富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

北朝鮮への経済制裁:闇経済のトラップへ

2017年12月31日 | Weblog

北朝鮮は、いよいよ中国の闇経済を担う企業群と、海上で落ち合った船舶と船舶の間で密貿易をするシステムをフル稼働させてきた。北朝鮮の経済は、古くは、国家が物資の流通管理だけでなく、配給制を施行してきた。それが維持できなくなり、軍を最優先する配給制度の外側に、民間需要をまかなう北朝鮮式の「市場経済?」の二重の構造が出来上がった。高度に精製された石油を必要とするのは、北朝鮮では最大の需要家は、軍隊である。しかも、価格的に高騰しても、購買できる資金をもつのは、軍事組織である。ということは、現代軍事の生命線が、闇経済に構造的に依存することになる。この闇経済の監視は、文官の系統の官庁である。労働党でも、現役の軍人ではない、いわゆる文官系である。こうして、国内外に広がる闇経済は、まず米ドルの偽札の製造・行使、麻薬の製造・密売を原資とする文官系の経済を活性化させる。核ミサイル開発に異常に傾いた経済を均衡させるには、闇経済に北朝鮮労働党が嵌りこみ、中国の北朝鮮系の企業との取引を拡大させると、どうなるのか?それは、ますます闇経済の深みであるリスク増大と正比例して利益が増大するという連鎖が生まれる。すると、軍による闇経済と、文民の政府系機関による闇経済とが、競争関係になる。この競争関係からくる対立要因を除くには、金正恩による人事権の行使である。結果、軍官と文官とバランスを保つために、相互が粛清に期待する。こうして金正恩は、忠実な部下とその係累を年々、少しづつ減らしていく。その代わりに、科学知識のある技術系の軍人を重用するが、結果として、陸軍の歩兵系を貧困に追い込んでいく。簡単に反乱が起きない社会なので、この闇経済のトラップは、最後は、味方同士の疑心暗鬼を生む。こうした状況を中国共産党は、朝鮮族の共産党員を通じ、きめ細かく情報を集め、整理している。この作業は、最低で5年かかる。中国共産党も、武装警察隊の指揮権をようやく中共中央に直属させ、闇経済の勢力への情報漏えいを防いだ段階である。

 


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日本国は、改元という「気」変が起こる。

2017年12月30日 | Weblog

実は、中国特色社会主義思想とは、孔子の古典理解と、朱子の「理と気」との宇宙と生命の運動を中国大陸の国家の盛衰と絡めて理解する伝統思考を継承している。中国共産党では、「気」の研究が遅れていたが、東大の山井湧教授たちの「気」概念の検討により、社会主義が「理」だけでは実現できないで、リーダー集団の「気」に従うことを知った。習近平政権は、中国の夢として夢を語ることで、党内の気功に流れた不安を克服しようとしている。しかし、それは過渡期の便法に過ぎない。中国では、国民教育に成功していないので、知の上下関係も、知のネットワークも、科学を軸に一元化されていない。中国共産党の党内合意の暗黙知は、日本社会が当然としている国民的な暗黙知には、質量がともに追い付いていない。NHKがBSで流す科学番組が、日本では、党派、宗教の派別を超え、朱子学が開いた科学の暗黙知に応じ、「気」に表現される国体の生命現象を分からせている。

日本国には、改元により、「気」に大きな変化が生まれる。「改元」とは、元という「はじめ」に戻すことで、革命よりも意義深いのが、改元である。生前退位の意向表明は、見事な明らかな憲法違反だ。しかし、それを国民の総意で認めるのは、「理」ではなく、「気」を改元する意義を示唆され、天皇が国体の生命観に通じておられるからである。最高裁長官は、明らかな天皇親政を容認し、無言で退任する。かれは、日本国という「理と気」は、天皇制と不可分にあり、近代のツールである「憲法」は道具であると深く悟ったに違いない。この無言には、価値がある。後の歴史の批判に耐えられる暗黙知の価値の承認がある。「気」変とは、脳内のスイッチに切り替えである。「元」号を棄てた中国と、中国に学んだ改元の効果を活かす日本、日本国で唯一、帝王学を学ばれた天皇の絶妙の「超憲法」存在の証明である。

 

 

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宇宙の運動と人間の生命エネルギー

2017年12月30日 | Weblog

このテーマは、「気」と「理」なんだ。そう解き明かしたのは、中国の宋時代の朱熹という学者の学びに集約された北宋から南宋までの学者たちである。お陰で、彼らは宋という王朝国家の防衛を犠牲にした。亡国しても知りたい真理、それは宇宙と人間を含む生命の期限である。中国では、太古から「易」という観測、監察による場合う、場合の現象の累計を集合論で整理し、易学を発達させた。夏王朝の易、商王朝の易、そして周王朝の易のうち、孔子が研究したのは、最後の周易である。運動は波動するから、上の極点から下の極点へ、そして反転して、上の極点へと小さな振動を繰り返し、その振動の集積として大波動を構成すると考えた。だから、天命が改まり、政治の権力も、制度もリセットされる破壊、混乱、カオスを反転させる転換点も、太平の世がうまれる安定期も、循環的に実現が可能だと考えられた。

 


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富山県庁のTさんへ

2017年12月30日 | Weblog

10年ほど前だから、Tさんは県庁を退職されていると思う。高井進先生のご紹介で、Tさんの書物(私家版)のコメントを委託された。富山高校から筑波大学で勉強され、富山の林業の部署で「活躍」されていた方である。僕は若いので、厳しくTさんの命の使い方を叱った。彼は自分の本の印刷に500万円を費やしたという。その内容は、彼と林業の現場にいる人々のメールのやり取りを冊子にまとめたものだ。宇治伸さんという富山の学者をご存知だろうか。彼は、県の職員ではないが、県立高校教諭として、驚異の学問成果を挙げている。「真宗村落の構造と変化」という書籍を頂戴した。農村社会学の分野の力作である。博士論文というのは、大学で学んだひとが終生めざすゴールだ。インテックを立ち上げた中尾さんは、とうとう母校の富大で博士号を取得した。

Tさん、いいか、聞いてください。森林を育てる人間の側が、自分自身を樹木のように自己成長させ、「博士論文」という最後のゴールにいたり、「卒業論文」という種が大木となる。その成長には、非常多くの公的な資金による支援がある。君は500万つかうなら、アメリカのオレゴン州立大へ林業の研究交流に行けたはずだ。富山県庁は、そういう向学心を大事にする役所だ。宇治伸先生は、高校教員でも、正式の博士の学位を評価され、給与も退職金も年金も「博士」として待遇されている。富山の林業の深部には、「真宗村落」という歴史コードがある。これは宇治さんから学べることだ。Tさんが、僕の忠告に怒りをもって応えたことを忘れない。筑波大学は、地味だが、教育系大学なので、皆さんきちんと生涯のゴールに博士号を目標としている。放送大学で修士まで取得できるので、内容があれば、博士号はとれる。しかも、経済的な利益は無い。大事なのは、出世の本懐である「得道」に達することだ。仏教では、専門学術の「得道」では成仏できないというが、それは教団と僧侶を優位とみるからだ。Tさん、家の仏壇に「博士論文」をお供えしなさい。県庁づとめでは「成仏」はできない。退職後、「得道」の証を、特に外国の大学院で手にすることだ。ゴメンなさい。Tさんに、また上から目線で叱りました。学問は、個人としては宗教を超えるものではないが、きちんとした図書館に永久保存される博士論文の著書は、作者の「墓標」である。自分で墓標を創れる永遠の生命観は、孔子に始まる。「易」の罫辞は、見事な論文である。お金はむだに使うものではない。永遠の生命をもつ作品のために人生はある。仏教でいう成仏は主観である。「得道」には、複数の審査員の同意がいる。

 


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今朝は8時5分まで寝ていました(12月30日)

2017年12月30日 | Weblog

いつもは、遅くとも朝は6時に起きる。それで、漢語の新聞、特に「人民日報」を読む。それから、寝ながら脳が整理していたテーマでブログを書く。大体、前日に仕込んだネタは、早起きすると脳内で整理され、短い標題がでてくる。今日は、我が家の現役世代が、全員、会社が正月休みになったため、家内が6時起床しなかったために、静かすぎたのである。自分には珍しいが、これも幸福な朝の印である。もし前夜に豪雪がると、現役世代の出勤のために除雪作業をしなくてはならない。ここ数日、除雪という課題が、睡眠中の脳を支配していたからだ。そういう日は、昼間でも、難しい本は読み切れない。コアーとなる叙述を読解できない。

正直、難しい書物の読解は、除雪よりも苦しい。英語か、漢語か、いずれかに外国語の原典につき、あらゆる辞書を動員し、読み解くのは苦しい。一年間、ほとんど進化していない。でも、辞めたら死である。おかげで、イギリスのファーガスンという有名な歴史家のネタばらしが出来るようになった。彼の知識の穴を突いて、このブログを書いている。


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富山大学の一部は、地域化と国際化とが二重の命題だと気づいていない

2017年12月30日 | Weblog

極限の日本の辺境の伝統的な暮らしは、外国人にSNSで知られたら、日本人の振り向かない観光地となる。日本人は、欧米を憧れる。外国人は、日本のような先端技術の国に、四国の山奥の山村に興味が湧く。庄川郷も、地元にはめんどくさい観光地だ。車でいけないから。でも、船だけでしか行けない温泉は珍しい。

なぜ、日本人観光客よりも、外国からの観光が大事か?答えは簡単である。貿易外の外貨の流出と流入のバランスがとれるからである。国内での観光が盛んになっても、お金は国内で地域と地域の間を横断しているだけである。横持と横持とをつなぐので、投資と投資回収も平衡するだけである。ところが、四国の山奥は、外国人の目線に立ち、日本の古き良き抒情性の生活文化に触れると、経済効果以上のものが生まれる。と同時に、外国からの通貨の流入となり、日本人が海外で消費する日本円を還流させる効果がある。

こののように、地域振興は、国際化と二重の関係がある。また、富山の学術も、そこが国際的に勝利するポイントでもある。英語で理解し、英語で説明する思考の国際標準化ができない連中が多数派であるかぎり、大学院が主体の先端大学と地元大学の距離は開いていく。


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第4位には転落しない日本経済ネットワークの強み

2017年12月30日 | Weblog

日本経済は、GDPという国内総生産では計量できない。たとえば、富山のある企業では、中国で部品を生産、富山へ輸入、富山で製品として完成、アメリカへ輸出という一つの流れがある。また、富山でコアを生産、中国で集約し、中国市場で販売する流れもある。つまり、国内総生産のGDPは、日本国内の指標であって、国際比較の対象にならない。これを輸出全体に広げ、資本輸出を含めると、GNPという国民総生産額がでてくる。このGNPの規模では、第2位の中国と日本とでは、僅差である。金額ベースの議論は、過去を説明するが、近未来の予測には、経済の質を考えなくてはならない。技術的に新市場に向かっているか、伝統産業の枠内にとどまるか、その構成要素の問題である。この点では、アメリカの一部と日本企業の一部とが先進グループを形成する。さらに注意を要するのは、学術でも、性能面でも最優秀の技術コアーが市場を制覇するのではなく、販売のネットワークがポイントとなる。日本経済は、昔は財閥系の位階構造が販売のネットワークとなったが、今後は、トヨタとパナソニックとの連携による新しい横断的なネットワークの時代となった。このような新時代の日経連の会長に日立の中西氏が就任することになった。これは、i位階性の階層構造で成り立つ調達・販売のトラスト構造に対し、新時代の国境を超えた海外での戦いにおいて、出来る企業が横断的なネットワークに自然に編成されることを意味する。そこで、第2位の中国は、この世界の趨勢に逆に背を向け、中共中央の指令のもとの「人民元」経済を位階性の階層構造を構築することで維持しようとする。それは、彼らが過去において、利活用できた海外華人の信用ネットワークと矛盾するので、2018年から中国経済の国際ネットワークの「横断性」よりも、権力的な上下関係の官僚式ビジネスの無理が表面化してくる。しかも、日本は第3位の座を脅かす第4位との距離は大きく開いてくる。


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自衛権の発動を妨げない〈論〉

2017年12月29日 | Weblog

ユーチューブで紹介された、青山繁晴参議院議員の主張として、日本国憲法の第9条第3項に、「自衛権の発動を妨げない」と「加憲」するという妥協案の提案は、尊重するべきである。青山さんは、アメリカ軍の北朝鮮への軍事行動が2017年の年内にあるのではないか?と主張。これは、オオカミ少年扱いで、やや距離をおいてみていた。かれが、自民党の内部でこのような主張をしたのは、与党である公明党が反対できない現実的な妥協案を模索したことは正しい。

自衛権は、国家であるかぎり、国民の権利として正当防衛を認めているように、すでに潜在的に国家に属する正当防衛の自衛権は存在する。北朝鮮は、敵であり、産業レベルも日本より低いが、彼らの核武装は、彼らなりの自衛権の発動である。日本国は、北朝鮮よりも遥かに長い国家形成の歴史がある。敗戦を経験したが、独立国として認められ、国連加盟国として、自国の「自衛権」は、不文律として存在する。この不文律をもって、憲法第9条の第3項に明文化するのは妥当である。第9条の第1と第2を書き換えるよりも、第3項で「自衛権」の存在を明記するのは、国民の意見分布の中庸を得ていると思われる。

 


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内定辞退にみる市場原理の作用

2017年12月29日 | Weblog

北海道庁と、札幌市と公務員試験に両方が合格し、どちらか一方を選ぶ場合、北海道庁の方に辞退者が多くなる。これは、当然の市場原理である。札幌は驚異の成長を遂げ、国際的にも注目される現代都市として、極東の中心都市となる可能性がある。他方、農業、漁業という第一次産業を主体とする北海道庁の勤務するには、辺境の勤務に耐える「志」が必要である。この「志」は、大学院へ進み、自己の名の残る研究でも十分に発揮できる。内定を蹴られて、北海道の知事は驚いているそうだ。国家公務員に比べ、この中2階の都道府県は、地方の負の遺産をいきなりあてがわれるので、20歳代からの苦労は目に見えている。しかも、部課長は、大学の研究者よりも、知的な刺激や、尊敬をもたれる存在ではない。孔子に言わせたら、40歳にして名のでない凡人である。仕事場が、大学院のドクターコースのような、理論仮説と現場実証の緊張感があれば、それは魅力である。広大な北海道の地で、知と志の総合拠点でない道庁は、試験に合格する世間的な価値はあるが、生涯を賭ける職場ではないというのは、市場原理の成さしめる結果である。もし、それを避けたいなら、日本国内だけでなく世界の重点大学院と連携し、あらゆる行政の部の単位で、先端研究の共同研究の提携を提案し、相互に留学生を交換することであり、研究成果を電子ジャーナルで公表できる知的環境を創りだすことである。

 

 


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中高生の部活は、地域クラブへ委ねよう

2017年12月29日 | Weblog

5教科の教員は、一県で一チームで教科指導の一体化と、生徒情報の一元化を行う。大事なのは、国語と英語と社会との言語文化、言語運用の一体化に取り組むことだ。言語学がコアーとなる。理数科は、やはり数学が孤立するのがけいない。数学屋の課題と、最先端科学とのズレを早期に中高の段階で埋めることだ。絶対に必要なのは、言語系の科目と、理数系の科目には、博士号をもつ人が5人くらいリーダーとして必要だ。これはさておく。

中高生の部活は、サッカーの成功に見習い、幼児からの地域クラブ制が最も理にかなっており、地域の再生につながる。施設としては、現行の学校を利用すればよい。教育委員会は、コーチのライセンス制度をきちんと管理することである。富山なら十分にやれる。


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国民経済学と相関しない東大・京大の教育学

2017年12月29日 | Weblog

実は、日本という国では、学校教育制度が世界で有数の近代産業国家の担い手である国民教育に成功したため、教育学の国民経済学との関係は、研究課題となる未知の領域では無くなって久しい。今は、教育制度では救済できない心の問題が研究・教育の主体となっている。その結果、マクロ的に国民経済学と国民教育の研究が、国家的になされないで、慶応大学の一発屋の研究者の一研究が、内閣の国家戦略を指導している。大事なのは、小学校の入学前に、家庭に任せないで、国家社会が公的な発達支援を行うことの重要性と、中高生の部活におけるチームワーク活動体験の重要性である。政治的には、財政・税制論が主体であるが、文科省は教育論として費用対効果を想定している。これと、東大・京大の教育学はマッチングしていないが、この分野は全国的な経験交流が可能であり心配はいらない。

問題は、富山県である。中学・高校の部活と高卒正社員採用率が、日本一高い関係を実証研究できていないことである。これは、負の連鎖も関係する。中学・高校の部活で全国大会がある分野では、高校野球が全国最下位であることはよく知られている。部活での負け組意識と、大学非進学という負の連鎖から、高卒オペレーター職への就職率を全国最高に導くと、実は、高卒者の生涯賃金と県内に残し得る遺産の総額は、年次的に減少することになる。その悪循環が、富山県内では持続していることになる。そして、成績優秀者が日本を代表する知性になることは避けがたいが、偏差値の面で人数の多い45から55の層が、ごっそり首都圏、関西圏の私立大学に流れる。この組が、Uターン、Jターン就職を希望する。大学院卒でも、初任給は20万以下でも採用できる企業もある。つまり、富山にある現実から、県民経済学と県民教育を根本的に学理を構築する研究課題が残されている。戦後、一貫した研究課題である。


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富山県政から失われた精密な統計推論技術

2017年12月29日 | Weblog

高岡市の財政収入に大きな歳入欠陥がでたそうだが、こんなこと10年以上も前から分かる。県政が地道に県民の所得構造の変化、地価の実勢変化を系統的に把握していると、常に10年前に極秘裏に対策が立てられる。1990年くらいまでは、富山県の統計の力量は、中央官庁を凌ぐレベルにあった。ところが、IT化が進むと、逆に大きく力を落としてしまった。これは、紙バージョンからエクセル型に転換したからだと思われる。拙宅の孫に効いたが、理工系ではエクセルは使用しないとのこと。理由は、BigData処理に適していないからだ。僕は、人文系の歴史学で統計学を論証に使う先端研究をしているが、データ数は、過去の歴史資料では限られており、小数点以下では3位以下は切り捨て処理でも誤差はでない。歴史では、現在形のゴールという正解があるからだ。ところが、県政は100年先の予測が必要である。

ところで、加賀藩は、琵琶湖の湖岸、大津に飛び地の領地を有していたそうだ。大阪市場への船による輸送路の要だったからだ。この先端性は、石川県に引き継がれている。現在の富山県庁の庁舎は、IT化を全く前提としてない算盤の時代の産物である。余談になったが、データのデジタル化を含め、10年先の危機を未然に防ぐAIシステムの転換には、100億をこえる投資がいる。富山県庁も、県庁リーグでは、J3に降格していることを知るべきである。


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香港領域で「中華人民共和国」への出入国ができるという話

2017年12月28日 | Weblog

香港の「文滙報」から拾ったニュース。<全國人民代表大會常務委員會昨日批准《內地與香港特別行政區關於在廣深港高鐵西九龍站設立口岸實施「一地兩檢」的合作安排》> 北京の中央政府の全人代常務委員会で、観光客にも関係する制度がうまれた。香港の領域内の西九龍駅に隣接し、大陸中国側の出入国のための管理特区がを創るというニュースである。高速鉄道なので、中間の境界と境界にて、車内で中国と香港の出入国の管理ができないので、事務的には香港の出発駅で、香港⇒中国、中国⇒香港の出入国を管理する機構と施設をつくる措置が決定された。これは、香港側の自治権の主権を犯すという批判もあるが、香港政府はこの案に同調し、北京側に同意と謝辞を述べたという。これは、日本からの旅行者にも便利だと思われる。だが、香港人には、大陸側に香港全域が組み込まれる脅威があるようだ。


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IT化すれば、全ての県立高校は維持できる

2017年12月28日 | Weblog

教科の指導をIT化すれば、IoT技術に基づき、どんな辺鄙でも、少人数でも、山間部、離島でも分散した小規模校は維持できる。ところが、部活などの学校対抗を考えるから、体育、美術など5教科以外の教員の使い道が困るから、辺境を切り落とし、再編という名の小規模校の切り捨てがおこる。少子化の流れのなかで、小規模校を切り捨てる酷い政策を避けるには、部活をすべて地域のクラブ制の転換することである。学校対抗の時代ではない。

進学は、21世紀の子供たちの主戦場である。例えば、量子コンピュータにつき講義、実習を受けられるのは、東京大学しかない。甲骨文字に始まる全ての漢字の系統発生を整理する方法を確立しているのは、東大の文学部である。いま、このブログでは、東大、京大、一橋の3校の合格者を富山県が相当に減らしているのを危惧している。学問の先端化、高度化により、負け組には再挑戦の機会はない。北大、九大は、もはや一流校ではない。世界の競争に生き残れるのは、3校だけという国際競争の晒されている。だから、ダイレクトに国際一流の大学への現役合格も考えなくてはならない。「高校再編」の議論から、県会議員の傍聴を排除してまでするのは、悪だくみの悪代官と思われて仕方がない。その根底には、高等学校教員の利益共同体があるからだ。小規模校を活かすためにも、IT化による教科指導と、地域クラブ制への移行が大事だ。富山第一のサッカー部に入るには、幼稚園、小学校の時代からの地域クラブでの訓練が必要である。全国一の実績を分析すると、クラブ方式がいかに地域再生の要だとわかるはずである。


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果たして「富富富」なのか:「家庭菜園型」富山農業

2017年12月28日 | Weblog

「北日本新聞」が、「富富富」の作付けを申し込んだ農家が、県の計画よりも2分の1くらいに留まったことについて、市場競争力を高めるには希少性が必要だと肯定的な評価を下している。富山農業の問題は、非常に難しい。主体が兼業農家、だから近代的な製造業を月ー金にこなし、土日祝と有給休暇を利用する「家庭菜園」型の農業が主体である。ある意味、独立した産業ではない。栽培に関わる制約条件が多すぎると、兼業農家は逃げる。その手間暇をかけることが出来るのは、退職した高齢者である。もともと、専業の農家の比率が少ない。だから、品種改良し、全国、世界市場にブランド米を創り、農業所得の拡大を図り生き残りを目指す経営基盤は、極めて弱い。

「家庭菜園」型なので、給与所得を食費の面で費用補填する条件があるので、平均賃金は関東地区より30%以上低い。そのため大企業が、富山に生産拠点をおく相互依存が可能なのである。製造業を主体にみると、「富富富」は「フフフ」なんです。まあ、悪いことではないですが、・・・。お疲れ様、というご挨拶につきる。「コシヒカリ」が生産が楽となれば、苦を選ぶ理由はない。学力を主体に考える教育界にしても、専業農家で「家」が維持できるとは考えていない。かといって、農家、三世代同居、近住の伝統のお陰で、それなりに地域社会の規範が守られているから、「家庭菜園型」を「市場生産型農場」へ転換することには不安をもつ。だから、先端技術産業のファクトリーの担い手として、次世代を育てることになる。それと、富山のお米のプロは、飯米としての米穀だけでなく、建材の接着剤としてコメの微粉が利用できることを知り抜いているので、家庭菜園型のコメの等級の低いコメでも棄てるところはないそうだ。鶏卵を生産する飼料として、それ専用のコメも必要である。

 


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