中村の専門領域:軽薄な中国論は、日本人だけのおバカ。
ここにきて、英国の中国への対応が最恵国待遇に変化した。そのことは、誰の眼にも明らかになっている。またもや、日本外務省、安倍外交の失敗といえるかもしれない。イギリスには、世界史を見る目がある。そもそも、18世紀におけるイギリスの躍進は、世界史を見る目を養ったことに始まる。そして、世界で最も富める国である清朝中国を研究し、中国を世界第一の国家から転落させる道を探った。清朝中国は、内陸国家であった。海洋国家ではないため、海防に弱い帝国であった。それで、アヘン戦争を起こし、中国の大型船舶の輸送路に条約特権を開いた。そして、税関業務につき、イギリス人の総税務司を派遣した。その要が香港であり、上海であった。アヘン戦争などの軍事紛争はあったが、20世紀の初頭には、清朝とイギリスの関係は協調的であった。しかし、ロシアの極東政策により、清朝とロシアとの関係が親密になるのを防ぐため、日英同盟によりロシアの清朝中国への影響力を遮断しようとした。それが日露戦争である。
イギリスの極東外交は、伝統的に「親日派」と「親中派」とに分かれていた。日本が犯した最大の誤りは、1930年代にある。ケインズの貨幣理論のよる「中央銀行外国為替管理権」を基礎とする「中央銀行券本位貨幣」とする、「リーガルカレンシー」の経済学的な意義が分からずに、イギリスによるポンド・スターリング地域へのブロック経済へ囲い込むためのイギリスの独善政策だと誤解したことである。今回の安倍談話でも、その誤解は見事というか、恥ずかしいというか、東京大学の知性の破たんが継承されている。
イギリス政府の特使であるリース・ロスは、日本では天皇に面会したが、冷たくあしらわれた。中国では、蒋介石国民政府は、ケインズの通貨論を採用し、銀による民間取引を禁止し、「法幣」という「リーガル・カレンシー」の発行に成功した。このとき、首都の南京では「世界の経済学の黄金時代」と呼ばれるほど、経済学の俊英があつまった。そこへ、日本外務省が上海においた東亜同文書院の学者は招かれなかった。ロシアから来たレオンチェフという若い学者が、「産業連関諸表」といわれる数学モデルを発表し、世界で初めて、中国で「国民総所得」【国民総生産】の計算が行われ、3年間、中国国民政府がGNP・GDP計算を実施した。レオンチェフはアメリカにわたり、そこでより正確な統計による国民総生産の計算式を確立する。ここに経済学のベース・ロードが完成する。経済学統計が、世界史の指針を導くことになる。
ところが、日本人は「世界の経済学の黄金時代」と呼ばれた南京のアカデミーの城を、1937年「抗英戦争」と称し、武力占領した。この段階で、イギリス外交では、「親中国派」が歴史的に完全勝利した。そのおかげで、蒋介石はカイロ会談に呼ばれ、第二次大戦の戦勝国として、世界の5大国となった。日本がイギリスと軍事衝突することで、中英の同盟を促したわけである。イギリスは、蒋介石から中国共産党への政権交代を徐々に認め、最終的には、イギリスは北京政府に香港を返還した。決して、香港住民に返還したのではない。ここへきて、中国共産党が主導してリーマンショックを乗り切った功績を認め、2016年に「人民元」をIMF通貨バスケットに加えることに大賛成の意思を表明したのである。イギリスには、ケンブリッジ・ヒストリー・オブ・チャイナが編纂され、ニーダムの中国科学史の著作がある。日本は、1930年代の南京経済学ゼミに呼ばれないで、その牙城を武力破壊した罪は、そして、イギリス人を第2次大戦で大量に捕虜とした蛮行から、まだ100年が経っていない。イギリスの世界史を見るインテリジェンスの高さは、並外れている。