経済の「実勢」は大きく変動し、自己で防衛システムを構築するよりも、「アメリカ軍」というブランドを利用する方が安くつく。ここに、在日米軍価値の市場価格の「実勢」が生まれる。このところ、朝鮮半島、中国の東海、南海での軍事台頭は、在日米軍の存在価値、その機能的な高度化を促している。他方、中国は南海における図上演習において、日本の潜水艦がベトナムを補給地として確保したことを機に、東海から太平洋への海洋進出の目的を台湾の独立阻止というネガティブなパワーに限定し始めた。こうした「実勢」の変化が、中国政府の現実主義として、日本の立ち位置を軍事では日米同盟、経済では日本と中国との製造業の国際水平分業のパートナーとして位置づけなおしさせることになった。中国の「体制」は中国共産主義であるが、「実勢」は伝統的な文官優位の儒学思想にある。こうした「体制」の制約と、「実勢」のズレの隙間に、日本の国益に寄与する人類社会共同の「共同利益」がある。このことを推進しているのが、日本の総合商社であり、日本のアカデミズムの国際派である。中国が「赤色革命」から、「緑色革命」へと大きく舵をきった。これには、富山大学の理学部の誠実な対応が隠れた大きな貢献となっている。中国には、九三学社という林業の専業の学者政党があることを知らないようでは悲しすぎる。


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3月16日(土)のつぶやき

2019年03月17日 | Weblog

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日銀の政策の硬直性が問題:このブログの指摘が的中

2019年03月16日 | Weblog

昨日、3月16日、麻生財務大臣が、日銀の物価目標2%の固執に苦言を呈した。このブログでは、前の週において、マイナス金利政策が効果を生まない以上、しかも、中間社会団体の「基金」が減額され、「基金」として機能不全となる副作用の害が生じていることを指摘した。利子による公益事業が運営できない。これは、経済学的に、企業と個人の家庭との2元論で、実際の日本社会では、中間の社会団体に「公益」のための社会ストックが、景気にも関係する循環に関与しているという3元論に気がついたなら、企業の内部留保も、中間社会団体に一部資金がながれ、さらに基金の利子運用により、社会の潤滑が妨げられている。その原因に一つに、中間社会団体が役人の定年後の天下り先であるという批判があるからだ。こうした中間社会団体のうち、全てが必要であるかどうかは別の問題である。問題は、企業と個人家計との2元論に限界があり、企業、中間社会団体、個人家計の3元論が正しいという理解が欠けていることにある。日銀の政策が有効に機能しないのは、対象とする国民経済を企業と個人で2分し、企業の景況と個人家計の支出の状況だけを視野にいれているからだ。麻生さんと理解は違うが、どうやら問題の根源は、日銀の硬直と地銀支配欲に原因が多くあるという直観はぜひ尊重して戴きたい。


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3月13日(水)のつぶやき

2019年03月14日 | Weblog

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