富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

習近平は、毛沢東の誤りを完全に克服

2018年02月28日 | Weblog

習近平の父親は、毛沢東政権の中軸にいたが、文革左派には属していない。周恩来系の国務院において、左派と右派との対立を経験している。習近平には、父親の革命事業を継承する意識があるので、時には、毛沢東時代に回帰したような古さを感じる向きもある。しかし、毛沢東路線は、朝鮮戦争に始まる武装解放と階級闘争進化説という極左主義、軍事優先の思想が濃厚である。これが、文革左派を助長した。習近平政権では、すでに公務員試験の制度が整えられ、「新型の科挙官僚国家」として整備され、IT革命の成果を生かした中央情報の一元化による高度情報国家となった。このような国家指令型の経済原理のもとでは、国家主席の任期が期限つきであるならば、権力闘争の日常化の種が尽きない。終身化することで、暗殺や政権交代策動のリスクを最小化するのが、今の中国にとり最適の選択となる。私は、基本、経済主義なので、中国経済と世界経済、そして日本経済の安定・均衡を最も重視する。民主主義を第一原理とは考えない。独裁であれ、地球的な規模の人類福祉経済にとり、指令型経済原理と、市場型経済原理と、互恵型経済原理の3つの経済原理の均衡関係を調整する役割が、世界の超大国には求められる。アメリカの政治が期限付きなので、中国が終身制の国家元首を官僚制度の頂点に置くことで世界経済は安定する。北京にIMFの本部がおかれる日が来ると予想して対処すると、我々の私的利害のリスク・ヘッジとなる。


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2月26日(月)のつぶやき

2018年02月27日 | Weblog

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富山の魅力は、プロ好み。。。

2018年02月26日 | Weblog

神戸で育った筆者には、地元女子が地元である神戸を嫌った事例はあまり聞かない。ただし、新制中学の第9回生の同窓会の幹事長の経験では、神戸女子で地元に残っている人は、比較少数である。関東圏への流出が多く、東京組の同窓会が盛んだった時期もある。地元で残っているのは、西宮市への転出が多い。案外に、神戸は住んでみると、地域社会としてはボロボロ。それに、神戸といえば、実は阪神間の社会である。それは、上流が阪急電車の沿線、下層が阪神電車の沿線である。筆者は、阪神電車の沿線で育ったが、デイリースポーツが大嫌いで、阪急沿線の住民に成りたかった。その第一歩は、神戸大学へ入学したことで実現した。

富山県は、文部教官としての赴任地である。ただ、富山大学で何年頑張っても、専門の中国での在外研究の順番はない、と知った。それで、神戸学院大学に転任したが、あそこは明石市である。あの大学は、いまや神戸のど真ん中にあるが、山口組さんたちの抗争のおかげで、神戸の地元感はあまり良くない。晩年というか、余生、富山県を選んだのは、東アジア近代の歴史研究のためである。農村社会の色を残しながら、工業化を成し遂げた達成度では、東アジアのなかで驚異の経済発展を成し遂げた。そのコアーとして、製薬業に力点が置かれることは、東アジアで唯一である。水力発電、水田農業、そして製薬業という3拍子の近代化をどうしたら外国語で紹介できるか。今も、研究中である。富山県史の英語版を作ろうという提案が無視されつづけている。


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2月25日(日)のつぶやき

2018年02月26日 | Weblog

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明治時代は、富山県庁から物流が見える化されていた

2018年02月25日 | Weblog

県立図書館で、明治期の富山県庁の作成した統計書を調べると、県下の物流がすべて掌握できていた。なぜなら、当時、鉄道がなく、すべての物流が内海の船舶だったために、県外からの移入と、県内からの移出がすべて品目別に把握されていたことが分かる。移出は米穀がほとんどである。県庁が推進した米作の単作化により、北海道への移出など越中米は、米穀市場の一翼を占めていた。反対に、移入品は建材が圧倒的で、瓦から釘に至るまで、製造業の製品が流入していた。お茶も、呉羽茶だけでは県内自給には不足していたので、どの港からも茶は移入されていた。ただ、人口統計では、東京への移民が多く、社会原因の減少が続いた。

このような県勢の退化を画期的に変革したのが、水力発電による産業化、電気化学工業のよる化成の農業肥料の生産・消費である。さらに、昭和20年の敗戦により、引揚者の流入による山間部の農村人口が増えたことである。これで、富山県は「雄県」の仲間となった。しかし、IT革命の進行とともに、また、重化学工業製品の価格の相対低下とともに、製造業のベースに劣化が生じ、また、戦後の復興需要、高度成長需要が一巡すると、富山の製造業に大きな陰りが生じた。富山県の産業政策が、物流を踏まえた構造図が見えないままに、一部の企業家の意見に引き回された。中沖県政の前半、製薬に比重をおく議論すらなかった。

 


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2月24日(土)のつぶやき

2018年02月25日 | Weblog

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大学の国際比較の落とし穴

2018年02月24日 | Weblog

世界の大学で、国民国家の姿に対応し、すべての学力層の進学需要を満たしているのは、実は日本だけである。しかも、ほとんどの科目が日本語を使用言語として教育できる平準化と標準化がなされている。ここには、「日本の大学」という特別な装置が、日本の企業社会のシステムと一体化し、知識労働を担う人材をベルトコンベアーに乗せて送り出し、受け入れる流れが隙間なく完成している。金融では、頂点は日銀、メガバンクから地域の信用組合まで、製造業では、日立から地域の中核技術企業まで、学力の三角形の分布構造に対応するシステムができている。その強みは、技能伝承にある。

他方、世界の最先端大学は民族・国籍に関係なく、無国籍の「先端知識開発」に特化されている。これらと同列に、日本国という国民国家・国民経済単位の大学という装置と比較すると、日本の先端大学は、極めて遅れているようにみえる。統計指標が、先端性の鋭さにのみ特化しているからだ。同じ漢字を用いる文化圏でみると、先端性では、シンガポール国立大や北京、上海の大学と日本の大学では、量的な論文生産では遅れているように見える。しかし、日本では分野の絞り込みによる費用対効果が重んじられ、国家資金が効率投資されているために、順位が下がってきている。ところが、人材の育成の量的な貢献と、世界経済に対する安定向上の基本性の維持という点では、日本の大学の卒業生は、その貢献度は世界でも3位以内で推移している。

海外の機関による国際水準比較は、「卒業後の院生」で構成される大学院の比較である。しかも、修士という6年一貫教育の量的な達成による人材育成効果は、日本企業の人事計画を支えている。いたずらに自虐的な議論は慎みたい。


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2月23日(金)のつぶやき

2018年02月24日 | Weblog

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夢という脳の深層記憶

2018年02月23日 | Weblog

富山新聞文化センターで、富山藩の広徳館の論語講座において、中国の後漢時代、民間で論語を読みこなしていた民間学者を紹介した。それで、王符という人の著作である『潜夫論』を紹介した。その翌朝、夢を見た。なんと、不思議な水墨画、それも素朴な後漢時代の原始的な壁画だった。なんか、もう死後の世界にお招き戴いたような気分だった。深く静かな世界だった。

目ざめてみて、あの夢はなんだったのか、反芻してみた。王符⇒後漢時代⇒儒教系の水墨画というキーワードからの連想である。その記憶域の記憶の連鎖を脳が自然にたどっていたらしい。ともあれ、『潜夫論』には、人類の最古の夢を論じた論文がある。主に夢占いを論じている。僕の場合、後漢時代というと、脳の中にファイルのホルダーがあるらしい。

それにしても、学習の記憶は、深層の人格の核にある脳に蓄えられる。怖いというべきか、楽しいというべきか。


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2月21日(水)のつぶやき

2018年02月22日 | Weblog

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`富山県は、すべての町村に物流条件に極端な格差がない。

2018年02月21日 | Weblog

兵庫県では、高速道路のインターチェンジが、県域に均等に分布していない。富山の場合、高速が山間部に近く、一般国道が比較的に海岸よりのため、市町村の単位では、物流の拠点と結節点がほぼ均等に分布している。これは、全県域で、産業の配置もほぼ均等に分布しうる。逆に言えば、巨大なトラック・ターミナルを1か所に集めても役立たないわけである。そのため、物流部門の輸送を扱う業者も分散化している。兵庫が四方への拡散型に対し、富山は帯状に横長く、飛び飛びに一列に連なっている。

この条件は、富山県が、農村といえば農村であるし、都市といえば都市である第一の理由である。第二は、勤労者がほぼ自家用車で通勤しており、1日通勤圏の3つの輪が重なりあう。西部圏、富山市圏、東部圏で構成される。問題は、このような人流、物流を上空から俯瞰し、公共交通もおける人流と、公道における物流と、それらの効率化が満たされる情報の集積と解析が、公共経済の立場から極められる必要があることだ。それには、富山大学の都市デザイン学の展開において、地域経済のロジスティクスという基本から離れすぎないようにすることだ。


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2月19日(月)のつぶやき

2018年02月20日 | Weblog

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上位者が自分の苦手を若手にまかせる度量

2018年02月19日 | Weblog

上位者が自分の苦手を蔽うために、例えば、英語を奨励しない、これは愚の骨頂である。僕は、コンピューターのハードユーザーであるが、プログラミングは苦手である。それでも、仕組みを知るために、富山大学のオープン・クラスでC言語の入り口は学んだ。機械を動かす言語には、全ての条件設定が事細かく指示するプログラムがいるが、それを機械動作に変換しないと、機械は動かない。それで、人間⇒プログラム⇒アルゴリズム⇒機器動作という単方向の教育しか工学部では進めていなかったことも知った。ところが、人間の世界では、コンピューターはツールとして、ヒューマン・インターフェイスにおいて有用性が発揮できる。つまり、価値が認められる。これを将棋でたとえると、人間と人工頭脳との闘いのように見えるが、では、勝者である人口頭脳の回路の設計者には、いかほどの人間としての讃辞が贈られるのか。そして、指し手の独創性に賞賛が贈られるのか。人口頭脳の設計者は、全く「黒子」の存在となる。要は、特殊な技能者は、黒子なのだが、黒子として無視してしまうと、企業になかでは、そのような人材は育たない。

良き経営者は、その才能を妬みたくなるような異能者を外部にはみせない黒子として育てられるのか、それが知識・技術を資本とする現代企業の経営課題である。そういう教育力のある大学教員は、各大学には1人は存在する。大学のブランドで判断してはいけない。


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2月18日(日)のつぶやき

2018年02月19日 | Weblog

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尖閣諸島を含む海域と清朝と琉球国の関係

2018年02月18日 | Weblog

台湾の歴史史料を整理していたら、面白い文献がでてきた。僕の書斎には、尖閣列島は、明王朝の時代には琉球王国の実効支配が台湾島周辺には及んでいなかったと主張する中国側の研究文献がある。もし、琉球王国が台湾島の付近を実効支配していないなら、尖閣は台湾島の付属の諸島となるので、明王朝を継いだ清朝が台湾省に編入したから、中国の領有権の主張にも、ひとまず理屈として成り立つかもね、とぼんやり考えていいた。清朝の「雍正朱批諭旨」には、「清王朝が琉球国使に冊立封建した海宝」という琉球人の奏上により、福建省の天后媽祖廟の春秋の大祭の主宰権を与えたという公文書が残されていることが確かめられる。琉球国の対清朝の外交使節の長に対し、中国大陸の一部に属する福建省の甫田県にある天后媽祖廟の祭主権を認めた。これは、清朝が琉球王国を介して、台湾島の周辺の船舶航行権を間接的にに管理していたとも解釈できる。しかし、他方で、琉球王国が実効支配した領海は狭くて、最南端の尖閣諸島には及んでいなかったという中国の学者の学術的な主張は崩れるのである。なぜなら、天后媽祖廟から天后の塑像を下賜され、それを船舶の祭壇に飾り祭祀しないと、福建人が運行する船舶、つまり当時の全ての中国船舶は、一隻たりとも運行できない。そこには、船主のギルドと船員のギルドの媽祖信仰の宗教的な厳しい盟約があるからだ。それで、江戸時代に長崎に来た唐船は、この神前盟約の拘束を受けていたのである。この仕切り役を琉球国に委任している雍正帝の決裁文書が存在する以上は、琉球国が台湾だけでなく、対岸の福建省に及んでいたことを意味する。天后神は、航海の女神として全ての唐船の命運を主っていた。琉球国の海商の主体勢力圏は、僕の想像よりもはるかに広かったのである。


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