富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

農業から脳業へ:配置薬型のチョーリップ・ポットの循環

2018年09月03日 | Weblog

富山県では、これから農業をいかに脳業に高めるのか、情報処理の技術の活かし方が問われている。そのなかで県立中央植物園の役割も、富山県の解決課題に即して革新していかなくてはならない。チューリップが球根の形で、他府県の移出されている。これをフラワーポットの形にして、開花後は宅配便で返送し、また、次年度の契約を戴くように循環型のビジネスモデルにすることも可能である。信開アーバンシティ団地管理組合では、毎年、毎年、球根を買い、移植して開花をまつ。そして、球根を廃棄する。理事会としては、老人会の楽しみを奪えないので「今年も、綺麗に咲きましたね」と声をかけているが。チューリップの花を愛でているようにみえて、お世話役のご老人の長命をお祝いしているのである。「今年も」の「も」に長寿のお祝いが込められている。県立中央植物園の広大な敷地を利用し、肥料は日産化学、容器はリッチェル、球根は砺波産というコラボで、配置⇒開花⇒回収⇒再生というように、あらゆる公共空間において循環型脳業の司令塔として機能して欲しいのである。農協さんは、農協さんの農業という産業を脳業へと自己脱皮するには時間がかかる。せめて、チューリップだけでも、富山発の循環型のお届けして、鑑賞後、回収させて戴き、次年度、また配置させて戴きくという家庭配置薬のビジネスの方法を考えたらどうであろうか。県立の立場に胡坐をかき、ちょこちょうこと郷土紙のネタを提供しているだけでは困るではないか。せめて、障がい者雇用の産業として、富山の代表的な植物を首都圏に回収型ポットとして普及させる研究を始めたらいかがでしょうか。この発想の根元は、単純労働により多くのひとに労をねぎらわれる回収型フラワーポットのビジネスモデルを考えたわけである。県立中央植物園の誰かを非難するためではなく、県全体の取り組みを促すためである。こうした農業を脳業に転じるためには、異業種の知恵がいる。


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酒門をくぐらず、魚菜をめでる

2018年09月03日 | Weblog

有名な経営者のかたがたから、「飲み会」に誘われたが、全てお断りしている。また、絶対にのちのち祟ると分かっていても、ある方に断酒をお勧めし絶交した。何十年と脳内にアルコールを送り込んでいると、他人には分からないが、言語と言語の隙間ができるようになる。それと、気分の起伏が倍増し、冷静さを保つことができない。それで、「酒門をくぐらず」である。僕の前半生は、酒害そのものである。これが、大学教授により招かれた「酒門」である。ともかく、昭和20年、30年代のカッコいいい大学教授たちは酒豪であった。ところが、1980年代の後半、中国で在外研究、留学すると、酒よりも「魚菜」が何より、大学教授は「酒門」をくぐらずというのが当然であると知った。神戸大学、大阪大学では、昔は「酒門」が近い存在だった。では、「酒門」を遠ざけた大学教授が偉かったのか。そうでもない。勘の悪い学者が多かった。「酒門」で酒に溺れたような学者でも、勘は良かった。酒席での思い切った発言は、役立った。しかし、彼らは早逝した。「酒門」を遠ざけた学者は、長生きである。その小心を活かした地道な学術書は、確かに息が長いが、時代が進歩すると、膨大な誤算の体系となりかねない。白川静さんの中国古典学は、推論の推論である。コンピューターでの言語解析による最新の研究では、「白川静の世界」としか評されない。「酒門」をくぐるも、くぐらないも、全て学者は直観の仮説でいきなり間違っていると、「魚菜をめでる」ような健康人の生活をしてても、25歳から35歳までの仮説から実証への鋭い、持続的な思考への没入を経験していないと、モノを右から左へ移しただけの「横持ち物流」におわる。横文字を縦にしただけの輸入に終わる。それで、世に害毒を流し、原作者ドラッカーを貶めたのがの訳者の上田さんだ。その誤訳に気が付かない連中は、酒門の害だ。上田訳を読んで、酒門に浸りきり、経営者への批判を行い、自己中心の世界に没入して果てる人が多い。

 


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北陸港として一体計算して分析しないと、わずかな数値変動で大きく振れる

2018年09月03日 | Weblog

「富山新聞」が北陸経済の動態の確実な変動の数値につき、大阪税関の管理する金沢、富山の両港からの中国向けの輸出に注目するのは、極めて理にかなっている。ただ、プロの技としては、将棋で言えば奨励会のクラスだ。小松の建機系と、津田駒の最新鋭の織機など金沢港から出る輸出品は、変動幅が大きい。波動として、高低のスイングに目を奪われると、静態構造が見えてこない。これは、何年かの周期で、中国の先進地での設備更新のサイクルと同期する。そのような動態を伴いながら、新規の設備拡大が何年か後には、更新の需要を呼び込むことになる。大事なのは石川の企業の競争力が持続するかどうかの静態構造に注意しなくてはならない。不況、好況の波の動態構造は、それは地域経済の表層である。大事なのは、静態構造としての小松や津田駒の競争力が下支えされているかどうかである。なお、石川の貿易は、公務員の社会主義者による港湾管理労働の「ソ連」式のサービスのため、土日、祝祭日、荒天の時期など、フルタイムサービスのある富山港が、荷主の利便性に利用されるために、金沢は観光船、富山は資源船の発着に分業化されるので、港別の統計を合算し、経済分析では、中京港、阪神港という括りにように、北陸港として一体計算して分析しないと、わずかな数値変動が大きく振れているようにみえるから注意しなくてはならない。2018.9.03の「社説」では、地方新聞杯の王位にはなれない。経済学修士の学力をつけて欲しい。微小な変化なのに、大変動と錯覚してはいけない。

 


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中国を論じるのに外国基準の「民主主義」のモノサシは不要

2018年09月03日 | Weblog

中国の国内では、どの出身階層でも官僚登用の路は開かれた。そして、高級官僚任用は、候補として事前に公示され、だれからも異議申し立てにより、再審査が行われる。こうして、官僚の「落馬」は年間で何万人にも及び、特に評判の悪い中層、下層の官僚たちが「洗牌」される。さて、日本国の中国に対する核心的な利益は、中央銀行券である人民元RMBの経済がデフォルトに陥らないことである。決して、新疆ウイグルの独立や、チベットの分離独立ではない。絶対に必要なのは、日本系の企業資産と日本系の国民・友人の生命の安全・保全である。つまり、赤色の警備会社の「デジタル全体主義」こそが、日本国民の国民総生産のシステム保全として機能することである。人民武装警察が人民解放軍から分離され、党の総書記を最高司令とする仕組みは、「デジタル全体主義」の完成を意味する。他方、外国基準の「民主主義」のモノサシは、日本を含む自由世界のジャーナリストにとっての「商品」である。しかも、外国人の記者は、民主主義の伝道師であり、デモクラットの神の使徒として振舞いたがる。それは、ビジネスである。そこで、日本の経済社会は、メディアの本音は、グローバル市場の安定装置として費用負担の少ない赤色の警備会社の「デジタル全体主義」のお陰〈中国共産党統治〉で、日系企業の工場から資材が盗まれるのが防がれるから治安に安心できるという利便性を担保に、泳がせとして、反中共のジャーナリストをデモクラットの神の使徒として振舞でながら、経済面でも日中の市場における互恵関係を保全しようとする。すると、一番に馬鹿を見るのが、日本人一般である。中国には、政権党が少数野党に対し、政権党の党大会の議案書を事前に見せて修正を可能にする制度、少数民族や少数政党の意見、提案を聴取する制度がきめ細かく機能しているし、何より、匿名でSNSによる密告があるので、無政府主義、自由主義、個人主義、神秘主義などの歪んだ個人の意義も統治と民主に上手く活用している。12億人がばらばらの砂であったのを、日本人が孫文の革命を支援し、中国の社会をコンクリートにして、さらに、無償円借款でインフラ整備をしてきたので、赤色の警備会社の「デジタル全体主義」こそ、「経済社会」の期待に応えたものである。「富山新聞」の「北風抄」の議論は不完全で、「社説」が勉強不足であるが、北陸経済の動態変化に中国との貿易が主要因であることを指摘している。合わせて理解する必要がある。暇な人は「北風抄」に騙され、実務者は「社説」をしっかりと読みきることだ。


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9月2日(日)のつぶやき

2018年09月03日 | Weblog

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