富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

美しい富山湾岸クラブが伸びない理由

2018年09月05日 | Weblog

富山湾岸は、全て美しいとはかぎらない。東に行けば、富山湾岸社会主義の城郭がたくさんある。なぜ、「美しい」組が勝てないのか。リーダーが疲れると、枯れはてそうな運動である。その原因は、あまりにも経済学の土台が弱いのと、美しくない部分への根本の解決への長期戦略がないことである。まず、「富山湾岸が美しい」のは、人為の力ではなく、天恵の条件である。富山の伝統社会は、川筋の上流、下流で縦割りできる流域文化である。そのため、湾岸を一体と考えるのは、河口の港と港を結ぶわずかな物流の関係者だけであった。それでも、伏木と富山の綱引きは絶えない。今日、ようやく観光資源としてみたときに、富山湾岸というくくりが可能になってきたのである。そこで、観光資源としてみた場合、観光経済学という経済学の理論の土台をしっかりと固める座学と、実地に観光資源を調べる根気がいる。まず、顧客はどこに、どんな居住まいで居るのだろうか。次に、あれこれの障害物が生まれた原因は何か。顧客からの拠金を基礎にするなら、外に無償であるかぎりは、地元側の拠出となり、やがては枯れはてる。外からお金を戴き、リピーターとしてお迎えできる仕組みをどうするのか?地元民が、顧客を案内するとしても、自慢できるものがあるのか?知る限り、魚津、滑川、水橋、岩瀬、四方、、、それぞれに問題が山積している。そこへ、新たなイベントを湾岸の特定の部分に持ち込んでも歓喜の輪は広がらない。しかも、水産関係は、競い合うことで、それぞれの地域単位の雰囲気が最適となり、湾岸の一体化とは反対のベクトルが同時進行する。それよりも、西は医王山から薬師岳、さらには立山から僧ヶ岳、さらには朝日岳という分水嶺の方が、そこでは公有地が基本なので、行政としては、「美しい富山の山稜クラブ」として括りやすい。富山湾岸の地権の複雑さ、権利の整理の煩雑さは、行政としては、あえてネグレクトするべきだ。だから、「美しい富山湾岸クラブ」は、リーダーが疲れると、いつ枯れてもイイかとなる。富山では、山稜の観光資源、体験型観光、安全性への投資が必要であるが、無税、無料というのは無理がある。県条例により、入山の登記、携帯の登録、ガイドの利用など、オール富山の取り組みが可能である。漁村は漁場を奪い合う。山は道が通じ、助け合いがおこる空間である。


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なぜ、富山湾岸社会主義が時代遅れなのか?

2018年09月05日 | Weblog

答えは、簡単です。土台となる政治経済学が、格差社会の解消という制度の設計に短絡するからです。中国共産党が成功したのは、マルクス経済学の欠点を財政と公共投資の理論では、シュムペーターの経済発展学説を手引きにして、「新しい結合」という「改革主義」に徹してきたからです。また、金融・通貨に関しては、ケインズ経済学の手法を活かしているからです。中華民族の全ての経済学者の長所を組み合わせています。それに対し、日本共産党では、古い師弟関係、家元制度のように、マルクス経済学を流派として、主に大学のポストの占有に生命線をかけています。さらに、メディアでのゲリラ戦です。しかし、日本では、政治主義が経済学者の経済学の純化を妨げ、結果として、社会学を土台に格差社会を解消せよという市民運動の形をとっています。彼らには、財政学、税制学などの本筋が分からないので、「非核宣言都市」を名乗れば革新都市という経済・財政学から外れていきます。美濃部都政、黒田大阪府政は、持続的に発展できないまま、昭和の時代の終焉のまえに破綻しました。富山では、東北大学経済学部で資本論を学んだ人々が、富山湾岸社会主義の旗を守っています。彼らは、財政均衡論者です。経済成長論は極端に嫌います。それは、資本家を富ませると信じているからです。そうした否定の宗教では、財政と経済成長の関係は分かりません。原理は、アメリカの制度学派にあります。しかし、制度学派といばヴェブレムの「有閑階級」のみを摂取するマルクス主義の変更は明らかです。公債発行による経済成長の持続性と方向性を主張したのが制度学派の主流です。東北大学経済学部では、この制度学派の本流は教育されていません。概して、東北大学経済学部の卒業生が伸び悩むのは、東大コンプレックスとその基礎教養の偏向性によるものです。本人責任ではないので、気の毒に思います。もし、そこに酒害が加わり、優越と劣等がまざると始末に負えなくなります。結果、みるべき著書なしの人生に終わります。


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中国を宗主国とするアフリカの植民地化?

2018年09月05日 | Weblog

砂漠の石油産出国には、陰りが生まれました。デジタルの日経ニュースは、「世界的に異常気象が相次ぐなか、気候変動リスクの抑制に向けて投資マネーが動き出した。化石燃料などに関連する企業の株式や債券を売却すると決めた投資家は世界で900超、資産規模では約700兆円にのぼる。」と伝えています。すなわち、このようにして「いわゆる資本主義社会」は、市場の需要動向を見極めながら、経済発展の新たな開拓地をもとめ、人倫進化の道筋にむかって進化します。このことを少年のように信じたのが、中国の孫文という思想家でした。ですから、彼は、中国経済が世界史のお荷物になっていることを改善するために、中国革命には日本人も自己の課題として取り組んで欲しいと期待したのです。孫文の理想主義は、習近平に継承されました。ただ、孫文もそうであったように、理想主義を挫折させないためには、財政経済の裏付けが伴わなくてはなりません。習近平政権は、では、無理を承知でアフリカ援助を高らかにうたうのでしょうか。中国は、粗悪な過剰生産の中間体【不良資産】を多く抱えています。そういう在庫品をアフリカに援助することで、国家財政の力でアフリカへ過剰生産品を輸出し、中国の国家財政の膨張で内部危機を回避しようとしています。お馬鹿な新聞は、中国を宗主国とするアフリカの植民地化と騒いでいます。また、中国国内でも、巨額のアフリカ援助への非難は、大きな声として存在しています。しかし、実体は、中国国営企業の過剰な生産品を、過剰な中国船舶でアフリカに援助の名目で消化輸出し、国内での供給改革を進めるという内政の要請を秘めた政策です。政治的な仕掛けは大きいが、・・・。ただし、水道管、電力線にアフリカ諸国が支払える資金は少なく、それで、中国はローコストのワナに自らハマります。高級品の要らない荒素材によるインフラ整備は、権兵衛さんの種まきです。決して、日本にとり不利な話ではありません。いま、日本は歴史初めて、インバウンド経済の恩恵を享受しているのですから。ですから、「ぼくたちの日本資本主義の流れに忠実に」、化石燃料を必要としない社会へと向かえばよいわけです。8900万人の中国共産党の爆走により、脱化石燃料の文明へと移行する価値はあると思われます。


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「論語」学而の冒頭の解釈

2018年09月05日 | Weblog

有名な『論語』は、「学んで時にこれを習【さら】う、亦た説【よろこ】ばしからずや。朋あり遠方より来る、亦た楽しからずや。人知らずして慍【いきど】おらず、亦た君子ならずや。」という言葉で始まります。これまで、最初の二句は、学と朋、つまり学友という縦と横との絶妙な対【つい】として絶賛されてきた。なのに、孔子は、なぜ第三句を繋いだのか?古今の謎とされてきた。宮崎市定という先生は、見事、「詩経」の学習とその仲間である学友との交遊の場面であろうと見事に推論された。しかし、ながら『詩経』のどの歌詞に絡むのか、さらに、第三句が第一、第二句とどのように連関するか、だれも解明できていなかった。これは、『詩経』の国風王風「黍離」に原典がある。「我を知る者は、我が心の憂いを謂【おも】い、我を知らざる者は、我に何を求むるかを謂う。悠々たる蒼天、これ何人なるかな」。私の心の憂いを察してくれるのが真の友人、私から何かを得ようとしているのは、友人の顔をした他人だ。この「黍離」を踏まえると、学習、学友、そして君子の心得という三大話が落ち着くわけである。ここまでは、宮崎学説の補説である。実は、孔子には、乗り越えなくてはならない知の巨人がいた。それが、「身ずから善ならざる、これを患【うれ】えよ。人の己を知るなきを患うなかれ」とのべた管仲つまり管子である。『管子』「小称」第32に記録されている。これを指摘するのは、儒家のタブーである。孔子は空前絶後の思想家ではなく、管仲つまり管子に追随して、それを超えた思想家である。だから、共通の古典である『詩経』のテクストを落ち着かせ、それを教科書として、弟子を系統的な学問の教育で鍛えた。まず、下線部後半の「詩経」を音読してください。次に、「論語」の冒頭を音読してください。そして、管仲の言葉を見てください。それは、まだまだ説教調です。すなわち、孔子は、管子が拓いた道を、ともに歩む学友を宝としたことがわかります。道を広めるには、人材のほかにない、と知り抜いた確信があったからです。


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村松大輔は、オーム真理教と同心円の宗教家

2018年09月05日 | Weblog

「脳力開華」という啓発を掲げるユーチューバー、それが村松大輔である。東京大学の卒業というふれこみ。実はここが一番に怪しい。「量子力学」と「唯識論」とを無理やりに結合し、なりたい自分、やりたい課題に対し、「志」というエネルギーを注入すると、いつか、必ず自己実現できるという。これは、大正時代から存在するエセ科学であり、ポピュラーサイエンスの典型である。「量子学」は素粒子の運動のエネルギーで構成されるが、人間の脳内での素粒子の運動のメカニズムは解明されていない。生命の科学として、遺伝子の構造は深く探究されているが、それと「唯識論」との橋渡しは、科学としては未踏の領域である。言葉と言葉では繋がるが、モノとモノの素粒子のメカニズムとして、唯識論が探究が深められたことはない。「東大」というブランドには騙されがちであるが、多くの虚偽の学が帝大という包装紙で世に悪をもたらした例は、一つや二つではない。僕の世界でも、中国近代史を毛沢東の思想をベースにした中国共産党の中国近代歴史に当てはめたのが、東大、京大である。僕は、欧米の中国研究を導きの糸として、ケンブリッジ・ヒストリー・オブ・チャイナの描いた歴史像の精密化を試みた。お陰で、その理論の優位性でいまでも中国分析ができる。さて、「唯識論」は、いまや東大の医学部の研究から提唱された「唯脳論」にとって代わられた。能のメカニズムをモノとモノとの相互作用で説明する学問である。未解明な領域がある。それは、言語という記号がもつ働きである。それが一人一人、自己抑制したり、自己拡張したり、・・・合理的な最適の選択へと進まないのである。こうした複雑な領域につき、「志」があれば脳の力で、才能が開花するという扇動は、宗教である。実は、オウム真理教の「教義」なのである。ついでに言うが、日本共産党の指導者も、創価学会の頭脳も、東京大学という包装紙に包まれ、内部で君臨している。外国語で論文を書き、外国語の国際学会での活動歴があっても、始めて学者といえる。東大4年で卒業させられた程度で、他人の運命を左右することをしてはいけない。


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台風21号、富山市では陽光が射し、虹が現れる!

2018年09月05日 | Weblog

2018.9.4、報道により、富山も台風の北上コースの東側の暴風域に入るのが確実視されていたので、部屋に身をひそめるように待機していた。富山に最接近した時点では、多少の暴風雨はあった。その程度は普段の気圧の谷間が通過することで経験しており、「台風感」に乏しいものだった。スピードが速く、すぐに通過したようだ。なんと直後、富山市では陽光が射し、剣・立山連峰に厚い積乱雲が連なり、それが陽光を浴び、富山市に反射していた。頭上には、円弧の非常に長い虹の橋が架かり、日没とともに消え去った。なんとも不思議な極楽にはいったような空間が、富山市の空に出現した。土地を占って暮らすという意味で、卜居という言葉がある。これは、越中国の地形によるものと、万全な備えを怠らない勤勉な民気がもたらす空気感がもたらすものである。試みに、地域の水路を調べると、先祖代々の経験値が生かされ、排水路が実に巧みに設計されていることが分かる。基本、水田の水利が行き届いた流域では、浸水の被害も少ない。富山市では、毎年、春に経験し、風速25から30メートルの南風には耐えられる。卜居、治水、風害の備え・・・、歴史の長い居住のゾーン、富山人は、先祖の経験値の遺産を伝承している強みがある。あの虹も、先達への感謝の気持ちであると思いたい。他方、最大の被害を受けた関西空港では、再開のめどがつかないほどの施設被害があり、すでにインバウンド経済に大きな陰りがあると想定されている。大阪には、地震、留置犯人逃走、関空の停止・・・、人災、天災、人災の連鎖か?

【昨日は、ブログどころではなく、読んでくださった方は、かなり少ない方でした。それが、自然の姿】


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9月4日(火)のつぶやき

2018年09月05日 | Weblog

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