富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

富山大学は循環型社会のために水素エネルギー研究に傾こう

2018年09月02日 | Weblog

富山マネジメント・アカデミーとしては、PMEを第一の推しで進めてきた。薬業と医学を工学エンジニアリングで結ぶ複合連携である。大成功であると総括している。一つは、県立大学に医薬品工学科ができ、県の薬事研究の拠点と、富山大学のPMEとの連携が成功した。黒子の役回りは終わったと思う。ただ、国際業務のプロ人材の育成には指導者を据え、今後の営業系の人財が必要だと考えている。それで、今後、富山大学の経営学科さんいは、PMEを支えるPMMファーマー・メディカル・マネジャー養成コースを腹案として考えている。医薬・健康の色に富山大学を染めることである。これは、高岡法科大学さんに提案した方がよい部分もある、日本では、医薬の法律が特殊で複雑、さらに外国の医事・薬事法学の専門知識を教育する機関が弱い。その次は、富山は産業廃棄物のリサイクルが日本でも有数の技術があるが、リサイクルのイメージは産廃なので、もっと創造的な取り組みが求められる。それが、廃材のアルミから「水素」を取り出す技術の開発である。水素を軸にしたエネルギー循環が社会への展望である。こうした水素系の実験装置は、富山大学の構内では増設不能であり、万一の爆発事故などの安全対策も厳しい。それで、県立高校のうちは移行される高等学校を全て富山大学・富山県立大学の大学院のリサーチ・キャンパスとして、富山県側が提供し、どうじに、首都圏、関西圏の地域振興に繋がる研究開発特区として、大学連携の考え方を広げて、富山県が所有し、管理する大学院リサーチ・キャンパスという国家戦略特区に組み込むように安倍内閣に提案してほしい。いま日本必要なのは、実用的な、博士を何人も育成できるエンジニアリングの研究拠点である。それは同時に、YKKの工機部の限界、三協立山㈱の限界を広げることにもなる。研究組合の事業として、全国に類例のない県立高校の積極的な廃校舎の活かし方を提案したい。「富山新聞」さん、こういうのが社説なんよ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

県庁で採用できないランクの私大4卒を県内に引き戻さないで欲しい

2018年09月02日 | Weblog

僕は、富山大学の私設応援団である。富山に生まれ、富山県立の高校を4年で卒業した地元学生には、Uターン組は目障りである。県庁の人事課のさるかたが、高岡法科大学の就活担当者に、県庁は県内の大学を卒業した人は採用対象と考えていないといわれたと聞いたことがある。受けさせても2次ではねられる。富山新聞の社説によると、中央大学101人、明治大学110人、京都女子大学128人、早稲田131人を擁する大学と協定してUターンを促進するという。これは、4学年分であると思われるが、すでに、大学院修士、そして理工系では博士級が、国際化した企業と企業を横断的につないでいるので、これらの大学では、全国区の大学院進学や日本中核400社の入社試験に落ちたひとを「よろしければ富山に引き取ってください」という協定なのである。Uターン率と大学院不受験率とは整合するということはすでに述べた。つまり、英語ができ留学している、民法では司法試験が狙える、公認会計士の勉強会に誘われているなど、というような全国級の世界から予選落ちした人材である。相撲で言えば、朝乃山クラスには届かないアマチュア人材である。そういうレベルを県内企業で再教育して全国級に育てられるか疑問である。僕は、ランクの低い神戸学院大で指導してきたが、優秀な人材はみな大学院に送り込んだ。NTT,日本総研、神戸大学で学術博士〈私大講師〉と大学院教育をうけて知識労働者となっている。僕は、家庭に事情や、富山の旧家、基幹となる名望家の子弟は、自ずと帰郷される。それでも、最低が修士という知識労働者のレベルに達するために、県内で法学修士の資格をお勧めした。大学教師は、平然と4大卒切りを教育として行っています。それは、富山県立大学でも同様です。英語文献を加えた学術論文は、コミュニケーションのツールの時代なのです。ゴミ学生をゴミ企業に誘うには、完全雇用の労働政策、労政であり、富山県経済のマネジメントに繋がらない。北陸銀行が推進されているように、中核400社関連の人材を県内企業のマネジメント人材として紹介するのは、労政ではなく、立派な地域経済のマネジメントである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「役員+正社員」社会の矜持とゴネ得の排除

2018年09月02日 | Weblog

「役員+正社員」の知識労働の社会は、理系と文系との分かれている。理系には、たまに文系でもトップランクの仕事はできるが、こと国際会計基準や国際的な民事訴訟にまでカバーできるとなると、そこに壁がある。東芝の挫折は、グローバル化したために理系も、文系も、東大などで受けた教育の延長コードでは、次元が異なったからだ。東大は、きちんと経営学部を創設し、医学部に流れる人材をこみこみ、日本国を経営する最高学府を構築するべきだ。それと、駒場での教育も無駄である。やはり、18歳のボストンの公共空間に国家的に送り出すべきだ。なぜ、このように言うのか?それは、日本の経営組織を含め、幕府+藩は、大英帝国のパックス・ブリタニカに対抗し、幕職+藩士から「役員+正社員」のスーツを着るマネジメントの担い手を生み出したからだ。このような役割の中心にいたのが、渋沢栄一である彼流の孔子学である。したがって、公私混同に非常に厳しい経営社会の矜持が守られてきた。これは、中国共産とが指導する経営管理社会で再生される私益による公財の私財化が構造的に生じるのと大きく対照をなしている。このゴネ得は、役員の経験者からも生じる。これは、中国では、江沢民派というレッテルで嘲笑される。日本でも、経団連の土光さん以来の人物はなく、総じて東芝の旧役員の院政が明治以来の企業を崩壊させた。社会的な上位者が、ゴネ得をすると、そのこと自体が、下層社会にいたるクレーマー、モンスター・ペアレンツ、さらにはパワハラを過度にメディア露出する風潮を過激化させる。上位者の矜持への敬意を失ったのが、平成の時代の狂いであった。トンボ飲料の翠田社長は、富山大学の講義で、友達を見ていても読書しない人は、だんだんに堕ちていきますね、と述べられた。僕も、頑張って見習いたいと思っている。会社人間でも、読書をすれば、人類社会の源流から外れない。他者への共感力を磨くには、どうすれば良いか。ゴネ得がどんなに恥ずかしいことかわかる。思考が晴れ晴れとしている老人は、それが色に現れる。この色とは、顔の色つやである。気持ちがくすんでいたり、後悔ばかり、過去の威光が懐かしい、・・・これは全てダメである。真の読書人の眼光には、僕は、まだほど遠いが。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月1日(土)のつぶやき

2018年09月02日 | Weblog

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする