富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

ドル高・円安へ誘導するための日銀のマイナス金利政策?

2016年03月23日 | Weblog

TMA講師代表:個人見解です。最近、ドルがゼロ金利を脱し、預金に利息がつく方向に歩みだした。その結果、簡単にドルの市場評価が高まり、円が相対的に安い水準に向かうとみられていたが、事実はそうならないで、円高へとシフトしている。そこで、円を保有しても、保管料として手数料を戴きますということで、預金には利息はゼロ、さらに保管料という名目のマイナス金利の制度が実施された。ところが、それでも、円の安定性が評価され、次第に円高へ傾いている。この流れは、先週からドル高、円安のトレンドの微妙に変化してきた。

(1) 円の需要家の第一は、日本企業の海外部門である。外貨を売り、日本円を買い、本社に資金を還流させるために、円買いの需要が生まれる。この場合、1ドル120円と、1ドル110円との違いを比べると、120円ならば1万ドルで120万円に換金できるが、110円ならば110万円にしか換金できないから、その差額10万円が生まれる。そのため、120円台の円安では、日本企業の在外資産は国内に還流しやすい。そこで、マイナス金利の制度が実施されると、日本円に換金しても保管料が生じるから、ドルのままか、第3国の通貨をドルに換える需要が生まれ、ドル高へ弾みがつく。ところが、このような作用は生じなかった。

(2) 円の需要家の第二は、海外から日本株への投資ファンドである。通常、日本株を買いに来ると、やがて売りぬけて、最後は円を売り、ドルを買い戻す動きとなる。その場合、売り抜けるには、円高の局面が望ましいから、為替の先物買いで、円高が加速される。反対に、日本株を買い入れるには、円安の局面が望ましいから、円安が加速される。このように外国為替の相場は、海外投資ファンドの日本株式相場への半年先の合理的期待可能性の判断に振り回される。

(3) 日本国内のドルの需要家は、原材料を輸入にたよる製造業、エネルギー産業である。この部門は、最終の市場が国内にあるから、円高が加速すれば、安く、大量に海外市場に先物予約の注文を出せる。必然、物価が下がるから、日銀のインフレ目標を妨げることになる。それで、日銀は円安に誘導するためにマイナス金利政策を採用したが、現実には裏目に出ている。

そもそも、西欧のキリスト教文化の社会では、金利の収益を禁じ、勤労と節約によるストックのみを重んじた。金利の収益を禁じなかったのは、ユダヤの文化である。日本社会は、無金利の社会でも、有利子の社会でもなく、しかも、金利収益だけで暮らす人には好意的ではないという文化の社会である。だから、マイナス金利の制度は、長期的な公共性の高い産業、ネエルギーへの構造改革には適した金融環境である。水素を利用する社会への転換などには、長期金利の低下も有利な条件が生まれれた。その効果は、5年、10年先に生まれてくる。

そういう構造改革につながる技術は、地球上では、日本企業が特殊に内部留保している未来技術のなかにある。だから、海外投資ファンドは、そうした企業への選別投資のためには、今は円高を利としていても、逆に、円安が望ましい状況へと再循環する。だから、マイナス金利の政策は、目先の景気よりも、長期的で、より大きな構造転換の契機だと考えることができる。

 

 

 


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『論語』がマネジメント学の基礎修養になるわけ

2016年03月22日 | Weblog

TMA講師代表:「論語」という書物は、著者は不明である。孔子の言行を記録した多くの弟子たちのメモを集大成したものと言われる。その最初の編者は、孔子の高弟である曽参、孔子の孫の子思だと言われている。しかし、我々が手にしている「論語」は、原始の記録としての論語の断片ではない。前漢時代、後漢時代を経て、魏王朝の時代に、再編集されたテクストである。そのため、原始の記録である論語断片が、竹簡として出土することで、原始の記録としての論語研究が、学術世界では大いに興味がもたれている。しかし、それは必要な学問ではあるが、孔子の本来の儒学の思想の真髄ではない。

孔子は、東周王朝を宗主とし、周王室が各地に分封した封建国のひとつである魯の国の、武人の子弟として生をうけ、孔家の家督を継ぎ、母の願氏の一族の支援をうけた零細な「士」の身分であった。公侯伯子男という五等の爵位は、周王朝の王室の血族にしか与えられない。その周王室の一族ではないが、異姓であって周王に協力した殷周の革命に協力した家系には、「大夫、士」の爵位が与えられる。後の時代には、「士大夫」と称されるが、当時の爵位としては、「大夫」と「士」という封建身分、つまり、代々に世襲される身分制が存在した。従って、孔子は、『詩経』を学び、演奏し、歌唱する礼楽の学習集団を形成するが、そこには、庶人の身分に過ぎない社会階級の人材は、入塾が許されないのが社会通念の時代にあった。しかし、「大夫」や「士」の家系にありながら、次三男のため家督を継げない人材、庶人でありながら才能ある人材に入門を許した。こうして孔子は楽団の形で人材を育成した。

なぜ、孔子の塾が繁栄したのか。それは、就活の塾であったからだ。東周王朝は地方分権色が強いため、斉、魯、衛、陳などの封建国は、独自に富国強兵に努め、戦車を増強し、兵士を鍛えることに専心した。それには、武官だけでなく、戸籍の管理や徴税、市場の監督官などの文官の系統の役職や、封建された諸国との「外交」儀礼などの幅広い職種に対応する人材が必要とされた。

孔子は音楽を教育の目的と手段として活用し、礼の文化を身体性の習慣として身に着けるように弟子を指導した。こうして、彼は立派な就活の塾を創りあげた。そのうち、封建の諸国は、富国強兵の施策のコンサルタントとして、孔子による「国を治め、天下を平定する」建策を求めるようになり、孔子は政治の指南役として、同時代にその人ありという名声を勝ち得ている。

孔子の言行が、マネジメント学として体系性のある思索に支えられていることを発見したのは、はるか後世のことである。大繁栄を極めた大唐帝国が瓦解し、孔子の時代を類似した「五代」という諸国が地方軍閥となり、それぞれの地方政権が富国強兵を目指した時代がきた。それを勝ち抜き、宋王朝が誕生し、儒学を国教として、科挙制度を充実した。その時のよりどころが、孔子の礼に関する言行を集めた「礼記」であり、その一編である「大学」「中庸」である。そして、この二編から「論語」を読み解けば、富国強兵策を支える文官育成の脅教育の基本となると気づいたのが、程氏たち北宋の学者である。そして、南宋時代にあって宋王朝時代の儒学を集大成したのが朱熹である。後に、朱子と敬称される。

この四書の学を基本として天下泰平の世を形成したのが徳川幕府であり、清王朝の康煕、乾隆、雍正帝である。中国では、乾隆帝の盛世が理想化されている。日本では、渋沢栄一により朱子集注による四書の学が、特に「論語」の学が財界人の基本教養とされた。

改めて、渋沢栄一の慧眼に敬服するべき時代がきた。しかし、孔子が女子の教育をなぜ避けたのか、女性には「論語」の教養は不要なのか?現代の儒学は、ここに解答を求められる時代に来ている。


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富山は地方社会ではなく、日本の最先端の人間(じんかん)社会である。

2016年03月21日 | Weblog

TMA講師代表:富山人は、首都圏にたいする劣等感が強い。反対に、神戸で育った僕は、東京と京都との楕円構造で日本を眺めてきた。だから、B級の歴史家の癖に、東大系の学術誌にも、京大系の学術誌にも、研究論文が審査を受け、投稿受理され掲載されている。しかも、原点は神戸大学の国民経済学派である。だから、仕事の関係で、京都大学の井上清教授の系譜の学者と共同する作業をすると、身内の神戸大学の国民経済学派の方から批判を受けた。こちらとしては、中国学では、京大、東大の長短を心得ているから、両者の長所を活かした。それはさておき、なぜ、僕が富山学を溺愛したのか、それを告白しておかねばならない。富山大学の講師に公募で採用され、すぐに富山県の置県100周年の事業である「富山県史」の近代編の執筆委員に選ばれた。それから、富山人の常識を学ぶために、文字通り「赤提灯大学」で多くの富山人と接した。一番に接点があったのは、北日本新聞社の記者、富山県庁の皆さんである。それと、北陸電力の方である。後には、富山人である妻からも学んだ。

彼女は、魚津の出身である。富山の近代史のハイライトは、なによりも米騒動である。女性が社会的な労働を支え、性差のハンディを克服する社会へと、社会改良の仕事が富山県を拠点にして、内務省の社会実験が富山で始まった。県庁の方から聞いたところでは、富山県は、人口と面積、産業構成、地形の構成において、日本の100分の1になるので、内務省、今の総務省が、新制度、新政策を社会実験するのは、富山県で行い、成功すれば全国モデルとし、全国に普及させるという国家行政人の基本常識があるそうだ。今でも、富山市のコンパクトシティ構想はそれである。

ところが、最近は、富山の女性はさらに進化し、保育、養護、介護に福祉事業を縦割りではなく、横ぐしを刺すように、介護・保育の人材が、内野も外野も守れるように、大谷選手のように投手も打者でも兼務できるようにという大胆な試みを中央官庁に逆提案する時代となった。

「富山県史」に書いた段階から、幼児教育の主流は保育所にあり、上流社会の幼稚園教育にはないという富山型の社会の先進性を知っていたが、現在は、看護士さんの地域での介護、養護、保育の課題を広く扱える人材育成への提案が、富山から提案されている。今、富山が全国に先駆け放つ「光」は、県民の学習能力の高さである。新聞社の文化教室の普及度、お稽古の文化、地域ごとの祭りの文化、三世代同居、近住の慣習、ここには再生するべき日本の「光」が詰まっている。だから、観光バスで、いわゆる観光地をめぐる観光業界の観光には、極めて冷たい視線を投げかけている。そうではなく、福祉の次元で、富山が地方社会の灯台であり、その「光」を見て欲しいという孔子の観光の定義をそのままに理解している。それが富山人である。今、僕の関与しているマンションの管理組合も法人化し、防災を中心として、日本で最も「光」る住民自治を目指している。観光客が落としてくれるカネで暮らしを立てるような、そんな惨めな富山県民ではありません、と講演で述べたら拍手がくる土地柄である。富山近代史研究会は、「歴史と観光」という本を山川出版社から出している。富山人が日本国に先駆けている「光」を観て欲しい、という観光の原点を論じている。それが、富山県の自由民主党の幹事長の富山型観光論としても提案されている。

富山では、江戸時代の郷村、在郷町の土台にうえに、米騒動から学び、女性が活躍できる社会を構築してきた歴史があり、戦後は、高等女学校を出た人材が、地域の教育、保健、医療、養護の主役となってきた歴史がある。今後、県立大学に看護学部ができる。工学部との2学部制である。東京に劣等感をもつ必要はない。首都圏には、人間(じんかん)社会がない。インターネットのお陰で、世界からなんでもお取り寄せできる。要は、脳の活かしかたである。


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実事求是、経世致用

2016年03月21日 | Weblog

TMA講師代表:キーワード検索で、「敬世致用」というのが最近あった。正しくは、「経世」である。

月に2回、富山新聞社で富山の藩校、広徳館版の論語を精読している。受講生は、本当に篤学の方ばかり。最近、僕がお勧めの講談社学術文庫版の「道徳感情論」を読んだという嬉しい報告があった。岩波文庫本は、極めて誤訳が多く、講談社版をお勧めした。実は、孔子の儒学の基本形が、アダム・スミスの道徳感情論と連接するという僕の主張につき、そうかな、と思いつつ確かめるために読破されたとのこと。どこで共通するのか。それは、人間の性(さが)を善と信じるという哲学・倫理の思想である。そのかたは、明らかに孔子からアダム・スミスへの継承を実感されたという。無論、中間に朱子学があることはいうまでもない。

イエズス会の宣教師たちが、朱子学をラテン語訳し、西欧社会に紹介した。これが、フランスへ遊学したアダム・スミスの眼にとまる。彼はまず「道徳感情論」を完成させた。グラスゴー大学の正規の教授に任命される前の、市民講座での講義である。それから、有名な「諸国民の富」を講じ、著作として完成させる。さて、話題の「実事求是、経世致用」とは、明王朝から清王朝の中期まで盛んであった王陽明の近世儒学の弊害に対する警句である。近世儒学とは、「大学」「中庸」「論語」「孟子」を四書として指定し、その解釈の差異から、朱子の格物窮理と、王陽明の心学とに分岐した宋、元、明、清時代の儒学全体を指す。近世儒学では、格物、致知、誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下という「大学」の8条目が、知ることと、行うこととの二大体系の基軸にある。その時、朱子は格物致知を「格物窮理」として、それだけで自律した学問体系におく。それに対し、王陽明は「誠意、正心」という主観の世界の歪みを取り去ることが最優先されるとする。だから、陽明心学という。

日本では、徳川幕府の手により、「格物窮理」の朱子を正統とされてきたが、時代とともに、陽明学との折衷が盛んになった。清朝では、陽明学の主観能動性を重く見る思弁主義の弊害として、知識人が治国、平天下という「経世致用」への志向があるとして、陽明学は王朝の学問として完全否定された。その時のスローガンが、「実事求是」という形で、朱子の「格物窮理」を言い換え、現実社会の問題を解決するために、経書の学問をもって現実世界に経という縦糸を立てるようにと、大清帝国の儒学の方向性は、実用的、実証的に定められた。そこから、清朝の末期、太平天国の乱に際し、曽国藩による国難に立ち向かう武装する儒学へと発展した。儒者が武装し、太平天国を討伐、やがて満州人貴族を国を亡ぼす族として政権から放逐する辛亥革命に至る。なお、毛沢東の父は、曽国藩の軍閥の最末端の兵士の経験をもつ。

孫文は、太平天国に共感しながらも、やがて「実事求是、経世致用」のロジックで三民主義、建国方略を著し、毛沢東の農民運動に期待を賭ける。こうした歴史を踏まえ、小平が「実事求是、経世致用」の精神を再興し、今日の習近平政権に至っている。だから、「敬世」ではなく、「世に縦糸である経を貫く」という意味で、「経世」が正しい。また、「実事求是」と「致用」とは、仮説を実証実験し、現実の困難な問題を解決するという実証的な社会科学の基本形である。中国ではそれを社会主義と呼んでいるが、実際には、ドイツ、フランス、イギリスの知性との対話を楽しんでいる。なぜなら、西欧の近代は朱子学が西欧社会に知られた経緯から生じているため、知性の橋は、中華と泰西との間に17世紀から構築されているのである。西欧の知性は、中華の大国化を許容している。東ドイツ共産党の系譜と、中国共産党の中央党学校の系譜とは、共通の修正社会主義の理論を共有している。西欧と中華との連携が、アメリカの知性を凌駕し、アメリカ・日本の同盟の知性の劣化が生じていることを忘れてはならない。


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歴史家なのに、歴史屋を憎む

2016年03月20日 | Weblog

TMA講師代表:あなたは歴史家と名乗りながら、なぜ、経営学、マネージメント学の手を出すのか?という疑問や、叱責をうけることが多い。そのに対し、近未来の予測ができないのは、真の歴史学ではない。現代と過去との対話だと、論じた学者もある。E.H.カーというロシア革命の研究者である。しかし、どのように対話させるのか?現代の生じた問題の因果関係の発端と過去の史実に探し出すという意味でもない。また、現代の課題から、過去に新たな光を当てるという意味でもない。

過去と現代との2項対立の論理形式では、どこかに歴史を階段状の進化を想定し、どこまでが過去で、どこからが現代だとする時代区分論が付きまとう。また、情報化社会が到来すると、情報というキーワードで歴史に新しい光をあてる方向もある。たとえば、モールス信号の全盛期は、イギリス女王のビクトリアの時代にあたるから、「ビクトリアン・インターネット」という表象が用語として使われる。これらは、確かに、現代史と過去との対話ではある。だが、大部分の歴史家は、「歴史屋」に堕落する。過去のある時代の時代考証にはまり込んだり、歴史の原資料の解読に身も心も奪われる。それが、「歴史屋」への堕落である。

今、中村哲夫という歴史家は、古代文明の時代に、<互恵型経済原理>から分岐して、行政権力による<指令型経済原理>と、物々交換に始まる<市場型経済原理>という3種の経済原理が、均衡し、安定している状態を正三角形で表現し、不均衡や、体制の崩壊を正三角形で表現される3つの経済原理の調和の破壊というロジックで、太古から現代、近未来を無段階の変速期のような連続性を基本にして、変化の説明原理を一体的に理解しようとしている。

その場合、ドラッカーが想定したマネージメントのロジックを古代まで押し広げ、古代文明からの3つの経済原理の均衡と、均衡の破壊の連続的な変化の基軸にあると仮説する。その場合、最良の歴史資料は「論語」であり、「論語」に内在するロジックこそ、人類社会において、太古から現代まで一貫した文明と文化を継承できた中国経済史、とくに3種の経済原理を管理し、コントロールできた中華民族のなかに人類経済の歴史の普遍原理を見出している。つまり、民族の生存のための経営管理学という点で、孔子から孫文、そして習近平まで一貫した「国富」の増殖への官僚の役割の重視と、官僚の統治原理の一貫性を発見している。部分的には、マックス・ウエーバーの中国家産官僚国家論の妥当性を再確認したいと考えている。


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単軸の議論の危険性と片側サイドだけのデータ収集の限界

2016年03月20日 | Weblog

TMA講師代表:中国が南沙群島への領有権を異常に突出させている問題は、日本の経済の基本線に係わる側面と、関係しない側面とがある。

(1)日本にとり、南シナ海は中東やインドネシア、あるいはオーストラリアからの重要物資の輸送路にあたる。

(2)南シナ海は、同盟国のアメリカにとっては、制海権の確保は、アメリカという国家の威信にかかわるが、アメリカの国家安全保障に及ぼす危険度は少ない。できるだけ、日本にとり重要なシーレーンは日本の財政負担で守らせたい。アメリカは、アジア内の紛争から一歩下がりたい。

(3)自国の海外権益は、できるだけ自国の負担で守り、そこに日本人の国家への忠誠を回復したい保守政権の思惑がからむ。

(4)アメリカ軍を後方のグアムに集約する方針が定まると、中国が南シナ海の制海権を一気に確保したのは、中国にとりベトナム戦争を支えたアメリカの海軍力が、ベトナム戦後は、中国にとっての軍事脅威として残されていた。

こうしたデータは、われわれの手にすることのできる情報である。日米軍事同盟の内側からの情報である。

ところが、南シナ海の沿岸の諸国は、ブルネイ、フィリピン、ベトナムは、日本から見れば親日であるが、中国からみれば「福建人の海」である。それは、台湾人を含め、経済活動の主役は、福建省を祖先の地とする華人社会のネット・ワークが構成されている。香港人の一部も、そこに組み込まれている。

習近平政権の地方基盤は、福建、浙江である。そこは、南シナ海の沿海諸国の中国系の経済組織の「母村」である。習近平政権という後ろ盾を得て、勢力を拡張する福建、浙江の郷党は、元来は、蒋介石の系統の基盤であったが、今は、習近平の政権に庇護を求めている。そのため、人民解放軍の陸軍の削減、海軍の増強により、人民解放軍の内部の福建人の勢力の伸長が顕著となった。

では、この福建、浙江の華人社会は、反日という単軸だけて動いているかと想像されるが、実は日本企業との親密感が歴史的に一番に深いのである。長崎の華僑は、この福建、浙江の華人社会からなる。その意味で、福建、浙江の華人社会からみれば、南シナ海は「福建人の海」であり、北京政府を巻き込み、日本政府を巻き込み、強大な公共インフラ投資を呼び込むことに大きな利益を見出している。だから、台湾政府も南沙諸島の領有権を主張するのである。しかも、日本企業は南沙群島の領有権問題には態度不明を装うことに特殊な意味がある。日本企業も、「福建人の海」にきちんと組み込まれている。南洋材を福建に持ち込み、あるいは、ベトナムに持ち込み、そこで加工し、日本に輸入するだけでなく、第3国へ輸出している。合板、集成材・・・、福建人商人と日本人商人との長い、長い歴史があるから、単軸の議論は危険であり、片側サイドだけのデータ収集では見落としがでる。


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時代が見える人、見ない人。

2016年03月19日 | Weblog

TMA講師代表の見解:今、全世界で起きている事態は、金融政策の限界である。これ以上、低利で、長期の貸し出し資金を供給しても、それを利用し、事業を拡大する企業の側の資金ニーズが伸びない現象が、かなり長期に続いている。そこで、個人消費に期待をかけ、住宅と自動車のローン金利を下げて、販売を促進しようとするが、肝心の中堅層の個人所得が伸び悩んでいる。

世界経済の成長は、量的な拡大としては、貿易総量の増減が主要な説明変数である。各国の関税統計は、比較的に早く、正確な数値が出てくるから、全体量の伸び率は、金融、財政の専門家ならば、世界共通の認識が形成できる。現在、地球的な規模で、世界経済の基本データが同時に共有されているから、データの変化に過敏な現状認識が人類社会を結びつけている。

その結果、各国の国家財政も、将来の需要を先取りし、積極的に社会インフラの整備を加速する結果、財政の収支が赤字であるのが当然であるという合意がある。財政の基本収支の黒字化を目的変数とする経済学説は、歴史学的には、20世紀の遺物となっている。だから、問題は、どの程度までの財政赤字が許容されるのか、という点に絞られる。それで、国内総生産に対する財政赤字の比率は、許容限度額まで促進されてきた。

ところが、社会インフラの投資は、他方で、社会インフラの劣化による補修、改修などのメインテナンスの費用が年々に増加してくる。もし、高速道路を無償としているなら、その劣化の費用は、国家財政の補てんとなるから、高速道路事業全体が自立採算できるバランス・シートになっている制度をもつ国家は、その分だけ、将来の不安を取り除いていることになる。国家的な事業の、事業別の貸借対照表を点検すれば、かなり多くの問題点がみつかり、その改善点も見つかる。それが、最近、上海で開かれたG20という蔵相・中央銀行総裁の共通認識となった「構造改革」である。漢語では、「結構性改革」と表現される。要は、事業部門ごとに、社会インフラの減価償却の積立金が積みあがっているかどうかが問題である。そうでない事業では、事業単位で廃棄される。それも構造改革である。他方、減価償却の積立金を制度的にプールしていても、その基金の安定した運用先の金融機関が、マイナス金利に転じると、減価償却の積立金そのものが減価するというマイナスが、マイナスを呼び込む連鎖が生じる。

社会インフラは、中国大陸では比較的に新しいから、高速道路や鉄道の新規の路線拡大が可能である。社会インフラが劣化しているのが、ヨーロッパとアメリカである。IT技術による社会インフラのリニューアルは、財政の赤字を加速するが、財政の破綻を呼び込むことにはならない。日本も地方経済を支える港や空港が事業部門としての財政の自律性を失ったままであると、新たな次の経済の津波には耐えられなくなる。

世界史の法則性は、世界同時の大恐慌がくるという津波のマイナスのシグナルを見ながら、それを乗り越える防波堤を備える時点にあることを教えてくれている。大恐慌を防ぐには、あらゆる大量のデータや、細かな事故の記録から、負の連鎖を部分、部分で抑え込むIT技術志向が大事な段階にきている。

それができるのは、日本であり、中国である。日本人が真摯であれば、中国には多少は良いことも伝染する。


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中堅の学力層と地域創成の上限値

2016年03月13日 | Weblog

TMA講師代表:一つの年齢集団で、学年が区切られる。この区切られたエイジグループ単位で、地域を支える公共サービスの就業者が、実社会へ送り込まれ、同時に、60歳なり、65歳なりで定年退職を迎える。すると、その組織の業務遂行能力は、理論的には、同じ水準を維持できると考えられている、しかし、驚くべきことには、劣化しているのが、当事者には分からないままでの現状維持になっている組織が多い。

地域を支える職能集団としては、まず、建築・土木の企業が挙げられる。ここでは、IT技術の導入により、中堅の学力層を社内研修、社外講習などで鍛え上げてきた企業は、定年退職の促進が、労働生産性に寄与し、少人数でも技術の向上がみられる。中堅の学力層のIT能力は、ノウハウであるから、研修マニュアルを超えることはないから、独創性は期待できないが、定型、定性の業務の効率は確実に向上する。

他方、IT技術の導入により、本来の業務の劣化が起きる対人業務の世界がある。その典型が、医療、教育、介護、さらには営業職、受付業務などである。最近、医療の機関では、全てがITシステムが主役で、患者の顔を観察する眼力が劣化したといわれる。いわゆる機械に使われるようになる状態である。教員もそうである。管理業務のIT化に対応するため、教室王国は崩壊する。万引きという非行歴をPCで別人のデータにご入力し、その生徒の推薦入学が妨げられ、自殺するに及んで、ITに振り回され、「人と人」の根源的なコミュニケーションが失われる。

今朝は、PCのプログラムが進化し、囲碁の世界で、名人が連続して敗北し、人口頭脳の性能の向上が証明された。ここでは、ヒト対PCのように2項対立と考えられるが、実はそうではない、。PCのプログラマーというツールを用いて考える人間と、自己の頭脳の明晰さを信じ、PCのプログラムを学ばなかった人間との、PC活用に対する未来志向の思考と実行との差異にすぎない。敗れた囲碁の名人は、大部分の定年退職者の象徴である。一人一芸、「○○名人」と呼ばれた人たちである。

それでは、中堅の学力層では、PCのプログラムは可能だろうか?自分の経験では、不可能である。非常に明快なのは、エクセルを使いまわす技術である。ノウハウを与えられると、マニュアルの示唆に従い、均質の結果は得られる。これは、中堅学力の限界であり、逆に言えば、期待可能な能力レベルである。これは、研修や講習で向上する。

だが、PCのプログラムが未開発だと思われている分野では、超難関大学の卒業生でも、ITでは中堅学力層となるから、そこに地域創成の壁があるといえる。それは、経営のトップの経営判断、特に、目的変数と説明変数の相関構造をPCで「見える化」に成功している組織は少ない。東芝の問題は、その典型である。ただ、日本では理工系では、IT能力が国際劣位にあると考えられないから、今後の成長の余地は大いに期待できる。地域社会では、プログラミングよりも、中堅学力層のオペレーションが大事である。個人的なことをいえば、エクセルを駆使し、目的変数と説明変数の相関構造をPCで「見える化」に取り組んでいる。これで、「日本における孫文研究のマトリックス」という論文を書いた。孫文を論ずる研究者の目的変数の違いが、説明変数の取捨に関係し、X軸、Y軸で構成される座標の4つの象限に多くの論文・著書が分立し、それぞれ4つの核のまわりに集合するという、学説整理の新しい方法を開拓した。

PC能力は中堅でも、そのプログラミングの思考のベースに統計数学を置くと、立体的な学説の分散域が「見える化」できるのである。今月の『東方』という雑誌を見て欲しい。

 


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人材が集まらない企業、人材を選別できる企業

2016年03月05日 | Weblog

TMA講師代表:企業には、人材が集まらない、あるいは、集められない企業がある。最近の新卒者への、学卒新採用で負け続けている企業は、必死で会社説明会を行い、なんとか内定者を出そうとしている。こういう企業は、サッカーで例えると、J1のランクは言うまでもなく、J3の最下位から下の企業である。就活者への企業パンフもない。高いお金を出して、合同説明会にブースを出している企業である。だから、対応できる側の学校も、志願すれば誰でも入学できるFランクの大学や、専門学校に限られる。そもそもが、大学院修士のレベルの高度知識が必要な業務の内容がない企業群である。

今、東芝やシャープなど電気系の企業が揺らいでいるが、これはマネジメント学の質が、大学院修士のレベルの高度知識と情報処理に支えられていない企業であったことを証明している。同業のパナソニックは、消えたサンヨー電気を他山の石として、マネジメントの質を大きく変えてきた。特に難しいグローバル市場における通貨管理の仕組みをシンガポールに隣接したマレーシアに財務会計の頭脳を構築した。各国の通貨価値の変動により、企業が支払う負債の処理、企業が受け取る債権の処理において、全ていったん米ドルに還元したり、換算しないで、特殊な現地通貨の持ち高を調整することで、為替変動リスクを避けるだけでなく、為替変動の差益をも取り込もうとするオペレーションが可能となる。これは、パナソニックの改革の一部であるが、要は、現金の処理における部分最適の問題を解決したわけである。現在は、売り上げの最大化にとり、なにが説明変数として主要因であるのか、そこには制約条件がないのかをトータルに同時進行で把握できる企業内の情報管理システムの開発に進んでいる。

ノートパソコンの業界では、東芝が新品のたたき売りをしている。アフターケアーがどうなるのか?これに対し、パナソニックのレッツ・ノートは、中古市場でも人気が高い。企業や団体のトップの機密情報の管理など、企業の枢要のノートパソコンは、高くともパナソニックのレッツノートを使う。これは、今まではJ1クラスの企業なら間違いがない、と思い込むことが危険であることを意味している。

プロがみて、マネジメントが一流の「フジフイルム」、「花王」とか、「日立物流」だとか、こういう企業は、堂々と人材を選別できる。決して学生がわの売り手市場ではない。正社員の生涯賃金の差異は、最大で3億円の違いがある。市場動態の変化、自社の強みの活かし方、すべてマネジメント学の質で決定される。そういう企業は、市場動態の変化に対応できる社員個々人の強みという部分素質が、そのまま、すぐプロとして発揮できるのかどうか、それを求めている。そして、それ以前に、コミュニケーションの能力が教育可能なレベル以上を求めている。外国語はとくに、土台がないと、採用後の伸びしろは生まれない。

富山マネジメント・アカデミーの第3期は、コミュニケーションの能力の大前提となる外国語を重視するプログラムを中心に考えている。人材を選別できる企業への挑戦というのがテーマである。


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