富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

イギリスの中国への厚遇は、1930年代からの機縁

2015年10月22日 | Weblog

中村の専門領域:軽薄な中国論は、日本人だけのおバカ。

ここにきて、英国の中国への対応が最恵国待遇に変化した。そのことは、誰の眼にも明らかになっている。またもや、日本外務省、安倍外交の失敗といえるかもしれない。イギリスには、世界史を見る目がある。そもそも、18世紀におけるイギリスの躍進は、世界史を見る目を養ったことに始まる。そして、世界で最も富める国である清朝中国を研究し、中国を世界第一の国家から転落させる道を探った。清朝中国は、内陸国家であった。海洋国家ではないため、海防に弱い帝国であった。それで、アヘン戦争を起こし、中国の大型船舶の輸送路に条約特権を開いた。そして、税関業務につき、イギリス人の総税務司を派遣した。その要が香港であり、上海であった。アヘン戦争などの軍事紛争はあったが、20世紀の初頭には、清朝とイギリスの関係は協調的であった。しかし、ロシアの極東政策により、清朝とロシアとの関係が親密になるのを防ぐため、日英同盟によりロシアの清朝中国への影響力を遮断しようとした。それが日露戦争である。

イギリスの極東外交は、伝統的に「親日派」と「親中派」とに分かれていた。日本が犯した最大の誤りは、1930年代にある。ケインズの貨幣理論のよる「中央銀行外国為替管理権」を基礎とする「中央銀行券本位貨幣」とする、「リーガルカレンシー」の経済学的な意義が分からずに、イギリスによるポンド・スターリング地域へのブロック経済へ囲い込むためのイギリスの独善政策だと誤解したことである。今回の安倍談話でも、その誤解は見事というか、恥ずかしいというか、東京大学の知性の破たんが継承されている。

イギリス政府の特使であるリース・ロスは、日本では天皇に面会したが、冷たくあしらわれた。中国では、蒋介石国民政府は、ケインズの通貨論を採用し、銀による民間取引を禁止し、「法幣」という「リーガル・カレンシー」の発行に成功した。このとき、首都の南京では「世界の経済学の黄金時代」と呼ばれるほど、経済学の俊英があつまった。そこへ、日本外務省が上海においた東亜同文書院の学者は招かれなかった。ロシアから来たレオンチェフという若い学者が、「産業連関諸表」といわれる数学モデルを発表し、世界で初めて、中国で「国民総所得」【国民総生産】の計算が行われ、3年間、中国国民政府がGNP・GDP計算を実施した。レオンチェフはアメリカにわたり、そこでより正確な統計による国民総生産の計算式を確立する。ここに経済学のベース・ロードが完成する。経済学統計が、世界史の指針を導くことになる。

ところが、日本人は「世界の経済学の黄金時代」と呼ばれた南京のアカデミーの城を、1937年「抗英戦争」と称し、武力占領した。この段階で、イギリス外交では、「親中国派」が歴史的に完全勝利した。そのおかげで、蒋介石はカイロ会談に呼ばれ、第二次大戦の戦勝国として、世界の5大国となった。日本がイギリスと軍事衝突することで、中英の同盟を促したわけである。イギリスは、蒋介石から中国共産党への政権交代を徐々に認め、最終的には、イギリスは北京政府に香港を返還した。決して、香港住民に返還したのではない。ここへきて、中国共産党が主導してリーマンショックを乗り切った功績を認め、2016年に「人民元」をIMF通貨バスケットに加えることに大賛成の意思を表明したのである。イギリスには、ケンブリッジ・ヒストリー・オブ・チャイナが編纂され、ニーダムの中国科学史の著作がある。日本は、1930年代の南京経済学ゼミに呼ばれないで、その牙城を武力破壊した罪は、そして、イギリス人を第2次大戦で大量に捕虜とした蛮行から、まだ100年が経っていない。イギリスの世界史を見るインテリジェンスの高さは、並外れている。


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時代の先を読む力(修正版)

2015年10月19日 | Weblog

TMA講師代表からの資料提供:渋沢栄一の講演録を読んだ。基本は、イギリスの流儀に学びながら、韓国、中国へ商圏を広げる、それが明治初年における再建国家の時期の彼の構想である。イギリスの流儀とは、貿易を軸に、銀行、海上火災保険、商船団を3本の柱とする富国論である。国家主導というよりも、商業界が牽引力となるべきだとする歴史認識である。この渋沢の思想は、日本の産業社会の基軸として今でも生きている。特に、彼は徳川幕府による政治権力による統制がもたらした商業への制約を厳しく批判する。この渋沢の思想は、同時代のイギリスの「自由主義」と「バンク・ノート」の優位性に支えられており、歴史的には、第一次世界大戦でその優位性が失われる。「市場経済原理」に一元化しようとする思想である。

第一次大戦の終戦期より、国家の経済過程への介入を基軸とする「指令型経済原理」への一元化時代が始まる。重要産業の国営化である。これは、レーニン革命を最左翼として、ケインズ革命を最右翼とする民間の資本の自由を制限する思想である。日本の場合は、第二次大戦の敗戦にも関わらず、戦後復興の担い手として国家官僚が主導権をもつ「指令型経済原理」がより強固に展開される。

世界的には、重要産業の国営化が非効率だとする現象が表面化し、急速に、「新自由主義」が台頭する。これが、2007から2010年までのリーマン・ショックの克服のプロセスで、改めて「新自由主義」への反省期に差し掛かっている。しかも、国家的なプロジェクトを掲げた中国に代表される「指令型経済原理」への疑問は、そもそも中国共産党の内部に生じており、習近平政権は2014年秋より、「指令型経済原理」と「市場経済原理」との整合・調整に軸心を移行させている。アメリカの場合も、野放しの新自由主義への反省から、「指令型経済原理」と「市場経済原理」との整合・調整に向かっているから、アメリカの中央銀行の最優遇金利の調整に大きな関心が集まっている。

そこへきて、TPP交渉の大筋合意が伝えられ、貿易の世界で「市場経済原理」が国境を越えて機能する時代がすぐに目の前に来ている。つまり、異なる国家と国家との間で「指令型経済原理」が対立・相克した第2次世界大戦での歴史的経験の負の要因が克服され、「指令型経済原理」そのものがグローバルに均質になり、貿易に関しては「互恵型経済原理」という太古からの人類経済原理の本筋に立ち返る方向へと向かっている。それが、この時代の先を読む力だと思う。

そのような流れで、渋沢栄一の役割を見直すと、第1次大戦から第2次大戦、復興期では、その思想は否定的に評価された。が、現在、ケインズの構想した世界平和への道筋を示すシートのなかで、孔子の「義と利」の理論を日本思想とした「論語」と「算盤」という渋沢の思想は、日本のマネジメントの源流として、ドラッカーが再評価したのは慧眼というほかない。ただ、銀行主導の製造業振興という渋沢時代の構図ではなく、銀行が従の役に変わり、メーカー主導の時代になったことは、トヨタを見ればわかる。


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富山優良企業:東証1部上場企業の近未来

2015年10月12日 | Weblog

TMA講師代表:講義資料

東証1部/北陸電気工業、 ゴールドウイン、中越パルプ、日医工、ダイト、川田TECH、三協立山、不二越、コーセル、北陸電気工事、アルビス、ほくほくHD(北陸銀行)、ITHD,北陸電力。

東証2部/大和、朝日印刷、日本抵抗器、黒谷コーポレーション、富山銀行、伏木海陸運送(FKK)


ジャスダック/タカギセイコー、田中精密など

店頭株:富山第一銀行、日本海ガス、富山地鉄、太平、北日本放送、広貫堂、立山観光、中越レ、電気ビル、太平、チューゲキ

非上場(特殊):YKK  株価 105,000円

富山のいわゆる優良企業は、以上の各社です。

なお、富山県の製造業を支えているのは、全国的に有名な企業の傘下の富山工場です。したがって、富山大学が、このリストにある企業との提携を深めても、富山県全体の製造業の中軸ラインに歯車がかみ合うことにはなりません。

全国での専業別の市場占有率でみると、全国性の企業は、ゴールドウイン、日医工、三協立山、不二越、コーセル、そして、非上場ですがYKKを含め6社が、今後は、市場人口の成長が見込まれる海外市場での実績と可能性をもっています。
 


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富山市立図書館の魅力を紹介する

2015年10月06日 | Weblog

TMA講師代表の仕事:富山市立図書館の運営協議会の一委員の役を拝命している。唯一の公職である。そのため、富山市立図書館に肩入れした議論をすることになる。この市立図書館が優れているのは、非常に広い市域のなかに、多くの地域分館を擁していることである。富山市は、ニホンカモシカが棲む山岳地帯、山村から、海岸の漁港まで、「海彦・山彦」の世界を構成している。地域全体が、バード・アイでみると、自然・人文の地理学の全ての要素をもっている。太古の日本列島の一番に古い岩石は、飛騨地方にあるが、富山市は山岳部では、飛騨に通じる路にある。古い人類の集落における人骨の出土の個体数が日本で有数の遺跡が、呉羽地区で発見された。自然環境、人文環境、高低差、産業の広がり、交通運輸の変遷において、そのままが博物館であるというのが、富山の特徴である。海も暖流と寒流とが交差し、回遊魚の種類も多い。しかも、富山地方鉄道が発達している。多様性を備え、マニアの知見を楽しませてくれる空間である。

 富山市立図書館は、周辺の町を合併したために、それぞれの旧町の小規模な図書館を分館として残している。そのため、私は富山の中心街にある本館で本を借り出し、自宅で読み、返す時は、徒歩で10分以内の地区公民館にある「分館」の返却ポストに返本すればよい。また、ネットで予約し、地区の「分館」で受け取るサービスを選択すると、中心街に行かなくとも、わが町で中央図書館の本が利用できる。こうした分館の機能を支えるには、自動車によるロジスティクス(配送網)が大事である。それに加えて、自動車文庫のよる巡回型の図書館サービスがある。そのセンターとして、中心市街地の本館が機能している。市立の病院にも、市立図書館の配本サービスは及んでいる。 学校図書館との連携もあり、本館では子育て支援の面をサービスの全面に出している。

さて、2015年に開館した新しい富山市立図書館の本館は、中心市街地に、ガラス美術館と併合する図書館として稼働し始めた。同じビルには、地方銀行も入り、銀行・美術館・図書館という「新しいコラボ」が始まった。委員として要望したのは、銀行、美術館、図書館が、それぞれ別々に3つの玄関をもち、機能的に相互に壁をつくる「雑居ビル」は止めて欲しいということであった。同じことは、多くの方も考えておられたのであろうか、中村の要望は、基本的に実現されている。「美術館へ迷い込んだら、図書館に入っていた」と、仕切りのない統一性のある建物の設計となっている。ビルの外観は、ガラス美術館に相応しいデザインである。

問題は、銀行と図書館、美術館の「新しいコラボ」である。この面では、建築家のアイデアも、銀行のトップも、市長も、「頭脳の回転の限界」がある。図書館も美術館も、館蔵の貴重な原稿本などレアーな資産価値がある「文化資産」があり、美術館も館蔵品は、極めて高額なものが多い。これを「信託資産」として管理するのが、地方銀行の新たな役割である。銀行の貸金庫、信託資産、保険管理、さらには図書館、美術館の資産管理は、銀行の得意技である。図書館にも、美術館にも、財務諸表の要る時代である。図書館の貸し出しは無料であるが、雑誌のカバーに企業広告をお願いするのは、教育委員会の管理する図書館司書の苦手とするところである。今のところ、地域銀行、図書館、美術館とは、同じビルの同居人に過ぎないが、「集客する」「見て戴く」「休んで戴く」「お貸しする」「蓄えておく」「自動車で巡回する」全て顧客価値を創造するというドラッカーの経営学で理論武装すれば、マネジメント学の文化を共有できる。このトップ・マネージメントができたら、富山の「キラリ」という銀行・図書館・美術館が、地域マネジメントの世界的なモデルとなる。なお、銀行内部には、多くの聴衆を対象とする講演・公演のホールがある。銀行は、有料で行内の施設を商業的に活用することで寄与できる。問題は、トップの頭脳偏差値にある。


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富山駅の駅前の工事がにわかに急ピッチだが、

2015年10月04日 | Weblog

富山駅構内の工事は、線路などの鉄道施設の改善を伴うから、急ぎ働きをしない方がよい、とこのブログも、乗客の我慢を説いてきた。それでは、駅前の広場の工事は、どうか。まず、地元の路線バスと、タクシーの利用者の施設は、なんとか完成した。しかし、その他、広大な部分が「工事中」で、平然と放置されてきた。なぜだろう。それは、融雪の工事をするためである。金沢駅は、ドームで覆ったが、それは地元業者の利益が還元されない。それで、地下に融雪装置を作り、その上に石で舗装するという工事がゆっくり行われていた。この「ゆっくり感」が、大事であると、眺めていた。ところが、ここにきて、工事がドタバタと、急ピッチに進展し始めた。

なぜか、日本国を象徴されるかたが、もし、新幹線で来富されたら、下車ののち、自動車へ乗り換える場所をどこにするのか、その時、お目に触れたくない工事現場がどうするのか、エライさんが慌てだした。日本国を象徴されるかたの接遇の責任者は、富山県知事である。しかし、富山駅の南側の広場には、県有地が一片も存在しない。富山市の市有地とJRの所有地である。有名な富山県庁と富山市役所との壮絶なバトルが、ここにも関係している。知事と市長とは、同じ保守政党の有力な党員である。政治の信念は、同じである。

県と市のバトルは、第2次大戦の前から存在した。例えば、図書館は、市立はあっても県立はなかった時代が、昭和の後期まで続いた。県庁は国の出先機関であった。戦後、富山県庁は民主化がすすむが、富山市役所は、今でいえば民主党系・社民系・共産系による「革新派」の市政が続いた。自由民主党が、富山市政の主導権を握ったのは、比較的に新しい。そのため、富山県庁の職員と、富山市役所の職員とは、役職が下層にいくほど、相互の憎悪が激しい。県庁が困ればよい、市役所が生意気だという感情的な「富山ダービー」現象がある。

有識者は止めてくれ!と思うが、そうは行かない。この「富山ダービー」が、娯楽の少ない富山人の秘かな楽しみなんだ。知事と市長との仲が悪いという「富山都市伝説」には、大きく尾ひれがつく。二人とも、県立中部高等学校の卒業生であるから、この都市伝説は、他の高校の卒業生たちには、「中部」敬遠の心理と結びつき、富山政界の困った問題だと「まじめな話のネタ」にもなる。さらには、大阪の大阪府と大阪市の二重行政の問題とも結びつく。

ところで、県庁の組織は、あくまでも国の出先機関、地方統治の機関であるという「国府」である。だから、明治維新後、「大石川県」のなかに越中国が含まれてた時代もある。このペースで人口減がすすむと、砺波平野に石川・富山を統合する県庁合体の時代は必ずくる。反対に、富山市はどこにも移転できない。周辺と合併しても、移転はできない。ただ、県庁の所在地としての「市」の地位を失う可能性がある。だから、富山県庁が「富山ダービー」に勝つには、北陸新幹線の新高岡駅の周辺に拠点機能を移し、砺波平野の経済地理学的な立地のメリットを生かす戦略にたつことである。富山駅前は、富山市に任せればよい。駅前は工事中でも、「ありのまま」が富山人らしさである。日本国を象徴されるかたが、「ありのまま」を軽蔑される方ではない。無理な、取り繕いを見破るだけの「お察し」力はある。

富山市役所が、富山県庁との「富山ダービー」に勝つには、県庁を困らせることではなく、「市」としての格付けを上げることである。それが、創薬の戦略にあることはいうまでもない。きちんと、新たな富山型「市立大学」を経営することである。大阪市立大学は、大阪府立大学より格が上である。大阪府に大阪市を吸収するよりも、大阪市を「大阪都」として昇格させて、府下を合併するべきだった。富山市は産業博覧会でも、県庁には勝っていた。しかし、革新市政で失ったものも大きい。富山市が、まちがったのは、大学行政である。「市立大学」を経営しなかったことが、惜しまれる。「国立」の富山大学が「残念印」である以上に、富山市の大学教育環境の整備のミスは惜しまれる。富山市が、国際的な大学、官営と民営との中間の新たな構想、たとえば「都市学」、「アニメ学」に徹した・・・。こういう、含み資産を描くためには、富山駅の駅前広場の活かし方にも、拙速を避けるべきであろう。

 

 

 

 

 


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