富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

財務会計、管理会計、税務会計と、ゴールドラット理論の欠陥

2015年12月27日 | Weblog

TMA講師代表:昨日で、富山マネジメント・アカデミーの2016年秋学期が終了した。株式会社アリタの監査役の織田肇さんを講師として、戦略的な会計実務を紹介し、その特徴を論じてもらった。

企業会計には、基本となる財務3表をコアとする財務会計にほかに、経営の戦略にかかわる管理会計の2種がある。そして、そのほかに、税務会計がある。日本の大部分の中小企業では、財務会計のデーターをもとに税務会計をおこなうのが精一杯である。経営戦略の再検討、発展戦略の策定に必要な「管理会計」は、それぞれの企業文化に関係するが、この部分が活性化していない事例が多い。

「財務会計」は社内でおこない、「税務会計」は税理士に任せるが、このやり取りが経営者の経営戦略の眼を曇らせる原因となりがちである。そして、今期、TMAでとりくんだゴールドラットのスループット会計理論は、経営「管理会計」に属する部分であって、既存の「財務会計」と「税務会計」に代わるものではない。あくまでも経営戦略論の一部を占めるにすぎない。

この秋、講師代表の中村哲夫は、ゴールドラットのスループット会計理論を再検証した結果、スループットの概念を個々の製品の「スループット原価計算」の例題は、ゴールドラット理論の自己矛盾であるという研究結果を発表した。

ゴールドラットの正しさは、伝統的な「原価計算論」への批判にある。個々の製品に「労務費」を推論的に割り振る原価計算論は、手間がかかり、さらに推論を含む仮の計算値である。それは批判として正しい。ところが、ゴールドラットも、原価計算論のワナにはまり、個々の製品の生産に要する時間と、販売価格-材料原価の差額で得られる利益にスループットの概念を当てはめ、ゴールドラット流の原価計算論を主張したことである。

この講義を三協立山の担当のかたに聞いてもらったら、いまでも煩雑で、何万という部材原価計算に加えて、ゴールドラット流の原価計算論を採用する手間は、企業に余分な負担となるという否定的な答えだった。それで、講師代表として、自己責任でゴールドラットの理論のロジックの矛盾として、スループットの概念は、財務3表の内の、損益計算書P/Lで表現される次元と相似であり、その意味で日本の伝統的な会計基準となじめるが、スループットを個々の製品原価計算論に落とし込むのは、論理の自己矛盾である、と結論づけた。この結果、日本のゴールドラット派の代表である岸良祐司は、スループットという用語すら使用していない。ゴールドラットの思考法を職場の改善に役立てる「TOC飲み会」運動だけが盛んである。たまたま㈱アリタでは、自社製品の生産をしないで、TOTO製品などを代理店として仕入れるから、複雑な原価計算論はどちらにして不要である。

結論としては、伝統的な「財務会計」である「損益計算書」をゴールドラットの制約理論の観点で再検証し、利益の最大化を妨げている制約要因を見つけ、それを管理会計の次元で、さまざまな指標管理指標に移し替え、見える化するべきだという理解に達した。

 

 


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富山県内の企業の定義

2015年12月26日 | Weblog

TMA講師代表:富山県内企業の定義は、2つある。一つは、法律上において富山県に本社機能がある事業所である。もう一つは、富山県内に工場など生産拠点をおく事業所である。

学生さんの就活を頭にいれて説明すると、最初のタイプの企業は、富山県内にある本社にエントリーして、入社試験をうける。第二のタイプは、本社が東京なので、他府県にある本社で採用試験を受け、富山で就業する場合である。

あるバカな学生が、スギノマシーンは富山の企業ではない、なぜなら、東京で働かされるからだ、という。勤務地として、生涯、生まれ育った富山を離れたくないならば、いわゆる地場の百年企業を探し、そこの入社試験をうけるとよい。それを中堅企業以上の大企業でとなると、北陸電力は北陸3県のみ、北日本新聞は富山と東京支局の勤務がある。

ある程度以上の企業規模があれば、海外での勤務は当然である。海外や県外で働くことで、初めて郷土である富山の長所がみえてくる。20歳前後で富山の企業に勤務、65歳で定年となると、生涯、郷土の良さにはめぐり合えない。

もともと、富山人は北海道への移民、家庭薬の配置業で外に開かれた目と足をもっていた。

どうしても、富山から離れられないとすれば、地方公務員(警官、教員を含む)か、地場の産業しかない。そのなかで、推奨されるのが、製薬業の世界である。それは、高等学校を選択する段階で決めておいたほうがよい。


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2016年の百年前は?

2015年12月25日 | Weblog

TAM講師代表:専門研究「世界は、百年前はどうだったのか?」

世界史を勉強すると、百年前にすでにあったもので、2016年も存続すると考えられるものと、この百年の間に生まれ消えていったものが区別できる。まず、継続しているのが、中央銀行の制度である。それらは、大英帝国の金本位制度に支えられ、ユダヤ系の金融商人の世界ネットワークに支えられてきた。電信による為替制度のおかげで、地球的な規模で貿易の決済が可能となる仕組みである。しかし、百年前の第1次世界大戦において、大英帝国の金本位制度は崩壊し、世界の安定秩序は一挙に崩壊する。消えていったのは、貴金属を本位とする通貨制度である。貴金属の投機市場から、世界貿易の通貨が消えていった。

百年前には極めて盛んであった共産主義・社会主義が、ロシア革命で全盛期に入り、そして大きな社会実験の結果、その後の百年のなかで進歩性、革新性が失われた。しかし、ロシア革命とは違う道すすみ、福祉国家や社会保障制度の進んだ国家がある。それが北欧諸国であり、イギリス、フランス、ドイツなどである。アジアでは、日本が唯一の成功体験を持っている。

百年前は、分裂国家で、世界帝国の仲間から外れていた中華民国は、その後、孫文の庇護のもとに誕生した中国共産党による統一の結果、遂に、アメリカと肩を並べるようになった。少なくとも、ロシアが凋落し、中華帝国が再興したことは確かである。

百年前は、少数民族の独立運動は、大英帝国のための世界平和により抑え込まれていたが、第1次世界大戦後、アメリカが民族自決を認める国際政治の基本概念を確立した結果、世界的に民族独立運動が高揚し、特に、アフリカの民族主義国家が誕生し、西欧の植民地国に大きな変化が生まれた。

このように眺めると、中国は自国の問題を解決したように見えるが、国内は社会主義制度が未完成で、粗暴な市場原理主義をうまく抑制できていない。つまり、百年前の中国にあった家産官僚国家という基本形では、中国は百年前となにも変わっていない。真の革命が中国にはなかったことを意味する。ロシア革命方式、つまり、革命政党が党の軍隊をもち、その武装力で人民を徳育教化できると考えたが、百年たっても、中国共産党員は、指導者が「党を姓にせよ」と呼びかけるほど、「私の同族の姓」を第一にする私的利益を実現する手段として革命党が利用されただけである。

この百年、最も大きな変化を遂げたのは、連合国の占領支配をうけたドイツと日本である。最後に残された活路である製造業を生かし、大きな変化を遂げた。大失敗を経験したことで、民族としては、大きな学習をしたことになる。そして、この百年、基本的に変化していないのがアメリカである。理想主義と、偏狭な保守主義とが、壮大な民主的な討論を行い、大きな間違いが修正される仕組みを内部にもっている。多民族社会でありながら、国民の合意を形成する仕組みをもっている。百年前の理想を百年後の現在も、それなりに進化させている。それは、アメリカである。広く言えば、西欧の知的社会である。中国がその一翼を担うには、もう百年の時間が必要である。そして、日本は大きく成長している。偏見なく世界を見る目が生まれてきたからである。与党も野党も、共通の認識の部分が大きい。


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2016年の中国経済を読む

2015年12月23日 | Weblog

TMA講師代表:専門が中国経済史なので、2016年の中国経済を予測してみる。結論は、過剰な産業生産の能力を調整し、減税を実施し、財政の赤字を拡大し、産業経済だけでなく経済社会の構造改革に取り組み、粗放な生産力第一主義から洗練された生産調整能力のあるミクロ経済の調整管理に力点をおくというものである。資料は、12月18日から21日まで北京で開かれた「中央経済工作会議」を概要を伝える「人民網」によるもの。

2015年の中国経済が直面した課題は、粗放な社会主義経済学の名残である生産力第一主義が招いた「過剰生産」による不良在庫がもたらした経済の悪循環である。形式だけ株式会社である国営企業は、軒並みに過剰生産の結果、製品の不良在庫化が進み、企業会計の赤字が相互に連鎖する深刻な事態を経験している。生産力の解放が、社会主義であるというスターリン時代の教条は、この中央経済工作会議の要約にもまだ見られるロジックである。このような粗放な社会主義経済学の蛇尾を残しながらも、他方で、企業減税(制度減税と資本金減資)により、財政の大幅な赤字率が高まることを肯定した点に新味がある。

そもそも、12月の下旬に開かれる中央経済工作会議は、翌年の3月に開かれる「全国人民代表大会」(日本の衆議院に該当)へ提出される予算案の大綱を決定するため、党中央書記処が管轄する党政治局常務委員を構成員とする会議である。国務院総理は、この会議のナンバー2である。

中国の国営の大型企業が、過剰な原料在庫、不良な製品在庫を抱え、生産調整に失敗し、日本でいう不況が蔓延し、そうした企業からの国家財政、地方政府財政への税収が大幅に減少するという前提で、「財政の赤字」を大胆に、公然と肯定したことが過去の中国共産党中央の経済政策には見られなかった。財政の健全主義、これが中国社会主義経済学の原理主義であった。それでは、不足する税収をどこから補なう計画であるのか、それが「人民網」の資料からは見えてこない。

中国経済の潜在的な回復力がある、という主張を語ることで、この疑問は打ち消されている。おそらく、反中国主義を職業とする論者は、その不透明性から、中国経済が世界経済の破局を描き出すだろう。しかし、中国経済のグローバル化は、すでに300年の歴史があり、日本人の海外ビジネス展開にともなう海外日本人の総人口よりもはるかに多い海外華人・華僑(2億5千万人)を擁している。そこへ、新華僑という中共の政策による在外の工作者を入れると人口では世界最大である。まして、イギリスのエコノミストが正確に分析し、IMFのSDRに人民元を第3位の通貨に推薦し、2016年10月から人民元の国際通貨化が初めて完成する。結果、香港ドル、台湾ドルは、その連動性において存在価値を増す。中国経済の総量のスケール・メリットは、回復局面では有効に作用する。

このブログに書いてあるのは、北京のオリジナル・データからの中村の解析である。富山の企業のある人から、日本語の新聞や雑誌のどこにも書いていないので、中村の分析や主張は信用できないと、正面切って言われた。オリジナル・データである漢語の原典から読み取れる能力があるという価値は、富山では評価されない。そんな能力がある人間が富山にいるはずはないというのだ。

財政の健全化という議論が、中国共産党では大きく後退し、財政赤字のもとで、新常態のレベルでも経済成長率の維持を優先した、と分析できる。中国のミスのおかで、資源系の素材の国際価格が低く、原油も高騰しないので、日本経済は再起動の効果が望める。中国市場で欲しがられる製品・サービスの内容が、大きく変化することも確かである。

 

 


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「地域経済論」は成立しないが、「地域経営論」は成立する。

2015年12月23日 | Weblog

TMA講師代表:「地域経済論」が成立するには、地域通貨が存在し、それが機能していることが大前提である。だから、「藩札」が通用した江戸時代には、立派に「地域経済論」は、議論として成立した。しかし、金融経済のグローバル化により、世界の通貨は、IMFのSDRを信用貨幣の中核に据えて、各国の通貨や、金券が市場の相場でレート変更されながら、潤滑に流れている。経済学は、貨幣の交換価値を基軸に論理が整理される。だから、地域経済論は、実は成立しない。北陸経済という大前提はありえない仮説である。

ところが、「地域経営論」は、論理的に成立する。なぜなら、経営は人間の集団の営みであるからだ。そのとき、1日通勤圏、1日営業圏という人間の行動範囲に制約条件が生まれる。それが地域である。だから、北陸営業所、富山支店、富山工場というローカルな経営組織も、「地域経営論」の枠組みにはまる。顧客に対しては、「地域内の企業は地域内の顧客だけを対象」にしてはいない。あらゆる職種に分かれ、働くという人間の行動範囲と、8時間なり10時間なりの行動時間の最適な組み合わせにおいて「地域という生活空間」が大前提となる。

富山県の場合、工場での生産など移動しない定点への勤務のためには、1日通勤圏が、富山県の東部と西部とに大まかに分かれている。西部では、金沢への1日通勤圏へ組み込まれている。だから、理屈的には、「富山地域経営論」は成立するが、石川・富山の2県を「大地域」とみた「北陸地域経営論」の方が実態にかなっている。

おこらく、この傾向は人口規模が縮小すればするほど、石川・富山の経営の一体性は増してくる。このとき、一方的に石川サイドが優位になるとか、反対に、富山サイドが石川を逆征服するとは考えられない。そこで、産業別、サービス別の石川・富山の比較と、市場の動態の分析がカギになってくる。銀行では、北銀>北国。大学では、金沢「学都」>富山5大学、製鉄では、富山>石川、IT機器では、石川>富山・・・、このように見ると、強弱が複雑な組み合わせになる。しかも、経済のグローバル化により、市場も工場も外国にあるという企業が存続の柱になってる。

では、なぜ、産業別、サービス別に濃淡、強弱などの違いが生じたのか?それは、個々の組織にマネジメントのリーダーの学習歴の差異が、非常に大きい。1970年に、金沢大学を卒業した2代目、3代目の経営者の子弟が、金沢経済同友会で経済地理学を基礎とする都市経営論を勉強し、金沢「学都」構想など、今日の金沢の姿を描きだしていたからである。1970年から数え、30年、40年たった今、その成果が生まれている。富山県では、起業塾に力を入れた。富山市は、国家の官僚の知恵を借りて、コンパクト・シティ構想にのめり込んだ。経済同友会の若手の勉強会が上手く機能しなかった。それは、知恵を貸すべき富山大学の側に、1970年代の地域経営を導くだけの知恵がなかったのも事実であるが、都市計画が行き届き、富山市に限れば解決するべき深刻な課題がなかったからである。石川県は、能登の過疎化に本気で悩んでいる。富山県は、金沢「学都」>富山5大学を本気で悩まないと、金沢「学都」で育った人材が「富山経営」の中核となる時代は確実に迫っている。多くの富山の識者が、金沢工業大学、金沢星稜大学の教育力を見くびっている。大衆社会の今、この2大学は中堅の社会層の向上と安定に寄与している。

 

 


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富山の優良企業は、どのように探すのか?

2015年12月22日 | Weblog

TMA講師代表から:富山の優良企業を見つけるには、まず、簡単な方法がある。それは、地元の新聞に載っている「東京証券取引所に上場している企業」の株価欄の報道である。もちろん、株価が高いから優良企業であるとはいえない。そうではなく、東証1部上場企業になれるのは、東証の企業審査を受けなくてはならない。仮に上場が認められても、決算書を公表する際に、虚偽事実の財務諸表を公開すれば、それだけで罰金が課せられる。その好例が、東芝である。「地元新聞」、できたら「富山新聞」の場合は、北陸3県の東証1部上場企業が載っているから参考になる。しかし、この方法では、百年企業はみつからない。百年企業とは、その地域社会での信用力、地元への密着度だけでなく、時代への順応性、主力となる商品、サービスの切り替えという目線で見ると、安定性と創造性が見えてくる。このような企業は、株式を公開市場に開放していないので、経営学の学者には評判がわるい。地域の優良・中堅の企業である。各学校のキャリアーサポートの担当者なら、こうした昔からある地元の中核企業を紹介してもらえる。アリタさんは、その典型である。

ただし、富山の超優良企業は、実は、東京の丸の内に本社のあるグローバル企業に入社しないと富山では働けない。なぜなら、YKK,不二越、三協立山、それに北陸銀行、北陸電力を合わせても、三菱系、住友系などの旧財閥系、新日鉄住友、最近ではフジフイルムなどの富山工場の生産高の総量には及ばない。こうした全国区のグローバル企業は、若い時代の鍛えの年齢が終われば、晩年は、郷土である富山工場、支社への定着を考慮してくれる。こうした旧財閥系や超優良企業の富山支店、富山工場は、富山県知事選挙などで地元の政治と関与しないから、県庁・市役所などでは、県内の企業ではあるが、地元・郷土企業とはみなしていない。富山人が、こうしたグローバル企業への就活を避けると、実は郷土の根が腐ってくる。そうした企業のOBが地元に帰ると、同窓会などのご縁で、例えば三菱商事とか、メガバンクとの取引が仲介される事例が多い。富山人の財閥であった安田財閥が衰退し、富山人の東京の丸の内に本社のあるグローバル企業への進出の程度は、大きくない。

例えば、印刷業でも、大日本印刷クラスとなると、印刷産業の超最先端技術をになっている。実は、企業は「大は小を兼ねる場合」と、「小しかできない場合」とが、複雑な取引をしている。「小しかできない場合」の典型が、石金精機さんと地元信金さんである。「大は小を兼ねる場合」の典型は、北陸銀行である、最近、富山の地元銀行が東証に上場したが、人口減少の地域社会において、東京の丸の内に本社のあるグローバル企業と取引のない地元弱小銀行は、東証へ上場は、地方銀行の買収を容易にするための地ならしに過ぎない。だから、T銀行とD銀行のTVのCMには騙されてはいけない。大事な50歳台になり、地銀の再編成で入社した銀行と違う大銀行に吸収され、寂しい晩年が待っているのは確実である。東証に株を上場するというのは、企業を丸ごと売りに出す危険も追っている。だから、超優良企業のYKKは、いまだもって非上場企業である。

北陸銀行だって、万全であるとは言えない時代である。T銀行とD銀行を選ぶくらいなら、地元信金がお勧めである。国の法律で守られている。北陸銀行は、内部の人材力の基礎レベルが違う。最近は、英語の出来ない人を基本、採用していないからである。

 


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ユニ・チャーム共振の経営を読む

2015年12月15日 | Weblog

TMA講師代表の読書ノート:遅ればせに、高原豪久社長の本を読んだ。日本経済出版社から、2014年6月にでている。富山市立図書館でお借りした。先代のカリスマ経営者の専制システムであった企業が、息子さんへの世代交代で、グローバル企業として躍進する成功談である。

感心したのは、企業人としての社内マニュアルが、体系的に細かく文章にされていることである。マニュアルの共有化、見える化が達成されているから、社長と役員、社員との「共振」のコミュニケーションが、実効性をもつ理由が良くわかる。

これは、一般論であるが、人文・社会科学では、論者により言葉の定義は、各人各様である。しかも、思想が絡んでくると、言葉の流儀も違う。例えば、資本主義ということばを、社会主義の対義語として使用する論者には、私は冷たい視線を送る。単純な2分法であるからだ。僕は、古代から現代まで、人類の経済原理は、指令型経済原理、市場型経済原理、互恵型経済原理の3つの磁力が均衡する関係だと考えている。ところが、基本の考えが一致しているのに、指令型経済原理という名称が気に入らないという学者もある。要は、国家が税を集め財政支出する経済原理のことだと定義すると、名称が気に入らなくとも、財政の均衡論だと誰でも理解できる。市場型経済原理は、貨幣の価格を媒介に需要と供給とが均衡する経済原理だと定義すれば理解されやすい。互恵型経済原理は、無償の供与が基本である。大学院生のとき、戴いた奨学金は、返済を免除される官職を得たので無償の支援を指令型経済原理から供与されたことになる。その分、この国の大学教育には、報酬を上回る努力をしてお返しした。

このように、企業の文化として、社長から社員一同が守るべき社内マニュアルが、手帳の形で情報共有されていると、第何条の何の項目に外れているという注意も可能である。「共振」の経営とは、経営者の考えが現場で咀嚼され、現場での出来事が経営者に反映される関係を意味する。企業にとり唯一の目標に向け、努力のベクトルが一致している状態を保つには、絶えない共振のためのコミュニケーションが必要である。

企業文化として、マニュアルの用語集が伴っているには良いことだ。しかも、英語版もあるとのことだ。言葉の用法が違うと、共振という振動の周波数が狂ってくる。一読に値する名作である。やがて、紙おむつのお世話になる身には、ありがたい企業様である。

 

 

 

 

 

 


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上田惇生氏の編訳の「マネジメント」ダイヤモンド社は、粗悪な編纂物。

2015年12月13日 | Weblog

TMA講師代表の研究:マネジメント科学の入門書であるべき、P.F.ドラッカーのManagement:Tasks,Responsibilities,Practices のエッセンシャル版は、原書の大事なところを飛ばし、上田氏の理解で勝手に「基本と原則」を編集している。だから、「翻訳」とはいえず、「編訳」と称されている。

これまで、まともなアカデミズムでは、ドラッカーは無視されてきた。富山市立図書館の選書の方針でも、ダイヤモンド社を直接に名指しはしていないが、出版社としてはAAAランクにはおかれていない。

ドラッカーは、戦後の日本の経済の歴史をマネジメント思想の面で語るとすれば、落とせない論客である。また、問題の多い、評判の悪い上田氏の仕事ぶりを含め、粗悪なドラッカーでも、それなりにインパクトを与えてきた。

しかし、病院、学校、地方公共団体などの非営利組織の経営管理者が、ドラッカーに深い影響を受けたというエッセイには、あまりお目にかからない。私は、大学の教養教育に40年近く関与してきた。世界史の教育にあたったものとして、Drucker の原書は、教養課程で学部の縦割りを超えて、熟読されるべき人類史の古典であると確信する。特に、中国研究者からいえば、孔子の古典儒学、朱子の新儒学がヨーロッパに伝わり、市民階級の科学と民主の創造につながり、それがアダム・スミスを生み出したから、そのアダム・スミスの延長上の科学思考が、現代の古典となると考えている。

アダム・スミスは、富山大学の経営短期大学のある教授に手ほどきして戴いて、「アダム・スミスの中国論」を書きあげた。60数編ある論文の中で、3本だけは自信がある。他の2本は、「清末華北の農村市場」、「科挙体制の崩壊」、いずれも法律文化社『近代中国社会史研究序説』に収めている。明日、死んでも悔いがないのは、この3本に魂をこめているからだ。原論文は、東京大学出版会から出されたもの。その後の自信作は、「孫文の経済学説試論」である。これは、孫文の経済学が儒学を基礎に、アメリカ制度学派に親近したものであると解き明かした論である。こうした学問のコアーには、「論語」と「諸国民の富」の原文の読解がある。

ところで、日本では原文を熟読する教育が廃れすぎている。明治時代は、漢文の教養を基礎に、欧文の原典を時間をかけて読まれてきた。ところが、昭和の初めには、誤訳の全盛期がくる。東京帝国大学教授が、アダム・スミス誤訳をしている。中国経済史の権威であった教授も、スミスを原典で読んだ形跡がない。原書は優れた中国経済論であるのに。だから、誤訳の歴史は、なにも上田氏が一人負うべき責任ではない。

要は、学生時代に根気よく、Management:Tasks,Responsibilities,Practices、それを安価なペーパーバック版で読むことだ。ちなみに、僕の読み方は、こうだ。まず、英文の原文をスキャナーで読み取り、テキスト・ファイルに変換し、ワード画面に転写する。同時に、辞書のツールである「英辞郎」を立ち上げる。こうしておいて、ワード画面で忘れた英語の単語を「コピー」とマウスでクリックすると、「英辞郎」の画面が横に現れ、それを参照する。若い方は、アマゾンのキンドル版で読めば同じように語義は簡単に調べられる。しかし、ワード画面だと、原文に自分の訳注【  】を付記できるし、試訳も簡単に書き込める。だから、PCは捨てきれない。自分用のデジタル編集版が手元に出来上がる。

ともかく、翻訳に頼ってはいけない。原文と悪戦苦闘すれば、間違いなく、人としての進化が結果として残る。孔子が諫めた、人から聞いたことを深く研究しないで、他人に伝える愚は避けたいものだ。

 


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富山駅の利用客を一番によく知っているのは「源」さん

2015年12月11日 | Weblog

TMA講師代表の研究:富山人なら、「源」(みなもと)さんは、マス寿司の有名なブランド企業であることを知っている。おそらく、明治、大正から今日まで、駅弁を正業とする100年企業である。駅弁を扱う業者のなかで、経営者の見識がこんなに優れたマネジメントは他に見当たらない。地域のマネジメントを考えたうえで、自社が貢献できること、同業他社、関連の事業者への目配り、全てにおいて見識が優れている。

そもそも「源」の社長が、中部高校の同窓会長であることを以てしても、最大の敬意を払いたい。会員には、富山県知事と富山市長が含まれているからだ。富山駅の整備に関しては、「源」の社長のアイデアや、全体イメージは、役所の行政マンのレベルを超えている。

私は、「源」さんは、地域の最優良の中核企業と考えている。地域の観光拠点である「マスずしミュージアム」も、3度、利用させてもらった。他府県からの観光バスの回遊拠点として、先駆の事業者である。その「源」さんが、富山駅の近未来の絵図に対し、きちんとした見識を発揮されているから、このブログでは、富山駅の工事は、ユックリを推奨している。富山駅前の整備も、まだ5年かかる。北陸新幹線が関西と結ばれたとき、富山にとり全体最適がうまれる。

金沢駅は、現時点では正解である。富山駅は、新幹線が関西圏に達した完全な開通に合わせて、その時に最高の姿を登場させたらよい。将来に「含み資産」を残している富山か、全部を見せ切って飽きられる金沢か、昔から、苦労した分藩である富山藩のほうが、実は知恵のある生業に成功している。ここから5年の、産業科学技術の進化は、驚異の展開となるだろう。ドローンだけをとってみても、想像できるだろう。広場を大きく残すことは、防災の観点からも良いことだ。金沢駅のように、広場を屋根で覆うと、緊急時にヘリコプターが利用できない。新幹線の乗客の救命を考えた地道なとりくみは、何が一番大事なのかをおさえた富山人の矜持である。

富山駅の利用人口の動態に一番に精通している「源」さんが、マネジメントの見識において健在であるかぎりは、富山県庁と富山市役所とは、中部高校の同窓会長の判断を仰げばよい。地の利、人の利、それに産業界が主役という今の時代の「天の理」にもかなっている。


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富山の優良企業と求人の構造

2015年12月09日 | Weblog

富山マネジメント・アカデミーからの情報提供:

富山県では、県立の高等学校のシステムが比較的に充実し、実業系の高校定員は、県内の優良企業の求人数よりやや少なめに設定されているから、いわゆる定型労働の求人部分では均衡がとれている。しかも、下手な大学に進学するよりも、高等学校卒業→正社員→厚生年金の満額支給というラインがすでに確立している。YKKの場合、県立高校に推薦を依頼している。大卒ではYKKにはなかなか入社試験に合格できない。高校の就職組のトップだけを集めた選別が可能な企業である。反対に、求人に苦しむ土木・建設業では、戦略的に工業高校と、工業系で土木・建築のある高専・工学部への縁故によるアプローチにより、技術要員は確保されている。

一番に心配なのが、県立高校で就職を希望していても、学校推薦に漏れたり、生涯を貫いてやりたいことが見えていないで、大学に行けば何とかなるという進学組である。学力的に難関校であれば、県内の優良企業は、よくぞウチに来てくれたと歓迎されるが、・・・。

中部高校でも、下位の3分の1が合格する私立大の文系は、首都圏でも、関西圏でも就活に苦労し、それで郷里ならなんとかなると帰ってくる方がある。しかし、仕事できない組に属する方が多い。だから、北陸電力や北陸銀行では、難関校の卒業生で帰郷してくる人材を大事にする。その場合、福井、石川、富山の3県の優秀者が対象となるので、面接して、富山県人が優先させるわけでないからから、ごめんなさいというケースも出てくる。

私立大学の文系には、営業の能力しか期待されていないが、県内企業でも優良企業は、全て海外の業務があり、営業職でも英語能力を証明できないようでは、苦しい就活となる。

この構造は、首都圏でも、関西圏でも同様である。私立大学の文系の中堅以下ならば、外国語に特化した専門性の高い学部・学科でないと、100社以上にエントリーするはめになる。富山の優良企業では、経験則から、苦い目にあった大学からは採用しない。それと、大きな声で言えないが、縁故による採用で、お荷物の人材を抱え込まされる地元企業もある。

さて、地元の県立高校からストレートに優良企業に入った方が正解である。工業系でも、大卒となると、東北大学の工学部の出身者は、技術系の役員にはなれるが、その差異は、年齢とともに開いてくる。選択は18歳にある。三世代の同居、近住の由緒ある富山人は、きちんとした戦略を持っている。100年企業では、どこそこのナニ家、という江戸時代、明治時代から昭和時代の人脈を持っている。地元の国立の大学の文系学部に対する企業の評価は低い。首都圏、関西圏では、地方国立の枠があるから、そちらで実績を上げてから、郷土の優良企業にチャレンジすることもあります。ハローワークには、そうした中途採用の求人データーがある。ただし、失業していないと、Web検索用の番号がもらえないので、情報を得るには一工夫がいる。


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標準外形課税は、マネジメント科学の普及を促す良い企画

2015年12月07日 | Weblog

TMA講師代表の提言:

利益に対する課税を免れるために、赤字の決算を連年つづけている企業は、相当数にあがる。赤字だから賃上げもしない。こういう企業は、税務対策をもって「経営」と考えている節がある。金融機関も、担保がっちり押さえているから、赤字決算でも平気で融資できる。こうした企業を含め、法人のマイナンバー制が施行され、取引の相互性のデータなどを駆使すれば、「節税」としょうする「赤字企業」からも徴税できる。

こうした企業が相当数あるので、これを「節税型赤字企業群」と、その経営管理者を「非国民型裏ボス」と定義しておきたい。こういう人は、税理士しか付き合わない。国税局は、こうした「非国民型裏ボス」と仲良くなることで、定年後に税理士として専属契約できることを知り抜いている職員をかかえている。

赤字の決算は、決算期に在庫を極端に圧縮すれば、作為的に貸借対照表を赤字にすることができる。この点は、ゴールドラットが繰り返し強調している。

企業は、人材という社会的な資本財を雇用している。被雇用者は、生まれながらに労働能力を身に着けたわけではない。公的な行政経費による「公教育」の成果を活用している。だから、雇用の状態に応じ、標準外形課税を課すのは、国家の財政と政策として当然のことである。

優良企業だけが、国際的に見て高い比率の法人税を払う必要はない。

もちろん、社会貢献のある企業は、減税するべきである。「公教育」のため、図書館の雑誌のスポンサーになるなどの経費は、減税するべきである。スポーツ支援の企業スポンサー、音楽、芸術などの文化支援も含めて、減税するべきである。

問題は、自己資本利益率がマイナスなのに、一人前に経営者としての役員報酬を享受し、マネジメント科学を学ばないで、節税だけを考えている「小人」の群である。だから、標準外形課税は、医薬品開発の企業などを除き、経営能力に対するペナルティとして実施するべきである。それが契機となり、日本の企業社会に、渋沢栄一に始まるマネジメント科学が普及するならば、財政の問題を越えて、日本の社会の構造改善になりうる。


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市場としての中国、工場としての中国

2015年12月06日 | Weblog

TMA講師代表の研究:「統一戦線戦術」しか知らない中国政府と、どのように向き合うのか?

結論からいえば、消費市場としての中国は、いよいよ中間層の個人消費支出が先進国に水準に近づき、日本企業の製品への信頼度が高いので、中国国産品よりも高くても売れるという現象は事実であり、それは中国市場における日本製品が安定した市場占有率を確保することにつながる。中国市場で勝ち組となれる日本企業のためには、「反中国キャンペーン」は、有害である。他方、中国の中間層の個人所得が向上した結果、サービス労働の労務コストが上昇し、低賃金を目当てとする中国「工場」には、優位性はなくなった。その点は、今朝の日経の電子情報でも確かめられる。

<「世界の工場」と呼ばれる製造業の拠点である中国の地位に陰りが見えている。神戸製鋼所は米国で自動車部品の増産投資を決める一方、中国での投資を延期。カジュアル衣料大手のアダストリアは生産の中国比率を9割から7割に引き下げる。中国市場の成長鈍化が影響しているほか、人件費の上昇も影を落とす。表面的な人件費に労働生産性も加味した「単位労働コスト」では日本との逆転現象も起き、日本企業の国内回帰も広がりつつある。>

日本へ回帰せずに、ベトナム、タイ、マレーシア、インドネシアなど南アジアへの転出も行われている。このように考えると、日本と中国との関係は、どのような意味でも、リアリズムに徹し、相互の利害を丁寧に検証することが求められている。その場合、中国は長く共産党の階級闘争の一手段である統一戦線戦術に徹していることを忘れてはならない。主要な敵を一つに絞り、その敵と温度差が違うあらゆる対抗勢力とは手を組み、敵を完全包囲する網を構築し孤立させる戦術である。

では、中国経済と日本経済とは敵対的な競争関係に相当するのか、そうではないのか?貿易経済面では、日中共同の共通の敵対勢力がないので、中国としては統一戦線戦術で日本と友好な関係を長期化できない。反対に、日本を唯一の敵対勢力として、世界的に反日の統一戦線も組織することもできない。中国側は、日本に対し、友好でも、反友好でも、どちらでも統一戦線戦術が使えないから、中国共産党の中央としては簡潔明瞭な指導理論を打ち立てにくい。そこで、日本側としては、中国の地方の省政府や、その影響下にあるレベルでは、日系企業は比較的に有利な企業活動の環境を作ることができる。

つまり、総論としては、日中関係は友好でも、非友好でも、そんなに深刻に考える必要はなく、ただただ個々の企業の選択の自由度を保証すれば良いことになる。総論はなく、各論だけの世界である。もちろん、ある種の楽観論の根拠は、人民元がIMF国際通貨基金の通貨バスケットであるSDR制度に、2016年10月から組み込まれることになったので、IMFを統一戦線とするかたちで、中国と日本との関係は、貿易通貨の安定に関しては、極端な敵対へと転ずる余地がなくなることになる。政治の世界でメリハリをつける必要がない。それが、日中関係である。仮に日本がベトナムと組んで、反中国というのは、中国の統一戦線戦術の裏返しである。だから、安倍政権の価値観外交も無意味である。価値観外交論は、イギリスに見事に裏切られた。

日本の保守派には、反共といいながら、共産党式の統一戦線戦術を使う輩が絶えない。敵があるがゆえに、自己の存在意義があるというような左派も、右派も、中国と日本との2000年来の関係は語りつくせない。


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公立図書館の新刊の貸し出しは、出版業を歪めるのか?(改定)

2015年12月04日 | Weblog

TMA講師代表の私見:

一般に、図書館司書の世界では、貸し出しの数量計算に「冊数」が使われる。大学図書館や、学校図書館では、学生総数という分母が確定数なので、年間あたり学生総数に対し、何冊の書籍が借り出されているかで、その大学の入試以後の真の偏差値は分かる。文学部、人文学部などでは、有効な指数である。問題は、市民を対象とする図書館の場合である。

市民の総人口あたりの年間の貸し出し冊数では、あまりに漠然としすぎる。そうではない。大事なのは、図書という知的資本財を無償で貸し出すということは、「知財銀行」が、知の市場に無償で融資することになるから、貸し出す本の平均単価を仮に800円とすると、年間に1万冊貸し出せば、800万円の知的資本財を公的に融資したことになる。こうして、市民の頭とココロに、知性と徳性が社会資本として再活用されるようになる。

図書館は、知識を資本とする21世紀の世界にあっては、「知財銀行」と定義できる。従って、富山市の住民税の総額収入に対し、市立図書館の蔵書は、図書という知的資本財の蔵書価格の総額との関係で、数的な比例関係が計算できる。

貸し出しできる本は、無償で融資できる長期資本財と定義できるから、年初のストック残高に対し、1年間の融資総額が計算できる。このロジックは、大学図書館でも可能である。特に私立大学では、購買した図書価格がそのまま大学の資産勘定の資産の部に計上できる。大事なのは、平均単価×貸し出し総数=知的資本財の無償融資額が計算できることである。

このように考えると、公立図書館は、知識を資本とする21世紀の世界の「知財銀行」と再定義できる。TSUTAYAとタイアップするべきか、それに反対する進歩的市民団体との図書館戦争は、双方向に次元が低すぎる。では、新潮社の社長が、新刊図書は、せめて公立図書館では、発売から6か月間、無償貸し出ししないでくれという主張をしている。これは、馬鹿な図書館では、人気のある本は、何十、何百の副本を用意して、市民の期待に応えるから、こういう出版業界の主張も出てくる。しかし、図書館に常備されるべき、高価な辞典、年表、文献目録など、総記の類に徹した良心的な出版社も数多く存在する。出版界は、図書館のおかげで読者を失ったというのは言いがかりである。

富山市立図書館では、伝統的に複本は2冊まで。その代わり、人気だけで選書しないで、名著として長く使用できる知的な資本財となるもの広く選んでいる。

公立図書館がうまく運用できない自治体は、都市という公共財に占める知的資本財の無償融資の制度が、理論的な骨子であることが見えていない。賢い市民と、そうではない市民様の違いは、その自治体図書館を見ればよくわかる。もちろん、「良心的な図書館」というのにも、嘘がある。反政府的な市民運動のたまり場となっている事例がないわけではない。だから、TSUTATAと提携という選択肢も出てくる。


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富山県庁の地域振興課の「30歳の同窓会」プランは、良いアイデアですよ。

2015年12月04日 | Weblog

「30歳の同窓会」というのは、良い企画です。実は、そのアイデアの理論的な基礎は、このブログにすでに示している。パクリは、大歓迎。富山新聞文化センターの富山マネジメント・アカデミーが、凄い、と分かって戴けたら、それで十分である。僕も、無給で頑張ってきたかいがある。その証拠に、ネタ元となったブログ記事を再録しておきたい。

<TMA講師代表からの提案:「後期高齢者」というネーミングは嫌われているが、健康保険制度の制度なので、余計な批判はしない。ここでは、「後期高齢の若者」を話題にしたい。「後期高齢の若者」とは、27歳から32歳の6年幅のエイジ・グループである。孔子でも30歳という年齢には、意味を持たせている。大学院の博士後期を修了すると、順調に27歳で満了する。この間、4年制の大学を卒業し、就活し、新卒採用された若者は、まだ「前期の若者」である。そこから、2年、3年とたつと、生涯、最初に入社した企業に不安を覚える。この段階で、富山の企業が「第二新卒」として採用しても、「落伍者」を間違って採用することになる。社会人として不適格なひとが、転職、転社を希望しているだけである。危ない人材市場である。

ホントに頼りになるのは、業務の水準が一流で、主任、係長の候補者としてすでに認められている人材である。例えば、今は野村證券で活躍しているが、父母の介護を考えて、富山に帰郷をしなくてはならない人材である。富山市は、市職員として、こうした人材を積極採用している。すると、パソコンの業務アプリでも、一流企業の隠れた技術を富山の企業に転写できるからである。東京都の職員で、富山の出身者を引きぬくことである。だから、富山の企業は、ライン系は富山県立高校で採用し、土日は、私共のような富山マネジメント・アカデミー型の私塾で鍛えていく。それにたいし、スタッフ系やスペシャリスト系は、「後期高齢者」のために、30歳前後の一流企業経験者の採用が最適である。ネックは、勤続年数による退職金の不利である。それでも、30歳の採用で65歳までの雇用を続けると、勤続35年は保証できる。契約書による採用という採用方式もある。

富山の場合、営業・事務系は一皮むくと、富山商業、高岡商業の卒の文化が人材地層として見えてくる。それでは、グローバル化した現代企業の業務では間に合わない。英文メールをこなせるひとが多くない。だから、富山の企業は、東芝のような現場一流、経営能力三流の「一流企業」から帰郷を勧めるのが最適である。新卒の市場で、東京の2流以下の大卒を郷里に戻しても、彼らには一流の業務能力を一流企業のノウハウを盗んできているわけではない。>

県庁の狙いは、同窓会という仕掛けで、結婚の促進をねらっている。いつの間にか、富山県庁は、昔のやり手婆さんの「仲人」、ブライダル産業の支援に陥っている。それなら、ついでに温泉旅行の券も配ったらいかが。

県庁さん、大事なのは県民税の税収効果をあげるというスループット理論なんですよ。


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「あいの風鉄道」は、知的な不良資産

2015年12月03日 | Weblog

TMA講師代表のマネジメントのコメント:

もし僕が、株主になるのなら、「あいの風鉄道」はパスします。富山市の経営のライトレールなら、喜んで株主になります。その差異は、どこにあるでしょうか?それは、「知性」の差とマネジメントの違いでしょう。

富山県の県営事業で、一般会計の利益を組み入れ成功した事業は、戦前の県営電力事業です。戦時下の、特殊な電力統合により、直営の事業は終わったが、そこからの収益が一般会計に組み込まれ、それが治水事業を大いに助けたわけである。

ところが、県営の伏木富山港の管理事業の収益は、微妙に黒字に抑えられている。一般会計へ収益を上納せよという吸い上げを拒むためである。富山空港の管理事業は、一般会計からの持ち出しに転じている。

さらに、「あいの風鉄道」君のモタモタ感は、・・・これらは、富山県庁の「社風」からきている。有力筋のタカリの構造に、県政が巻き込まれているからだ。知事が民選になった戦後では、地元の特殊業界を利することが優先し、富山県の財政として、県民資産として、何百兆の資金ストックがあっても不思議ではないのに、そうはなっていない。節約の仕方がたりないのか?そうではない。

スループットを最大化するには、原価や業務費を縮小することが経営の主眼であってはならない。販売量を最大化する、まず収益金を最大にするというメネジメントの基本形ができていないところにある。例えば、富山県の私立大学の育成に失敗したため、若者の流入と流出との関係では、流出が圧倒的に多くなる。

県立高校生は、「あいの風鉄道」になって、不幸だと思っている。富山駅のう回路は、「富山嫌い」の増幅装置となっている。

TMAとしては、富山の残された伸び筋は、薬業と医療機器、航空機部品、スポーツ衣料などの優良企業だけであると考えている。TMAを始めるにあたり、富山県庁にはご挨拶に行ったが、補助金、助成金をタカリに行ったことはない。すべて民間力で自立している。経営が安定し、地域貢献に目配りできる企業経営者のかたがたの善意により、富山新聞会館にある富山新聞文化センターの教室を利用させていただいている。これからは、富山大学のご指導・助言を戴きながら、マネジメント学を富山の文化にする挑戦にとりくむ。それは、富山藩の藩校の「四書五経」、特に藩校の名称となった「詩経」の由来を押さえ、海外戦略に強い人材育成の基盤を構築したいと考えている。

「あいの風鉄道」は、TMAの反面教師として、「速達性向上」という漢字五文字を平気で並べる感性を教材として活用させていただきます。


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